2010年12月25日

当プログについて

テーマ:はじめにお読み下さい

お寄りいただいてありがとうございます。
ここは筆者が調査と研究を続けている、旧大日本帝国陸海軍航空隊の戦史についてのプログです。

今まで個人的な事項として行っていましたが、もしかしたら、このような特殊で極限状況にあった日本の近代史の一部に興味ある人たちがいるのでは?という思いから公開(2004年12月8日付)することにしました。

航空隊や飛行隊の戦歴を中心に、なるべく対戦相手である連合国側の資料と相照らしながら航空戦の実態に迫っていきたいとおもいます。
 
筆者が興味があるものは人間です。

このブログでは、旧陸海軍の航空隊に所属し、教え、学び、そして戦った人々の時系列での事実と、その積み上げに終始しています。

航空機や兵器についての言及は必要最小限に留めてありますので、その手のものに興味のある方には退屈かもしれません。
 
戦争というものは人類が生んだ、最も愚かな行為です。巨大な暴力による民族と民族、国家と国家の戦いです。
そして、軍備、作戦や兵器には色濃くその民族性がでます。それらはすべて人間によって作り上げられ、相手を打ち負かすという愚かな結論に突き進んでいきます。人間の持つ愚かな一面でありますが、そのような極限状態の中からも、愛や友情、ヒューマニズム、喜びや感動が生まれます。

筆者はそこに興味があります。ここに書かれていることは戦争や旧軍人、まして戦前の天皇制への賛美ではありません。むしろ、筆者はその対極にあるといってもよいでしょう。
 
戦争がなければ死ななかったはずの人達に対して、愛惜の意を込めて彼らの行動や最後を記録していきたいと思います。


〔お願い〕

当ブログに掲載している記事は筆者の個人的見解です。無断転載と営利目的での使用はご遠慮下さい。


【参考】

「神風特別攻撃隊」 について、「電令作第6号」 も併せてお読み下さい。



[筆者注]

初稿   〈2004-12-08 23:03〉

一部加筆〈2005-04-10 10:55〉

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コメント

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67 ■リンク


いつも参考にさせてもらってます。
今度自分でも士官関係とかのブログをつくってみます。よってみてください。

http://naval.way-nifty.com/blog/

66 ■pico→kimihiroさま

ご訪問とコメントをありがとうございます。
お父様は電信員だったのでしょうか?
この記事のコメント欄上の方にも記載しておりますが、軍歴証明書を発行してもらうのが良いのでは?と推測いたします。
最近は公私共に忙しく、ブログの更新もままなりませんが、今後も気長にお付き合い下さい。

65 ■こんにちは

松山海軍航空隊、予科練などのキーワードでこちらにたどり着きました。
私の亡父(谷口宮人)はガタルカナルから生還後、松山や倉敷の航空隊で通信を教えていたそうです。
今、戦時中の事を多くは語らなかった父の足跡を追い、手がかりを探しています。
そのことによって戦争や、人間について少しでも理解できるのではと考えています。
父の足跡を追ってはいるのですが、何せ素人。
どうやればよいのかさっぱりわかりません。
こちらで何かヒントになるものがあればと思います。
以上、取り急ぎご挨拶まで。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

64 ■pico→hiroshiさま

ご訪問とコメントありがとうございます。
戦争は、当事者でなければ判らない事が多くあると思います。
皆さんが多くを語らないのはその為なのでしょうね。
そして、戦いが終わってからも、深い傷跡を人々に残し続けていくものなのですね。
深く心に刻みたいと思います。

63 ■ありがとうございます

ボクの父も傷痍軍人でした。
どれほどの悲しみの中にあったことかしれません。
これから、注意深く読ませていただきます。

62 ■pico→捜索隊さま

連投ありがとうございます。
私が知っている青木中尉の写真は、稲妻マークが胴体に描かれた機の横で写っている物なのですが、なかなかかっこよく映っていた記憶があります。
竜巻部隊での個人戦果が判明しないのが残念ですね~。まあ、私の調査能力不足なのですが・・・
今後ともよろしくお願いいたします。

61 ■pico→たく様

お久しぶりです。
フォローコメントありがとうございます。
以前、たしか神雷部隊の件でコメントいただいておりますね。
これからもお気づきの点があれば、またよろしくお願いいたします。

