斯波が萌香の部屋から戻ってきた。
「やっぱ蛍光灯が切れてた。 もう点いたよ、」
「すみません、」
萌香は頭を下げた。
「普段は下の管理人のおじさんに言って。 夜はいないけど・・」
と言われて、
「あ・・すみません、」
また頭を下げた。
「ああ、いいよ。 真っ暗じゃあしょうがないもんな、」
萌香は玄関の棚にディスプレイのように置いてある真尋のCDに目をやった。
「これは・・北都マサヒロさんの・・」
思わず手に取る。
「彼のピアノは聴いたこと、ある?」
「いいえ。 あまりクラシックに興味はなかったので。 彼が社長の息子さんであることしか、」
「おれも・・腐るほどいろんなクラシック音楽を聴いてきたけど。 こいつのはちょっと違うかな・・・。 なんて言うか、音が・・生きてる。」
ちょっとだけ彼の顔が緩んだ。
「聴いてるだけで・・ドキドキする。 彼が日本でデビューした時の公演を見たけど。 ああ、まだここの社員じゃなくて、フリーで評論なんか書いてたときだけど。 ほんと、びっくりした。 こんなピアニストが日本にいたんだって。 決まりきった解釈じゃなくて、独特の感性で弾いてる。」
こんなに優しい顔は
見たことがない、というくらい
真尋のことを嬉しそうに話す。
萌香は彼の話よりもその横顔に見入ってしまった。
「これ、貸すから。 聴いてみな。」
ぶっきらぼうに手渡された。
「え・・」
「どういう因果か。 ウチの部署に来たんだから。 看板ピアニストの演奏聴いたことないってのも、まずいし。」
「は・・はい。」
萌香はそのCDを手にした。
その時、けたたましく玄関のチャイムが鳴る。
萌香は驚いて後ろのドアに振り向いた。
「な、なんだ??」
斯波も慌てて、鍵を開けると、いきなりガバっとドアが開く。
「清四郎~・・泊めて~・・」
いきなり現れた女性が彼に抱きつく。
「わっ・・な、なんだよっ!!」
萌香は驚いて立ちすくんでしまった。
「また・・こんなに飲んで! いいかげんにしろよ!」
「ちょっと飲みすぎただけじゃない・・」
その女性は萌香に気づいた。
「・・えっ!! 女!?」
あからさまに驚いた。
「ち、違うって!!」
斯波が慌てて否定をすると、
「え? 女じゃないの? すっごい・・キレイな子だけど・・ひょっとしてニューハーフとか??」
とんでもないことを言い出すし・・。
「だからさ・・」
斯波は大きなため息をついた。
萌香はこの女性の存在がよくわからなかったが、彼のところに女が訪ねてきた事実にハッとし、
「あ・・す、すみません、ありがとうございました、」
慌てて帰ろうとした。
「ああ・・いいのよ~。 ごめん、邪魔しちゃって。 あたし、帰るから・・」
その女性はニヤっと笑った。
「バカ! だから誤解すんなっつーの!」
「ホント、失礼します・・」
と行こうとする彼女に
「こ、コレ、オフクロ!」
斯波は焦ってそう言った。
「えっ、」
思わず驚いて足を止めた。
「・・コレなんて言わないでよ、」
女性は不満そうに言った。
お母さん?
こんなに若い人が・・?
萌香のオドロキを察した斯波が、
「若く見えっけど、とうに50は過ぎてっから、」
と、言い訳のようなものをしてしまった。
「ちょっと! 年は関係ないでしょ! どうも~。 清四郎の母です~。」
女性は改めて笑顔で萌香に言った。
「もう、ほんとこの人、何だか知らないけど、いっつもいっつも難しい顔して音楽のことばっか考えてて。 絶対に父親似だと思うんだけど。 あたし、この子に彼女の一人も紹介してもらったことないし~! 今日は嬉しい!」
母ははしゃいだ。
「だから、違うって・・」
もう否定をするのも疲れてしまった。
「だって、もう12時だよ。 こんな時間に部屋に入れるなんてさあ。 どーゆー関係よ、」
母はジロっと斯波をにらんだ。
「ど、どーゆー関係でもないですから。 あたし、この隣の住人で・・・。 斯波さんとは一緒に仕事をさせていただいています、」
萌香はそう言った。
「え? なに? よくわかんない・・」
「酔っぱらってるから。 気にすんな。」
斯波は萌香にため息混じりに言った。
「はあ・・」
「あ~、もうつっかれた・・」
母はまた斯波に抱きついた。
「も~、勘弁してくれよ~。」
萌香は彼とはあまりに対照的なこの母に驚きっぱなしだった。
コントのような斯波の母の乱入で、萌香は驚くばかり・・