擁護はしないが批判はする!

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既に見た方も多いのかもしれないが、「頑固親爺の徒然手記(難問解決への道標) いじめ問題の論点は? 」に対する雑記。先に宣言しておくが、今回はリンク先の本文のみに対する批判を書きたい。話がややこしくなるので、誰が書いたとか、余計な情報は知らない前提で書く。


まず言わせていただきたいが、本質の理解からして間違っているだろう。

この問題の本質は、学校における「いじめ」である。

冗談ではない。残念ながら「いじめ」は今の日本のどこにでもあるありふれた現象だ。実際、いじめによる自殺者だって、今までに何人も出ている。しかし、今回ほど大きな騒ぎになったことは記憶にない。


今回の事件の本質は、学校がいじめを隠蔽しようとしていることに他ならない。それ抜きではこの事件は語れない。

いじめを把握できなかった学校の責任

だが、報道を信じる限り、学校はいじめを把握している。教諭がいじめに加担していたのではないかと疑わせるような報道もあるのだ。学校の責任は、いじめを把握できなかったことではなく、いじめを把握しようとしなかったことではないか。


さらには、それを容認し、それを隠そうとしたところにあるのではないか。


さらに大きな問題がある。いじめた側の責任だ。驚くべきことに、このブログの記事にはいじめた側に責任があることについて一言も指摘していない。むしろ、いじめた側には責任がないとでも考えているようにも読める。擁護しないと書いてあるにも関わらず、いじめる側を擁護しているとしか読めない不思議な主張になっているのだ。

思春期にあける子供教育は、マスコミは学校の責任であるという論調であるが

冗談じゃない。どこにそんな論調があるのか。昔も今も、子供の教育の責任の殆どは親にある。むしろ、学校に責任を押し付けすぎるモンスターペアレントをマスコミは問題にしていないだろうか。


今回マスコミが問題にしているのは、いじめがあったことよりむしろ、いじめがあったという事実を学校が隠蔽しようとしていることなのだ。そこは誤解してはいけない。


しかも、なぜか分からないが、学校は特にいじめた側を隠蔽しようとしているのだ。


報道によく出てくる話題なので皆さんもご存知だと思うが、自殺した生徒は「自殺の練習」を強要させられていたという。アンケートで複数の回答があったそうだ。


そこまで調べたのなら、次にやることは誰が考えても明白だ。いじめの加害者に、そのような事実があったのか確認することだろう。


しかし、昨日の報道では、学校側はまだ加害者と思われる少年にそれを確認していないというのである。あまりにも不自然ではないか?


このように、不自然な対応があちらこちらに多数見られるのが、今回マスコミが飛びついている原因だ。その本質を見落としてはならない。

そのすべてを学校関係者に責任転嫁されては、教職員はたまらない。

必要最低限の常識的な調査さえしていれば、誰も学校を責めたりはしないのである。学校関係者が責められているのは、前述のような加害少年への確認すらしていない不可思議な対応をしているからだ。

さて、いじめが原因?かどうかは、死者に口がないから真実はわからないが

自殺の原因なんて、遺書があろうが死者が生き返ろうが真実は分からない。本人が嘘をついていないことを誰が保証できるんだ?


だから、できるのは、事実を元に第三者が客観的に考えて、自殺の原因として最も合理的な説明は何か、それを結論とすることだけである。


そして、誰がどう見ても今回の自殺の原因として最も合理的な理由は「いじめられたから」しかないだろう。前日に加害少年に明日死ぬという電話をかけているという報道もあったが、もしそれが事実なら、それだけで理由を確定してもいいところだ。いや、本人が真実を語っているとは限らないか…。


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