老人は、過去を振り返り話し始める。

    それは第一次世界大戦が近づいていた頃、ドイツ北部にある小さな村に、

    教師として赴任したときのことだと…。

                 Piattの私的映画生活

    穏やかで平和に保たれていた村の秩序は、一つの出来事をきっかけとして起こる奇妙な事件の連続で

    乱されていくことになる。

    村では何が起こり、教師は何を見たのだろうか。


                  Piattの私的映画生活

    1913年夏、診察から帰ってきた医師が落馬して大ケガを負う。

    原因は自宅前に張られていた1本の針金。

    何者かの手による作為的な出来事だったが、犯人は見つからなかった。

    翌日、小作人の妻が地主である男爵の製材所で事故死する。

    小作人の息子はそのことで男爵を恨み、収穫祭の日に男爵のキャベツ畑を荒らす。

    同じ日、男爵の息子が行方不明になり、真夜中過ぎに発見された。

    男爵は翌日の礼拝で、村人たちの中に犯人がいると告発する。

    村の中には不穏な空気が流れ始めるのだが、事件はそれだけでは終わらなかった。


                   Piattの私的映画生活



    こんなあらすじの書き方をすると、これから犯人探しが始まるサスペンス映画のように見える。

    だが、そうではない。

    確かに不可解な事件は次々に起きた。だが時間が経つと自然と犯人が明確になってくるものもある。

    闇夜に雲が流れ、月が顔を表わすように。

    また、事故や自殺など逃れられない運命もある。

    表面に積った埃をそっと払うと、そこに映し出された影の部分が見えてくる。

    その影を掴むことは誰にもできないのだった。


    ほとんどの事柄は、劇中で犯人が明らかにされることはない。

    いつものハネケがそこにいる。

    冷酷さ、悪意の本質を、観客が求める場所に提示する。


                   Piattの私的映画生活

    ある小さな村で起こった事件を描きながら、戦争の闇や真実の無意味さを突き付けられる。

    あなたはどう思うか?と。


    答えに詰まっていると、さらに情報を示してくれる。


    牧師は事件のさなか遊び歩いていた自分の子供たちに厳しい指導をする。

    純粋だった子供の心を忘れないように、無垢な魂を穢さないために。

    子供たちに「白いリボン」を巻きつける。

    少年が流す 一筋の涙の理由は…。


                   Piattの私的映画生活

    そして子どもたちは気づく。大人たちは表向き、弱者に対しては強く秩序や倫理を押し付けながら、権力を

    振りかざし、子供たちに純真無垢を誓わせようとする。

    しかし、その偽善的な仮面の下で自己欺瞞や暴力を正当化する愚かさ。

    そんな大人たちを冷酷に見つめる子供たち。

    時に子供は無垢で純粋でありながら、とても残酷なことをしたりする。

    人は性善として生れるのか、性悪として生れるのか。

    抑圧された力は何処へ向かうのか。

    じりじりと人間の心の底に潜む闇、妬みや欲望、悪意を炙り出していく。


                   Piattの私的映画生活

    「ファニーゲーム」、「ピアニスト」のミヒャエル・ハネケ監督による、2時間半を越える大作映画。

    全編モノクロの映像で、20世紀初頭の北ドイツの暮らしを坦々とドキュメンタリー風に再現している。

    一見、のどかな何処にでもある質素な村。

    その村に潜む悪意と暴力、そして欺瞞。


                  Piattの私的映画生活


 

