テーマ:

■ラスボス問題~出発点
http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/52583233.html


■ヒーローは悩まない
http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/53026181.html


■非人類との殲滅戦
http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/53028806.html


『本と映画と、時々仕事』さんより
http://blog.livedoor.jp/magimagi7/



この人、本当にクリエイターなんだろうか?(笑)。偏見かもしれないですが、クリエイターと批評家の思考形態は、真逆なので両立することは非常に稀なんですが・・・凄い論理的で唸ります(笑)。僕ごときが論評するのも失礼な言い草ですが・・・・・。凄い論理的な追及の仕方ですねー。あっ、引用ありがとうございました。


実は、上記のラスボス問題は、自分の中で最近考えている「次の物語とは何か?」というテーマと、これまでの「善悪二元論の解体」というテーマを繋げる問題提起で、ここ数年進まなかった部分に大きな光を投げかけそうなものだったので、、、、少しづつ解析を進めているのだが、先にかなりまとめられてしまった(苦笑)。ホロウとかやっているからかもしれないが・・・まっ負けた…(というわけではないんだが?(苦笑))とか思ってしまいました。とりわけ「非人類との殲滅戦争」が「生存競争」に置換されて善悪の基準という人間の理解できる範囲から飛び越えてしまうというある種の逃げであるという指摘は、鋭い。・・・なんか、くやしい(笑)。


つまりは、現代の物語は、その最高レベルのものでも、悪を・・・人間の悪というものを描けていないということになるからだ。それは、つまり他者※1が、人間が描けていないということに等しいとも言えるのだからだ。



現代物語である『新世紀エヴァンゲリオン』『硫黄島からの手紙』『ダンスウィズウルブス』などは、結局善悪二元論のカタルシスに入りきれなくて、、、その悩みを行っている主人公の内面の成長の物語に没入してしまうんですよね。 もしくは、物語のダイナミズムが、非常に消極的になってしまう。

キングレコード
新世紀エヴァンゲリオン Volume 1

ワーナー・ホーム・ビデオ

硫黄島からの手紙 期間限定版


これは、村上春樹的です。

村上 春樹
羊をめぐる冒険
村上 春樹
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド


つまりね、悪=敵=自分以外のモノというものを描くのは不可能(=難しい)だから、まずは「自分」を描こう、理解しよう・・・・そこから始らなければそのもそも人間が描けないというのが、70年代以降の文学の流れであった気がします。


「自分」の内面を解体していくことで、善VS悪という概念を解体していくことで、物語的なダイナミズム(=葛藤)を作り出して、その解決にカタルシスを持ってくるという手法です。90年代的なポストモダンの風潮ともとてもリンクしていて、この手法は、非常に隆盛を極めました。


シンプルに言うと、ナルシシズムに閉じている世界で、「閉じ込められている環境」からの「脱出劇」になるんですね。


ちなみに、この手法は、まだまだ健在で、、、たったいま評価を書いている『Fate/hollow ataraxia』なんかは、このナルシシズムの世界からの脱出の完成形の一つで、ギリギリ内面の埋没しないで物語として成立している。この原型は、押井守監督の『うる星やつら2ビューティフルドリーマー』ですね。

TYPE MOON
Fate/hollow ataraxia 通常版(DVD-ROM)
東宝
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー


確かに内面の豊饒さを発見したという意味では、80年代以降の文学の成果ですが、それは世界というマクロとかかわりのない、いわゆるナルシシズムの世界の追求なんですよね。究極的には。エヴァのテレビシリーズの最後の「何もない真っ白な世界」というアニメとセリフは、今でも最高に文学的で、よく覚えています。ようは、映画でいえば『アンダルシアの犬』『オープンユアアイズ』『ヴァニラスカイ』『トゥルーマンショー』的な、メタレベルでの視聴者への攻撃という手法で、主人公(=それに感情移入している読者・視聴者)の内面や自我の解体を志向したんですよ。

