Niall Ferguson
Empire

■正しい帝国の運営は、人類社会に文明をもたらすのか?

「欧米でいま最も売れている歴史家」で、『タイム』誌の「世界でもっとも影響力のある100人」といわれる歴史学者のニアル・ファガーソン(ハーバード大学教授)は、実は前から注目していた。初の翻訳『憎悪の世紀』が出たことはうれしいのだが、本当は、『Empier』の方が読みたかったのだがな・・・。


   
ニーアル・ファーガソン, 仙名 紀
憎悪の世紀 下巻―なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか


ニアル・ファガーソンの大英帝国論/HODGE’S PARROT
http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20070630/p2  



ニアル・ファガーソン氏は湾岸戦争・イラク戦争ともに開戦に「賛成」を主張しており、また現状のアメリカの武力介入の不徹底ぶりとネオコンの「歴史に対する無知とナイーブさ」を徹底的に批判している。


世界の秩序を考えるときに、「帝国」という超越権力を持つことの意義を問うているわけだ。


彼はもともと第一次世界大戦頃を対象とする歴史学者で、そこから大英帝国の「帝国運営」「世界統治」の在り方が、決して悪くなかったんじゃないか?という意見を主張している。


これは僕が「ネオリベラリズムは本当に悪か?」というテーマで記事を書いていることや、部族社会を超越する「正しさ」を作り出すことの困難さ、その困難さによる無秩序の殺戮合戦がいかにひどいか?という疑問と通じる「問いかけ」で、僕はとても注目している。またローマ帝国という「帝国」の統治が、異民族の同化と文明の波及(=統一的な正しさや法の概念の浸透)をベースにして、長寿命の安定した社会を形成したというパックス・ロマーナの歴史からも、同じように「帝国」の運営を評価できるのではないか?という議論は、とても刺激的だと思う。


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ニアル・ファガーソン氏曰く、アメリカは大英帝国と比べるとダメだという。つまり大英帝国のほうがよほど「統治」に長けていた。大英帝国は単なる搾取的な権力ではなかった、と。



私は大英帝国のバランスシートを問うているのだ。バランスシートには資産も債務もある。負の債務を隠すつもりはない。確かに奴隷貿易は18世紀の英国に広く見られた。母国から連れてこられ、命を落とすことも少なくなかった人々の苦悩をおろそかに思うことはない。英国のインド支配では、個人所得の持続的な成長や飢餓問題の除去に失敗したことを無視するつもりはない。



だが、19世紀のインドで英国による統治以上に望ましい統治形態があっただろうか。ムガール帝国が再興していたら、もっと素晴らしい統治であっただろうか。英国のインド統治がなかったら誰が統治者として現れていたのだろうか。



インドの国民議会派は、実際は英国公務員たちによってつくられたし、ガンジーは英国で教育を受けた。奴隷貿易に手を染めたのは英国だが、19世紀、奴隷貿易廃止に最初に立ち上がったのも英国の海軍だった。



英国がもたらした利益は、そのために費やしたコストよりもわずかながら上回っていると思う。



歴史には「よいこと」と「よくないこと」が同時に存在する。要はバランスシートだ。英国の帝国主義者の悪漢どもに立ち向かう、正義のナショナリスト。私はそれを「ハリウッド版の歴史」と呼んでいるが、歴史の真実ではない。なるほど大英帝国の統治は完全とはいいがたいが、法の支配や、個人の財産保護、腐敗のない行政府といった英国的な理念は、その後の世界の普遍的な価値の基礎を形づくった。


「特異な帝国」アメリカとその後 (朝日新聞『論座』2007年5月号、聞き手=木村伊量) p.64-65
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■本当に文明化のエヴァンジェリスト(使徒)としての正しさはあるのか?



