疼痛のリハビリテーション1

テーマ:

久しぶりに専門家らしくいきます。

セラピストが患者さんの治療に当たる上で避けて通れない病態でありながら、伝統的には軽視されてきた領域。

疼痛の定義は「不快な感覚的·情動的経験」
であって、必ずしも組織損傷を伴う訳ではありません。

もちろん何かしらの損傷をきっかけに疼痛が出現することが殆どではありますが、
慢性化した痛みは正常な組織にも影響を与えることが多いようです。

そして「不快な経験」ということは、

大脳皮質で処理される体性感覚だけでなく情動系の領域(島や帯状回)に投射され、
これが長期化することで連合野の働きを抑制することが容易に想像できます。

つまり、

組織の問題自体が治癒しても、
あるいは痛みの受容器に刺激がなくなっても不快な情動経験が感覚連合野の機能不全を誘発する。

そして、
視覚や触覚、筋感覚さらには記憶の中の運動感覚など本来統率されているはずの身体に統一感がなくなる。

世界を知る手段であるはずの身体が信頼できなくなり、身体をどこかに押しつけたり浮かせたりしながらその部位に感覚が入ることを回避する、あるいは過剰な出力によって取り繕っている。


認知神経リハビリテーションにおいて、疼痛患者さんは
「痛みがあるから動けない、もしくは感覚がない」
というよりも
「身体を正しく知覚できない結果痛みが生じている」
という考え方で病理を捉えていこうとしています。

つまり痛みは身体に入出力される情報の不整合が引き起こす現象である。

身体のイメージが破綻し

患部のサイズが実際より小さく短く感じられたり、
何かに触れたときの感覚を識別できなかったり、
そもそも触れようとする意図が発生しなかったり・・・

など「自分の体に感じられない」という知覚のエラーに関連した問題が生じている可能性が高い。

同じ動き(歩行やコップを取る動作)でも、

痛みのある今の身体で動きをイメージする
痛みのない元気な頃の動きをイメージする
他者の動きを見る
自分の身体の右と左を比べる

これらを経験したときの具体性(筋感覚や接触感覚・圧力/重量…)や精密さ(ペースや空間性)、情動的な要素など、
それぞれの視点から想起した行為における差異や類似点を比較する=学習
へと発展する。

なぜなら、これらは全て運動に伴う体性感覚を再組織化する作業だからである。
この過程が認知理論で言うところの「行為間比較」にあたる。


なお、体性感覚のエラーに対して視覚に依存した戦略(主に鏡)が有効な場合もあるが、
それは運動イメージが保たれ細分化した表出ができる対象者に限られるらしい。


今回開催されたスペシャルセミナーではマスターコースでもお世話になったMarina先生から、最先端の「生きた」臨床講義を受けることができました。



が、やはり日本のセラピストにはまだまだ足りないところが多いことを思い知らさらされるほど貴重な話でした。

もう少し具体的な例を挙げながら、次回の記事で紹介していきます。

続く・・・

AD