DTMマスタリングのやり方の改訂が終了しました。

 

初版の執筆時とプラグインの発達などのDTM製作を取り巻く状況の変化や

私自身の知識・技術・手法に照らし合わせて、

大幅な改訂をさせて頂きました。

 

主に後半の具体的なマスタリングのやり方についての

手法・視点の解説がメインです。

 

DLsiteにてユーザー登録でご購入下さった方はDLsiteにて再ダウンロード可能です。ゲストユーザーでご購入または、それ以外のご購入方法で販売元からダウンロード出来ない場合は「あとがき」の部分をコピーして頂いて「DTMマスタリングのやり方」の最後のメールアドレスに改訂版ご希望の旨をお伝え下さい。

ダウンロードリンクをこちらからお送りいたします。

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古典派時代の作曲家の伝記にはハイドンの宮廷音楽家としての給料が○○グルデンだとか、ベートーヴェンが△△の作曲の報酬で○○グルデン貰ったなどと良く書いてありますが、これを現代の日本円に換算するといくらくらいなのか?という疑問が常々ありました。

 

 

参考サイト「ハイドンの給料」

 

 

上記のサイトではハイドンが務めていたエステルハージ家から出ている給料明細を見ることが出来ますが、ネットで色々調べてみても参考データはあっても、具体的に結局は1グルデンは幾らくらいなのか?というのがよくわかりませんでした。

 

 

そしてつい先日シューベルトの伝記を読んでいるときに下記のような非常に分かりやすいヒントとなる文章を見つけました。

 

「家具付きの下宿を借りるには月に10グルデンは掛かる」


「レストランでちょっと上等な食事を取ろうと思えば、1回で1グルデン掛かる」

 

出典は「シューベルト―孤独な放浪者(ひのまどか著)」ですが、シューベルトが生きていた時代のウィーンの物価を計るには良いヒントだと思います。

 

 

家賃相場の状況は国や時代ごとに大きく異なり、当時のウィーンと現代の日本の家賃相場をそのまま同等に見ることは出来ませんが、レストランの食事なら「ちょっと上等な食事」を取るなら今の日本なら3千円~5千円くらいではないかと思います。

 

以下間をとって1グルデン=4千円で考えてみましょう。もちろんレストランでの食事が幾らなのか?も時代やお国によって大きく変わると思いますので、かなり大雑把な目安です。

 

 

普通の定食やファミレスなら大体千円程度、おそらくシューベルトが言うのは、仲間たちとレストランでお酒も料理も頼んでということだと思いますので、料理+お酒と考えると大体そんなものかなと思います(現代日本なら居酒屋に行くようなイメージでしょうか)。

 

 

そうすると「家具付きの下宿を借りるには月に10グルデン」はそのまま10グルデン×4千円になりますので、おおよそ4万円くらいの値段になってくるのではないかと思います。

 

 

おそらくですが、シューベルトの時代は現代日本ほど金が掛からなかったと思いますので、ド貧乏で社会の底辺生活をしていたシューベルトの言う「最低限の家具付きの下宿」が4万円くらいというのは妥当な数字に思えます。

 

 

シューベルトは学校の校長をやっていた父親の勧めで子供たちに読み書きを教える助教員の仕事をやっていた時期がありましたが、この給料が年間で45グルデン(年収18万円くらい?)だったと言いますので「年に45グルデンで一体何がまかなえよう」というシューベルトの嘆きも理解できます(校長である父親に「僕にも付き合いがありますから、もっと給料増やして下さい」と言って断られています)。

 

 

住み込みの寮(食事付き)とは言え、一日9時間労働で年収18万円(月収1万5千円)とは、この数字を鵜呑みにするなら現代日本でも考えられないブラック企業ぶりです。

 

 

これは伝記の45グルデン(約18万円)ではなく、450グルデン(約180万円)の間違いではないか?とも思います。いくらなんでも少なすぎます。450グルデンの年収180万円でも十分底辺ですが、年収18万、月収で割ると1万5千円というのはありえない気がします。

 

これならほかの仕事を探したほうがシューベルトにとってもマシでしょうし、これが正しいなら息子を安く使おうという父親があまりにも悪辣過ぎます。

 

またある時、ハイドンゆかりのエステルハージ伯爵家がハンガリーで夏の間の臨時音楽教師を探しているときにシューベルトはアルバイトとしてそれに募集しているのですが、その給料は1ヶ月で75グルデン(30万円くらい?)ですので、大金持ちのエステルハージ家と専門職の音楽教師と考えれば、これも妥当な額に思えます。

 

 

これは他の伝記に出てくるお給料と比較するとかなり優遇されています。現代日本で言うなら家を長期間離れてするリゾートバイトみたいなものでしょうか)

 

 

妥当ではないと思えるのはシューベルトは存命当時、ごく一部の友人やファンを除けばほとんど無名の存在であり、特に出版社からはかなり辛辣な扱いを受けています。

 

 

生活のために出版社を回り、曲の買い手を探してシューベルトが名曲「冬の旅」の最初の数曲を持ってハスリンガーという出版社に行ったときはなんと「1曲に付き1グルデン(4千円くらい?)」で買い取られたと言います。

 

 

ほんの少しだけ名の売れた20代後半の押しの弱い作曲家相手とは言え、現代まで伝わる名曲に対してあまりにも酷い扱いだと思います。

 

 

ほかにもディアベリ社がシューベルトがそれまで書いた幾つかの歌曲(魔王、のばら、死と乙女etc…)をまとめて買い取りたいと申し出て「印税契約か買い取り契約か」を迫り、言葉巧みにこの世間知らずの善良な作曲家を騙して「2000グルデン(8百万円くらい?)の買い取り契約」を行っています。

 

 

シューベルトの名前が少し売れ始め、そこに目を付けたディアベリ社が上手くシューベルトを利用して儲けようと考えていたのですが、結局ディアベリ社は最初からもっと売れると知っており、2000グルデンで買い取った曲集で27000グルデン(1億円くらい?)の儲けを出しています。

 

 

シューベルトの仲間たちは、なぜそんな馬鹿な契約をしたんだとシューベルトを責めましたが、出版社が儲けの取り分を自分が多く取りたいがために、上手く人気の新人を丸め込んで、不当な取引を行ったといえるでしょう。少なくとも利益の平等な分配とは思えません。

 

 

シューベルトの音楽の価値は当時のウィーンの大半の人にはわからず、逆にわかった人たちは上手く利用して金儲けしてやろうとして食い物にされており、特に出版社からの辛辣な扱いは相当可哀想なものがあります。

(もちろん献身的なシューベルティアーナと言われるごく友人たちやフォーグルなどの一部の理解者によって支えられてきたからこそたくさんの名曲が生まれたわけですが)

 

 

ここで述べた1グルデン=3000円~5000円は単なる目安であり、一口に物価と行っても分野によって価格は大いに異なりますので、そのまま物価指標にすることは出来ません。

 

 

