クラシックの作曲を習得したい方へ(対位法編②)。

前回の記事の続きです。
今回は以下のテーマについて。


・音楽における横の流れを身に付ける。和音+メロディー1つというポピュラー的な
作曲に慣れている人にとっては特に有効。



前回の記事で述べた対位法に関する様式云々とは別に、
この対位法という化石のような作曲技法も
現代を生きる私たちにとって実は大いにためになる要素が隠されている。


昨今のオリコンチャートにランクインするような曲で
「フーガ ト短調」とか「ヘ長調のカノン」とかはありえない。


BGM系の楽曲でもそのままの形でカノンやフーガ、
あるいはそれに準ずるような対位法様式の楽曲が
全くないとは言わないが、
現代において市民権を得ているとはとても言い難い。




「この時代に対位法なんて勉強してなんか意味あるの?」という疑問も
ある意味正しいのかもしれないが、
現代の作曲家が対位法を学ぶ最大の意義は
音楽的な横の流れを身に付けることにある。


ベートーヴェンがその生涯の後期において作曲のスランプに陥った時に
彼を救ったのは対位法だった。
(と伝記を読むとよく書いてある)


中期から晩年になるほどベートーヴェンの曲は対位法的な要素を持ったものが
増えてくるが、これは当時の主流スタイルであったホモフォニーで曲を書くという
スタイルがマンネリになり、袋小路に入ってしまったからだと思われる。


当時はホモフォニー全盛の時代で彼自身もそのスタイルで作曲していたが、
そこに限界を感じた彼は当時はほとんど無名であった
バッハなどの対位法(ポリフォニー)を大いに研究して
自らの危機を脱している。


弦楽四重奏「大フーガ」なんかはまさに良い例だ。
年を取るにつれて趣味が対位法になっている。
(一概にそうとも言い切れないが)


私みたいな半端者をベートーヴェンと比べるのは申し訳ないが、
私自身も作曲していく中で200~300曲くらい書いた頃から
段々とスランプというかマンネリというか
どれを書いても同じような感じなってしまう状態になって苦しんでいたことがある。


理由はベートーヴェン同様に
「ホモフォニーのコード(伴奏)+メロディー(旋律)」という考え方が
私の中で大部分を占めていたからだ。


今思うと恥ずかしいというか情けない。
若かったとか言えばそれまでだが、当時の私にとっては大きな壁だった。



ポップスで使われるような簡単な対旋律(オブリガード)くらいなら書けたが、
対位法の勉強を少しはしていたにも関わらず、
もっと本格的な対位法の様式は私の血肉にはなっていなかった。


今思えばちょっと齧っただけで出来るようになった「つもり」であって、
本当に「つもり」だったのだ。


本当に血肉になるレベルで習得しないと、
実地の作曲には生きてこない。


当時は和声で学んだホモフォニーはクラシックでしか応用できず、
私の色々なBGMを書く上で作曲技法にポリフォニー的な発想がなかったため、
書いても書いてもマンネリ状態になって
行き詰った感じになったことを覚えている。
(クラシックだけじゃなくオールジャンルで)


そんな私を救ったのは対位法だった。
バッハの素晴らしさを痛感したのもこの頃で
平均律やフーガの技法を初めとする対位法楽曲の素晴らしさを身に染みて感じ、
そしてそれをあらゆるジャンルの作曲に応用することによって
私はスランプを脱した。


バッハ以前の作曲家の対位法も多いに研究した。
これは今でも大きな財産になっている。


私とベートーヴェンと比べるのはあまりにも申し訳ないが、
感覚的には似ているのかもしれない。


ホモフォニーで作曲しまくる。

マンネリに陥り、スランプに。

対位法(ポリフォニー)でスランプ脱出!




概ねこういう感じだが、現在作曲をなさっている方も
多分何百曲も作曲するとマンネリというかスランプに陥いることがあるかもしれない。
あるいは今現在そうなのかもしれない。


自分の手持ちのテクニックで曲を書いていると
いつしかネタ切れになってしまうのだ。



そうなったときは、新しいステップに進まなければならない。
それが何なのかは人それぞれだが、
私の場合は対位法だった。
(ほかにも大小何度も壁にぶち当たりましたが…)


要するに和音(コード)を主体に考える作曲技法を脱して、
対等で独立した複数の声部を主体に音楽を考えることが出来るようになり、
次に縦と横が融合できるようになったのだ。


