J・さいろー
クラスメイト (コアノベルス 2)

評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★☆星3つ半)

海燕さんに紹介していただいたポルノ小説。表紙にかなりひいたが、海燕さんが言うのならば、と決死の覚悟で読了。

・・・これは、、、、これは、かなり凄いかも。


ちなみに、凄い暗い話ですよ。いじめの話がメインだもん。表紙からは想像つかない暗さです(笑)


いや、ジャンルとしても様式美としても、追求するテーマとしても、これはかなりのものだ。これ単体では様式美の世界を抜けられる射程はないが、ここで語られている性と自意識をめぐるテーマは、実は凄くストレートに追及されていて、なかなかに考えこまされた。とはいえ、こんな小学生ねーよさすがに、と思いたいが・・・(笑)。


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男子いじめが趣味の女王様が支配するあるクラスに、

肉奴隷の男の子が転校してきたことから始まる、奇妙な学級内調教の物語。

ローティーンの好奇心による暴走の行き着く先は──?
アマゾンより
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肉奴隷の男の子・・・・・(苦笑)。

これだけで読む人が凄く限定されそうだな(笑)。
Jさいろー
SWEET SWEET SISTER

ちなみにかの名作SSSの続編のようですね。話としてはこっちの方が深かったなー。・・・・・ちなみにね、これはポルノの部分や小学生だのとか、そういった意匠は本当はどうでもいいのだと思う。本当は長く詳しく書きたいが、そのパワーがないので、簡単に書いてみる。これまでの僕のこの系統のテーマの記事を読んでいる人は、なんとなくわかってもらえるような気がする。


これは、マゾの男の子の匠くんと、Sの女の子の桃香、それと匠の女王さまであるお姉さんの3人の物語で、この3者の関係性をめぐる深淵を、性といじめを通して深く切り込んでいるのだ。いじめなど暴力や関係性における性を通した支配・被支配は、心のナルシシズムの破壊において、とても重要なポイントで、「これ」が描けないと、本当は人間存在の本質や恋愛を真に描いたこと、えぐったことにならないと僕は思っている。


ちなみにこの辺の感受性が弱い人は、世界の本質がわからないと思うし、なによりも、世界を一面でしか見ていないと思う。小池田さんの下記作品とか読むと、とてもよくわかります(笑)。勉強になりますよー!!!。落ち込んで寝れなくかもしれませんが。そしてこのへんがわからないと、フランス映画のモチーフや近現代の文学作品の関係性も、ほとんど理解していない場合が多いと僕は思います。

小池田 マヤ
聖・高校生 (8)

ちょっち本の名前を忘れたが、昔有名なマゾのAV男優のインタヴューを見事に成功させたやつがあって、それで


マゾは世界の王だ!


と叫ぶそのちょっと頭の狂ったようなAV男優の意見が非常に興味深くて、いまでも心に残っている。それは、徹底的な受け身が世界を支配する全能感に転化する心性の過程を描いていて、このロジックは、たぶんキリストの十字架にかかるロジックとほぼ同等の効果があるものだな、と思ったことがあるのです。


えっと、話が飛びすぎた(笑)。

内藤 朝雄
いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体


なんつーかなーこのクラスの力関係の変化を見ていて、いじめを理論的に分析したこの内藤さんの本を思い出したんですよねー。あーそうそう、なんつーか、性と暴力って、すごく生態的なバランスを形作るんだよねーって。


何が言いたいのかわからなくなった。


また今度書きます。

栗本 薫
真夜中の天使 上 (1)
栗本 薫
終わりのないラブソング〈1〉 (角川文庫―スニーカー文庫)
谷崎 潤一郎
痴人の愛

田山 花袋

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)

近松 門左衛門, 祐田 善雄

曽根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 (岩波文庫)


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■挑戦はまだ続きそうです(笑)


この話に継続的に言及くださる海燕さん、ustetさん、萌えオタさん、ありがとうございます。


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>ペトロニウスさんがジュブナイルポルノを読み進めることをあきらめた模様。


