先週末の大雪の被害についてですが、私もこのブログを通して所感を書き連ねました。


少々、自分の被害について被害者面して書いてしまったところがあり反省しております。


というのも、あの公民館の中にいては、外の様子が全く分からなかったからです。



送電線が切れて公民館に閉じ込められました。この時点では『自分たちはこの雪害において最も被害者である』と感じていたからです。


恐らく、一緒に公民館に閉じ込められて、駅員に対して文句を言っていた方々も、その後になって反省したのではないでしょうか。


たとえば、隣の藤野駅では、300人が電車の中に閉じ込められて同じ様に近くの公民館に向かったそうです。


しかしその公民館は50人しか収容できないような小さなものだったため、250人は電車の中のまま。代わる代わる暖を取るような状態だったそうです。


少しでも東京に近づきたいと思って、我が相模湖駅の公民館まで雪中を歩いてきた方も10~20名ほどでしょうか、いらっしゃいました。


それを聞いて、何て自分たちは不運なんだろうと思ったものです。


しかしながら、15日の深夜に自宅に戻って、情報を集め始めた所、実はそうではなかったという現実が分かってまいりました。


東横線の脱線衝突事故に始まり、他の路線もストップしたままで、いまだ数百人が電車の中で寝泊まりをしている事も後になって知りました。


そして、県内の孤島状態が次第にわかりました。



私は、東日本大震災の時から、このブログを通して、県内の交通網の脆弱さを指摘していました。


山梨県はすぐに陸の孤島になってしまう恐れがある。一般道と高速道路、鉄道が閉鎖された瞬間に、山梨県民は兵糧攻めにあうかの如く、内部の食料を食いつぶして、そのまま潰れてしまうだろうと。


当時は、それが震災によって起こると思っていました。しかし、それにしても大雪によってこれほどまでの被害になるとは思いませんでした。


震災と大雪はその性質が異なります。


大震災は連発する可能性が極めて低いです。それに対し、大雪は連発する可能性があります。


大震災は、その発生を予測する事が出来ません。したがって恐怖心を抱きにくい。


しかしながら、大雪は発生が予測できるため、必ず迫りくる災害に対して、恐れおののきながらそれでも降りかかる不幸を待つしか出来ない。


明日には、また大雪の予報が出ていると言います。その被害を最小限に食い止めるために、今はひたすら雪を掻く事しかできません。


雪の処理も大変です。どこに雪を捨てれば良いのか。



これは、個人の力ではどうにも解決できないものです。個人がいくら性能の良い雪掻きの道具を持っていてもたかが知れています。


まずは、抜本的な交通網の整備が必要です。雪が降っても走る鉄道と、大雪に対して自家用車を使わないように指示する事など。これは行政の役割だと感じています。


私のような、素人中の素人でも、少し考えればわかりそうな事を、放置してきた事がいけないのです。


それは県民も政治家も。県民ももっと防災の声を上げるべきだった。政治家ももっと防災に力を入れるべきだった。


東日本大震災で、災害の怖さは十分にわかったはずですし、そうすべきだという声も多数上がっていた。東北の方々の事を思うと、その被害で何も動けなかった山梨県民として、とても情けなく思います。


過去をどうのこうの言ってもしかたありませんから、これからは防災大国として、日本や山梨がその役割を果たしていきましょう。


この大雪で亡くなった方々のためにも、二度と同じ被害を出してはいけません。

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被災者の視点に立ち

テーマ:

こんにちは。


久しぶりに本格的にブログの記事を更新しようと思います。


昨夜から、現在にかけて(そして、もうしばらくも)被災しています。


自分で被災したというのも、被害者根性がはたらいているようでイヤなのですが、事実、客観的に見ると完全に被災しています。


2月14日、バレンタインデーの日に、関東各地は記録的・・・いや数十年に一度の超豪雪に見舞われています。


ちょうど一週間前、2月8日にも、記録的な豪雪が降り、高速道路や鉄道を始めとして各種のインフラがストップしてしまいました。


(ちなみに、2月9日は、日本最大級の選挙である、東京都知事選がありまして、これも何か関係しているのでしょうか)


