居場所 | 何ゆえタイランド (無期限休止中)

居場所




何度か書いた覚えがあるけれど



私は 日本人でも両手上げて




「大好きです日本!」




と口が裂けても言えない人間である。



それは

ただ息が詰まる無言の弾圧から、束の間でも放たれたいが為の旅先として外国を選ぶ以前からの


私の根本的な感覚だった。




皮肉なことに諸外国に出向く様になってやはり、

国籍を更に強く意識する出来事が増えたので


それまで思いつきもしなかった自国の温かな良心を見たり

反対に劣悪な腐った部分を知ったりもした。





基本的に日本人としてのアイデンティティーは、しっかりと根が張っていたので


食を含む生活様式、環境的側面では当然日本がダントツ、楽であった。




ただ楽なだけで、日本的閉鎖差別型封建社会に埋没し

無理に合わせて生きる事がバカバカしくなったのも


怖さ半分、興味半分で外国での滞在へ目を向ける様になってからだった。





父の逝去騒ぎで慌ただしく、その後6年ぶりの帰国に浮かれて

快適なそんなこんなの毎日に かつての想い等忘却の彼方へ…



と思いきや。




しっかり思い出させてくれる事件がきっちり、発生。


それは狭い町内において、非常に下らない重箱のスミをつつくような

本当に些細な出来事だが



母と私を、意味の解らない腹立だしさでイラつかせるには、十分な案件だったし





《私の居るトコロは


ココジャナイ》



の認識マークがくっきりと脳内に出現する

確固たる呼び水となった。



コトを起こした当人達の目的や企みには

決して私に「はっ。」と気付かせる
こんな思惑はない、と断言できるほどだが



゛何故にワタシタチこんな行動を?゛

と煙に巻かれた気分ぐらいは、彼らはもしかして感じているやもしれない。





1人暮らしになった母の心配と、タイの10年間があまりにも過酷であったせいで


このまま楽な生活にそそっとツノを隠し任せて、未期限で流してみようかな…


とちょっと思ったりもしていた矢先の、隙を突く一撃だったのだ。



読まれてるな。(後ろの人に)

と気付いた瞬間に重ッ苦しい気分はすぅっと消え
肩が軽くなる。


「正解で~す」と言われているかの如く。






こうして目に見えないメッセージに

少しづつ慣れて噛み締める回数が激増して行く。




これからのその場所はやはり

日本ではないらしい。