本は出会いで、このジャンルって読めるか??と思ったが、これで腰が折れた。もう読まないなー。コストパフォーマンスが悪すぎる。


 ま、そうですね。何しろ要求条件が厳しいので、エロゲほど作者が遊ぶ余地がない(ように見える)。


ジュブナイルポルノ名作紹介。/Something Orangeさんより
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070917/p2
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この記事を見て、まだ足りないなと発奮しました。トライしてみます。ちなみに後で書きますが、性の領域は、ストレートに自意識と結びつきやすいので、これが混ざるとどこまでも人間の闇をえぐるやばい話になりがちです。このJさいろーさんの『SWEET SWEET SISTER』は怖そうですね。トライしてみます。カルネヴァーレは、まずニトロプラスのその他の作品をちゃんとプレイしてから読むべきみたいですね。・・・時間が・・・。

   



■セクシャルなものを描かなければ、世界の半分も描いていない


Hなマンガは、男性なので大好きなんですが、ただスキだけでは物事の本質には迫れません。これらの系統の作品に対しても、テーマで読み込んでいます。なんでそんなことをするの?とか、きかないでください、だって不思議に思うんだもん。

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物語的に云えば、物語が一つの擬似世界を構築しようとする時に、当然にセクシャリティーの問題が描けなければ、世界の半分を描いていないようなものであるし、この分野を絡めないと、・・・・、やっぱりコミュニケーションというものの本質に到達できないと思っているからなんだよねぇ。


a
『花咲け!おとめ塾』 陸乃家鴨著 主人公がかわいいっ!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10020155148.html
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腐女子系の男×男のヤオイものでもなんでも来いです。ポルノ小説は一度も読んだことなくとも、ヤオイなら三桁は読んでいます(栗本薫さんが紹介したものは片っ端から読んだんだってば)。それ故か、物語上は性差に関する偏見がありません。物語で男の子と男の子が恋に落ちても、全然違和感がないという変な感覚なんです(苦笑)。小学生ごろからJUNEとかヤオイものに触れ続けた故でしょう。森鴎外の娘の森茉莉の『枯葉の寝床』とか、栗本薫の『真夜中の天使』『終わりのないラブソング』や竹宮恵子さんの『風と木の詩』に羅川 真里茂さんの『ニューヨーク・ニューヨーク』などはバイブルのように読み返しているしね~。ちなみに、中沢新一さんの本で、特に好きなのは『森のバロック』の南方熊楠という民俗学者の同性愛について扱った論考。

栗本 薫
真夜中の天使 (1979年)
森 茉莉
薔薇くい姫・枯葉の寝床 (講談社文芸文庫)
竹宮 惠子
風と木の詩 (1)
羅川 真里茂
ニューヨーク・ニューヨーク (1) (白泉社文庫)
中沢 新一
森のバロック (講談社学術文庫)

・・・考えてみると、僕のセクシャリティに関する基盤は、ヤオイものとエロマンガで成立しているような気がする。だって、小学生の高学年ごろには既にこのへんにどっぷりだったもん(危険です)。


けど、やっぱり不思議だったんですよね。


Hってなんのためにあるのだろう?って(笑)。


いやーペトロニウス少年は、無駄に高速回転で物事を考えるのです。その頃は、AV(アダルトビデオ)なんて初期で、小・中学生ごときが見る機会もなく、Hなものは普通に借りられる映画などになってしまい、かなり歪みましたねー。高校生の頃は、そりゃー現代美術の写真集とかで、よくてアラーキーとかで、たとえば森村泰昌(これは少しあとかなー・・・もちろんエロい雰囲気という意味ですよ)とかですよ。壊れてるって(苦笑)。

森村 泰昌
芸術家Mのできるまで
森村 泰昌
踏みはずす美術史―私がモナ・リザになったわけ (講談社現代新書)
荒木 経惟
天才アラーキー 写真ノ方法 (集英社新書)
荒木 経惟
陽子 (荒木経惟写真全集)
フォトプラネット
デジャ=ヴュ (第20号) 荒木経惟─私小説

またゴダールとかフランス映画系のちょっとHなの場面を一生懸命探して見ているんだから、性格も歪むわな。だって、その頃の思い出といえば、それこそシャルロット・ゲンズブールとか、それに、『トリコロール/白の愛』ジュリーデルピー!(超好きだった)とか古くはエマニュエル夫人とか、ジャン・ジャックアノー監督『ラマン』とかなんですよ。もう、おかしいでしょう。暗い話ばっか。好きなマンガも、やまだないとさんとか、どうしてそんなに、、、ってくらい話しばっかり。いまのように、Hな萌系のジュブナイルポルノとかライノトベルのような読み易いポルノってなかったんですよね。まだ想像力が、必要だった時代。