アイ・ヴィー・シー
アンダルシアの犬
ポニーキャニオン
オープン・ユア・アイズ
CICビクター・ビデオ
バニラ・スカイ
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
トゥルーマン・ショー

けど、、、、自分の内面の話って、難しくてつまらないんですよね~。最終的には。もう、次の世代は、内面に入っていくというのは、古い気がするんですよねー。この手法が、新しさを感じたのは、90年代前半がギリギリ最後だと思う。


たとえば、では、世界をそう捉えてしまう自分の自我や実存が、そのあり方が間違っていた(=自分自身が悪だった!)という気づきは、容易に責任転嫁として、次の問題を志向します。


誰が悪くて、自分の内面や実存は狂ったのか?


そんなの親や教育に決まっているだろう!という、責任転嫁になる。現実的には事実ではあると思うが、そんな意味のない責任転嫁をすることは、独立した成熟した大人のやることではない。そういった親や過去からの負の連鎖を断ち切ることこそが、成熟した大人というものなのだ。負の連鎖は自分の意志と力で止めるのが、大人なんだ。誰かのせいにしても意味がない。親のせいにすれば、その親の親のせいで…と無限ループになるからだ。この手の内面への志向は、結局は自我の弱さ…親の問題などのアダルトチルドレン的な、悪を自分以外の何かに押し付けて逃げる姿勢になってしまう。 前に庵野秀明監督の『式日』を酷評したが(映画の出来はいいんだけれど)それは、もう親のせいとかのセラピストが毎日唱えているお題目はあまりに広まりすぎて、「だから?」って気がしてしまい。では、その次はどうするの?と思ってしまうのだ。

キングレコード
式日

悪とは何か?、敵とは何か?というドラマツゥルギーの類型を考える時に、人間以外のケースは二つの選択肢があって


①自分自身の内面


②人間ではない生き物


になるんですよね。②は上記で書かれていた「非人類との殲滅戦」になるんです。①だと、いまのところ一番きれいな形がサブカルチャーでは、『うる星やつら2ビューティフルドリーマー』で一番汚い形が『新世紀エヴァンゲリオン』ですかね、


ちなみに、②の方面を追及すると、まさにそこで出てくるのが、では、人間ではないもの…というが、そもそも「人間というのはんだ?」人間という線引きはどこで決まるのか?という問いです。これは、下記で書きました。


■『HUNTER×HUNTER』 23巻 富樫義博著/偉大な物語の本質について

冨樫 義博
ハンター×ハンター (No.23)

ちなみに異生物との最終戦争・・・・この非人類との殲滅戦争のテーマで、、、この話を、最終的にまで推し進めたのが、オースンスコットカートの歴史に残る傑作『エンダーのゲーム』『死者の代弁者』ですね。『デビルマン』などもその系統ですかね。
塚本 淳二, オースン・スコット・カード
死者の代弁者〈下〉

オースン・スコット・カード, 野口 幸夫, Orson Scott Card

エンダーのゲーム

永井 豪, ダイナミックプロ

デビルマン (1)

そしてそれらが、究極の結論としてたどり着いたものは、内面ある限り、実は同じ人間であった!という結論です。


そして、ラスボス問題・・・・・何を悪とするか?何を敵とするか?という問題が、無限ループに入るわけです(笑)。


これを、エンターテイメントで物語に料理するというのは、はっきりいって、信じられない天才が必要なので、物語の類型としては、この先を考えるか回帰が必要なのかもしれない。。。。


この先は、まだまとめきれていないので、続くです。


※1:他者が描けていない

これよく使われる陳腐な言葉なのだが、実は意味がいまだ僕ははっきりとはわからない。定義も難しい。よく、小説なんかの批評で、「女が描けていない」という論評があると、あれと同じで、意味内容が全然理解できない。これを書くとなんか難しいことをいった気になる魔法の言葉。この言葉がある時には、書き手が、逃げたと認識しよう(笑)。



AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

予定の記事など

■物語の二元論~

■二元論の超克~三国志のパワーポリテクス/数字は2よりも3がすごい!