時代によってはインフレやデフレもあったでしょうし、なかなか難しい問題ですが、大雑把に分かりやすく考えるならこういった考えもありかと思います。

 

 

現代日本と当時のウィーンでは生活様式がかなり違いますので、実際はここまで単純な話ではないと思います。

 



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DTMミキシングのやり方

 

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手作り五線紙を安く作る。

テーマ:

いつの時代も手作りの五線紙を作るのは作曲する人間の常ですが、昨今は様々なタイプの五線譜が売られているものの、やはり自分の作りたい曲に合わせてオリジナルの五線紙があったほうが便利だったりします。

 

 

pen

 

 

現代のように印刷技術が普及するまでは作曲家は五線譜を自分で作っている人がたくさんいました(お金持ちは買ったと思いますが…)。もちろん今でも五線紙用ペンを使って書く方もいらっしゃるかもしれません。


 

きっとバッハもベートーヴェンもシューベルトもブラームスも上の動画のように自分で五線譜を作っていたに違いないですが(金があれば買ったでしょうが)、現代でもそれはあまり変わっていないように思えます。

 

 

さすがに五線ペンからやる方は減ったと思いますが、とりあえずのスケッチ用、ピアノ曲用、弦楽四重奏用、オーケストラ用etc…、こうなっていたら書きやすいというのがおそらく誰にでもあり、自分の好きなレイアウトや五線サイズをFINAREなどでお作りになる方も多いかと思います。

 

私も半端にFINAREが使えるので、自分で作ったりします。市販品でもラインナップは幅広く、どうでも良いスケッチは五線ノートでも良いのですが、使いにくい部分もありますし、よく使うものなので自分でカスタマイズしたものを使っています。

 

 

FINAREで自分で作ってコンビニでプリントアウトが一番楽ですが、こだわりのある方は良い紙質のものを専門の業者にある程度まとめて発注していたりします。今は自宅でも簡単にプリントアウト出来る時代になりましたが、私の場合はそんなにしょっちゅう自宅でプリンターを使わないのでコンピニでプリントアウトしています(使わなくてもインクが駄目になってしまうので)。

 

 

昔は面白がってGペン使ったり、紙にも拘ったりしていましたが、今はもうどうでも良くなり、書ければ紙もペンも何でもいい状態です。コンピニのコピー機の安い紙と普通のシャーペンで十分です。

 

 

清書はFINAREになって久しいのでもう使わないのですが、普段のスケッチ用で画用紙みたいな厚紙やヘンレ版やウィーン原典版の楽譜に使われているような高級な紙は勿体ないので、自分でこの「スケッチ用A3五線紙」をコンビニでプリントアウトしています。(コンビニのプリンターはPDFとTIFFに対応)

 

 

 

市販品はどうかというと、例えば大人の五線ノートでしたら324円でA4サイズ両面35ページ、片面A4サイズ70ページですので、A4サイズ片面4.6円です。もちろんこちらの紙は表紙もあり、分厚くて良い紙を使っていますし、製本もされていますので手作りとは比べるべくもないですが、値段だけならほとんど同じです。

 

 

もっと安いコンビニのコピーの紙みたいな五線ノートなら216円でA4サイズ45枚くらいものもあり、A4一枚あたり片面2.8円で、コンビニのプリンターで自分で作るA4サイズ片面5円と比べると約半額になります。

 

 

つまり安い五線ノートを買うのと自分で作るのなら、倍くらい違うわけですが、値段が倍でもA4、A3、B4、B5の縦あるいは横などのサイズを自由に選べ、さらに五線の線間や余白の大きさ、1ページの段数を自由に変えられる利便性は倍近い値段でも十分に過ぎるメリットです。

 

 

特に市販の五線ノートは各五線の間隔が狭く、加線の本数が増えてきてくると手狭になってくるので個人的にはもっと広いのが好きなのですが、これも自分好みで調整出来ます。

 

 

五線とパーカッション譜面を自由に組み合わせたり、「独奏楽器1段とピアノの大譜表2段で3段ごと」あるいは「弦楽四重奏で4段ごと」に大きな余白があるレイアウトも自由に作れますので、およそ考えうることがすべて可能なメリットは安い五線ノートの値段が倍でも全然気になりません。

 

 

この自分の使いやすい仕事道具が自由に作れるというメリットが何よりも大きく、どうせ浄書はFINAREですので、自分用のはボロ紙でもなんでも構わないというのであれば、五線を自分で作るのは非常にお勧めです。

 

自宅のプリンターなら(量産すれば)もっと安くなるかもしれません。近所の100円ショップだとA3以外は5円でコピーが作れるので一枚原本を作ればかなり安く作れます。

 

 

あとは自分で製本してもいいですし(私はよくボンドで製本してます)、バラのまま使ってもいいですし、とても便利です。

 

 

01-1-1

こういう複雑な譜面をFINAREで作るのは面倒で、手で書いた方が速いです。

 

 

DAWや楽譜浄書ソフトの普及で手書きの譜面を書く機会はずっと減りましたが、手で書いたほうが上の画像の私の曲のような複雑な記譜はしやすいですし、色々なアイデアも生まれてきますし、何よりも記譜が複雑になればなるほど手書きのほうが速いので、忘れないうちに次の工程に進めます。

 

 

最初からFINAREで浄書を作れば後で楽ですし、手書きとFINAREで浄書する2度手間ですが、私の場合は手で書いた方が「作曲」という行為の中では今でも便利だったりします。

 

 


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主題の著作権の今と昔

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かなり昔に著者も書名も忘れてしまいましたが、バッハのさまざまな作品における主題がほかの作曲家からの(現代風に言うなら)パクリだという本を読んだことがあります。

 

 

バッハの曲の主題と非常に類似したパクリと言われても仕方ないくらいそっくりな主題が同時代の作曲家、あるいはバッハより少し前の作曲家(国内外問わず)に作品にたくさんあり、それらをリストにまとめて比較研究していた内容だったのですが、バッハは編曲技術や対位法技術においては神懸かっているが主題の発想能力には欠けていたという内容でした(当時は音楽家は芸術家というより職人の側面が強く、音楽にそれほどオリジナリティーは求められていなかったのです、今でも半分くらいはそうですが)。

 

 

 

パクリというと表現が悪いですが、当時はそれは当たり前のことでしたし、研究熱心だったバッハは近隣諸国の様々な音楽を収集・研究していたので、それらの引用がたくさんあります。依頼主から求められて編曲したこともあったでしょうし、それがバッハの作品として現代に伝わっているものもあると思います。

 

 

バッハは外国の音楽に大きな関心を持ち、出来れば留学や旅行をして勉強したいと考えていたようですが、仕事の都合や経済的な事情で生涯ドイツから出ることはありませんでした。その分、外国の音楽への関心も高かったのでしょう。

 

イギリス組曲、フランス組曲、イタリア協奏曲etc、を作っているくらいですし、外国の様式を模倣した作品やヴィヴァルディーのものが良い例ですが、そのまま編曲と言って良いものもあります。

 

