2011年02月26日

立花隆に耳を傾けずに立花隆著『サル学の現在』を読む

テーマ:ブログ

まずタイトルについて説明。

俺は立花隆の本は結構好きです。

特に

『日本共産党の研究』とか

『中核対革マル』などは

政治や政治学、政治哲学に関心あるひとは

是非読むべきだと思っています。
日本共産党の研究(一) (講談社文庫)/立花 隆
¥730
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中核VS革マル(上) (講談社文庫)/立花 隆
¥520
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タイトルで書いたことは嘘ではありませんが、

タイトルをキャッチーにするために多少演出している

ということもご理解ください。


とはいえ、

今回紹介する『サル学の現在』という本は

著者に耳を傾けずに読む必要がある本であり、

名著です。


もう結構古い本なんですけど

なんでこれを今回書くことにしたかというと、

いま俺は素人ながらに

非線形科学や複雑系に関心をもってシコシコ勉強しているんですけど、

なんとなくつかめたイメージがあって、

それを伝えるには、

以前から授業で

この本を使って説明していたことを利用するのがよいと

思ったからなんです。



非線形科学とか複雑系と言うだけで

「ヒセンケー」とか「フクザツケー」とか

バカにする傾向もあるみたいで、

それは知らなかったんですけど

(そもそも全く関心がなかったので…

いや、

昔、柄谷行人が

「いまごろ複雑系とか言ってるヤツは

根が単純系」とか言ってて、

「ふうんそうなのか」

と流してしまったということもありました…)

なんというか、

ドゥルーズがいろんな言葉で言おうとしていたこと、

俺も俺なりに言おうとしていること、

そうしたことに並ぶ考えがそこにあるんだなということが

ちょっとずつ分かってきました。



俺は物理学者じゃないんで

これらを勉強していっても

そのまま使うことはありません。

引用もしないかも。

で、

俺がそこで受けたインスピレーションをどう使うかと言うと

こんな風に使うかも

というお話です。



これは多摩美術大学での「自然と言語」

の講義で何度かしたお話です。




立花隆『サル学の現在』は

主に

第一線で活躍する霊長類学者のインタビューからなっています。

興味深い話がいくつもでてきます。

ゴリラの同性愛とか子殺しとか。
サル学の現在 (上) (文春文庫)/立花 隆
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ここでは、第Ⅰ部第二章「セックスを回避する親和関係」

に注目しましょう。


そこで語られるのは、

「特異的近接関係peculiar-proximate relations」

頭文字をとってPPRと呼ばれる現象です。

これは何かというと

簡単に言えば、

男と女の友情です。


ニホンザルは、交尾期のあいだはオスはメスの尻を追いかけて暮らしますが、

交尾期を過ぎるとオスもメスも性的関心を失います。

だから

かつては

非交尾期のあいだはオスはオス、メスはメスの世界に

閉じこもっているものだと考えられていました。

しかし、

非交尾期の間に、

特定のオスとメスのあいだに親和的関係(友情)がうまれ

しかも、その親和的関係にあるオスとメスは、

次の交尾期にセックスを避けるという現象が発見されたそうなんです。


立花氏はこれに強い関心を示します。

しかし!

そもそもこれを発見した高畑由起夫氏(京大理学部助手)は、

この「発見」についてこんな風に言うのです。


高畑由起夫――「実をいうと、ぼくは今はもうあんまりPPRのことを語りたくはないんです。ちょっと方法的に特殊にやりすぎたという反省もあります。つまり、本当はもっと一般性のある現象を、非常に特殊なものにつくりあげてしまったのではないかという気がするんです。〔その「一般性のある現象とは、つまり〕オスとメスのあいだに見られる、いろいろな心理的ボンディング〔密接な結びつき〕ということですね。そこにはすごく親密な関係から疎遠な関係まで、連続的な濃淡があると思うんです。その一部だけを切り出してきて、これがPPRだといってしまったという気がするんですね。もっといろいろのニュアンスがある関係を、一部だけ特別なものとして切り出すというのではなく、一つの全体的な傾斜としてとらえられないかということなんです。」(七七~七八頁)
(以下、ページ数は、1991年発行の『サル学の現在』単行本)

どういうことでしょうか?