■二元論の系譜~アメリカ・ハリウッド映画から/ダンスウィズウルブスとラストサムライ


前回の二元論の話 の続き




二元論の系譜/Destinyの物語の破綻

         



■ゼータガンダムの物語構造の換骨奪胎



惜しいなぁ、と思う。SEEDもDestinyも、物語が破綻している。とりわけ、軸を失ったDestinyは見ていて感情移入はできないし、かといって二元論からへの脱出を上手く描けていないので、見ていて全然面白くない。SEEDでそれなりのキャラが立ち、それぞれのキャラクターに思い入れができる素地があっただけに、残念だ。


というのは、


オーブという非戦を唱える第三勢力の存在


や、


ラクスらが形成した第三の道、


そして


明確な組織として実体がないロゴス(軍産複合体)


また


なかなか見えてこないが、地球連合軍も、大西洋連邦とユーラシア連邦と二つに分かれている



などなど、二元論のパワーポリテクスを打ち破る設定がたくさん隠されているからだ。SEEDが、明らかに富野監督のファーストの物語構造の模倣であるとすれば、Destinyはゼータの構造の模倣を目指したのだと思う。だから、設定や問いかけ(だけわ!)は、なかなか悪くない。


ゼータガンダムは、そのあまりの複雑さで有名だが、単純な二元論に堕さない世界観を大衆エンターテイメントレベルで描くことができたというのは、とても画期的なものであった。だから、これはなかなかにモデルとなる作品であると思う。


ガンダムサーガのファースト・ゼータやエヴァンゲリオンの表現の、その後のクリエイターへの影響を度を考えると、時代を画す作品は、次世代のある期間を支配しつづけるので、とても注目に値する。


ガンダムシードも、そのパクリというのは大げさだが、焼き直しと考えればいいのだと思う。あっ、ちなみに、僕はパロディ、オマージュ、パクリ、物真似は全然悪いことだとは思いません。その作品自体の「質」が高ければね。

 
キングレコード
新世紀エヴァンゲリオン Volume6  
     

ちなみに、一点だけ、ゼータの欠点を上回る優れた点が、SEEDシリーズにはある。それは、単純にいって視聴率があること(笑)。


いいかえると、SEEDでは、キャラの萌えというかキャラクターに感情移入させるための装置がたくさんあって、わかりやすく視聴者を物語世界に招き入れることができているのだ。これは、素晴らしい物語の特徴なので、陳腐であっても僕は否定しない。むしろ賞賛に値するものだ。



ゼータは、ある意味、Destinyの物語構造に近く、



明確な感情移入のキャラクターがないこと





対立軸が複雑すぎて視聴者がついていけなくなる



という、マイナスポイントを持っている。


これは、二元論を超克しようとする物語構造・ドラマツゥルギーによく発生する問題点だ。ただ、行き過ぎるところまで、突き抜けている(笑)ゼータに比べると、あきらかにDestinyは駄作だけどね。






■二元論の超克


こうした二元論の超克を目指す物語構造には、宿命的に伴う問題点がこの点だ。


***************


①明確な感情移入のキャラクターがないこと



②対立軸が複雑すぎて視聴者がついていけなくなる


***************


前回説明したように、「敵を作ること」つまり、善と悪をはっきり分けることというのは、人間の本性・本能にとても合っている。だから、自分の愛するものを殺されたから殺し返すというロジック・心理には、強い正統・正当性が感じられるのだ。



だから、すなわち、感情移入効果・同一化の効果が非常に強い。



それはすなわち、おもしろい!と考えてもらっていいんです。だからこの、「敵を敵として憎むこと」をキャラに禁じてしまうと、視聴者が感情移入の先を失ってしまうんです



二元論の拒否というのは、主観的な視点で世界を眺めないということだからです。


世界には自分ひとりではなくて自分と同じように感じる相手もいて、敵であっても同じ気持ちを抱いているという「強烈な想像力」を持たないと、主観的な世界(=唯我論の世界)から抜け出すことはできません。はっきりいって、すごくすごくむずかしいですが。