また別の本でベートーヴェンの第5番「運命」の有名な「ジャジャジャジャーン!」も似たような形の主題が同時代の作曲家の作品にいくつもあり、これも著者も書名も忘れてしまいましたが、要点としては「主題そのものは重要ではなく、その展開技法こそが作曲家の腕の見せ所だった」「主題は色々な作曲家が共有して使うことがあり、それはその時代では当たり前のことだった」という内容を読んだことがあります。バッハの時代と似たようなケースですが、古典時代も主題のオリジナリティー著作権にあまり価値は払われていなかったようです。

 

かなり遡ってルネサンス期のイザークの有名な作品「インスブルックよさらば」もイザークの作品ではなく、単なる民謡の編曲だったのかもしれないと言われていますし、第3者からあるいは、民謡からパクリることは当時の常識だったようです(イザークは対位法の勉強で出てきます)。

 

 

5776

ハインリヒ・イザーク(1450年頃 - 1517年)

 


インスブルックよさらば(イザークの代表作の1つ)

 

現代風に考えるなら主題=メロディーでポップスやロックのAメロ、Bメロ、サビなどが主題に相当すると考えられますが、これをパクったら大いに問題になるのは言及する必要がないでしょう。

 

しかし当時は主題というものに著作権や価値はなく、自分の主題を別の人がパクったり、あるいは逆にパクられたりしても、それをどういう風に発展・展開させ活かすか?」に価値があったため、特に問題にはならなかったようです。

 

ジャジャジャジャーン!の主題がどのように活かされているか?は実際にスコアを見ればわかることですが、主題そのものは簡単にパクれても、ベートーヴェンのような主題活用テクニックやオーケストレーションは簡単にはパクることは出来ませんし、その技術こそがもっとも重要とされていました。

 

 

バロック以前から古典時代まではこういった考えが主流だったようで、バッハもベートーヴェンも、あるいはほかの当時の多くの作曲家もわざわざ自分の曲に「この曲の主題は誰それからパクリました。自分で作ってません」とは公言していません。

 

 

当時はそれが常識だったので、わざわざ言うまでもないことだったのですが、現代人の我々がバッハやベートーヴェンの作品に触れるときあたかもすべて本人の作曲であるかのように思ってしまいます。

 

 

ロマン派の時代になると現代人の言ういわゆる著作権という概念が法的に適応されるようになり、著作権問題でリヒャルト・シュトラウスやビゼーは訴えられて裁判沙汰になっていますし、ブラームスやマーラーなども問題になっています。

 

 

この方のブログが詳しいです。

 

 

前置きはここまでなのですが、バルトークの民族音楽に関する書籍を勉強していて、面白いものをいくつか見つけましたのでご紹介したいと思います。

まずハイドンの交響曲104番通称「ロンドン」の終楽章の主題を見て下さい。

 

 

104

 

 

次にバルトークは西ハンガリーと言っていますが(当時と今で国境線が違う)、クロアチア?の民謡を見てみましょう(ハンガリーの西側はクロアチアです)。

 

 

104-c

動画の00:36から 

 

 

キーやテンポが違うこと、記譜が4/4拍子と2/4拍子で違うこと、オーケストラとフォークソング風アレンジになっていることなど、違いはありますが、旋律の形を比較するとき両者は頭のリズムが少し違うだけでそっくりです。そっくりというか同じ曲です。

 

 

この曲はハイドンが老後の生活資金を稼ぐためにイギリスへ演奏旅行の契約(ロンドンで新曲の交響曲を書いて現地で演奏する契約)のために作った曲ですが、ハイドンはわざわざクロアチア民謡からパクりましたとは言っていません。

 

イギリス人たちがこれをクロアチアの民謡だと知っていたのか、あるいは知らなかったのかわかりませんが、こういう例は多数あるそうです。ハイドン自身もクロアチアの血縁なのかもしれないという学者もいます。

 

 

 

これがもし現代だったら言い逃れが出来ないレベルの完全なパクリですが、当時はこういったことは当たり前であり、有名な話ですがベートーヴェンの田園交響曲(第6番)にも同じことが言えます。

 

 

田園交響曲の第1楽章の主題を見てみましょう。長閑な田舎を連想させる主題で標題にピッタリです。

 

 

b6

 

次に譜例2のクロアチアの民謡と譜例3のセルビアの民謡を見てみましょう。

 

16

 

両者はかなり似ています。似てるというか、そっくりです。

 

セルビアとクロアチアの民謡は同じ民謡の変化したものであり、ベートーヴェンは度々西オーストリアに滞在し、そこに住んでいた多くのクロアチア人の民謡を聴いたはずだとバルトークは言っています。

 

 

map

 

現在の国境線だとオーストリアとクロアチアの間にはスロベニアがありますが、当時スロベニアはオーストリア=ハンガリー帝国の領土でしたし、陸続きでもあるため民族の交流は大いにありました。

 

ちなみにハイドンの生地であるローラウ村(ニーダーエスタライヒ州)もオーストリアの南東の端っこでクロアチアにかなり近いです。

 

 

田園交響曲を作る際にベートーヴェンは農村でこの民謡を聴いたはずであり、、出典を明らかにせずに自分の作品で変形して引用していますが、これは当時の風習としては当たり前のことで、現代とはかなり考え方が違うことを示す良い例だと思います。

 

 

何も知らなければ田園の主題はベートーヴェン作曲だと思ってしまいますが、多分探せば民謡からの借用、第3者からの借用はもっとたくさんあるはずです。

 

 

ハイドン作曲のオーストリア国歌「神よ、皇帝フランツを守り給へ」(弦楽四重奏77番でも使用)もクロアチア民謡が元になっていますし、おそらくは私が思っているよりもずっと多く(明らかにされていないものも含め)、ルネッサンス、バロック、古典時代の作曲家の作品には民謡からの引用が非常に多いのではないか?と思いました。

 

 

リストのハンガリー狂詩曲13番のun poco meno vivoの部分もハンガリー民謡の引用で、この曲はタイトルに「ハンガリー」と入っており(それがジプシー(ロマ)の音楽だったとしても)引用しているということがわかるのですが(ハンガリー民謡の変形です)、ハイドンの104番やベートーヴェンの田園は何も知らなければ彼らのオリジナルかと思ってしまいます。

 

 

まとめるとバルトークの論考には民謡が当時の作曲家に与えていた影響はかなり大きいということを譜例を上げて紹介されているのですが、それ自体は今でも悪いことではなく、バルトークは民謡の語法を如何に活かすか?ということをハイドンやベートーヴェン同様に重視してします。但しそのまま使うのではなく、もっとより深い意味においてであり、その辺りはバルトークの論文と作品を勉強していくうちに段々とわかってきました。

 

 

バルトークは自分の作曲技法としてはほとんど何も語っていませんが、彼の残した論文、論考をつぶさに読んでいけば、実はかなりヒントになるということがわかり、「バルトークの作曲技法 エルネ・レンドヴァイ 著」を見るよりよっぽど役に立ちます。