60 ■Re:青木中尉

>>pico様

本調子には程遠いですが、少しずつ回復しております。

「6機の・・・」方ですが、どの辺までが実話と創作の一線なのか分かりませんが、読後はちょっと複雑な気分になってしまいました。
生存されてれば、80を過ぎてらっしゃるんですよね・・・。

青木中尉の件、“航空神経病”ですか。
初めて耳にしました。
どの本にも記載されておらず、「例の雷電の機体写真」が有名な割には生死について記されてなかったものですから・・・・。

先記の「ガ島の零戦」ではないですが、氏名から搭乗機番号を調べる事(またはその逆)は不可能な事でしょうか。
204空などでは「固有機」が無かった様ですし。

知りたい事は山ほどですが、何分にも調べる段取りが分かりませんもので。
恥ずかしいですが、お許しの程を。

お気遣い&御教示共に感謝致します。
健康が何よりだと、病中はつくづく思いました。
pico様も御健勝にお過ごし下さい。

>>たく様

初めまして。
37年にお亡くなりになられたのですか。
戦後自衛隊に入り、「ペラ機」から「ヘリ」に移行され差違はどんな感じかお聞きしたかったですね。
写真で見る中尉は、何となく取っ付きにくい感じがします。自分は。
又、同人に付いて詳しく記された本も知りませんし。その辺からの先入観かもしれませんね。

御教示下さり、ありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。

長文、失礼致します。

59 ■>捜索隊さま


青木義博氏は大尉で復員され、昭和37に海自でヘリコプター事故で殉職されたようですよ。

58 ■pico→捜索隊さま

お久しぶりです。
ご病気だったとのこと、お加減はいかがでしょうか?
私の方はぼちぼちと気ままにやっております。
さて、青木中尉のことなのですが、書庫に行かなければ詳細は判りませんが、生存されていると思います。たしか、航空神経症になったのだと記憶しております。
雷電のような一撃離脱専門の迎撃戦闘をすると潜水病のようになるので仕方ないのでしょうね。
今度、書庫に行って調べてみます。
お体お大事に!

57 ■お久し振りです。

>>pico様

約8ヶ月振りです。
急病→入院しておりまして、書き込みできませんでした。
ようやくこうして、書き込み出来る様になりました。

さてさて・・・上記本ですが、実録史でないために事実の把握が難しいですね。
やはり“読み物”と言う事を念頭に入れておくべきでした。

途中一点知りたくなったのですが、「352空 青木義博予備中尉」です。
稲妻塗装の雷電で有名ですが、最期に付いて記された物が見当たりません。
戦死?生存から終戦を迎えたのでしょうか?
宜しければ、御教示戴きたく存じます。(^O^)/

今後とも宜しくお願い申し上げます。

56 ■>>pico様

そうですねぇ、ラバウル空戦記を読む限り・・・「処分」は無かったと思います。
連日に亘る出撃も“彼ら以外にも行われていた、またその様な戦局だった”云々と柳谷氏の弁として書かれてますし。
また内地にて戦死した杉田氏を見ても、もし処分が存在したのなら、内地転勤は無かったのでは?と。

近頃は軍(各隊)の動きそのものより、個人の生き様に関心が向いております。
家庭環境・幼少期・入隊後の様子など。

ではまた書き込みをさせて下さい。

55 ■pico→捜索隊

昭和19年2月以降にラバウルに残留した第一〇五基地隊の奮戦は、是非、知っておくべき価値があります。
また、「六機の護衛戦闘機」の事ですが、当事者が職業軍人か?、同時代に生きていたか?、個人的にその責任をどう捉えたか?によって違うと思います。
また、その事実を部外者がどう捉えるか?
なんだと思いますね~。
海軍航空関連の懲罰としては、緒戦のフィリピン攻略戦で起こった陸攻隊の一空事件とは全然違う状況と思われます。
いずれにしろ、その後、6人に対し処分が行われた事実はありませんし、柳谷氏以外は戦中に戦没しておりますから・・・
私は通常のミッションとしては、彼等には一切の責任は無いと思います。
あるとしたら、その所在は軍令部もしくは連合艦隊の不手際にあると思っております。
捜索隊さまの読後感を是非ご教示下さい。