この主観的な世界(=唯我論の世界)というのは、一言でいえばナルシシズムの世界です。


竹田青嗣「自分を知るための哲学」の中の「ノルウェイの森(村上春樹)」の主人公の絶望を説明した評論があるのですが、それが非常にわかりやすく、ナルシシズムの行き詰まりを説明していています。もし気になれば参考に読んでみてください。僕が何を指して、主観的な世界は、面白いが行き詰まると評しているのかわかると思います。もしくは岸田秀さんの本でもいい。



 
竹田 青嗣
自分を知るための哲学入門  

 
 
岸田 秀
ものぐさ精神分析  
 
岸田 秀
唯幻論物語  



■三国志のパワーポリテクス/数字は2よりも3がすごい!


②もそのバリエーションですね。2元論は、善と悪に二つに分ける思考形態なので、ここに3つ目の勢力を挿入してやると、世界がぐっと複雑になるんです。



これは、中国の超有名な物語である三国志演義を見ればわかるのですが、敵の敵は味方というように、敵とか味方が同盟関係の結び方によって、敵味方対関係が際限なく移り変わる可能性が生まれます


そうすると、当然、虐殺とかあまりに相手を侮辱する行為とかはできなくなります。


     
   


えっ?なんでかわかりませんか?



だって、考えてみてください、まず3つの勢力がいれば


*************


①敵と敵が手を組んで、自分攻めてこないこと



②どちらか一方と組んで、一番でかい敵をまず潰すこと


**************


戦略上の大きな命題になるのは、わかりますよね?。


そのためには、



・外交力を駆使して敵同士が結びつかないようにすること、


・そのどちらとでも何時でも手を握れる体制を整えておくこと



が重要になるのです。もし、相手と修復不可能な敵対関係になれば、相手はもう一方の勢力と手を結んで、自分をつぶしにかかります。それじゃあ、自分を追い込んでしまいますよね。


何時でも相手と手を結べる状態・余地を残すと、最終戦争にはなりにくくなるのです。


これをして、国際政治とか外交のパワーポリテクスといい、こういう均衡を重要視する政治スタイルを国際均衡主義といいます。



これを一番、東アジア世界で人口に膾炙させたのは、なんといっても天才宰相・諸葛亮孔明です。


天下三分の計ですね。


ただの流浪のゲリラであった劉備に、世界を、際限のない動乱から限定的な正規戦争のみのバランスある均衡政治をデザインし、平和(=バランスが守られる均衡)に導く方法を教えたのです。まぁもちろん、春秋戦国時代には出ていた戦略ですがね。




■エンターテイメントの受身の消費者は、自分で世界を解釈できない


ただ、この複雑な敵味方を超えた世界観を、物語として再現するのは、とても難しい。


なぜならば、


・多軸間同盟による均衡政治は、どうしても後ろ暗い妥協と汚らしい謀略の影が付きまといます


・また均衡政治は、とても戦略的な思考を要求するので一般視聴者の受身の頭では理解しがたい


・もしこの複雑な関係を物語に再現しようとすると、三国志のように小説ならば多大な紙面を、アニメなら多大な話数を必要としてしまいます。読者がそこまでついてくるかは微妙です。即効性がある面白さではないからです。※1)


※1)ちなみに、「膨大な時間・紙面が必要」というのは、現実世界では、重層の長い歴史認識が深く理解されているということです。東アジアが教科書問題で揺れるのは、日本、韓国、中国の歴史認識のレベルが極めて低いことから来るんです。中国、韓国のような、つい数十年前まで軍事独裁国家でまともな議会も存在しなかった社会であればともかく、近代の明治維新以降100数十年もたつ日本社会で、これだけ歴史認識がお粗末なのは、情けない。


