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■とくに好きな仕事でなくても、すばらしい幸福感に包まれて仕事をする方法
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438490#seemore


■2010年、マッチョ主義によって日本社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438491#seemore


■氷河期の猛吹雪にズダボロに引き裂かれた人々と、グングン成長した人たち
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080228/1204203051#seemore

分裂勘違い君劇場



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だから、そうして傷ついた人々を「自己責任だ」と切り捨てて放置するのには、僕は異論がある。


なんらかの形で「社会的」に救済する必要があると、僕は思っている。


政策の犠牲者は、政策で救うのがスジだろう。


中略


しかし一方で猛吹雪の中でも自分だけが助かる方法など探せばいくらでもあったというのも事実だ。。。。


マッチョというのはどんなに苦しい状況だって泣き言なんて絶対に言わない生き物なんだ。


死屍累々阿鼻叫喚の地獄からでも、なにごともなかったように生還するクールなタフガイなんだ。


そういう美意識を持っている。片腕がサイコガンになってるスペースコブラみたいな陽気なムキムキガイなんだ。


誰もが「もうダメぽ」「万策尽きた」と絶望するとき、そこから脱出する方法を3つも4つも思いついちゃうような機転の利くイケてるヒーローなんだ。


id:repon氏やid:sync_sync氏が


「自分はわるくなかった理由」を10個考え出している間に、「その状況から抜け出す具体策」を10個考え出す生き物がマッチョなんだ。


マッチョは、とにかく目の前の具体的問題を解決することを優先する。誰が悪かったかなんて、あとから考えるんだ。矢が刺さって、血がどくどく流れているのに、誰が矢を放ったかを議論している場合じゃない。とにかく矢を抜いて止血するのが先だと考えるんだ。「ボクは悪くなかった。時代が悪かった。」そりゃそうかもしれないが、それよりも先に考えることがあるだろう?と考えるのがマッチョ。


氷河期の猛吹雪にズダボロに引き裂かれた人々と、グングン成長した人たち/分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080228/1204203051#seemore
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自分で雇用を作り出して人々を救おうなどという発想が全くなく、


まるで自分に雇用が与えられるのが当然の権利であるかのように考える自己中な人は、


自分のところに雇用が回ってこないと、自分を被害者だと考えて、


吹雪の中で職にありついた人たちを逆恨みするだろう。


そして、ようやくシンドラーたちが作り出した雇用にありつくと、

その雇用を作り出したシンドラーたちに感謝の一言を言うこともなく、

当然の権利のように雇用というパイを貪り食うのだろう。


彼らの頭には、


誰かが雇用を得るためには、誰かがその雇用を作り出さねばならない


という発想は全くないのだ。


とくに好きな仕事でなくても、すばらしい幸福感に包まれて仕事をする方法/分裂勘違い君劇場
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438490#seemore
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自分の発想が、マッチョなんだなー(苦笑)と、ちょっと思った。下記の記事に接続される話だと思う。



■参考記事

①「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html  

②けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html  

赤木智弘にひっぱたかれたくない!/アンカテ(Uncategorizable Blog)
http://d.hatena.ne.jp/essa/20070817/p1  

日本の若年雇用問題、ベーシックインカム論/カワセミの世界情勢ブログ
http://kawa-kingfisher.sblo.jp/  

上からの無自覚な弱者への暴力と下からのルサンチマンが社会の継続性を奪う
http://ameblo.jp/petronius/entry-10073901492.html

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①「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html


②けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html


赤木智弘にひっぱたかれたくない!/アンカテ(Uncategorizable Blog)
http://d.hatena.ne.jp/essa/20070817/p1


日本の若年雇用問題、ベーシックインカム論/カワセミの世界情勢ブログ
http://kawa-kingfisher.sblo.jp/


有閑マダムさんと樹衣子さん が、反応していただいているのですが、この続きは、ちゃんとした経済のツールで背景を説明しながら書かないといけないな、思うので、ゆっくり書きます。それまでに、赤城さんへの反応として、アンカテさんとカワセミさんがとてもい意見を言っているので、ご紹介を。いろいろ読んでおいていただけると、異論をできると思って(笑)。・・・・なかなか時間ないので、忘れ去るかもしれませんが・・・。


