コメントが著作物であるなら、著作権はまずコメントを書いた人に発生するはず。ではなぜ、コメントの著作権をわざわざブログの作者に帰属させなければならないか。SNSとは違って、ブログのコメントには大きな落とし穴がある。ブログの場合、コメントを誰が書いたのかを特定することが、非常に難しいのだ。

例えば Ameba Blog にコメントする場合には、名前とURLを書くことになっている。多分、書かなくても構わない。書かないと登録できないシステムもあるかもしれないが、デタラメを書けば同じことだ。この種の情報がない場合は、誰が書いたのか判定困難だ、というのは分かると思う。

では、これらの情報が書いてあったらどうだろうか。他のブログだと、さらにメールアドレスを書く欄がある場合もある。流石にメールアドレスのような個人情報まで書いたら個人は特定できるのでは?

と誤解している人がいるのではないか。確かに、確実とはいえなくとも、個人が特定できる可能性は高まる。しかし、それらの情報から個人が特定できても、それはコメントを書いた人を特定したことにはならないのである。

例えば誰かが、名前を「フィンローダ」、URLを「phinloda.ameblo.jp」と指定してコメントを書いたら、それは私の著作物になるのか? ならないとすれば、一体それは誰の著作物なのか? そのことをどうやって証明できるのか?

考えて欲しいのは、そういうことだ。名前やURLは、書き手が誰かを想像するには十分な情報だが、それを書いたのがまさに本人であることを全く保証していない。これらの文字列は、誰でも好き勝手に指定できるため、個人情報であると同時に、その個人の行為であることを証明できないという、不可思議な情報という立場を超えることができないのだ。

もちろん、大抵の場合、コメントはこれらの情報に対応した本人が書いている訳で、内容も問題なければ全然問題ないのである。問題になるのは、このコメントが元で犯罪事件に発展したり、損害賠償の訴訟になってしまうような場合だ。その場合、コメントの責任は誰が負うことになるのか?

(つづく)
AD
再び著作権の話に戻る。まず、livedoor blog の利用規約を再度引用させていただく。

利用者が著作したウェブログとそれに付随するコメント及びトラックバックは当該ウェブログを著作した利用者に著作権が発生するものとします。

これに反発する意見がいくつかあった。要するに、コメントを書いた人の著作権はどうなるのだ、ということだ。私も、このシリーズの初回、そういうルールのブログにはコメントを付けないと書いた。

なお、コメントの文章が著作物かという話には今回は触れない。著作物であるという前提で話を進める。

もちろん、コメントだろうが何だろうが、基本的に著作権は著作者に発生するに決まっている。著作権法でそう決まっているから、しょうがない。しかし、著作権は譲渡できる。だから、コメントを書いた人に著作権が発生したとしても、もし「コメントの著作権はブログの作者に帰属する」というような約束事があれば、その約束は有効になるだろう。

この場合、著作権はまず著作者に発生し、すぐにブログの作者に譲渡されたことになる。ただ、そういう規約にするのなら、普通は「発生する」ではなく「帰属する」と表現するものだが。実際に、著作権が著作者以外の第三者に帰属する例は、いくらでもある。例えば、雑誌の読者コーナーに応募したネタとか。

ここで問題になるのは、そのコメントを改変していいか、ということである。copyright という言葉からも想像できるが、著作権とは基本的にコピーする権利だと覚えておくとよい。コピーと改変は全く別の話なのだ。著作権法第二十条に、次のように書いてある。

著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

この権利は同一性保持権と呼ばれている。同一性保持権は、著作権ではなく、著作者人格権という別の権利に含まれている。つまり、著作権が譲渡されたとしても、自分が著作者でない限り、勝手に改変することはできない

ということは、コメントの著作権がブログの作者に譲渡されたとしても、それを勝手に改変することはできないのである。切除もダメである。なお、ここで「切除」というのは、コメントの文章の一部をカットすることを意味する。全文を削除するのは切除には該当しない。全部なくなってしまったら、結果的に著作物を使っていないことになるから、もはや著作権法の出る幕ではないのだ。

livedoor blog の利用規約は、そう考えると実に微妙である。「著作権が発生するものとします」という表現は、「著作者とみなします」と解釈することも可能なのである。前述のように、著作権は著作者に発生するに決まっているからだ。