僕は、1970年代以降の角川映画の角川のメディアミックス手法の展開に代表される消費者のマスか化が大きな原因だと考えています※が、マス(=大衆)レベルでは、世界を独自に主観的に解釈しうるほどの知的アリストクラートはおらず、そもそも「世界の解釈」を他者にゆだねる価値判断に自信のない層がこの商品のターゲット層となりました。このへんは、詳しくは中島梓さんの「ベストセラーの構造」を読むとわかると思います。

 
中島 梓
ベストセラーの構造  

だから、多軸間同盟の複雑な均衡政治、多国間外交のパワーポリテクスを理解できない層が、非常に広く広がっていることも加わり、この手の第三の道への選択が非常に難しい社会に、日本はなっているのです。

これは現実の社会での、アセアン等での東アジア共同体提案や北朝鮮を巡る外交のレベルの低さ、民意・マスメディアのの無能な反応振りをみると、よくわかります。



■さて、もう一度ガンダムシードへ

     

さて、話を戻すと、カガリ・ユラ・アスハが、何度も


「それ以外の方法はないのかと?」


と問いかけることや、アスランが単なる一兵卒、戦士でありながらどうしても政治的な全体の視点を捨てきれないで思い悩むこと、キラやラスクのように明確に二元論への反旗を翻す意志を持ちしかもかなりの勢力・戦力維持している点など、全編を流れる発想の原点は、ゼータと同じで、



善と悪を単純に二分できない世界の難しさにどう対抗するか?



という極めて現代的な問いなのでだ。


とりわけ、SEEDの親友がいつの間にか、敵になっていたという設定や、自分の友人を守るために戦った相手が同じコーディネイター(同じ部族ということ)であったという極めて、ありえつつもありえにくい設定で悲劇的にキラを追い込んでいくドラマツゥルギーはなかなかに見応えあった。人気が出るのがわかる。


だから、キラの悩み、カガリの悩み、アスランの苦悩は、非常に共感する。(物語や脚本が破綻しているから感情移入は難しいが)


けどねーこれが、Destinyでは見事なまでに意図を破綻して、失敗しているんだよね(苦笑)。


それがもいったいない。すべての問いかけが、「問いかけ」だけで終わっていて、具体的な方法や実践に全然踏み出さないんだ。



「なぜ戦わなきゃいけないんだ!」(byカガリ)



って、その答えを実践するのが指導者のシゴトなんだよ、カガリ君。君はそれを問うのではなくて、「答える」のが本務なの。それが政治家であり、リーダーなんです。


本来ならば、武装中立を唱えるオーブの政治理念、武力や経済力・技術力そして、コーディネイターの難民を受け入れる安定した法治体制などは、十分その根拠となりうる背景を持つ。けど、ここのリーダー(カガリやユーリ)があまりに政治的に無能で、そういった第三の選択肢を取れるほどのマキャベリズムがないんだよね。


そもそも、強大な大西洋連邦やユーラシア連邦といった帝国的な政治権力に組しないで独立を維持してきたこと、しかも新型のモビルスーツを、ZAFTらコーディネーターの本拠地よりもレベルの高い技術開発力で成し遂げているところから、


相当のスパイ組織や情報組織の存在や、中立を守るためのあらゆるド汚い手を駆使して来たはずなんだ。


光があれば闇がある。


たとえば永世中立国のスイスが、なぜ永世中立なのか?。それは、彼らがあまりにも貧しく、自らの国民を傭兵としてヨーロッパ中に輸出したためだ。ヨーロッパ各国軍隊の重要な供給源となったため、各国が他国からの影響をっ嫌ったのだ。また国民皆兵でレジスタンスの訓練をし、核兵器を自前開発しているほどの意志がある国家だからなのだ。



これ以上の強大な力を持つオーブが、独立維持してきたのは、伊達や酔狂ではないであろう。



けど、カガリには、その光の部分(平和)だけしか教育されておらず、その平和を「具体的にどうやって維持するか?」という闇の部分が、全然伝えられていない。極端な話を言えば、平気で要注意人物を陰で暗殺・恫喝ぐらいできるくらいの力があるのは当然だ。もともと、死の商人通じていて、しかも新世代の兵器開発(ガンダムのことね)を中立コロニーでやるくらいの裏工作が得意な国なのだ。


