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『ブラッド・ダイアモンド』 エドワード・ズウィツク監督 バディームービーというハリウッドの基本
http://ameblo.jp/petronius/entry-10051730016.html

このコメントへの返答です。


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■悪くはない


けど、中途半端!これに尽きますね、この映画は。物足りない。せっかくいいテーマを取り上げているのに、どうしてもっとしっかりそちらをやらないかな~。走り回ってるところばかり撮影してる場合じゃないでしょう??っていう感想になってしまったんですよね。ただ、色々な方の感想を見ると、この映画でアフリカの社会問題に気付いたというようなコメントも多かったので、それなりに意味のあることだったのかな、と。ペトロニウスサンも同じ感想を持たれたのですね!


有閑マダム 2007-10-20 15:51:09

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でも、このアフリカの社会問題に気づきをもたらして、2時間半をちゃんと見させるという導入の価値は物凄い価値なんで、中途半端というべきか、どうか・・・・難しいところです。何を軸に評価するかによって、物事の見方というものは簡単に変わってしまいます。そういう意味では、そういった重いテーマであるにもかかわらずここまで、わかりやすくエンターテイメントに仕上げている脚本家と監督の力量に讃嘆すべきなのかもしれません。


何かを判断するということは難しいことですね。いつも思います。僕はもともとルワンダ内戦のように、世界中から見捨てられて虐殺が継続してしまったりと、資本主義のリンクから外れてるアフリカの問題は経済学の重要な空白のエアポケットとだと思っていて、それを、どうやって世界に知らしめるのか?というのは、ある意味大きな心の奥のテーマなので、このエドワード・ズウィック監督の行為自体は、本当はあらゆる批判を無視して宣伝するべきなのかな?なに、、、すかして、俺はさかしらに批判しているんだよ、、、と思うときもあります。

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たとえば、『ホテル・ルワンダ』は素晴らしい映画で、そのエネルギーに圧倒されましたが、『ブラッドダイアモンド』よりも、見るのがつらかったです。そういう意味では、口当たりの良い、『シッコ』『ボウリングフォーコロンバイン』は、ほんとうに良質の導入のためのエンターテイメントなのかもしれません。『華氏911』は、あまりに政治くさくて、ダメだだけど。

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導入のためのエンターテイメント、というのは、僕のいつも考える大きなテーマです。欲望で回り、他人ことに興味もないし、仮にあったとしても、どうしようもない状況に立たされている時・・・・・マクロの圧倒的な負の現実にさらされた時には、人は、「そんこと聞きたくない!」と耳をふさぎます。

高瀬 彼方
ディバイデッド・フロント(2) 僕らが戦う、その理由 (スニーカー文庫)

sさんに紹介されて読んでた小説で、ある隔離された戦闘区域に絶望的な戦闘をさせられる人たちという設定のSFで、そこに訪れた自衛隊の広報官のセリフが、とても印象的でした。この隔離戦区をアフリカや何人問題と入れ替えると、、、、、。


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「隔離戦区の現状は多くの問題を孕んでいる」ということを考えている人ならば、たぶん、世間にはたくさんいると思うわ。


だけど、そこから先を考える人は、ほとんどいない。


それは何故か、と思う人たちのために、ちょっとたとえ話をしましょう。


憑魔たちが出現して世界が大混乱に陥る前、まだ日本が裕福だった頃、発展途上の国の難民たちに救いの手を差し伸べましょうというボランティア活動が盛んな時期がありました。食糧不足、医薬品不足で、日々多くの人の命が失われています、そうした人たちをみなさんの募金やボランティア活動ですくいましょう----------って、日本中の学校にそんなポスターが貼られたり、映画が上映されたりしました、だからそれを見て育った人たちは、海外で苦しい生活を強いられている人々の存在を知ぅています。それを助けたいって、全国で多くの子供たちが募金しましたよ。


でも、それから数年を経て子供から大人になるまでの間に、私たちは別のことも知ってしまうの。


結局、それは募金ぐらいじゃ解決できない問題だったんだって。


自分たちのお金は、その場凌ぎにしかならなかったんだって、みんなそう思うようになるの。もちろん、ボランティア団体は「そんな事はない」と言うでしょう。あなたの百円でこれだけのものが買えました、これだけの人が救えましたって、懇切丁寧に説明してくれるかもしれないわね。


でも、そんなの説明されるまでもなく、多くの子供たちは自分の善意が誰かを救うってそう信じて自分のお小遣いを寄付をしたのよ。


それなのに大人になった今どうなったか。


難民問題は相変わらず解決していない。少なくとも日本で実感できるほどの結果が見えてこない。ううん、結果が見えないだけならまだマシ。だって、誰かを救うと信じて投げいれた硬貨が見せてくれたのは、それによって救われて幸せになった笑顔じゃなくて、翌年もその翌年も募金を求めて繰り返されるキャンペーンと、相変わらず悲惨な難民たちの姿だったんだから。


中略


簡単な方法では効果が感じられない、かといってそれ以上を望むと自分の負担が多すぎる。だから、大人になったら、多くの人にとって、外国の難民のことなんて知っていても無視することのできる存在になっていまう。自分の手の届かない範囲の問題からは、目を背むけられるようになるのよ。「それでいいのか?」と問われれば、「いいはずはないけど仕方がない。自分にはどうすることもできない」という答えが返ってくる。