 

つい最近ブログに投稿した管弦楽のための協奏曲も民謡の語法がたくさんあり、その内容がある程度は見えてきましたが、わかってくると今度は日本の民謡に興味が出てきてバルトークと同じようなことが出来ないか?と思えてきたので、並行して日本の民謡にも手を出しています。

 

9k

日本民謡事典

 

バルトークの論考を読んでいて一番ためになるのは「民謡をどういう角度から見ているのか?」であり、作品からは「それをどう活かしているか?」がすべてではないにしても、ある程度見えてきます。

 

特に私個人にとって肝心なのが、管弦楽のための協奏曲や弦チェレなどのように民謡を連想させないタイトルで、実際に全く民謡に聞こえない、引用が欠片も見当たらないのに、実は民謡の語法が活かされて、その点においてロマン派音楽から脱している部分です。

 

 

日本の民謡を集めた楽譜や音源は有り難いことに現代日本には溢れていて、バルトークのように10キロ以上もする重いフォノグラフ(録音機)を背負って、バスも電車も、時には道すらない奥深い村々をたった一人で歩いて訪ね、時には野宿もし、民謡研究に無理解な村人たちを苦労して説得して歌ってもらい、採譜したり、録音するということをしなくても、割と簡単に音源も楽譜も手には入ってしまいますが、またそのうち勉強の成果が出れば作品として、あるいはブログで書きたいと思っています。

 

 

日本は世界最古の国だけあって、ハンガリーに負けないくらいたくさんの雅楽、民謡、箏曲などの民族音楽がありますが、今まではBGMで作れればそれで良いと思い、作り方だけを習得してきましたが、バルトークのように自分の和声語法の一部とするための研究は行っていなかったので、今後はこの点に少し取り組んでみようと思っています。

 

 

現在の国境線だとオーストリアとクロアチアの間にはスロベニアがありますが、当時スロベニアはオーストリア=ハンガリー帝国の領土でしたし、陸続きでもあるため民族の交流は大いにありました。ちなみにハイドンの生地であるローラウ村(ニーダーエスタライヒ州)もオーストリアの南東の端っこでクロアチアにかなり近いです。

 

 

田園交響曲を作る際にベートーヴェンは農村でこの民謡を聴いたはずであり、、出典を明らかにせずに自分の作品で変形して引用していますが、これは当時の風習としては当たり前のことで、現代とはかなり考え方が違うことを示す良い例だと思います。

 

 

何も知らなければ田園の主題はベートーヴェン作曲だと思ってしまいますが、多分探せば民謡からの借用、第3者からの借用はもっとたくさんあるはずです。

 

 

ハイドン作曲のオーストリア国歌「神よ、皇帝フランツを守り給へ」(弦楽四重奏77番でも使用)もクロアチア民謡が元になっていますし、おそらくは私が思っているよりもずっと多く(明らかにされていないものも含め)、ルネッサンス、バロック、古典時代の作曲家の作品には民謡からの引用が非常に多いのではないか?と思いました。

 

 

リストのハンガリー狂詩曲13番のun poco meno vivoの部分もハンガリー民謡の引用で、この曲はタイトルに「ハンガリー」と入っており(それがジプシー(ロマ)の音楽だったとしても)引用しているということがわかるのですが(ハンガリー民謡の変形です)、ハイドンの104番やベートーヴェンの田園は何も知らなければ彼らのオリジナルかと思ってしまいます。

 

 

まとめるとバルトークの論考には民謡が当時の作曲家に与えていた影響はかなり大きいということを譜例を上げて紹介されているのですが、それ自体は今でも悪いことではなく、バルトークは民謡の語法を如何に活かすか?ということをハイドンやベートーヴェン同様に重視してします。但しそのまま使うのではなく、もっとより深い意味においてであり、その辺りはバルトークの論文と作品を勉強していくうちに段々とわかってきました。

 

 

バルトークは自分の作曲技法としてはほとんど何も語っていませんが、彼の残した論文、論考をつぶさに読んでいけば、実はかなりヒントになるということがわかり、「バルトークの作曲技法 エルネ・レンドヴァイ 著」を見るよりよっぽど役に立ちます。

 

つい最近ブログに投稿した管弦楽のための協奏曲も民謡の語法がたくさんあり、その内容がある程度は見えてきましたが、わかってくると今度は日本の民謡に興味が出てきてバルトークと同じようなことが出来ないか?と思えてきたので、並行して日本の民謡にも手を出しています。

 

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日本民謡事典

バルトークの論考を読んでいて一番ためになるのは「民謡をどういう角度から見ているのか?」であり、作品からは「それをどう活かしているか?」がすべてではないにしても、ある程度見えてきます。特に私個人にとって肝心なのが、管弦楽のための協奏曲や弦チェレなどのように民謡を連想させないタイトルで、実際に全く民謡に聞こえない、引用が欠片も見当たらないのに、実は民謡の語法が活かされて、その点においてロマン派音楽から脱している部分です。

 

 

日本の民謡を集めた楽譜や音源は有り難いことに現代日本には溢れていて、バルトークのように10キロ以上もする重いフォノグラフ(録音機)を背負って、バスも電車も、時には道すらない奥深い村々をたった一人で歩いて訪ね、時には野宿もし、民謡研究に無理解な村人たちを苦労して説得して歌ってもらい、採譜したり、録音するということをしなくても、割と簡単に音源も楽譜も手には入ってしまいますが、またそのうち勉強の成果が出れば作品として、あるいはブログで書きたいと思っています。

 

 

日本は世界最古の国だけあって、ハンガリーに負けないくらいたくさんの雅楽、民謡、箏曲などの民族音楽がありますが、今まではBGMで作れればそれで良いと思い、作り方だけを習得してきましたが、バルトークのように自分の和声語法の一部とするための研究は行っていなかったので、今後はこの点に少し取り組んでみようと思っています。

 

 

最後までお読み頂き有り難う御座いました。

 

 



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色聴に関して。

テーマ:

一昔前は色聴に関して色々と面白いと考え、
自分の考えを論文もどきにまとめてみたりもしましたが、
あまり意味の無い行為であったというか、
共感覚と音楽を結びつけて考えるのは
音楽の本道から逸れる行為であると思うようになり論文も削除しました。


すべてを端折って結論だけを述べると
私にはこんな風に見えます。




色はマンセル色相環で定量的に表しています。
私の場合は調性に対して色彩を感じるわけですが、
発動条件は人それぞれのようです。


面白そうだと感じる方は「共感覚」「色聴」などで
調べてみると良いかもしれません。


私としてはこれは音楽と結びつけて考えるべきではないと
現時点では考えています。


メシアン、スクリャービン、コルサコフなど
作曲家の中には共感覚の所有者がおり、
色聴であったと言われている人が何人かいますが
音楽であることを捨てて、
それだけを全面に押し出した作品は残していません。
現代の日本の作曲家にもたくさん色聴所有者はいるようです。


