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□よく見かけるけど意味がわからないインターネット用語ランキングhttp://ranking.goo.ne.jp/ranking/092/netword_2007/&f=news&LID=news

そうかぁ!。

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■評価することの難しさ


 「曇りなき眼」で「質」を評価するということは、あくまで自分の主観でありながらも、客観性を持って評価することを心がけるということでしょうか。評価というのは、それを見た他の方々に、評価した作品についての自分の感想、考えを分かりやすく伝えるという目的があるのだと思いますが、当然それをご覧になられる方は、その方の主観で評価している作品を評価されているわけですから、ネットという公共の場において、ある意味、ストレートに自分の内面を他の方の視線にさらすことになります。その事が少し怖いような気がします。


 それを堂々と発信し、他の方々に問うことができる方は、他の方の視線が気になってしまう私のような人間からすると、やはり凄いなあと、尊敬の念を覚えてしまいます。私の未熟な見識と読解力により、ペトロニウスさんがお伝えしたかったことと違っていたら、申し訳ありません。


 それから、以前のコメントのグインサーガについて触れましたが、豹頭という、ある意味非現実の存在である超戦士グインが、その世界に横たわる問題を(物理的、概念的なものを含め)全てを破壊していくような、爽快感あふれる古典に於ける英雄譚(サーガ)のようなものを期待しておりましたので、 もし私の感想がペトロニウスさんにとってご不快に思われた点がありましたら、申し訳ありません。この場をお借りしてお詫び申し上げます。

萌えオタ 2007-09-08 16:05:51



■公で発言することと私的ダイアリー的な位置づけの機能を帯びやすいブログというメディア


僕は考えているようで、あまり深く考えていません(笑)。とりあえず、あまり考えず書き散らして、読み返したり、会話しながら、あれはこういう意味があったのか!と後から気づくようなところがあります。自分で書いておきながらね。基本的に僕の信条は、当たって砕けて、もう一回当たって砕けろ!!、です。現実(リアル)には、ぶつかってみないとわからない!です。あまりお気になさらずに。せっかくこのようにコメントいただいているのに、不快なはずがありませんよ。お話できてうれしいです。僕はとりあえず意見は断言して言い切るべきだと思っていますし、正しさやぜ絶対性があるとも思っていますが、世界というのは相対主義で何が正しいかは一義には言えないものです。


ほんとうは、このような評価基準を世に問う場合は、他の人と比較したり、もう少し概念を吟味したりするべきなのだとは思います。この評価の記事も、15分ぐらいで適当に書いたものですし(もちろん普段から考えてはいますよ!)。けれど、思いつくまま書くこと以上に、僕はいま時間が割けておりません。・・・・こんなに書いている割に、けっこう仕事は忙しいのです(笑)。最近は、ほとんど帰宅は、深夜1時を軽く超えますしね。・・・・記事は余裕のある休日に、何個も書いて分けてUPしているだけですしね。最近の記事の90%は、GWに書いたものです。そろそろネタ切れで、更新できなくなる日も近いかもしれません。だから今日のような休日のフルタイムオフは喜んでこうやって記事を書いてしまいます。妻には、遊んでくれないし、相手てくれない―と怒られていますが(苦笑)。


「個人的な思索のメモ帳」というのが、弊ブログの第一原理です。公の発言なのだから、もう少し吟味して発言すべき、との意見もあるでしょう。けれども、そういってしまっては、僕には更新ができなくなってしまいます。だから、まずは思わず考えたテキトーな意見を世の中に投げてみる、というイメージで僕は発言してみます。


こういうふうに書けば「それは間違っている」とか、「あのときああいっていたのは、どういう意味ですか?」とか「矛盾がありませんか?」って、告発されるリスクが高まる(笑)ので、逆にそういう人で、感情的にならない人とゆっくりディスカスして少しづつ自分の思考の射程距離を深めていければそれでいいと思っています。


そこで、コミュニケーションが発生すればうれしいですし、たいていはここでの思索・記事をよく読んでくれている人とは、mixiなどで仲良くなって個人的に会って話をするようになる場合が多いので、その時のコミュニケーションストレスを下げるためという位置づけもあります。GiGiさんとか名も無き読者さんとか、マジで会いたいです。(って彼らは多くに住んでいるので会いにくいですが、たぶんいつか絶対リアルで会うと確信しています。)