中略


だから、知っていながら見て見ぬふり、どうせ個人の力じゃ解決できないってわかりきった問題なんだから、そんなものを一般市民の生活に関連付けようとしないでくれ、その問題で俺たちを苦しめないでくれ------ってのが世間の反応なのよ。


p114~115

『ディバイディツド・フロント Ⅱ:僕らが闘う、その理由』

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それは、普通の市民の反応だ。


そんな普通の人に、僕らはなにを訴えればいいのだろう?。


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■こんばんは
うーん、仰ることは判りますが、私は基本的にこういう映画って取っ掛かりであれば良いと思っているので、本作はその意味では十分。


キャラクターの観たかはなるほどとも思いますが、少なくとも理解しやすくなる事は感情移入にも繋がると思いますよ。


彼のバックグラウンドはマディの存在で間違いなく観客にとって理解しやすくなりましたから。


少なくとも本作の場合、作者の意図したものは描けていると思いました。
最近観た「キングダム」などは、同じように娯楽性と社会的なテーマ性を両立させようとしてましたが、途中からテーマが忘れ去られていましたからね。


ノラネコ 2007-10-20 21:56:31

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前に、シッコの時も意見が分かれましたが、「その意味では十分」というのは、まさにその通りで反論の余地もありません。


このへんの非常に普遍的なストーリーに回収して観客にカタルシスや理解をもたらす手法は、移民を中心とした英語さえも解さない国民への教育装置を担ったハリウッドムービーならではの、わかりやすい見事な普遍性のある手法ですよね。

ロバート スクラー, Robert Sklar, 鈴木 主税
アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉
ロバート スクラー, Robert Sklar, 鈴木 主税
アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈下〉

ただ僕は、いつも「その先」が見たがる癖があるので、どうしても点が辛くなってしまう気がします。「この先」を描いたドキュメンタリーや大衆に人気のある作品がもう少し多ければ、こういう「取っ掛かり」の作品も、よかった!と安心して愛せるのですが・・・・。


上記でも書いたのですが、世間というのものは「安易な導入や紹介」では、どうせ個人では解決ができないと、すぐにあきらめて無視をしてしまいます。僕は、だから導入やとっかかりの価値を十分認めながらも、それを超える動機を心に焼きつけてしまうような、その仕組みを炙り出して人に行為や認識の変換を叩きつけるような、そんな暴力的な危険性を孕んだ作品が好きなんです。


もしかしたら、それでは人は広く認識しないかもしれない。


けれども、ただ「知られただけ」で無視されてしまうくらいならば、ごく少数の人々の心を深く抉るような、行動に繋げさせてしまうような深いところでの認識の変換を迫るような暴力性があった方が、ほんとうは、それこそドキュメンタリーという形式の価値なのではないか?って思うのです。

このへんは、どうもいろいろ考えさせられます。


理解と感情移入の違いも、ちゃんと考えてみたいテーマの一つです。


ちなみに最近は、アメリカの社会描く作品が多くて、見に行きたくてたまらないのですが、なかなか時間が・・・・。



■参考記事


『ザ・ビーチ』ダニー・ボイル監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10002120190.html
『マーシャル・ロー』エドワード・ズウィック監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10002720878.html
『ロードオブウォー 史上最大の武器商人と呼ばれた男』 アンドリュー・ニコル監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10007442069.html
ドキュメンタリーとは何か? マイケルムーア監督のドキュガンタについて
http://ameblo.jp/petronius/entry-10048400433.html
『シッコ Sicko』 マイケルムーア監督 素朴な善悪二元論的動員手法への違和感
http://ameblo.jp/petronius/entry-10046175929.html
『A』森達也/見事な補強
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001794260.html
『職業欄はエスパー』森達也
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001742420.html

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評価:★★★星3つ
(僕的主観:★★☆星2つ半)


■一言でいう途中半端な映画だった・・・・しかし


 もうしわけないが、観客を告発する社会派サスペンス映画としてみるとしても、物語としてみるにしても、うーむ中途半端なレベルの映画だった。アフリカの内戦というテーマを世に出すという意味では、確かに見事なくらい意味があるものだが、映画としてはどちらの機能も弱くて、残念がら良い点は挙げられない。人に見た方がいいとも勧められない。ただしマイケルムーア監督の『シッコ』 を見たときの感想と同じように、世の中に人々がほとんど目を向けないアフリカ問題に目を「向けさせる」という機能は十分に果たしているこの作品を、中途半端と切って捨ててもよいものか…と思う両義的な気持ちが起きる。

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ボウリング・フォー・コロンバイン マイケル・ムーア アポなしBOX