もちろん見えるものは見えるので作曲時に
影響を全く受けないというわけにはいかず
無意識下での影響はあるでしょうが、
私としても、あんまり色聴を全面に押し出す作品は
もう何年も作っていませんし、
今後も作ることはないでしょうし、
あまり意識もしなくなりました。


やはり誰にも理解されない、
自分にしか見えていないというのが最大の理由です。


誰とも共感出来ない、誰にも自分の意図を伝達できないツールに
存在意義はないと感じています。

何処にも通じない携帯電話が
通話するための道具としては存在意義がないようなものです。


色聴は全員がある音に対して同じ色を見るわけではなく、
また発動条件も人それぞれです。

感度も人それぞれで12音中A音だけが赤く見えるが、
それ以外は何も感じないという人もいました。


(おそらく僅かでも共感覚があるという意味において)
2000人に一人と昔は何かで読んだことがありますが、
個人的にはもっといると思っています。


学校で教員をやっていた頃、色々なクラスで授業を受け持つ度に
生徒全員にこのことを教壇からまとめて話したことが何度もありますが、
何人も自分もそうだという生徒はいました。


もちろん条件や感度は人それぞれで、
内気な生徒であれば、共感覚であっても
黙っていた子もいると思うので、
実際にはもっと多かったのかもしれません。


そしてやはり、ある音に対して見える色は
完全に全員揃っていたわけではありません。


ある人にはドが白に見え、別の人にはドが赤に見えます。
全員が同じものを共感出来ないという部分に大いに問題を感じます。


携帯電話で私が「こんにちは」と話したら
相手先には「さようなら」と聞こえてしまう、あるいは聞こえもしないのであれば
そんな特殊な携帯電話は使わないほうが良いでしょう。


絵を描くときに赤い絵の具を塗ったのに、
別の人には青く、または黄色く見えてしまうのでは
画家の意図を伝えるツールとしてはその絵の具は破綻しています。
普通の絵の具を使うべきと多くの画家は考えるでしょう。


私にとっては色聴はそんな自分一人だけの狭い感覚です。
全員が同じ感度で同じ音に対して同じ色彩を感じるときに
始めて共感が起こり、芸術の表現形式としての意味をなすのであって、
そうでないならば、むしろそんな不確定なものを主軸において
物事を進めるのはあまりにも不確実に思えます。


話のネタとしては面白いかもしれませんが、
それは音楽の本質からかけ離れています。


また調に対しての印象も私は持っていますが、
これも考えようで、色聴や音視と同様に考えるべきでしょう。


*以下、見えない見にくい文字は範囲選択すると見えます。
                                                                                                                                                                                                        
  

調

  
  

  
  

調の性格的印象と力

  
  

ハ長調

  
  

白色

  
  

単純明快・素朴で無装飾。(白だと見えないので黒で記載)

  
  

ハ短調

  
  

銀色

  
  

真剣な感情や情熱を表す。全調の中で最も鋭い印象。

  
  

嬰ハ長調

  
  

金色っぽい

  
  

装飾的な意味での華やかさ。着飾っているという虚構的な雰囲気。

  
  

嬰ハ短調

  
  

黄土色

  
  

それほど強くない寂しさ、孤独感を示す。色彩的にも薄く、あまり力もない。

  
  

ニ長調

  
  

  
  

全の調の中で最も神聖な印象。人造ではない超自然的な神聖さ。

  
  

ニ短調

  
  

ダークブルー

  
  全の調の中で最も陰鬱で魔に近い調。絶望的な悲しみを示す。  
  

変ホ短調

  
  

赤みがかった薄い灰色

  
  

ト短調のような純潔さや変イ長調のような淡い悲しみではなく、どちらかというと俗っぽい感じがする。自己憐憫。

  
  

変ホ長調

  
  

白銀色

  
  

♭3つの持つ真剣な感じは長調同様。調そのものが輝きをもっている。装飾でない内面からの輝き。

  
  

ホ長調

  
  

黄色

  
  

内面から溢れ出る喜び、世俗的な喜びや楽しさ。俗的な感じが強い。

  
  

ホ短調

  
  

暗い緑

  
  

内面に向かう悲しみ。自虐的な攻撃心を表現する。内側に向かう負のエネルギーを持つ。

  
  

ヘ長調

  
  

水色

  
  

何処か牧歌的。よい過去への回想。穏やかな喜び、大人が幼少時代を思い出すような雰囲気。

  
  

ヘ短調

  
  

赤紫

  
  

外に向かう負の感情。ハ短調には劣るがかなりの鋭利さを持ち外部を傷つける。ホ短調とは力の向きが正反対。美化された悲しい想い。悲しくも美しい短調。自己憐憫。

  
  

変ト長調

  
 

薄い赤茶色

  
  ♭系で最も俗っぽい性格。強い個性を持っておらずどっち付かずの平凡さ。  
  

嬰ヘ短調

  
  

暗い赤

  
  

自己憐憫。ヘ短調と違い外に向かう力はなくホ短調とも違い内にも向かわない。行き場のない悲しみ。

  
  

ト長調

  

  
 

緑の調、ニ長調に続き人造の神聖さでない超自然的な印象をもっている。この緑は大自然の緑でもある。癒すような優しさ。 

  

ト短調

  
  

薄い灰色

  
  

無気力。この調に力はほとんどない。しかし無垢さや純潔さを持っている。

  
  

嬰ト短調

  
  

灰色

  
  
あまり力を持っていない調。無気力。
  
  

変イ長調

  
  

淡い赤色

  
  淡い悲しみ、影のある喜び。最も短調に近い長調。  
  

イ長調

  
  

  
  情熱的・燃えるような赤。夢や未来への希望に燃えるストレートな明るい情熱。
  
  

イ短調

  
  

やや暗い赤

  
  暗い赤と書いたが色彩印象が非常に弱い。簡潔な悲しみ。  
  

変ロ長調

  
  

明るい灰色

  
  あまり力を持たない脱力的な長調。明るい光沢のない灰色の長調。。  
  

変ロ短調

  
  やや茶色がかった灰色    僅かな鋭さと美化された虚構。 
  

ロ長調

  
  

輝きのある灰色

  
  着飾った印象を受けるが、嬰ハ長調ほどの虚構さない。これもそれほどの力はもっていないが、どこか不思議な輝き、神聖さがある。  
  

ロ短調

  
  

少し青みがかった灰色

  
 最も長調に近い短調。救いのある悲しみや失望を表現する。  



文字色はアメブロのカラーパレットから近しい色を選んでいます。
パレットの色数が少ないのであまり正確ではありません。


今でもレッスンの生徒さんに調に関する印象を聞いてみたりすることがありますが、
やはり人それぞれです。


私の色と調に対する印象はある程度リンクしていますが、
これは今でも作曲するときの調選択、
つまり作り始めるときに「何のキーにしようかな~」という時に
一応役立ってはいます。