もしブログの作者がコメントの著作者でもあれば、ブログの作者がコメントの内容を自由に変更していいことになる。ただ、私見としては、コメントを著作したのはコメントを書いた人だ、という主張の方が筋が通っているような気がする。

私はCマガジンという雑誌に「フィンローダのあっぱれご意見番」という連載コラムを書いている。だから、このブログは「裏ご意見番」という名前なのだが、それはまあおいといて、このコラムの内容は、@niftyのプログラマーズフォーラムにも少し遅れて掲載している。(ただ、申し訳ないが、@niftyの会員でないとフォーラムに掲載されている内容を見ることはできない。)

Cマガジンの記事とフォーラムの記事を比較してもらえば、細かい内容がかなり違っていることが分かるだろう。Cマガジンは編集の人が細かい表現を変更しているのだ。雑誌などの出版物では、全体としての表現を統一するために、ルールが決まっていたり、あるいはページ数の都合でカットする必要があったり、ということで、原稿がそのまま使えることは少ないのだ。そこで、編集部の出番となるのだが、もちろんこれは、著作者が了承しているから行えるのであって、無断で変更している訳ではない。

ちなみに、この連載の場合、私としては変更を了承というより、好きなように変えてくれという状況に近い。というのは、その気があれば、フォーラムとか自分のサイトとか、自分の書いたままの状態で公開することはいつでも可能だし、実際そうしている訳で、つまり、簡単にインターネットで情報発信できる現在においては、細かい表現に固執する必要がないからだ。

(つづく)
AD
Ameba Blog の利用規約の第5条の1.を見ると、このように書いてある。

1. 弊社は、個人情報を含む登録情報について、次の各号の場合を除き、本人以外の第三者に開示しないものとし、かつ本サービスを提供していく上で必要な範囲を超えて利用しないものとします。

この条文は「弊社は」で始まっているが、この段階で対象を「会員」と限定していないように見える。ということで、前回そのように書いてしまったのだが、よく考えてみると、この利用規約では、「登録情報」という言葉を第1条で定義している。Ameba Blog の利用規約においては、それは

会員登録や本サービスの提供を受ける目的で、会員が弊社に提供した一切の情報。

を意味する。つまり、“登録情報”とは会員が提供した情報のことであって、非会員が提供したいかなる情報も“登録情報”ではないのだ。従って、第5条の各号はすべて、非会員には適用することができない。実は前回書いた時点ではそのことを見落としていた。すみません。

ということで、もう一度全条文を読み直してみたけど、会員でない人がコメントを書いた場合に適用されるような条文は一つも見当たらない。ということは、会員でない限り、どんな状況で「投稿する」ボタンを押しても、利用規約に違反することはないという結論になる。だったら何のためにこのボタンの前に「利用規約に同意し」というような文章があるのか分からない。

仕方ないので余談で話題を逸らせておくが、この条文、第5条の2に、

弊社は、個人情報について、弊社のプライバシーポリシーに基づき、取り扱うものとします。

と書いてある。この中の「プライバシーポリシー」とは何か。Webページで見ると、リンクが張ってあるので、クリックすればその詳細が分かるという仕組みになっている。

このように、クリックして該当ページに飛ぶというのはハイパーテキストの特長だが、利用規約のような文章を書くときには、そのリンク先を参照しないで全体を完全に理解できることが望ましい。もちろん、今回のページはそうなっているので問題ないと思われる。

というのは実は余談の余談で、本当の余談は何なのかというと、このリンクをクリックすると現在「404 Not Found」と表示される(11月26日現在)訳ですが、まさかそれがプライバシーポリシーとは思えないので何かの間違いではないのでしょうか、みたいな。というか、リンク先、privacy.html じゃなくて privacy.php なのでは?

