pink's blog - 学校じゃ教えてくれない経済学

経済や政治について時事ネタを交えながら考え、今後の展開を考えるブログです。


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ブログ引っ越しました。引っ越し先は以下でございます。よろしくお願い申し上げます。

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最終回の今回、本能寺の変について、当ブログの見解をまとめます。

1. 本能寺の変は、光秀、家康、秀吉の仕組んだ三者共謀によるものであった。
2. 三者それぞれ、光秀=平和、家康=信長から殺されるのを恐れた、秀吉=自身の天下取り、という目的があり、即ち、信長誅殺の動機に合致した。
3. 当然、秀吉は信長暗殺計画の中の人のため、事前に行軍開始をしており、それが中国大返しの実態。
4. 当初計画においては、秀吉は光秀支援のために京都に帰ることになっていたので、秀吉の行軍中、光秀、家康とも、秀吉の行軍に不信感を持たなかった。結果、光秀は準備不足で敗退し、家康は援軍の機を逸した。
5. 信長の遺体が見つからないのは秀吉の精鋭隠密が信長を本能寺より誘い出して殺したため。すなわち、信長を殺害したのは秀吉。本能寺の変後の秀吉自身の天下統一のため、信長の首を光秀側に渡したくなかった秀吉陣営の小行動。信長の身柄確保のため秀吉側の人員が本能寺に入れたのは、三者共謀であったため。
6. 徳川が明智家を厚遇したのは信長による徳川抹殺計画を救い徳川の天下統一の支援をした明智家との関係に依る。
7. 豊臣家を滅亡まで追い込んだのは、三者共謀の末の秀吉の裏切りにより、御家断絶の危機にまで追い込まれた明智家と、その後辛酸をなめた徳川家によるもの。
8. 司馬遼太郎の太閤記を始めとする小説は秀吉政権下において、自身の政権の正当性を演出するために都合良く書いたものを大衆受けするよう物語として書いた過ぎない。
9. 光秀は山崎の合戦で死んでおらず、徳川家でかくまわれて生き延び、家康とともに豊臣家を打倒をした。
10. イエズス会が信長殺害に関与した説もあるが、イエズス会が、好戦派=武器弾薬を消耗する派であり、天下統一後に海外進出を狙うことまで考えいた=更に武器弾薬を消費する、武器弾薬購入の大口顧客たる信長を殺して、国内安定を優先=武器弾薬の消費が減る、家康を支援するとは考えにくいため、この説は合理性に合わない。


本能寺の変(1) - 信長を殺したのは光秀ではなく秀吉?
本能寺の変(2) - 信長は家康を殺害しようとしていた?
本能寺の変(3) - 信長の遺体が見つからないのはなぜ?
本能寺の変(4) - 秀吉、光秀、家康、三者共謀だった?
本能寺の変(5) - 秀吉が光秀に圧勝した真の理由?
本能寺の変(6) - まとめ:すべての謎はここに解ける?
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前回、本能寺の変は「光秀、家康、秀吉、三者共謀によるものであり、その上で、秀吉は光秀、家康を更に裏切った」と書きましたが、それについてもう少し深く進めたいと思います。

この三者共謀と、秀吉の裏の裏を掻く裏切りを推察する根拠としては、「信長の遺体が見つからない」ということです。

秀吉は中国大返しを敢行する中、「信長公は生きておられる」との情報工作をして、自身の味方を増やしながら京都に向かいます。まず、ここが怪しいです。

共謀の中で、本能寺にて信長を討つという役目を光秀陣営が受けた以上、光秀陣営が本能寺を取り囲むわけですが、この時点で、世間には「光秀謀反」ということは知れ渡ります。秀吉はそれを計算ずくて、"将来天下を狙う秀吉としては"、光秀陣営に信長の首を取らせないための計画を練るわけです。

即ち、秀吉にとっての中国大返し中に、信長の首が明智の手に渡りさらし首にされてしまっては「信長公は生きている」の情報工作が行えません。とはいえ、明智勢が本能寺で信長を襲えば必ず信長の首を上げようとするのは必然です。そこで"本能寺の変が起きることを事前に知っていた"共謀者の秀吉は精鋭の腹心を本能寺に送り込みます。そして腹心が信長を殺すことで明智勢に信長の首を渡さないようにします。三者共謀であるが故に、共謀者の片割れである秀吉の腹心を明智勢は緩く見てしまい、信長の首を取り損ねることになるのです。

秀吉共謀説は別の視点からも合理性があると思えます。光秀は、本能寺の変で謀反したとして、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益、徳川家康らを総て敵に回して、太刀打ち出来ると考えたでしょうか?そんなわけはないでしょう。すなわち、本能寺の変後に、秀吉が京都に駆けつけて、秀吉、光秀同盟が組まれるという約束事が変の前にあったのではないか?と推測するわけです。

