Report04
Theme: Report 2011-05-25
「復興へ-。」
1億2千分の1のグランドデザイン・Dream of TOHOKU
2011年5月25日
寄稿ブログ:自信はゆれないメッセージ活動を支援するNeoより
東日本大震災と大津波から2ヶ月半。未だ多くの瓦礫に覆われたままの被災地。まだほんの一部しか被災者の手元に届かない義捐金。今なお捜索の続く9千人近い行方不明者・・・。まだまだ行き届かない支援の手と、家も家族も失い、生活の見通しも立たない多くの被災者の心を思うと、かける言葉などとても見つけられないけれど、日本中、そして世界中の人たちが寄せる温かな思いが被災された皆さんに届き、明日への希望を見出していただけることを心から願うばかりだ。
それでもようやく復興ビジョンが示され、復興へ向けた動きが見えてきた。東北は、そして日本は必ず復興できると信じる。そして現在の苦難は、百年先の未来を見据えた、世界の先がけとなる新しい社会の礎を築くターニングポイントになるのだと信じたい。
復興へ向けたさまざまな施策が、現在、示されつつあるが、それがそこに暮らす人々のコミュニティや生業を守るものであるよう、地域住民の実情や心を尊重したものとして策定されることを切に願う。三陸の海の風景は、日本のアイデンティティーのひとつ。そこに暮らす人々のコミュニティは、日本の宝だ。一日も早く、あの美しい海の景色が、海とともに生きる人々の暮らしが、取り戻される日が訪れますように・・・。なんの力もないけれど、東北に暮らす日本人の一人として、つたない思いを綴ってみたい。そしてこれをきっかけに、このサイトが、これを読む人々からのさまざまな意見が寄せられる場になればと思う。
<東日本グリーンベルト構想>
宮城県南部の沿岸地域に、高く盛土した幹線道路や線路を築き、沿岸部に植林をして森をつくる構想が発表された。岩手から宮城までの沿岸に、津波を防ぐ緑の森が創られたら、その景観はひとつの観光資源にもなるだろう。「鎮魂の森」や津波災害を記録するモニュメントを築き、後世に語り伝えていくことは、現代を生きる私達の役目のひとつだと思う。もし可能であれば、そこに津波で失われる以前の街のミニチュア模型を作り、展示する場を造ることができたら、それはここに暮らした人々の、心の拠り処にもなるかもしれない。
今回の津波で家や家族を失った人々の中には、また元の海辺で暮らしたいと願う人も多いという。海産業に携わっていた人々にとって、海は生活の糧を得る生業の場でもある。安全の面から住居はすべて高台に、という行政的指導も理解できるけれど、海辺に暮らしたいと願う人々の自由まで制限するのはどうかと思う。海辺の集落から幹線道路までは緊急避難や物資の移動に備えた幅10メートル以上の広大な道路を築き、また、居住区域を限定してその区域の中心に、津波に耐えうる強固な避難塔や地下シェルターを作ることはできないのだろうか。それらの避難施設に緊急時のための自家発電機や水、食料、衣料、衣料品などを備蓄すれば、将来の災害に備えることができるし、また、国内や海外で災害が起きた際に、いち早くそれらを届けることも可能になると思う。
<コミュニティ・ヴィレッジ構想>
今回の東日本大震災と津波で、沿岸部に暮らす多くの人が家族や家、仕事を失った。20代、30代の人なら、新たに就職先を見つけ、生活を再建することも可能だろう。けれど、50代や60代以上の人達はどうするのだろうか。そうした人達が、これからの暮らしを再建していく手立てが、ぜひとも必要だと思う。
唐突かもしれないけれど、被災者向けの集合住宅地を建設したらどうだろう。共同のロビーとリビングを備えた大きな集合住宅を中心とした居住区だ。居住者のためのコミュニケーションの場として、広い共同の食堂や公園施設も備えたい。また、10人程度の人が一緒に働ける調理場では、担当者が交代で食事作りを行う。居住者の運営する日用品等の売店や、小規模の医療施設など、生活に必要な物をすべてそろえ、さらに、中心部までは共有の交通機関として施設専用バスも走らせられればと思う。