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骨太だが、しばしば大味な感もあるエドワード・ズウィックの映画だが、今回はチャールズ・レビットの脚本がとても良く書けていて、殆んど突っ込みどころが無い。 登場人物をメインの三人に絞ったのも正解で、観客の視点が彼らにより密着し、密度の濃い映画的時間となっていて、一瞬中ダレしそうになる時間はあるものの、二時間半の長尺を飽きさせない。


http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-134.html
ノラネコの呑んで観るシネマ
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ノラネコさんは、かなり絶賛しているが、たしかに2時間半の長尺に関わらず、つまらない映画はすぐ切ってしまう妻も僕も最後まで、飽きずに見させている構成力は見ごとだったのかもしれない。先が読める、関係性が甘い等々、文句タラタラだったのに、最後まで見たわけだから。ハリウッドメジャーとしては十分だったのだろう。いままで意識もしなかったダイヤモンドの問題、アフリカの問題に目を開かせる力は十分になった。この映画を見ると、ダイヤモンドを持つことも持っている人に対しても強い嫌悪感を抱かずにはいられないもの。


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社会問題をクローズアップさせるなら、もっとしっかりとやってほしかった!アフリカ内戦で幼い子供が拉致され兵士として洗脳されることも、ダイヤモンドの値段を一定に釣り上げておくために実際に採掘された数に関わらず、市場に出回る数は業界でコントロールし、残りはアンダーグラウンドに眠らせてあるといった話は、それぞれかつてドキュメンタリーとして観た番組の方が、よほど現実を現実として伝えるだけの力量も熱意も感じられるものでした。


確かに、がちがちのドキュメンタリー番組では惹きつけられない人を、アクションムービーならでは呼び込むことが出来て、ついでにアフリカの現状もチラリとお知らせできるという便乗法はあるのかもしれない。でもね~・・・。


有閑マダムは何を観ているのか?
http://ameblo.jp/dvdrentallife/entry-10030238616.html
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うーむ、、、しかし、素直な感想は、有閑マダムさんと同じだなぁ。なんだか、足りない感じがぬぐえなかった。アフリカ問題への啓蒙とエンターテイメントという大衆動員手法を、絶妙なバランスで結びつけた「だけ」のレベルで、、、、結びつけられることは凄いのだけれども、結果として、社会派のドキュメンタリー(=啓蒙)としても、大衆をワクワクドキドキさせる物語としても、どっちにしても超一流にはなれずに終わってしまったのだろう。

脚本については、まさに有閑マダムさんに同感。ディカプリオは、ドンドンいい役を演じられるように変化している俳優ですが、むしろ彼はゴミのようにボロボロになって死ぬような役が似合う人で、あんな風に甘く終わらせる意味が僕には全然理解できない。演技的にもだし、脚本としても。

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ローデシア(ジンバブエ)出身の白人であり、元傭兵のダイヤ密売人ダニーと、子供を武装勢力に奪われたアフリカ人ソロモンが、ピンクダイヤと子供の奪還という異なる目標を持ちながら、互いを必要とするために対立しながらも過酷で危険な旅の仲間となる。
ここにアメリカ人ジャーナリストのマディーが絡むが、彼女の役割は観客とこの作品世界との橋渡しであり、テーマの部分の解説者の役割も負う。
先進国の普通の観客からは、あまりにも遠い存在であるダニーとソロモンが、マディーが間に入る事でスムーズに観客の感情移入の対象となり、彼らの物語を自分たちの問題として考える事が出来る。

http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-134.html
ノラネコの呑んで観るシネマ
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ほんとうは、ローデシア生まれの白人の傭兵であり紛争ダイヤモンドの商人である主人公ダニー(ディカプリオ)という題材は、とても秀逸なキャラクター設定だったと思う。紛争ダイヤモンドの商人・・・・・ダイヤモンドを買うために平気を売り歩く「白人という名の強者」のダニーが、実はアフリカの紛争で両親を殺されて、その道で生きるしか生き残る方法がなかったという過酷な生い立ちが明らかにされるにつれて、加害者の代表に見えたダニーが、実はアフリカ問題という大きな「閉じられて永遠に続く輪」の中で苦しむ子供が成長した姿だということがわかってくる。アフリカで問題になっていう少年兵の問題も、一歩間違えば、ダニーも同じ立場だったし、見方を変えれば傭兵と死の商人でなりがあるしか生き延びる道がなかったこと考えるとダニーもまた、その少年兵たちと変わらないのだ。ただ、2時間半も描きながら、僕は全くダニーに感情移入できなかった。僕は、ノラネコさんの指摘は間違いだと思う。マディーが入ることで、確かに物語はわかりやすくなるが、それは「理解しやすくなる」だけであって、感情移入(=対象との感情的な同化)ではなくて、神の視点から距離を持って「理解」できやすくなっただけだと思うのです。これは、全然意味が違う。

『ロードオブウォー 史上最大の武器商人と呼ばれた男』 アンドリュー・ニコル監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10007442069.html


ちょっと思ったのだが、この『ロードオブウォー』は、僕は感情移入だと思いました。監督の力量の差というか、世界を眺める「距離」の差のようです。アンドリュー・ニコルは、キャラクターの主観から世界を眺めるのに比較して、エドワード・ズウィツクは、世界を神の視点から眺める俯瞰の視点をもっているように僕は感じます。だから、ズウィック監督は、俯瞰する風景をのロングショットは見事なまでに美しい。この映像は、モザンビークだそうですが、アフリカの見事な美しさがこれでもかと広がります。

ワーナー・ホーム・ビデオ
ラスト サムライ

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「ラストサムライ」の時も思いましたが、ズウィック監督は物語の舞台となる場所の風景を映すのがうまい感じがしました。映像だけでなく、音楽にもその場所のイメージがよく現れていたと思います。