変の前としては、変の後に秀吉が駆けつけることで柴田、丹羽らを迎撃出来る十分な体勢が整う、という約束事があったために、以下の現象が起きるわけです。

1. 変の後、光秀の行動に計画性や周到さがない(本来、これだけのことをするのだから事後の周到な計画を立てるはず)
2. 家康が京に向けて兵を動員していない(家康、光秀、共謀なら、変の後、直に兵を出す体勢を整えいたはずが、三者共謀により秀吉が光秀を助ける計画だったため、家康の軍事行動は遅かった)

つまり、三者共謀による本能寺の変で、秀吉が光秀、家康を更に欺き裏切った、というのが現実です。京都に迫り来る秀吉の行軍についても、光秀は「事前の予定通り、対柴田丹羽のために行軍している」ぐらいに捉えていたため、全く軍備を疎かにしていた。

1. 中国大返しが出来たのは、三者共謀で、秀吉が事前に本能寺の変の計画を把握していたから。
2. 明智光秀が山崎で負け、家康が無頓着だったのは、元来共謀者たる秀吉の行軍を、予定通り光秀支援のためぐらいに捉えていたため。
3. 光秀が居城の坂本に戻らず安土を目指したのは、秀吉と安土で落ち合う約束にしていたため(坂本、姫路など、どちらかの領内ではなく中立の安土で会う約束としていた)

と考えると、とても辻褄が合うように思うわけです。

そして、この三者共謀である本能寺の変において、光秀、家康を裏切った秀吉は、二人から心底恨まれることとなり、豊臣政権樹立後も虎視眈々と政権崩壊工作をされ、遂には家康によって豊臣家は崩壊させられることとなります。そして、当時、家康暗殺計画の窮地を救った明智家が厚遇されることとなるのです。


本能寺の変(1) - 信長を殺したのは光秀ではなく秀吉?
本能寺の変(2) - 信長は家康を殺害しようとしていた?
本能寺の変(3) - 信長の遺体が見つからないのはなぜ?
本能寺の変(4) - 秀吉、光秀、家康、三者共謀だった?
本能寺の変(5) - 秀吉が光秀に圧勝した真の理由?
本能寺の変(6) - まとめ:すべての謎はここに解ける?
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ここで改めて、本能寺に変における、現実的な事象を考えてみます。

1. 秀吉の中国大返しが速すぎる(事前に光秀謀反を知っていた可能性)
2. 秀吉が援軍として、本能寺の変の実行犯たる光秀を信長に要請(光秀に行動を起こさせる契機は秀吉が作っている)
3. 光秀の本能寺の変後の行動は周到さに欠け、後手を引いて、結果、秀吉に大敗する
4. 家康の軍事活動の開始も後手
5. 光秀単独行動だとすると、その後、光秀自身が包囲され負けることは自明
6. 光秀は坂本城に戻らず、安土城に向かった

京都とという中央の立地上、柴田、丹羽を始めとする譜代に周囲から攻められは、明智一族のみだけで、これを撃退するのは困難であり、明智光秀としては本能寺の変前に、本能寺の変後の形成について事前に算段をしていたと思われます。そして、その算段の中に、家康、秀吉がいたと推測します。

秀吉が信長暗殺の共謀の中にいたと思われるのは、何より本能寺の変後の駆けつけの速さですし、何より信長死去で最も得をした人物であることは疑う余地がありません。そして中国大返しが出来たのは「秀吉が本能寺の変が起きることを事前に知っていたから」なわけですが、これについて、秀吉は独自の諜報活動により、家康、光秀による信長暗殺の情報を得ていた、的な見解も多いようですが、私は、そもそも秀吉、光秀、家康の三者共謀であったと考えます。

そのように考える理由は以下です。

1. 山崎の合戦において光秀は準備不足の後手を引いた
2. 後日、日光東照宮に家紋を飾るなどの厚遇をするほどの明智家の御家存亡の危機に面しても家康は援軍を出さなかった
3. 信長の遺体が発見されない(このことを利用して秀吉は「信長は生きている」との情報工作で日和見の諸将を味方に引き入れている)

すなわち、

1. 秀吉が中国大返しを出来たのは三者共謀によるもので事前に本能寺の変が起きることを知っていたため予め準備していたからである。
2. 光秀が準備不足で秀吉に負けたのは、元来が三者共謀であり、本能寺の変後の体勢として、秀吉は光秀、家康連合に加担することになっていたため、光秀は秀吉の急速な行軍を警戒しなかった。そして秀吉が光秀を裏切り山崎の合戦となる。坂本城に戻らず安土城を目指したのもそのため。
3. 本能寺の変が起きるのを知っていた家康は本来であれば、三河本国の腹心と呼応して変が起きる日に合わせて何時でも行軍を開始出来るだけの準備を整えていたはずが、変の後、直に兵を発動しなかった。