■無自覚な暴力こそが嫌いだったはずなのに~自分のいる「位置」からしか世界は甘受できない



突然、退職届を突きつけられる上司(笑)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10070806215.html


さて、人間、無自覚になるものだな、と先日の朽木倒さんとのコメント会話で、思った。あれは、わかっていたつもりだったのですが、自分「日常の生活を行う」リアリティーに圧倒的な現実感を感じるという「人間体感の癖」をまさにまざまざと突き付けられた気がします(苦笑)。ある程度は、実はマクロの処方についての判断と決断があってかなり問題を単純化しているのですが、しかし僕のミクロのシゴトの考え方が、強いエリーティズム(=前へ進む成長の強い動機・物語に支えられた)があるとという傲慢な部分を、ちゃんと消化しきれていないで進みすぎたな、と思い、少し反省です。他者への共感のない暴走では、社会は回りません。そもそも、インセンテイヴ・デバイド(動機の格差)があると想定される現代日本社会では、そこの問題抜きにストレートにエリーティズムを語ると、マクロの処方としては失敗すると思うのです。


ちなみに僕は、まさにアンカテ氏のいうような「正規社員で、家族がいて」という人生の勝ち組(あえてそう云い切ろう)なんですね。


自分が馬車馬のように働いて、いい大学出て、いい会社に勤めても、そんなに全能感溢れる幸せというわけではなく、毎日がとてもシンドイ。なぜならば社会が高度化すると、要求されるスキルに追いつくこと、競争社会で生き残ることは、ほんとうにほんとうに大変なことですから。


それでもある種の立場の人から見ると、無自覚な切り捨てを行っているという部分に自覚がないのは、よくないと思いますので。(ちなみに、必ずしも赤城氏の意見に僕は賛成しませんが。)経済的に基礎的な生活を支えられず、人間の尊厳を奪われている層自体からすると、無自覚な言葉はある種の暴力なのですよね。いまのフリーターやニートなどの一部の層を持って、それが構造的な固定化されたワーキングプアなのか?というのは疑問が残ることではありますが、下記の指摘は、とても重要な指摘だと思いました。


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「弱者」はどこにいるのか
 こうして考えてみると、安定労働層とそれに結びつく左派が、貧困労働層を極めて軽視しているという現状が改めて見えてくる。左派は平等を口にするが、その認識は「富裕層と労働者」という、いわゆる昔ながらの対立軸でしかない。だから富裕層の利権を労働者に分配することによって、平等を達成しようとする。


 しかし、経済格差という現状の背景には、まず「富裕層」が存在し、その下に富裕層によって安定した役割を与えられている「安定労働層」がいて、さらに安定労働層のための調整弁にされる「貧困労働層」が存在するという構図がある。左派はこの構図を自覚していないのか、結果として安定労働層と貧困労働層間の格差を押し広げてしまっている。


 こうした状況で、私は左派が想定する救済対象に「弱者であるはずの私」が含まれるとは決して思えない。いわば左派は「基本的な平等」をないがしろにしているのではないかとさえ感じてしまう。


けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html
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高杉 良
労働貴族 (徳間文庫)

というのは、高杉良の小説『労働貴族』を読んで、日本の企業労働者・・・・正規雇用者が、強い既得権益をもち、その既得権益の守護者になっていると僕は感じたのを思い出したんです。自分の実感とも重なります。僕は労働組合も、政治勢力で存在する左翼も、昔から大嫌いでした。



なんで嫌いかよくわからなかったんですが・・・それは、自分たちの既得権益を守ることばかり考えていて、結局は、票をまとめるための機能にしかなっていないからなんですね。現実の弱者救済やマクロ的なセイフティブランケットに対して無自覚な人間に見えるからなんです。正義を求める動機は疑わないですが、社会構造上、日本の左派は既得権益の正規雇用労働者の代弁勢力に過ぎないのです。



このあたりは、考えてみれば当たり前ですが、自分の日常の世界とあまりに乖離された部分で、、、僕は「この努力しても報われない層」に入らないために全力で努力しているのですから、見えなくなるのは当然なのですが・・・(苦笑)。見えないものをちゃんと直視しないとダメだな、と思うのです。