・・・ようは、僕は友人を探しているのかもしれません(笑)。このブログを始めて、絶対に会わないような世代や職業の人と広範囲に知り合いになれました。それは、凄く嬉しいことで、人生に豊かな彩りを与えてくれるようになりました。たとえ会うのが、半年に一度でも、ブログなどの日常の更新を見ていると、その間のコミュニケーションギャップが広がらずにすみます。まっ、非常に公と私的な部分が、混在しているのが僕のブログの位置づけですねー。基本的に、僕は、いいものはいい、正しいものは正しいと僕は思うので、相手が正しいと認めた瞬間自分の意見は、どうでもよくなります。だから、ここでよりいろんな意見に出会い、自分思索を深めていけると嬉しいなと思います。



■不特定多数の公の視線にさらされることの恐怖・リスクとその中から友人や同士に出会う喜び


>評価というのは、それを見た他の方々に、評価した作品についての自分の感想、考えを分かりやすく伝えるという目的があるのだと思いますが、当然それをご覧になられる方は、その方の主観で評価している作品を評価されているわけですから、ネットという公共の場において、ある意味、ストレートに自分の内面を他の方の視線にさらすことになります。その事が少し怖いような気がします。


僕のブログで発言することへのイメージはおおよそ上記で書いたのですが、僕は必ずしも不特定多数にわかりやすくという意識を持っていません。究極わかる人にわかればいい、と思っている部分があります。変なふうに炎上したら、さっさと封鎖する気ではいつもいますし。意識が、不特定多数の正体不明の人々に自分の思索を捧げているのではなく、僕と友人になってくれて無駄な話を延々と楽しむという分析屋の日常を共有できる、この世界のどこかに分散している「まだ見ぬ友人」に、僕の「思考の流れ・歴史」を知ってほしいだけなのだと思います。


正直カウンターの正しさが全然分からないので、仮に本当でも、このブログは、一般的には700~1000/dくらいのアクセス数なので、そもそも大規模メディアとはいえませんしね~。あまり発言は気にしていません(笑)。むしろコメントがない時は、そもそも読んでいる人がいるのか、凄く不安というか、不思議に思います。


まぁ少なくとも、万/dを超えないと、メディアとしての公共性はないような気がします。なにをもって、メディアの公共性や、発言の重みと考えるかは、難しい問題なので、それはまた思いついたら考えます(笑)。まぁ僕は、自分に嘘はつかず、思った通りにこの3年ぐらい発言し続けているので、特に破綻がない限り、そういうふうに続けていくのかな・・・とは思います。


ちなみに、同じ価値観という意味では、SomethingOrangeの海燕さんが似ているのですが、文章のうまさやブログ書評界?(笑)での位置づけとか、ああいうのは羨ましいなーとは思います。なぜならば、彼の文章に動かされていくつもの作品を購入して同じようなロジックで読み解いて、日常に素晴らし彩りと幸せを与えてくれましたから。自分もそういうふうに誰かに幸せを・・・・僕の体験した素敵な漫画や映画の面白さを共有できたら、最高だな、と思います。僕の目的は少数の理解者がいればいいやという部分は変わらないのですが、彼くらいにわかりやすく伝わる文章を書きたいなーとは日々思うようにはなってきました。ちなみに赤松健論のいずみのさんもそうですし、ノラネコの呑んで観るシネマのノラネコさんもそうですねー。


とりあえず、僕はいまはこういうふうに考えて、こういうふうな基準で、上記に書いたような目的でこのブログを運営しています。


何となく思ったことを。・・・・まぁどうでもいい記事ですねー(笑)。僕ごときが書く理由を書いても、基準を書いても、なにがしかの意味があるかと問われれば・・・うーん、ゴミ?(笑)かなぁとか思うけれども・・・・。まぁいーじゃん、文章を書くことをや内面を深めるのは趣味なんだから。

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■同人誌の楽しみ方。


この夏コミで、ほんの数冊Fate本とか買いました。こんな感じ。なんの理由もなくただテキトーに買った割には、とてもよかった。(もっと買えばよかったと今更後悔)


