♪ぴこにゃんの真向勝負♪ ~鋼鉄篇~

酒と泪とメタルとV!晩酌しながらロック批評!ハードでヘヴィでポリティカル!


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「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を映画館で観てきた。全世界で同時公開された半日後。通算7作目で、旧6作の物語の終わりから、のちの時代の始まりを描いた新天地に、もう「涙チョチョ切れ」状態だった。

冒頭から泣いた映画は初めて。隣の少年や、逆サイドのポップコーン青年にバレないようこっそり目と眼鏡の間をぬぐったりした。前作(エピソード3「シスの復讐」)の観賞以降、10年分のフォースが覚醒したのかな…と。思い入れというやつだ(笑)。 ネタバレ防止のため情報遮断して、ポスターすら視界に入れないよう気を付けてきた甲斐があった。ここでも新作のストーリーには一切触れない。

気の早い話だが、次回作以降の課題は「悪の輝き」をどう表現していくかだと思う。スターウォーズサーガには映画史の頂点に立つ悪の権化が存在する。ダース・ベイダー。劇中では旧作で既に死んでいるが、あのキャラクター性と音楽はもはや人類が共有しているわけで、乗り越えるには高すぎるハードルだ。無論、製作陣は重々承知だろう。その分、いろいろ想像できて楽しい。

そして。ジョン・ウィリアムズの音を映画館での「ライブ」で味わうのはやはり格別。サントラも劇場公開と同時発売で、もちろん買ってきた(笑)。いま聴いている。 画像はサントラとメモリアルパンフレット、ニューズウィークのスペシャルエディション、手持ちのグッズなど。







ああ、早く公開されないかな、エピソード8。

フォースと共にあらんことを。

May the Forth be with you.






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「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」と詩人の寺山修司はいった。明日への希望を込めて。


9月10日、ロックバンド「快進のICHIGEKI」はLIVE Labo YOYOGIで活動休止前ラストライヴを行った。売り切れの代々木公演には、奴ららしい「いつも通り」の姿があった。悲壮感はまるでなかった。そのさわやかな態度に、オーディエンスはフロアで体をぶつけあいながら対峙した。清々しささえ覚える「最後の夜」。メンバーもファンも、活休を前に様々な思いがあったはずなのに、普段と同じ夜がそこにあった。


快進のICHIGEKIは、万華鏡を思わせる原色のコントラストを音と化し、鼓膜だけでなく臓腑を突きあげる「江戸前ロック」を特徴とした。噛みつくような独特の歌をうたうコータ、優れたテクニックとセンスで古典的素養と革新性を同居させたギターを響かせる久雄、官能的とすらいえるベースを轟かせる潤、重心の低いドラムを叩き出す佑一。いちプレイヤーとしては突出した天才はいないはずのに、楽団としては信じられないほどの閃光を放った。最後まで変わらなかった。「前を向いて歩こう」。彼らはいつもそう歌っていた。





2015.9.10 セットリスト


絶体絶命の愛の結晶

的なbaby

本音ストリップ

斬り込み戦隊ブシデンジャー

大人子守唄

少年ダイナマイト

共存

道標

ドラマスカイ

江戸っ恋 Honey B

舞唄舞魂

ピンポンDAマーチ

バイバイダンサー

キラキララ

MASAKAレボリューション

音座芸夢


(アンコール)


拘束ルー

マドンナ

SHURABA音





潤の脱退に伴い、11年に及ぶ現メンバーでの活動にピリオドを打った快進のICHIGEKI。再開の含みを持たせつつも、期間が明示されない活動休止だから、事実上のバンド解散である。門出を迎えたメンバーの活躍に期待したい。


同時に、ファンにとっては、9月11日から快進のICHIGEKIがいない日常が始まった。ライヴハウスという磁場に集っていた通称「快進ソルジャー」にとって、音源を聴いて感銘を受けていた人にとって、それぞれ新しい局面が訪れたわけだ。バンドという母船は消え、はかない思い出になってしまった。