これがあらゆるBGM的楽曲にアイデアをもたらした。


おそらく現代人の多くは和音を主体に音楽を考えるはず。
学習の初期段階でコードネームを学ぶのは作曲の定石だし、
ポピュラーのようにメロディー+和音1つという構成は
極めて単純で分かり易いので、
作曲の導入としてこの入り方をする人は多いのではないかと思う。



音楽における横の流れを身に付ける。和音+メロディー1つというポピュラー的な
作曲に慣れている人にとっては特に有効。



という言葉は、コード(伴奏)+メロディー(旋律)という
ホモフォニーだけで作曲していると
ベートーヴェンですらスランプに陥ったのだから
誰でもいずれは限界がくるのでは?という意味でなのだ。


もちろん何百曲も書かなければそこまで到達しないかもしれない。
努力して努力して、どんどん成長していくとあるとき
「自分の力だけではこれ以上進めない」という段階に達する。


ベジータはそこで超サイヤ人に目覚めたわけだが、
そこまで進んで行き詰るのは苦しいけれど、
逆にそこまで自力で到達できた人は、大きく開けるときだと思う。


これ以上成長できない自分への怒りで超サイヤ人に目覚めたら
それはそれですごいことだが、
似たようなことが作曲でもあるのだ。

私の作曲的成長においてこれは2回あった。
(ベートーヴェンの2回だったらしい)


思うに作曲の成長というは
均等に少しずつ伸びるものではなく、
ある時、突然花開くものなのかもしれない。


少しずつ均等に成長していく。




少しずつ成長していくが、ある時、壁にぶつかりそれを乗り越えて飛躍的に成長する。



私の場合は、日々の努力で少しずつ成長いきつつも
あるとき壁にぶつかって、伸び悩み
それを乗り越えると一気にそれまで出来なかったことが
突然できるようになったことが過去に2度ほどあった。
(対位法の経験はそのうち一回)



「ポリフォニーの発想なんて役に立つの~?」
「対位法とか意味あるの~?」と思う人は
完全に旋律と伴奏のみの音楽しか作らないポップスなどのアーティスト系の方か
オールジャンル作る作曲家を目指しているが、
まだポリフォニーの必要性を感じるレベルに達していない段階の方か
どちらかだと思う。


対位法はベートーヴェンのスランプを救って、
私のスランプも救ってくれた有難い存在なのだ。


多分、私と似たような経験をなさっている方は
ほかにもいるのではないかと思う。


ベートーヴェンが有名な作曲家だから
有名な話になっているだけであって、
作曲をする人間なら誰でも一度は通る道なのかもしれない。


要するに厳格なカノンやフーガやそれに準ずる対位法楽曲を
書けるようになること自体は現代においてあまり意味はないかもしれないが、
それを書けるだけの能力はほかのすべてのジャンルに活用できるということだ。



腕立てを500回連続で出来ても
そのこと自体は何の役にも立たないかもしれないが、
腕立てを500回連続で出来るだけの筋力は
あらゆるスポーツで役に立つはずだ。


対位法はそれに似ている。
作曲における縦と横の要素、
そしてそれが融合した発想力、
またそれによってもたらされる基本的なスペックの向上は
作曲家にとって大いに意味がある。



カノンやフーガは書けたほうが良いに決まっているけれど、
今の時代、カノンやフ-ガを書いたって誰も見抜きもしない。


作曲家としての地金を磨くのではなく、
単に見向きされたいだけなら流行りの初音ミクでも使って
ボカロ曲でも書いたほうがまだ世間様は注目してくれるだろう。


しかしカノンやフーガ自体に価値はなくても、
カノンやフーガを書けるだけの基本的な作曲スペックは
どんなジャンルを作曲するのにも役に立つ。


、というのが私が感じていることであり、
対位法を学ぶ意義の1つなのではないかと思う。


バッハ以前の対位法楽曲の研究(主に声楽)、
バッハの器楽フーガ、ヘンデルの声楽フーガ、
ベートーヴェンの後期に見られる対位法的発想に基づく楽曲、
そしてロマン派や近代フランスや新ウィーン古典派などが
対位法をどのように扱い、作曲に役立てていったのかを
大いに研究することは通過点の1つとして必要なことではないかと思う。


今は関連書籍も山ほど出ているし、
日本には専門的な音楽教育を受けた人間も多いので、
自分の住んでいる町にレッスンしてもらえるような人を見つけるのも
そんなに難しくないはず。