■千歳烏山第2出張所
千歳烏山第二出張所  

昔から大好きなんだよ。女の子を柔らかく描けるマンガ家は神です。これは、なんか凄い前から知っていた。


■CRAZY CLOVER CLUB

『T-MOON COMPLEX X』が物凄くよい。マンガのできとしてもいい。志貴が最高にカッコよいぞ。


■優先席

『クスリと氷菓子』のセイバーの表紙がかわゆくてなー。


■いたち堂
 

『それなりに☆びゅーてぃふるでぃず?』の凛の壊れっぷりが楽しかった。


■BlueWave

ゆえとのどかのDearMyLittleWitchesが好きです。



けれども、もともと同人誌をあまり買ったことがなくて、それなりの数を買ったのは今回が初めてではないでしょうか。同人誌はHなものばかりと思っていたのですが、思わず買ったものが、実はほとんどHなのがなかったです。残念(笑)。けど、なるほど、何回も読み返しているんですが、、、、別にHなものはないわけだし、物語性を重視する原作至上主義的なところのある僕なので、自分がなんでこんなにぐっとくるのか、よくわからなかったのですが、なんとなくたまごまごさんの記事 を読んで、わかった気がした。


僕どこかで、士郎とセイバーがほのぼのラブしているのを、じれったくて凄く応援している(でも実はセイバーが好き)という凛のシュチュエーションの同人誌を読んだことがあって、、、、これが、もう凄い脳内を支配しているんですよね(笑)。どうも、剣×凛の潜在意識があったようで、、、、原作的にはあまり考えられないのですが、どうも脳内を支配していて…。これってなんなんだろう?って、思っていたんですよ。


ちなみに、その時の凛は、セイバーと士郎の初々しい誠実な恋愛がすごく大事で、温かく見守っているので、、、自分のことを素直に言いだせないというシュチュエーションだったのですが・・・。この二人の為には、「見守るのが正しいことなのだ」という観察者の立場にいながらも、、、、ってシュチュエーションにどうも僕は萌えるようです。はっ、ゆえもかっ!(苦笑)。


■それはカップリングという作法


***********

>現在ですが、カップリング中毒です。


アニメキャラを見たら即カップリングするステキ脳に進化しました。おめでとうありがとう。


というわけで、現在では、エロありなしを問わず、好きなキャラが頬を赤らめラブラブになるのが楽しくて仕方ない、という日々を送っています。

たまごまごごはんさんより

http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070831/1188495780
***********


なるほど、これはカップリングという作法なんですね。いままであまり考えたことがなかったです。しかし、考えてみれば、「キャラクターの強度みたいなもの」に感情移入というか寄生?というか萌えているわけだから、その感情移入を起こすキャラクターに自分の好きな関係性を挿入して、さらに深く踏み込むというのは、ありな作法だな、と思うのです。なるほど、、、これは、確かに読みの作法としては、進化ですね。いや、深化か?。僕もステキ脳にヴァージョンアップされつつあるようです。より世界を深く楽しむためには、いろいろな脳のヴァージョンアップは重要ですよねっ!。


***********


>しかし、あくまでもこれは「原作にはないこと」なので、自分も「絶対乃梨子x瞳子以外受け入れませんから!それ以外を言う人は間違い!」と言えません。むしろ「すいません、勝手に妄想してすいません」という感じです。すいませんほんと。でも好きなので許してください。


http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070831/1188495780
***********


あーたまごまごさん、いい人だなー。あなたいい人です。なんか、ものすごく優しい気持ちになれました。なぜだろうかわからないが、何かいいものを見た気がします。ご馳走さまです。


***********


>しかし、二次創作で好きなキャラがエッチしているのを見るのも確かに楽しいんですが、最初に書いたように自分は、手をつないだりキスしたりするシーンの方がグッ!とくるのです。

 

二次創作で自分がキャラ恋愛に求めるものは、「そこに至るまでの過程」です。


***********


うんうん。僕はHなマンガは大好きなのですが、その背後に物語の強度とでもいうものがないと、どうも入れないのですね。恋愛も同じです。なんというか、、、やっぱセクシャリティーが一番気持ちよさを持つのは、対象への感情移入効果と肉体的な快感が一致しているときです。一番好きな人とHするのが一番気持ちいいといわれるのは、本当は事実の片鱗で、物語性をもってそれに乗せている時のHが一番盛り上がるんですよね。人間は身体性と物語性の両輪で生きている生物だから。だから別に好きでもないけれども、「何かの物語」とともにHをするのは、気持ちいい。ようは脳内補完ですから。