しかしこれが他人に理解されるわけでもなく、
私が勝手にたった一人で感じているだけのことです。


ある意味役には立ちますが、色聴や音視を全面に押し出した芸術に
未来はないのではないでしょうか。


音楽はやはり音楽として面白くなければ
音楽としての価値はないわけで、
音楽以外の要素は音楽の道を追求するのに
役に立つことはあっても、それはあれば便利だ程度であって、
それを真ん中に据えてはいけないように思えます。



バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、
シューベルト、ショパン、ブラームス、フランク、
ドビュッシー、ラヴェルなどが色聴だったかどうかは知りませんが、
そんなことは関係なしに素晴らしい作品をたくさん残しています。


それは音楽が音楽として高度であるからこそであり、
誰にも理解されない閉じた感覚だけを頼りに
音楽を作っていたら多分今のような価値は
彼らには見い出されていないでしょう。


正直見えたから何の役に立つのくらいにしか思えません。
視覚はどちらかというと絵画芸術の領分であって、
音楽からはむしろ切り離して考えるべきのように思えます。


もちろんこれは芸術としての話であって、
娯楽としては面白いかもしれない思います。


例えばレの鍵盤を押すと青い光が出るような玩具の鍵盤は
子供が喜ぶかもしれませんし、
そんなピアノで色々なピアノ曲を弾くのも
ある意味面白いかもしれません。
(ディズニーにそんなオルガンがあったような気がします)


自分が進みたいと思う進歩の道は人それぞれですが、
音楽の本質は少なくとも、
誰とも共感出来ない、独りだけの閉じた世界ではないはずなので
私としてはあまり意味ないと感じるようになりました。


芸術の進歩における音楽は
ほかの何かと混ぜて考えるのではなく
音楽としてのみで考えるべきというのが現時点の私の考えになります。


NUVOのDooDが面白そうです。

テーマ:
島村楽器で500円で買ってきたピッチの怪しいリコーダーを
マイクで録音して自分の曲で使ったりしているのですが、
これならほかの楽器(簡単に弾ける楽器限定)も何か出来るんじゃないか?
と思っていたところ面白そうな楽器を見つけました。


NUVO DooD

NUVO DooD 公式

防音もしていない壁も天井も薄いの部屋なので
大きな音は出せないのですが、
半分オモチャみたいな可愛い音のする楽器が
BGMを作るときに欲しくなることが多いので
これは結構面白そうかもしれません。


発音方式はクラリネットやサックスと同じシングルリードですが、
運指はリコーダーというコンセプトのプラスチック楽器です。


いまさらクラリネットの運指を覚えたり、
ゼロから練習するのは正直キツいですが、
リコーダーの運指そのままで
音だけクラリネットやサックスっぽい音が出るのは興味深いです。


私の場合は本気で楽器演奏をやりたいわけではなく、
BGMで安っぽく可愛い音が欲しいなぁというときに
自分の意図するソフト音源では出しにくいニュアンスを
生演奏なら簡単に出せるというメリットが
BGMをよく作る私にとっては気になるのです。


多くのソフト音源は高品質且つリアル指向であり、
高価な楽器を使ってプロの演奏家が一流の録音環境で
収録しているのが一般的なので
音色が良い、ピッチが正確、演奏が上手い、綺麗に録れている、
という本来長所となるべき部分が
可愛い感じのBGMでは逆にデメリットになることがあります。


ちょっとくらいピッチが不安定だったり、
演奏がたどたどしかったりするほうが
逆に良い場合も多々あります。
(程度問題ではありますが)


もちろんMIDI入力はそういう風にすることで
いくらでもカバー出来ますが、
やっぱり自分で吹いて入れるのは楽しいですし、
音源では出せないニュアンスを出すことも出来ます。


特に大事なのが音色で、ニュアンスはMIDI次第でなんとかなりますが、
音色は(ある程度作り込めるものの)基本的には音源依存なので
高価でよく手入れされている良い楽器の音色ではなくて
もっと安っぽいオモチャみたいな感じが欲しいときに
そういう音源がDTM業界にあまり普及していないのが
こういった方面に目が向く一番の理由です。







DooDの生演奏を聴ける動画は少ないのですが、
発音方式はシングルリードという意味では
サックス、クラリネットと同じで、音ももちろん似ています。


クラリネットは基本 木管楽器であり、木材やABS樹脂主体ですが、
サックスは真鍮(銅と亜鉛の合金)主体で材質も違えば、
穴を指で押さえる方式もサックスとクラリネットで異なるため
Doodはサックスなのか、それともクラリネットなのか?と考えると難しい部分です。


穴を全部パッドで押さえるサックスと違い、
一部穴を指で押さえたりするクラリネットの方が近いような気もしますが、
運指はリコーダーなのでサックスに似ています。


サックスは開管か閉管は難しい問題ですが
(一応円錐形なので開管という風に私は考えていますが)、
クラリネットは円柱形、サックスは円錐形、Doodは円柱形ですので
Doodは閉管であり、管の構造はクラリネットに近いと考えるべきと思います。


結局、2つの楽器の要素がミックスされた
シングルリードで円柱形のプラスチック製で
閉管のリコーダー運指のオリジナル楽器ということになります。


お値段もお手頃で3000円~4000円くらいで売られており、
ちゃんとシングルリードとして使える楽器というか、
半分オモチャみたいなものとして買うには丁度良い感じです。


プラスチック製ですから丸ごと水洗いOKですし、
管理湿度を気にする必要もなく
ちょっと落としたくらいでは壊れない頑丈さ、
そして何より可愛い感じの安っぽい音色が個人的には気になりました。

BGMで使えそうな可愛い感じの楽器だと思います。

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作曲基礎理論~専門学校のカリキュラムに基づいて~

(作曲の基礎理論を専門学校レベルで学べる本です)




パソコンで始める日本一簡単なDTM作曲本

(初心者向けの作曲導入本です)
ギターのオクターブピッチが少し合わなくなってきたのと
弦を2ランク太いものに変えたので久々にオクターブピッチ調整と
弦高をもっと低くして弾きやすくしたいので調整をしてみました。


ギターのリペアショップなどに頼むと
専門の方がメンテナンス込みでオクターブピッチ調整をしてくれますが、
少しの手間と小道具があれば、自分で出来る範疇です。


まず弦が太くなった分と
好みの弦高に設定するためにブリッジの高さを調整します。


ペンチでブリッジの付け根を摘まんで丁度良い高さに調整しますが、
2ランク弦が太くなったくらいでは
そんなに弄る必要はないかもしれません。

次にネックの先端のトラスロッドカバーを外して、
トラスロッドを回します。

トラスロッドの反りについて

レンチのサイズは色々あるので、
自分のギターのサイズがわからないときは
サイズ違いを複数持っておくと良いかもしれません。


弦高は低ければ低いほど弾きやすいですが、
やり過ぎると弦がビビるのでギリギリのラインを探ります。

あるいはパンクなどは弦がビビっているのがカッコいいという風に
考える人もいるので、
少しくらいならビビっても良いかもとも思います。
歪ませたらそんなにわかりません。
(クリーンだと目立ちますが…)