はらやんの映画徒然草
http://harayan.air-nifty.com/blog/2007/04/post_4a24.html

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はらやんさんも書いておられる通り、ラストサムライの日本も、それのどこが日本だ?って突っ込みたくなるニュージーランドの風景でしたが、そのまるで異世界のような壮大な空間のロングショットは、本当に独特の美しさを持つていて、これを俯瞰・鳥瞰図的な視点なのだと僕は思う。

■単純な善悪二元論で観客を引き込む技は、ラストサムライの監督とは思えない稚拙さ・・・なのだろうか、それとも・・・・

基本的に脚本が、善の政府軍 VS 反政府ゲリラ組織RUFというような形で進むところが、いかに見る人がバカで知識LESSの大衆であるからといって、ひどいなーって思ってしまった。いやもちろん、事実は違うので、政府軍の元体制側が善と書かれているわけではありませんが、一貫して、反政府ゲリラ組織RUFが悪魔のように描かれるのは、同じ効果を生むので、僕としては了承しがたかった。


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『ラスト・サムライ』の監督だが、オープニングで、反政府ゲリラ組織RUFが悪魔のような描き方をしてあり、これはちょっと変に思われた。実際に似たような事実があるには違いないだろうが、


 腐敗した政府と、そこから必要に迫られて生まれた反政府組織とは、こんな単純な描き方では割り切れないもっと複雑な関係があるはずだし、これでは社会派映画として見てよいものか、娯楽アクション映画とみなしてサスペンスを楽しめばよいものか、どっちつかずの状態のまま映画を見ることになった。

 ダイヤモンド産業の現在までつながる構造をわかりやすく見せてくれた点では、すぐれた教育映画としての効果はあった。


宝石を欲しがる女性がいる限り、この構造は続いてゆくのだろう。ダイヤを欲しがるような女性とは決して付き合うまい、彼女らは大量殺人の共犯者でもあるのだ、と映画を見た直後は思った。が、その気持ちも、いずれうやむやになってしまうだろうが。


映画の感想文日記
http://ameblo.jp/cinephile/entry-10029172676.html

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このへんは最初の問いに戻るのですが、これを啓蒙の導入部分としてその教育効果の価値によさを見出すか、それとも、安易に善悪二元論で人の心に単純な動員の構造を喚起する安易さを告発すべきか、悩むところがあります。

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マーシャル・ロー

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エドワード・ズウィックという人は、バディムービー の名手である。


南北戦争の黒人部隊を描いた「グローリー」、明治維新を舞台に滅びゆくサムライとアメリカ軍人の出会いを描いた「ラスト・サムライ」、人種のるつぼNYでアラブ系移民とアメリカ社会の軋轢を描いた「マーシャル・ロー」など、彼の映画には常に対照的な二つの文化と、異なる背景を持った複数の主人公が登場する。


民族や文化を背負った極めて魅力的なキャラクター達が、時に対立しながら理解を深め、最後に互いに深い理解と尊敬を得るというのがパターンだ。


http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-134.html
ノラネコの呑んで観るシネマ
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 「まったくタイプの異なる二人の人物が、共通の目的があるなどの理由によって、一時的にコンビを組む羽目になる。つまり、相棒になるのだ。バディ・ムービー(相棒映画)という呼び名も、ここに由来する。
 そして二人が男同士や女同士ならば友情が生まれて、男と女ならば恋愛感情が生まれる(そうでない場合もあるが)。
 二人の関係が最終的にどうなるかは、その作品の性格によって異なってくる。つまり、ストーリー内容や、物語上の都合や、テーマ設定などが関わってくるからだ。それらがからみ合うため、二人の関係がどんな結末を迎えるかは、ケース・バイ・ケースで無数のパターンが生まれる」


梅原克文の「バディ・ムービー(相棒映画)に学べ」  

http://www.din.or.jp/~aoyama/buddy.html

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こう読んでみると、ハリウッドの定型的な韻を踏んだに過ぎないとわかってきます。あくまで俯瞰した少し距離を持った視点で、世界の複雑さを表現したい監督は、それをわかりやすくするために、バディムービーや善悪二元論の基本手法を援用しているように思える。・・・それを、ダメなもの、と否定できるか悩むところです。


■参考記事


『ザ・ビーチ』ダニー・ボイル監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10002120190.html
『マーシャル・ロー』エドワード・ズウィック監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10002720878.html

『ロードオブウォー 史上最大の武器商人と呼ばれた男』 アンドリュー・ニコル監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10007442069.html

ドキュメンタリーとは何か? マイケルムーア監督のドキュガンタについて
http://ameblo.jp/petronius/entry-10048400433.html

『シッコ Sicko』 マイケルムーア監督 素朴な善悪二元論的動員手法への違和感
http://ameblo.jp/petronius/entry-10046175929.html

『A』森達也/見事な補強
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001794260.html

『職業欄はエスパー』森達也
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001742420.html




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『シッコ Sicko』 マイケルムーア監督 素朴な善悪二元論的動員手法への違和感
http://ameblo.jp/petronius/theme-10000381975.html


■僕は何に怒りを感じ、何を否定したのか?


