「なんか一日中になっちゃったね。」
戻ってきた頃にはもう夜だった。
美咲のマンションまで送って行った。
「ね、ちょっと寄っていきなよ。」
美咲はそう言ったが、
「え? あ~・・明日から2日間斯波さんと仙台に出張なんだ。 朝早いから、」
と断った。
「出張? 大変だね。 あ、あたし牛タンと『萩の月』がいい。」
美咲は屈託なく笑った。
「食いもんかよ、」
苦笑いをしてしまった。
別に
明日はゆっくり出て行けばいいので、早いわけではなかったが。
美咲のところに寄ったら
また
『迷路』にはまってしまいそうで。
ウソをついてしまった。
美咲との距離を
保つことが精一杯で。
まったく
余裕がなかった。
「もう発車しちゃうだろーが、」
「すみません。 なんかさきいかが食いたくなっちゃって、」
八神は新幹線の席に戻ってきた。
斯波は難しそうな字がたくさんある本をずっと読んでいた。
ほんと
斯波さんって
無口だよな・・
正直
二人きりになると会話に困る。
八神は窓の外に目を移した。
ぼーっと通り過ぎる景色を見ていると、
「ほんっと東北新幹線の風景って、正しい田舎って感じでいいですよね~。」
ボソっと言ってしまった。
「おまえの実家に似てるんじゃないの?」
斯波は本を読みながらそう言った。
「ん~。 そうかなあ。 ほんっと昔はそれがいやで。 早く東京に行きたくって。」
「親に反対とかされなかったの?」
「されましたよ~。 音楽なんて趣味にすりゃいいって親は思ってたけど、おれは本気でやりたかったし。東京の音大に行きたいって言ったら、ふざけるな!って感じで。 学校にもお金かかるし、一人暮らしさせるのも金かかるしって。 ウチの姉ちゃんたちは全員地元にいるし、親だって東京で暮らしたことないし、未知の世界っぽかったんでしょうねえ。 おれなんか甘ったれの末っ子だったし、ぜったいにやっていけないって。それも反対されて。」
「だろうなあ。」
「でも、ばあちゃんが。 『あたしの持ってる山売ってもいいから、慎吾を東京にやってくれ。』って言ってくれて。それで親を説得してくれたんです。 ま、山は売らなくて済みましたけど。 嬉しかったなあ。」
「おれはずうっと東京だったし、そういうのはピンとこないけど。 でもまあ、幸せだったんじゃない?」
「そーですね。」
「ま、危なっかしいけど。 けっこうおまえは図々しく生きてるし、」
と言い放たれ、
「は?」
「志藤さんといつも言ってるもん。 玉田は真面目で神経質でほんっとしっかりしてるけど、八神は適当に図々しく生きてるって。 不思議に人に好かれるっていうか、頼りなさそうなところがいいのか、人が向こうから寄ってくるしって。」
「ちょっと。 おれ、いちおうもう26なんですけど?」
ちょっとむっとした。
「まあまあ。 それがいいのかもしれないし?」
斯波はふっと笑った。
八神はまた唐突に
「おれ、音楽やめて・・正解だったんですよね?」
と斯波に言った。
「え?」
「そんな思いまでしてでてきた東京で、必死に頑張ってきたけど。 やっぱり、ここらが潮時なのかなあって。 プロとしてやっていけるのも、限界なのかなあって。 おれなりに悩みましたけど、」
「おまえがそう思ったのなら。 正解だったんじゃないの?」
斯波は落ち着いた表情で本を伏せてそう言った。
「斯波さん・・」
「こればっかりは。 本人しかわかんないし。おれだってずっとピアノを勉強してきたけど、自分にそんなに才能ないって気がついて。 今の道を選んだわけだし。」
「斯波さんは音楽誌の編集者だったんですよね、」
「うん。 最初は編集者してたけど、そこやめてからはパリやドイツできままに生活して、委託された原稿書いたしてた。 で、その前にいた雑誌社の編集長と志藤さんが知り合いだったから。 話もらって。 それでここ来たから。」
「お父さん、音大の学長さんなんですよね?」
その問いには
答えずにまた本に目を落とした。
斯波と二人で出張に出た八神は初めて彼とプライベートなことを話をします。