54 ■ラバウル

読み終わりました。
正に激戦地のラバウル、と言う事が理解出来ました。最終的には敵味方から見放されて終戦までの自給生活・・・・、残った人達もさぞ苦労した事と思います。

さて次に読む本を注文してしまいました。
「六機の護衛戦闘機」です。
実は20数年前に一度読んでますが、今一度良く読み直してみたいと思いまして。
彼ら6人の詳細に関して知りたくなりました。「護衛の責任」としての懲罰が本当にあったのか?複雑な処ですね。

53 ■トベラの搭乗員さま(その2)

今と違って、人間の命というものの価値が極端に低かったのでしょうね~。
それにしても、今の我々とは根本から価値観が違うのですから、仕様が無いのですが・・・
しかし、命の価値は、今も昔も変わらないのですがね~。
心が痛みますね。

52 ■ラバウル空戦記 ③

>>pico様

同書を少しばかり読んでます。空中戦での戦死・行方不明者ばかりでなく、「移動中での物故者」が少なからず居たのには驚きました。空戦でならばいざ知らず、発動機故障や燃料切れによる理由では、さぞ無念だった事と推察します。
坂井三郎さんの記述に「不時着水した敵搭乗員が鱶に襲われ海中に没する」様子がありました。
生死は紙一重・・・本当に極限状態ではあるもんだと思いました。

それにしても、搭乗員個人名が詳しく載ってるんですね。“例の機体の搭乗員”も、もしかしたらこの中に居るのかも・・・、
と考えちゃいました。

51 ■pico→捜索隊さま

後期のラバウル航空隊ですと、ニュース映像がいくつか残っているようですよ。
米軍撮影による零戦の被撃墜の映像は良く目にしますが、ほとんど直線飛行の状態で背後より銃撃されていますので、やはり、末期の錬度の低いパイロットだったのだと思います。
技量C錬度のパイロットでも、空戦域では決して直線飛行はしないものだそうです。
それは絶対やってはいけないことと叩き込まれていたそうです。また、飛行中は肩バンドは外して腰のベルトだけで空戦をしていようです。これも後方見張りをしやすくするためです。

50 ■ラバウル空戦記 ②

>>pico様

朝日ソノラマのを文庫化した「学研M文庫」の物です。まだ読み始めですが、壮絶な空戦記なんですね。

現在見る機会の多い当時の実写フィルムは、米軍撮影の物が殆どですよね。恐らく無理な事なんですが、是非日本軍の撮影フィルムを見たいです。戦勝国に成ってれば“ソレ”は可能な事だったでしょうけど・・・。

良く見る飛行中の零戦が、背後からの射撃によって撃墜される場面があります。元パイロットの方の弁では、「あれはベテランパイロットではなく、未熟練搭乗員だ」とか。背後からあれほど簡単に撃たれる事はベテランでは有り得ないとも。
読んでいく内に情景が目に浮かびます。実際の場面に遭遇した事が無いのに・・・。

「大空の決戦」も読んでみます、貴重な情報に感謝致します。

49 ■pico→捜索隊さま

コメントありがとうございます。
朝日ソノラマの航空戦史シリーズのものでしょうか?
これは戦友会関連でまとめた物ですから、結構、人名等の記載がしっかりしていたとの印象が残っております。
あと、同じ、朝日ソノラマの新戦史シリーズで羽切松雄氏の「大空の決戦」も併読されることをお勧めいたします。

48 ■ラバウル空戦記

>>pico様

先日、「ラバウル空戦記」なる本を購入しました。204空隊編です。
開隊~解隊までの流れが記載されてる内容みたいですので、良く読んでみます。
何か手掛かりが掴めるかも知れませんし。

47 ■捜索隊様へ(その4)

いえいえ、不快に感じるなんて事は、全然ありませんので、ご心配無く願います。却って余計なお気を使わせてしまい申し訳ありませんでした。
ただ単に日頃からの自分の考えを述べただけですので・・・
100人居たら100通りの考えがあって良いと思っております。
私は知的障害者施設の責任者をしているので、人間の価値というものを常日頃から考えさせられておりまして、その一つの結論として感じている事を述べさせていただきました。

それから、六空と二〇四空に関しては、十数年前にある程度まとめてあるのですが、Macによる文書作成のため、整形に手間が掛かるので先送りとなっております。
言い訳ですが、最近は知的障害者のグループホームを設立するため超多忙で、なかなか休みが取れず、記事の更新も満足に出来ていないのですが、是非、これからもご訪問いただけると幸いです。