サイト内のリンク切れの確認程度の処理であれば、かなり簡単に自動化できるはずなので、サイトの更新時に自動的にチェックするようにしておいた方がいいと思う。

(つづく)
AD
Ameba Blog にコメントを書くときには、最後に「投稿する」というボタンを押す。このボタンを押さなければ、コメントは登録されない。

ところで、このボタンの直前に「利用規約に同意して」と書いてあることに気づいていましたか?

気付かずにボタンを押す人もいる。不注意かもしれないが、利用規約に同意する必要に気付かずにボタンを押す可能性はある。かといって、毎回「同意しますか」というメッセージを表示して確認させるのもユーザーインターフェースとしては面白くない。利用者には面倒なだけだし、そのようなメッセージが表示されたら無意識のうちに「はい」を押す人が多いはずだし。

というか、投稿前に「利用規約に同意する」という意味を考えた人はいるのだろうか? 特にこれは、非会員の皆さんにお尋ねしたい。

一般に、利用規約というのは、会員とサービス提供者における契約条件である。会員は、利用規約に同意し、ある種の個人情報や、場合によっては料金と引き換えに、サービスを利用できることになっている。

しかし、コメントやトラックバックは、会員がするとは限らない。投稿ボタンの直前にわざわざ「利用規約に同意して」と表示されているのは、非会員にも利用規約を守らせる目的があるのだろう。しかし、利用規約は非会員にとっても効力があるのだろうか?

Ameba Blog の利用規約を読めば、その殆どが、サービスの提供側である株式会社サイバーエージェントと会員間に関する約束だ。例えば「会員は何々しろ」という条文があったとする。非会員がコメントを書く場合、この規約は無視して構わない。というか、非会員は会員でないから、その「何々」をしなくても、「会員は何々しろ」という利用規約に違反したことにはならないはずだ。

しかし、Ameba Blog の利用規約の一部には、対象を会員に限定していないと解釈することが可能な条文もある。

(つづく)
Ameba Blog のヘンな条文は最初に紹介した通りだが、他のプロバイダが提供しているいわゆるホームページ系のサービスでも、著作権に関する扱いは奇妙な条文があることが多い。

livedoor blog が規約を変更して著作権の扱いを変えるというので、大騒ぎになっている。というか、もうそろそろ落ち着いたかもしれない。傍観していると、どうもライブドア側が著作権のことをまじめに理解しようとしていないような気がする。まさか素人が規約を作っている訳はないと思うが、どうも妙な流れになっているのだ。

ライブドアの失敗は、11月12日に規約を修正したときに、ライブドア社に対してブログ利用者が著作権を行使しないという条件を追加したことから始まる。だったら他のブログに行く、という人が続出した訳だ。

これはまずいと思ったのか、さらに16日にこの規約が修正された。こうなったのだ。

利用者が著作したウェブログとそれに付随するコメント及びトラックバックは当該ウェブログを著作した利用者に著作権が発生するものとします。宣伝、利用促進、出版等を目的としウェブログサービスの著作物を使用する場合、利用者は弊社に対し、当該著作物を著作権法の規定に基づき無償利用することを期間無制限で非独占的に許諾し、かつ弊社及び弊社の指定する者に対し著作者人格権を行使しないものとします。

そしてさらに「他に行く」という人が続出した罠。さて、どこがまずいか?

実は私は livedoor blog には連載小説を書こうと思っているのだが、この条文を文字通り解釈すると、ライブドア社はその内容を勝手に好きなように修正して、しかも作者を「ライブドア著」と表示して私に一銭も払わずに出版してもいいことになる

もっとも本当にそんなことがあったら、公序良俗に反する契約は無効ということで損害賠償を請求できそうな気がするが、もしかすると「電車男」のような本を本気で勝手に出すつもりなのだろうか? 電車男に関しては、著作権の問題は解決していないような気がするのだが、今後の動きを注目しておきたいネタの一つだ。

ライブドアに関しては、先のプロ野球の件ではうまく宣伝したようだが、この件では、どうもヘタなことをしているような気がする。例えば、この条文の最後に「弊社はその場合、弊社規定の使用料を利用者に支払うものとします」とでも書いてあったら、印象はガラリと違ってくるのだ。もちろん「弊社規定の使用料」というのが罠なのだが。

