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評価:★★★星3つ

(僕的主観:★★★☆星3つ半)


いま4巻まで読んだ。どなたかに紹介していただいたのですが、だれだか忘れちゃった…とにかくありがとう。非常に面白かった。一気に読んだ。3巻や4巻なんか、ぐっときて涙したぐらいだから、よくできた物語だろう。ライトノベル(って定義が難しいが)として非常に完成度の高い、読み易い小説の上手い作品だった。ただまー時間があって、ライトノベル系が好きならば、、、よんでもいいかなってクラスだなー。


■もう一度読み返すために手元に置いておきたい魔力があるかどうか?


あっと、僕が小説を評価する軸の大きな一つに、もう一度読み返したい!と思うかどうか、というものがあります。そういう意味では、この鷹見一幸さんの小説の技量では、読み返すことはないな、と思う。いや面白かったんだよ、5巻を一気に読んだし、泣いたくらいだから。でも、それは、のどが渇いたときの清涼飲料水のようなもの。何度も続ける嗜好品にはならない。同じくらいの完成度だし、小説の上手さもそうだけれども、たとえば高瀬彼方さんの『ディバイデッド・フロント』や西尾維新さんの『化物語』なんかは、絶対に忘れたころにもう一度読みたいと思わせるモノがある。といわけ一時の快楽や癒しのための小説であればある程、「もう一度読むために手元に保有しておきたい」と思わせる魔力はある種の価値だと思うのです。残念ながら、凄い面白いのに、鷹見さんには、僕はそれは感じない。実際、これだけ楽しんでも、すべて即ブックオフいきだ。


高瀬 彼方
デイバイデッド・フロント〈3〉この空と大地に誓う (角川スニーカー文庫)
西尾 維新, VOFAN
化物語(上) (講談社BOX)

■自己責任意識をめぐる現代日本のエンターテイメント状況


ちなみに、面白かった点を、少しづつ評価したいのだあ・・・まずは、1巻にあったどうしても許せない二点の嫌悪感を。

1)1巻の主人公の主体意識の甘さ

これは、ほんとは、ストーリー上のレトリックというか技なので、批判することがおかしいのですが、この主人公の少年が、セリカスタンという中央アジアに旅行しに行った理由と、1巻で見られる自己責任意識の弱さには、嫌悪感を超えるような嫌悪感があった。とても面白い、素晴らしい作品なのに、それが強く臭みがある、1巻は、いらだつほどだった。


************


見渡す限りの大草原―。中央アジアの辺境にあたるその地に天山龍也はいた。「たしかに俺は人とは違う体験をしたかったんだけど…」治安の悪いこの国で、パスポートも金もはぎ取られた龍也にできるのは途方に暮れることだけ。そんなとき出会ったのはサラサという美しい女性と、リューカというまだ14、5歳の可憐な少女だった。二人はある部族の代表だが、内乱が勃発した今では政府に追われるお尋ね者だというのだ。行く宛てもない龍也は否応なしにその逃避行に巻き込まれ…!?鷹見一幸が贈る「いまどきの救世主の物語」スタート。


************


この作品は、中央アジアの内戦に巻き込まれた日本人の男の子の話なんですが、体裁は現代ですが、ようは「異世界ヒーローもの」なんですよね。異なる世界にタイムスリップとかした主人公が、そこで英雄になっちゃって…みたいな。


けど、なんというか、一言でいうと物凄く覚悟がなくて甘い意識なの。耐えがたいくらい。虫唾が走った。イラクだったかどこかで捕虜にされた日本人青年の自己責任論がメディア盛り上がったイラクの日本人人質事件を非常に連想させた。構造や着想のヒントは全く同じだと思う。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6



しかし物語なんだし、「日本人普通の高校生の覚悟のない甘い意識の少年」が、


①成長していく成長物語なんだし、


②ましてや読者がラクに感情移入するためには天才を主人公にするよりは、なにもできない方がいいだろうし、


③さらには、何もできな無力な少年が、英雄になるからこそヒーローものの物語でもある


という部分もあり、これは演出上の必要性から描いているのだ、といわれれば、それは否定できない。5巻全部読みとおすと、この①~③が見事に意識され演出されているのがわかるので、作者が丁寧にこの①~③を意図して、マーケティング的に組み上げているのが、よくわかる。それでいてマニュアル的にならないのは、小説の技巧が水準レベルを維持していうからだろう。ちなみに、ライトノベルを筆頭に、作家というにもおこがましいほど、小説の文章力のレベルが低い人は多い。ただ、難しいのは、小説の面白さとは、必ずしも文章力や小説の技巧ではなかったりすることだ。


さて話を戻すと、ライトノベルなどのある程度のマス・マーケットで資金を回収しよう考えると、それがヲタク層などのある程度限られた層であっても、この自己責任意識の甘い覚悟のない層を相手にせざるを得ない…つまりは、言い換えれば文章や文脈や歴史的経緯などを読解できないリテラシーの低い層が、ターゲットになるしかない。そうなると、どうしても主人公のテーマが、自意識と責任をめぐる議論に包括されるのだな、と思うのです。あっ、いやヲタク層がバカだ、と言っていうのではなくて、日本のたぶんこういったエンターテイメントを購入する層は、基本的に受け身で享楽的で、自己責任回避型がメインをなすはずです。ヲタクだろうが、アウトドアだろうが、僕はクラスターの違いにすぎないと思います。だからこそ、やった方もやった方だけれども、バッシングするほうの大人げなさも含めて、イラク人質事件みたいな社会的なパニックが引き起こされるわけで、この自己責任問題(自意識と責任をめぐる議論)は、日本の若い世代に広範囲広がる問題点なんだと思います。

これは下記の3つの記事あたりで、やっと構造的問題点が見えて来た気がするのだが、実はこの現代・・・いまの世代(ってたぶん90~00年代)の作品には、自意識というテーマがあって、その中で自己責任とか責任意識というテーマがある世に僕は思えてきたんです。この小説は、そのシンプルでストレートな見本みたいな本。意識の肥大化した状態で、過酷な現実をぶつかって、自己が鍛えられるという成長物語。

ネギ君の苦しみに共感してます!!!~贖罪意識のトラウマからの解放は難しいんだよ
http://ameblo.jp/petronius/entry-10057112438.html

『魔法先生ネギま!』と『ディバイデッド・フロント』を読んで~僕は不快にならないな 
http://ameblo.jp/petronius/entry-10056687241.html

成長というのはヘタレな自分に思い悩みつ続けること
http://ameblo.jp/petronius/entry-10053904866.html



2)うまい小説で構造で明確なので、ゆがみがない

さらに逆説的な言い方なのだが、あまりに、自然に読める小説をかけ、テーマを見事に消化させている代わりに、個性が、何らかのゆがみが生まれなくて、心に末代まで残るような深い印象を残さないまさにライト(軽い)小説だ。


上記でも書いたのですが、この鷹見さんは、職業小説家としては、とてもしっかりした印象を受けました。作品も多数コンスタントに書いているようですし。しかも内容も、ライトノベル風に仕上げていますが、基本的に作者が、相当いろいろ調べたり問題意識がないと行きつかない方に、見事に網羅的に自己責任をめぐる論点を物語のテーマにしているので、非常にまっとうな方なんでしょう。


