2005-05-30 09:08:08

たまご丼

テーマ:日記

今日の朝、冷蔵庫の中に卵とたまねぎしかなかったのでたまご丼を作った。あ、親子丼の肉が入ってないやつね。

作っている途中で私が中学2年のころに「お付き合い」していた「みちくん」のことを突然思い出した。

付き合うといっても、手をつないで学校から帰る、というものだったから付き合っていたと言っていいのかわからないけど。

それに、「好き」というのも今とはちょっと違う気がする。恋に恋する、というかんじだったと思う。

「みちくん」は周囲が1メートルくらいある「ドカン」というズボンを穿いて、今はやりのボレロみたいなタンランを着て、髪は金髪ボウズという典型的な田舎のヤンキーだった。

無免許でバイクに乗って補導されるわ、他の学校の人とケンカするわ、行いのほうも典型的だったわけですが、そんな彼のことを私はすごく冷めた目で見てた気がする。

「なんでそんなことをするんだろう」って。


一回だけ、「みちくん」の家に行ったことがあるんだけど、家は外から見るとすごい大きくてキレイなのにリビングはものすごく荒れててびっくりした覚えがある。見られたくなさそうにさっと隠してた。

話を聞くとお母さんもお父さんも仕事が忙しくて家にあんまりいないらしい。小さいころからずっとそんなかんじなんだよ、って言ってた。

そのとき、この人はさみしいのかな?って思った。

「親が」とか、「家が」という考え方には素直に納得できないけど、そのときはそう思った。


「みちくん」が好きだったのが「たまご丼」。

いつもは背伸びしたような顔してるのに、たまご丼の話をする時はいつも普通の子供の顔に戻って、うれしそうに話す。

「おれ、たまご丼でーれー好きなんよー、しょうゆかける?おれかける。ほんまうまいよなー。」


その端整な顔だちをもう今はほとんど忘れてしまった。

私が転校してからずっと会ってないし、話も聞かないけど、今頃何してるんだろう。


あたしはたまご丼とか親子丼とかそういう類の料理がすごい苦手で、いつも食べられないくらいマズいんだけど、今日作ったたまご丼はなぜかすっごくおいしかった。


おしまい。

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2005-05-23 16:33:53

今日の失敗

テーマ:日記

「ブラス!」ていう映画を見た。


あれ、なんか展開早いなぁー、あれ、30分しかたってないのにこんなに泣き所があっていいのか?とか、登場人物の説明ないなーとか、え、この人お父さん?え、この人誰?みたいなクエスチョンマークがたくさんあったにもかかわらず、エンドロールを見ても気づかなかった。やけに展開早いなーって。


そしたらLDを裏面にしてた。


そしてぼろぼろ泣いてた。最後の40分だけ見て感動してた私。バカみたい。


あれ?40分だけ見て90%のことは理解できたし、背景とかも分かったし、おまけに感動できたっていうことは、これからは映画は後半だけ見ればいいってことなのか。時間短縮でいっぱい見れる。

