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2005年の4月17日がどうも一番古い記事のようなので、2年と6カ月くらいなのかな?・・・このブログをやっている期間。飽きっぽい僕にしては、よく継続して続いているなーと思う。


継続するということは「内的動機」と「手応え」が調和しているということなんだろうね。もともと意味もなく文章を書く癖あったので、出口と反応があるブログは、性にあっていたんだと思う。


□どうしてブログは三日坊主になる?・・・・・動機が無いからだよ(笑)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10012411966.html



けれども、書けば書くほど、最近は日常のストレス晴らしになっていること、日常のストレス晴らしのために読んだ本のカタルシスの部分を凄くクローズアップしているのが自分でもわかる。


ストレス晴らしは重要。けれども、それ「だけ」になってしまうとなー。


ブログを通して素晴らしい出会いがあり、リアルでもyutaくんやいずみのさんなどの深い友人が得られたし、リアルで会ったことがなくともつなさんや海燕さんのような、いろいろ自然体で話せる友人もできた。発信していると、いろいろリアルでは知りあえない知識に出会えるので、それ自体は継続していく価値も意味もあるとは思う。つーか日常が楽しくなるし&お金もかからない。


けれど、シゴトとプライヴェートの合間を縫って書いているだけあって、思考が表面的で分析力が凄く落ちているのがわかる。それは時間がないから仕方がないのかもしれない。熟考するほどの余裕がないもの。更新頻度を落として時間配分を変えるという手もあるけどなぁ。


目の前の手応えだけで、獲得目標や目的意識が失われている気がする。


時々それで落ち込んでしまう。普通に考えていて深く層を潜ることができるほど、自分の頭はよくないのだなーって、コンプレックスを感じてしまう。まぁ身の程をわきまえてはいるつもりではあるのだが、なんでもっともっと深くまでいけないのか?って時々落ち込みます。時間の使い方が悪いのかなあ。


時間だけが、人間に与えられた唯一の平等なものだから、これの「使い方」は、重要だよね。


リアルで仲のいい友人が、mixiをやめたんだけれども、理由が、


時間を取られすぎるから


だそうだ。その人は、アクティヴユーザーだったし、それで世界がどんどん広がっているのも外から見ていてわかったのだが、「それでも」もっとリアルを深める方が価値があると、時間の配分を切り替えたようです。


人生は一度しかない。


「いま」というときも一度しかない。


そして「次の年齢のステージへの準備」のための時間もいる。


そう考えると、自分の時間的リソースを、どう配分してコントロールするかは、重要なんだよね。ブログ自体は、仮に頻度を落としても、「文章を書くこと自体が大好き」な僕という人格には、とても重要な位置付けなのでなくなることはないが、それの使い方や時価の配分の仕方はもう少し自覚的でないとなーといろいろ考えた。


無自覚に楽しむのだけは、常にいましめないといけない、と思った今日この頃でした。(考えすぎ?)

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■批評の軸~自分はいったいどんな基準でものごとを判断しているのだろうか?


なんとなく、ふと自分は★で評価表をつけている割には、基準を明示して考えていないなーと反省して、自分の中にある評価ポイントを書きだしてみる。これを、ゆっくりと磨いて、ポートフォリオにでもしてマトリクスを作っていると興味深いかもしれないと思いつつ。


1)物語性


2)表現技術・媒体特性


3)実験性


4)マーケティング・プロモーション戦略


5)総合力としてのエンターテイメント力(市場訴求力)


6)同時代性/体験の一回性


7)嗜好性(個人の好み)


てきとーに書き出してみる。まだ分類し切れていないので、感覚ですが。


僕が批評をするときには、まず物語性が高いか低いかで物事を見ているようだ。僕の評価のほとんど、80%近くの過半は、この「物語性」という部分に集中している。ではこれはん何か?って質問が対に来るんだけれども、あまりまとまっていないので、とらえずここで止めておく。ちなみに、物語性には、もちろんマクロとミクロの次元があり、ミクロの次元でも関係性とキャラクターの動機がある。またそれの典型的な形式としては、僕のテーマの一つである「善悪二元論」や「感受移入による回心の瞬間」などの形式ごとに分類しているようだ。(←ようだって…自分でじぶのことがよくわからないのだ(苦笑))