とはいえ、英国などの「帝国」志向が、文明化のために行ってきた数々の凄まじい蛮行を正当化できるのか?というのも問題ではある。所詮は、植民地支配に過ぎないだろう?一方的に弱者を殲滅支配することが許されるのか?ということも、負の遺産の大きさも直視しないと、この議論は重さに欠けるし、植民地支配肯定の宣伝的道具となり果てる可能性もある。


英国の植民地主義/I have got some news from ...
http://d.hatena.ne.jp/nofrills/20060504  


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西側ジャーナリズムの信条のひとつに,それがいかに甚大な害をもたらしたものであっても,「私たちの」過失については弁解し,あるいは最小化する,というものがある。私たちの死者は数えられる。彼らの死者は数えられない。私たちの犠牲者は惜しむべき人々である。彼らの犠牲者はそうではない。



これは昔からあることだ。「イラク」は,あるいはブレアが「蜂起やテロリスト」に対抗する「歴史的闘争」と呼ぶものは,これまでに数多く存在してきた。例えば1950年代のケニア*5。西側では今でも公認版が大切にされている。まずはマスコミで広められ,次にフィクションや映画で定着するのだ。そしてイラクと同様に,これはうそなのだ。



1955年,ケニアの統治者はこう述べている。「私たちが心血を注いでいるこの大きな仕事は,極めて原始的なモラルおよび社会状況にある大勢の人間たちを文明化するという作業です。」千人単位でナショナリストたちが殺戮されたが(そしてこの人たちは決して「ナショナリスト」と呼ばれることはなかった),それが英国政府の政策だったのである。



ケニアの蜂起についての神話とは,マウマウ団*6が「悪魔的恐怖」を英雄的白人入植者にもたらした,というものである。実際には,マウマウ団が殺したヨーロッパ人は32名に過ぎない。一方で英国によって殺されたケニア人は1万人と推計されている。また英国は劣悪な環境の強制収容所を設け,収容所ではたったの1ヶ月で402名の被収容者が死亡している。



拷問や鞭打ち,女性や子どもの虐待は日常的であった。帝国主義史研究のV.G.キアナン(V.G. Kiernan:参考|これも参考)は「特別監獄(special prisons)はおそらくナチスや日本の同種のものと同じくらいに劣悪であっただろう」と書いている。これについては一切報道されていなかった。「悪魔的恐怖」は一方通行だった。すなわち,黒人が白人を襲う。人種主義的なメッセージは明白である。



これはヴェトナムでも同じであった。1969年,ミ・ライ村(ソンミ村:参考→ピルジャーの2003年4月の記事)での米軍による殺戮が表ざたになったとき,これはニューズウィーク誌の表紙で「アメリカの悲劇」と題された。ヴェトナムの悲劇ではなく,アメリカの悲劇と。事実,ミ・ライ村のような殺戮は多くあり,それらのどれ一つとして当時は報道されなかったに等しい状況だった。


Out Now, Before We Are Thrown Out 即時撤退を,我々が放り出されないうちに。2004年4月27日John Pilger記者

http://www.geocities.jp/nofrills_web/translation/pilger_znet27apr04.html

 

V. G. Kiernan

America: The New Imperialism : From White Settlement To World Hegemony  

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■参考記事


ニアル・ファガーソンの大英帝国論/HODGE’S PARROT
http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20070630/p2  

英国の植民地主義/I have got some news from ...
http://d.hatena.ne.jp/nofrills/20060504  

せめて帝国になってほしいアメリカ2003年12月2日[田中宇の国際ニュース解説]
http://tanakanews.com/d1202empire.htm  

米英で復活する植民地主義 2001年11月12日[田中宇の国際ニュース解説]
http://tanakanews.com/b1114colony.htm  

資本の論理と帝国の論理 2008年2月28日  田中 宇
http://tanakanews.com/080228capital.htm  

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2008/02/29 ヘンリー英王子、アフガンで従軍=タリバンとの戦闘に参加
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200802/2008022900111&rel=y&g=int


【ロンドン28日時事】

英国防省は28日、チャールズ皇太子の二男で陸軍に所属するヘンリー王子(23)が、アフガニスタン南部の前線地域でイスラム原理主義勢力タリバンとの戦闘に参加していることを明らかにした。
 王子は昨年12月下旬以降、英軍部隊が駐留する南部のヘルマンド州で任務に参加。BBC放送によると、王子のアフガン赴任については、報道協定により、これまで報道が控えられていたが、インターネットで情報が漏れたことから、国防省が赴任の事実を確認した。