46 ■閑話休題

>>pico様

私自身の思い込みに依る書き込み、恐縮です。pico様のブログの如く、史実に添った書き込みが後世に伝える意味合いは大きいものと考えます。実際に私にしても、
御教示戴く事が無ければ事実の把握は不可能でしたから。只、犠牲?になられた隊員方に対しての個人的同情が先走ったのが正直な処です。他意はは無かったのですが、もし不快に感じられましたならお詫び致します。今後も自分の知識向上となる様に拝読させて戴こうと思います。

奥深い考察と史実の開示、頭が下がる思いです。今後とも節に宜しくお願い致します。

45 ■捜索隊様へ(その3)

>捜索隊様
多少なりともお役に立てて幸いです。
これからも、なんなりとご質問下さい。筆者がわかる範囲でお答え致します。

さて、捜索隊様の特攻隊員の方々についての考察を拝読し、その悲憤はご理解いたします。
そういうお考えもあると思います(そしてまた世の中の大多数の人々の考えもそうであろうと推測いたします)。
しかしながら、私は彼等の崇高な犠牲は、決して犬死では無かったと考えております。
宗教的な言辞で恐縮なのですが、人は何のために生まれてくるのでしょうか?
それは、その生と死に何らかの意味があるからだと私は思っております。
まったく意味の無い人生はありませんし、すべて人たちの生や死の意味を理解する事は、とうてい人には出来ません。
生命の連続性の中では、我々はほんの一瞬しか存在できないのですから、過去についてはある程度俯瞰することができますが、未来については1分1秒先といえども、俯瞰も予測できません。それは、神の領域なのだと考えます。
ただ一つ、いろいろなご意見がおありでしょうが、彼等の死の目的は決して自己の栄達や幸福のためではなく、国(すなわち人)の為の自己犠牲が目的だったのです。
その点が、最近多発している、イスラム教徒の殉教のための自爆テロとは根本から違う点だと思っております。
彼等の死が果たして無意味だったのか、意味があるものだったのかは、現在の私もはっきりとは判りません。
しかし、戦後日本の未曾有の大発展や、現在の日本の状況を考えますと、彼等の死は決して犬死ではなかった、と推察いたします。
ですから、私は特攻隊員のみならず、戦没者のすべての方々に対し同様な気持ちを持ち、拙ブログを作成致しております。
当ブログは戦争についての総論も概論も各論も論じておりません。
ただ、事実であろうと筆者が認識した作戦経過のみを時系列で積み上げただけのブログです。
しかし、そこには膨大な氏名の羅列があり、そこにはいろいろな生と死があったのだと推測しております。
読者の皆様には、無味乾燥な記事のその行間を読んでいただきたいと祈念しております。
長々と書いてしまいました。
御笑読ください。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

44 ■無題

>>pico様

早々に、ありがとうございました。
“例の機体”ですが、最終的に結論は出せない=不明かも知れません。18年2月のガ島撤退後に上陸した米軍に撮影されたとすれば、不時着自体はそれ以前になります。
・・・「記号は17年11月~5月の不明時期で、防諜上の理由で1~9の番号と機番号の組み合わせ」に当てはまらないものかと。あくまでも御教示戴いた資料に基づく推測です。

「軍歴証明書」の件、時間をみて尋ねてみます。但し、父自身は「触れたくない気持ち」になってる様子もある為、意志を尊重した行動を取りたいと思います。

pico様におかれましては御多忙中のところ、大変詳細且つ御丁寧な資料・情報等を御教示して下さり本当に感謝しております。大変助かりました。

また今回、特攻隊員の方々の事を考えましたが、『最終的には“死ぬこと=犬死”』が目的になってたと思います。作戦云々は言い訳で、単に出撃→単なる死亡行為に奔ったんではないでしょうか。正直、何の為の死だったか?何の利益を上げる事が出来たのか?全く無意味な行為そのものに推進した者に対して、非情に憤りを感じます。
多くの戦死者の死が現代に何のプラスになってるのか・・・。 合掌

今後とも質疑させて戴くことと思いますが、宜しくお願い致します。
では。

43 ■捜索隊様(その2)