つまり、「光秀、家康、共謀説」「光秀、家康、秀吉、三者共謀説」を考えると、後者の方が、より合理的な気がするのです。すなわち、もし、秀吉が共謀してなかったなら、変が起きることを事前に把握していた家康は光秀に援軍する準備を予めしていたはずで、6月2日の変の後、3日にも三河を軍勢が立つように計画出来たはずなのです。光秀もより周到に動いたはずです。しかし、現実は家康の行動は遅く、光秀の動きも遅い。これは「光秀、家康意外に、本計画を知る秀吉は、計画の身内側である」という二人の油断にあったような気もします。

すなわち、本能寺の変は、元々が光秀、家康、秀吉の三者共謀であったが、秀吉は更にその上で、家康、光秀を裏切り、天下取りに動いた、と考えるわけです。信長の裏を掻いた光秀、更にその裏を掻いた秀吉という構図です。


本能寺の変(1) - 信長を殺したのは光秀ではなく秀吉?
本能寺の変(2) - 信長は家康を殺害しようとしていた?
本能寺の変(3) - 信長の遺体が見つからないのはなぜ?
本能寺の変(4) - 秀吉、光秀、家康、三者共謀だった?
本能寺の変(5) - 秀吉が光秀に圧勝した真の理由?
本能寺の変(6) - まとめ:すべての謎はここに解ける?

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本能寺にいる信長を襲撃した光秀ですが、信長の首を上げることが出来ませんでした。

小説やドラマでは、信長の首を上げられなかった理由、遺体が見つからない理由を以下のような演出に求めています。

1. 明智勢がわざと首を取らずに見逃した
2. 本能寺が燃え、火のついた寺院内に逃げた信長を追うのを諦めた

どちらも非常に嘘くさいです。

1. 明智勢がわざと首を取らずに見逃した
当時、首の確保は相手を討ち滅ぼした証でした。本能寺の変後の戦後処理に於いても信長の首があることが反信長勢の結集を集めやすいのは間違いありません。首を取ることのメリットを考えれば、光秀個人の旧主君への同情みたいなことだけで、いざとなれば比叡山を焼き討ちにできる光秀ほどの人物が首を逃すことはしないでしょう。

2. 本能寺が燃え、火のついた寺院内に逃げた信長を追うのを諦めた
こんなのはウソ極まりありません。そもそも目の前に信長がいて、その信長が火のついた奥の部屋に行くわけですが、信長が行けるなら、光秀の兵も行けるでしょう(笑)もし、「この信長は奥の部屋に行くも光秀の兵は行かなかった」が成立するためには、余程、信長と光秀の兵の距離が500mも1000mもあり、信長が奥の部屋に行った後、光秀の兵が追おうとした、その1分間の間にとんでもなく火が広がる、という事態でも発生する必要がありますが、所詮は木造建築の本能寺にて、そんな容易に燃え広がることは出来ません。また、信長の首を上げたものに最大の恩賞を与える、ことになっていたはずで、その恩賞の大きさを考えれば多少の火傷など気にせず信長を追う兵はたくさんいたはずです。そして、更に更に、もしそこで追わなかったとしても、本能寺が燃え尽きた後に、焼死体が見つかるはずです。21世紀の今では木造の火災事故で遺体が見つからないほどの火に覆われることがないことは誰もが知るところです。木造建築の火力程度では人間は燃え尽きないのです。信長が本能寺に火を放ち、炎とともに散ったという説は科学的に無理です。

そのことを反論する考えとして、イエズス会の陰謀や本能寺の地下が火薬庫であったという説もありますが、火薬庫を木造建築内に配備することはあまりにナンセンスです。普通なら、火薬庫は耐火性の強い土壁の倉庫を選択しますし、木造の柱だとしても、壁を漆喰などの耐火性ある材料で固めたにします。その点でも木造の本能寺に火薬を置いていた説の可能性は非常に低いと思います。

では、信長の遺体が見つからないのはなぜでしょう?

ここで、本能寺の変において信長を殺したのは秀吉であり、光秀側は信長の首を上げようとしても、上げるに至らなかった、という背景が浮かび上がるのです。


本能寺の変(1) - 信長を殺したのは光秀ではなく秀吉?
本能寺の変(2) - 信長は家康を殺害しようとしていた?
本能寺の変(3) - 信長の遺体が見つからないのはなぜ?
本能寺の変(4) - 秀吉、光秀、家康、三者共謀だった?
本能寺の変(5) - 秀吉が光秀に圧勝した真の理由?
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