・・・・ほんとうは、この文章ですら感情的な書き方で、経済格差とインセンテブ・デバイドの問題や不況との関連性、対象層の規模との相対比較など、ちゃんとした定義ないしに弱者をちゃんと見ましょう的な欺瞞な文章なので、本来のマクロ分析としては、ダメだと思いますが、、、これについての問題の直視や「機会の平等」を奪われることについては、僕のような古典的な経済学を信奉する人にとっては大きな砦なので、あえて、出してみます。



ちなみに、今後話を進めるときの参考を少しだしておきます。ちなみに現代日本の経済格差が広がっているといわれているのですが、それをさも事実のように云うのは、科学的な態度ではないです。



たとえば社会学会で、全国的大規模プロジェクトとしてSSM(社会階層と社会移動)調査が、約10年単位で行われているが、その内容には、いまだ論争があり、それが証明されたわけではないこと、、、、論争されるほどに、10年単位での(親から子などの世代間移動)階層の分化は、日本では顕著とは言えないという、数字による事実も、またちゃんと認識しておかなければならない、と思う。まぁ数字の解釈は見る人によるが。



わかると思うが、たとえば、ひと世代のあるクラスター(集団)の不遇は、別に社会が回るためにはどうでもいことだ、ということはわかりますよね?。これが、大規模な社会構造上の変化や社会システム対する危機なのか?ということによって対処が変わるのは、当然だからです。だから、ちゃんとデータに基づいて議論しないと、ミクロの自分自身の思い込みや思想信条、立場からくる部分最適に話は陥りがちです。こういう「政策の次元」・・・社会を扱うマクロの話は、本当に複雑で難しいです。

苅谷 剛彦
階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ


苅谷 剛彦
大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書)
斎藤 貴男
機会不平等 (文春文庫)
「中央公論」編集部
論争・中流崩壊 (中公新書ラクレ)
樋口 美雄
雇用と失業の経済学
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①「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html

②けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html


上記の①の論文は、 赤木智弘さんが、朝日新聞社の『論座』という雑誌の1月号に発表して大きな反響を呼んだものです。最近考えていて、しかも朽木倒さんにコメントで指摘されたことと深くリンクしているので、この辺を少し考えています。物凄く興味深い記事なので、みなさん、ぜひご一読を。この①と②の指摘は、凄い重要な指摘だと僕は思うし、とりわけ社会流動性を作り出すには、もう戦争しかないという部分の構造分析には、いつも僕が指摘している部分なのですが、、、こういう論旨で書かれると衝撃を受けます。

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政治家と知性/千の天使がバスケットボールする
http://konstanze466.jugem.jp/?eid=70


樹衣子さんに触発されて、いろいろ書いてしまった。途中は樹衣子さんの記事とはあまり関係ない話にそれてしまったが。。。最近こういうことを書いていなかったし、この前にitoyuさんやエイブさん、いずみのさんとこれからのアジアの安全保障の問題についてオフ会で話していた時に、いろいろ思うところがあったので、メモも込めて書いていみます。この辺は、本当に勉強していないので、直観になってしまうので、いろいろ意見をもらえたら嬉しいです。


>世間一般の国民は、「美しい国」の美しさよりも、マクロな経済、外交問題よりも、政治家の政治資金のでたらめさに対する怒りも含めて、自分の将来の生活基盤の確保の方がより切実だったのではないだろうか。
(中略)
私個人としては、最近最も関心の深い「格差社会」をキーワードに投票してきたのだが。



手あかにまみれたセリフですが、大衆はバカです。僕もそう思う。はっきり言って、日本社会の100年の計を考えるならば、格差社会と小泉改革路線は、正当だし一つの明確な正しさだ(それだけが真実とは言わないが、現実性のある選択肢としてはそれに代わる代案は、いまのところ日本にはないと思うのだが・・・。代案がない場合は、現実性が最優先だ。)。たしかに、その手法や瑣末な問題…また改革をやりきれていない苛烈さの甘さなど、いろいろ問題が残る政権であったのですが、その指し示す志と国家戦略は、明確だったと思っている(感覚的にではあるが)。