お父様のお兄さんの件について。
陸軍の地上軍に関しては、あまり知識がありませんので、私論として記述させていただきます。
19年5月頃のニューギニア東部は、米軍の反攻により空・陸ともに戦線が総崩れの状況で、ほとんどの部隊が前人未到のジャングル内の転進途上で戦没というような状況だったようです。戦闘より病気や飢えによる死者が大多数だったようです。これは、日本軍の悪しき特徴、人命軽視のようですが・・・悲惨なものです。
また、所属部隊に関して、旧陸海軍軍人・軍属の軍歴は、旧陸海軍の人事記録を引き継いだ厚生労働省及び各都道府県は、本人もしくは遺族からの請求によって、軍歴証明書を発行し交付しています。
お父様がご遺族ということで、厚生労働省の援護局に請求することが出来るかもしれませんので、一度、当該部署に連絡されてみてはいかがでしょうか?
なお、最近は個人情報保護の見地から、いろいろあると思いますので、手続き等は直接、援護局の担当部署に問い合わせてみて下さい。

42 ■捜索隊様へ(その1)

コメントありがとうございます。
二〇四空の戦歴に関しては、10年以上前に調査したものがあるはずなのですが、多忙のため掲載できておりません。
ここでは、ほんの概略を・・・

第六航空隊は、昭和17年4月1日編成、定数は艦上戦闘機60機、陸上偵察機8機。8月21日に先発隊18機がラバウルに進出、10月7日に本隊27機が到着し先発隊合流。まもなく、全力でブインに前進。11月1日付で第二〇四海軍航空隊に改称。この間の部隊標識はU-xxx、装備機は零戦21型と32型の混成。

第二〇四海軍航空隊は、上記のとおり編成。定数も同じですが、実数はその半数程度だったようです。引き続きブインで作戦を続行し、18年4月にラバウルに後退。8月再度ブインに進出。10月ラバウルに後退。19年1月26日、一部搭乗員を二五三空に転属させ、残存した12機でトラックに後退。休養・練成中だった2月17日のトラック空襲で壊滅、19年3月4日付で解隊された。
部隊標識に関しては、17年11月から5月頃までは不明で、18年6月から19年まではT2-xxxだったようですが、防諜上の理由で1~9の番号と機番号の組み合わせにしたようですが、詳細は現在でも不明のようです。また、識別標識の色についても当方では未確認です。

六空の開隊から二〇四空の解隊に至るまでの戦果は、撃墜だけで約1,000機にも上ると言われてます。

41 ■訂正

父の兄が20年5月(?)は、「19年」の間違いでした。訂正致します。

40 ■204空/陸軍部隊

>>pico様

御無沙汰しております。
その後の進捗状況は遅々として進みません。そこでお願いが・・・・。

204空の隊史をお教え戴けませんか?
確か、6空→204空になったとか。
それと・・・、204空の機胴体には「黄色帯」が巻かれていたのかも。
申し訳御座いませんが宜しくお願い致します。
もしかしたら「ガ島海岸の零戦」は、204空の可能性が高いのかなと。
度々お手数をお掛けします。

あと1つ。
父の兄が20年の5月(?)に、ニューギニア・ホーランジアにて戦死しております。父に聞いても戦死地名のみしか判らず、部隊名は不明です。「陸軍の通信兵」だった事しか判りません。
こうした場合、所属部隊を探し出す事は可能でしょうか?せめて部隊名でも判れば隊の行動等が判明して、父に教える事が出来るのです。身内を全て亡くしてる父に、兄の事を教える事が出来れば・・・と思います。

お分かりになる範囲でお答え戴ければ幸甚です。

39 ■pico→探索隊さま

再度のコメントありがとうございます。
先程の当方よりのコメントで捜索隊さまのさまが抜けておりました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
これからも、なんでも結構ですから、どんどんコメントをお寄せ下さい。
私はこのブログは、興味があってお寄り下さった方々と一緒に作り上げたいと願っております。
書き込み大歓迎です。

38 ■実は・・・・。

pico様

はじめまして。
早々に御教示下さり、ありがとうございました。実はお詫びしなくてはいけないのですが、文中の「I(又は)1-146」の
“-(ハイフン)”ははっきりしないんです。書名を忘れてしまったのですが、以前に書店店頭にて旧軍機写真集の1冊に、この機の所属が書かれていました。どうしても思い出せません。もう少しハッキリとした資料等が無ければ無理なんでしょうね。