それは戦争のためではなく、独立の維持と戦争状態の回避のための取引の駒として「それ」を持っているのだ。けど、それがカガリにはわかっていない。



だから、物語が薄っぺらになる。


たとえば、僕ならばオーブ元首としてアスラン(自分の大好きな男性)を暗殺しなければならない状態に追い込んで、カガリをボロボロにするとか(笑)そういう設定を思いつきます(笑)。武力を行使しないのならば、謀略と暗殺、情報力を行使するに決まっているではないか。


・・・・・もちろんのこと、戦争は嫌いなどというお題目だけで平和が守れると思うやつはバカだ。無害ではなく、凄まじく有害だ。こういうバカなロマンチストが、一番悲惨な戦争や争いを引き起こすからだ。


光を作るには、常に闇が必要なのだ。


そういう意味では、全編を流れる「問い」は素晴らしいのだ。


だから、そのセリフだけきくと、けっこうぐっと来る。ましてや二元論的行き詰まりを明確に否定して問いただす姿勢は、なかなかに胸を打つ。


が、しかし、しかしだ!、それが全然行動や具体的解決策に結びつかないので、飽きてしまうのだ。


ああっ、オシイ。惜しいんだよ、福田監督(笑)。


AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

■物語の楽しみ方について



なんとなくSEEDのオーブの戦闘を見ていて、思ったこと。



■物語の類型


二元論


というのは、善と悪の対立もしくは、妥協の余地のない敵との対立のことを指しています。


なぜ二元というかというと、世界を二つに分けてしまう思考方法を取るからです。


たとえば、


悪の帝国ソビエト VS 民主主義の善なるアメリカ


独裁者に支配された全体主義国家大日本帝国とその同盟枢軸国(アクシズ) VS 世界を平和に導く英米を中心とした連合軍


自由惑星同盟 VS 銀河帝国


コーディネーター VS ナチュラル


なんでもいいのですが、僕たちが住む『世界』を眺めるときに、敵か味方という二つの種類で全てを色分けしてしまう考え方です。


見事なくらいに、物語には類型的・典型的なので、物語を読む見るときには、ぜひこの構図をどうやって使っているか?。克服しようと努力しているか?。などなどを確認しながら読むと、興味深い深読みができます。


ちなみにかならずしも国家とか戦争だけではなく、敵をただ単に「悪い敵」としか認識しない陳腐な勧善懲悪もまた二元論に典型的な感覚です。



■プロパガンダ宣伝にだまされちゃいけないよ?


なぜ、克服しているかどうかが見るべいきポイントか?というと、これは物語として最高に面白いと同時に、なんといっても国威発揚の宣伝広告としてとても効果があるからです。ようは、人間を争いや戦いに駆り立てて、しかも出口のない最終戦争的な次元まで連れ出してしまうので、物語としては出口がない袋小路なんです。この袋小路をどうやって解決しているか?は、物語作家としての力量がまさに問われるのです。そして、当然この手の思考方法は、教育効果としてあまりに最悪です。


基本的に、二者択一の選択肢を選ぶというのは、とてもよくない思考方法なのです。ただ同時に、短期的には最も現実的な思考方法であるのも事実です。


とりわけこのわけ方が伝統的に大好きなアメリカ合衆国は、よく悪の枢軸(デビルズアクシズ)とか民主主義の敵とか、自分たちを善として相手が絶対的な悪であるかのようなプロパガンダをよくしたがります。


この考え方は、人を動機付け(=モチベート)しやすいのです。だから、意識的に利用されていないかを、いつも訓練して考えるべきだと思います。


■なぜおもしろいのか?