だが、それがつまらない。


そつがないというか、胸に刺さるような、刺激的な深さを感じさせてもらえないのです。それで何が悪い!、たくさんの人が読んでくれるぞ、といわれたら僕には何も言うことができません。だって出来はいいもの。ただ、僕は小説や物語世界に、もう一つ何か、憧れてやまないような深い何かを見せてほしいのだと思います、。それは、ただ単にキャラクターへの偏愛を生むような萌えでも何でもよくてね。



鷹見 一幸
小さな国の救世主 (2)
鷹見 一幸
小さな国の救世主〈3〉いまどき英雄の巻 (電撃文庫)
鷹見 一幸
小さな国の救世主 4 シャカリキ勇者の巻 (4) (電撃文庫 た 12-16)
鷹見 一幸
小さな国の救世主 5 オツカレ賢者の巻 (5) (電撃文庫 た 12-17)
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評価:★★★★★星5つ 連載途中だが、傑作といって差し支えないと思う。

(僕的主観:★★★★★星5つ


『しゃにむにGO』 27巻 羅川真里茂著 駿くんにしあわせをあげてほしい!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10051986002.html


■やはり駿くんには、みんなマイナスのイメージをもっていますね


この記事のコメントが多かったので、返答を兼ねてさらに敷衍します。いやーコメント多いと嬉しいので、しかも新規の人がくれたりすると、興奮してます(笑)。けれども、駿君には、やっぱり、みんないい印象を持っていないのだなーと感心。僕は彼が好きで好きで、幸せになってほしいと願っているけれども、たぶん読んだ人の90%が彼のことを嫌いだろうな、と思ってこの記事を書きました。そして、この記事を書いたときにいちばん来るであろうと思って意見は、ustetさんと新條さんのコメントです。ストレートに来てくれたので、実は少し嬉しかったりして(笑)。というのは、この記事で僕は、実は駿くんが「逃げてナルシシズムの地獄に留まっている」ということを、書かなかったのでから、そこへの突っ込みはあると思っていたのです。


************


>駿のあれは孤独に耐えてるんじゃなくて孤独に逃げてるんじゃないだろうか。周りが誰も助けてくれなくて逃げるしかなかった、てのは判るけどもさ。


>駿君には、いつも手を差し出されているように感じます。ただ、本人がそれを拒んでいるだけで。。。差し出された手をとる方法を知らないのだと思います。それ故に、孤立してしまい大切なものをモノを見逃してしまっているような気がします。


************


何かを断言するときは、反論を封じるために、反論しやすいところが意味を持たないことをちゃんと反駁して置いて書くと、他人の反論を封じることができます。けれども、僕はこれを書く必要もないほどの自分の中で前提だったので、書かなかったんようなんです。いま思い返してみると。ここは僕の価値観・人生観を示しているようなので、ちょっと詳細に追ってみたいと思います※1



■同じ舞台に立たないと相互理解は生まれない~理解は対等でないと生まれない


佐世古駿が、孤独に逃げていること、世界を拒否していることは、確かに事実です。


************


でも車イステニスで優勝した、と報告するひなこに対して、ふーん、だから何なの、てなあの態度。彼女の想

いも努力も喜びも見えていない。
 て言うかお前、“尚田ひなこ”を知らないだろ。
 知ろうとも思ってなかっただろ。
 知る必要さえ感じてなかっただろ。


************


このustetさんの受けた感覚が、まさに作者の意図する演出です。確かに、駿はとても可哀想な過去を背負っており、ボロボロに追い詰められながらひなこにすがっていて、ひなこはそれを切り捨てられない。彼女に切り捨てられるということは、駿の精神的な崩壊を招きかねないことは、ひなこには十分わかるからで読者だって、駿の苦しみはわかるだけに、ひなこがなかなか伊出くんを選びきれない苦しみはわかります。なにしろ、駿はいい男だしね。けれど、27巻のこのシーンで、駿くんが自らのナルシシズムの癒しの道具としてひなこを見ていることが、ストレートにわかっていまいます。彼女自身を見ることがないのですね。まぁ僕としては、saoriさんの意見と同じで、どちらが悪いというよりは、「見ているものが違う」ことがはっきりしたシーンだと解釈していますが。


だから、ここで、彼女が、やっとふっきれて、伊出くんへ思いを完全にシフトすることができるようになります。


もちろん、ひなこはわかっていたと思います。


駿がひなこをバカにしたわけでも、ひなこ自身を見なかったわけでもなくて、そもそも勝負するのならば「世界一」を目指さないことが彼には理解できないだけだということが。


駿にとって、テニスは、自分の壊れた精神の地獄から逃げるための「手段」であり、その「手段」が価値を持つには、世界最高レベルの並び立つ者のないレベルまで突き抜けることだけなんです。それだけ背負った呪い(=母親の呪縛)が大きいことと、その苦悩の大きさは簡単には止まれないほど才能を持った彼自身の器の大きさからも来ています。才能がありすぎるのは、時には不幸なんだ。その才能に見合った苦悩を自分にもたらすから。


そのレベルで「勝つ」こと以外に、テニスなんていう道具を手段を、やる意義が彼には見出せません。だから、ひなこがテニスをやるのならば、世界最高のレベルで勝ち抜くということ以外には、意味を見いだせないのです。決して、ひなこ自身の心を無視したわけではなく、そもそも彼には、「世界レベルの競争に打ち勝つ」こと以外には眼中にないので、そんな8人ぐらいのレベルの大会に勝つことに価値が持つとは思えないのです。


これは比較の問題です。


ひなこも駿も、心の解放のために、スポーツをやっているという意味では同じなんですよ。これは圧倒的にレベルが高いことをやっているときに、レベルが低いポジションにいる人に話されてもしらけるどころか、心が一ミリも動かないことを体感したことがある人ならばわかるはずです。正直いって、侮蔑の気持ちしかおきません。


人間は平等だ?


苦しい立場にいる者の成長の努力に共感しろ?


ふっ・・・できるわけありません。


人間が平等だとでも?。


世界の頂点を目指して、そこのレベル、その舞台で戦っている人にとってそれ以外に道端の石ころや虫けらに価値があるわけないじゃないですか?。それは、たわごとだと僕は思う。世界で、本当の頂点レベルで孤独の中で激烈な競争をしている人が、自分のはるか下のレベルの世界で戦っている人の共感できるでしょうか?。


それは無理です。


レベルの違いが、価値の違いには、確かになりません。ただ、駿くんは、もしテニスを手段として成長と解放を求めるのならば、パラリンピックで金メダルを目指し、命を燃やして戦わない限り、ひなこを対等の人間として認めないでしょう。別に車いすだから、パラリンピックだからなどと、セコイ根性で見下すほど駿はバカではないでしょう。彼にとって「万人が否定できない文句なしの頂点を目指して戦う」レベルの戦いににしか理解が及ばないのです。すべては、「そこ」へ到るまでのステップにしか見えないのだろうから。彼を代弁するならば、その程度のレベルで解放されるな!でしょう。


言っている意味わかりますか?。


駿ほどの男には、ひなこじゃ、役不足なんですよ。共感できるはずがないんだもの。そういう意味では、彼を好きになった女の子が、やはり世界の頂点で戦っているナディアというところに、なかなか作者は考えているなーと思います。友人が、やはり世界でたたけるプレイヤーもミレーユであるところも。駿のレベル以上の孤独で戦っているからこそ、ボロボロの駿の孤独に引き付けられたのです。


人間は理解を求めます。理解は、同じ舞台にいないと、相互の双方向にならないんですよ。


対等でない「関係性」は、不幸にしかなりません。見ているものが違うことは、不幸の始まりのようなものです。滝田の父と母も同じでしたね。それが本物の愛であるにもかかわらず幸せにはなれませんでした。


少なくとも僕はそう思います。


『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html
『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227026.html

羅川 真里茂

しゃにむにGO 25 (25) (花とゆめCOMICS)



■孤独に逃げるること、世界を拒否することがそんなに悪いことなのだろうか?