東北新社
愛人(ラマン) 無修正版
やまだ ないと
フレンチドレッシング
やまだ ないと
La’mant
ショウゲート
トリコロール/白の愛
東北新社
エマニュエル《ヘア解禁版》
ハピネット・ピクチャーズ
シャルロット・フォー・エヴァー

ちなみに僕が、なぜ、『Hってなんのためにあるのだろう?』なんて考え込んでしまったかは、いま振り返ると容易に理解ができます。上記の僕がセクシャルなものに触れた時期が、フェミニズムの浸透期で具体的な作品に展開した時期であり、またJUNEとかヤオイなどいまでいうBL(ボーイズラブ)に触れていたために、ゲイなどの性の多様さ・過剰さを抱え込んだ部分に出会ってしまっているので、理解しきれなかったんでしょうね。性の領域で「常識」とされていたヘテロセクシャルなものから解き放っていたり、またフェミニズムの物語世界への影響で女性に対するステレオタイプな捉え方が崩されており、そもそも愛とは何か?、セクシャリティーとは何か?、欲望とは何か?ってのが、時代的にセットアップされていたのだと思います。

上野 千鶴子
家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平


□ファンタジィは女性をどう描いて来たか。/Something Orangeより
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070915/p2


□もし妹が絶対君主だったら。/Something Orangeより
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070822/p2


□かわいいご主人様に仕えることによろこびを見出す時代
http://ameblo.jp/petronius/entry-10043315011.html



だから、この辺の話を、そういったもう少し次元の俯瞰的な視点からとらえ直すと、非常に興味深い。まぁこの部分は、フェミニズムやゲイについて勉強すると、実は作品がいろいろ深読みできるようになって、世界の豊かさを実感できるようになると思います



■性は自意識の現れ~どんなシュチュエーションが好きかでその人自身がわかる


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□お忙しい中、お返事ありがとうございます

私も読んでみましたが、このヒロインの女性は社会的に高い地位にある一族の後継者で、学校の成績も、運動も良い成績である、という「設定」でしたね。それがプライベートでは家事能力ゼロでアニメ、ゲームオタクで、主人公がいないと日常生活を送るのもままならない。という、普段はとても手が出ない高嶺の花が、実は家にもどれば全て主人公の手の内の中、というシチュエーションなのだと思います。ペトロニウスさんにはヒロインの言動から、全く頭が良いように見えず、つまらない女性に見えたのでしょう。
社会では自分よりもはるかに上の立場にいる相手が、プライベートでは自分に従順な女性というのは男性の支配欲を満足させやすいですからね。(ペトロニウスさんはお好きでないでしょうけれども)物語の為に性描写があるのと、性描写で興奮するために物語があるこういったものとは、やはり存在意義自体が違うと思います。


萌えオタ 2007-09-16 14:17:17

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>物語の為に性描写があるのと、性描写で興奮するために物語があるこういったものとは、やはり存在意義自体が違うと思います。


そうそう。性描写のためにが前に来すぎると、即物的になってしまうのだよね。


>ペトロニウスさんにはヒロインの言動から、全く頭が良いように見えず、つまらない女性に見えたのでしょう。


うん。ここ重要。相手がバカに見えたので、たぶん唯一性の相手に思えなかったんでしょうね。仮に同じ「社会では自分よりもはるかに上の立場にいる相手が、プライベートでは自分に従順な女性というのは男性の支配欲を満足させやすいですからね」という支配のシュチュエーションを描くとすれば公の場での格差を実感しつつ逆転を描けないと変だし、そもそもそれほど頭のいい女性が、プラヴェートの部分の位置付けが「流されているだけ」というのは、馬鹿すぎる。それでは、支配を楽しむとしても、楽しみ切れません(笑)。