・・・そんなわけない。そんな失礼な。傲慢な。


あ、映画じたいはかなり感動。

音楽がずるいくらいいい。


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2005-05-14 16:51:39

むこうとこっち、○と×

テーマ:日記


GW中に村上春樹の「アンダーグラウンド」を読みました。


1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者にインタビューを行い、それを本にしたものです。


手にとったそのとき、はっきりした理由はわからなかったけど、とにかく「今、読まなければいけない」という気持ちになったんです。


でも今は多分こういうことなんじゃないか、というのはあります。


誤解を恐れずに言います。

その理由は「地下鉄サリン事件」と「尼崎の脱線事故」がダブって見えたから。

もちろん、このふたつの事件がぜんぜん違う種類のものだということは私にも分かります。

かたや犯罪、かたや人災といえども事故。

それはもう全然違う。


でも、共通している点もいくつかある。

多くの人が一度に命を落としたこと。

ある日突然、絶対に安全だと思われていた公共の場所で起こったこと。

命を落とさないまでも、体や心に大きな傷を負った人が大勢いること。

被害に遭われた方々のやり場のない怒り。もちろん、ある程度の対象はあるにしても。

これらについては、私はそのつらさやむごさを想像することはできても、正確に100%感じることはできない。

ただただ、亡くなった方のご冥福をお祈りし、被害者の方が一日も早く日常の生活を取り戻されることを願うことしかできない。


でも私が実際に感じとることができることが一つだけあるとすれば、「事件に対する社会、メディアの反応」です。


私は尼崎の脱線事故に関するニュースやワイドショーを何日か続けて見ていくうちに、妙な違和感や「なんか嫌だな」という気持ちを持つようになりました。

「なんか嫌だな」と私が感じたのはなぜなのか。




村上春樹は「アンダーグラウンド」の「目じるしのない悪夢」の中で、


「・・・この事件を報道するにあたってのマスメディアの基本姿勢は、<被害者=無垢なる者=正義>という「こちら側」と、<加害者=汚されたもの=悪>という「あちら側」を対立させることだった。そして「こちら側」のポジションを前提条件として固定させ、それをいわば梃子の支点として使い、「あちら側」の行為と論理の歪みを徹底的に細分化し分析していくことだった。」

と書いています。

もちろんこれは地下鉄サリン事件についていったことです。

でも私はこれが今回の尼崎の脱線事故の報道についてもいえるのではないか、という気がしてならないのです。


この場合の加害者とされるものは言うまでもなくJR西日本です。


事故の後に宴会をしていた。

利益に目を奪われ、安全対策をおざなりにした。

事故にあった電車に乗っていた乗客に対して、その日の運賃を請求した。

無責任な会社の体質。

人間味のない社長。

JR西日本に関するありとあらゆることを取り上げ、とんでもないことだと批判し、大きな×をつける。これが悪なのだと。こいつらは悪者なんだと。

もちろん、事故が起きた原因を究明することはだいじなことだと思う。これらの批判がどうでもいいことだというつもりはありません。

ただ、そんなに単純に○×をつけてしまっていいのですか?と思うんです。

こちら側とあちら側はそんなにはっきり区別できるものなのかと疑問を感じるのです。

「ほんとうに、こう考えてしまっていいのだろうか?」

おそらくそれが私が感じた違和感の原因だと思います。


そして彼はこうも言っています。


「・・・つまりオウム真理教という「ものごと」を純粋な他人事として、理解しがたい奇形なものとして対岸から双眼鏡で眺めるだけでは、私たちはどこにも行けないんじゃないかということだ。たとえそう考えることがいささかの不快を伴うとしても、自分というシステム内に、あるいは自分を含むシステム内に、ある程度含まれているかもしれないものとして、その「ものごと」を検証していくことが大事なのではあるまいか。私たちの「こちら側」のエリアに埋められているその鍵を見つけないことには、すべては限りなく「対岸」化し、そこにあるはずの意味は肉眼では見えないところまでミクロ化していくのではあるまいか?」


もしそうだとしたら。


JR西日本のような会社を生み出したのは、実は「わたしたち」なのではないか。と考えてみる。

JR西日本という会社の体質は「わたしたち」の間にある歪みがあらわれたものだと考えることはできないか。


10分電車が遅れてイライラしたことはないか。と思い出してみる。

もっとくだって、自分がJR西日本の社員だったら上司に向かって宴会を取りやめよう、と言えたか。と想像する。


そういうことを少しでも考えてなければいけないんだな、と思ったわけです。


 

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2005-05-13 12:44:25

へこむへこむそしてへこむ

テーマ:日記

今日朝から超へこみました。


本当にへこむことって自分が恥ずかしい人間だと思った瞬間よね。

人を嫌な気持ちにさせてしまったとき。

普通の人が当たり前にしていることを自分が知らないことを知ったとき。


なぜか。


全責任が自分にあるから。


何のせいにも、誰のせいにもできない。

自分の根本部分を疑ってしまうことほどつらいことはないわ。

それ以外はたいしたことない。


ふたをせずにドレッシングをふって部屋中にぶちまけたりとか、

落ちたとかふられたとかなくしたとかはレベル3くらい。

だって別にはずかしくないもん。


でも寝たら忘れる。おやすみなさい。




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2005-05-06 22:07:25

人生2こめのブログをはじめるにあたって

テーマ:日記

はじめに

*「あなたの酸素ボンベになりたい」というふざけた名前について*


私は今年の1月くらいから、「自分とはなんぞや」ということを激しく考えた時期、考えざるをえない状況になりました。それはだいたい3ヶ月という短い期間でしたが、この偏差値50くらいの微妙なアタマで一生懸命考えたんです。