ちなみに、ustetさんはひなこが好きなのでしょうか?。僕は、駿くんが大好きなので、少し???って不思議に思ってしまいます。たしかに、ひなこに対して、見下したような態度、彼女の苦しみに共感すらよせない彼の冷酷な態度は、読者の嫌悪を誘うでしょう。


けれども、それはなぜか?って考えたら?。


ひなこが、伊出を選ぶことは彼は既に分かっているのだと思います。天然には、勝てねぇだよ!。分かっているけれども、ギリギリのところで苦しんでいる彼には、いま彼女を手放したら心が壊れてしまいかねないのでしょう。そして、そんな相手に「求めるだけ」の、母親の呪縛から逃げるための重荷を背負ってくれることを要求することが、いかに難しいことなのかは、たぶん無意識に彼はわかっています。そんな強引な行為をすればするほど、彼女の心が離れていくであろうことも。


だから自分をコントロールできないでしょう。


そういう意味で、駿のひなこへの愛は、僕は本物だと思います。成就するものではないにせよ。なぜならば僕も男だからわかりますが、女性を徹底的に騙して幻想を見させて自分のものにすることは、別に難しくありません。その女性よりも精神的に大人であれば、徹底的に相手を見下せば、騙すのは本当に簡単なのです。たぶん駿が、もっともっとひなこをバカにしてモノと見下していれば、彼女に選択肢を与えるようなまねはしないと僕は思う。それくらいの鬼畜な行為は平気で出来るくらいの器に見える。方法ならいくらでもある。押し倒してしまうとかだって、できないことではないんです。


でも、彼は自分の弱さといら立ちを彼女にぶつけています。それは、成就することはなきにせよ、僕は本物だと思うのです。対等に甘えているからこそ起きる現象。ひなこも、心の裸をみせて、甘えてくる駿だからこそ、切りきれないんですよ。かわいいと思いますよ、ひなこにしても。だって、あれだけのプライドの塊が、苛立ちを表に出して自分にすがるんですよ。それは、やっぱり心の真実。


だから、これだって、一つの本物だと僕は思うのです。偽って騙して支配するよりも、何千倍もましだ。


■自意識の迷宮から「外」へ一歩踏み出すことの困難~うだうだやっている理由


前回、海燕さんのところでチャットをしているときに、「ひきこもり」「非モテ」の話をした。たぶん鳥蛇さん との会話だったと思う。アーカイブに接続する方法がわからないので、うろ覚えで書きます。


僕はひきこもりも非モテも、ひっくるめて「ナルシシズムの地獄」という僕のテーマの概念で包括できると思っています。一言で言うと、「ナルシシズムの地獄」という永遠のループにはまりこむと、そこから脱出するためには、「外」に出るしかありません。


「書を捨て、街へ出よう」というよくこの文脈で使われるフレーズも、ようは、「外」に出るべきだということの同義語だと僕は思っています。そして、「外」というのは、現実の家の外という意味ではありません。頭の中に、他者が存在しないで閉じこもっている状態を指しています。だから、僕がいう「外に出ろ!」というひきこもりへの処方箋も、現実に家へ出るべきだという意味では全くなくて、そのところを誤解なきよう。

『ヴィンランドサガ』 幸村誠著 まだ見ぬどこかへ~なにを幸せと呼ぶか?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10027058894.html


ナルシシズムの仕組みは上の記事とかで少し言及しました。さて、処方箋が「外に出る」ことであることは、別に僕の指摘を待つまでもなく、あまりに当たり前で自明なものです。けれど、この問題は、処方箋として抽象的には誰もがわかり切っているのですが、それが全く意味をなさない。具体的な方法がさっぱりわからないからなんですね。数学の問題の答えがわかっても、解く過程や公式がわからないと、どうしようもないでしょう?。


「そうはいってもなかなか外に出られない」のです。「その一歩」がものすごく困難でも難しい、と。これは「ひきこもり論」や「非モテ論」でも何でもいいのですが、ある種の袋小路の、クローズドサークルの言葉遊びを誘発する姿勢で、この閉じた円環を出る方法が見つからないことが、この種の議論の最も重要なポイントです。


僕はこの「一歩が踏み出せない」で、クローズドサークルを永遠に徘徊する不毛さを思うときにいつも、村上春樹の作品群、とりわけ『羊をめぐる冒険』を思い出します。あと、図書館の逸話など。


村上春樹はこの「閉じた自意識の中で永遠に戯れる」感覚を小説世界に紡ぎ出して、世界的な作家となった人です。


彼の作品には、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』もそうですが、不思議な「何かが閉じられたい空間」を徘徊するような設定が多いのも、この「出るに出られない内的世界の中で迷宮にさまよう」感覚を演出するため・・・というか、このような心象風景を具現化するのがうまい人なんですね。

   
 
   

えっと、なんでこういことを書くかというと、たしかにustetさんや新條さんのコメントで、駿を非難するのはわかるのです。けれども、じゃあみんな常識的に考えて、あれほどの母親の家の呪縛をかけられた彼が、そんなに簡単に自分の「世界を拒否する感覚」を壊すことができるのだろうか?ってことですよ。処方箋が、解放の方法が分かっていてさえ、人間は「その一歩」が踏み出せないものなんですよ。


そこに理由はない。


閉じられた心がオープンになる「きっかけ」は、限りなく不可能に近い困難さなんですよ。「自分で気づきなさい!」と自分よりもステージが上の人は、解放されている人は言うでしょう。けれども、そのような「上からの目線」では、「いま現在迷宮で苦しんでいる人」には、ほとんど届かないでしょう。なぜならば理論的には、本人もわかっているんですよ。でも、理論・論理と、感情や心の問題は全然別ロジックなので、そんなに簡単じゃないのです。自分ですら簡単ではないことを、僕は上から目線で、「世界を拒否している」「自分から救われることを拒否して孤独に逃げている」と非難することは、、、僕にはできないですよ。



■負のパワーを正のパワーへフィードバックすること~ほんものの男とは?