冗談はさておき、トラックバックをいくつか見た感じでは、前述のような勝手に出版できることへの批判の他に、コメントの著作権が「当該ウェブログを著作した利用者」に発生する、という所を批判しているものが多い。コメントはそれを書いた人の著作物なのに、勝手に著作権を主張できるのか、というのだ。

ただ、「当該ウェブログを著作した利用者」というのが、ブログの開設者だけを指しているのか、あるいはコメントの場合はコメントした人を意味するのか、私にはよく分からなかった。

私は、ココログというブログに書いた内容を、後で注釈を付けたりして別のサイトで公開している。バックナンバーを見れば分かるように、転載している内容は本文のみだ。コメントやトラックバックは、それを書いた人に著作権が発生しているため、勝手にコピーしたら著作権法違反で訴えられてしまうのだ。

もしコメントの著作権がコメントを書いた人ではなく私にあれば、コメントごと記事を全部コピーして注釈を付けることができる。そういう点では、ライブドアの規約は、もしコメントを書く人の同意が得られているのなら、便利かもしれない。

ただ、私がそのコメントを書く立場なら、そんな規約には同意しないし、そもそも、そういうルールのブログにはコメントを付けないと思う。まず空に近い文章でトラックバックを付けて、その後で本文を書くような工夫をするかもしれない。本文を書いてからトラックバックしない理由は、その順序だと本文の一部を吸い取られてしまうからである。

(つづく)

前回書いたのは、インターネットを使って情報を送り手から受け手へ直接配信すれば、途中のコストが限りなく削減できるのではないか、というアイデアである。このアイデア自体は間違っていない。

この種のアイデアで問題になるのは、どうやって料金を回収するかだ。20円を徴収するために銀行振り込みを使ったりしたら、振込み手数料の方が高くなってしまって、トータルコストは200円どころではなくなってしまう。クレジットカードを使う場合も、手数料がどこかで加算されていて、同じような問題が発生する。

実はこのような小額を支払う仕組みは、マイクロペイメントと呼ばれている。料金回収の手数料の問題は、誰かが一括してとりまとめることで解決することができる。興味のある方は、マイクロペイメント、もしくは小額課金、というキーワードで検索すれば、解説しているサイトがたくさん見つかるはずだ。

THE BIG ISSUE の場合、考えなければならないことは他にもたくさんある。例えば、それを買うときにちょっと話をしたりとか、そういった機会が生まれるのだが、そういったコミュニケーションを重要視する人がいるかもしれない。逆に、インターネット販売にすることで、面と向かって直接対話できなくても、掲示板による新たなコミュニケーションの場が生まれる。

厳密にいえばインターネット販売とは直接関係ない話だが、今までの話は何だったのだということを一つ書いておくと、あくまで私見だが、あの雑誌がまるごと電子化されていて、検索、引用が簡単に出来るのなら、200円どころか 300円出しても構わないと思う。つまり、データとして検索できるとか、簡単に引用できるというのは、それだけでも物凄い価値なのだ。

そのためには、パソコンに保存した全ファイルを検索するような仕組みが必要になるのだが、次期OSになるとそのような機能が標準で付いてくるらしい。実はフリーソフトを使えば、そんな程度の機能は前世紀の頃から実現できているのだが、その話はまたの機会に。

まあ逆に、そんなのどうでもいいけど、ネットで200円って高いなぁ、という人もいるかもしれないし、そのあたりは微妙な話かもしれない。

最後に、もう一つ注文を付けておきたいことかがある。THE BIG ISSUE はホームレスの人たちを支援する、という名目だった筈だ。ところが、この雑誌をどう読んでも、なかなかホームレスの人たちの話は出てこないのである。そういう意味で、なぜかある意味ふつーの雑誌、なのだ。

もしこの雑誌に、毎回1ページでも2ページでもいいから「私はこうしてホームレスになった」というような独白記事があったら、毎回200円出してでも買っていたと思う。現実的には、そういうことが書ける人が少ないのかもしれないが、逆に、そういうことを知りたいという人は大勢いるのではないか。