>『華氏911』は、その意味で最低だった。というのは、ブッシュは悪であるという素朴な善悪二元論で人々を動員しようという姿勢が最低だった。ブッシュは悪であるという政治的信条は、まぁその人の意見だからそのことはいい。なぜ、評価できないか?。内容はどうでもいいのだが、善悪二元論で、敵と味方を決めつける素朴な思想やモノの見方を広げていくことに加担しているからだ。内容よりも、その形式の思考を広めたことが、僕には非常に評価を低くしてしまう。


僕はこの作品を、ここでこう酷評した。


とはいいつつも実は今でも、その評価を迷っている。なぜならば、作品自体は、やはり凄く秀逸だったのではないか?という思いがよぎるからだ。


なによりも、面白かった。涙が出たぐらいだから。


それは、監督の編集能力が高いことを意味する。


何よりも、よく知らなかったアメリカの医療保険制度について意識が喚起された(啓蒙された)。


それはとても価値あること。


にもかかわらず、社会の制度上、それが善悪二元論の二分法(僕が最も嫌う思考方法)をマッチポンプする機能を果たすが故に、極めて深く嫌悪した。


つまりは、なによりも、社会全体のマクロにおける機能の位置づけに置いて否定したかったのだろう。


しかし、それはなんなのだろう?


ここで、樹衣子さんの今回の記事が凄く興味深かった。


**************
>マイケル・ムーア監督の『華氏911』や『シッコ』などように、科学的に疑わしさの残る理論を事実として伝え、送り手に都合のよい事実だけを切り取って、観客に影響を与えている映画を、虚構を排した記録映画と主義・思想を宣伝するプロパガンダの両面をもつことから、最近は「ドキュガンダ」と言うらしい。

中略

>確かにそうだが、『華氏911』や『シッコ』を観た私としては、既存のメディアの報道に満足できないから、たとえプロバガンダだというムーア監督の意図にノッテしまう危険性をおかしても、彼の映画を観たいし、これからもテーマーに興味があれば観続けるし、賞賛もする。

中略

>村上良彦さんは、「テレビに関して報道の自由は幻想に過ぎない。政治家となれあうしかないテレビ・キー局は質の低い娯楽番組の専門局になるしかない。」と厳しいが、幸いなことに、テレビはスィッチを切ればよい。
そしてどんなに質が低くても、視聴率が稼げればテレビ局の経営は安泰だ。


□「ドキュガンダ」映画ヒットの背景/千の天使がバスケットボールする
http://konstanze466.jugem.jp/?eid=100
**************


これを読んで、自分のモヤモヤがすっきりした気がする。


それは、ドキュメンタリーとは何か?にめぐる議論の次元の相違だったのだと思う。


本来は、善悪二元論的な危険を冒しても問題を表に出して民衆に周知させる機能は、マスメディアとジャーナリズムが担うべき仕事である、と僕は思っているようなのだ。


しかし、マスメディアは、米国も日本も堕落して久しい。


当たり前の問題点すら喚起する力を失ってしまっている。


イラク戦争や911についてまともに報道できない、民衆に強く喚起する力もない米国のメディア。視聴率に踊らされるだけの放送法に守られた腐った日本の寡占資本メディア。本来は、マスメディアとジャーナリズムが、マイケルムーアの為しているような、問題への焦点を合わせること、人々の喚起を起こさせることをすべきなのだ、と僕は思っているのだろう。


そして、そのマスメディアで喚起された「最大公約数」の神話を壊すことや、そこからこぼれ落ちたものなどの本質を人に知らしめるものこそ、ドキュメンタリーに課せられた使命なんだ、というような思い込みが僕にはあるようだ。


だから、本来はマスメディアやジャーナリズムがやるべき次元で、ドキュメンタリーが止まってしまっていることに対して、ステレオタイプな思考法を反復する罪悪を告発したくなったのだと思う。


しかしそれは、正しかったのか?


なぜならば、そもそもマスメディアやジャーナリズムが、従来の果たすべき使命を機能を果たしていない現状で、マイケルムーアにその先をなせ、と要求することは確かに酷だ。なぜならば、まったく人々を喚起しないからだ。僕のいうようなドキュメンタリーが意味をなすには、素朴な常識や正義がちゃんと、ジャーナリズムによって告発され実践されているところでしか機能しない。


問題の構造が、少しわかった気がした。



■ドキュメンタリーとは何か?


ノラネコの呑んで見るシネマのノラネコさんら下記のコメントが、ドキュメンタリーとは?という定義について、問題提起をしてくれている。


*****************

□無題
こんばんは。
この映画そうですか。それなら、ひたすら証言者に語らせた映画「ひめゆり」の方が、私たちに一元論も二元論も超えて、考えさせるきっかけを与えてくれそうですね。

ナポリ 2007-09-07 00:52:28


□こんばんは
興味深く読みました。
一つにはドキュメンタリーに対する考え方でしょうね。
私はこの作品て、二十世紀初頭にジガ・ヴェルトフが定義したドキュメンタリーという考え方を、ある意味でとてもシンプルに実行した作品だと思うんです。