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□阿呆な話で恐縮ですが

私はこういったエッチで最高に興奮するのは、好きな人とエッチすることだと思います。エロゲーだとプレイヤーの方から選択肢による「働きかけ」も出来るし、ストーリーを追う中で、じっくりと主人公やヒロインに対して感情移入をさせるようにすることも可能です。これに特化したのがKey社の作品で、プレイした人が「Hシーンなどいらん」の大連呼、「Kanon」はアニメ作品として「AIR」は劇場公開として大ヒットしました。そして、ついにHシーンなしの「CLANNAD」を発売し、それにも拘らず異例の大ヒットを飛ばしています。

しかし、エロゲー程容量がなく、そのような働きかけを行う余裕がない小説などでは、好きな子とエッチするのからランクを下げ、自分の理想(好み)の女の子と自分の好きなようにエッチできるので興奮してね、ということなのだと思います(女の子のキャラの主体性を尊重するのなら失礼な話なのかもしれません)。

主人公も、ヒロインの女性も皆それぞれ主体性を持って行動しているような作品は、現在のジュブナイルポルノでは、二次元ドリーム文庫の竹内けんさんの「ハーレムシリーズ」位しか私は知りません。これも、名前に偽りありかもしれませんね。

ちなみに物語上にそれほど不自然がなくHシーンが組み込んであって、ストーリーも面白かったのは、Fate/Zeroの執筆者でもあります虚淵玄氏の立ち上げられたニトロプラスのゲームが良かったです。シナリオを手がけている「Phantom -PHANTOM OF INFERNO- 」は面白かったですね。監修を勤めらておられた「斬魔大聖デモンベイン」も大好きでした。エロゲーに必要だとされるHシーンを逆手に取った作品を出し続けるアージュやオーバーフローなどの会社の作品も好きなんですけれどね。

プリンセスソフト
ファントム ~ PHANTOM OF INFERNO ~ (初回限定版)
ニトロプラス
斬魔大聖 デモンベイン DVD-ROM版

萌えオタ 2007-09-16 14:18:22
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アホではないですよ。


人生の本質に迫る重要な話ですよね(笑)。ちなみにポルノというジャンルで、小説、ノベルゲーム、映画、アニメ、写真、絵画、現代美術などなどという媒体の違いの評価は面白いですよね。よく、エロゲーのジャンルやポルノ小説の一分野、たとえばジュブナイルポルノのみを集中して評価したり格付けしたりするサイトとかはよくあります。けれども、いつも不思議に思うのは、それを全ジャンルにわたって、評価付けをしたり歴史性を分析しているものがないんですよね。もし異なるジャンル同士の比較だけでも、学者級の分析レポートができるはずなのに、ジャンルを逸脱する人ってほとんどないんですよね。それが僕にはいつも不思議です。だって、セクシャルなものが好きならば、媒体にこだわらず追求するでしょうに。


ちなに、今回のポルノ小説とエロゲーは、上澄みですが体験したので、かなりのそのジャンルの歴史性や展開のパターン、マーケティングの方向性などなどは全体像が掴めてきました。とりわけ、エロゲーのジャンルは新しい上に、集中して爆発したので、分析が容易で興味深かったです。僕は、Key社の作品は一つもプレイしたことがないのですが、この「Hシーンなどいらん」の大連呼というのは、非常に興味深い。その後の作品の物語類型の展開もね。いつかカルチャルスタディーみたいな感じでレポート書いてみたい気がする。



■アメリカ人は性を直視する伝統がある~なぜ性を忌避するの?それが何を生むの?


この辺の作品群で映画系で大好きなのは、僕のいつも読んでいるブログ『千の天使がバスケットボールする』ですね。この辺の映画の記事は、アーカイブとして蓄積されていていつも感心して読んでいます。好きなんだろうなーって(笑)。


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>「はじめての性交渉はいつか」「婚前交渉の有無」「性交渉の回数」・・・LET'S TALK ABOUT SEX.こんな個人の最もプライベートに関わるアンケートを1940年代~50年代にかけて、まだ女性解放も性の解放もされていなく公民権運動や宗教による差別すらあった保守的なアメリカで、351の質問を用意して面談方式のアンケートをとった研究者がいる。
中略
1948年男性版、53年には女性版のレポートを発表したのだが、当時のアメリカでは道徳で封じ込めていた”性”のパンドラの箱をあけてしまう爆弾になってしまったのだ。それは何故か、性科学のレポートの内容は、同性愛を犯罪者扱いする国家や社会、自慰を罪悪とする宗教や父、こうした存在の権威や常識を壊すくらいの赤裸々だが真実の告白だったのだ。