そして、その伝えたいメッセージ(=物語の核)を伝えるために必要な表現技術のレベルがあるかどうか。またその媒体特性にあった特徴を活かしきれているかどうか、だ。


そして、こうした物語と表現技術の場面で、実験性(=新規さ)があるかどうか?というのも重要なポイント。例えば、ラスボス問題や善悪二元論の行き詰まりなどは、物語の類型の行き詰まりの一つで、これをどう回避しているかや解決しているかは、一つの評価ポイント。また、物語としては古典的であっても、表現技術や載せる媒体が秀逸という場合もある。


また1)~3)の本質を、どういったマーケティング・プロモーション戦略として結び付けているかという部分も重要な評価ポイント。例えば、ネギまや『東京タワー』のメディアミックスの展開は、その二次展開三次展開であるアニメーションやドラマ、小説などの他媒体への移植をどう評価するか?ということなしに、オリジナル以外の作品の評価をすることは出来ないと思うのだ。


そして、総体としてエンターテイメントとして、どういった広さと深さを持ちえているかが、最終的な評価となると僕は考えている。まぁそうすると、エンターテイメントとは何か?って問いが来るんだけれども、今日はここまでで思考を止める。


次へ行こう。同時にそれが「他者にメッセージを伝えることを目的とする」事から、「出会い」も重要なポイントだと僕は思うんです。


僕には、実存主義的な生き方を教えてくれた栗本薫さんのグインサーガは、神様なのですが、別に彼女の作品と同系のメッセージを持つ作品は少なくはない。ただ、人生の『受け入れるべきタイミング』に、ちょうど彼女の作品が僕と「出会った」ということが、その他の遥かに優れる作品を凌駕して「特別」となってしまった。


これは、個人史との問題だが、これの問題をズらすと『新世紀エヴァンゲリオン』の90年代での登場や、アメリカのコンフォーミズムの世代の空気を一掃したビートルズの60年代の登場などは、「その時代性」と深くリンクしていたからこそ、同時代性を持ちえ、その世代と時代に特別な神話を打ち立てることになる。


最後に、「好み」というのがある。どんな理由があるかは抜きに、そもそも巨乳が好きで、それ以外を乳とは認めないという人もいるだろう。またショートカットよりもロングヘアーが好きとか、筋肉質なマッチョよりもナヨッッとしたメガネがいいという人もいるだろう。狭く云えば、フェティシズムや属性みたいなものだが、これは評者の個人的嗜好ですごく左右する。例えば僕は問答無用で、メガネをかけて頭のいい女の子とかは、ツボだしね。こういう感情に立脚した思い込みは、探れば根拠はあるのだろうが、もう反射的に肉体レベルで反応するものなので、批評・分析を受け付けない感情の吐露になりやすい。そしてそれこそが、「好き」ということなのだと思う。


ちょっち、自分の評価基準を少し書きだしてみた。これをベースにもう少し思考の旅に出てみたいと思う。ゆっくりね。



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■評価の基準


★★★★★ 疑いなき傑作・名作・マスタピース
★★★★☆ ペトロニウにとっての傑作
★★★★   皆様推薦の傑作
★★★☆   劇場で鑑賞推奨
★★★    自宅で鑑賞推奨
★★☆     興味本位の鑑賞推奨
★★      鑑賞を推奨せず
★☆     鑑賞に値せず
       時間を無駄にする駄作


