独学で和声法を学ばれる方へ
アドバイス的なことを書いてみたいと思います。

また独学で学ばれる方の多くは、
音大受験ではなく、あくまで作曲のために和声を学ぶという
意味合いが強いと思いますので、
下記の内容は音大受験生の方にはあまり参考にならないかもしれません。

また書かれていることはかなり独断と偏見に基づいています。


和声を学ぶ一番良い手段は良い先生に付くことであり、
それが理想ではありますが、
現実問題として様々な理由によって
それが難しい場合もあるので、
こうしたら助けになるのではと思う内容を
間違いが多分にあることを含んで頂きつつ書いてみますので、
興味のある方は読んでみて下さい。


まず和声とは何か?という問題ですが、
大きく分けて3つの意味があると思っています。


1つ目は作曲の土台となる基礎能力の向上です。
あらゆる種類のバス課題、ソプラノ課題、アルテルネ課題、
借用や変位や転調や主題構成を持つ課題を解くことは
それ自体が基礎能力の向上になりますし、
またクラシックの作曲技法になくてはならず、
BGM的な楽曲でも十分に応用が効く内容です。

作曲の最も根本的な基礎能力の向上と言えます。


2つ目は古典的な和声法を学ぶことです。
(あるいはロマン派の和声も)
具体的にはバッハやモーツァルトやベートーヴェンのような
様式の曲を自分でも作れるようになることです。
これは和声学の本を学ぶだけではほぼ不可能で、
実際の大家の作品の分析と合わせて行わないと難しいと思います。


古典和声を何年も掛けて勉強したのに、
ベートーヴェンやモーツァルトのような作品を自分で作れないというのでは
なんのために古典和声をみっちり勉強したのかわかりませんし、
古典和声に基づく曲を自分でも作れないのであれば、
残念ながら古典和声を習得しているとは言い難いと思います。


もちろん作曲と和声の勉強は別だという意見はあると思いますし、
事実その通りですが、
何のために和声を勉強するのか?と考えたときに、
作曲するために学んでいるのであるならば、
作曲に活かすところまでやらなければ意味がないように思えます。


単なる教養だとか、アナリーゼ目的だとか、受験のためであれば、
和声を作曲に活かす必要はありませんが、
作曲のために和声を学ぶのであれば、
作曲に全く役に立たない和声学に
果たして学ぶ意味があるのかは疑問です。


3つ目は色々な和声進行(コード進行)を学ぶことです。
簡単に言ってしまえばあらゆる種類の借用和音、
内部調、反復進行、保属音など、ポピュラー理論と大いに通じる部分がありますが、
こういったいわゆる音楽理論のテクニックを習得することです。
(ポピュラーでいうところの副属7、SDM、裏コードなどです)


自分の作品作りでももちろん役に立ちますし、
アナリーゼでも役に立ちます。

アナリーゼに関しては役に立つというよりは
和声の知識がないとアナリーゼそのものが不可能な場合が
多々あると思います。


主にこの3つが和声法の勉強における産物であり、
学習段階で心掛けて行かなければならない部分です。


先生がいれば、個人個人にあった方法で
良い具合に指導してくれるかもしれませんが、
独学の場合は常に自分で自分を指導して行かなければなりません。

この3つが得られるものであるということをまずは念頭においてみましょう。



次の問題は教科書です。
独学で学ぶ以上、必ず何らかの教科書的な本が必要になります。


どの教科書にも利点と欠点があり、
たった一冊で和声のすべてを学べるような本は和書ではないように思えますが、
先生がいれば、自分が出来るようになりたいレベルや方向性に合わせて
良い教科書を選んでくれたり、教科書に書いていないことを
補足したり、その習得に必要な課題を(添削を含め)出してくれるでしょうが、
独学の場合は、良い本と出会えるかどうかが問題です。


一般的には和声~理論と実習が一番スタンダードだと思いますが、
ほかにももっとライトな和声本もありますし、
全員が同じ方向性、同じレベルを目指している訳ではないので、
どの本が良いのかは一概には言えません。


音大受験のために和声を学ぶ方と
趣味で学ぶ方ではかなり変わってくると思います。


本屋さんなどで立ち読みをしたり、
評判などを調べたりしつつ、何冊も手にとっていくしかないでしょう。



この点においてアドバイス出来ることがあるとすれば、
本だけに決して頼り切ってはならないという点です。


添削してくれる誰かがいれば良いですが、
ここで言いたいのは添削云々ではなく、
本に書いてあることを決して鵜呑みにしてはいけないということです。


どの本にも禁則やよく使われる進行などが掲載されていますが、
例えば和声~理論と実習では
「導音は重複も省略も出来ない」書かれています。
公理A2(赤本P113)