その延長上にあるプロパガンダをどうとらえるかという点。

もちろんそれは、受け取る観客がどういう人たちかということを考えなければならないのですが、この作品の主観客として想定しているであろう、アメリカの中流の下の圧倒的多数に対してはこれが限度という気がします。


もう一つは日本での受け止め方ですが、私は一定の意味があると思います。
仰るように国民皆保険は日本でも崩れかかっている訳ですが、そのことに関して日本人が真剣に考えているとは思えない。このままでは破綻する、しかし完全にアメリカ型になるとどういうことになるのか、日本人が自分たちにとっての最善を真剣に考えるきっかけには十分になると思います。


正直なところ、問題意識に関してはアメリカ人も日本人もそれほど変わらないと思いますから。二元論を提示することから、受け手の中で始まる多元論を志向していると言うのは褒めすぎでしょうか。

ノラネコ 2007-09-08 22:58:29
*****************


たぶん、このドキュメンタリーの定義という部分が、いろいろあるのだと思います。僕は、僕自身のテーマが二元論的シンプルさを排するべきという目的意識が強いために、ドキュメンタリーがある種に意思をもって現実を切り取るのならば、ただのジャーナリズムのような表面だけの喚起にとどまらない、この世界の複雑さを観客に誘うようなものでなければならないのでは?って思いがあるのかもしれません。


ただマスメディアがその機能を果たしていない以上、ムーア監督がこのようなものを撮り続けていくことは、意味と価値があることなのかもしれません。

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評価:★★☆2
(僕的主観:★★★☆3つ半


日本人にとっては、あまり意味のない映画~ドキュメンタリー映画としては駄作だろう


■二項対立の不安~理由を追っていくと不合理な原因へ突き当たる


面白いなと思ったのは、アメリカ合衆国のコミュニズムに対する不安が、背後に隠れているという部分を暴いているところ。不合理な不安ではあるが、キリスト教原理主義国家なので、宗教的不安によるオブセッションがあることを思い起こさせてくれる。ボーリングフォーコロンバインも、インディアンなどの隣人への恐怖があるのではないか?という、目の前に見える銃社会という不合理の背後に、実は、合理的には説明できないような、「なにか」がある、というイメージは僕は好きだった。


それは、目の前の現象だけではなく、その背後にあるレイヤーの深さへの感受性を育てるからです。


『華氏911』は、その意味で最低だった。というのは、ブッシュは悪であるという素朴な善悪二元論で人々を動員しようという姿勢が最低だった。ブッシュは悪であるという政治的信条は、まぁその人の意見だからそのことはいい。なぜ、評価できないか?。内容はどうでもいいのだが、善悪二元論で、敵と味方を決めつける素朴な思想やモノの見方を広げていくことに加担しているからだ。内容よりも、その形式の思考を広めたことが、僕には非常に評価を低くしてしまう。そういう意味で、今回は、善悪二元論のあり方に、少しだけ型を崩しているところに、面白みは感じた。だが『ロジャー&ミー』『ボーリングフォーコロンバイン』に比べれば、いまいちだったなーと思う。

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ロジャー&ミー
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作品としては、たいして素晴らしくはない。ドキュメンタリーとしては、いまいち。しかし、政治的なプロパガンダとしては、非常に興味深いものだった。だから物語や映画としての出来は低いが、メディアにおける機能という文脈で、評価するべきものだろう。とりわけ、これは米国でしか意味を持たない文脈のような気がする。



■米国でのプロパガンダとしての意味はあるが、日本ではそれが機能しない



しかし、政治的プロパガンダとして考えると、国民皆保険(ユニバーサル・サービス)は、21世紀の国家財政ではすでに支え切れないのがマクロの趨勢だ。それを国民皆保険や年金制度などのシステムが、そのユニバーサルサービスの腐敗によって、国家が腐敗で崩れかけている日本にとっては、全く意味のないプロパガンダ(=政治的宣伝)だ。だって、日本が逆に、アメリカ型へ向かうべき、、、ある水準で給付を切り捨てなければ、この腐敗したものを修正できないのだから、この映画のメッセージは日本人には意味をなさない。むしうろ国家の方向性を誤る動員がなされてしまう、と僕的には思う。


れだけ国が出てきておきながら、国民皆保険のお手本の国の一つである日本が、出てこないことも凄く酷い操作だなーと思う。またフランスの社会保障が素晴らしいって…その路線を否定してサルコジが大統領に当選したばかりで、なんか、おかしいぜっと思う。動物的快楽のツボを刺激する意味ではよくできているが、しかし、物事の本質に迫るには、少しバランスを欠いたメッセージであった、と思う。



■財政の問題の視点が抜けている素朴な善悪二元論はダメだ


せめて、ヨーロッパの英知が選択した「第三の道」ぐらいまで踏み込んでほしかった。そういう意味では、ドキュメンタリとしても物語としても、駄作だな。そもそもこの医療の問題を語るのに、財政を考えないのは、あまりにひどい。その時点で、人々をもう一つ深いレイヤーへの思考を妨げるので、僕は、うーんと思ってしまった。




■手厚い医療だけが正しいという意見は、実は物事の反面しか見ていない


この作品を、自由主義的な競争主義 VS 公共経済といういわゆる、左翼(社会主義)と右翼(資本主義)の対立として捕らえるは間違っていると思う。言い換えれば、医療制度を民営化するのは間違っていて、「手厚い医療(=全ての医療費がタダ)」のみが正しいのだ!という、優しさ万歳の素朴な左翼的な思考停止は、実はよりひどい結果を生み出すものだと僕は思う。