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勝鹿 北星, 浦沢 直樹
MASTERキートン (1) (ビッグコミックスワイド)

まごうことなく傑作の『MASTERキートン』ですが、この主人公は、イギリス人と日本人のハーフ(ダブル?)で、もとSAS(イギリス陸軍の特殊部隊)の経験者で、その腕をかられてイラクで行方不明になった、イギリスの王族を探しに出るという物語があって、それを思い出した。確か『豹の檻』という話だったと思う。


ちなみに、オックスフォードで考古学を勉強していた主人公は、その王族(たしかノーフォーク公)と同級生であったという設定でもあったはずだ。あの話も、本当にやりきれない話で、なんかすごく連想してしまう記事でした。

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宮台 真司, 神保 哲生
神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド2 アメリカン・ディストピア―21世紀の戦争とジャーナリズム (神保・宮台激トーク・オン・デマンド (2))


評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★星5つ)


どうも1ヶ月は、続きを書かない日々が続くから、このテーマ


部族社会から統合を生み出す飛躍はなにによるのか?


ってのと、その敷衍による


ネオリベラリズムによる武力制圧は悪か?


ってのは、かなり先になると思うので、参考図書を挙げておこうと思います。あまり考えず浮かんだものを適当に並べましたが、僕の上記の課題はこういった本を読みあがら生まれてきたものなので、もし読んでいる人がいたら、それで会話ができればな、と思ったりします。


『小さな国の救世主2~3 おざなり将軍・いまどき英雄の巻』 部族が殺し合う世界で②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10058244959.html

『小さな国の救世主2~3 おざなり将軍・いまどき英雄の巻』 部族が殺し合う世界で①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10058213067.html





G.J. カエサル, Gaius Julius Caesar, 国原 吉之助
ガリア戦記 (講談社学術文庫)
塩野 七生
ローマ人の物語〈4〉― ユリウス・カエサル-ルビコン以前
塩野 七生
ローマ人の物語〈5〉― ユリウス・カエサル-ルビコン以後

神保 哲生, 宮台 真司
天皇と日本のナショナリズム_神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドIV
山本 七平
山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)
山本 七平
山本七平の日本の歴史〈下〉 (B選書)
山本 七平
裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)
山本 七平
日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)
小熊 英二
〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
小熊 英二
「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで
小熊 英二
単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

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評価:★★★星3つ

(僕的主観:★★★★★星5つ)


①の続きです。


さて、カエサルの説明に入る前に、もう一つの気になった高野さんの以下の作品にいつて見ましょう。



『国境を駆ける医師イコマ3』 高野洋著 昨日までの隣人に射殺される恐怖
http://ameblo.jp/petronius/entry-10022151369.html  

 

高野 洋

国境を駆ける医師イコマ 1 (1) (ヤングジャンプコミックス)  



この1巻のアフリカの内戦に関するエピソードが、僕には衝撃でした。胸が苦しくなって吐きそうな、苦しいエピソードですが、主人公の医師としての強く熱い動機が伝わってきて、胸に響くドラマです。素晴らしいマンガなので、ぜひご一読を。本当かどうかはわからないのですが、アフリカの内戦で殺し合っているある一派の族長クラスの人が、


日本の吉田松陰や久坂玄瑞 、高杉晋作を深く尊敬している、、、


というのにびっくりするシーンがあるんです。


これが本当かはわからない。が、現実に考えて、内戦で苦しむ、近代化できずに苦しむ人々がもっとも参考にすべき意見だというのは、否定できない事実だと思う。なぜかというと、部族ごとに内戦を経験して、統一国家としての強みも見いだせず、列強(パワーズ)という欧州に植民地支配される寸前で、近代化すらできていない遅れた土民の国だった日本を、この後起きる維新で、世界に冠たる一流国まで短期間に変えることを可能にしたからです。これは、チェ・ゲバラや毛沢東を読むより、たしかに価値があると僕は思います。日本の存在の世界史での意義の一つは、北東アジアですら辺境に位置する地球上の辺境(欧州から見て)の国が、独自で、統一化と近代化を成し遂げて、世界の列強へ登りつめる方法を世界に示したことです。その大きな源泉が長州という徳川幕藩体制での田舎のなにもなかった3人の時代にあった、というのは否定できない事実。