一つは、モチヴェーション(動機)のサルベーション(救済)。


宗教政党が与党に深く食い込む日本社会は、宗教のいう形を持たないが、強い結果の平等志向が根源的に根付いた民族であると思う。その事細かな立法の方向性を見るまでもなく、また歴史的に華族制度(貴族による寡頭政治)や大土地所有者制度が根付かなかったことを考えると、日本には階級は成立しない。


しょせんあって「格差」だ。


階層の差は、どこの社会でもある。スタートラインの平等というリベラリズムの本義に照らせば、階層の大きな差は、あった方が良い!。絶対に。なぜならば、階層の大きな差は、「動機」・・・・・負けないぞ、こんちくしょう!という生への肯定を生み出すからだ。過度の無駄な平等は、人の心を腐らす。日本の教育問題の根本は簡単だ。生きる動機がないからだ。生きる動機は、貧富の差などの「差」でしか生まれない。少なくとも、大衆的にマクロで言えば、それは、当然の帰結だ。


そこで問題になるのは、二つ。


階層の差が、階級の差に転じないこと(=固定化されないこと)・・・・言い換えれば、地位の流動性が保証されていること(=資産の量で売官できないということ)と、ボトムラインの最底辺の生活がどのように維持されるか…ということだ。


ちなみに日本のような資産も経済成長もあり、階級がない社会で、プアワーキングの問題を論じるのは無駄だ(はいいすぎか・・・・)。重要なのは、年収200万円以下で、幸せに生きていくだけのセイフティブランケットがあるかどうかに過ぎない。そして、日本社会は、それを作るのはさほど難しくないと僕は思う。


ただ、、、唯一考えなければいけないのは、最低限のレベルの生活の保障は、共産国家の失敗・・・・人々の上昇志向と経済再生産への動機を失わせるということだ。ただ単に保証するだけではだめだ。為政者、統治者としては、国民が安楽にできるように国家システムを設計してはダメだ。国家100年の戦略を考えるならば。



たしかに幸せとは何か?の答えが多様に持てるのが、豊かな成熟国家だ。



しかし、人々をある程度は、経済的不幸に追い詰めていないと、国家としての豊かさや国民全ての幸せを担保する「富み獲得の国際競争力」を失わせるのではないか?。なぜならば、僕らはイノヴェーション(=差異化)を価値とする晩期資本主義社会に生きているからだ。生産性の向上なくして、人類の未来はない。人類の一員としての民族、国家として、ただ単に家にこもって幸せになることは許されないと僕は思う。まぁかといって、あまり馬車馬のように働かせられておかしくなるのもう嫌だが。それは、地球という同じ船に生きる者の義務だ。ましてや、先進国の国々には人るの未来を先導し、そのために自ら刻苦を受ける使命がある。これだけ楽な生活をして富を独占しているのだから。


・・・・要はバランスだろうね。


さて、、、、そういう意味では、日本は財政的にかなり破綻に近付いている。これは未来を食いつぶす行為だ。この為には、今痛みを伴う外科手術はしかたがない。それは、ここ数10年日本人が甘えた結果なのだから。その意味で、「小泉政権のゆがみ・・・」とかい表現をするマスコミは、僕はさっぱり理解できない。経済的には、あれでもぬるいぐらいだ。こういうことは、ストックに余裕があるうちに決断しないと、船自体が一気に沈むのだ。


つーか、弱肉強食の経済戦争の厳しさを、わからんわけ?


いまは、経済で、統治しないで弱い国を植民地化するのが、強い国の目指すべき方向で、世界中が狙い狙われているんだぜ。そういう「現実」に目を背けるのは、僕は理解できない。理想論で、生存はかなわない。現実に打開策のある案を出してほしい。そうでなければ、口先だけではなく、何かの価値にコミットしてNGOでもなんでも組織を作って世界の変革に加担すべきだ。


もし、竹中元大臣がいうような経済成長率3~5%ぐらいの成長を日本が目指さない…つまり、国際的競争力を失った上、人口が衰退する国になることを志向するというのならば、いったいその国家体制にどんな理想やあるべき姿があるのか提示してほしいなぁ。