科学者はある現象を発見すると

そこにある法則を導き出し公式化して、

こういう法則に基づいた現象があると言い立てます。

高畑さんが言っているのは、

それはそうかもしれないけど、

一部だけを取り出して公式化しても

それはある部分を特別視しただけじゃないかということなんですね。



「すごく親密な関係から疎遠な関係まで、連続的な濃淡がある」

この言葉がすごくリアリティを持っています。

つまり、

公式を探しだそうとするのではなくて、

実際に生きられている諸関係を描写してみること。

言い換えれば、

この生物にはこういう公式がある

といって公式にそって分類する〝分類学〟ではなく

その生物の社会の中にある様々な現象を

そのままに描いていく〝生態学〟。

それが必要ではないかということです。



ところが立花さんはあまりこういう話に耳を傾けないんですね。

その傾向がもっとも強く表れているのはサルの子殺しのところです。

学者たちはもはや公式作りには関心をもっておらず

「連続的な濃淡」を描こうとしているのに

立花さんだけは自分で勉強してきた公式をもちだして

「こういう説〔=公式〕もありますよね」

とずっと言っているんです。




公式作りに没頭する科学が

初期値が与えられればその結果を予測できる

と考える線形的な考えであるとしたら、

生きられている社会や環境を描き出そうとする科学は

そもそも予測しようとしていないんだから

非線形的です。

生態学的な発想というのは非線形的です。


デカルトに比された時に見出されるスピノザの発想もそうです。

たとえばドゥルーズがスピノザの動物に対する見方を説明してこんなことを言っています。

競走馬と農耕馬は

分類学的な発想では同じ馬にされてしまう。

しかし農耕馬は競走馬よりもはるかに

畑で働く牛に近い。

これも生態学的発想です。

分類学的発想だと

馬の本能とか

馬の行動を規制している公式を取り出そうとする。

生態学的発想では

〝その〟馬がどういう社会や環境をどういう風に生きているのかを

描写しようとする。





『暴力はどこからきたか』(NHKブックス)が最高におもしろい

山極寿一さんもこの本に登場します。
暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス)/山極 寿一
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そのなかでこんなおもしろいエピソードを彼が紹介しています。



一九七四年ごろ、日本のサル学は混乱期にあった。

第二世代が第一世代とは新しい研究成果を出し始めた時期。

しかし、皆、言うことが違う。

京大の学生だった山際さんは

なんでみんな言うことが違うんだろ

と不思議に思い、

夏休みに

日本列島のサルのフィールドを全て見て回ることを決めた。


山際寿一――「それでわかったことは、どの研究者がいっていることも、そのフィールドのサルについては正しいということです。たとえば、箱根のサルの研究者は、一つの群れのサルが全員一カ所にそろうことはないという。確かに、そこではそのとおりなんです。しかし、高崎山のサルの場合には、一〇〇〇頭をこす集団が、一カ所にどっと集まっている。こういうことがたくさんあるんです。」

しかも地域差でも説明がつかない。

同じ地域でも行動様式の違う群れがある。

山際――「じゃ何だろうということで、結局、サルの社会には通時的な構造があって、それぞれの時点で違うフェイズにあるのではないかということになった。〔…〕要するに、群れが誕生し、成長し、やがて老化していく。最後に分裂、分散して、古い群れはほろび、新しい群れがうまれる。そういう群れの成長段階のどこに、その群れがあるかによって、行動様式が違うんじゃないのかということですね。」(二一二頁)


これが生態学的=非線形的な見方です。

それまでのサル学はなんとかしてサルの中に公式を見出そうとしていた。

だけどその公式はそのサルの群れにしか当てはまらない。

そりゃそうです。

ダーウィンが言っているように

環境に応じて本能は変化するんだから。


いわば

その変化の様態を描いていくのが生態学ですね。



結論として

山極さんの言葉を引用しましょう。


山極――「繁殖上の利益に反する行動の最たるものは、同性愛ですよね。ぼくの研究にあったように、ゴリラの社会には同性愛集団がある。こういうことは繁殖戦略説では説明できない。高等動物になればなるほど、その行動はいろんな要因に支配され、繁殖戦略などといった一つの公式を持ってくると、何でも説明できちゃうというようなことはなくなる。そういう要因もあることは否定しないけど、高等動物の社会というのは、個体間の交渉でも、集団間の交渉でも、もっともっとたくさんの複雑な要因に支配されたダイナミックなものだということですね。社会構造のそういった特性に目を向けたほうが、一つの公式の当てはめに熱中するより、はるかに生産的ですよ。」(四四六頁)



俺は

スピノザの哲学はこの

「たくさんの複雑な要因に支配されたダイナミックなもの」

を哲学的に説明しようとしているんだと思うのです。

それは

動物を「魂のない自動機械」とするデカルトの見方に

真っ向から反対します。

デカルトの見方は

その自動機械の構造すなわち公式を見出すことへと向かう。

線形的。

スピノザは

一頭の馬がどのように周囲の環境の中で

「触発」され、

「情動」を形成するか、

それを観ること、描くことへと向かう。



これはそのまま倫理学すなわち生き方の問題につながります。

デカルト的な発想だと

人間なら人間というカテゴリーがはっきりと示された上で、

生き方の最良の公式を探すことが求められる。

これって簡単に言えば、

男は男らしくとか

女は女らしくとか

そういうのにつながる発想ですよ。


スピノザ的な発想だと

その個体がその周囲とどういう触発関係をもっているかを観ること

そしてその触発関係をどうよい方向に向けていくか、

それが求められる。

それは男がどうのこうのじゃなくて、

その個体がその環境でどう生きていくかを考えるわけです。



こう考えると

非線形という言葉は別にそんなに特別なものじゃない。

単に線形と発想が違うんです。




さて、この『サル学の現在』

いまジュンク堂新宿店でやっている

俺の選書フェアでも挙げています。

文春文庫にはいっているんですけど、

これも品切れなんですよ…。

立花隆ですら品切れかよ!

って感じですよね。


スピノザの『デカルトの哲学原理』が品切れってのは

百歩譲って「仕方ない」と思うけど(もちろん復刊してほしいです)、

「だから」とおもって人気作家立花隆の本を挙げたら、

それも品切れかよ!

立花隆は売れるだろ!


選書フェアなのに

品切れが多くてすみません…。
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