やろうと思ったらいくらでも勉強できる時代だ。



作曲する上で特に困ってない、という段階や状況であれば
別に対位法を勉強する必要はないと思うが、
将来もしスランプに陥ったりしたら、
その時、足りないのは対位法(ポリフォニー的発想に基づく作曲能力)かもしれません。
(自分がホモフォニー主体で作曲していたとしたら)


私が知っているのは自分の経験とベートーヴェンの伝記で読んだ経験だけだが、
別にスランプでなくても、作曲能力の底上げという意味では
時間は掛かるけれども。大いに価値ある学習法だと思う。


残りの以下の項目はまた次回に書きます。


・単純に作曲家としての修行を目的とする。2声、3声の対位法楽曲や
フーガやカノンを習得するための土台として必要不可欠なのが対位法である。


・たくさん修行を積むと作曲の速度や正確さそのものがアップする。
(これは対位法に限ったことではないが)





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独学で作曲を勉強している方へのお勧め音楽書籍を紹介します。


一生懸命勉強していれば、
いずれは良書に出会うものだけれど、
私が読んで面白かった、あるいはためになったものをご紹介します。


町の本屋さんで¥2000くらいで買える
「作曲入門一週間~これであなたも作曲家!」とか
「白い鍵盤だけでも作曲できる!」のような
ビギナー向けのお手軽本ではなくて、
プロ志望の方が読むような本をここでは取り上げています。


出版されて1年~2年しか経っていないような本ではなく、
どちらかというと評価が確立している古い本が多いです。


昨今はATN社からバークリー関連の音楽書籍がたくさん和訳されて
出版されているので嬉しい限りです。


絶版になっているものや大型書店でも取り寄せないと手に入らない本も
あると思うので是非知らない本があったらググってみて下さい。


〇実践コード・ワークComplete 理論編(篠田元一)

〇実践コード・ワークComplete アレンジ編(篠田元一)

〇ザ・ジャズ・セオリー(マーク・レヴィン)

〇ザ・ジャズ・ピアノ・ブック(マーク・レヴィン)

〇リディアン・クロマチック・コンセプト(ジョージ・ラッセル)

〇ジャズ・コンポジション(テッド・ピース)

〇スモール&ミディアム・アンサンブルのための モダン・ジャズ・ヴォイシング(テッド・ピース)

〇ラージ・ジャズ・アンサンブルのアレンジ(ディック・ロウエル)

〇101モントゥーノ(レベッカ・マウレオン・サンタナ)

〇メロディックマイナースケール(ラーモン・リッカー)

〇ハウ トゥ コンプ(ハル・クルック)

〇ジャズ・スタディ(渡辺貞夫)

〇楽典―理論と実習(石桁真礼生)

〇二声対位法(池ノ内友次郎)

〇三声対位法(池ノ内友次郎)

〇学習フーガ(池ノ内友次郎)

〇対位法(マルセル・ビッチュ、ノエル・ギャロン共著)

〇和声―理論と実習(島岡 譲ほか)

〇管弦楽法(ウォルター・ピストン)

〇管弦楽法(ゴードン・ヤコブ)

〇管弦楽法(伊福部昭)

〇作曲技法(属啓成)

〇作曲の基礎技法(アルノルト・シェーンベルク)

〇わが音楽語法(オリヴィエ・メシアン)

〇大作曲家の和声法 上巻 下巻(中村 隆一)

〇和声法 基礎理論 作曲家の和声様式(イヴォンヌ・デポルト)

〇楽式の研究(諸井三郎)

〇楽器図説(菅原明朗)

〇メシアンによりラヴェル分析(オリヴィエ メシアン)

〇バルトークの作曲技法(エルネ・レンドヴァイ)

〇ドビュッシー前奏曲第1巻全曲研究(別宮貞雄)

〇バッハ・インヴェンションとシンフォニーア(市田儀一郎)

〇バッハ 平均律クラヴィーア ⅠとⅡ(市田儀一郎)


ざっと思いつく感じでこれくらいあるが、
どれも面白かったし、とてもためになった。


もっと分野が細分化すればまだまだ出てくると思う。


上記はいずれもポピュラー・ジャズ・クラシックの汎用的な
いわゆる音楽理論が勉強できる本です。
(専門的なものもありますが)


