いよいよコンクールの予選が明日から始まる。
麻由子はヴァイオリンのレッスンをしてくれている先生の練習場から、程近いところに北都邸があることを知っていた。
「あ、」
玄関に出てきた絵梨沙は麻由子を見て驚いた。
「突然おじゃましてすみません。 元北都フィルの楽団員の神谷麻由子と申します。 あの、実は昨日の北都マサヒロさんのコンサートのチケットをご本人から頂きまして。 お礼もしていませんでしたので、」
麻由子は丁寧に挨拶をした。
絵梨沙はこの前の場面に出くわしていたのでもちろん彼女のことは覚えていたが、麻由子のほうは絵梨沙とは初対面だと思っている。
「あ~、そうだったんですか。」
「よろしかったらこれを。 お子さんがいらっしゃるとお聞きしたので。」
麻由子はケーキの箱を手渡した。
「ありがとうございます。 わざわざ、」
彼女の細かい気遣いに感心してしまった。
「あ、今真尋もいますから。よろしかったらお茶でも・・・」
「いえ、ご挨拶に伺っただけですので。」
「どうぞ。 ほんとに・・ええっと息子の友達がたくさん遊びに来ていてちょっと騒がしいんですが。」
絵梨沙は笑顔で彼女を迎え入れた。
きっと
八神さんのことで傷ついているんだろう。
コンクールも
もうすぐだって言うし。
絵梨沙は同じ演奏家として彼女の気持ちを慮った。
「あれっ??」
真尋はリビングに通された麻由子を見て驚いた。
彼女は慌てて立ち上がり、
「先日はチケットをありがとうございました。」
一礼をしてそう言った。
「え、見に来てくれた?」
真尋は笑顔で言った。
「はい。 ほんと・・・すごく感動しました。 この前スタジオで聴かせてもらったときも、鳥肌のたつ思いでしたけど、大きなコンサートホールで聴くとまたちがってて、」
「そっかあ。 よかった。 おれ、明日からまたウイーンに行くんだ。仕事、」
子供のように笑った。
「そう、ですか。」
麻由子も微笑む。
隣の部屋から子供たちの騒ぐ声が聞こえる。
「あ、ごめんね。 いまさあ竜生の・・・っておれの息子なんだけど。 スクールの友達がいっぱい遊びに来ちゃって! 10人くらい連れてくるんだからさあ。 ほんっとガキの声ってすげーうるさいよな、」
「いえ、」
それでも
子供たちの騒ぎはボルテージが上がる一方で。
「ちょっと静かにさせたほうがいいかしら。 下のお義母さんたちの方にも迷惑が、」
絵梨沙が気にしてキッチンから出てきた。
「しょーがねえなあ、」
真尋は立ち上がる。
子供たちが騒ぐ部屋にはアップライトのピアノが置いてあり、ピアノを習い始めた竜生はそこで練習をしていた。
真尋は子供たちが部屋でおいかけっこをする中、いきなりピアノの蓋を開けて、
バーン!!
と鍵盤を鳴らした。
子供たちの動きが止まる。
その音で麻由子もそっとその部屋を覗いた。
真尋は何も子供たちに言わずに、いきなりヘンデルの『調子のよい鍛冶屋』を弾きだした。
子供たちはあっという間にその音に弾かれてピアノの周りに集まってくる。
真尋は笑顔をみんなに見せながら楽しそうにピアノを弾いた。
あんなに騒がしかったのに
麻由子はたったこの短い間で子供たちの心を掴んだ真尋に驚いた。
クラシックだけではない
アニメの主題歌もアドリブで弾いて、みんなで大きな声で歌ったり。
即興で作った音楽に
「♪も~うちょっと~、し~ずか~に、あっそびましょ~~、ちらかしたものは、おっかたづけ~」
などと勝手に歌詞をつけて、歌い出し、
子供たちは面白がって、散らかしたおもちゃを音楽にのせて片しだしたり。
すごい・・・・
麻由子は思わず傍観してしまう。
子供は正直だ
興味がなければ絶対に食いつかない。
「ほんと、真尋のが子供みたいで、一緒に楽しんでるんです。」
真鈴を抱っこしてその様子を目を細めて見ていた絵梨沙は麻由子にそう言った。
「・・音楽の本来の姿みたいで。 今まで、あたし、なにしてきたんだろ・・・」
誰に言うでもなく
彼女はポツリとそう言った。
麻由子は本当に楽しそうにピアノを弾く真尋を見て、音楽を深く見つめなおします・・