二週連続で、誰もが経験した事のないような雪を体験するのですから、混乱は必至でしょう。


今回は、私がどのように被災したのか、記憶を頼りにしながら、記録として残し、所感を述べようと思います。



2月14日


14:00頃

富士吉田に出勤していたですが、東京に戻れなくなる恐れがあるという事で、同僚の方々に気を使っていただき、退勤の許可を得る。


14:15頃

最寄りの駅に駆け込むも、一時間に一本の電車はちょうど発射してしまったばかりと言われる。次回の電車は15:45頃まではないと情報を得る


14:30頃

各種交通状況を調べ、車で大月まで出る事を選択する。

※路線バス、高速バス、高速道路は全てダメ、電車は富士急行線は一時間に一本運行しており、中央線は本数を減らして運行している。一般道は通行可能だが、酷い渋滞の恐れあり。


14:50頃

母親に雪の状況を聞くと、案の定こっち(実家)に帰ってこいと言われ最悪宿やなくなる可能性なども考え進路を変更。御坂トンネルから甲府側に向かう。


15:20頃

赤坂の交差点付近で、国道が全く動いていない。通行止めではないが、車が集中しておりほとんど動かない。


15:30頃

状況変わらず。しかし15:45過ぎに電車がある事を思い出し、最後の賭けで電車に向かう。


15:45頃

電車へ向かうために進路を変更するも、行く手を阻むものが多い。

まず近所で道を間違える(雪景色はどこも同じに見える)

何故か片側通行している場所に遭遇(これは道を間違わなければ出会わない。)

最後の路地で、のろのろと道のど真ん中を歩く女性に出会い焦る気持ちと裏腹にスピードを出せない(雪が掻いてあるので端に寄れるし、1メートルほど後ろに私の車があるうので気付くはずなのに、なぜか脇に寄ってくれない)

そして、何とか車を置いてダッシュで駅へ向かうも、軽トラックが急に飛び出してくる。走っていた足を止められる。

このような数秒、数十秒の遅れが命取りになり、あと10秒早ければというタイミングで電車が目の前を通り過ぎる

絶望感

次回の電車は16:50頃の発射予定とのこと。一度職場に戻る


16:35頃

早めに職場を出て、今度は電車を待機することに


16:50頃

次回電車の発車の目途は立っていないというアナウンス


17:00頃

あと10分語に大月行きの電車が来る情報


17:10頃

大月行き電車に乗車


18:10頃

大月に到着

実家に戻ろうか、東京へ戻ろうかを判断するが、どうやらどちらも可能そうなので、東京方面を選択。

次回の電車は18:50頃


18:50頃

高尾行き電車が到着。発射までしばらく待つ


19:00頃

高尾行き電車発車。安心と共に眠りにつく


19:35頃?

起きると相模湖で電車が止まっている。アナウンスによると、高尾でポイントの点検をしなければならないため、電車が発車出来ないとのこと。すぐに終わるかとタカをくくり待つ。


23:00頃

ポイントの点検終了。車内で待つ事3時間半。ぐったりしてくる。

ポイントは点検が終了したが、今度は屋根に積もったペンタグラフの雪を下さなければならないとのこと。


23:10頃?

ペンタグラフと送電線の点検が必要。これには時間がかかるらしい。一度電車から降りるように指示が出る。


23:20頃

乗客の一部の不満が爆発。正確な状況説明を駅員に求めて場が騒然となる。これは私も同意。

どうやら、送電線が切れたらしい。

送電線を回復させるには、復旧用の道具や替えの送電線などを相模湖駅まで持ってこなければならないらしい。

高尾から車に積んで作業員が向かっているとの事。

寒いのを我慢しながら待つしかないのかと途方に暮れる


23:30頃

寒いのでもう一度車内に戻るように指示が出る。だったら、始めから外に出さなきゃいいじゃんと乗客が不満に

車内は電気が通らないため、とても暗い上に暖房が効かない。この頃はまだ暖房の熱が残っているが徐々に熱が奪われていく


24:00頃(0:00頃)

車内の椅子で就寝。幸いな事に、椅子の数に対して乗客が少ないため、全員がどこかしらの椅子には座れる状況


25:00頃(1:00頃)

起きる。車内がかなり寒くなっている事に気付く。

お喋りなおじさんの会話が耳に入って来る

『高尾からの一般道がとても混んでいるため、大月側からも車を出したらしい。しかし、スタッドレスタイヤでは道が乗り切れず、チェーンを巻きに一度大月まで戻り再出発したら、運転手との連絡が不通になったらしい。』

嗚呼、隣駅の高尾まで行ければ、、、

そのまま寒さで眠れず体勢を変えながら考え事をする。


26:30頃?(2:30頃?)