ただ、自分一人で閉じこもって周りに害悪をまき散らすバカほどウザいものもないのも事実。僕は前回の記事で、このような「心が閉じてしまっている」駿くんに対して「ほんものの男」という形容詞を使っています。いや別に、これはなんとなくニュアンス効果を狙っているだけで、「ほんものの人間」と性別を抜きにした方が政治的に正しい書き方かもしれませんが・・・。


僕はね、「ほんもの」の定義・根拠を、


負のパワーを正のパワーにフィードバックすること


が第一ステップだと思っています。


それはね、駿を見るとわかります。駿は不幸です。心が親の世代の業に締めあげられ、その重荷をすべて背負ってしまっている。そして、そのために心の過半が死んでいる。世界を拒否して、自ら孤独な世界に追い詰めている。それはある意味ひきこもりで、人間嫌いで、他人を見下して信用していないゴミ野郎です。


けれども、、、それでも、僕が駿を本物だと思うのは、彼はその負のパワーをバネに何を成し遂げているか?ということです。


テニスのジュニアプレイヤーとして日本の頂点に君臨し続け、世界の壁にも十分通用するレベルを維持しつつけて、世界に一番近い挑戦者として鋼のように自己克己して自分を鍛え上げています。ライバルさえいない過酷な環境の中で、何一つお手本もなければ、システムもとなわない日本のプロテニス業界の中で、彼は異彩を放つオリジナルとして「ほんとうの世界の頂点」を見据えて戦い続けています。これがどれほどの孤独か!。しかも、忘れてはならないのは、彼が子供のころから継続して、一度もその王座を譲ることがなかったことです。一瞬ではないのです。「継続している」ところに本物の根拠がある。


そのエネルギーは?根拠は?


それはたぶん、彼の生い立ちの不幸さと心の負のパワーでしょう。


けど、原因ってそんなに大切ですか???


たと原因が腐ったものであっても、世界中のだれもが胸を躍らせて仰ぎみるような、アウトプット(=社会が万人が認める結果・実績)を叩き出し続けているのです。

そんなときに原因が、何の意味がある?。ましてや、駿のせいじゃないでしょう?。あきらかに佐世古家の旧家の縛りとそれで壊れてしまった母親のせいじゃないですか?。原因なんか探しても仕方がないじゃないですか。


彼は、才能と器があり、なによりも、、、、その負のエネルギーを正のエネルギーにフィードバックして、世界を獲得しようともがいている。それが間違った方向でも、それでも、僕はそれはほんものだと思う。この状況は、彼自身にとっては不幸かもしれない。しかし、彼の周りを囲む物凄い人数の人間の心に、彼の成し遂げる業績は、光を投げかけるでしょう。彼が、四大大会で優勝すらするようになれば…。日本のプロテニス業界の構造を根本から変えるかも知れません。


たとえ負の出発点でありながらも、万人が認める結果を出し続けている彼は、僕は報われてもいいと思う。多少傲慢であってもいいと思う。なぜならば、世界を変えるのは人の心の悩みではないからだ。どれほどつらくても、家にこもって、自意識の悩みに悩んでも、世界にとっては何の価値もない。


世界を変えるのは、才能によって成し遂げられるアウトプットだけだからだ。


この駿への評価が、上記の「ひきこもり論」の一つの答えになっていることをわかるでしょうか?。ようは、外に出れないと悩むのは、たしかにわかる。けれども、「外に出れない」不幸をばねに、村上春樹のような世界的な作家になっていく人もいれば、駿のように世界的なテニスプレイヤーになっていく人もいる。僕のことはあまりにも卑近すぎる例だが、実感がわかないのを叩き潰すために、全力でビジネスに打ち込む人もいる。


世界には、個人のナルシシズムの地獄は満ちている。


けれど、世界と個人は別物なんだ。


世界を豊饒にするための「何かの行動・行為」を、たとえどんなに苦しくても、その苦しみをバネに変えて世界を変えていくことをしなければ、そこに価値はない。たと不幸でも、それが出来る人がこの世の中にいる。そういう人が報われるべきだと僕は思うのだ。悩んでいるだけの奴には価値はない。


だから、僕は、たとえ自分の心が閉じてしまう不幸な業を背負っても、それをバネにエネルギーに変えていく姿にこそ感動する。


伊出くんも、ひなこも、ルゥイもみんな救われるだろう。明らかに彼は正のエネルギーを正に結びつける「正しい開放の道」を歩んでいる。けれども、みんなが、万人がみんなそんなキレイゴトな美しいビルドゥングスロマン(成長物語)を描けることはない。そのボロボロの心をさらに苦しみに変えながらも世界に行為をなす人もたくさんいるはずだ。最後まで自分が救われることなく、散っていった挑戦者たちもいるだろう。


けれど、やはり、僕は思う。この世界に意味ある行為をなせ!、とね。それ以外に価値があることはないのだ。自分の心が救われているかどうかなんて、二次問題なのだ。


駿を見て、僕はそんなことを思います。


***********************************


□そうはおっしゃいますが

 駿のあれは孤独に耐えてるんじゃなくて孤独に逃げてるんじゃないだろうか。周りが誰も助けてくれなくて

逃げるしかなかった、てのは判るけどもさ。やはり家庭に問題を持つ天才プレーヤー留宇衣が、壊れずに済ん

だのは延っち並びに周辺の人々のおかげだし。
 でも車イステニスで優勝した、と報告するひなこに対して、ふーん、だから何なの、てなあの態度。彼女の

想いも努力も喜びも見えていない。
 て言うかお前、“尚田ひなこ”を知らないだろ。
 知ろうとも思ってなかっただろ。
 知る必要さえ感じてなかっただろ。
 あれで彼女に捨てられなかったら、もう少女マンガじゃないしw
 でも、まあそれほど心配はしなくてもいいと思う。だって羅川真里茂だしw
 確かに今のままの駿が幸せになるのは、天変地異級の“何か”が必要だろうけど…
 その奇跡を起こすのが少女マンガだぜ。天変地異つったって何も大震災やコロニー落しが必要なわけじゃな

い(当たり前w)。誰かとの出逢いや悟り、他人の目には些細な、しかし本人にとっては宇宙的規模の大事件

が描かれる筈だ、きっと。

ustet 2007-10-21 22:56:51


□初コメです

いつも楽しく拝見させて頂いてます。
駿君には、いつも手を差し出されているように感じます。ただ、本人がそれを拒んでいるだけで。。。差し出された手をとる方法を知らないのだと思います。それ故に、孤立してしまい大切なものをモノを見逃してしまっているような気がします。
私は、ルゥイと駿君はとても似ていると今回の話で思いました。ただ、「伊出」という存在が大きく二人を分

けたのだと思います。彼は、無意識に手を差し出し、相手が手を取るまで手を出し続ける。駿君のそばには、無意識でそういうことをしている人はいませんが、意識的にしているやさしい友人が2人もいます!周りの人があきらめる前に駿君がその手をつかめるといいですねそのきっかけがこのインターハイにあるのではないでしょうか?