BWV184 待ちこがれし喜びの光
第5曲 コラール『主よ、しかとわれら望むなり』(Herr, ich hoff je)


拡大して赤い線と緑の線の部分をよく見て下さい。



①の赤い部分では導音が重複しています。
バスとテノール両方に導音があり、
片方が上がり、もう片方が下がっていますが、
これは和声~理論と実習では禁則扱いになっている音使いです。


バッハが死んだずっと後に現代のような和声学のルールが出来たので、
和声における禁則を過去の大家に見いだすことは
割と容易いですが、
独学の問題点はこういった部分を指摘してくれる先生がいない点であり、
本に書いてあることを鵜呑みにしがちな点です。


また②の緑の例外進行については3巻の青本に
ある程度書かれていますが、
実際には書かれている内容よりももっと自由な使われ方を
バッハの作品に見いだすことが出来ます。

もう一つ見てみましょう。

ベートーヴェン ピアノソナタ3番 2楽章冒頭




割と声部書法を意識した書かれ方をしていますが、

上のベートヴェンの例でもⅤ7の和音で導音が重複しています。


さらに言うなら、このⅤ7の和音の前の部分の
ソプラノの声部(ミ
→レ#→ミ→ファ#)を還元するとミになるので、
ソプラノとテノールは連続8度になります。
ミ(sop)→ミ(ten)とレ#(sop)→レ#(ten)。


これはほんの一例に過ぎません。
探せばたくさん登場しますし、
バッハやベートーヴェンなどを弾いていて
「あれ??これって…」と気づく方も多いのではないかと思います。



教科書には連続5度が駄目だとか、Ⅱ7の第7音は予備が必要とか、
Ⅰの第二転回形はⅤをセットで使うとか、
ほかにも色々なことが書いてあり、
それ自体は決して間違いでも嘘でもなく、
ある程度までは有用なのですが、
実際の作品ではもっと柔軟に扱われており、
その臨機応変さというか、実際の作品における和声の活用方法を
学ばないと、本当の意味では古典和声は身に付かないと思います。


試験でマルが貰える課題としての和声」
実際の「過去の大家たちが使う和声」には
どうしても齟齬があるのです。


また古典以降、時代が現代に近づくに連れて、
段々と古典和声の禁則が無視されがちになっていきます。

このあたりも独学だと戸惑う部分があるのではないかと思います。


私はよくレッスンで赤信号で例えますが、
「赤信号を渡ってはいけない」という風に交通ルールでは習います。


それ自体は間違いでも嘘でもありませんが、
どんな時でも絶対に赤信号で停止しなければならないかというとそうではなく、
救急車やパトカーなどの緊急車両は、時に赤信号を無視して走っていきます。


つまり信号無視という連続5度や限定進行音の重複という禁則を犯しているわけですが、
交通ルール(和声の教科書)で頭がガチガチになると、
「赤信号を渡ってはいけない」と思い込んでしまい、
実際の社会(作品)における融通が効かなくなってしまいます。


急病人を乗せた救急車が赤信号を律儀に守るようなものです。


先ほどのバッハやベートーヴェンでは導音が重複していますが、
学習者がこういった柔軟な実際の大家の作品と適切に出会い、
そして適切にその融通、つまりどんな時に、どんな理由で、
どんな風に教科書に書いてある禁則を犯しているのかを
学んで行ければ良いのですが、
教科書一辺倒になってしまうと、そちらに目が行かないことが多いです。


結果として「教科書に書いてあることを
ひたすら遵守する融通の効かない人間」になってしまい、
当然、作る曲も現実の古典和声を用いている大家の作品のような柔軟さはないため
思うような作品にはならないということが多いです。


もちろん教科書的な和声でも綺麗な課題を作る方はいらっしゃいます。
(シャラン、フォーシェ、ビッチュなどをやると割と自由だったりとします)


この部分は独学の方は陥りやすい点だと思います。
こと和声に関しては教科書は一応正しいけれども、
100%というわけではないという姿勢が良いかもしれません。


じゃあ、何が正しいのか?というと実際の古典和声における実際の作品が
古典和声とは何かという質問に対する一つの解答だと思います。
(異論はあるかもしれませんが)