 
久坂 玄瑞, 福本 義亮
久坂玄瑞全集 (1978年)  
 
川口 雅昭
吉田松陰一日一言―魂を鼓舞する感奮語録  
 
古川 薫
松下村塾と吉田松陰―維新史を走った若者たち  

**************
パトリオティズムとナショナリズムの愛国心1:人類の集団社会の歴史的変遷
http://charm.at.webry.info/200604/article_16.html  


集権的な統一国家が成立していない時代や集団においては当然、郷土愛や同族愛はあっても愛国心は存在しない。
日本も戊辰戦争を戦った幕末の歴史段階では、日本という統一国家に対する愛や忠誠を明確に意識していたのは、勝海舟や坂本龍馬、大久保利通、木戸孝允など一部の進歩的知識人、革新的な活動家だけであったし、江戸時代以前には東北や北海道の人々は日本という統合的な共同体の成員であるという意識は当然なかっただろう。

中央政体としての幕府や地方政体としての藩への忠誠心や愛着が、中央集権国家としての日本国への忠誠心や愛着に変質する歴史過程には、明治維新による体制変革があり、明治政府の教育改革による国民アイデンティティの醸成があった。
**************


つまりね、アフリカや中東の内戦とかの殺し合いというのは、部族同士の殺し合いなんですね。すべては、部族同士が殺し合っているので、そこに巨大企業や先進国に付け込まれるすきを与えられるわけで、、、いや逆に言うと、分割統治の原則で、欧米列強や日本や中国などの覇権国、大国は、いかに自分たちん都合のいい属国や植民地を作り出すかという世界のグランドデザインを描いていて、それに簡単に利用されちゃうんですね。


世界のルールその1


自己により独立できない国・民族は死ね、然らずんば従属しろ!


です。これは、現前たる事実で、異論を唱えても仕方がありません。事実ですから。


そうすると、部族社会で殺し合っている人々の願いは、統一なんですね。国際社会は、統一国家として独立して初めて、意見を述べることができる。ところが、部族社会というのは、言い換えれば、統一のシンボルが部族(=血縁とか)による社会だということで、国民的アイデンティティを統合するシンボルを欠いているんですね。アフリカとか中東の地域を非常に遅れた地域として蔑む気持ちが先進国に生まれるのは、この統合国家と視点シンボルを独力で築き上げる、、、言い換えれば、国家という部族での利害を超えた幻想の「正しさ」を生み出すことのできない人々という意識があり、これは、たぶん鶏と卵の議論ではあるものの、否定できない。


日本も、アメリカも、統合国家ができる過程で深刻な内戦を経験しています。アフリカも中東も、それではその途中と考えればいいのでしょうか?。


でも、微妙に違うんですよね。なぜならば、たとえば中東やバルカン半島。


 
塩野 七生
ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)  

なんと、パックスロマーナの時代から、このバルカン半島や中東というのは、やっぱり火薬庫なんですよ(苦笑)。いっつも部族ごと民族ごとで、殺しあっている。びっくりです。僕は、ヨーロッパの植民地政策のせいだとばかり思っていましたが、そうではないんですね。そういう地域でもあるんですよ。


つまり、よほどの特殊な統合の飛躍がない限り、部族社会で戦乱にまみれている地域は、殺し合いによる秩序が常態化してしまうんですね。


このことに、ローマの歴代皇帝は、心底心悩まされています。


なるほど、、、、


*************

>さて、でも、殺し合いが辞められない理由はわかりました。人間ですから家族や愛する人を殺されれば、それは復讐するでしょう。けれど、なぜそんな殺し合いをしなければならない構造が生まれるのかが、僕にはよくわかりませんでした。『ホテルルワンダ』でも『ウェルカムトゥサラエボ』でも、どんな本を読んでも映画を見ても、事実を調べても、とにかく現に殺しあっている、ということが前提になっています。そこに住んでいる人のじかに聞いてさえ、前提で話すので、はっきりしないのです。