新條 2007-10-23 16:13:25


□うーん…、

お久しぶりです。駿くんはほんと格好良いですね。
理解者になりうるかも知れない人物としてミレーユとナディアがとりあえず、思い浮かびはするのですが、で

も誰かに理解して貰ったり支えになって貰ったりということを許容する駿が想像つかないです。
立ち直る時はまず、一人で立ち直る気がするし…。

ちなみに“尚田ひなこ”を知らないだろ、というustetさんのコメントはもっともだと思いますが、私は車イステニスで優勝したとひなこが駿に報告するシーン、好きです(笑)
見ているものの違いがはっきりしていて。
もう少し余裕のあった以前の駿なら、もう少し違う言い方をしたのかもしれないし、余裕の無さからの言葉でもあるかもしれないけど、でも元々そういう事に価値を見出さないでしょうし理解はしないだろうなーって(笑)

saori 2007-10-22 01:12:55


□駿くんを不幸せにしてあげてほしい

 駿が嫌いな理由がわかりました。同属嫌悪の共感と嫉妬だ。そういったところから来る倫理観で、喪失への倫理みたいなものを持っていると、素直に幸せにはなって欲しくないな。一度不幸になってから、幸せになるという姿がしっくりきます。不幸な状況から抜け出そうとあがく人間の姿は美しいですから。その時の駿が、本当に見てみたい。

s 2007-10-22 12:23:00


**********


コメント本当にありがとうございます。僕はこのマンガとてもっとても好きなので、こういうふうに話せると嬉しです。特に初コメントの新條さん、ありがとうございました。


※1:僕の人生観を明らかにする
あっ、ちなみに文章を書くのは、僕の一人ナルシシズムのである「自分分析」遊びなので、このブログのサブ目的に自己を把握するというのがあります(笑)。僕は行動が激しすぎるので、いつも自分がなぜそんなヤバい行動に走ったかを疑う癖があって、自己記述を・・・まぁ日記を小さい頃から書く癖があって、その目的は、自分自身とはどんな人なのか?を明らかにすることなんです。



■関連記事

『しゃにむにGO』 27巻 羅川真里茂著 駿くんにしあわせをあげてほしい!
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『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html
『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい①
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『しゃにむにGO』 25巻 羅川真里茂著  もう感動で胸がしめつけられます…
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『しゃにむにGO』 24巻 羅川真里茂著 テニスマンガの最高峰
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『しゃにむにGO』 23巻 羅川真里茂著/悲しみの受け入れ方
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『しゃにむにGO』 羅川真理茂著/メンタルスポーツとしてのテニス
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『花の名前』 斉藤けん著  正統派少女マンガは、内面の理解を求める
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『彼氏彼女の事情』津田雅美/繰り返すものからの脱却
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小池田 マヤ
聖・高校生 (8)

評価:★★★★★星5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★星5


ちょっと宣伝。


もうすぐこの愛すべきビルドゥングスロマンの傑作が、たぶん最終巻が出ると思う。いや僕もどこで連載しているのかもよく知らないし、本当に最後かも知らないのだが、物語の流れ上そうだろうと勝手に推測。


時々何度も読み直すのだが。


物凄い傑作で、


そして


物凄い苦しいし、グロいし、気持ち悪い


なのにキレイなんだよね。


まだ全然、言葉になりません。


けれどこの物語は、ほんとに本当に素晴らしい。


ぼかぁーこの小池田マヤさんって、マジで凄い人だともうよ。


姉さん、ついていきたいっす!!って感じです。


久々に読み返して盛り上がったので、ちょっとこの感動を書いてみる。


すごいVISIONってのを、ガーンとぶつけられると、なにもいえなくなっちゃうんだよなー。まだこれに関しては、そういう段階。


これで、4コマ漫画なんて信じられないぜ。


ぜったい騙されたと思って買ってみてください。


これはたぶん全巻読めば、年齢性別フリーの凄い作品です。


ちなみに「恋する夏にムチを入れる」と帯にあるが、いや鞭じゃなくて、核弾頭級ですから・・・。それとも無知なのかな?(笑)。

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朝日新聞に「邪眼は月輪に飛ぶ」紹介記事/大炎上さんより
http://beatarai.blog90.fc2.com/blog-entry-151.html


ふと、大炎上さんの記事を見ていて思ったこと。


たしかに、漫画やアニメの記事が新聞に載ったり、麻生大臣がコメントしたりすると、


「おっ」


と思ってみる。


でも、これってどうしてだろう?。


だって、そんな世間の代表的な意見というのは、ぬるい大したことのない意見が多いし、レベルも低い。けれど気になる。これって、、、、たぶん、ヲタクとか・・・マンガとかアニメとか、、自分の住んでいる孤立した村社会(=島宇宙)が、外側の大きな共同体からどう見えるんだろう?という社会の不透明性に関する距離の問題なのかなーと思った。


世間はわかってくれない


わかってもらえない…承認されないことへの不満


世間は知らないけれどもおれは知っているぜという優越感とか、、、、


逆に劣等感・・・とか


そういうものを、表すのかなーと思った。


いや、大炎上さんの記事がどうとかいうのは全く関係ないのですが、自分自身もやっぱりヲタクをある程度マイノリティー的な意識で、感じているんだよなーと思った。


世間での評価って気になるもんねー。


いや、なんの意味もない戯言ですが。なんとなくおもったこと。

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評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★星2つ)


■はじまりは『西の魔女が死んだ』への嫌悪感~saoriさんのコメントへの返答



『西の魔女が死んだ』 梨木香歩著 主人公のマイは卑怯で小賢しい
http://ameblo.jp/petronius/entry-10007439986.html


梨木 香歩
西の魔女が死んだ


この記事は、基本的に好きな作品の良いところを評価しようとする僕には珍しく、基本的に絶賛されている(Amazonのレヴューを見れば)作品に対して、真っ向から反対論陣を張ったものです。これは読後直後で、かなり感情入っていますが、その後に


①「どうしてこんなにも他の絶賛する読者との差がついてしまったのか?」


②「僕の批評ポイント(=主人公の倫理的卑怯さ)の正当性はほんとうにあるのだろうか?」


③「なぜ梨木香歩さんの本にこれほど嫌悪感を感じるのか?(他の作品も同じ)」


④「僕の周りでは女性がこの作品を肯定的に、「許し」を描いていると評価することが多いのはなぜか?」


このへんの疑問がグルグルずっと回っていたのです。最近たくさんコメントくれる(ありがとぅ!)saoriさんとこの件について、真っ向から対立して(笑)、、、ああならば次の作品を読まなくては!という動機付けを強く後押してくれました。


こういう出会いは、異質な思考に対するsense of wonderであり、ましてや基本的に僕のブログの記事に好意のある人からの積極的な問いなんで、とてもうれしい。気持ちがいいよね、そういうのは。・・・基本的に人に名指しで反対論陣を張るときは、「あなたの人格は尊重しますが、あなたの意見は嫌いです」と、人格と意見は分けて説明すると、スムーズにいきやすい。まぁ難しいけどね。こういう出会いは、課題があれば、解決策向けた積極的な思考が得られるし、、、反対意見は、自らが気づきにくい物事の見方に対する出会いへの契機をもたらす。今回は、素晴らしいインスピレーションを得られました。反論や疑問というのは、往々にして人格同士の戦いになってしまうが、それを分離できると、誠意ある問いになって違いの探究に結びつくんですよね。そういうといって重要なことが多く、探求するのにも力がはいります。


最初に梨木さんを紹介してくれた、『日常&読んだ本log』のつなさん と、コメントをくれたsaoriさんへ感謝です。人生には、時があります。時のチャンスを見失わないで、ちゃんとつかめることができれば、ただの偶然や流れていく事実の断片が、よい出会いとなって、心に深く残ります。


さて、僕が、梨木さんの『西の魔女が死んだ』を読んだのは、2005年の12月頃。

もう1年半ぐらい時間が経過しましたが、実はそれ以来、①~④は折に触れていつも思い返していました。けれど、嫌いなものは感情なので、それがどういうふうに論理的普遍的に説明できるかは、なかなかきっかけがないと降りてこないものです。とりあえず、僕の思考の流れを、時系列的にだらだら追ってみたいと思います。



■作品単体に関する嫌悪感か、それとも小説家自身の本質へのものか?


