斯波は自分から萌香に距離を置くようになってしまった。
仕事以外のことで彼女とは会話を交わさない。
萌香もあの一件で、斯波とは必要以上に話をしない。
「斯波は夏休みどーすんの。 南がスケジュール組みたいって言うてたけど、」
志藤がカレンダーを見ながら斯波に声をかける。
「・・おれは別に。 休んでもすることないんで。 夏休みいりませんから、」
いつものようにそっけなく言う。
「でもなあ、」
「お構いなく。」
志藤は小さなため息をつき、今度は萌香に
「栗栖は? どうすんの、」
とふった。
しかし
「私も特に予定はありませんから。 みなさんで決めてください。」
同じようなそっけなさで言われた。
なんか
また空気固くなってるし。
志藤は二人の間の何とも言えない見えない壁のような雰囲気を察してしまった。
萌香が自分の過去を話し、十和田のスポンサーを断った経緯もあり、多少今までよりも人と関わるようになってきたなあ、と思っていたのに。
なぜか
また以前の彼女に戻ってしまったようにも思える。
そんな時
「は、秘書・・ですか?」
志藤は真太郎に言った。
「志藤さんも取締役なので。 これから仕事も増えますし・・社長がスケジュール管理や仕事の手伝いをしてもらったらどうかと。 でも、今秘書課は手一杯で。 ちょっと掛け持ちになるかも、なんですけど。」
真太郎はファイルを見ながら言う。
「別に・・秘書をつけるほどのことでも、」
「取締役の方たちにはみんなついていますし。 志藤さんはこれまで事業部も兼務していたということで、事業部の方たちに仕事を手伝ってもらっていたでしょうが、これからはこっちはこっちの仕事としてけじめをつけるようにと、」
志藤は恨めしそうに真太郎を見て、
「社長がそう言ったわけですね・・」
と言った。
「はあ、まあ・・」
「まあ・・どっちでもいいですけども。」
「南に手伝わせましょうか、」
真太郎がそう言ってきたので、
「えっ!」
志藤は激しくおののいた。
「そんなに驚いて・・。 彼女なら仕事も速いし、志藤さんとも気が合うし。」
「彼女と一緒なら・・おれは一人でええなあ、」
志藤はボソっと言った。
「は?」
「ジュニアを前にしてなんですが・・・。 おれたち一緒に仕事しはじめたらたぶん、毎日ケンカですから。」
と笑う。
真太郎もつられて笑ってしまい、
「そうですね、」
とうなずいた。
そのとき、志藤はふっと頭をよぎる。
「それ・・おれの人選で選べるんでしょうか、」
「え? まあ・・調整しなくちゃならないとは思いますけど、」
「・・・」
ある考えが頭に浮かんだ。
「なんでしょうか、」
萌香は志藤に呼ばれて、秘書課の彼のデスクに行った。
「あ、忙しいトコ、ごめん。 ね、唐突なんやけど・・おれの秘書しない?」
志藤はニッコリ笑った。
「は???」
志藤は仕事もできて、礼儀作法にも申し分ない彼女に自分の秘書役を頼もうと思っていた。
「秘書なんて・・私は経験ないですし、」
萌香はうつむいた。
「ああ、今までどおりでええねん。 そんな堅苦しいもんちゃうって。 ちょっとおれの仕事の手伝いしてくれたらええねん。 あと、スケジュール管理とか。 栗栖なら申し分ないかなあ、って。 ま、本音は『美人秘書』つれて歩きたいんやけど?」
志藤はいつものようにお気楽に笑った。
「え、」
萌香は戸惑うように彼を見た。
「今のはジョーダンやけど。 まあ、事業部の仕事も忙しいやろうけど。 ちょっと考えてくれへん? いちおうマジな話やから。」
「ど、どうして・・私を、」
「うん・・栗栖ならやってくれるかなあと。 おれの片腕になってくれるんとちゃうやろかって。 そう思った、」
志藤はふっとメガネを外して、レンズをキュッキュッっと磨きながら彼女に微笑みかける。
メガネを取った彼の表情は
こっちが恥ずかしくなるくらい
瞳が優しくて、整った顔立ちにその柔らかな笑顔が似合う。
不思議な人・・
萌香はぼんやりとそんなふうに思ってしまった。
萌香の周囲が少しずつ動き出します。