テーマ:
 
著者: アダム スミス, Adam Smith, 水田 洋
タイトル: 道徳感情論〈上〉  
 
著者: アダム スミス, Adam Smith, 水田 洋
タイトル: 道徳感情論〈下〉 岩波文庫 白 105-7  

アダムスミスといえば「経済学の父」と呼ばれますが、実際には彼は死の床の最後まで「道徳哲学の教授」でした。


そもそもいまでいう「経済」という、世界観はこの頃にはまだありませんでした。彼の「諸国民の富」という経済学の古典は、彼の人間観と社会観が描かれているこの著作を土台にして抜きには、一切語れません。大学の授業では社会思想史に分類されてしまいますが、本当は経済原論の授業の前提として、どういう社会制度設計を意図してアダムスミスが世界を描こうとしたのかを説明しないと、大きな勘違いが起きそうな気がします。


とりわけ経済学の功利選考をするプレイヤーが、実は共感可能性によって「全体と相手にとって究極の損になる」ような極端な選択は取らない存在であるという仮定は、非常に興味深く感じました。


この著作で重要だと僕が思うのは「神の見えざる手」が成立する「前提の社会環境」が変化したら成立しなくなるとスミスが発想している点です。


ここからは制度派経済学や社会工学の発想につながりますよね。


つまり「神の見えざる手」という「自由競争による最適化」が成立する社会環境の要件は何かということです。もっと言い換えると、共感可能性を持った人間が再生産されない社会、共感可能性が社会的に共有されない社会では、神の見えざる手は働かないといっているに等しいからです。つまり、ほっておいては、自由競争の最適な状態は達成できないといっているのです。


外部環境は変わります。変わるものを安定させるには、教育や規制なしには、自由競争は崩壊すると考えているも同じだからです。そういう意味では、名著といわれる古典原典に遡らないとなかなか、本質のイメージに近接できないものなのだなと思い知らされた著作でした。


近現代の社会思想は、あまりに社会が複雑になりすぎたために社会の全領域をスコープに収めたダイナミックな発想が出来ず法学、経済学、社会学、人類学、宗教学などなどにタコツボ化してなかなか「全体像がどうなっているのか」が見えにくくなっています。


そういう意味でスミスのような古典は、コンパクトに社会すべてを対象領域にしており、議論のベースとしては最高でした。読んでいただければ「そもそも我々の住む社会の全体像がどうなっているか」という非常に大きなスコープで描かれていてスミスの知性の幅広さに驚かされます。古典が故に読みにくかったりしますが、時の流れを乗り切ったものは、乗りきっただけの力があるものだと思います。


なんちゃって読書人の僕の読み方が正しいかはわからないですが、とりあえず少しめんどくさくても、古典に議論を戻したり読み直すことは、スピードの速い代わりに中身が断片的な現代に必要な行為ではないかと思いました。


ただし文体の訳出方法自体もある種のマインドコントロールなので、逐語訳や文語体の小難しい訳もあれば、山形浩生さんの「クルーグマン教授の経済入門」(ポールクルーグマン著)の訳出のような、わかりやすい意訳も必要ではないかと思います。英文で読んだ時との落差がありすぎる。英文のほうが簡単というのは少しヘンです(苦笑)。大衆教育の一般化に平行して、日本教育はエリート教育が完全に形骸化しています。であれば、旧制高校時代のウルトラモチヴェーションの高いエリート(内発性が高いという意味で)がいない現代には「教え方」や「伝え方」はもっと考えられて練られてしかるべき気がする。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:
 
著者: アダム スミス, Adam Smith, 水田 洋, 杉山 忠平
タイトル: 国富論〈1〉  

<<社会思想の古典>>


★★★★★星5つです。さすが古典。


最適化とは、自由競争を行っていると需要と供給の「自然とバランスが取れる」地点があり、そのことを指します。いわゆる「神の見えざる手」ですね。


しかしその後イタリアの数学者たちが、それを厳密に計算すると、たとえば市場参加者が全員死亡とか餓死という究極のバランス地点に、最終的に至ってしまうことが証明されてしまいました。つまり数学的にはうそなのですね。


しかしながら、実はこの「国富論」には、大きな仮定があって、それは「道徳感情論」という著作に於いて市場に参加するプレイヤーは、すべて人間であり、人間とは共感可能性もった生き物だとアダムスミスが仮定していることです。


「もし自分が相手の立場であったら」という想像力が働く人間という生き物は、全員が餓死するというような、究極の選択は回避するはずであるという大前提があるのです。


大学で経済原論を教える場合には、市場に参加するプレイヤーが、功利選好すると仮定します。個々人が欲望のままに振舞うと変数を固定するのです。これはある種のウソなのです。そこを教えないと、そうか世界は欲望だけで動いているのだ、という極端な古典派の理解をしてしまいかねません。これでは、イギリスの伝統的な経済学の発想の本質を捉えそこなうと思うのです。


この意味は、マーケティングを担当するようになってよくわかりました。価格維持と寡占状況でよくわかります。寡占メーカーはよく談合しますが、これは独占禁止法に違反します。しかし独占禁止法の例外規定の再販制度など、独占による競争力喪失と顧客からの収奪を防ぐという目的に反しない限り、法律に違反しない限り、商品価格を維持するのは、メーカーの一大命題です。


その場合、供給量をコントロールしたり、暗黙の了解(あわない談合のようなもの)やブランドの確立などで適正価格を維持しようと、さまざまに考えるわけです。かといって、高すぎる値段設定は顧客離れを生んでしまいます。