********


ああ、やっぱりまだ嫌悪感を感じているのですね…。うーん、私としてはこの本に関しては自分の中でもう評価が定まってしまっているので肯定的に書いて頂かなくっても割りと平気みたいなので大丈夫ですが…、

petroniusさんがどの辺りに嫌悪感を感じているのか良く分からないので、むしろその辺のロジックを読んでみたいなーとも思います(笑)どちらにしても楽しみにしてます。

2007年4月8日saoriさんのコメントより
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html#cbox


********


これ公開質問状ですね(笑)。文句言うなら、ちゃんと読んで、解説しろ!って(爆!!)。非常に正しい意見です。僕も嫌悪するとか、嫌いとか・・・すごい挑発的なコメント出していますよね~。どうもこのテーマは、僕をして感情的にさせる何かがあるようです。普段ならこういうような危険な挑発はしないと思いますので。だって、僕の主張していいることを穿ってみれば、「こんな程度(=梨木さんの作品)の作品を、評価しているなんて低レベルだね!」ということですもん(苦笑)。よほど、『西の魔女~』の印象が悪かったのでしょう、、梨木作品全般に対する嫌悪感が表れております。


このコメントの後、『裏庭』を読み始めたのですが、最初の20Pに満たない部分で、震えるほどムカついたので、この感情は僕の中では、ほぼどの作品を読んでも梨木さんの作品であるかぎり発生することはほぼ間違く・・・・つまり『西の魔女が死んだ』で感じた印象は、僕という人間の梨木香歩さんの小説のコアな部分に対してであり、作品単体ではないというのが、わかりました。(読後冷静に分析した結果も同様です)


故に、ここは、ちゃんと読解しなければならないと思いました。僕の作品理解の根本なので、何を嫌悪するのかは、すなわち言い換えれば、「自分自身が何者であるか?」という問いですから。


は、ナルシシズムに閉じていく世界からの脱出劇を志向する1980年代から2000年代までの物語の好まれた方向性から、その次は何が来るのか?という問いを今持っているのですが、まさにそれを語る基盤とするべきポイントなので、とても興味深かった。そしてなによりも、僕という人間が世界をどう認識しているかをよくわかったテーマでした。



■嫌悪感はなにから来るのだろうか?~裏庭自体は、かなりの傑作ファンタジー





さて、嫌悪感とまで書くのだから、何が具体的にいやな気持ちを引き起こすのか詳細にみていこう。


そこで実は前提なのだが、『裏庭』を全部読みとおして、上記の星3つ半の評価をつけているのだが、4つと悩んだ微妙なラインで、、、、もし僕が『西の魔女が死んだ』を先に読まないでこれを読んだら、素直に4以上をつけていた可能性があるくらい、見事な作品だったと思う。西の魔女でも思ったのだが、梨木香歩さんは、小説の設計が文学レベルに高く、ファンタジーの基本原理を教科書的までに本質のレベルで設計できている。英国留学してファンタジーを学んだと略歴にあるが、まさに大学院レベルの教養あるアカデミックな人が書いたと思わせるくらいの構図の堅牢さがある。


p407で心理学者の河合隼雄氏が、下記のような解説を寄せているのが、納得です。


>実際に、この作品は相当な重層構造を持っている。日本と西洋、生と死、男と女、昔と今、それに現実界と異界。これらの対比と対応が見事に重なり合って、巧みな重層構造を作り出している。それら一つ一つを明らかにして全体の構造を読み解いていくには、この解説の数倍の紙面を必要とするだろう。(略)。思春期の少女の内界がどれほどの複雑さを持つものであるか、実感されるであろう。


たしかに批評家や学者を喜ばすような、見事な構造をしている。この作品が、1995年第一回児童文学ファンタジー大賞を受賞したということ、日本発の本格的ファンタジー作品としての呼び声高いのもうなずける。


ところが・・・・最初の導入部で嫌悪感を感じて、読後も、、、構造的には素晴らしい作品であるにもかかわらず、、、、どうしても馬鹿にしたような嫌悪感が失われない。なぜだろう、と思うんでうよ?。何が僕はこれをそんなに毛嫌いするのだろうか?。


これがその時のコメントですね。


>ちなみに、梨木さんは、震えるほど不愉快だったので(笑)、なかなか食指が出ないですが、リアルな人も含めて女性で、凄く押される人は多いですよね。男性は、何人かに聞いたら、結構に体験が多かったので、性別によるのかな?とか思いました。ちなみに、個人的に、文学は小説は、単体だけで十分その人の本質はわかるので、たぶん、この作者は僕は絶対好きではないと思います(笑)。もちろん本によってポジションや描きたいことは違うでしょうが、本質の世界理解は、ほとんど文章ではぶれないものですから。。。。たぶん、彼女はそういった部分を解放したり解決を「目指す」ことがテーマでありそうなので、つまりは、「ずっとその次元にいる」人なんですよね。僕はもう既に、「その次」が見たいし、体感的にもそういう人は嫌いなので…たぶんダメだろうなーと思います。といいつつも、、、まーそうはいっても誤解かもしれないのと、なぜにそんなに受ける印象の差が出るのか?というのは興味があるので、気を長く待っていただければ読むかもしれません


>でしょう?。たぶんずっと同じところにいそうな、感じを感じて、、、そういう人とは友達になりたくありません(笑)。だって、うざいもん。あの次元にいる人は、いつも何かに苦しんでいる、自分がいつも被害者のような気持ばかりを考える人なので、ヤなんです。極力付き合わないようにしております(笑)。・・・うわー言いすぎだっ。。。。(苦笑)


それが、なんで女性に受けるのかは僕にもまだ解析ができていません。物語としては、そういった独善的ナルシシズム「から」抜け出ることがテーマなので、それ自体は否定しないですが。

ちなみに、「その次」に行きたがるのは、上昇志向ではないです。少なくともそのあたりを上昇志向的男性原理とは僕は考えていないです。「次」とは、成熟して…・生きるのが楽になって、周りと友人や仲間と幸せになるような感覚という意味での「次」です。

成熟へのステップとい意味です。

2007-03-25 23:43:15
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html#cbox



このコメントの背後にあるロジックが、いま書いている文章の基本骨格とまるで同じものなので、最初の印象はほぼ的を射ていたと思います。とはいえ、上記は論が飛躍しすぎているので、もう少しゆっくり追ってみたいと思います。

■『西の魔女が死んだ』は・・・駄作であることを再確認~どこにポイントがあったの?