私が読んでいないだけでまだまだ良書はたくさんあるだろうし、
一応読みはしたけれど、自分に合わなかったものは除外しています。


あとはリットー・ミュージックから出ているような
テクニック99シリーズみたいなお手軽な本も面白いかもしれません。


今の若い人向けに読みやすくなっているし、
私も本屋さんで新しいの見かけたらとりあえず見てみて
良さそうなら買ってみたりすることも良くあります。


また理論書も大切だけど、
個人的には実際の曲の分析のほうがためになると思っています。
(膨大な楽譜が必要)


バッハやベートヴェンやドビュッシーやラヴェルの実際の曲に触れたほうが、
理論書を読むよりもためになると個人的には思うけれど、
おそらく基本的な勉強が終わっていないと
「カッコいいとは思うけど、楽譜見ても何やってるかわからない…」
という感じになってしまいがちなので、
やはり両方必要なのかもしれない。



理論を学ぶ意義は、自分で理論を構築レベルまで作曲能力を高めることと、
他人の曲の何処を見ても意味がわかるようになることだと思う。
(ほかにも目的は人それぞれですが)



クラシックでもジャズでもポップスでも何でもそうだけれど、
「何でここでこの和音が出てくるの?」とか
「ここで#付くのはなぜ?」みたいな疑問は
単純に勉強不足の一言で片付いてしまうのだが、
独学で学んでいる方はまずそういう部分をなくすようにすると良いと思う。



わからないことを1つ1つ虱潰しにしていけば
いずれは何を見ても大体わかるようになってきます。



意味がわかれば自分の作曲でも応用できるし、
逆に意味がわからなければ
「なんかわかんないけど、この音使いカッコいいね!」で終わってしまう。


それは作曲家の聴き方ではなく、
単なる鑑賞なので、「常に自分が作曲するなら」という気持ちで
勉強=鑑賞という風にすると良いかもしれない。



そうしなければ音楽を聴いた時間が
作曲するという見地からは無駄になってしまうからだ。



しかしこれも考えもので、鑑賞=勉強になると
純粋に音楽鑑賞を楽しむ心が失われていくような気がする。



音楽を聴きながら常に脳内に大譜表が浮かんで、
分析する姿勢で聴くようになると
「音楽を聴いていてただ楽しいだけ、それで終わり」という
純粋な心がなくっていくのだ。


私は音楽の仕事以外で音楽を聴くのが嫌で
休みの日や暇な時間は音楽を一切聴かない。


自分の家では絶対に音楽を流さないし、
友人の家で音楽が流れていると
「これ止めていい?」とか言い出す始末で、
勉強や仕事以外で音楽を聴くのはもはや苦痛になってしまった。



聴かないというよりは聴きたくない。
勉強や仕事で山ほど聴いているので、
せめて休みの時くらいは耳や心を休めたいというのもあるし、
一時は音楽を聴く=オートで集中して分析するという脳みそになってしまい、
軽く聞き流すということがあまり上手に出来なかった。
(若くて余裕がなかったのかもしれない)


何百回も聞いてよく知っている曲なら
聴き流せるが、初めて聞くような曲だと
私の脳みそのCPUパワーが100だとしたら
音楽の分析に60~70くらい持って行かれるので
残りの30~40で会話したり、本を読んだりしなければならない。


音楽を聴きながら勉強する人がいるけれど、
昔の私にとってはありえない勉強の仕方で、
マラソンしながらラーメンを食べるような芸当が要求されるようなものだった。


走るか食べるかどちらかにしたい。
聴くなら真面目に聴く、聴かないなら全く聴かない。
というのが個人的には一番楽だ。


これではあまりに疲れるので
お店で音楽が流れていても、意識的に気持ちをそちらに向けないようにして、
今では大分改善された。


音楽を常に技術的な側面で捉えてしまうので、
子供の頃に持っていたような純粋に音楽を聴いて楽しいと感じる気持ちを
なくしてしまっていることに気が付いてからは「これでは駄目だ」と思って、
何も考えず「これいいね~カッコいいじゃん」みたいな風にするようになった。



分析視点も良いし、理論視点も大変結構なのだが、
あまり凝り固まりすぎるのも良くない。



ヘアスタイリストがテレビドラマを見ていて、
時間的に連続するシーンなのに、
「この髪型繋がってねーな」と気づいてしまうようなのは個人的には
メリットとデメリットの両方があると思う。
(ドラマの中では続きでも収録は別の日にやっているということ)