『愛についてのキンゼイ・レポート』/千の天使がバスケットボールする
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/4458c31d21a5bfd4131a308f3fd3389c
***********

たとえば、アメリカ合衆国は、神経症的に「セクシャルなものを遠ざける」というピューリタン的伝統があります。ところが、ここがピューリタンの不思議なところで、性的なものを忌避するあまりに、それを直視しければならない!と全力で分析するんです。17~8世紀ごろのピューリタンの日記には膨大なその手の資料が残されています。一日欲望に負けて行った手淫のやり方から数などまで事細かん記録している。


この辺は、アメリカ人の哲学であるプラグマティズムの起源の一つで、とにかく偏執狂的に、性的なものを追求する。ある種の客観的な距離を置いてね。・・・・この異常な精神状態のオブセッションが、魔女狩りとかの遠因になったことは、まず間違いないと思うのだが、それほど直視の伝統は凄い。


この背景を知って、60年代にアメリカ人の性意識に革命を起こしたキンゼイ・レポートを読むと興味深い。そして、それを成したキンゼイ博士の上記の映画を読むと、なるほどと唸るものがあります。


>科学としてのキンゼイ・レポートも、そこからはじまる性の文化も道徳も、現在混沌とした中にあるのだろうか。中絶や同性愛の是非が、米国大統領選挙の争点にもなるのが現在の米国。ひとりの科学者と夫婦愛として観たら、この映画はそれほどおもしろくない。


その通り。ただの物語としてはこんな陳腐な話はない。ただ単に保守的な父親に反発して、その反発を科学で証明しようとした男の子の話だ。が、セクシャルというテーマにこれを切りこむと素晴らしく魅惑に満ちた物語になる。ちなみに、このテーマは、この本に詳しい。

鈴木 透
性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶 (中公新書)



■ヨーロッパ映画を理解したければ、フェミニズムに敏感でないとわからないと思う


またヨーロッパ映画に目を転じてみよう。サガンの『悲しみよこんにちは』などもそうだが、ヨーロッパ映画、、、、とりわけ大陸系の映画は、ヨーロッパ病として資本主義の日が沈んでから200年近くたっている成熟した文化のある種の到達点が描かれており、そういった市民社会やわれわれの資本主義社会が形成するブルジョワシーの都市文明が行き着くとどのような形になるか、という部分の考察を我々に与えてくれる。ヨーロッパの英知が選択した「第三の道」も、彼らの市民社会の目標も、「これ」が理解されていないとさっぱり、意味不明である。

フランソワーズ サガン, 朝吹 登水子, Francoise Sagan
悲しみよこんにちは
ジェレミー リフキン, Jeremy Rifkin, 柴田 裕之
ヨーロピアン・ドリーム

『ブラウン夫人のひめごと』/千の天使がバスケットボールする




『幸福(しあわせ)』/千の天使がバスケットボールする
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/90c890f328f40be8d296ece95f362a13




『悲しみよこんにちは』/千の天使がバスケットボールする
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/0c217ed657e02383060975b9a0fffae6


『プルートで朝食を』/千の天使がバスケットボールする
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/421cb0a363f8aa926bc0dd613e9600c7



『クリムト』/千の天使がバスケットボールする
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/a074b8d793717e5a46df894a6884eb71



このへんは、フェミニズムの洗礼を受けた後の市民社会という視点で、物事を眺めないと、いったいそこに登場する人々が、何に悩み、何に苛立ち、何を悲しんでいるか、喜んでいるかがさっぱりわからないと思うのだ。このへんは、一度余裕のあるときに、ちゃんと分析したいと思っている。