突然の書き込みに、御丁寧な御返答を戴きましてありがとうございました。
継続して探してみます。判明しましたら、再度書き込みさせて戴いても宜しいでしょうか。

37 ■pico→捜索隊

コメントありがとうございます。
何分、筆者は興味があるのは人間で、機材その他にはあまり興味が無いのですが・・・と、最初に言い訳しておきます。
ところで、写真のガ島に海岸線の零戦ですが、損傷の感じからは、墜落ではなく、不時着というような状況ですね。それから、垂直尾翼の羽布張りの部分が無くなっているように思えます。尾翼番号を左サイドから読み取った場合と右サイドから読み取った場合で、残想している番号部分は替わってきます。
たとえば記載されている「Ⅰ(または)1-146」となれば、二〇一空(確定はできませんが)とも思えます。但し、ラバウル進出は18年7月15日以降ですし、当時は[W1-xxx]という機体番号のすので、撮影日時を信用すれば、可能性は無くなります。では、その当時の在ソロモンの零戦隊は二五一空か二〇四空でその頃の機番号の記載方式は、二五一空は「51-xxx」、二〇四空は「T2-xxx」ですから、多分違うでしょう。
また、18年1月下旬に「ガ島」撤退作戦支援のため、ラバウルに進出した「瑞鶴」機の機番号は「A1-1-xxx」で、該当の機を右から機番号を読んだ場合、垂直尾翼の羽布張りの欠落部分のA1の部分が欠落して、「1-146」と読めたという仮設も成り立ちます。ただし、この頃の「瑞鶴」機はまだ、飴色か灰白色だったので、この説もやや難ありですね。
艦隊の零戦が応急的に濃緑色に迷彩塗装をしたのは、「い号作戦」以降ですから時期的にはズレがあります。
この写真は結構有名で、文林堂の世界の傑作機シリーズの「零戦11-21型」等にも載っていますが、著名な研究者の方々も、ラバウル航空隊の・・・と航空隊を明記しておられないのは、やはり、良く判らないからなのでは無いのでしょうか?
長々と、結論も出せずに申し訳ありません。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

36 ■御教示戴けますか。

はじめまして。
ある1機の零戦の所属部隊を探しています。それは・・・、ガダルカナル島エスペランス岬付近の海岸に不時着した零戦21型機です。写真からは、「尾翼記号=I(又は)1-146?・胴体に黄色の直線帯1本・暗緑色と明灰白色の塗色・S18年2月米軍に調査される・・・」です。
http://sidenkai21.cocot.jp/m464.html 「坂井一飛曹の戦闘記録」記事下に同機の写真があります。
この機は本当に18年2月に撮られたのか?201空の所属だとすれば、「18年夏以降」なのか・・・。

御存知の方、是非御教示戴けますでしょうか。宜しく御願い致します。

35 ■重ね重ねありがとうございます。

 「林の頁」大変参考になりました。逆に驚きもありました。旧海軍においては戦時編成が先立ち、平時編成は異なるということや、編成という指揮系統に分隊長が組み込まれていることなど、職の編成の概念が異なることにはビックリしました。おそらく旧海軍においては、指揮と統率は同一のラインであったのが、戦後に統率の部分が機能分化され、明文化されないために、現在のような組織令に定められるような編制になっているものだと思われます。しかし、現在でも服務規律や人事などを扱う分隊長は、通常航空部隊では先任班長が兼務していますので形態は同一かと思われます。ただ、副長が分隊員を掌握していますので、副長→分隊長という流れになり、組織的な不都合点が存在しますが。
 多くのコメントをいいただきまして、本当にありがとうございました。

34 ■また訂正

永末千里氏は海自ではなく空自でした。申し訳ありません。

33 ■pico→ヤマシタさま

コメントありがとうございます。
私は寡聞にして旧海軍や海上自衛隊の編成についての法令を、よく理解している訳ではないので(、源五郎さんの挙げて下さった、サイトをご覧になった方が良いかもしれませんね。
私自身は、一般的に上位者による権限委譲が(各科)分隊長まではあったのだと思ってます。厳密にどこからどこまでという線引きは各科によって違うでしょうし、平時と戦時という違いもあると思います。いうまでもなく、ここで書かれている事は戦時の事がほとんどで、平時についてはまた、違っていたのかもしれません。
歯切れが悪いですが、当ブログの構成上、法令を熟知している上での回答ではないのでご了承下さい。
また、当ブログのブックマーク欄に「老兵の繰り言」というサイトがリンクされております。ここの管理者の永末千里氏は、予科練出身者で海自OBですので、こちらの方がご質問の件では参考になると思います。