今まで自分がしてきたことに対して。

喜んだこと。後悔したこと。悲しかったこと。人を傷つけたこと。夢中になったこと。


そしてこれから自分がどんな人間になりたいかについて。

お金ほしい。きれいになりたい。幸せになりたい。幸せにしたい。ばりばり働きたい。もうちょっとやせたい、とかまぁくだらないことからバカみたいに高尚なことまで。


そして最終的にいきついたのは、こんな「理想の私」でした。ちょっと想像してみてください。


11月くらい。ちょっと寒いです。冬の足音がしています。

あなたは仕事でいろいろ悩んでいて、家庭もあまりうまくいっていない、もうなにもかも投げ出したい。でもそんな勇気もない。

そんなとき、たまたま通りかかったおでんの屋台でマスターに愚痴をこぼしていました。だって、もう息を吐き出すにも勇気がいるくらいほんとにつらいんですから、しょうがないです。

そんなとき「ちょっと、隣空いてるかね」と言ってあなたの答えも待たずに50代後半のよれっとしたスーツを着たオヤジが座ってきました。もうよれよれなんです、どうしようもないくらいに。

でもあなたはそのオヤジのことを無視して、愚痴り続けました。

オヤジは、それを聞くともなしにちびちび飲んでいます。ちょっと幸せそうです。

1時間くらいたったでしょうか。そのオヤジは「まぁ、そういうこともあるさね。」とぽつりと言いました。

普通なら怒鳴りたくなるところです。「お前に何がわかるか!」ってね。でもなぜかあなたはちょっとだけ心が軽くなった気がしたんです。「まぁ、こういうこともあるか」って思っちゃったんです。心ならずも。

それがほんの一瞬だったとしてもそう思うことができたことは事実です。


そのオヤジが発した言葉にはその言葉以上の「重み」があった。「ああ、この人にもいろんなつらいことがあったのかもしれない」って思ったから、あなたはちょっとだけ息をつくことができた。



・・・長くなりましたが、私はその「オヤジ」のような存在になりたいと思ったんです。

まぎれもなく、そのオヤジはあなたの「酸素ボンベ」でした。それがたったの1分だったとしてもです。


ただ、そのオヤジの「言葉」をつくりだしたのは、彼の何十年にもわたる経験です。その経験から作り出された声のトーン、風貌、目つき、しわ、体臭、その他さまざまなものが絶妙にからみあって作り出したんです。


だから、弱冠21歳の私がどうがんばったってそんな言葉を発することができるわけがないんです。そんな存在になれるわけがないんです。


でもそれに向かってがんばろうと思った。せめて誰かの背中をさすってげっぷを出してあげられるくらいの人間にはなりたいと思った。


このブログはその理想像に近づくためのささやかな試みです。だから、この名前です。


ちなみに「酸素ボンベ」という言葉は『東京ファイティングキッズ』という本の帯からその意味ともども拝借しました。


*内容について*


当たり前だけど、「本当に思ったこと」しか書きません。

しかも、私がさわって、だきしめて、さらには口に入れて咀嚼して、消化して脳みそにとろっと入れることができたことだけです。

だから、あんまり更新できないかもしれません。途中で力尽きるかもしれません。


*読んでくれる人へ*


こんな壮大(?)なことを長々と書いておいて、大した内容ではないことが予想されます。あるいはここまで読んでそれを察知した人も少なからずいるはずです。

だからさっさと忘れてくださって結構です。

ただたまに思い出してくれるといいなぁというだけのことです。

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