夏希と高宮のケンカはそのバカバカしいひとことであっけなく終わってしまった。
「あれぇ~? おっかしーなァ、もう・・。 さっきから何回やっても合わないし・・」
夏希は細かい計算をしていたが
いつものように
ドツボにハマって、なかなか終わらなかった。
気がつけば
残業しているのは夏希と斯波だけだった。
「う~~~~、あ゛~~~、」
奇声を発しながら、もんどりうつように計算を続ける夏希に、斯波はついにキレ、
「おい!」
彼女のデスクからファイルを奪い取った。
「へ?」
「・・これっぽっちの計算! 何時間かかってんだっ!」
と言うなり、斯波はその細かい計算をなんと電卓もなしにどんどん進めていく。
「えっ! なに?」
夏希は驚いてその姿を凝視した。
そして
ものの数秒で
「ほれ、」
計算はすぐに終わった。
「・・って・・合ってるんですか? てか、え? マジック?」
夏希のそのリアクションに斯波はまたもツボに入ってしまい、不覚にも笑ってしまった。
「・・いちおうそろばん1級だから。」
「は? そろばん?? 斯波さんが?? そろばん?」
夏希は大きな目をさらに大きくして激しく驚いた。
「・・ばあちゃんが。 頭良くなるからって。 小学校1年のときから。 もうピアノと同時進行だったから辛かったのなんのって。 足し算の暗算くらいはフツーにできるし。」
「へえええええ。 スゴすぎる~~。 あたしってば電卓使ってもダメなのに~。」
「も、帰れ。 8時過ぎたし。」
斯波は自分の席に戻った。
「斯波さんはまだ帰らないですか?」
「もうちょっと・・。」
「いっつもこんなに遅くまで仕事して。 身体は大丈夫なんですか?」
「けっこう頑丈だから。 おまえに心配してもらうようなことはない。」
いつものようにクールに言った。
斯波さんて。
ほんっと
カッコイイし。
余計なこと一切言わないけど。
すっごく
思いやりがあって・・・
「なんで結婚しないんですか?」
疑問がすぐ口に出てしまう。
「あ?」
斯波はいきなりの質問にぎょっとした。
「結婚って・・大変だけど。 でも、斯波さんと栗栖さんなら、別に普通にやっていけると思うんですけど、」
こいつって
バカみたいに
いや
バカなのかもしれないけど
めちゃくちゃ真っ直ぐになんでもぶつけてくるし・・
斯波はこの場合、なんと答えていいのか、戸惑ってしまった。
「・・難しいよ。 結婚は。」
小さな声で
ボソっと言った。
「でも。 何年も二人で暮らしてるし。 暮らしていけてるってことが、すでに結婚だと思うんですよ・・・。何でも許しあえて、わかりあえてるってゆーか、」
確かに。
萌香とはもう何も言わなくても
お互い通じ合っていて。
二人でいても
何を話すってわけでもなく
居心地のいい空間にお互いに身を置いている感じで。
だけど
それが一番落ち着く。
あの時
半ば感情的に彼女と一緒に暮らし始めて。
本当にやっていけるのかって不安もあったけど。
ずっと一人で生きてきた自分が
二人でやっていけるのかと・・・
でも
あれから4年以上経っても
彼女とは
一緒にいたいと思う。
ずっと
これからも・・・
「あたしも最初の頃は別になんも気にならなかったことも・・。 昨日みたいにシジミで腹立っちゃったりとかもあるし。 おんなじゴハン食べて、おんなじ空気吸ってくって大変なんだなあって。 隆ちゃんは基本、あたしのことを全て大きい心で見てくれてますけど・・。 でも。 けっこう頑固ってゆーか。 自分がこうって思ったら曲げないし。 たまにめっちゃイラっとくることもあるんですよ~~。」
夏希は自分の不満を口にした。
『結婚』をイヤでも意識する時間が流れて・・・