竹中本大臣が中心に担った小泉政権の国家戦略のもう一つの置きな柱は、持続可能な経済成長を維持するための、日本の無能な金融制度(資金のファイナンスの問題)へのメスだ。大きく言えば、日本の郵貯などの金融資産を、市場圧力にさらされないで浪費される「入口」と「出口」の破棄だ。入口は、郵貯や年金だ。出口は、共産主義と見まがう公務員や外郭団体の多さや賃金の高さの削減だ。安倍首相の公務員の改革もこの政策の継承にすぎない。たしかにこの大きな金融制度改革の哲学として、アングロサクソン的な監視国家や、公正な競争という、ある意味、日本社会に馴染みにくい原理を導入した竹中改革は、いまいち…とは思う。しかしそれは手段・方策の次元の問題。


戦略の課題としては、正しい。非効率な金融資産の「出口」と「入口」を潰し、旧経世会的な土建型ケインズ国家の解体だ。そして、正しい競争が回ることによって日本の50年の国家体制の基盤を安定させる。日本が成長を望む限り、これ以外の選択肢はない。日本の問題は、これほどの金融資産がある富める国であるにもかかわらず、市場にさらされない無能な公務員がたくさんいすぎること(銀行含む)ことなど、保護経済のベールが熱すぎることだ。この非効率な部分に市場原理を導入して、日本の資源投入の配分を、大きく舵を切ること。


そして持続的な成長・・・・保護されているものが甘えるのではなく、戦うものが価値を得ることのできる公正な社会の実現。


そのパワーシフトのさなかで起きる「切り捨てられる弱者」の問題がクローズアップされるのはわかる。しかし、保護されたものがぬくぬくと生きることによって、実は、未来の弱者や未来の挑戦者たちの大事なリソースが、奪われ続けていることに対してなぜ倫理的告発がされないのか?。目の前の苦しんでいる人だけが、弱きものではない。目には見えないが、そんな弱いものが、これからも継続して生まれない社会の実現というものが望まれるのは間違っているんのだろうか?。


しかもはっきりいって、日本の平等は、日本が馬車馬のように経済成長(最低限数パーセント)をしているという、資本主義が回っているという前提があってこそ成り立つ幻想のようにはかないものだ。そのために受験戦争とか競争が必要というのならば、それは必要なんだよ、何をいっても。必要悪という言葉はマイナスのニュアンスだが、大多数の幸せを担保する制度は、悪なのだろうか?。切り捨てはいけない?、ではそれはセイフティブランケットや制度の修正レベルの話にすぎないのではないか?。


馬車馬のように働きアリを続けるこの制度を、設計し維持してきたこの近代200年の日本人は偉いと思うよ。それが正しかったとかの評価ではなく、単純に凄い。なぜなら地球全部見まわしても、そんな国はほとんどないからだし。1930~45までのほんの10数年を除けば、ほぼ戦争がない上に、国土を戦乱で崩壊させたり、内戦で苦しんだ経験もない。こんな凄いのは、資源もない国で、馬鹿みたいに馬車馬のように働いて子供に教育して頑張る国民がいっぱいいたからだ。


日本人の世界のイメージは、勤勉。


単純だ、なにも資源ももたいないアジア土民が、世界すべてともいえる欧米パワーズに対して独立を維持して幸せになるためには、行動様式(=エートス)として、それ以外ないからだ。そして、それをそこに住むほぼすべての人々に、ウソでも信じ込ませて、成長に駆り立てる(=モチヴェートする)仕組みをつくって、それに従った先達に感謝ですよ。つーか、偉いと思う。ある意味、それは個を捨てる行為だからねー。それと比較すると、今の時代はなんと恵まれていることか。こんなに戦略的駒がたくさんある。資産(=資本ね)すらあるんだぜ!。しかも、素晴らしい世界に通じる組織をいくつも持っている。


それ以外の、オルタナティヴ(代替選択肢)を明確なイメージと持って戦略的に提示しなければ、意味ないじゃん。ちなみに民主党と自民党に差がないと僕がよくいうのは、民主党が政権政党になったとしても、結局は、政策を現実的に考えるといまの安倍さんや小泉さんと全く変わらない政策をするってこと。