まずはじめに考えたのは、西の魔女が構造的に特に駄作で、それの印象に引きずられているのではないか?と考えたんです。



②「僕の批評ポイント(=主人公の倫理的卑怯さ)の正当性はほんとうにあるのだろうか?」


という問いですね。ちなみに上記の問い対して、確信を持って、僕はこの主張に、正しいと判断します。1年くらい考えましたが、やはりこの時のマイの卑怯で小賢しいという倫理的マイナス部分は、肯定できません。


********


>自我・自意識のヨロイが取り除かれていないのだ


そして、もっと端的にいうと、主人公の「まい」に心の成長が(僕には)微塵も感じられないことだ。


・・・・・ひさしぶりに、良いといわれる本への極端な反対論陣だなぁ(笑)


でも個人的には、もし子供が生まれたら読ませたくないなぁ。。。。

http://ameblo.jp/petronius/entry-10007439986.html

2005年12月25日の記事より

********


この記事の評価・判断は、いまもって自分でも秀逸であったし、かつ自分の信念が非常によく出ているいい記事だと思います(笑)。これ以外の解釈は、ざっと読み返してみたが、ありえないと断言できる。少なくとも「僕」の判断は、こうなります。


********


僕は、この本を読んで、物凄い嫌な気持ちになったのですが・・・・なんか作者の高慢な態度が鼻について・・・すごく頭がよく英国留学までしているので、ファンタジーとしての基本を見事に押さえており、その描写も人をロマンに誘い、「死」を感じさせ・・・と泣かせる要素・基礎が見事であるにもかかわらず、『その技術』を使って主張しているのが、自分の傲慢さの肯定のように見えたんですね。嫌な奴だ・・・って思ってしまって。

http://ameblo.jp/petronius/entry-10007439986.html

2005年12月25日の記事より

********

■もし肯定的に見たらどうなるのか比較してみる

もちろん、読解の角度はいくらでもあります。


『西の魔女が死んだ』は、思春期の少女から大人になった女性の内面を追っており、


その少女的な頑なさや潔癖さ


と、


おばあちゃんという癒しの存在(=まいにとって手が届かぬ救済=サルベーション)


との対比を描くことに、現実の世界では簡単に物事は解決されないというあきらめにも似た部分を演出し、そういった様々な動機の混乱や対立を抱えながら、大きな視点で人生という現実を人は生きているものだ…というような「包括的な受容とあきらめ・・・そして届かぬ救済からの癒し」を語っている作品であるという風にも、とれます。


この解釈が多分一般的であると思います。


ようはね、この西の魔女のすばらしい点は、2点あります。


①なんといってもまず、おばあちゃんの存在。


僕は梨木香歩さんは、はっきいいって物語作家としての才能はゼロに等しいと思います。逆に言うと、かなりの文学者である人であり、、、もしくはむしろ批評家になった方がいいような頭の構造の持ち主であると思うのです。妙に、すべてが論理的で、抽象化するとメッセージがはっきりしていて、批評家の分析マインドで見るとまるで数学のように、メッセージが抽出できるんです。こういうのって物語作家ではなく、マイナーな文学者の傾向だと思うのです。(ちなみに真の文学者は、ドストエフスキーのように物語ることと文学が両立してしまう)


ところが、この『裏庭』でも同じなのですが、おばあちゃんがでてくると、異様な迫力をもった存在感が世界を包み込みます。裏庭でも同じなんですが、このおばあちゃんの視点というのが、生き生きと見事に成熟を突き抜けた癒しすら感じる存在感を示すのです。・・・・たぶん、何らかの原体験か、こだわりがあるキャラクターなのでしょう。ここだけ、物語になっているんです。それも絶妙に。西の魔女を読んだことがある人ならば、あのおばあさんのすばらしい許しと癒しに満ちた存在感は、忘れられないはずです。僕はそうでした。

「これ」だけで、素晴らしい小説になってしまっているんですね。もうほかの何も意味をなさないくらいに。

②そしてもう一つは、孤独に苦しむ主人公が現在の解決を指向して、過去に遡るという形式を持ち、それがおばあちゃんと過ごした時期への振り返りになっているという点です。これは、楽園願望とナルシシズムの地獄からの解放というとても近代文学的なテーマです。


この梨木香歩さんは、西の魔女では全編振り返り・・・・大人になった女性である主人公まいの振り返りの視点で物事を描いています。大人になったまいが、過去を振り返るという構造にしているんですね。だから、この作品の本質は、都会で(=田舎ではない!)孤独の中で心の闇を抱えながらもがら生きているまいという成年女性から、かつて届かなかった楽園(=救済の可能性)としておばあちゃんを振り返っているという小説なんです。たぶん人生に疲れた大人の女性が、今の自分の心のわだかまりを解くために、過去の自分を探求するという、自分探しになっているんですね。その視点から評価すると、おばあちゃんの田舎暮らしは、どとかない楽園であると、僕は当時の記事で断定しました。


個人的な体験で、僕もおばあちゃん子でした。田舎に大きな家があって、庭が綺麗で・・・・・失われた共同体のような楽園で、、、、、毎年田舎に帰るのが大好きでした。けれども、田舎とはいえども大きな家を維持するには相当の相続税がかかるし、管理だってただじゃありません。家は手入れする人、住む人がいないとすぐ朽ちます。祖母が死んだ今、当時の豊かな村の人間関係も失われてしまっています。それは、もう思い出の中にしかない楽園願望にすぎないのです。


僕らのように都市で暮らすことを決断したり宿命づけられた都市社会の人間には、そんな田舎生活などという贅沢は、そもそも金銭的にできないのです。よほど金持ちならば別ですが。そして人間関係も、田舎に何十年も暮らし続けて深い関係性の集積がある中でこそ輝きを持つわけで、そもそも資本主義でまわる都市の住人には、最初から疎外された・・・手が届かないものなんです。

だから、西の魔女には、結論がないんです。そもそも大人のまいの問題点の解決がなされていない。届かない楽園を描いただけでは、そもそも現実ってこんなに困難で苦しいところで、仕方がないよねってあきらめましょう・・・きっとおばあちゃんは、天国で許してくれるよ、、、見たいな。そんなの死んでからおばあちゃんに会うでもしなければ、わかりゃーしないじゃないですか。だから、最初に作った問題提起に答えていないと思うのです。

■花見とエンディングと楽園願望~本と映画と、時々仕事より

http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/53829321.html


だから当時の記事で、僕は、おばあちゃんの存在は、自分探しに逃げ込む解決策ではなくて、いま生きている都市での生活に疲れた自分がんもう一歩成熟するための手段に過ぎないと論じたわけです。おばあちゃんのような暮らしは、しょせん、ファンタジー(=手が届かないウソ)なんだから、と。


そして、作品の構造上、大人になった成年女性の自分探し、、、都市生活での孤独とういう問題点を解決するという本質のテーマを全うできなかった。だから、駄作であると喝破します。いかにおばあさんの描写が、素晴らしい迫力をもった名作であっても。近・現代文学における都市生活者の孤独という本質のテーマに全く答えていないからです。これだけの構造が描けるほどの作者であれば、この点は、杜撰の誹りを免れないと僕は判断いたします。

■物語は世界の再現を指向するが、日常を再現することによる意味がどまであるのか?~それは趣味の問題なのだろうか?