僕は、その前提の根拠がわからなかったのです。

*************


先ほどの①の疑問に戻ります。


なぜ殺し合っているのか?。


それは、レアメタルなどの資源の奪い合いで多国籍企業が武器を流してくるから、、とか、ヨーロッパ列強の植民地支配のための巧妙な国境線の設定のせい・・・とかとか、、、いろいろ言われますがそれは表面にすぎない現象なんですね。


その前提とは、統合のシンボルを自らの力で生み出すことのできない部族社会の心性のあり方のせいなんですね。


そうです。部族を超える「正しさ」を共有できなければ、ハムラビ法典にある目には目を歯に歯をという復讐法による力による秩序が常態化してしまいます。


その③へ続く



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鷹見 一幸
小さな国の救世主〈3〉いまどき英雄の巻 (電撃文庫)

評価:★★★星3つ

(僕的主観:★★★★★星5つ)


基本的に、1巻の記事で書いたように、読者を感情移入させるためになんの覚悟もない日本人高校生の甘い気持ちからスタートする演出自体は、正しいと思うが、物凄く唾棄すべき嫌悪を感じた。


が、その甘さを乗り越えてくると、この物語の骨格は素晴らしい。だから2~3巻のセリカスタンの内戦の終結までの出来は、本当に見事だと思う。何度か落涙したが、僕の最も不思議に思っているテーマと重なる見事な骨格であった。キャラクターに偏愛する強度もなし小説もうまいが平均の薄さ、、、、にもかかわらず、本当に見事だと思ったんだから、大したものだ。



■内戦の続く第三世界でに訪れた先進国の人間の感慨


この小説を読んでいた時に、ずっと頭をよぎっていた本が2つある。一つは、マンガの高野洋さんの『国境を駆ける医師イコマ』と、小説の塩野七生さんの『ローマ人の物語』のカリグラやネロ以降の治世の巻だ。何度も書くのですが、僕は読書を単体ではしません。そこに描かれている本質と関係するテーマを頭の中で重ね合わせながら多層的に、その本質に迫るという読み方をします。それが、読書人の醍醐味だと思うのです。

高野 洋
国境を駆ける医師イコマ 6 災害編 (6) (ヤングジャンプコミックス)
塩野 七生
ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

この小説の面白さを説明するには、少々長くなるが、僕の頭の中に響きあうその波紋を順序よく説明しないとできないので、迂遠ではあるが説明して見ようと思う。僕のブログの読者ならば、こんなめんどくさいものでも、少々お付き合いくださるでしょう。(ほんと???)


第三世界とか先進国とか、あまり良い言葉ではないのはわかっている。差別的なニュアンスがあるので、政治的に正しいとは言い切れまい。けど、そこは本職の文章家ではないので、容赦願いたい。


さて、この『小さな国の救世主』というのは、現代の中央アジアを舞台にした異世界ファンタジーものと考えられる。そこに訪れたなんの力もない日本人の高校生が、セリカスタンという国の内戦に巻き込まれて、そこでその国のお姫様に恋をして、手助けするうちに、なぜか英雄になってしまうというご都合主義極まれる物語です。まぁ強度、物語の進行、キャラクターの設定、すべてがご都合主義のライトノベルです。


けど、これを読んでいる時にあるテーマを思い出したんですね。僕が読書や情報を集める時ときにはいつもテーマや仮説をもってしていて、そのうちの非常に大きなテ-マとの関連性を感じたんです。その一つは、


部族社会から統合を生み出す飛躍はなにによるのか?


ってのと、その敷衍による


ネオリベラリズムによる武力制圧は悪か?


