ヨルダンで死刑囚釈放の「うわさ」を記事に 編集長ら逮捕

フジテレビ系(FNN) 1月30日(金)17時56分配信

過激派組織「イスラム国」を名乗るグループが、日本人2人の殺害を警告する映像を公開して10日。事件後初めて、後藤健二さんの妻が、ロイター通信を通じて、英語の音声メッセージを公表した。
後藤さんの妻は「わたしたち夫婦には、2人の幼い娘がいます。下の子は、健二が日本をたった時には、まだ(生後)3週間でした。わたしは、わずか2歳の長女が、再び父親に会えることを望んでいます」、「夫は、善良で誠実な人で、苦しむ人々の状況を報じるために、シリアに向かいました。さらに、湯川遥菜(はるな)さんの置かれた状況を知ろうともしていたと思います」としている。
夫婦を知る人は、2人を、ジャーナリストとして危険な地域を取材する夫に信頼を寄せる妻と評する。
後藤さん夫婦を知る人は「後藤さんの仕事ぶりとか、仕事の仕方とか、そういうところを非常に信頼されているというような様子がうかがえた。(その時、後藤さんの反応は?)照れたような感じだった」と話した。
しかし、2014年12月2日、後藤さんの妻は、犯行グループからのメールで、夫が拘束されたことを知った。
その後、夫の命を救うために、犯人側とメールのやり取りを続けていた後藤さんの妻のもとに、ここに来て、ある通告があった。
後藤さんの妻は、「20時間ほど前に、誘拐犯たちは、わたしに最後とみられる要求を送ってきました。『(妻の名前)、このメッセージを世界のメディアに直ちに公表せよ。さもなければ、次は健二の番だ』」と、リシャウィ死刑囚の釈放を世界に訴えるよう、犯人グループから脅迫を受けたことを明かした。
また、後藤さんの妻は「ヨルダンと日本の両政府の手中に、2人の運命が委ねられていることを、忘れないでいただきたいのです。幼いころ、わたしは、家族でヨルダンに住んでいて、12歳までアンマンの学校に通っていました。わたしは、ヨルダンとヨルダンの人々に対して、特別な感情を持っていて、多くの良い思い出があります」としている。
幼いころに住んでいたヨルダンの政府の出方に、夫の運命が委ねられる形となった。
そして、後藤さんの妻は「わたしの夫と、ヨルダン人パイロット、モアズ・カサスベさんの無事を祈っています」としている。
「イスラム国」が交渉期限とした現地時間の日没からは、すでに半日以上が経過したが、解放をめぐり、大きな動きはない。
期限を目前に控えた29日夜、続々と幹部たちが外務省に戻っていった。
そして、午後11時ごろ、現地ヨルダンで動きがあった。
ヨルダンのモマニ情報相は「われわれは、ヨルダン人パイロットの生存の証拠を求めたが、現時点で、まだ確認できていない」と述べた。
パイロットの生存確認がリシャウィ死刑囚釈放の前提とするヨルダンの情報相が、死刑囚は、まだヨルダン国内にいることを明らかにした。
そして、現地時間の日没、日本時間の午後11時半を迎えた。
午後4時半、日没の時間を迎えた首都アンマンは、普段と全く変わらない表情を見せていた。
ヨルダンの日本大使館前では、さまざまな国のメディアが集まり、固唾(かたず)をのんで、その時を待っていた。
日本時間午後11時30分、官邸内には菅官房長官、そして、3人の官房副長官らが待機していた。
あわただしい動きはなかったが、静かな緊張感に包まれていた。
後藤さんの安否につながる情報を得られないまま、迎えた期限。
岸田外相は、日本時間午後1時半ごろ、「現地時間の日没時間は、常識的に言えば、経過したものと思われますが、現時点で、新たに申し上げられるような情報はありません。解放等の具体的な情報には、何も接していません」と述べた。
日没をすぎたヨルダンの首都アンマンでは、新たな動きがない中、パイロットの家族や支援者らは、非常にいら立ちを募らせていた。
参加者は「(政府から新たな情報は?)今のところ、政府からは何もないです。最善を尽くしてくれているので、いい方向に向かうように期待している」と話した。
朗報を待ち、首相府前で集会を開いていた、パイロットの家族や支援者らも、新たな情報を得られず、疲れきった表情で、待機場所をあとにした。
情報が錯綜(さくそう)したヨルダン国内では、リシャウィ死刑囚が釈放されたといううわさを記事にしたインターネットニュース紙の編集長らが逮捕された。
解放につながる新たな動きのないまま、過ぎる時間。
安倍首相は「しっかりと情報収集を行い、分析も行いながら、協力も要請しながら、後藤健二さんの解放に向けて、全力を尽くしている」と述べた。
日本政府にとっては、双方の出方を見守るしかない、苦しい状況が続いている。





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