32 ■追加ですが

 海上自衛隊においては、分隊長以下分隊は職の編成ではないので、分隊長には指揮権がないと解釈してますが。

31 ■ありがとうございます。

 なるほど、なんとなく解りました。
しかし、指揮という法制上の強制力(権限)を有する職の配置である各科長と部下の人事や服務規律等を扱う内務編成である分隊という概念を同一にするわけにはいかないと思いますが。海上自衛隊では、職と内務の編成は異なりますので、旧海軍では同一視されていたということでしょうか。
 法令を参考に勉強させてもらいます。
大変ありがとうございます。

30 ■pico→源五郎さま

いつも、フォローコメントをいただき、ありがとうございます。
源五郎さまもお詳しいようなので、当ブログに原稿をお寄せいただけるとありがたいのですが・・・。
私の厚かましい願望です、ご笑読下さい。

29 ■分隊長は

編制上の職で、飛行隊長や航海長などの下で部下を管理する人ですね。

どのような仕事をしていたかというのを書き出すと長くなりますので、検索(Google等)で「林の頁」を入力し、Topページの「日本海軍」→「内令・諸例則」→「海軍航空隊編制令」や「艦内編制令」「艦船職員服務規程」などを見ていただくほうが良いかと・・・

28 ■訂正

隊附の前の(各科)は間違いでした。
削除できないので、ここで訂正いたします。

27 ■pico→ヤマシタさま

えーと、何から説明するか迷うのですが、まず、陸軍の分隊長という概念は捨てて下さい。職務も職掌も全く違うものだからです。
さて、ご質問の件ですが、海軍における分隊は編成の基本となります。これは、あらゆる科(飛行、砲術、航海、機関、水雷、通信、医務等)に於いてであろうと思われます(私は飛行科以外はよく判りませんが・・・)。
航空隊の基幹職員には上から順に司令、副長、副官、飛行(科)長、整備主任、飛行隊長、通信(科)長、内務(科)長、修補(科)長、軍医(科)長、主計(科)長、(各科)分隊長、(各科)隊附となります。いわゆる職名ですね。
飛行隊長の下には、飛行部、飛行機整備部、兵器整備部があり、その長が分隊長です。
艦艇の場合の職名は詳しくは記載しませんが、これに類したものだと思います。
以上、非常に簡単ではありますが、今、現在当方の頭の中にあるのはこれぐらいです。
また、疑問点があれば遠慮なくご質問下さい。今度は詳しくお調べいたします。

26 ■教えていただきたいんですが。

 はじめて立ち寄ります。疑問に思っていたことなんですが、海軍における編成で分隊長という職名がありますが、これは本当に職の編成上の配置なんでしょうか?「男達の大和」でも、まるで職名のように扱われています。航空部隊と艦艇部隊ではその定義も異なるのでしょうか?逆に分隊長は、何の仕事をしていたのでしょうか?この辺が混乱してしまいます。ぶしつけですが教えていただけるとありがたいのですが。

25 ■やっぱり…

昨日調べましたところ、甲飛9期の予科練卒業は1年2ヶ月組、1年4ヶ月組、1年6ヶ月組の3回に分かれておりました。
飛練29期 大井空(偵察)140名
飛練30期 大井空(偵察)140名
      鈴鹿空(偵察)165名
      百里空(操縦) 76名
      筑波空(操縦) 60名
      鹿島空(2水操)35名
      北浦空(3水操)45名
飛練31期 鈴鹿空(偵察)140名     
もとのブログページが判らなくなってしまいましたのでここに記入いたしました。

24 ■pico→土屋二飛曹さま

コメントありがとうございます。
私はどのような形であれ、ご参加いただけることだけで感謝申し上げております。
いつも有益な情報やヒントをいただき、助かっております。
海軍二代さまにも書きましたが、皆様よりのリアクションだけが、やる気の元なので、是非是非これからもよろしくお願い申し上げます。

