一豊と龍馬 〜高知県高知市・高知城&桂浜〜 | 旅するカメラ

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先日の『篤姫』の最後に土佐の桂浜にある坂本龍馬の銅像が紹介されていたので
今年初めに訪れた土佐を思い出してみた。




初めは岡山から瀬戸大橋を渡って香川県へ入り、そのまま宿泊地であった伊予松山を目指そうと思っていたのだが、
途中の高速道路で『太平洋まであと100キロ!』という標識を見つけてしまい急遽高知県へ寄り道することに。
四国山地を抜けて高知へ入ると・・・そこは本当に「南国」だった。

さっそく「巧妙が辻」で有名になった山内一豊の高知城を目指す。
高知城下の表通りを歩いて行くと・・・天守が見えて来た。
日本に現存する天守は12残っているが、高知城はその一つ。
貴重な木造の城である。


で、早速追手門前で写真を撮ろうとしている所をガイドのオジサンに捕まった。
「写真を撮るなら向こうから写した方がいい。プロのカメラマン達もみんな向こうから撮るから。」と。
色々アングルを変えて撮りたかったのだが、ここはオジサンのお勧めポイントから撮る。

高知城

なるほどよく城の本などで見るアングルだ。
日本の城郭で天守と追手門が現存するのは香川の丸亀城と青森県の弘前城とこの高知城だけだそうで
高知城はその中でも追手門から天守を見上げる事ができる唯一の城なのだ。
だから高知城と言えばこのアングルが多いのである。

が、この旅に於いて私は一つ間違いを犯していた。
それはカメラのレンズの選択だ。
少し前に購入した単焦点レンズがお気に入りだった時期だったのでそれをつけて来てしまったのだが、
画角が狭い(デジタル換算で約75mm)為に広大な城がファインダーに収まりきれないのであるw
ああ、私のバカ・・・と、嘆きながらもなんとか追手門と天守を入れたアングルを追い求めた。
城の写真を撮るならやはり広角レンズが必要だと実感した時だった。
(ちなみに、その前の日に訪れた岡山城 も実は全部単焦点レンズで苦労したのであった。)



追手門をくぐり中へと進んで行くと、大河ドラマで城主である山内一豊よりも有名になってしまった感のある
妻、千代と愛馬の銅像が。
この時は急遽高知城を目指したものだから山内一豊の銅像がどこにあるのか分からなかった。
どちらかというと妻である千代の方がいいポジションをキープしているように見える。
(一豊の銅像は追手門広場にあったらしい。しかもなかなか立派だとか。しまった、見逃した・・・)

私が訪れた時は三の丸の石垣の修復工事中で、
石垣達がクレーンで積み上げられている途中だった。

高知城



新しい石垣を抜けて三の丸の鉄門跡付近へ近づくと・・・苔むしたなんとも趣のある石垣に遭遇。
野面積みの石垣は一見粗雑に見えるが実は最も強度がある石垣の組み方らしい。
想像以上の立派な石垣に圧倒される。

高知城



で、そのまま天守へ向かわずにぐるりと石垣の周りを回って二の丸へと進み、
廊下橋を渡り詰門をくぐり本丸へ。

さすが12古城の一つ。
木のお城はやはりいい。
歴史の資料等がなにも無くても十分すぎるほど堪能できる。
手に当たる木の感触がなんとも心地よい。

高知城

隙間から見える鯱も風格がある。

高知城 鯱

ああ、やっぱり観光客集めの模擬天守と違っていいわー!
木のお城万歳♪

と、九州にはひとつも残っていない現存天守を堪能。
四国には他にも丸亀城、伊予松山城、宇和島城と4つも現存天守がある正にお城天国なのである。




と、ここで次の目的地へ移動。
先ほど追手門前で捕まったガイドのオジサンから「桂浜へ行った方がいい。」とお勧めされたからである。
高知城から車で約20分程走ると台風中継でお馴染みの桂浜へ到着した。
ここは土佐の観光スポットなので駐車場は車で一杯だった。
どこかしら昭和の匂いを感じるお土産物屋さんの中に、土佐犬の闘犬センターなるものがあり土佐へ来たんだと実感する。
わんこ同士が戦って血みどろになって倒れている写真を見ると、実際の闘犬を見る事が出来なくなってしまった。
ウチにもわんこがいるから・・・

で、外につながれている土佐犬を遠くから眺める。
すごい迫力である。
これに噛まれたら命に関わるわ・・・。

闘犬センター 土佐犬



そしてその土佐闘犬センターの横をすり抜けて進んで行くと・・・
『坂本龍馬』の銅像が太平洋を見つめながら建っていた。

龍馬像

龍馬が見つめる太平洋。

太平洋


この広い海の向こうに何を見ていたんだろうか・・・。
この人がいなかったら薩長同盟もなかっただろう。
自分の事だけを考えるのではなく、日本国の事を考えて行動したからこそ出来得た偉業だと思う。

先ほど訪れた山内一豊が掛川から転封して来て、もともと土佐に拠点を置いていた長宗我部は家を取り潰された。
いわば薩摩や長州と同じ関ヶ原の負け組。
なのにどうしてこうも幕末に於いては爽やかさが違うんだろう・・・。
ずっとその事が不思議だったのだが、この場所に立ち、この海を見ているとなんとなく分かった様な気がした。

そんな場所である。