2010年の軌跡

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先ほど、2010年最大にして最後の仕事(?)を終えました。


結果はまずまず。相手方も納得をしてくれたようで良かったです。


これで、安心して2011年を迎えられます。


明日(2010年最終日)は数カ月ぶりに何もしない一日を過ごそうと思います。


明後日(元日)からはまた仕事ですので、ゆっくり出来るのは明日までです。


実家にも帰ってきているので、本当にまったりとしてしまいそうで、楽しみです。


さて、ブログを初めてからはまだ日が浅いですが、最近は徐々にアクセス数も増えてきたみたいで、本当に皆様に感謝したいと思います。


数が多かれ少なかれ、読者がいてこそのものですから、感謝をしても仕切れません。


深く御礼申し上げます。



平井の2010年の軌跡ですが、この1年は本当に大きな変化がありました。特に、後半の半年。


明日が楽しみ過ぎて夜が寝られない、2時間で起きてしまうなんて経験は人生で初めてでしたし、大きな決断と決意をしたのも最近でした。


様々な人との出会いと、価値観のふれあい。ひとつひとつが、私の血となり肉となりました。


生活環境が大きく変わりました。

家計簿を付け、睡眠時間を管理し、ダイエットをし始めました。

結果、睡眠時間は平均1~2時間カット。

体重は約40日で4.5kgダウン

生活費は40~45%のカットが出来ました。

これは、結構凄い結果が出せたと思います。(どれだけ無駄遣いしてたんだ)


モチベーション管理をし始めました。

手帳やルーズリーフが、やりたいことの記述だらけになりました。

だいたい60~70%は実現させたと思います。


パソコンを買いました。

知りたい情報がすぐにどこでも手に入ります。仕事の休憩中に将来の計画を立てました。貴重な時間です。


手紙を書きました。

遠くで活躍している人を応援するだけじゃなく、実際に直筆で応援のメッセージを送りました。


新聞を取りました。

忙しくて読めなくても、タイトルだけは流し読みをするべきだと気づきました。


情報発信を始めました。

何も与えることがない自分だけど、何かを与えてみようと思いました。結果、与えようとするとわき出てくるのだと知りました。


自分という存在を考えました。

26年間の自分の歩みで、何を得たのだろうか。自分の武器は何なのだろうか。自分のやりたいこと(エゴ)と生活(収入)の狭間に悩みました。


一歩引いた視点で考えるようになりました。

自分が正しいわけではない。間違っているわけではない。

人にはその人の人生がある。どうしたいかを必死に追い求めるだけ。とやかく言う事ではない。自分自身がどうあるべきか、どうするべきかが全てだと悟りました。


クレクレ星人(なんでも欲しいとねだる人)に心を痛めました。

ほしがる人に与えなければならないという、サービス業と教育の狭間に疑問を覚えました。「やってあげること」が、その人のためになるとは限らないと思いました。成長は自分でするもの。人にしてもらうものではありません。


自転車通勤から徒歩通勤に変えました。

結果、今まで通らない道を知り、新しい店を見つけ、通勤が楽しみになりました。


時間の大切さ、1日の短さを知りました。人生は1秒の積み重ねだということが、やっとわかり始めた気がします。



2011年は、どのような年になるのだろう。


いや、これは愚問。


2011年は、どのような年にするのだろう。


未来は切り開くもの。将来は決めるもの。


レールなんで仮想のもの。そんなものはない。あると思えばあるし、ないと思えばない。レールに乗っかっていると思いこむと安心するだけ。


2010年最後の日も、2011年の元日も、誕生日も、人生最後の日も、同じ一日。


時間は有限。しかし時間の使い方は無限。


2011年はどうやら、激動の日々になりそうです。


どうか、ヒライモトユキをこれからもよろしくお願いします。

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本日の昼過ぎ、私の携帯に国護り演説大会第3次審査結果発表のメールが届きました。


結果は合格。


応募者594名から何とか21名残るところまで勝ち残りました。


次回、4次審査は1月10日になります。


これから、冬期講習や正月特訓に加えて、演説特訓(演説合宿?)がスケジュールに加わり、2011年は平井を寝かせてくれないようです。


いやいや、気合十分、睡眠不足上等!!


今日だって、今から録画したM-1見てから寝ますから。


本当、時間は貴重。


何をするかを考えるのが楽しい。こんな意識で毎日を取り組むのは、人生で初めてです。


自分の人生を自分で切り開いていく感覚。


お金ではない、安定でもない。すべてが自分次第。


大学入学と同時に、自己責任の楽さと適当さを知りました。


今になって、自己責任の楽しさと難しさに気付き始めました。


着眼大局、着手小局


今は自分が精一杯出来ることをやるのみですね。


将棋の羽生名人の言葉


「最善手」


その時、最善の手を打っていくことが勝利、成功の秘訣だそうです。


今日は、最後のM-1を楽しみながら笑いを勉強しながら、本日を終了します。

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日本人ならイブイブで喜んでる場合じゃないだろう、本日は今上天皇誕生日でございました。


キリストの誕生日の前々日で喜んでる??いやいや、天皇陛下は誕生日当日ですよ。


残念ながら、我が家(といっても一人暮らしですが)には日の丸の国旗はありませんので、掲揚することはできませんが、小さくても大きくてもとにかく日の丸はとても美しいと思います。


また最近「君が代」を歌う機会が増えて恵まれていますが、君が代の素晴らしさは言うまでもありません。


このような事を言うと(書くと?)右翼なのではないかと思われますかね?


しかし、自国の国旗である日の丸、そして君主である天皇陛下に対して、敬意を示すことがこれほどまでに憚れる国も珍しいのです。


たとえば、北朝鮮、中国、アメリカなどを思い出してもらえば、自国の事が大好きで一番だと信じて止まないのは容易にわかるでしょう。これが世界の常識です。


この意味で日本は非常に異常な国と言えます。


自国の事が好きで誇りに思うこと、国旗を掲揚したり国家を歌ったりすること、これは人間として当たり前の事だと思います。


世界で普通のこと。自国を愛さないように教えられるのは日本だけです。


愛国というと、ちょっと違和感があっても、日本が好きだといえばそれほど抵抗はないでしょうか。


もっと規模を小さくして、地域や都道府県が好きだといえば抵抗ないでしょうか。


私の経験上、地方出身者の中で、同じ出身地の人を発見したときにテンションの上がらない人はいません。


どんな人でも出身地への愛はあると思います。埼玉出身の方が東京で埼玉の人に出会っても喜んでますからね。



人は当たり前の事には、感謝や好意を忘れてしまいます。


家族や水や空気なんかがその代表例でしょう。


とてもありがたいと誰でも分かっているの、ついつい当然だと思ってしまう、手に入って当たり前だと思ってしまう。


付き合う前は一緒にいたくて仕方なかった恋人も、いづれは一人にしてほしいと思うようになる。


国もそんなものじゃないでしょうか。


世界には国がない方々もたくさんいると聞きます。


国がない辛さは到底想像できません。


国を否定するような発言、政策、主張。


そのような人は、いっそ国を捨てて有難みを感じればよいとさえ思うこともあります。どれだけ権利を主張すれば気が済むんだ・・・

今、衣食住に困らず生活ができていること、家族が健在でいてくれること、五体満足でいること、冷暖房の元に生活していること、国があり仕事があり友人がいること、これらすべて当たり前ではありません。


この記事が、読んでくださる方の気付かぬ感謝に気付けてもらえることを願い、本日を終了します。

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