また、読後も悪い。


繰り返しますが、まいの都市に住んでいる大人の女性としての解放が何一つ描かれてない。


包括的な受容とあきらめ


と先ほど書きましたが・・・・・仮に何らかの救済によるハッピーエンドを描いたとすれば、それは物語作家のご都合主義に堕してしまうというのはわかります。そうしたら、文学者梨木さんの評価は批評家ら地に落ちるでしょう。

ちなみに、最近僕が記事を書くマンガの『魔法先生ネギま』の連載は、ギリギリこの深い実存テーマを追いつつ常にハッピーエンドを指向するが故に、たぶん傑作として歴史に残ることはないでしょうが、同時に、深く同世代の記憶に残る作品になり、それを読んだ人の楽しみや幸せに深く資することでしょう。しょせん、梨木さんも、たぶん文学者としては甘いので、歴史には残りません。

ならば・・・・誰に向かって書いているのか?、、、何を目的として書いているのか??というのは、小説家として問われるような気が僕はします。


現実の生活は、たしかに厳しい。そんなご都合主義のハッピーエンドなんてそうありません。けれど・・・では、いまの自分の心の奥底にある魂の本質を忘れて、何となくやりすごすことが、、、それが受容や大きな許しなのか?って僕は思います。つまり、それは逃げだと思うのです。現実的には難しくても、逃げる話は、もう飽きました。


もちろんそんなことをいえないほど現実は厳しく堅固で、そもそも男尊女卑の強い近代社会で、受け身側の性である女性が、少女が、いったい何を望めるというのだ?…そもそも権利なんかほとんど現実的になかったではないか!!!とフェミニストの方々には、いわれるかもしれません。だからじっと受容して忍耐しているのだと。そいう現実を描いているのだ、と。


けれども・・・・・・・・そう、、、、僕のブログの記事を読んでいたぢている人はよくわかると思うのでうが、僕は日常を描いた作品が、大嫌いなのです!!!。なぜならば、日常は、生きて戦う場であり、、、、僕はマンガに小説にエンターテイメントとに・・・・・そう物語に、日常の我慢やあきらめなんか求めてねーんだよっっ!!!って思うんです。現実の世界で戦うことに疲れた時、ふと、ゆえゆえのかわいー姿や(って読んでない人わからんな(苦笑))、アスナの健気な姿に萌えて、、、今週のジャンプのパンチラに超ドキドキして(笑)、それでなにがいけないんだ???。それで、現実に強く踏み出すパワーが癒しがもらえるのならばそれでいいではないか????。いや、、、、物語の意味って、そもそもそーいうものなんじゃねーか??って。


それになによりも、現実の世界は、一歩一歩の集積で、一足飛びにに世界全体や大きな帰結などの、そういったソリューションは得られません。世界全体の構図も見渡せなければ、大きな飛躍やご都合主義のハッピーエンドも見れません。けど・・・・だからこそ、日常の縮図や難しさを描くのではなく、その飛躍や、もしかしたらあり得るかもしれないご都合主義なハッピーエンドを・・・・・僕らが何を目指して、、、何を希望に生きているかのよすがとなる希望の火を描かずに、、、なんの目的で文章を書くのだろう???。文書とは、物語とは、メッセージとは、孤独にさいなまれて孤独に打ち震える心へ、遠くで同じ暗闇で苦しむ人が、投げかける火のメッセージであり・・・「ここにいるよ」って、、、いうサインのはずです。それが、遠くの暗闇で一人震える孤独な魂につたわった時に、、、初めて、その「ことば」には、意味が価値が生まれるのではないでしょうか?。


自分だけがこの世界に放り込まれた孤独ではないと知ること・・・・それが、センスオブワンダーなんじゃーないんでしょうか???。


そういう意図と気概がなければ、なぜ他人にメッセージを書くのでしょうか?。



・・・・ぜぇぜぇぜぇ・・・・かなり逸脱した(笑)


裏庭の構造解析まで至らなかった(笑)。


この話、かなり続きます。


以前、ある人から、ってウタさんですが、ナルシシズムの地獄ってのを、もっとわかりやすく説明してくれよーって課題をもらっていたまま、すでに、1年近くたっているのですが、そのいい機会なんで、少し噛み砕いて続けたいと思います。体力が続けば(苦笑)。ちなみに、さくもさんは、わかると思いますますが、この裏庭の解析の後に、その比較としてさくもさんのファンタジー論が来ますんですよ。そこで、上橋菜穂子さんの傑作小説『精霊の守り人』と比較します。同じファンタジー呼ばれるものが、いかに内実が違うかという意味で。何かが来る時あ、同時に来るんだよなー。課題をもち続けて続けて考えていると、何かががーっと合わさる時があります。論は続きますが一足先に参考に。

上橋 菜穂子
精霊の守り人
上橋 菜穂子, 二木 真希子
精霊の守り人

■参考記事


物語の嘘に対するファンタジイの誠実
http://fantamanga.blog17.fc2.com/blog-entry-234.html#more


現実の単純化の結晶としての物語と、その美しさへの違和感
http://fantamanga.blog17.fc2.com/blog-entry-233.html


ファンタジーとは何か ―J.R.R.トーキン『ファンタジーの世界』より
http://fantamanga.blog17.fc2.com/blog-entry-184.html


ファンタジーとは何か その2 ―起源
http://fantamanga.blog17.fc2.com/blog-entry-197.html


>そう言われてみれば、私は小さい頃、魔法少女モノのクリーミィマミとかがアイドルに変身する系には全く興味を示さず、少女漫画誌「りぼん」で『ときめきトゥナイト』の江藤蘭世が「噛み付く対象に変身できる」という能力を持っているほうに断然魅力を感じていたなぁ。猫とか鳥とかになれんの。猫になって日向ぼっこしたい、鳥になって飛んでみたい…。

 アイドルになる(=他者からの羨望を集める)という欲求は、現実世界で実現するかもしれないけれど(少なくとも可能性はある)、鳥になる(=現実での物理法則を無視)という、どうあってもこの世界では実現不可能な願望が、トールキンが述べているような本質的な魔法を生み出すのだと思います(*つまり、「魔法」少女モノ、と言われてはおりますが、「他者からの羨望を集めたい」といった他者志向性を根源に持つ願望から来る「魔法」というのは、「ファンタジー」の本質からはかけ離れたものであると思います。


それらの欲求を満足させたい方々は、おそらく創造の物語を読むよりも、「人間ドラマ」を主眼とした物語を嗜好されるのではないかと思われます)。『ニルスのふしぎな旅』も大好きだったなぁ。小さくなってモルテンの背中に乗りたいー。

不思議漫画blogのさくもさんより
http://fantamanga.blog17.fc2.com/

J・R・R・トールキン, 猪熊 葉子
ファンタジーの世界―妖精物語について

*************


花見とエンディングと楽園願望

http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/53829321.html


自意識と自尊心のコントロール

http://ameblo.jp/petronius/entry-10027391043.html


『西の魔女が死んだ』 梨木香歩著 主人公のマイは卑怯で小賢しい
http://ameblo.jp/petronius/entry-10007439986.html


『Landreaall 』おがきちか著 竜と囚われのヒロインを巡るファンタジーの微妙なズラし
http://ameblo.jp/petronius/entry-10029550033.html

『Landreaall』 4~5巻 本物の香り漂うファンタジー~根源的な物語の匂い②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10030180946.html


『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html


『Fate stay night』TYPE-MOON セイバーシナリオについて~不死性とは?


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