古文とは何か?という質問に対しても、
多少授業で習う文法と違うところがあったとしても
やはり徒然草や枕草子や源氏物語に出てくる文章こそが、
本当の意味での古文なのではないかと思います。


もちろん受験としては現代人が文法化した古文こそが
受験でマルが貰える正しい?古文であることは言うまでもありません。

これがそのまま和声に置き換わるように思えます。


そもそも古文と一口に言っても、時代ごとに表現はかなり変わり、
個人個人の言い回しの違いもあるでしょう。
(現代の日本語でも同じですし)


クラシック音楽の大家たちの和声法も時代ごとに変わりますし、
また同じ時代を生きた作曲家でも個性が多分に発揮されているため、違いがあります。


こういった問題は教える側が随時内容に応じて適切に譜例を提示し、
どういう理由で、どういう風に、またどんな時代の誰の作品でどうなっているかを
習得段階で指導するべき部分ですが、
独学の場合はこの部分をフォローしてくれる先生がいないため、
自分で学んでいくしかありません。



そこで私としては教科書半分、実際の作品半分で
勉強進めることをお勧めしたいです。


例えば和声~理論と実習であれば、
古典和声に焦点を当てているので、バッハ、ハイドン、モーツァルトの
作品を和声の教科書を学びながらやっていくと良いと思います。


ベートーヴェンの中期あたりまでなら十分古典和声で解釈が可能なので、
ベートーヴェンのピアノソナタなども良いかもしれません。


独学で学ぶ方にとって何よりも重要なのは
実際の作品に触れることです。


和声の教科書だけを学んでも、古典和声は習得出来ません。
もちろん実際にはもっと入り組んだ問題で、
何をどれだけ習得したら古典和声を習得したと言って良いのかによりますが、
なるべくたくさんの作品を和声学の観点からアナリーゼしましょう。


その中で教科書との矛盾点を見つけ、
誰が?なぜ?どんなときに?どんな理由で?そうなっているのかを
考えていくことで、実際の芸術作品における和声の用法が見えてくるはずです。


私は和声~理論と実習に載っているような和声の内容やサンプルを否定しているわけではなく、
美しいとも思いますし、ある程度までは有益で有用なのですが、
それだけでは不十分なので、実際の作品になるべくたくさん目を通しましょう。
出来れば演奏しましょうということを言いたいのです。


私は中学から大学を出るまでに中学3年、高校3年、大学4年で
合計で10年間英語を学びましたが、
10年も掛けて英語を学んだにも拘わらず道で外国人に
道を聞かれたときに満足に英語で答えることが出来ません。


英語圏の国で一人でレストランに入ったり、買い物をしたり、
英会話が出来ないと生活できないようなシチュエーションでは会話に困ってしまう
カタコトの英語力しか持っていないのです。


DTM関連のソフトも英語の説明書だと
一応頑張って読みますが、やっぱり日本語マニュアルはないのか?と思いますし、
海外メーカーのサポートを受けるときは英語なので、
やりとりにはまず翻訳サイトを使い、それでも意味が理解出来ない文章もたくさんあります。


向こうが私の英文メールを見ても、さぞおかしな英語になっていることでしょう。


10年も勉強したのにこの有様です。
私だけでなく、こういった方は多いはずです。


少なくとも高校3年生の時点で英語を学んで6年目なわけですから、
英語で道を聞かれたらスラスラと答えられるくらいの英語力があって然りですし、
出来なければ毎日のようにあった英語の授業を受け続けたその6年間の
努力は一体何だったのか?とも思います。


普通に考えて、6年もほとんど毎日習い事をするのに
ピアノ教室や料理教室で置き換えて考えると
その成果がほとんどないというのはちょっとおかしい気もします。


なぜ私が何年も英語を勉強したのにロクに会話も出来ず、読み書きも苦労するのかは
やはり生の英語に触れず、教科書だけに頼ってきたからでしょう。


本当に英語が話せるようになりたいなら、
直接英語圏に行って生活すること、
これがベストだと思います。


それで否が応でも英会話能力は身に付いていくはずです。
実際の英語に触れないということはそれだけデメリットが大きいのです。


和声学でも教科書だけで学んだら10年やっても
私の英語と同じような感じになってしまうかもしれません。


つまり英語圏に行って、実際の英語に触れるという経験が必要であり、
和声で例えるならバッハやモーツァルトの実際の作品を大いに演奏し、
その和声をアナリーゼする必要があるということです。