だって、現実的な代替選択肢がないんだもの。政策で口当たりがいいことを言うのは、所詮資源配分を、都市層にするか、農村にするかという旧自民党の田中・金丸派の政策からの支持基盤のシフトにすぎない。そんなの本質的には意味がない。日本の人口動態の大都市圏へのシフトを考えれば、もうそんなパワーシフトは当たり前。それを見事に動員できた小泉首相が天才だっただけ。基本的に、都市的弱者も農村的弱者も、切り捨てられるのは間違いないの。なぜならば、強い意思のない人々に資源を配分する余裕は、日本にはないのだから。


だから、それへの抵抗と代替案を探すとしたら、福沢諭吉先生と同じことを言おう。


国家に無駄な期待をする暇、愚痴る暇があれば、その時間分勉強(=学問)しろ!。


日本人が・・・・資産が、資源がないこの国が誇りある独立を、またそれを個人が得るためには、ただ一つの方法が、勉強して世界に通じる能力を身につけること、ただそれだけなんだよ。


なーんて(笑)。何もしていない僕がいうと、陳腐なので、福沢先生がいったと思ってください(苦笑)。


なんか、最近の年金問題もなにもかも、とっても僕には内向きの、、、国家の内部での資源配分の争いにしか見えない。本当に必要なのは、未来の新しい価値を、、、、人類にとって価値のある価値を生み出すことのできる国家戦略とは何か?って事なのに。


足元???


生活は確かに足元だ。しかし、足元の大地自体がなくなれば、そんな会話もできないんだと思うよ。これもバランスの問題だとは思うけれども。国家戦略と足元がうまくリンクするマクロ環境を作り出すことが、国家指導者の責務なんだもん。個人的にあまり安倍首相は、好きではないなーというのは、、、政策的には危なげなくなかなか頑張っているとは思うのだが、小泉首相時代のような大きな国家戦略の部分へ切り込む器の大きさを感じないのだ。別にやっていることはそんなに変わらないのだがね(笑)。


ちなみに、そういう「マクロの現実」を認識しないで、小手先のイメージに動かされる大衆と、それしか提示できないマスコミは、それそのまま、われわれ日本人の民度の低さなのだ。宮沢元首相でなくとも、マクロの次元が理解できる人は、日本ではピープル(=民衆)を信じるのは不可能だ。だって、近視眼的に馬鹿で、煽動されやすいんだもの。


>閑話休題。


「政治家に求められるのは、知性ではなくて、決断能力だってことと、責任をとるということ」


と述べられていたのが、この話題は率直におもしろい。政治家に知性は必要なのだろうか。そもそも知性や教養の定義も、この場合、なんとなくあいまいとしている。赤城農相の言動を見ていても、最高峰の大学出身のわりには、?と感じているのだから、知性とは学歴や出身大学だけで計れるものでもない。



あっちなみに、知性とか教養とかには二つある。


一つは、①「歴史的な長いスパンのマクロを透徹できる」視点


そして


もう一つは、②「小手先の事務を捌く能力」


どっちも大事だが、もちろん政治家に重要なのは、後藤新平ではないが、星のごとき夢物語を夢想する①の予言力だ。②は優秀な参謀や高級官僚に求められる能力のこと。ちなみに表現は下げて書いているが、最も実際的に有用なのは、②なんだけどね。国家レベルでこれを運営する事務処理能力はウルトラ凄い能力だよ。



そして、政治家にはもう一つ(いやこちらの方が重要だが)必要なことがある。


それは、「タフネスと嗅覚」だ。 


たとえ、知性がなくとも、タフネスと嗅覚がある人間には、「その時代の雰囲気やあるべき姿」に驀進していくパワーがある。人を導くということは、小賢しい知性だけではできない。知性をひれ伏すような野蛮さと、人を巻き込んで前へ進ませる蛮勇さを人々に感染させる狂気が必要だ。なぜならば、世界を、人を動かすということは、エネルギーがいることだからだ。羊の率いるオオカミの群れば、オオカミが率いる羊の群れに負けるという。ようは指導者が、決断して、、、物事を変化させて、人々の臆病な心に火をつけることができなければ、国が滅びてしまうのだ。


