潜入、熊本城本丸御殿 〜熊本県熊本市〜 | 旅するカメラ

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今年4月に完成して一般公開が始まった熊本城本丸御殿。
その公開初日に訪れてみたのだが御殿内部は写真撮影禁止とのことだった。
その為その日は外から眺めただけで内部へは入らず帰ったのだった。

あれから4ヶ月。
当初の人出も一段落し、誘導する係員も慣れて来たと言う理由で
要望が多く寄せられていた本丸御殿内部の写真撮影の許可が遂に降りたのだ。
こんな日がやって来ると思っていたのだ。
と言う訳で退院したばかりのニコン君を連れて熊本城の本丸御殿へレッツゴー♪


いつもは天守閣横のスロープを通るのだが、今回は新しく出来た「「闇り通路(くらがりつうろ)」と呼ばれる
地下通路を通り本丸へ。

熊本城本丸御殿

熊本城本丸御殿


「抜け道」や「隠し通路」ではないかと言う声もあるようだが、どうやら増築過程で偶然に出来たものらしい。
当時はこの「闇り通路」が本丸御殿への玄関であった。
通路の途中に階段があり、本丸御殿へと入る事が出来るのだ。
残念ながら今は階段は途中までしか復元されておらず、御殿への入り口も閉ざされている。

そのまま通路を進むと本丸に出る。
今は本丸にある正面玄関から御殿内部へ入るのだ。

熊本城本丸御殿



一応念の為に係の人に「御殿内部は写真を撮っても良いのですか?」と確認してみた所、
「一番奥にある『昭君之間』はフラッシュ撮影は禁止されていますがその他は大丈夫です。」との返事。
よし、一安心。
(注意:一部資料は撮影禁止。)

内部は熊本城の歴史に付いて説明した資料館となっている。
その奥には吹き抜けの「大御台所(囲炉裏の間)」。所謂「台所」である。
煙を逃がす為に高い吹き抜けになっているのだ。

熊本城本丸御殿



そしてその先に「闇り通路」から登る階段がある広間へと続く。
ここは「鶴之間」と呼ばれる部屋でその先に続く「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」へと
大広間が広がっている。ここは対面所として使われた場所で、加藤清正はここで臣下と対面したそうだ。

熊本城本丸御殿



部屋の横は広い縁側となっており、吹き抜ける風が心地よい。
熊本城本丸御殿


一番奥にある「若松之間」の先はフラッシュ撮影禁止となっている。
私はあまりフラッシュを使わないので(外付けのスピードライトを持ってないし。)関係ないけどね。
フラッシュが当たると金箔が剥げるから駄目らしい。
中には設定を変えていないのか、はたまたカメラの機能があまり分かっていなくて
シーン別おまかせ撮影モードのままで撮った為にフラッシュを焚いている人も数名。。
こんな事が続くとそのうちまた写真撮影禁止になっちゃうかもしれないや。
今が撮り時なのかも。。

この先は思ったよりも通路が狭いため三脚は無理だと思う。
まだ午前中の早い時間だったから人が少なかったけれど、人が多くなって来たら絶対無理。
明るいレンズかISOを上げて撮影しないと、いくら金箔で明るいとは言え室内なのでブレるかな。
(ISO400でもそこそこブレたw)
うーむ、明るい広角レンズが必要だ・・・・。


これが御殿の最も奥に作られた『昭君之間(しょうくんのま)』と呼ばれる所。
熊本城本丸御殿


部屋の名前は壁に描かれた中国の4大美人のうちの一人である王昭君から来ているとされているが、
実は「将軍之間(しょうぐんのま)」の隠語であり加藤清正が豊臣秀頼をかくまうために造ったという伝説も。
熊本城のあまりにも堅城さからもあながち嘘ではないかも。
加藤清正は本気でここに豊臣秀頼を招いて徳川家に対抗する気だったかもしれない。
本当は違って、ただの夢物語なのかもしれないが『そうであって欲しい』と思わせる「何か」が
ここ熊本城本丸御殿にあるのである。

また、この「昭君之間」には「隠し通路」の噂もあるらしい。

係のお姉さんに「奥の赤いフサが付いた扉の向こうはやっぱり誰かが控えていたりしたんですか?」と質問してみたところ、
お姉さんがちょっと嬉しそうに答えてくれた。
「そうです。いざと言う時はあの扉が開いて控えている家来が出て来るんですよ。また、万が一の際の抜け穴があったとも言われています。もっとも、 これは城の防衛上の最機密事項なので文献等には一切残っていません。全ては言い伝えです。城を作った大工さん達はその機密事項を知ってしまった為に殺されたとも伝えられています。」と説明してくれた。
そっかー、そうだろうなー。
記録には残せないものが本当の史実なんだなーって妙に関心してしまったりして。


また、係のお姉さんのお勧めポイントが「透かし欄間」。
部屋の中の灯りが漏れて壁に奇麗な模様を造るのだと。
これも本丸御殿の復元にあたって職人さんが手作りしたものだそう。

「復興だから・・・。」とあなどってはいけない。
こうした復興、再建が無ければ職人さん達の技術が継承されないのだから。
想像だけで造る展望台と化した天守閣とは違って意味があるのではないだろうか?
こんな技術の継承と言う名の復興ならどんどん行って欲しいかも。