誰でも情報発信できるようになった現代で、もちろん表現力も重要かもしれないが、もっと重要なのが内容そのものだ。インターネットは、書き手が一次情報を直接伝える場を提供し、その結果、メディアが慣習的に隠そうとしてきたリアルな世界を見ることが可能になった。そういう性質を活かせないというのは、もったいない話だと思うのである。

最近は自治体なども含めて、ホームレス支援のプロジェクトは増えつつあるようだが、インターネットをうまく使ったアイデアがどんどん出てきてほしいと思う。

先頭|(5)
インターネット化で激変が期待できる分野の一つが情報産業だ。ブロードバンド時代の今となっては、情報そのものを配布するコストは限りなく無料に近い。

インターネットで有料ページで公開すればどうか、あるいは有料ダウンロードにすればどうか。インターネットで情報そのものを直接発表すれば、印刷コストもいらないし、できた雑誌の運送コストもいらない。販売員の人件費も…あれれ?

となっては訳が分からなくなってしまう。THE BIG ISSUE はホームレスの人達が販売して手数料を受け取ることで成立するのだから、そこに工夫が必要になる。

キャンペーン中の缶コーヒーやペットボトルに、ネットとか携帯でプレゼントの応募をするためのIDシールが貼っているものがある。あのような感じで、キーワードを販売するというのはどうか。ただ、個人的には、そういう工夫はどうも気に入らない。労働を作るために、本来必要のない仕事をわざわざ作るというのは、あまりよいことではないと思うのだ。

そのような無駄を排除する最も単純な方法は、ホームページを持ってもらうことだ。そこからダウンロード販売とか、あるいは、アフェリエイトみたいな感じで扱うことにすればいい。仕組みとしては簡単で、既にある技術だけで実現可能だ。

しかしこれも実際にやろうとすると難問である。ホームレスの人たちのホームページというのは、現実的には殆どないだろう。私は見た記憶がない。住所不定だと、プロバイダに加入するのも難しいだろうし、そもそも、ホームレスなのにどうやってホームページを作るのだというか、回線確保するのだとか、パソコンはどうするとか、支払いが発生したとして、振込み口座はどうするとか、ややこしい話がいくらでもあるのだ。

1冊売っていくら、というようなシステムだと、インターネット喫茶で作業したら足が出てしまいそうだし、そもそも、個人が特定できないような状況でホームページを作ることができたら、悪用されたときの問題も考えておく必要がある。もっとも、ホームページを作成するスキルがあったら仕事がいくらでもあるのでは…というあたりで何かジレンマに陥りそうな気もするが。

(つづく)

先頭|(4)|(6)
ところで、誰も指摘しようとしないのは予期した通りなのだが、なぜこの話のテーマがインターネットなのか。実は今回書きたかったのはそのことだ。

ある雑誌が仮にある人にとって 20円の価値しかないというのは、それは逆に、20円の価値があるという事実でもある。つまり、それは 20円なら売れるのだ。しかし、現実的に、雑誌を20円で売れというのは無茶な話だ。モノを販売するには、製造原価以外のコストもかかるからである。

ペットボトルのお茶は、容量が少ないほど過激に割高になる。具体的な金額は分からないのだが、お茶そのものの製造原価に比べて、輸送費などの上乗せする流通コストが高いためらしい。

印刷物も同じで、インクや紙のような材料費に対して、固定費が無視できない。部数が少なくなればなるほど、コストは劇的に割高になる。コミケとか行けば分かるように、同人誌の世界、30ページで1000円なんて珍しくも何ともない。いや、実は行ったことはないのだけど、まあそれはおいといてだ。

だから、サンデー毎日とTHE BIG ISSUE をページ単価で比較したのは、その時点で無茶な話なのであり、むしろ、THE BIG ISSUE が200円で販売できるというのは、コストを考えるなら奇跡なのかもしれない。

もちろん、製造原価に比べて安いという事実と、買う人にとっての価値は別の話だ。とはいっても、部数が少ない雑誌が割高になるのは宿命ではないか、仕方ないではないか。そういう結論になってしまうのは避けられない。しかし、本当にそれを打開できるアイデアは何もないのか。