えっと、書きたいことがまだまだあるのですが、とりあえず長うぎるので、この辺で一度切ります。何が言いたいのかというと、


セクシャルなものの直視は、世界の豊かさを知ること


だと思うってことです。このテーマで色々なものを眺めると、世界は興味深いです。


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著者: 佐藤 亜有子
タイトル: ボディ・レンタル  
 

女子大生のマヤは、自分の身体をモノのように感じてしまい、それを他人に貸し与えるボディレンタルという商売を始めます。

本人は、売春とは違うと言う。


そして多分それは正しい。


売春行為そのものだけれども、彼女の中では、実存回復なんだろうと思います。


かつて心理学者岸田秀は、


「人間はめちゃめちゃに壊れたラジオとして生まれる」


そして


「それを修理する行為が人間の営みだ」


といったことがあります。


リストカットなどの自傷癖のある人は、心と身体の感覚が一致しなくなるそうです。


だから、身体を傷つける行為もしくは刺激の強い暴力によって、生物としての実感を取り戻そうとしている。主人公マヤが、自らの身体をモノとして認識しているのは、この病的な状態を表現しているのだと思います。

「この感覚」は、感受性の強い人であれば、誰もが経験したことがあるはず。

たぶん、近代的自我の普遍的な感覚なんだと思う。だから、これは高学歴の女性が「身体を売る」というセンセーショナルな話題だが、テーマ自体はありきたりなものなのだと思う。というか、まさに自叙伝的日記に近いと思う。だれもが東電OL殺人事件を思い出すと思うでしょう。彼女の自作以降にオリジナルが問われると思うが、最初に「ここ」がテーマに来る人は、マイナーで終わってしまう気がする。出版してからけっこう立つが、文壇の状況をよく知らないので、その後の評価は分からないですが・・・。


 
著者: 佐野 真一
タイトル: 東電OL殺人事件  


こうした系統は文学作品としては、田山花袋などの私小説につならるワンパターンで、自傷系の売春行為は発売当初は目新しさもありましたがもう新奇さはありませんね。


自分の意識と身体の調和が取れなくなる、いわゆる「自意識の肥大」をテーマにした作品は、圧倒的に東大生もしくは出身者に多い。


この系統の作品は「彼らが何に悩んでいるか」が感覚的に理解できると非常に面白いので、自分の中のマイブーム。


やはり東京帝大学卒の最初の近代エリートの夏目漱石『こころ』から始まって、昨今だと佐藤亜有子『ボディレンタル』とか高橋文樹『途中下車』、マンガなんかだと麻生みこと『GO!ヒロミGO!』に宮台真司・藤井誠二『美しき少年の自殺』などなどかな。

 
著者: 藤井 誠二, 宮台 真司
タイトル: この世からきれいに消えたい。―美しき少年の理由なき自殺  
 
著者: 夏目 漱石
タイトル: こころ  
著者: 麻生 みこと
タイトル: GO! ヒロミ GO! 1 (1)  
 
著者: 麻生 みこと
タイトル: GO! ヒロミ GO! 2 (2)  



作中で友人たちと話をするシーンがあるが、その雰囲気は、まさに司馬遼太郎の『坂の上の雲』で南方熊楠や正岡子規の青春時代の雰囲気と非常に似ている。


明治から始まる悩みと文学のテーマは、この100年あまり変化がないのだと思う。それにしても「高学歴」な人々は、大変だ。がんばって人生削って勉強(しないで入れるほど甘くないし)してやっと合格しても、やれEQが低い、プライドが高すぎる、コミュニケーション能力がないと合コンでも就職でもバカにされる。


いまは国家的な目標がない時代だから官庁や一流企業に勤めれば、あらゆる人から賞賛される時代ではない。だから、エリート意識を満足させる肩書きと役割は、ない。とりわけ、田舎でで神童・天才ともてはやされ学問でもスポーツでも負けたことないで東京に出てくると、この


「周りの扱い」



「自分の肥大化したプライド」


との落差でおかしくなる人は多い。日本の受験をくぐり抜けたことがある大学生ならば、だれもが持つ青春の悩みだと思う。

いつも思うのだが、「この感覚」の解決方法と脱出方法は、どんな答えがあるのだろう。それが僕がいつも思う重要な問い。「自己が肥大化する」というのは、頭脳の部分が著しくバランスが崩れてシャープになった場合におきやすい。つまり、「頭」はいいのだ。その頭脳を幸せのために使えないのは、悲しい。だって、最高レベルの大学教育を受けられる頭脳を持ちながら、やっている行為が売春では、悲しいじゃないですか。


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