ネットで積極的に書いている人なら、罵倒されてヘコんだ経験のある人も結構いるだろう。批判慣れしていない人は、単なる間違いの指摘でさえ、心に深刻な傷を負ったりするかもしれない。批判的なことを書かれたブログが簡単に閉鎖・消滅するのを見たことのある人もいるだろう。

もちろん、それは批判される側の問題でもある。ネットはそのような人が出てきて無傷でいられる所ではないのだ。ネットが末端の個人と個人が直接コミュニケーションする場であるかぎり、そこはある意味、激しい戦場なのである。戦場だから、敗れ去る人ばかりではない。吸収力のいい人は、批判は糧として自己成長の材料として使う。誹謗中傷でさえ、その裏には何かがあるという事実を重く見る。そのような活用手法に慣れると、ネットをさらに使い込んで自らをレベルアップすることもできる。

ところで、この映画の批評は、中傷などという低いレベルのものではない。掲示板に書かれていることを、実際に見ていただきたい。例えばYahoo!映画 - あなたを忘れない - 作品ユーザーレビュー という掲示板には、700件以上のユーザーレビューが公開されている。私もいくつか見たが、個人的には、ちゃんと筋道の通ったものが圧倒的に多いように感じたのだ。

この映画の監督は「国境に関係なく、人として行動することの大切さを訴えたかった」と主張しているそうだ。それなのに、なぜ掲示板では、韓国が善で日本が悪という前提で描かれた一方的な映画であるとか、事実とは異なる脚色が許せないとか、そのような投稿がこれだけ圧倒的多数集まるのか考えてみてください。情報操作? 組織票? そのような気配があるかどうかは、見て判断してほしい。

レビューをいくつか読めば、この映画を、「日本を批判している」という理由で反発しているというよりも、事実を元にしたように見せかけた映画の内容が、殆ど事実に基づいていない捏造だ、という所に憤慨していることが分かる。事実とは全く違っているフィクション・創作なのに、実際にあった現実のことを伝えているかのように見せかけている、というのだ。一言蛇足しておくなら、それが日本を差別している内容だ、というのがこの盛り上がりの主因だと思うのだが。

一つ具体的に紹介しておこう。新大久保駅で実際に起きた事故では、日本人も線路に下りて助けようとして犠牲になった。この映画にはそのことが描かれていない。これは流石にまずいと思ったのだろうか、公式サイトには、それを描かなかった理由説明したページがある。しかし、映画を見る人には、そのような場所に文章があるということなど知らないだろう。この事故を知らない人だったら、日本人は他人を助けようとしないという、誤った先入観を植え込まれるかもしれない。

人を傷つけるのはネットだけではない。むしろ、映画作品というのは、その露出度を考えれば、それ以上に多数の視聴者を一撃で傷つけることもあるし、影響力も桁違いに大きく、持続性がある。このようなネットの反応は、その単純な事実への危機感が現象として現れたのではないか。

Yahoo!映画の掲示板による評価は、700件以上のレビューによる総合評価が、5点満点で 1.6 点だ。ちなみに、評価は最低でも1点なので、この点数は、最低点を付けている人がかなり多いということを意味している。これは異様に低い評価である。

(ちなみに、レビューの数が多くてかつ点数が低かったものとしては、「ゲド戦記」が記憶に新しいのだが、そのゲド戦記でさえ、総合評価は 2.37 点なのである(2月20日現在)。)

しかもイメージワードのトップ3は、「絶望的」「不気味」「恐怖」である(2月20日現在)ホラー映画ならともかく、人として行動することの大切さを訴えたいという趣旨の映画のレビューが、なぜこうなってしまうのだろうか?ここにこの映画の本質があるような気がする。

ネットは全然怖いものではない。怖いのは人間そのものの方だ。ネットがなければ、多くの人が本当は何を考えているのかなんて分からないというだけの話だ。気付く機会もなく、最後まで人生を全うすれば、確かに傷つくこともないだろうし、それも一つの生き方である。

特に、映画監督という職業には、大衆の声を反映させたり、世評を考えて次の作品をどうこうしたり、というような義務はないと思うし、むしろ、世間とは隔離されたところで、黙々と自ら信じるものを作った方がいいのかもしれない。わざわざネットを見たりするから話がややこしくなる。真実を知りたくなければ、ネットは使わない方がいい。