23 ■pico→海軍(二代)さま

初期の海上自衛隊(警察予備隊も含めて)の歴史というのは、失礼ながら私なども、全くと言っていいほど知識がありません。
旧軍関係者が数多く在隊していたのに、その後についてはおざなりになってしまっていた事に今気づきました。
ぜひ、その方面での記録を頑張って下さい。
そして、いろいろご教示ください。
このブログは、訪問者は多いのですが、コメントしにくいのか、反応があまりないのです。ですから、皆さんのコメントだけが私のやる気の元なんです。是非是非、どのような形でも結構ですので、ご参加下さい。
心よりお願い申し上げます。

22 ■土屋二飛曹→pico様

私に関していえば、上の方で1箇所だけリンクしましたが、現在、某所でBBS的に気が向いたときに、気が向いたことだけ適当に書き込む場所を間借りしております。私のような無精な人間にはそれくらいが関の山で、pico様のブログをお手本にしたとしても、とても他人様に読んでいただけるようなものは無理です。
それともう一つ、私の持っている情報は、自分で調べたものもありますが、多くはNETを通じて知り合った方からのご提供によるもの(デジタル、アナログを問わず)が多いです。ですから裏も取っていませんし、私1人の胸の中に収めておこうと思っている情報もたくさんあります。
したがって、私に関しては、これまでどおりpico様のブログにコメントを書かせていただいたり、他人様にご迷惑がかからない範囲内でpico様に情報をご提供することで、pico様のブログに参加させていただきたいと考えております。
いかがでしょうか。

21 ■賛成です。

毎回皆様の熱いご意見を読ませていただき、定年後のやるべきことが見えてきた感じがします。ただ、自分自身今までに余りにも時間を浪費していたことに悔恨の念を禁じえません。父親の戦歴調査を思い立ち勉強しようと始めましたが、私が居た場所は皆様よりも良い条件(海自に勤務された旧海軍搭乗員の先輩に囲まれていたのに)でありながら何ともったいないことだったかと思い知らされています。・・・しかし、気を取り直して頑張ります。
また、海自についても草の根的な歴史が少なくやはり周りに居た人たちの記録も纏めなければとも思っています。海自事態が既に50年の歴史があるのですから。・・・

20 ■pico→皆さん

いろいろ、コメントありがとうございます。
ここで、ひとつご提案なのですが、皆さんここの場所(アメーバ)で、ブログを作成しませんか?
いろいろなお考えがあるでしょうが、私は皆さんのその戦史研究に対する情熱を是非形あるものに変えてみては、とご提案いたします。
ホームページ作成なんかより、簡単に作成できますよ!
その上、無料です。

また、このブログへの参加も、広義であれ狭義であれ、どんどん参加して下さい。

当ブログの趣旨に反しない限り、どんな参加形式でも結構です。
このブログ内に皆様のコーナーを作成しても良いですし、先に申し上げましたが、自分でブログを作成して、お互いに補完しあう、という形でも、いろいろ考えられます。
「航空戦史雑想ノート」の雑想とは、別に私一人の想でなくてもいいんです。皆さんの想が入っても構わないと思ってます。

是非、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
このコメント欄でも以下のアドレスでも、どちらでも結構です。
katsu196116@infoseek.jp

19 ■攻撃103様

はじめまして。お父上の軍歴をお知りになりたいという欲求は、この世界に足を踏み入れられるにあたり、極めて健全な動機だと思います。もっとも、私の亡父は陸軍の高射砲兵で満州へ行き、2年ほどシベリアに抑留されていたそうです。最初から父の軍歴を追うなんてことは考えもしませんでした。
おそらく、お父上の軍歴を追われるうちに、お父上の戦友の方、お父上と接点のあった方へとご興味の対象は広がっていくことと思います。何も恥ずかしがられることはありません。
むしろ、恥ずかしいのは私の方かもしれません。実社会では、こういう裏の顔を持っているなんてことは、あまり他人に公言できません。表の世界では至って普通の社会人をやってますから。

18 ■もう少し狭義での参加可能ですか?

pico様、吉野様、土屋二飛曹様、先のコメントを拝見しておりまして、私が親父殿の軍歴のみ追いかけている事に一抹の恥ずかしさを感じましたが、今後、ブログに参加する事は如何なものでしょうか?

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