時に間違っていても、前へ進まなければならない時がある。たとえば、戦争が嫌いとか言っても、明治維新後の日本の狂ったような殖産興業と世界への挑戦がなければ、日本は間違いなく植民地だったろうね。どっちが良かったのだろうか?。どっちがいいとはいえないが、、、でも、当時の指導者も国民も、頭を下げるくらいなら泥沼に飛び込んだんだろうね。指導者とはそういうものだと思う。前へ進むとはそういうことだ。わけのわからない闇に一歩を踏み出す行為んなんだ。現実を生きることとは。僕は批判が大嫌い。精確に言うと批判のための批判。今の時点(=未来)から、過去の政策を断罪するのは簡単だ。けど、「その時、その場」で「限られあ丈情報とリソース」で結論を出してきた先達たちに、未来からぬくぬくと批判するのは失礼だ。何もかもそろえるのは不可能だ。そして、もし・・・・そういった暴走的な指導者を抑え込みたいのならば、それは、そういう制度と歴史を、、、国民が長い歴史で生活でつくっていくしかない。その努力をしていない人間の批判は、聞くに堪えない。


指導者は民度に比例するのだ。


それを忘れた批判は、滑稽だ。鏡に映った自分を馬鹿だと笑う行為だから。批判をする人にはいつもこう思う、、、、では「あなた」はいま何をしていますか?ってね。何か行動を起こして、起こし続けて10年以上ぐらい軽く努力してからなんかほざけ、と思う。



>結局ペトロニウスさまのように民度の低い社会に生きる日本人としては「市民的エリート(国家に対抗する存在としての中間共同体の消失という意味)が育たない」ままでいくしかないのか・・・、とぼやきたくなる。


いや、そうでしょう(笑)。まぁ中間共同体で、国家に相対する意思のある市民的エリートを作るのならば、一番正しいのは階級を作ること。イギリスではないが、ノブレスオブレージを身にまとう貴族を作るのが、一番正しい手段だ。それを拒否して平等に固執するのならば、どうしても貴族と検察にの先導する社会であることから逃れられない。民度は低いままだ。農村からのエリート主義を支えた旧帝国大学・旧制高校の学歴選抜システムも、大衆化してそのレベルが地に落ちた。50年代以降ね。宮沢元首相が、フルブライト経験の革新官僚の末裔だから、まだそのエートスと気概があったんだろうね。でも、数人のエリートがいてもだめなのだ。気概を持ったエリートが集団で切磋琢磨されないと、だめなんだよ。エリートは独走しやすいから、一人だと馬鹿になるんだ。


>政治家に知性が必要なのか、本当にかなり難しい問題である。逆に以前お話した記憶をたどると”知性”に頼らなくてもよい官僚と政治家、市民の理想的なシステムを構築した構図ができればよいのか。


「知性」は絶対必要だよ。為政者には。


>”知性”に頼らなくてもよい官僚と政治家、市民の理想的なシステム


それには、背後の仕組みを設計するシステムアーキテクチャーという新しいタイプのエリートが存在しなければ成り立たないと思います。そのエリートたちをどう育て、モチベーションと倫理的正しさをどう調達するか?というのが、たぶん今の世界の設計者の最も究極の悩みだと僕は思います。



>いずれしろ、民意は与党を拒否した。今ごろ気づくのが遅くないか、と思っているのだけれど。


うーん、そういう意味では、安倍さんって、やっぱボンボンだなーと思う。というか器が小さい。為政者は、そのへんのことをわかっていないと・・・。とは思うが、実際は、この選挙で自民党を大敗させて、安倍政権という小粒政権をつぶして、次の指導者が危機意識を煽り、衆院選でまた大勝するというのが、自民党のシナリオのような気がするけどねー。少なくとも、小泉さんの後継者争いのときは、そういう話が多かったが・・・。そう思うと、ただ単に民衆は手のひらで踊っているだけだなーとか。。。まーでも、そううまくいかないのが大衆民主主義社会なんだけれどもね。

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