恐らくこの頃に何とか寝れる。寝てしまうのが一番幸せ。時間が過ぎるのを待たなくて良い。


27:00頃(3:00頃)

乗客に対してアナウンスあり。

作業の目途が立たない。寒いだろうから、近くの行政施設に移動するとのこと。暖を取れるのがありがたい。


27:15頃(3:15頃)

到着。会議室に椅子を並べて各自就寝。横にはなれないが、暖かいだけで幸せに感じる。


7:00頃

起床。眠さが取れたので、施設内を散歩


9:00頃

職員から連絡。

除雪車が何度も通らないと、作業車が到着出来ない。高尾⇔相模湖間、相模湖⇔大月間をなんども除雪車が通るには、少なくとも午前中いっぱいはかかる。作業員が到着したあとに、一時間ほどの作業が必要であることと、送電線が三か所も切れているため、復旧の目途は立たず。

本日の予定の断りを入れる。


12:00頃

作業終了までの目途が立ったとのこと。

作業終了から電車にて高尾方面に進めるのが、早くて18時頃になるらしい。


昼寝を繰り返し、現在に至る。


さて、ここまで感じた事を、徒然に


・今回、人生で初めて本格的に被災した。東日本大震災、阪神淡路大震災の被災者と肩を並べるつもりは毛頭ないが、少しでも気持ちに近づけたのだろうかと感じる。


①まず不安が一番の敵だった。これから俺たち(私達)はどうなってしまうのだろうか。家に帰れるのだろうか、帰れないとしてもどこかに泊まれるのだろうか。先が見えない不安は今も続く


②寒いのは厳しい。寒いと寝れない。寒いと他の事をしようとする気力が起きない。寒いと体を冷やして病気になる。寒さに耐える事は本当に厳しい。雪国の方々を心から尊敬した。


このような災害に耐えうる、忍耐力、優しさ、状況を受け入れる器、明るさ、ポジティブさは自然環境で必ず養われるはずだと思う。


③被災者の事を可哀想というのは最悪である。

まず、今の私の状況を知って、可哀想と言ってほしくない。『自分たちは安全安心な状況にいるけど、貴方達はそうではないのね』と上からモノを言われているような気がする。


被災した時に一番気になるのは、食料、暖、復旧の目途である。もしかしたら、もっと長期的に帰宅難民になったら様々出てくるかもしれないが、この短い間でも不安はたくさんある。


被災してもっとも思うのは、『ちゃんと食べられる状況になってほしい、ちゃんと暖かい場所にいたい、なるべく早く元の生活に戻りたい』ということだから、それを満たしてくれる事はとてもありがたい。


『福島の被災者の気持ちを考えたら、原発なんて不要ではないか!』という論調があるが、原発があるかないかよりも、早く元の生活に戻してほしいと思っているのではないでしょうか。原発への議論なんて二の次。まずは動かしてでもよいから、早く復旧させてくれと私なら思う。



・社会インフラは絶対に必要。予算をたくさん組んで、雇用を増やして、災害時に備えられるようにしてほし。大雪になる予報はかなり前からわかっていたが、対策がなされていない。対策を怠ったのもあるのかもしれないが、十分に対策出来る体制が整っていないのが問題だと感じる。そのためには、先立つものが必要であろう。


例えば、各駅に送電線を修理する道具を一式ずつ保管しておくとか、線路の本数を増やして送電線が切れても電車が運行出来るようにするなど。素人の私でも、ものの数分考えれば出てくる。

公共事業悪玉論などが世間をはびこっているが、そのせいで迷惑をこうむるのは公共事業が必要だと感じている人も同時である。


道路がないままの方が良いのか、復旧作業が長引くままの方が良いのか、災害に弱いままの国や首都で良いのか、その真意を否定派に問いたい。



・日本人は優しい。

このような非常時で、何人かがJRの職員を問いただす場面も何度か見受けられたが、最終的にはこの事態を受け入れて、『暖を取れるだけでありがたい、仕方ない』と言っている。これが誇るべき日本人の倫理観である!