何でも勉強にする勤勉な姿勢は一見努力家で良さそうだけれど
何でもほどほどにした方が良い。



音楽を聴いて小難しいことを考えたり、言ったり出来るのは
勉強しているからこそ出来ることだけれど、
「これいいね」とか「楽しかった」と言って
それで終わりにしてしまうのも大切だと思う。


そんなの誰でもできるじゃんと言われそうだが、
その誰でもできることが実は意外と大切だったりする。


何でも楽しめなくなったら終わり、楽しくなくなったら終わりで、
それでも続けなければいけないのは苦痛でしかない。


音楽を勉強なさっている方の多くはおそらく
音楽を楽しいと思っているはず。


勉強しすぎて楽しくなくなるくらい勉強するのは大切だけれど、
何でもほどほどにしなければと年を取って思うようになった。





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随分前に作った管弦楽曲です。


編成は以下の通りです。

3 flûtes
2 Hautbois
1 Cor anglais
2 Clarinettes  Si♭
2 basson
4 Cor en Fa
Timbares
Cymbale (pettit
2 Harpes
1er er Violons (16 )
2nd Violons  (14 )
Altos (14 )
Violoncelle (10 )
Contrebasses (8 )

演奏時間約11分。




DLはこちら。


フォルダ内に楽譜と解説文とMP3が入っています。
この曲を作曲した当時はまだソフト音源がないほとんど時代で、
OSはWIn98SEや2000を使っていた。
(音源=ハードという時代でした)


RolandのSC-8820という古い音源で作ってあるので、
今持っているviennaなどの最新のソフト音源と比べると非常に聴き劣りするのだが、
こんな何年も前の古い曲をいまさらViennaに移し替える気力はない。



演奏時間も11分と長いし、
編成もやや大きく、Divisiも多いのでずっとこのままの予定。
もしやるとしたら何週間も掛かりそうな大仕事になってしまうので
多分一生移し替え作業は行わないと思う。



むしろSC-8820での音源は楽譜の確認のために作ったようなもので、
メインは楽譜の方だと思っている。


作曲することももちろん大変だったけれど、
楽譜を浄書するのに物凄く手間が掛かった記憶がある。


今この曲の楽譜を読んでいると、この頃は幼かった…、と思ってしまう。
Viennaに移し替えれば聴き映えは良くなるかもしれないが、
それは音源が良くなっただけで
和声や管弦楽法が変わるわけではない。



私が拙いと感じているのはパソコンや音源の性能ではなく、
楽譜だけを見て把握できる、純粋な私個人の技量の問題だ。
(若い頃に作った曲なんてそんなものかもしれない)


どんないい音源使っても結局作曲するのは人間なのだから、
人間側がいい曲を書けるように頑張らないといけない。
特にクラシックはそれが顕著だ。



この頃はほとんど毎日楽譜を書いていたが、
最近は楽譜をめっきり書かなくなったので、
今書けと言われたら昔ほど書けないかもしれない。


ただでさえ楽譜が書けないのに、
余計に書けなくなってしまっていそうだが、
今はもうパソコンで直接MIDI入力→楽譜ソフトみたいな流れで、
手で書くという行為をしている人は私に限らず少ない気がする。


パソコンがあまりにも便利なので、
ついつい頼ってしまいがちだが、
個人的には楽譜を書くという行為そのものが大好きで、
昔は専用の鉛筆やシャーペンや定規など色々集めていた。



0.3と0.5と0.8のシャーペンを使い分けて丁寧に書き分けたり、
鉛筆だけで書いたり、
本格的にGペンとインクで浄書したりしたりと色々やったけれど、
「書く」という行為は作曲において結構大切な気がする。



MIDIデータをパソコンに入力するのは大変楽で結構なのだが、
なんというか味気ない気がするし、
1つ1つのフレーズや音符が軽い気がしてしまう。



昔の人はみんな手で書いたわけで、
パソコンに入力するなんてここ10年くらいの話なのだから、
今でもたまに手書きの譜面が書きたくなる。


私は作曲家の直筆譜が大好きで
バッハやベートーヴェンやドビュッシーの手書きの譜面の切れっぱしが
作曲家の伝記や音楽の友のような雑誌に載っているのを、
コピーしてスクラップにして集めていた。


直筆譜からは作曲家の息遣い?みたいなものが感じられて大好きだったので、
今でも金銭的に余裕があれば、
バッハ、ベートーヴェン、ドビュシーあたりのファクシミリ版のスコアは欲しいと思っている。