まつさんの映画伝道師
http://blog.livedoor.jp/matusan/


まつさんのところの評価システムを例に自分なりの基準を考えてみたいともいます。


①★★★★★ 疑いなき傑作・万人が見て面白いといえる深さのある作品


基本的に、★5つは、万人にとって面白いといえる深さがあると僕なりに分析できる作品。僕の作品鑑賞の姿勢には、


・「教養とテーマをもって眺める価値がある」


・「エンターテイメントして深く没入・感情移入できる」


という二点が高いバランスをもっている点を評価している。もしくは、そのどちらか水準を振り切って「凄み」のあるレベルに、ある到達をしていると思うものでもいい。つーかこれを面白いといえないやつは、ちょっと勉強が足りねーか、あまりに出会いが悪いか、偏見があって食わず嫌いしていると僕が独断と偏見で決裁しています。マスタピースがつく場合は、アーカイブに残るべき作品(何度でも見返したい!)という意味。たとえば自分の子供に文句なく薦める・・・というか、強制して体験させたいレベル。できれば友人にも(つまり無責任ではなく、自分の好きな人と共有したい体験を感じたもの)。


ちなみに主観で★5というのは、このテーマ性(教養とテーマをもって眺める価値がある)にヒットしている場合が多い。もしくは、メガネとか妹とか、自分的萌えポイントがクリティカル・ヒットした場合。


たとえば、「忘れられた近代日本史」とか「病めるアメリカ社会」や、自己にとっての実存とは何?とか、体験の一回性やナルシシズムの告発と解放など、僕の思考の糧となる破片を追及しているものには高い主観評価につながる。


それともう一つある。


・ジャンルの壁に阻まれてなかなか異なるコミュニティーの人が越境してまでは見ないのだが、それはおしいという作品


ちなみに、①と③のレベルは、とりわけ、ジャンルにとらわれず「曇りなき眼」で「質」を評価するという僕の強い哲学と志向を反映して、境界を超えるような作品にはとりわけ高い評価を与える傾向がある。たとえば、エロゲーであるにもかかわらずそのジャンルの形式を深めまくってその型を破っているTYPEMOONなどには、強いシンパシーを感じるので、なるべく人がストレートには評価しなかったり賞賛しないものであるにも関わらず、現代社会のテーマの基調低音に触れるものには、特別にとりあげて長文を書く傾向がある。



②★★★★☆ ペトロニウスにとっての傑作


万人にとって、とまでは言い切れない。①に比較すると、作品の質が、あと一歩!と思ったりするもの。が、、、、これの良さが分からないなんて世間は、間違っているという感じ。またアーカイブに残るとまでは言い切れないおしい、あともう

少しの名作。


③★★★★  皆様推薦の傑作


普通に良いねというレベル。映画だったらお金を出して劇場で見る価値があるもの。秀作。ある水準を完全にクリアしているもの。何かが心に残る作品。



④★★★☆  劇場で鑑賞推奨


お金を出して劇場で見れば、ああ、なかなか効用はあったね、と悔いは残らないもの。★3つは、見ても見なくてもいい普通のレベルなので、それよりは、少しいい・・・が、イメージ的には、凄い面白かったけれども、心に残らないなーというレベル。



⑤★★★   自宅で鑑賞推奨


ふつう。みても見なくても、どちらでもいいもの。そのジャンル(映画とかマンガなど)が好きであれば、消費するのは、悪くないものですが、お勧めできるレベルにはありません。ただ、損をしたとまでは思いませんというレベル。


ちなみに、マンガなどの評価は、客観評価が★3つで、主観評価が★5つとかいう場合が多い。それは、客観的に万人が重し理といえるほどの深さも、「心に残る感」もないけれども、絵柄が可愛くて強いシンパシーを感じてしまったり、なんとなく癒されてしまったりという構造的には駄作でも、心にとっては価値と意味があるオアシスであるというような評価になる。


⑥★★☆   興味本位の鑑賞推奨


ここからは、はっきり悪意があってつける評点。ぼくにはかなりめずらしい。これ以下は、そうとう僕の中で印象が悪く、

見ると有害であるとか、「こういう考え方は間違っている」と気持ち的に許せないものが多い。以下その気分の悪さの度合


⑦★★    鑑賞を推奨せず


⑧★☆    鑑賞に値せず

⑨★     時間を無駄にする駄作


★ひとつは、害悪。個人的に許せないレベル。


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