詩人の言葉を借りれば、快進のICHIGEKIは「ただ数枚のチケットにすぎなかった」のかもしれない。


バンドがなくなってしまった以上、筆者も、ほぼ4年にわたる一撃ライフとお別れしなければならないのだろうか。大好きな音源と、たくさんの記憶を両手に抱えながら。当面、メンバーの活動はフォローするつもりだが、継続するかどうかはあくまで内容による。それでいい思う。最後のダンスを踊ったバンドに、アンコールはしない。その時々の「リアル」を聴かせてほしい。一撃で再始動する時があれば、その時の気持ちで受け止めるはず。


寺山が昭和の名馬ハイセイコーをうたった詩に、「ハイセイコーは/ただひとレースの思い出にすぎなかった」「ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった/むなしかったある日々の/代償にすぎなかったのだと」とある。


暗い部屋でひとり、「レース」を「ライヴ」に置き換えながら、快進のICHIGEKIという日本一のロックバンドが存在したことに感謝している。


「だが忘れようとしても/眼を閉じると/あの日のレースが見えてくる/耳をふさぐと/あの日の喝采の音が/聞こえてくるのだ」


(寺山修司 「さらばハイセイコー」)













参考:「快進のICHIGEKI、「有終」の二部作、そして。」


http://ameblo.jp/pikonyan-pikonyan/entry-12065468136.html








「ハイセイコー」 ウィキペディア


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%BC



















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ロックバンド「快進のICHIGEKI」は来月10日、LIVE Labo YOYOGIで活動休止前ラストライヴを行う。「江戸前ロック」と称される華やかな音楽を放ってきた彼らの快進撃は、ここで一度、ピリオドが打たれる。


2014年11月に発表された12曲入りのアルバム『Estilo Japonés』に続き、わずか3か月後の15年2月に、11曲収録の『The Period』をリリースした快進のICHIGEKI。絶え間ないコンサートツアーの合間をぬって、同時期にレコーディングしたと思われる「二部作」と、ラストライヴをもって、バンドとしてはロックシーンから離れることになる。伏線はあったが、いまさら言うまい。メンバー4人の前途が輝かしいものであることを願っている。


快進のICHIGEKIは、11年にわたって現編成で活動し、約700本のライヴを行った。きらびやかな万華鏡を思わせる音楽性と、妙な説得力を持つ強力なパフォーマンスは、ライヴハウスに生息するロックファンに会心の一撃を加え、深く魅了してきた。今年5月には渋谷の大箱、TSUTAYA O-EASTでの単独公演を行い、満員とはならなかったものの、多くの人に愛されていることを示した。


ここで、「最後」に残したアルバム2枚の内容と、ファンとしての正直な感慨について、少し触れてみたい。








『Estilo Japonés』は、快進のICHIGEKIの「2014年」を音に封じ込めた作品。冒頭2曲の「幸福パンデミック」「ピンポンDAマーチ」は、これぞ一撃といえるヘヴィでポップでダンサブルな秀曲だ。以降もカラフルな世界を構築しており、前フルアルバム『其の四』(12年)の延長上にある作風といえる。「TAMAYA~閃光花火~」は従来の持ち味を活かしたナンバー。DVDシングルのみだった「さびしんぼクライ」の収録にオールドファンは狂喜乱舞した。アルバムジャケットと衣装は派手なものに衣替えし、「江戸前」を強調。実はさほど歴史性を持たない現代的表現者として、意図的に極彩色を演出したアルバムだ。わかりやすいギミックに「ちょっとやりすぎなんじゃないの…?」といった声も聞かれたが、次作が発表されて「そうだったのか」と膝を打つことになる。








3ヵ月のスパンでドロップされた『The Period』は、前作と一転、モノトーンの無骨さを打ち出す原点回帰の作品となった。ゴリゴリに押していく「ありったけ」「ヘッドバンギンクーデター」「うらめしやぁ」にその性格がよく表れており、ヘヴィメタル、特にスラッシュメタルなどの出自が垣間見られる。大らかなアメリカンハードロックの「よござんすか」や、初期の名曲「共存」の続編といえる内省的な「共鳴」、キャッチ―な「戦友協奏曲」など聴きどころは多くあるが、全体としてはメタルサウンドを前面に打ち出した骨太テイストのアルバムといえるだろう。音楽的内容と共に、ジャケットもライヴ衣装もシンプルなものとなり、ロックバンドとしての矜持を見せつけた。