バッハは几帳面で倹約家、ベートーヴェンは強引で頑固、
ドビュッシーは繊細で神経質な人間だということが
楽譜を見れば伝わってくる。


ブラームスは哲学的な深い思索の跡が感じられるし、
モーツァルトとシュ-ベルトは筆に迷いの跡がなく、
ひらめきが楽譜へダイレクトに伝わっている書き方だ。
(この二人はて筆使いに迷いがないのがすごいと思った)


バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、
リスト、シューマン、シベリウス、ドヴォルザーク、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、
シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、メシアン、ミヨー、武満徹etc…
みんな個性があって見ていて飽きない。


陽気な人、陰気な人、几帳面な人、雑な人、天才肌の人、努力家の人、神経質な人、
色々な作曲家がいて曲そのものにももちろん興味があるけれど、
どんな人がその曲を書いたのだろうかと昔はよく考えたものだ。



バッハにもドビュッシーにも会うことは出来ないけれど、
せめてもの慰みに彼らの手によって直接書かれた楽譜を見るときに、
味気ない印刷された譜面では感じられなかった一人の人間としての
作曲家が感じられるのが好きだった。


だから今でも作曲家の作品=音楽CDやMP3ではなく、
譜面だと思っている部分がある。


ロックやジャズではCD音源が作品だけれど、
クラシック音楽は録音技術が確立する遥か昔からあるわけで、
演奏される音楽のみならず、
作曲家が直接書いた譜面もまた1つの作品のように私は感じている。


それに楽譜を書いていると、いかにも作曲している感じがして気分もいい。
DAWに入力するのはなんというか、味気なく、
1つ1つの音符に重みや価値があまり感じられない。


本当に些細なことだけれど、
案外楽譜を書かなくなったことで効率化された反面、
失ったものがあるような気がする。



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ファミシンセⅡというチップチューンを作るのに最適なシンセを発見しました。



http://www.geocities.jp/mu_station/vstlabo/famisynth.html
ファミシンセ

チップチューン系のソフトシンセはいくつかあるけれど、
これはそのまんまファミコンなので素晴らしいと思う。


良く出来てるなぁ~。
すごいのが、なんとフィルターがないこと。
フォルターがない場合は減算シンセって言っていいのか…?



減算でもなく、加算でもなく、当然FMでもない。
フィルターで音を作っていくのではなく、
パルス波の比率で音色を変えていったり、
エンベロープやモジュレーションで音を作っていくという
とてもシンプルな構造だけれど、それがいい。
(なぜかVienna Emsunble Proでは設定が保存されない)



出てくる音はまさに懐かしのPSG音源という感じで、
ファミコンのサウンドスペックはたしか12.4kHz/8bit(だったと思う)けど、
このシンセでは4bitにも出来る。


4bitということは2×2×2×2=16段階の音量変化なので、
MIDIのエクスプレッションやボリュームよりも荒い変化になるが、
これがビットクラッシャーで同じことをするよりも個人的に味があって好きだ。



フィルターもLFOもなく、複雑なCV信号の制御みたいな真似も出来ない。
弄れる部分があまりにも少ないが、
それを頑張って色々変えて行くのが面白い。





EZ mix2導入。

Toontrack社のお手軽ミキシングツールEZ MIX2を導入しました。


目当てはグラミー賞を受賞しているミキシングエンジニア、
チャック・エインレイの作ったプリセット集。


イージーミックス・パック - チャック・エインレイ

自分でミキシングをする上で、さらなるレベルアップを目指すために、
教材的な意味で購入してみた。


基本的にWAVESのSignatureシリーズと同じで、
著名なエンジニアが制作したプリセットを使えるのだが、
WAVESとの違いはどうもプラグインそのものが違うわけではなく、
「あくまでEZ MIX2のプラグインの設定が違うだけ」のように聴こえること。
(実際はプログラミング処理はわかりません。あくまで個人的な感想です)


WAVESのSignatureはプラグインそのものが違うので、
当然EQでもコンプでも掛かり方や味は違ってくるが、
EZMIX2はEZMIX2内のコンプやEQを著名なエンジニアが
設定しているだけなのか?と感じた。
(設定だけ変えてプラグイン本体は同じということ)


JJP Guitars


WAVES SignatureはまずコンプやEQなどのプラグイン本体を作るところからスタートし、
その上でエンジニアごとの個性あふれる設定がなされているが、
EZMIX2にそういう部分はあまり感じられなかった。