ここで登場すべきは、インターネットによる電子出版なのである。ほら、やっとテーマ通りの話になった。

つまり、ホームレスの人々を支援するのにインターネットは使えないか、という話をしたいのだ。いまや8割の世帯がインターネットを使っているという。インターネットは、インフラとしては既に趣味の領域からあって当然の地位に昇格しているのだ。

(つづく)

先頭|(3)|(5)
サンデー毎日は前回のような状況だとして、では、THE BIG ISSUE を「買おう」と判断するには、どのような変化が必要か。ページ単価で考えるなら、1冊50円ならあるいは、というあたりの水準になるのだが、50円でも買うかどうか、微妙である。逆に、200円のままでも、これが150ページあれば考えるかもしれない。

ココログの「裏の裏ページ」にこの雑誌のネタを書いたら、ふうてんの猫の猫耳東風的MBA生活というサイトからトラックバックしていただいた。トラックバック先の記事はビッグイシューである。

その方は、200円というのはゲームセンターで2回ゲームする程度だと考えるとすごく安い、という趣旨のことを書いている。確かにそう言われてみるとそんな気もする。ブログの場合、コメントするのは簡単なので、この雑誌を200円で買って、ゲーセンで2回ゲームしたとき以上に満足したか聞いてみたくなったのだが、やめた。考えてみれば、本人が安いと書いているのだから、そう思っているのは明白なのだ。それに、私も実際、THE BIG ISSUE を今回買っているのだが、そのこと自体には満足しているのである。つまり、200円の価値は十分にあったのだ。では、そのカラクリは一体何なのか?

「裏の裏ページ」の「Big Issue というホームレスの方々が街頭で販売している雑誌があるのだが」に書いたのは、まさにそのことだ。つまり、この本は「ホームレスを支援する」という名目があるから、200円払ってでも買おうという気になるのである。というか、なってしまう。それに、損した気分にもならない。少なくとも、私はそうなのだ。

つまり、私の場合、雑誌としては200円の価値があるとは思えないのに、この本を買うことには、200円の価値があるのである。もちろん、そうではないという人もいるだろうし、そういう人であれば、この本がホームレスとは何の関係もない普通の雑誌であっても買うのだろうが、少なくとも、私はそうではない。

だから「裏の裏ページ」に書いたような結論が出てくるのだ。そういう理由で買ってもいいのだろうか、と。そして、自分としては面白い雑誌とは思えないから買いたくないのだが、買わずに売っている人の前を通り過ぎるときに、いつも何となくうしろめたい気分になってしまうと。

(つづく)

先頭|(2)|(4)
雑誌のページが多ければいいというモノでもないだろ、という意見はある筈だ。もっともである。当たり前だが、コンテンツも重要なのである。だから、サンデー毎日を買って、実際に読んでみた。2004年11月28日号である。

前回、150ページと書いてしまったが、正確に数えたらグラビアページも含めて188ページだった。お詫びの上訂正させていただく。

今回のサンデー毎日には「センター利用入試主要私立大253校」という特集があって、各大学の募集人員や、本年度の入試の合格者、倍率が表になっている。この表だけで14ページもある。これは私には興味がない話なので、ということは、私としてはかなり外れの多い号ということになる。しかし、それを差し引いても、私の判定結果としては、THE BIG ISSUE よりもサンデー毎日の方が中身は濃かったと思う。

これも個人差とか趣味とか好みの問題が大きいはずで、一般論にはできないが、一つだけ蛇足しておきたい。私はサンデー毎日のクオリティが高いと言っているのではない。前回書いたように、私としては、一般週刊誌を 300円も出して買う気になれないのである。

もっとも、今回いろいろエッセイとか読んでみて、思ったよりは面白いと思った。鴨下信一氏の「人生のごほうび」で天然という語を美しい響きのコトバだと書いてあるのとか、いのちの本棚に「バカ日本地図」が紹介されているとか、松崎菊也氏の、日米オールスターも大相撲も義援金に回すという話にならないという話とか、流石はプロだなというか、視点に説得力があるというか、とにかく面白い。損した気にはならないが、でも、次買うかというと、やはり買わないのではないかと思う。

(つづく)

先頭|(3)