昼寝をしたり、電話をしたり、読書をしたり、友達を作ってお喋りしたり、近くのコンビニに買い物に行ったり、困難な状況下でも楽しみを見つけて明るく過ごせるのが日本人である。素晴らしい。

JRの職員も非常に優しい。食事も飲み物も無償で提供してくれる。


配給してくれる物資を、奪うことなくみんなが一つずつ取っていく。余っても誰も奪おうとしない。誰も言わなくても並ぶし、前に入り込もうともしない。自分は後で良いから(とは言わないまでも恐らくそう思って)わざと列の最後に並ぶ人もいる


始めは、こんな目に合わせてしっかりと運賃は取るんだろうなぁとか、こんな目に合わせてお詫びが缶コーヒー一本かよ(しかも、砂糖も甘味料もたくさん入ってるし)と思ってしまったが、後々になって状況を考えると、彼らは精一杯やっている。


配給も、何度もやって来た。決して高価なものではないが、パンやカップラーメンやお茶などが配られた。これは太るな(笑)

被災したり、生命の危機に見舞われた時や、旅行先では食べすぎるらしい、いつ食べられるか分からないから、食べられるときに食べておこうという心理がはたらくという。気をつけなければ。


被災者一同とJR側の窓口になってくれている、職員の鈴木さんは寝ているのだろうか。

カップラーメンを配給してくれた時には、二つしかない電気ポッドでは足りないだろうからと、ヤカンを持って何度も給湯室と控室を往復してくれた。


始めはキリッとかぶっていた帽子や乱れてない制服も、今やしわくちゃになっているし。仕事とは言え、傍から見ても大変な仕事だなぁと思う。

有難い。



・山梨は陸の孤島


これは以前から何度もこのブログで書いているが、山梨は危ない。山梨と他県を行き来する道路や鉄道が少なすぎる。


まず、種類が三種類しかない。一般道、高速道路、鉄道の三つ

(徒歩は含めませんよ、大体が峠なので)これは、今回の大雪や先の大震災がやって来たら、全てストップする。


今回の大雪は観測史上第何位という規模だと言うが、もっと酷い雪が降ったら?同時に震災が起こったら?山梨はどうなってしまうだろうか。


実際、先週は大雪が降った後に、M5.6の地震が起きたのを覚えてるだろうか?


例えば、送電線が今回切れたが、電線が切れたらどうするのだろう。他県から電力を引っ張って来れるのだろうか。今の日本、電気がなければ何もできない。


身近な携帯電話や電子機器はもちろん、車も動かないし、電車も動かない、暖房もダメ、冷房もダメ


石油や灯油は、何日分の蓄えが県内にあるのだろうか。一月分とかじゃ足りないですよ?


ちなみに、恐るべき事に、山梨県内には、原子力発電所も火力発電所も一つもない。

まさか、災害時には水力発電で全部をなかなう気か!?


電力が止まったら、人間は無力だ。電気があっても無力だけど、電気がなければ本当に何もできない。電気はすべてのエネルギーの源。


それがストップしたら、死者が何人出てもおかしくはないだろうと思う。


原発は怖いが、正しく怖がる事が大事。本当に怖がるべき状況なのだろうか。そんなに放射線が怖いとは私は思っていない。


脱原発派の方々は(一括りにするつもりはないが)、放射線で人が死ぬのは大反発する。

でも、電気が止まって暖房が点かなくなったら寒さで病気になって、もっとたくさんの人が死ぬだろう。それは別によいのだろうか。


病院の生命維持装置が止まるという議論は聞いたことがあるが、もっと身近で人が風邪を引いたり体力が落ちたりしたら、復旧作業すらロクに進まない。


エネルギーの事を安易に考えてはいけない。



・あまりにも、東京へ行く手を阻まれるような事が起こりすぎた。これは、富士山から離れるなというメッセージか?それとも、東京へ行くなというメッセージか?それとも、お前も少しは被災地の事を考えろというメッセージか?