商品を扱う仕事をする人は、「ここ」に死ぬほど毎日悩まされます。


ここは需給で決まる単純な均衡点ではないのです。もちろん、マッチ棒とか完璧に需給で決まる財もあるにはありますが。故松下幸之助がいったように、デフレで商品が安くなればうれしいかもしれないが、商品が売れなくなり会社の利益が減り、まわりまわって自分の給料が下がるように、マクロ的には損が自分に帰ってきてしまうといったように、そういう意識がないと、大規模な商売は出来ません。いやもっというと社会的活動は出来ないのです。


「市場のプレイヤーである人間には、自制心が働いてしまう」というのは、重要な前提です。


スミスは、人間の社会がある一定の仕組みを維持している限り、「神の見えざる手」が成立すると想定しているということですから。


自制心は、もちろん功利選考を上回ります。社会思想史的にいうと、グラーズゴウ大学で18世紀イギリスの道徳哲学の教授であったアダムスミスの生み出した世界観は「道徳感情論」と「諸国民の富」という二つの著作で成立する虚構の世界観なのですね。


抽象化を基本とする学問は、現実を捨象するからすべて虚構ですが。自由競争万歳を唱えたバリバリの資本主義者のイメージを持っていたのですが、原典を学生のころに読んだときに、全然違うのでビックリしたのを強く覚えています。とりわけ「道徳感情論」が社会制度設計の思想として、オックスフォードのヒュームの弟子らしいイギリス的な発想だなぁと納得したのを覚えている。こういう虚構による世界観は、ロールズの「無知のベール」と似ていますね。


ただポールクルーグマンを訳した山形浩生さんくらい、もっとわかりやすい訳があると古典にも親しみやすいのにと、感じます。やはり、訳が堅い。ちなみに、現代最高の経済学者は、僕は、クルーグマンだと思っています。現実への提言はともかく、空間経済学の理論において。

 
著者: ポール クルーグマン
タイトル: 良い経済学 悪い経済学  
 
著者: ポール・クルーグマン, 山形 浩生
タイトル: クルーグマン教授の経済入門  
 
著者: ポール クルーグマン, Paul Krugman, 山形 浩生
タイトル: クルーグマン教授の経済入門  
 
著者: 藤田 昌久, アンソニー・J. ベナブルズ, ポール クルーグマン, Anthony J. Venables, Paul Krugman, 小出 博之
タイトル: 空間経済学―都市・地域・国際貿易の新しい分析  
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:
 
著者: 稲葉 振一郎
タイトル: ナウシカ解読―ユートピアの臨界  
 
著者: 宮崎 駿
タイトル: 風の谷のナウシカ 1 (1)  
よくある解説本とは違い、とても優れたユートピア論でした。

ちなみにマンガ版のナウシカと未来少年コナンを見ていないと、全然意味が分かりません。一応国民的テキストという(笑)前提があって読む作品ですね。とはいえ、こういう具象化された世界観を読み解いたほうが、導入というか「わかりやすい」というのは、事実かもしれませんね。ちなみに、僕は非常に分かりやすく感じました。


これは、マンガ版風の谷のナウシカが、アニメ版で妥協を余儀なくされた



宮崎駿という思想家・クリエイターが、その『ヤバイ』部分がエスカレートして爆発して行き着くところまで行き着いた作品である(笑)



、ということを知っていないと、あまり意味を為しません。とにかく、映画の陳腐な、ありきたりのストーリー構造とは、格も質もレベルが、ダントツに違います。とても同じ作品とは思えないレベルです。


思想家宮崎駿の真の本質は、この作品にあふれており、この作品を読まずして、単純な和製ディズニーと化しているあたりさわりのないジブリ・ブランドでは味わえない、最高度の作品世界を味わえます。


*************

マンガ版ナウシカで、旧世界のエコ・テクノクラートたちは、汚れた旧世界を滅ぼし世界を浄化し、真の理想の生態系である「青き清浄の地」を創造しました。このマンガ版では、「青き清浄な地」として描かれた場所が、



実は選ばれた(遺伝子操作で去勢された)人類しか入ることができない外部



であるが故に、政治指導者ナウシカは、それを否定し、歴史から封印しました。


僕は、この部分に物凄い衝撃を受けました。


それ以外は選択肢がありえないある種の理想であり、それを拒否すれば現生人類は滅びる可能性もあるのに、誰にも何も言わずナウシカは、それを封印してしまったからです。


これって、すごい衝撃を受けたんですが、イマイチ意味がわかりかねていた(笑)んです。理論的には。感情的には、よくわかったんですが。


この部分を、ちゃんと理解したかったので、とてもいい参考書になりました。


確かに、アーレントノージックジェーン・ジェイコブズが普通に引用されるので、ヨーロッパ哲学をかじっていない人には、難解な概念が続出する。けれど、分かりやすいある意味教科書的な導入書だと僕は感じました。


『経済学という教養』という、「目利きの素人ファン」を育てるという意図で書いた作品がある稲葉振一郎さんですが、こうした素人のための教養的位置づけを考える人は、専門家ではなくて、素人に分かってほしいという視点を持っている人です。この本も、その片鱗を感じます。


別にこんな解説を読まなくても、宮崎駿監督の作品は、最高のエンターテイメントであり、それで十分だとは思います。黒澤明監督の作品の思想性を語ること自体が、間違いなのと同じことです。しかし、ことマンガ版ナウシカの深さは、何かが違うと感じていましたが、これを読んで、すっげぇぇ~と、唸りました。


 
著者: ハンナ アーレント, J. コーン, Hannah Arendt, Jerome Kohn, 斎藤 純一, 矢野 久美子, 山田 正行
タイトル: アーレント政治思想集成〈1〉組織的な罪と普遍的な責任  
 
著者: ロバート・ノージック, 嶋津 格
タイトル: アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界  
 
著者: 稲葉 振一郎
タイトル: 経済学という教養  

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。