多分この映画は、たぶんに政治的に作られているメッセージ(洗脳色)性が強いの、このように素朴に思い込む人は多いとは思う。実際国民的議論を呼び起こすには、こうした極端な対比を打ち出すのは、刺激的で意味がある。むしろ、米国のいまおかれている文脈で、米国人へのメッセージとしてはとても意味を持つものだと思う。


けれども、マイケル・ムーアの本当に訴えたいことは、もう一つレイヤーが深いのではないのかな、と思った。ただ、それは描こうと強く意識していないし、善悪二元論的対立に逃げて人々を動員しようとしているのは、作家としては逃げだと思う。ただし言論人としては別かもしれないが・・・。


*********


劇中ではアメリカの「悪い医療」に対して、イギリス、フランス、カナダ、キューバなどの医療を「良い医療」として対比させる。極端に悪い逸話の羅列や恣意的な統計の提示などによりアメリカの医療制度を徹底的に批判する一方、対照とされる医療制度の欠点、例えばフランスにおける非常に高い税金や、イギリスにおいて資金削減により病院の倒産や医師の出国が相次いでいることなどには言及しない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%B3

*********


だからこういう指摘はちょっと違う思うのだ。云わんとしている事は正しく、内容も事実だ。医療制度の問題が、



A : 手厚くすればするほど、医者の出国や税金の際限のない上昇を招き国家が崩壊する



B :営利企業に任せ、民営化(プライヴァタイゼーション)すれば、公共サービスに絶対不可欠な公平性が失われやすい




これは、二元的な対立で、



高福祉政策を実施する北欧型



自由主義をひた走っていた米国や英国の新自由主義



の対立のアナロジーでもあると思う。このAとBの政策は、そのどちらも失敗であったことは、既に80年代にケリが付いている。もう一度強調したいが、国家運営の戦略方針としては、このどちらも間違いであったことは、もう歴史的結論なのです。もちろん、高福祉型の極である共産主義の国家運営方法も、明確にダメであったことも結論が出ていると思う。


単純に総括すれば、



①素朴に医療などの福祉を手厚くすると国民のモラリティー(=倫理)が下がって、モラルハザードが発生する。弱者を守るとか公平なという御旗の元に、際限のない増税と公共部門(パブリックセクター)拡大が図られ、その御旗の元に非効率的な制度が温存され、そこに寄生する集団がたくさん発生する。その結果、健全な競争意識が失われ、国家と国民自体の基盤が崩壊し、国際的な競争に負けて、国が成り立たないほどボロボロになってしまう。なによりも、国民の心に、健全な独立意識が失われて、なんでも逃げて人に依存すればいいというモラルハザードが広範囲広がることが長期にわたる最悪の結果を招く。建設業界や金融部門など、日本の現在の問題点は究極ここなので、この議論は実感しやすいと思う。



②かといって、アメリカのように何でも民営化して資本主義の下の自由競争にさらせばいいというものでもない。その結果が、死にそうな患者を毎日貧民街に捨てていくような病院が存在する一方、製薬会社や保険会社が最高額の利益を更新する

ような唾棄すべき社会の誕生だ。また株式市場に見られるように、自由な市場を成立させるために際限のない異常な監視制度や強烈な法律による訴訟合戦が繰り広げられことになる。



ようはね、ここも結論は、バランスなのだ。



善悪二元論的に『何かが・誰かが悪い』と思い込む思考停止は、間違っている。



でもいったい、どうすればよいのだろうか?。



■しかし二項対立の背後にある何かを考えるのは、ある意味は教養人だからかなー


この作品の結論、このドキュメンタリーで訴えたいことの本質は、「生活世界の紐帯を壊すな」ということに僕は思えた。


イギリスは微妙だが、ここで対比されているフランスやキューバを特徴付けるマクロの政治理念は、『生活世界の紐帯』う少し違った云い方をすれば、共同体やコミュニティーレベルでの発生する「自然で伝統ある人間関係のつながり」を死守しようとすることだ。フランスの農民の結束の強さやストライキの多さ、キューバの再配分の考え方は、この感覚に基づいて生まれて生きているものだ。キューバは僕は不勉強でよくわからないが、フランスは、フィジオクラット(重農主義)をベースとする土地とそれに関わる人間の絆を、価値の根本に置く考え方の系譜だと思う。
http://yanagi.web.infoseek.co.jp/het04/quesney.htm




「自然で時間を経た人間のつながり」ってなんだ?と考えてみる。




僕はこの概念を、自分がこれまで思考を重ねてきた『永遠の日常』とか『等身大のミクロの関係性』とほぼ同一視している。社会学でいう『生活世界』や、さまざまな指標で云われる『生活の質=クオリティオブライフ』のことともほぼ重ねている。



僕が漫画や小説の評論で、永遠の日常に回帰してゆき、等身大のミクロの関係性のみの世界で、永遠に戯れることが近代の人間の強い欲望であるといっているのは、この状態が人間にとって一番安心で心地よく、なおかつ「サスティナビリティー