どのようなメッセージかわからないが、結論としては一つ。もっと謙虚になろうという事のみ。

大自然の中で、人間が一人いたところで無力である。

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タイトルで全てを語ってしまいましたので、早速読んでください。


田母神としおHP

http://www.toshio-tamogami.jp/thesis/



ちなみに、高橋とみよ議員のブログ

『伊豆下田発 高橋とみよ です!』

からぱくりました。ありがとうございます。


URLはこちら

http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-05eb.html



『日本は侵略国家であったのか』


田母神俊雄(防衛省航空幕僚長 空将)


アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。
これをアメリカによる日本侵略とは言わない。
二国間で合意された条約に基づいているからである。

我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。

日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。

これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

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(↑蒋介石)

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。
邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。
これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。

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(↑コミンテルン)
コミンテルンとは、1919年結成の共産主義インターナショナルCommunist Internationalの略称。
ざっくり言うと、各国共産党を支部とする国際組織で、世界一党独裁を目指して暗躍している怖い組織です。

実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。
コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。

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(↑近衛文麿このえふみまろ)
昭和12年から 三度日本の総理大臣になりました。

我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。

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(↑コミンテルン)

まるで世界をぶち壊している巨人のようですね。

日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。
しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」

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(↑劉少奇)

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5千万人に増加していたのである。

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(↑日本が多額のお金をかけ整備した満州帝国)

満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。

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(↑朝鮮総督府統計年鑑)

戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。
道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。

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(↑日本のお金で建てた京城帝国大学)

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(↑日本のお金で建てた台北帝国大学)

その後8番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。

戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。

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(↑洪思翊)

この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。

またその1期後輩には金錫源(キンソグォン)大佐がいる。
日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。

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(↑金錫源)

中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

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(↑何応欽)


李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。

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(↑李垠殿下)

李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。
しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。

陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。

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(↑梨本宮方子(まさこ)妃殿下)

もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。

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(↑李垠殿下と方子妃殿下)

また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

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(↑溥傑殿下と嵯峨浩妃殿下)

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。
イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。

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(↑イギリスの植民地支配)

一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。

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(↑八紘為宇の精神)

人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。

現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。


時間は遡るが 、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫られ1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。

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(↑義和団)

その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。

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(↑?画像)

しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。

それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。

1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。

幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

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(↑幣原喜重郎外務大臣)


さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。

実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。

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(↑ヴォナファイル 米国公文書)

膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。
そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。

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(↑ハリー・ホワイト)

ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。

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(↑Flying Tigers)
 義勇軍の名を借りた米国の対日戦闘部隊 機体にはNIPPONESE NEMESIS、日本に復讐と書いてあります

真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。

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(↑ルーズベルト米国大統領)

さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。
結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。

文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。

戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

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(↑真珠湾攻撃の時の九軍神)




さて大東亜戦争の後 、多くのアジア 、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。

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(↑秋山好古、秋山真之 兄弟、そして小野田寛郎さん)

秋山兄弟は日露戦争で活躍しました。
東郷平八郎の名言「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」は、秋山真之の草案。
小野田寛郎さんは、大東亜戦争終結を知らず、30年もの永きにわたり、
フィリピンルバング島でたった一人で任務を遂行していた誇り高き軍人。

もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。

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(↑散華された特攻隊員)

そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。
やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。

しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。
日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。
ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。
竹島も韓国の実効支配が続いている。

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(↑「最後の国士」故・末次一郎氏)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%AC%A1%E4%B8%80%E9%83%8E

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。
そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。

このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。

アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。

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(↑世界恐慌)

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(↑リーマンショック)

日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。

日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。

日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

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(↑アメリカ合衆国空軍儀仗隊の栄誉礼を受ける田母神俊雄空将。常装第1種夏服を着用し、右胸一番上に防衛功労賞を着けている。)

自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。

今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。

(戦闘機に乗っている画像)

そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。
人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。

嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。

(戦闘機に乗り込む画像 永遠の0かな?)

私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

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