施設の立地に合わせて、すぐ近くに地域特産農産物のハウス栽培農場や海産物の養殖場を作る。これらの農産品や海産物を活かした加工作業場はじめ、高齢者でも働ける小規模工場など、さまざまな仕事の場も用意する。農産物や特産加工品等は被災ビレッジのブランド商品として、販路を開拓。マーケティングや販路開発の担当者が必要になれば、若い人達の仕事の需要も生まれるだろう。
施設に必要な電力は、太陽光発電や風力発電、バイオマスなどの自然エネルギーを総合的に活用して発電してまかなうエコタウンとし、売電事業も行う。沿岸部なら洋上風力発電や波力発電の可能性も見いだせるだろう。福島原発の事故によって、エネルギー政策の大きな転換が迫られている日本で、こうした小規模のエコタウンが実現し、日本中、そして世界中にそのノウハウを提供することができれば、未来に向けた、新たなエネルギー社会を構築していく源泉となることもできそうだ。
コミュニティ・ヴィレッジから産出される物品の売上や売電事業の収入は、居住者に配分するとともにビレッジの運営資金に充て、経済的にも自立した共同体の構築を目指す。住民のニーズや特性等によって、それぞれが自分のできる仕事を分担。廉価で入居でき、またお互いにビレッジに必要な役割を持って暮らせる小さな集合住宅地としたい。人はいくつになっても、人と関わり合い、他人から必要とされる存在でいたいものだと、私は思う。そんな場を、特にこの災害によって多くのものを失った人々に提供できるプラン、そして、被災した人たちが共に、日本中や世界中の人達とも手を取り合って暮らすことができる社会づくり。そんなプランが数多く生まれ、実現していくことを願ってやまない。
1億2千分の1のグランドデザイン・Dream of TOHOKU
2011年5月25日
寄稿ブログ:自信はゆれないメッセージ活動を支援するNeoより
東日本大震災と大津波から2ヶ月半。未だ多くの瓦礫に覆われたままの被災地。まだほんの一部しか被災者の手元に届かない義捐金。今なお捜索の続く9千人近い行方不明者・・・。まだまだ行き届かない支援の手と、家も家族も失い、生活の見通しも立たない多くの被災者の心を思うと、かける言葉などとても見つけられないけれど、日本中、そして世界中の人たちが寄せる温かな思いが被災された皆さんに届き、明日への希望を見出していただけることを心から願うばかりだ。
それでもようやく復興ビジョンが示され、復興へ向けた動きが見えてきた。東北は、そして日本は必ず復興できると信じる。そして現在の苦難は、百年先の未来を見据えた、世界の先がけとなる新しい社会の礎を築くターニングポイントになるのだと信じたい。
復興へ向けたさまざまな施策が、現在、示されつつあるが、それがそこに暮らす人々のコミュニティや生業を守るものであるよう、地域住民の実情や心を尊重したものとして策定されることを切に願う。三陸の海の風景は、日本のアイデンティティーのひとつ。そこに暮らす人々のコミュニティは、日本の宝だ。一日も早く、あの美しい海の景色が、海とともに生きる人々の暮らしが、取り戻される日が訪れますように・・・。なんの力もないけれど、東北に暮らす日本人の一人として、つたない思いを綴ってみたい。そしてこれをきっかけに、このサイトが、これを読む人々からのさまざまな意見が寄せられる場になればと思う。
<東日本グリーンベルト構想>