(=持続可能性)」が溢れている安定した世界だからなんだろうと思います。



言い換えれば、それは平和。人々が希求してやまないもの。



しかし複雑で大規模な近代社会は、全てのシステムがマクロリンクで稼動している。

本当は人間は、等身大の関係性である・・・・・匂いと体温のわかる狭い領域で充溢して暮らしたいのだ。なぜならばその距離の狭い世界は、直接性のある体感領域だからだ。何度も書いているが、人間は、体感のダイレクトネス(=直接性)のないマクロの世界には馴染み難いのだ。


しかし自分が安心する等身大の領域を守ろうとすれば、それを覆うマクロの領域に出ていかざるを得なくなるという非常に再帰的な要求が構造的にセットされている。それが現代。


このマクロの視点に立ったときには、実は、極端な自由競争主義や高福祉型のユニバーサルサービスの、どちらもマクロの考え方としては、極端すぎてはなしにならない。


ヨーロッパ的に「第三の道」を選ぶのがやはり正しいのだろうが、では、その時に何を考えるべきか?ということが、重要だ。


って・・・・そんな風にこの映画を見る観客は、ある意味、そうとうひねくれ屋さんの教養人なので、うーん僕のような見方はどうなんだろう?って思ってしまうのではあるが。



■消防士たちの物語に涙する~動物的快楽のツボという嘘とその背後にある真実


僕は、キューバの消防士たちが、911の英雄たちに敬礼するシーンで涙が出た。そして、涙が出て感動した後、あまりにあからさま政治的プロパガンダ(これはキューバの宣伝行為だね)に騙される自分に苦笑した。


僕は、そもそも共産主義や社会主義が制度として好きではないので、とても斜に構えてキューバの話とか聞いてしまうのだが、やっぱりねーこの何十年とサスティビナル(持続的)に安定しているキューバを見ていると、カストロとかゲバラとかって、実はすげーやつなんじゃないか・・と感心している。時間に試されて、まだ屹立しているもんね。音楽やスポーツの広がりが、生活世界の豊かさを垣間見させるしね。


それは、たぶん彼らが、「生活世界の紐帯」を壊さないということにとても敏感な為政者や思想家だったんじゃないかって思うのだ。


制度云々ではなくて、マクロを設計するときにとても重要なことは、人々が自然に形成する等身大の人間関係の紐帯を壊さない制度設計をすることなんだと思う。そして、近代の本質が、古き共同体を崩壊させてアソシーエション・・・・選択の自由をベースとする個人を作り出しその分業のネットワークで社会的効率を上げることを目的としていることから考えると、このことは凄く難しい。


ちなみに、何を言っているかというと、日本の介護とかを見ればわかると思うが、家族の維持・介護や育児などのサービスは、実は財政出動が困難な21世紀の国家運営では、地域社会や家族といった等身大の領域の「人間関係」に実は依存している。それがグローバルな歴史の趨勢。


いざ財政が困難で、国の運営が壊れてくると、その国家が、以下に「自律的な人間関係の紐帯」で助けある互助の精神を、社会的資本・インフラストラクチャーとして残しているか?という点が、重要になってくる。


けど、近代社会というのは、「それ」を壊すことで効率を上げている社会なのだ。


そして、我あれの住む地球は、効率を上げて、国際競争に打ち勝たなければ、国家もろとも人生が沈む弱肉強食の世界でもある。


だから難しい。



■”I”で考えるのではなく、”WE”で。


Iではなくて、Weでというメッセージは、ほんとうのほんとは、そういった善悪二元論の背後にあるこうした「生活世界の紐帯」を壊すことをどう避けながら、合理的な近代社会を運営するかというところまで、話を進めたかったのだが、あまりに米国人の民度が低すぎて、善悪二元論による動員だけで終わってしまったムーア監督の諦念を表しているような気がした…



というのは、穿ち過ぎか。



ただ単に、善悪二元論の手法で動員しただけでは、もう作家としての寿命は終わりだと思う。それ以上の何かにもっと切り込んでほしいのだが・・・。



■トックビルの言葉で


ちなみに、最後に出てくるアレクサンドル・トックビルは僕が大好きな人であるが、最後のメッセージで、


He was French.


と書いてあったのは、わかる人にはわかる大爆笑のジョークだった。


これがわかる人は、そうとうアメリカに詳しいと思うね。



なんか・・・・・凄い感動していいと思ったのに、文章にしたら酷評になってしまった。・・・・なぜだろう????いやマジで不思議。

A. トクヴィル, 井伊 玄太郎
アメリカの民主政治〈上〉 (講談社学術文庫)
A. de・トクヴィル, Alexis de Tocqueville, 井伊 玄太郎
アンシァン・レジームと革命
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■僕がドキュメンタリーに惹かれる理由~森達也インタヴュー

http://ameblo.jp/anchor/entry-10011191663.html  


アメブロのアンカーというインタヴューマガジンブログ?。あからさまな入門編なので、もともと彼を知っている人にとっては、ほぼ読む価値のない平坦なインタヴューだった。残念ながら。分量も少ないし。


ただ、紹介という意味では、非常に良くまとまったシンプルなもので、知らない人はぜひ読んでみることをお薦めします。



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