しかし、なぜ、この二元論的争いを人は好むんでしょうか?。


それは、人類が数万年生きてきた、部族社会の復讐法・・・血讐などの生物学的にも妥当性のある本能の次元での感覚にとてもフィットしているからなのです。


たとえば、ハムラビ法典などの古代の法規には、「家族を殺されたら、それと同じ人数分だけ殺し返せ」とあります。それは、法社会学的には、この言葉には、二つの機能があるそうです。うろ覚えなので違うかもしれないですが(笑)


①カタルシス機能


愛するものを奪われたときには、それと同じレベルでの感情の起伏を経験しないと、人は満たされません。人類史の中で、公開処刑が重要視されたのは、こうした人間感情の浄化を求める本能を満たしていたせいです。どんなにかっこつけても、愛するものを殺されて、それに対して復讐する意欲が湧かない人間は、生物として失格です。だって、それじゃあ愛じゃないじゃないですか。愛は独占、排他、独善をも含むのです。もちろん、ごく一部ですがね。


②血族社会レベルの安定性


殺したら、殺し返さねばなりません。なぜならば、殺し返さないということは、イコール奪われても殺されても抵抗しませんというアピールになります。そうすると、虐殺されし尽くします。基本的に、秩序というものは、第三者からの圧倒的暴力によって介入されない限り、守られることは論理的にありえません。だから、ある狭い地域に部族なり集団が存在した場合には、その集団間の秩序が保たれるために、お互いが牽制し合うバランスが必要になります。つまり、自分がすることと同じことが帰ってくるという前提が存在しないと、秩序の安全保障が成り立たなくなり、際限のない殺し合いに陥ってしまうのです。


このように、基本的に、人間の本能の次元でフィットしていることなので、集団間の絶対的な色分けによる戦争は、とても人類にアーティフィシャルに普遍的なものなのです。


この機能をぶち壊そうとしたのが、キリストなどの新世代(当時のね)の宗教者たちです。


たとえば、キリストは「隣人愛」という理解不能な概念を出すのですが、これは、人類の普遍的本能から究極に逸脱する発想です。自分の身内(血族・部族など)でない人間・・・・もちろん、当時の人にとって、身内以外は同じ人間としてすらカウントされない異生物です。そいつを愛せとか、狂ったことをいうのです(笑)。仏陀の輪廻も、前提は似た発想ですね。仏教は他の生物を射程しているだけに、キリスト教よりカバーされる領域は広いが、その倫理を人に守らせる戦略はキリストのほうが強いようです。


まぁそれは脱線ですが、


この集団同士の継続的な対立(健全な?戦争ですね)を究極の形で困難にしたのは、技術の進歩で、とりわけ国家総動員する世界大戦とそれに付随した最終兵器(=核)の発明です。


核と総力戦による最終戦争の危険性は、生態学的な淘汰としてバランスを保つための装置であった古代の戦争の位置付けを変えてしまいました。


とはいえ、二元論の中に含まれる物語のダイナミズム自体は失われたわけではありません。


続き・・・・書ききれなかったので、またあとで


-----------------------追記


■二元論とは?


僕は「より深い物語の楽しみ方」というテーマで、メタレベルの楽しみ方を、いろいろ考えています。その一つの軸として、善悪二元論という概念を提出しています。


この概念には、実は二つの要素でなっています。


①物事を対立する二つの要素に分解するべく境界線を作ってしまうこと


②二つの要素に、善と悪という価値観をラベリングして、善の側に自己をアイデンティファイすること


③第三の道※を見出す契機を失って思考停止になっていること


※同列の要素か、そもそも選択以前のメタレベルでの前提への疑問を持つこと


たとえば、Aという意見を聞いたとき、


「それは正しいの?」


と、反射的に考えるのは、完璧に二元論的思考です。


ようは、


1)正しいと間違いという二つに要素を分解して、


2)価値観のラベルを張って、


3)プラスの要素のほうに自己をアイデンティファイ(=感情移入)する


4)そもそもの質問や選択肢自体が間違いではないか?と前提を疑問視しない態度

追記で、考え方の枠組みを追加します。


■二元論の系譜~アメリカ・ハリウッド映画から/ダンスウィズウルブスとラストサムライ

■三国志のパワーポリテクス/数字は2よりも3がすごい!


AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。