2015年08月21日

「時代が哲学を必要とし、哲学が実際に役立つようになるのは、少しもいいことではない」

テーマ:ブログ

大竹弘二+國分功一郎『統治新論──民主主義のマネジメント』(太田出版)「あとがき」より

 本書では、現代政治を巡る諸問題が思想と歴史の観点から論じられている。おかしなことを言うようだが、私はいま大竹さんとの議論を振り返りながら、そうした観点がどれほど有効であるのかを実感している。たとえば、行政と主権の関係、立憲主義の定義、法の制定と運用の問題などといったトピックは、近年の政治上の論点に直結するものであると同時に、思想と歴史の知識がなければなかなか理解が難しい、そうした難題でもある。おそらく我々はいま、思想と歴史の知識が直接に必要とされ、また直接に役に立つ、そのような政治状況を生きている。

 もちろん、「いつだってそうであったはずだ」と言われるかもしれない。おそらくそうなのだろう。だが、少なくとも私の肌感覚としてはこの20年で事態は大きく変化した。大竹さんと私がともに大学生として政治学を学んでいた1990年代中頃は、「政治思想や政治哲学などを勉強していったい何の役に立つのか?」という問いがまだ真剣に議論されていたように思う。つまり、それらは役に立たないように見えた。そして、そのように見えたのは、おそらく、実際にそうだったからである。私自身にしても、哲学に関心をもったのは、それが何かの役に立つと思えたからではない。単におもしろかったからである。

 ところが時代は変わってしまった。哲学は実際に役立つものになった。思えば、時代が哲学を必要とし、哲学が実際に役立つようになるのは、少しもいいことではない。なぜならそれは、哲学がなければとても太刀打ちできない難題に時代が直面していることを意味しているからである。本書において大竹さんと私は何度も17世紀に遡って議論したけれども、17世紀こそは近代哲学が創始された世紀であったと同時に、ヨーロッパ政治社会の危機の世紀であった。我々を取り巻く状況が、あの時代の混乱に相当するものかどうかは分からない。けれども、あの混乱の時代に必要とされた哲学が、いままさに必要とされていることは確かであると思われる。

 たとえば「立憲主義」という言葉が毎日のように新聞を賑わせていること自体が異常ではないのか。そんなものは憲法がある国なら当然視されていて然るべき考え方であって、立憲主義を守るという課題が生まれることそのものが、何らかの危機、あるいは不幸の存在を我々に告げている。そして、危機や不幸に対応するためには、まさしく大竹さんがまえがきで記しているように、ラディカルでなければならない。問題の「根っこ(ラディクス)」にまでさかのぼらなければならない。思想や歴史を学ぶこと、あるいは哲学を身につけることは、その実践である。

『統治新論──民主主義のマネジメント』太田出版サイト

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