あまりにも極論ですが、バッハやモーツァルトの作品に精通し、
同じような作品を作れるなら
和声学の教科書を見たことがなくでも、
受験を度外視していいのであれば、
古典和声を習得したと言えるかもしれません。


日本の英語の教科書を見たことがなくても、
アメリカに行けば幼稚園児でも英語を話すわけですから、
英会話の習得という目的であるならば
教科書が絶対に必要ということはないと思います。


しかし英語圏の外国人が英語を話せるかと言って、
東大入試の英語の試験問題や英語検定1級で高得点が取れるのか?というと
やはりこれは疑問です。


求められる能力が英語の会話や読み書きなのか、
日本の大学受験や検定に合格するためなのか、
同じ英語を学ぶという行為でも目的が違えば、
勉強方法も違わなければならないと思いますし、
事実違うはずです。


中・高・大と10年もひたすら英語を勉強しながら、
日常会話すらままならず、いまさら英会話教室というのは
10年間一体何をやってきたのか?と外国人は思うかもしれません。


和声学の習得においても実際の作品に触れないというデメリットは
果てしなく大きいので、
独学で学ばれる方は大いに実際の作品を研究する必要があります。


教科書とアナリーゼを5:5と言いたいところですが、
先生の指導がない分6:4、か7:3で実際の作品に触れる分量を
増やしても良いかもしれません。


教科書という第3者のフィルターを通して英語(和声)に触れるのではなく、
実際の生の英語(和声)に直接触れるのです。


本当に英会話を習得したいなら教科書ではなく、
実際の外国人の英語に範を求めるべきであり、
本当に和声を習得したいなら教科書ではなく、
実際の大家の和声作品に範を求めるべきです。
(あくまで試験ではなく、作曲におけるという意味で)



そして、最後になりますが、出来れば古典和声を活用した楽曲を自分でも書いてみましょう。
バッハやモーツァルトやベートーヴェンなど素晴らしいお手本は
枚挙に暇が無く、いくらでもあるわけですから
バロック的、古典的な作品を学んだ古典和声を大いに活用して作曲してみましょう。


フーガは対位法的な能力が必要になりますが、
コラール的なものなら和声法だけで対応出来ますし、
古典的なものは小規模でも良いのでロンドやソナタを書いてみると良いと思います。


モーツァルトっぽい、ベートーヴェンっぽいという感じが出せるようになったなら、
それはもう古典和声の様式を習得しつつあるということであり、
自分がしてきた努力が力となって現れている証拠です。


特に苦労もせずにスラスラと英語で外国人と会話が出来るようになってきたら、
英語が身に付いてきている証拠なのです。


教科書を学びテストで良い点を取っても実際の英語の会話や
読み書きが上手く出来ないのでは、
受験やテストでは役に立つかもしれませんが、
現実の生活ではあまり役に立ちません。


和声学も同様なのだと思います。


譜面を読む力、アナリーゼする力、各声部を美しく書く力、
内部調、転調、あらゆる借用和音、転位や変位を使った声部、
禁則に対する柔軟な対応など、
作曲能力が高まってきていることを何より感じることが出来るはずです。


それはクラシックのみならず、あらゆる種類の音楽を作曲する土台として
極めて強固で頼りになる土台です。


教科書的な和声が実際の作品でどう活かされているのか?は
随時教える側が臨機応変に伝えていく必要がありますが、
独学であれば常に実際の作品と教科書で学んだことを
見比べ、聞き比べて、何がどう違うのか?どんな風に柔軟に使われているのか?を
常に考えて行く必要があります。


教科書の内容と実際の作品の橋渡しとなる部分は
一言で終わるような内容ではないので、
ケースバイケースでとにかくたくさん見ていくうちに
わかってくることもたくさんあるはずです。


教科書の和声の勉強に10の力を注いでいる方が、
その半分の力を実際の芸術作品の和声の勉強に注いでしまったら
教科書の進歩状況は半分になってしまいますが、
独学ということを鑑みればそれが遠回りのようで
実は近道になっているように思えます。


あくまでこういう考え方の人間がいる程度に受け止めて下さい。


和声法や対位法は、現実問題として独学がかなり困難な分野ではありますが、
実際の作品に大いに触れるということを忘れなければ、
絶対に独学は不可能とも思えないので、
学習中の方はどうか頑張って下さい。



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