という問いです。



難しすぎるので、噛み砕きます。


個人史ですが、僕は学生時代にアラブ世界をバックパッカーで回ったことがります。エジプトからイスラエルまで車でシナイ半島を横断したこともあります。あるNPOつーかNGOみたいのにも参加していて、ここにはちょっと深く付き合ったことがあるのです。


そして友人のパレスチナ人と、イスラエル人に、



「なんでいつも殺しあっているの?苦しいだけじゃないか?」


と聞いたことがあります。



その答えは、



「僕は妹を、テロで殺された・・・・父親もだ。だから許すことはできない。」



でした。



ちなみに、最初に言われたのは、「平和ボケで、石油が欲しいだけのエコノミックアニマルは黙れ!」でした。


別々に聞いたのですが、二人とも判で押したように同じことを言いかえしました(苦笑)。


この時に、涙を流しながら怒っていたイスラエルの友人をみながら、僕は何も言えませんでした。



たしかに、長期的にマクロでみれば、殺し合いはなにも建設的なものを生みません。そんなことは理性ではわかります。しかしながら、理性では越えられない問題や、ましてや1度殺しあいの連鎖によって発生した「怨念」を打ち消すことは、とても難しいことなのです。僕は、いまだかつてこの時の友人の言葉が忘れられません。平和などという、空疎な言葉なぞでは解決できません。


ちなみにビジネスの世界を志したのも、日本が世界平和に貢献できうるのは、ビジネスと産業を広める力だと、その時の経験で確信したからでした。この信念はいまだ変わりません。資源を掘るだけの経済では、配分を基調とする政治力主体の制度が出来てしまい、平和は生み出さないのです。無から有を、無からヴァリューを生み出す力と制度こそ、世界に誇れる平和思想だと僕は信じています。


平和を口先だけで語るバカ野郎は僕は大嫌いです。現場に行ったこともなく、そこに友人もいない奴らが、口先でだけでしゃべるのを聞くと、ぶっ殺したくなります。世界は口先では変わらない。ましてやボランティアや政治ごとき(=リソースの配分)でも簡単には変えられません。映画ですら見ればわかります。


ジェネオン エンタテインメント
ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション
日活
ロード・オブ・ウォー
アスミック
ウェルカム・トゥ・サラエボ

さて、でも、殺し合いが辞められない理由はわかりました。人間ですから家族や愛する人を殺されれば、それは復讐するでしょう。けれど、なぜそんな殺し合いをしなければならない構造が生まれるのかが、僕にはよくわかりませんでした。『ホテルルワンダ』でも『ウェルカムトゥサラエボ』でも、どんな本を読んでも映画を見ても、事実を調べても、とにかく現に殺しあっている、ということが前提になっています。そこに住んでいる人のじかに聞いてさえ、前提で話すので、はっきりしないのです。


僕は、その前提の根拠がわからなかったのです。


ところが、その理由に明確な答えを与えてくれたのが、塩野七生さんの『ローマ人の物語』のカエサルでした。そしてその後の歴代皇帝、、、とりわけ第二代ティヴェリウス、それにカリグラ、ネロ、ヴェシィパスアヌスなどなど、歴代皇帝の統治の大きな課題を見ていくうちに、ハッキリとこれまで理論的にしか考えていなかったことと歴史がつながるようになってきました。カエサルが、天才といわれ、ヨーロッパを創ったとさえいわれるのが、なぜか?ということを紐解くとこの答えがわかるのです。


どうです、ゾクゾクしませんか?。


塩野 七生
ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)
塩野 七生
ローマ人の物語〈5〉― ユリウス・カエサル-ルビコン以後

さて、カエサルの説明に入る前に、もう一つの気になった高野さんの以下の作品にいつて見ましょう。



『国境を駆ける医師イコマ3』 高野洋著 昨日までの隣人に射殺される恐怖
http://ameblo.jp/petronius/entry-10022151369.html

国境を駆ける医師イコマ 1 (1) (ヤングジャンプコミックス)


②に続く


・・・・・・全然、小さな国の救世主の話にならないな・・・(苦笑)

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