ネックの反りやブリッジの高さは設定がシビアですので、
必要がない限り触らない方が無難です。
色々弄っていたら、ちゃんとした状態に出来なくなった…
なんてこともあるかもしれません。


弦の高さが大体決まったら
オクターブピッチの調整を行います。

サウンドハウスさんの動画がとても参考になります。
動画はこちら


ブリッジ側の調整に必要な道具がギターによって変わり、
ドライバーで回すものや六角レンチを使うものがありますが、
私のギターは六角レンチタイプです。


面倒なので、弦は緩めたりせずそのままで
ブリッジのサドル部分の六角レンチを緩めておきます。



サドル部分は固定されていなくても弦がピンと張っていれば、
ちょっとピッキングしたくらいでは動いたりはしないので、
この状態で12フレットを押さえた音と
12フレットのハーモニクス音を合わせていきます。


実音の音程の方が低い場合は
サドルをギターのネック側に近づけ、
実音の音程の方が高い場合は
サドルをネック側から離します。


調整前の12フレット

調整前の12フレットのハーモニクス

画像は3弦ですが、ハーモニクスの方がちょっとだけ高いので、
音を鳴らしながらピッチが合う部分を見つけて、
丁度良い場所が見つかるまで何度もリトライします。



調整後の12フレット

調整後の12フレットのハーモニクス


ピッチがしっかり合ったら弦を少しずらして
六角レンチでしっかりサドルを固定します。


トラスロッドやブリッジの調整まで行うと
少し時間が掛かりますが、
オクターブピッチ調整だけなら
慣れれば10分掛からないかもしれません。


弦の太さ、高さの変更、あるいはもっと大規模な改造で
ピックアップを変えるなどしたら
その都度オクターブピッチ調整は行う必要がありますが、
弦を同じ太さのものに交換するだけなら
1度しっかり合わせておけば毎回行う必要はありません。


すんなり行けば良いのですが、
ネットを見ていると色々なトラブル(弦の不良)が起こることもあり、
難しそうなら楽器屋さんに依頼するのも一つの手です。


もっと太い音にしたくて弦を太くしたのは良いのですが、
元々大してギターが弾けない上に、
弦が太くなったことで「押さえにくい…」という感じになってしまったので、
せっかく交換したものの細いものに戻そうかと
早速思案しています。


最後までお読み頂き有り難う御座いました。


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ミヨー プロヴァンス組曲

テーマ:
たまには私の個人的に好きな曲を紹介してみたいです。

好きな作曲家はたくさんいますし、
好きでなくとも私自身の向上のために有益である作曲家もたくさんいますが、
どうも私は近現代のフランス系が好きらしく、
フォーレドビュッシーラヴェル辺りからスタートし、
ミヨーメシアン、あるいはブーランシェ
もっと後ならジェラール・グリゼートリスタン・ミライユあたりが好きです。


ミヨー(1892年生まれ)を紹介してみたいと思いますが、
ドビュッシーのちょっと後くらいの世代の人で
複調性、多調性をよく使う作曲家です。


ミヨー プロヴァンス組曲
Darius Milhaud, Suite provençale, Op.152, Plusieurs



ミヨーにはたくさんの作品がありますが、
わかりやすい作品としては「プロヴァンス組曲」なんかが好きです。

プロヴァンスはフランス南部地方で
ゴッホが訪れてたくさん絵を描いたのでも有名です。
(サン=レミやアルル時代)


第一楽章はとても元気が良くて
現代のRPGのオープニングで鳴っていても良さそうな感じです。


結局のところ音楽は趣味嗜好の問題でありますが、
大作曲家たちの誰によらず尊敬出来る部分は
各々が明確な個性を獲得している点です。


wikiからのコピペですが、
ある日ミヨーがザビエル・ルルー(先生)に自作のヴァイオリンソナタを見せたところ、
ルルーは「君は私のクラスで何をしているのかね? 
君は既に自分の和声語法を持っているのに、
さらに因習的な和声を習おうとしているのか。クラスを去りたまえ」

と言ったと言われています。


Darius Milhaud Sonata for Violin & Piano I

前述の逸話のがこの曲かどうかわかりませんが、ミヨーっぽい感がちゃんとします。

ミヨーに限らず近現代の作曲家の多くは金太郞飴みたな作品が多く、
デビューまでにみっちり修行をして如何にも若書きみたいな未熟な作品がほとんどなかったり、
あるいはブラームスみたいに厳しい自己批判から未熟な作品はすべて
暖炉で燃やすみたいな場合が多く、
wikiの逸話に出てくるヴァイオリンソナタが1番のソナタかどうかはわかりませんが、
個性を既に獲得しているように思えます。



ともあれモーツァルトの曲はモーツァルトっぽいし、
ショパンの曲はショパンっぽいです。


またもしドビュッシーがまだ生きていて、
彼の新曲が出て予備情報なく私がそれを初めて聞いたらおそらく
「なんかこの曲ドビュッシーっぽいな…」と思うはずです。


そのくらい明確な個性があるわけですが、
和声法だったり、管弦楽法だったり、リズムだったり、もっと別の部分だったり
色々なところに理由があり、それを掴めばある程度までは
芸人のようにモノマネすることが可能です。



そういったことは学習段階としては有益ですし、
仕事の上で役に立つこともあるでしょうし、
私自身もやってきましたし、
今まさにやっている学生さんもたくさんいると思うのですが、
やはり音楽の進歩において最も望む物は個性の獲得ではないでしょうか。


私自身もその個性を獲得したいと思っていますが、
まだまだ修行中という感じです。


聞いてその人の曲だとわかるというのは凄いことだと思います。



また学生時代に何の本で読んだか忘れてしまいましたが、
ミヨーは復調のアイデアを得るのに、
バッハのフーガの技法を見ているときに復調部分を発見した…とか
丘の上にいるときに色々な角度から別のキーの音楽が同時に聞こえてきたとか
そんな話を読んだことがあります。


具体的にどの部分かは本には書いてなかったのですが、
私の作曲理論の本からの抜粋になってしまい恐縮ではありますが、
楽譜をさらってみたところそれっぽい箇所を見つけました。



バッハ フーガの技法 8度のカノン 60小節目

上段と下段をそれぞれ分離して考えてみると
たしかにキーが違うように見えます。

上段が二短調、下段がイ短調

上下バラバラで考えてみるとたしかにキーが違うように見えます。


前情報なしで上の譜面を見せられて
調判定しろと言われたら誰もがニ短調と答えるのではないかと思います。


フーガの技法は楽器が指定されていないので、
例えば弦楽器などで弾いた場合は
各々のパートはキー違いになり、
ミヨーが具体的にどの部分を見たのかはわかりませんが、
おそらくはこういうことだと思います。
ほかにも探せばありそうです。