また設定できるパラメーターはINPUTとOUTPUTを除けば
2種類しかなく、WAVEのSignatureのようにプリセット無視で
普通のプラグインのようには使えない。


本当にEZ(イージー)の名前の通り、
ミックスに関して何も知らなくてもプリセットを選ぶだけで
かなりそれっぽいサウンドになるので、
「ミキシングの勉強はちょっと…、でもいい音にしたい!」
という方にお勧めです。


反面ほとんど設定をいじることが出来ないので、
そういう意味ではあまり自由度はない。


コンプのニーをもうちょっとハードにして
「ドラムをもっとパーカッシブにしたいな~」なんて思ったときに
そういう細かい設定はほぼ不可能。
極端な設定を作ることも出来ない。


さすがに著名なエンジニアのプリセットは素晴らしいが、
実際の作曲では結局自分で調整する必要が多分に出てくるので、
中級者以上の方にはお勧め出来ないかもしれない。


そもそもEZシリーズはコンセプトが
専門知識なしでクリックとドラッグ&ドロップだけで良い音が作れるという
製品なので、細かく音を作り込んでいこうすること自体が間違っている。


WAVESとは値段もデータ容量もまるで違うのでそんなもんかと思ったが、
それでも勉強になる部分はたくさんあった。


イージーミックス・パック - マーク・ニーダム


チャック・エインレイやマーク・ニーダムのプリセットを聴くと
自分でやっていたらこういう発想は出てこない的な音が聞こえてくるので、
お手本に自分で近づけるという練習はためになると思う。


特にディレイやリバーブや歪系の使い方は上手だと感じた。


多分、こういう方たちはプラグインはあまり使わずに
アウトボード主体での作業のような気がするが、
彼らに弟子入りして師事するのは非現実的なので、
少しでも勉強のための資料を集めるという意味では有益だと思う。


実際にはDAWに取り込む以前のマイキングなどのレコーディングの段階から
彼らのテクニックのエッセンスがあると思うので、
DAWに取りこんでからのプラグインの設定だけでは
不十分なのはわかっているが、それでもやはり勉強にはなる。


彼らが日本で生徒を募集して、著作やセミナーなどでテクニックを開示してくれるならば
こんなに嬉しいことはないが、
そういったことはなかなか難しいだろうから、
少しでも自分よりも上を行く人たちのテクニックを勉強するには
集められるだけの資料を集め、研究するしか方法がない。


またEZMIX2はミキシング勉強中の方にアイデアを提供するという意味や
スピーディーに目的のサウンドに近づけるという意味でも有効なプラグインだと思う。


自由度がない代わりに専門性に特化しているので、
EQの使い方が上手くいかない~のような方は
プリセットを聴いて同じようになるように自分でEQを弄るなどすれば
それだけでEQの使い方の勉強になる。


結局、自分でやったほうが良くなるのであまり使わなくなりそうだが、
困ったときのアイデア探しや、お手本という意味ではなかなか使えるプラグインだと思った。


個人的にはイージーオペレーションが売りなのだろうが、
各パラメーターの設定を弄るかどうかはユーザーの任意なので
せめてもう少しパラメーターを弄れるようにして欲しかった。


完全な初心者でミックスの勉強するのは面倒だという方、
あるいは中級者以上で設定のアイデア集、お手本、教材的な意味合いのものが欲しい方、
急いでいる時に簡便なプリセット集が欲しい方などにお勧めです。





ミックス・テクニック99やマスタリングの全知識などの書籍で有名な
葛巻善郎先生がなんと宮地楽器(東京・神田)で直接ミックスのセミナーをして下さるとのこと。


但し無料ではなく受講料が掛かる。
http://www.miyaji.co.jp/seminar/99tech.php
日程・金額など詳しくはこちら。


ミックステクニック99著者である葛巻氏を講師に迎え、
書内で紹介している内容を抜粋し葛巻氏自らが実演解説を行います。
ご参加いただいた皆様のミックスアドバイスも行います。
プロのエンジニアによるミックスの本道・王道を隠すこと無く、参加者の皆さんへ伝授します!
だそうです。



たまにこういうのがあるから、是非行ってみたいとも思うのだが、
ミックスを自力で頑張ってらっしゃる若い方にとっては
葛巻善郎先生のような著名な方のテクニックを直接見れるのは
非常に興味深いはず。


面白そうだから行ってみようかなぁ~。