以上の二部作は、明らかに「作り分けられた」ものだ。メンバーのブログでは、同時期にレコーディングされたことが示唆されている。リリースのタイミングをわずかにずらしただけで、実質的にアルバム2枚組として制作された。


その分、同時に大量の録音をする一般的2枚組作品と同じく、詰めが甘い箇所が散見されるのも、残念ながら事実。両アルバムともリズムが変わるパートが多く、曲によってはややぎこちなさを感じさせるほか、サビで「上がり切れない」感触を覚えることがままある。さらに言えば、『The Period』ではルーツむき出しの楽曲が複数あり、古典的素養と革新性を巧みに共存させる彼らの強みが発揮されていない場面が少なくない。惜しまれる。


この見解には異論もある。活動初期の快進のICHIGEKIをよく知る男性は、『The Period』を聴いて、自分の知る「当時の一撃」を強く感じたという。それも頷ける。個人的には、初期のメタルコア/ミクスチャー志向のバキバキ楽曲には必ずあったサビ、ブリッジ、ライム、リードギターなどによる「ハッとさせるフック」が希薄な気もするのだが、おそらく、それぞれの感じ方だろう。ここ数年の経緯で、彼らの刺激に「慣れてしまった聴き手」として、より強い光を求めてしまっている自覚もあったりする。


その上で持論を述べると、合計23曲ある『Estilo Japonés』『The Period』を12曲程度の単独アルバムにまとめたならば、クオリティーの高い作品に仕上がったはずだ。彼らの旧作と同じように。しかし、この二部作は意識的に対比させて作られたであろうから、そこを指摘してもあまり意味がない。バンドの「過渡期」にある勇み足気味のロック魂として、受け止められるはずだった。本来は。





しかしながら、快進のICHIGEKIは活動を(一時)止めてしまう。発展途上のバンドのはずなのに。大変もったいないが、メンバーはみな三十路を越え、それぞれ思うところがあるのだろう。ほぼ同世代の筆者も、その気持ちはわかっているつもりだ。


4年にわたって快進のICHIGEKIに入れ込んできた筆者の微熱も、ここで区切りを迎えて迎えてしまうのだろうか。現実問題として迫ってきている。


バンドが9月10日のライヴをもって歩みを止めたあと、メンバーも、「快進ソルジャー」と称されるファンも、最近好きになった人も、平等に時は流れる。バンドの活休は「事実上の解散」という意味のことがほとんどであるし、彼らも実態としてはそう遠くないはずだ。筆者にもやがて、他に魅力的なバンドが現れ、足繁く通うのだろう。


けれども、手もとに残る快進のICHIGEKIの音源と、比類のないきらめきを放ったライヴの記憶は、その時点において完全な真実だった。たくさんの仲間との思い出と共に、美しくあり続けるはずだ。バンドの成り上がりを信じ、「日本武道館で観たい」と言い続け、結果として至らなかったとしても。共に見た夢がいつまでも輝いていれば、うれしい。


「また、快進のICHIGEKIやろうぜ」。メンバーがその気になったとき、呼応できるかどうか。正直、わからない。音楽は音と聴き手のワンオンワンであって、その時の状況次第。人生はもろい。それでも、やり残したことがありすぎる奴らだから、「残り」がいつかやってくる予感はかなりある。




「今、人生楽しいですか?」 (「音座芸夢」)




その日が来た時、「いやいや、不満だらけだよ!」と、脳内のベクトルを上げてロックに没入し、拳を上げる準備はできている、と言い切れる自分がいれば良いのだが。














参考:『快進のICHIGEKI 江戸前ロックの必殺バンド!


http://ameblo.jp/pikonyan-pikonyan/entry-11133401974.html













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