バッハが復調を意識して書いているとは思えないのですが、
結果的にそのようなスコアになり、
ミヨーには復調に見えてインスピレーションを得たという感じでしょうか。


最後までお読み頂き有り難う御座いました。

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エリックサティ ピアノ全集

テーマ:
最近は色々な作曲家の曲を勉強し直そうと努力していますが、
今まであんまり注目してこなかった
サティーもやってみようかと思い、
エリックサティピアノ全集を買ってみました。


ドビュッシー、ラヴェルからの尊敬は厚いものの、
それまでの伝統的な作曲法から大きく外れているため
音楽界の異端児などと呼ばれていますが、
良い機会なので広く目を通してみようと思っています。


旋法、平行和音など近代フランス音楽で多く用いられた手法の多くは
サティーが始めたものも多く、
個人的な印象としては同じ近代フランスのドビュッシーやラヴェルは
それらの発展的な技法をあくまで古典的な基礎の上で
開花させた作曲家であるのに対して、
サティーはもっと自由に、悪く言えば伝統をまるきり無視しているようにも
思える部分もあり、
この辺りが全体を見渡した上で具体的にどうなのか?ということと、
純粋に作曲の勉強としてやってみたい感じです。



〈犬のための〉ぶよぶよした前奏曲やヴェクサシオンなど
奇抜なタイトル、奇抜な楽曲で知られている作曲家ですが、
有名なジムノペディーやグノシェンヌやその他数曲を
過去に学んだに過ぎないので、
ネットで簡単に集められる情報以上に
多くを語れるほど詳しいわけでないため、
しっかり取り組んでみます。



BGMでそのまま使えそうな楽曲も多く、
古典和声から見れば、もはや比べるべくもない
ヘンテコリンな和声や記譜だらけで
元々ある程度は知ってはいるものの
作曲のネタ集めには最適そうです。



メシアンが好きです。

テーマ:
好きな作曲家はたくさんいて、
特にモーツァルト、ベートーヴェンが好きです。


近現代でも好きな作曲家はたくさんおり、
中でもメシアンは特に好きな作曲家の一人です。



動画の原題:Quatuor pour la fin du temps(英語:Quartet for the End of Time)は
直訳すると「時の終わりのための四重奏」ですが、
日本語では「世の終わりのための四重奏」と訳されることが多く、
メシアンの個性を十分に発揮した名曲として知られています。


メシアンはユダヤ人なので、
第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、
収容所に収容されていましたが、
そのときに作曲された曲だそうで
ヴァイオリン、クラリネット、ピアノ、チェロという
かなり変則的な編成で(不自由な収容所で演奏可能な編成がこれだったらしい)、
日本だと武満徹が影響を受けて同じ編成で曲を書いていたりします。


相当な難曲であり、この曲のどの動画を見ても演奏者全員が楽譜に目が釘付けで
おそらく暗譜は限りなく不可能に近いくらい
複雑なのだと思います。


メシアン明確な個性を確立している作曲家で、
聞いて一発でメシアンだとはっきりとわかる音使いは
好き嫌いがはっきりと別れ、
私個人としては素晴らしいと思う反面、
逆に響きの多様性が限定的とも思えたりもします。


彼自身の論文「わが音楽語法」でも解説されていますが、
「逆行不可能なリズム」「移調の限られた旋法」「添加価値」etc…など
若い頃から自分の個性を明確に発揮していて、
私もBGMのお仕事でメシアンの技法を随分使わせてもらっていますが、
頭が良すぎるとこうなってしまうんだろうなぁ…という印象を
ヒシヒシと受ける作曲家の一人であり、
知性が極端に発達している感じがありありとあらゆる曲に見られます。



昔「わが音楽語法」を読んだので、
スコアを見ればある程度まではその技法を理解出来ますし、
メシアンっぽい作曲技法は前に書いた作曲の基礎理論本でも
主に移調の限られた旋法について触れていますが、
やっぱり如何にも現代音楽な感じで、非常に難しいです。



一口に現代音楽といっても色々な方向性やコンセプトがあり、
そのすべてが文句なしに素晴らしいと手放しで褒めることは私には出来ず、
むしろある種の現代音楽には破壊性があるとすら感じられますが、
あくまで個人的な見解として
メシアンは人類の知性平均レベルに対して進歩しすぎているので、
全然聴衆が付いてきてない感じがします。


現代においては誰がどう見たって、クラシックの現代音楽よりも
ポップスやロックあるいはアニソンの方が人気がありますし、
人口に膾炙しているという意味ではバッハやベートーヴェンのような
とうの昔に亡くなった作曲家のほうが存命の作曲家よりも価値があるように見えます。



クラシックの現代音楽は理屈を説明してもらわないと意味がわからないという
小難しい側面がいくらかあり、
単純に音楽の響きよりも、
その響きの下敷き、あるいは記譜に込められたある種の法則・ルールに
意味があると考えられて作られたものが多いので、
直接感情に訴えるような、つまり音楽を聴いて直で楽しいと思えるようなものが
ポップスやロック、あるいはクラシックの古典やロマンに比べると
著しく少ないため、どうしても難解であると多くの人に受け取られてしまうのでしょう。


事実難解だと思いますし、
完全な「オレ流ルール」で書かれている曲も多数あり
少しばかり音楽を囓っている程度の私では「???」となる曲も多いです。


メシアンは素晴らしい作曲家ですし、
トゥーランガリーラ交響曲や幼子イエスに注ぐ20のまなざし、
クロノクロミー、など名曲は一杯ありますが、
やっぱり難解であり、聞く側の趣味嗜好の問題に加え、
知性が相当発達しないと楽しむことが出来ないように思えます。


ドビュッシーやラヴェルあたりまでなら、
分析して、理解し、自分でその技法を再現するには
それなりの知性の発達が必要ですが、
彼らの音楽にはわりと直接感情に訴えるようなポップな要素もあり、
高い芸術性を有しているとともに、そのポップな感じや覚えやすい旋律が
現代人にも受け入れられています。


現代音楽はそのポップな感じや覚えやすい旋律がないものが多く、
全部がそうではありませんが、
どちらかというと感情よりも知性のほうに重きを置いているように思えますし、
袋小路に入ってしまっている現代音楽を見渡すときに、
これから音楽はどうなっていくのか、
あるいは自分はどんな作品を書いたらいいのかと
考えることもあります。


もし人類が全員の知性レベルが今の何百何千倍も発達し、
現在いわゆる天才と呼ばれるような人類の0.0001%程度の人たちが
一般人レベルになるまで人類の知性レベルの底上げがされれば、
あらゆるものが変わってくるのでしょうが、
そんなことはずっと先の話であり、
少なくとも私が生きている間にはありえない話です。



どんな音楽を書いたらいいのか?といま書きましたが、
結局は書きたいように書けばいいわけで、
人それぞれ自分の知性や感性の進歩・発達の度合いによって
良しとする曲を作ればよいのであり、
あんまり難しく考える必要はないようにも思えます。


問題は複雑であっても、その取り組み方は単純であっても良いわけで、
各々がやりたいようにやれば、
現代音楽もバロック→古典→ロマン→…と進歩してきたように
次の段階へ進んでいくのかもしれません。