宮城県南部の沿岸地域に、高く盛土した幹線道路や線路を築き、沿岸部に植林をして森をつくる構想が発表された。岩手から宮城までの沿岸に、津波を防ぐ緑の森が創られたら、その景観はひとつの観光資源にもなるだろう。「鎮魂の森」や津波災害を記録するモニュメントを築き、後世に語り伝えていくことは、現代を生きる私達の役目のひとつだと思う。もし可能であれば、そこに津波で失われる以前の街のミニチュア模型を作り、展示する場を造ることができたら、それはここに暮らした人々の、心の拠り処にもなるかもしれない。
今回の津波で家や家族を失った人々の中には、また元の海辺で暮らしたいと願う人も多いという。海産業に携わっていた人々にとって、海は生活の糧を得る生業の場でもある。安全の面から住居はすべて高台に、という行政的指導も理解できるけれど、海辺に暮らしたいと願う人々の自由まで制限するのはどうかと思う。海辺の集落から幹線道路までは緊急避難や物資の移動に備えた幅10メートル以上の広大な道路を築き、また、居住区域を限定してその区域の中心に、津波に耐えうる強固な避難塔や地下シェルターを作ることはできないのだろうか。それらの避難施設に緊急時のための自家発電機や水、食料、衣料、衣料品などを備蓄すれば、将来の災害に備えることができるし、また、国内や海外で災害が起きた際に、いち早くそれらを届けることも可能になると思う。
<コミュニティ・ヴィレッジ構想>
今回の東日本大震災と津波で、沿岸部に暮らす多くの人が家族や家、仕事を失った。20代、30代の人なら、新たに就職先を見つけ、生活を再建することも可能だろう。けれど、50代や60代以上の人達はどうするのだろうか。そうした人達が、これからの暮らしを再建していく手立てが、ぜひとも必要だと思う。
唐突かもしれないけれど、被災者向けの集合住宅地を建設したらどうだろう。共同のロビーとリビングを備えた大きな集合住宅を中心とした居住区だ。居住者のためのコミュニケーションの場として、広い共同の食堂や公園施設も備えたい。また、10人程度の人が一緒に働ける調理場では、担当者が交代で食事作りを行う。居住者の運営する日用品等の売店や、小規模の医療施設など、生活に必要な物をすべてそろえ、さらに、中心部までは共有の交通機関として施設専用バスも走らせられればと思う。
施設の立地に合わせて、すぐ近くに地域特産農産物のハウス栽培農場や海産物の養殖場を作る。これらの農産品や海産物を活かした加工作業場はじめ、高齢者でも働ける小規模工場など、さまざまな仕事の場も用意する。農産物や特産加工品等は被災ビレッジのブランド商品として、販路を開拓。マーケティングや販路開発の担当者が必要になれば、若い人達の仕事の需要も生まれるだろう。
施設に必要な電力は、太陽光発電や風力発電、バイオマスなどの自然エネルギーを総合的に活用して発電してまかなうエコタウンとし、売電事業も行う。沿岸部なら洋上風力発電や波力発電の可能性も見いだせるだろう。福島原発の事故によって、エネルギー政策の大きな転換が迫られている日本で、こうした小規模のエコタウンが実現し、日本中、そして世界中にそのノウハウを提供することができれば、未来に向けた、新たなエネルギー社会を構築していく源泉となることもできそうだ。
コミュニティ・ヴィレッジから産出される物品の売上や売電事業の収入は、居住者に配分するとともにビレッジの運営資金に充て、経済的にも自立した共同体の構築を目指す。住民のニーズや特性等によって、それぞれが自分のできる仕事を分担。廉価で入居でき、またお互いにビレッジに必要な役割を持って暮らせる小さな集合住宅地としたい。人はいくつになっても、人と関わり合い、他人から必要とされる存在でいたいものだと、私は思う。そんな場を、特にこの災害によって多くのものを失った人々に提供できるプラン、そして、被災した人たちが共に、日本中や世界中の人達とも手を取り合って暮らすことができる社会づくり。そんなプランが数多く生まれ、実現していくことを願ってやまない。
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