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 1998年フランスワールドカップの旅② マレーシア・ジョホールバル 飛行機故障で帰国が遅れ・・。

 

おじさんの旅と見た試合 韓国ソウル→マレーシア・ジョホールバル→フランス・ナント→ランス→サンテチエンヌ→リオン→パリ→パリ→トゥールーズ→ボルドー→マルセイユ→パリ→パリ→マルセイユ→パリ

 1997111日韓国ソウルから1998年7月12日パリのサン・ドニまでの旅の記録です。

 

サッカーの試合だけではない旅の記録ですジョホールバル 

福岡近畿ツーリストのツアーで日本代表応援に行きました。

予定では、23

一日目 1115日 福岡→台北→ホンコン→シンガポール泊

二日目 1116日 シンガポール→シンガポール市内観光→マレーシア・ジョホールバル(日本代表応援)→シンガポール泊

三日目 1117日 シンガポール→ホンコン→福岡

 

199711月・16

 3-2イラン マレーシア・ジョホールバル 得点 中山、城、岡野

 

11月9日イラン戦の日本代表メンバーです。

GK 川口 能活(横浜M)楢崎 正剛(横浜F)小島 伸幸(平塚) 

DF 井原 正巳(横浜M)小村 徳男(横浜M)秋田 豊 (鹿島) 相馬 直樹(鹿島)

   名良橋 晃(鹿島) 斉藤 俊秀(清水) 中西 永輔(市原) 中村 忠 (川崎)

MF 山口 素弘(横浜F)本田 泰人(鹿島) 森島 寛晃(C大阪)名波 浩 (磐田)

   平野 孝 (名古屋)中田 英寿(平塚) 北沢 豪 (川崎) 

FW 三浦 和良(川崎) 城 彰二 (横浜M)岡野 雅行(浦和) 呂比須ワグナー(平塚)

   中山 雅史(磐田) 高木 琢也(広島)

 

 

試合前 1500にスタジアムに到着

マレーシア・ジョホールバルには日本からの応援ツアーのお客さんとシンガポール在住の日本人マレーシア在住の日本人など東南アジアで住む人たち応援に来ていました。

シンガポール在住の日本人の人々はお祭り気分でお弁当やお酒持ち込んで宴会がはじまっていましたよ。太鼓や日本の法被を着て「日本!」「日本!」オリンピック応援のようでした。

小宮悦子さんが勝利の女神として(当時ニュースステーションキャスター)応援に駆けつけていました。(私が見た試合では日本代表は負けた事がない)

試合前 凄いスコールで30分ぐらいあり。スタジアムは水浸しになりました。

 

当時の記録はテレビや本で紹介されています。

日本は後半に城の得点でイランに追つき得点22。ゴールデンボール方式(得点が入った時点で終了)の延長戦突入しました。 

岡野はGKとの11となった決定的なチャンスにおいて、(ここでおじさんは、岡野に「打て!!」あらん限りの声叫んだよ)シュートを打たず、ゴールに走りこんできていた中田英寿へ出した力ないパスをカットされてチャンスをつぶしたり、次のチャンスではシュートを打ったもののゴールのはるか上に打ち上げてしまう。PK戦への突入も近づいた延長後半13分、呂比須ワグナーが中盤で奪取したボールを中田英寿がドリブルで持ち上がってペナルティエリア直前からシュート、イランのGKアベドサデがはじいたルーズボールに岡野雅行が走りこみ、スライディングしながら右足でゴールに押し込んだ。日本はこの劇的なゴールデンゴールで悲願のワールドカップ本戦初出場を決めた。  
この電光掲示板の下で見ていたよ。

これがマレーシア・ジョホールバル歓喜です。

 

試合終了後、落ち着きを取り戻し始めやっと帰り支度をする。

 

マレーシアの出国審査の為バスを降りる。案外スムースに手続終了。次はシンガポールの入国審査を行う。これもスムースに終了。帰りはマレーシアのバスのままでホテルまで帰る。が、入国審査終了後、全員バスに乗るが現地人の添乗員が帰ってこない。何かもめているみたいだ。行く時シンガポールの出国審査を現地人の添乗員の人がパスポートをまとめて持って行き、今回は自分達で入国審査を受けた為人数が合わないらしい。どうしてそんな事で合わないのか知らないが、30分以上待たされやっと発車。3時頃ホテルに到着するが、もうクタクタだ!!

 

三日目 シンガポール→ホンコン→福岡と日本へ帰国となるはずでしたが日本へ向かう飛行機がホンコン滑走路近くで故障。機内で3時間以上待機させられた為。福岡に当日に帰る便がなく ホンコンに高級ホテルに泊まり食事して次の便で帰ることになった人いました。しかしどうしても今日中に日本に帰る人5名は、ホンコン発2100発→タイバンコック(当時から24時間空港)AM3:00発→福岡AM900着ルートで帰ることになりました。おじさんはタイ経由帰国しました。 応援ツアーも大変です。

 バンコクに行くために香港の素晴らしい夜景を見ることができたよ。
  当時はまだ古いホンコンの空港ビルが近い
 
シンガポールの思いで

シーライオン 当時から対岸の埋立地にホテルの計画があると言われていました。

植物園 定番の植物園を日本代表のユニホーム姿の団体姿が在りました。 
 

ホテル  
  
 ラッスルズホテルのプールでお茶をしたかったけどカフェで我慢。
 
 
11月でしたがクリスマスの飾りが在りましたよ。
シンガポールの夜店で中華風の焼きそばこれが旨かったよ。

 

当時のシンガポールは東南アジア最大のハブ空港を武器に国際金融取引所を中心とした金融ビジネス都市を目指していました。観光サービス産業がシンガポール経済の第2の柱をなし、成長のエンジンであるとみなされました。これが現在の滞在型娯楽エンターテイメント観光都市シンガポールへ変貌始まりでした。  
 現在のシンガポール

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