    元々はカラーデジタルで撮られたものをわざわざモノクロに直している。

    なぜモノクロでなければならなかったのか。

    第一次世界大戦前の時代、彼らの記憶は、モノクロ写真によって形成されているからだとするハネケ監督

    の意向がそうさせたのだった。

    この時代の記憶こそが監督の現実そのものだったから。

    記憶は、そこにただ留まって、静止したままもう先には何もない。


                  Piattの私的映画生活



    物語は一種の犯罪ミステリーという形をみせる。

    犯人は誰なのか、事件の全容とは・・・

    だが、ほとんどの事件は、劇中で犯人が明らかにされることはない。

    分からない事柄を、分からないまま放置している。

    教師は本当の理由を訊ねない。

    牧師は本当は何があったのかと問い詰めない。

    尋ねてしまえばその向こう側に、知るべきではない恐ろしい何かがあるかもしれない。

    だから黙っている。

                 Piattの私的映画生活

    だがそうした沈黙の闇の中で、邪悪な者たちはさらに活動を広げていくのだ。


     「ひとは会話する、だが伝わらない

     近くなればなるほど話さない」 M.ハネケ


    村にはびこる邪悪な存在の活動を描きながら、その実体を最後までは暴かない。

    それは感染した者を知らぬ間に蝕んでいく病原菌のように小さな村の中にじわじわと手を広げていくのだ

    が、このあたりはラース・フォン・トリアーを連想させる。


                 Piattの私的映画生活

    村人たちが取り繕い、隠し通してきた真実が、今まさに明らかになろうという時、それはより大きな「戦争」と

    いう暴力によってかき消されてしまう。

    村で起きている些細な出来事が、まるで戦争を呼び込んだかのように見えるのが面白い。

    もちろん両者にはまったく何の関係もない(はず)なのだが、人は別々に起きた無関係な出来事を結びつ

    けて、そこに何かしらの関係性を求めてしまうものだ。


                 Piattの私的映画生活

    ラストシーン、教会に一堂に会する村の住人たち。

    権力者も被支配階級の人々もみな同じ地に立っているが、子供たちは彼らのはるか上、まるで天上に

    いるかのように清らかな歌声を響かせる、その不穏さ。

    大人たちは「世界は壊れない」と豪語するが、無邪気な天使たちは、

    やがて本当に世界を壊してしまうのだ。


                 Piattの私的映画生活

    物語の背景にあるナチス云々はあくまでも象徴であって、本来の狙いは、人類共通の社会悪の起源を

    描くことにあったのではないだろうか。

    村八分、子供の失踪、虐待、子供たちのいじめ、奇形の私生児、身内の不審死、放火…

    新聞の三面記事を騒がす一歩手前のような陰惨な話ばかりだが、よく考えると今も世界のどこかで現在

    進行中のような事件と重なるのが不気味だ。



                 Piattの私的映画生活

     「白いリボン」について 

    ある村の少年合唱団についての話。

    その合唱団では父親の規範が絶対視され、それによって両親を、子どもには厳しく、自分たちには甘い

    裁きをする人間に変えてしまう習があった。

    その教育の一環として、不道徳な振る舞いを注意するだけでなく、他人の前でさらし者にするために、

    子どもに「白いリボン」を結びつけるようにという親たちへの助言があったようだ。

    いわば、身体的な罰の代わりだった。

    子供たちは親からも世間からも罰を与えられるという、心身共に屈辱を受けることになる。

                  Piattの私的映画生活

    ある思想が主義(ideologyイデオロギー)へと変異するときはいつも、そのイデオロギーは生活がうまく

    いっていない人々によって支持される。

    これは、テロリズムに関するすべての形式の基本モデルでもある。

    つまり同じテーマで、この映画をイスラムや現代のどこかの国でも製作できてしまうということだ。


    そして蝋燭やランプのほのかな明かりに反応する完璧なモノクロの映像。

    当時の技術ではありえなかったはず。

    それはカラーに処理すれば、いつでも現代に置き換えることができるということだ。


                  Piattの私的映画生活

    鮮明な映像で、曖昧なストーリーを手探りのままで読む。

    それこそ、ハネケ監督がいつも観客に要求する常套手段なのだ。

    「さぁ、これがわたしの原理だ。この物語をどう思う?」


    わたし達は、いきなり閉ざされた空間に放り出され、未解決の疑問を 狼狽して観続けるのだ。

    何度も、何年もかけて。


                   Piattの私的映画生活
 

    「白いリボン」(2009)国際タイトル「The White Ribbon」

    原題「Das weisse Band ~Eine deutsche Kindergeschichte~(或るドイツでの子供の歴史という意味)」



    監督:脚本 ミヒャエル・ハネケ

    撮影:クリスティアン・ベルガー 


    出演 クリスティアン・フリーデル(教師)

        ブルクハルト・クラウスナー(牧師)「ベルリン、僕らの革命('04)」ライナー・ボック(医者)

        ズザンネ・ロター(ル) (助産婦)※ウルリッヒ・ミューエの妻(未亡人)

         当初、ハネケ監督はウルリッヒ・ミューエ(「善き人のためのソナタ '06」、ファニーゲーム('97)、

         カフカの「城」('97)ハネケ2作品に出演したが、2007年7月惜しくも死去した。)を大変買っていて、

         この作品にも出てほしいと思っていたが実現しなかった。

         キャストを見ると、いかにハネケ監督が彼の死を惜しんでいたのかが分かる。

        ウルリッヒ・トゥクール(男爵)「セラフィーヌの庭(美術蒐集家ウーデ)'08」「善き人のためのソナタ

         ('06 )」

        ドイツの子供たち ほか


    制作 ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア(欧州連合だね…)

    144分 日本公開 2010年12月4日 

    銀座テアトルシネマ他全国順次公開 


    受賞歴 2009年カンヌ映画祭 パルムドール受賞    

         2009年ヨーロッパ映画賞    

         2010年アカデミー賞 外国語映画賞ノミネート ほか



    ※ 寝不足の方、かなり疲労している方、健康に優れない方または途中、思考停止してしまった方は、

       睡魔に要注意です。


    ※「ファニーゲーム」で、何なんだよ、これ!と不快感を持った方も要注意です。



           ファニーゲーム [DVD]/スザンヌ・ローター,ウルリヒ・ミューエ,アルノ・フリッシェ

                        ←かなり後味が悪いので、鑑賞にはご注意下さい
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                善き人のためのソナタ [DVD]/ウルリッヒ・ミューエ

                        ←こちらはとてもお薦めです。
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