テーマ:
藤枝 雅
いおの様ファナティクス (1) (Dengeki comics EX)

評価:★★☆星2つ半

(僕的主観:★★★星3つ)


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「見た目理系の女子が時に失敗などして頬を染める



この妙な味わいがよいのではないか」


by いおの様

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ああ、それは同感です。いおの様。頭のよさそうな女の子が、ボケる瞬間ほど、最高な瞬間はありません。萌えの瞬間です。死にます。


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女王×側女というのは少々イレギュラーな関係かもしれませんし、冒頭街頭で側女を辺り構わず募集するいおの様はちょっと変質者入ってますが、それを除けば女性しか出てこないし皆女の子ラブな女の子ばかりだし百合好きにとってまさに理想的な百合作品といえるでしょう。


百合な日々
http://blog.livedoor.jp/yuri_amagasa/archives/30862046.html
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僕も百合モノは好きなんだけれども、悪くはないが、普通の作品だったなー。まぁ深読みするといろいろ思わせるところは万歳だったし、「ぞよー」と連発するいおの様の懐の深さは、なかなか(笑)。しかも、側女という存在を、契約で縛ろうとするのもなかなか笑ってしまった。職業ではないんじゃないかな?って思う。だって文化コードが違うんだからさ。



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しかし、これも何度も指摘していますが、なにより心理描写を重要視する私にとっては、家臣が多い分だけ、「百合」としては薄く感じてしまうのです。


百合(ガールズラブ)総合blogを目指します。
http://yuri.cocolog-nifty.com/ycoco/2005/10/1_e199.html

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この人の意見には、同感。


僕は別に、百合(女×女)でも、BL(男×男)でもどっちでもよくて、関係性の妙(=詳細な心理描写)みたいなものが見たいのです。


たしかに、これを同性同士にすると、微妙に異性愛や普通の関係性とのずれが出てくるのですが、個人的にずれは、ずれ(=差異)にすぎんと思うのですよね。だって、少なくともエンタメの部分では、同性同士の愛や感覚の極限までを、異性愛と差別化して表に暴露しようというような文学的意図があるわけではないんだもの。それはやはり関係性への偏愛やキャラクター萌えなんだよなー。


それが多人数になりすぎると、そもそもその作者の力量で群像劇で動かすといった荒技が必要になってしまうし、関係性の深いものっては、恋愛でいうとやっぱり1対1・・・がんばって3人ぐらいが限界なんではないかなーと思う。群像劇にしたり、ストーリ-をもっと重厚に描ければ別だが、この作品はネタだけのノリマンガなので、やっぱり多人数はきついのかもあなぁ。


おもしろかった、、、けど、なんというか同人誌レベルの作品なんだよなー。それが悪いとは云わないが、関係性のみで戯れているので終わってしまっている。物語が動かないのならば、むしろ4コマとかの方が良かったのかもしれないなーいおのと側女の日常みたいな。



■ポリガミーを肯定させるような懐の広さと男気


ちなみに、すっごく懐の深い昔の王さまなんかには、別に男性でもこういう人っていた気がするなー。他人数を愛せる人は確かにいるんだよ。それが生活や日常の関係までには、ロマンティックラブの概念が西洋から広がったせいで、失われつつあるけれどもね。まぁ人類学でいうポリガミー※1のことですよね。


※1:polygamy。一夫多妻制。(但し稀にポリアンドリー〈polyandry〉=一妻多夫制の意味も。)⇔モノガミー(monogamy)=一夫一婦制。また、女性側から見た「一夫制」のことを「モナンドリー」(monandry)という。

岡田 斗司夫
30独身女、どうよ!?

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ポリガミー志向の人間は相手を独占したり、嫉妬することが少ない。モノガミー志向の人間にとっては、独占欲や嫉妬こそが相手に対する情熱であり、セクシュアリティを豊かにするものだ。一人の相手を特別に扱って、その相手に徹することをよしとするか、そもそも特別な相手を一人に限定しない、ゆるやかなつきあいをよしとするか。

モノガミーとポリガミーはお互いに相容れない立場だが、どちらが正しいとか間違っているとかは言えないように思う。むしろ間違いといわれるべきなのは、自覚のない人である。


「ポリガミー」というセクシュアリティ
http://blog.livedoor.jp/open_eyes/archives/10857776.html
OPEN-EYES ジェンダーとセクシュアリティを考える

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ちなみに、こういうった概念に分ける二元論は、すぐに排他的な議論を巻き起こす。私ってどっち?みたいな。概念っていうのは尖鋭的で純粋にしているだけで、現実はだいたい概念間のグラデーションになっていたり、いろいろな条件付けが隠されているので、そういう二元的な二択思考は、常に戒めなければいけないよね。



えっと話がそれたのですが、こういったポリガミー的な一人の人がたくさんの愛人・恋人を所有する(所有は言い過ぎか…)シュチュエーションを描くときには、



1)西洋中心に発達してきた近代の核家族観念の中心であるロマンティツクラブ(要はモノガミーね)をどうやって解体するか?



言い換えると、モノガミーが常識で生きている現代人に読ませた時に、どういう納得性をもたらすことができるか?ってのが、重要ですよね。だって、不思議ですもん。そのへんが、僕なんかには・・・僕は思考的にはどうなのだろう?、たぶんモノガミーだと思うが、そういう人にとぅてはセンスオブワンダーになるんですよね。



2)多数の人を愛しきる度量とそれを認める制度とはなに?



このへんは、僕は、ル・グィンの『闇の左手』なんかすぐ連想してしまうのだが、このマンガはただの関係性のキャラクターを楽しむ様式なのだが、、、、いおの様が、別の国の女王(=統治者)であるということや、あきらかに、多人数をかしずかせる度量のある男っぷりなんかは、なかなか興味深い。




つまりね、多数を愛すなんてことは本当に具体的に、どういう感覚なの?ってこと。それを描くからには、愛する方の意識や愛される方の意識をちゃんと納得あるように描写してほしいよねーと思うのだ。


また、そうなるからには制度はどうなっているの?ってさらに思う。


ってのは、SF的な発想なのかなー。まぁ今の時代は関係性偏愛の時代なので、そういうレイヤーを掘り尽くして理解しようという欲求は弱いかもしれないですがね。

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