ただ、脳内補完を補強するのに、視覚やイメージだけでは、刺激が弱すぎる。肉体的刺激とともに物語性を刺激するのがいちばん来るんだよね。


・・・ってなんか話がずれた(苦笑)。


えっと、実は僕も二次創作系の作品には、Hマンガと同じで、キャラクターの関係性の距離の縮まり方を描いたものが好きのようです。


恋愛とか人間関係って「距離の遠い近い」なんですよ。


その距離感覚が、短い方がいいと考えると、SEXが肉体的一致なわけでゴールのように見える。精神的な一致は、理解(=内面への共感・被共感)とかですね。


けれども、たとえば、抵抗感が凄く薄いところでいきなりHをするのと、、、凄く抵抗感が強い・・・つまりは緊張している初々しいカップルがやっととなんとか手をつないだりおでこにチューしたりするのを比較すると、手を握る方が、距離の長さと密度のブレイクが大きいわけです。


関係性で「距離が縮まる過程」が僕は好きなのですが、別にそれが、肉体的なHであろうと、言葉による相手への侵入であろうと、絶対手が触れられないと遠き果てだと思っていた彼女の手に触れることだろうと、その距離と心理的障害の密度を、どのように崩していくかが、、、ドキドキを誘うと思うんですよね。



・・・・・ぜんぜん違うことですが、スッゴク厳しい上司に、いきなりぼそっと



「おまえよくやったな・・・・」



とかいわれたり。



手ごわいお客さんに



「ありがとうございました」



とか言わせた時も似たような快感がある。



ようは、なにかの障壁があるところにそれをブレイクするには、「関係性の距離を縮める」ステップみたいなものがあるわけで、、、、それを、好きなキャラクターでやられた日にゃーたまらんっ!てことになるわけです。


ちなみに、僕には表現上では、男×男でも女×女でも全く問題はありません。だって、「相手の心に踏み込んでいく行為の快感」は、男女年齢関係ないのだもの。


たぶん同人誌のカップリングというのは、このあたりのものを利用した想像力なのだろうなーとか思ったり思わなかったり。

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■どうして男たちは巨乳を好むのかーー巨乳論の試み
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20070620/1182290926

■女性の胸のサイズと偏差値の関係
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20070713/1184273792
mmpoloの日記さんより


*********


>つまりAの曲線は女性の胸が大きくても小さくても男の満足度に大きな違いはないことを表している。注目すべきことは、触ったときの満足度は見たときの満足度に比べてはるかに大きいことだ。男は女性の胸に触れば、胸が小さかろうと大きかろうととにかく嬉しいものなのだ。

 昔は女性の胸を見るときは触るときと一緒だった。見るだけなどという状況は普通なかった。見ることと触ることは分裂していなかった。触ることができればその胸が大きくても小さくても満足したのだった。ところが映画や雑誌のグラビアなど、単に見るだけになったときには、胸の大きい方がつまり巨乳の方が男の満足度を満たしたのだ。巨乳は正に映画や写真が発達した現代の見るだけの文化の落とし子だったのだ。

*********


視覚文化と触覚文化の分裂と、視覚文化の圧倒的な優位性というのは、現代文化の基本構造ですよね。視覚・・・視線などをコントロールして、欲望を動機付けするというのが、現代資本主義の基本的な仕掛けの一つですから。


なーんて小難しい話はなしで、ようは視覚で見て欲望を喚起されることと、実際に触って満足するのとは全然満足効用のレベルが違うってことだもんね。確か前に紹介した記事だと思うのですが、いやーなんか読みかえして、うーむやはり鋭いと感心しました。


男性諸氏。これはちゃんと覚えておかねばならない必須の事項だ。試験に出るぞ!(ウソ)。それと偏差値の話をしているのだが、僕はずっと思っていたのだが、巨乳か貧乳かというバトルおかしい!。というか、世界が狭い。柔らかさや、肌の質感、敏感さ、形(サイズってのは形なんだ!トップとアンダーの落差なわけだから)とか重要な属性概念が全然抜け落ちている。力説!(笑)。
全体のスタイルとの整合性もある。背の小さいが巨乳がいい!とか、逆に背がでかくて巨乳がいい!とか、いろいろあるだろう!。趣味はいろいろなのだ。・・・・・なにを力説しているんだろう、おれわ…。

小池田 マヤ
うめぼし 1 (1) (ヤングガンガンコミックス)

この主人公なんて!、ビトウィーン40~50の熟女好きなんだぜ!。世の中には趣味はいろいろあるんだよ、、、、みんな。世界は広いんだぜ、みんな。


■視覚の誘導の歴史と機能について


全然違う話だが、僕は、さいきんいずみのさん と『絶叫機械+絶望中止』の
麻草郁さん と話していた時に、視線誘導についていろいろ教えてもらったのですが、それは興味深い話でした。


いずみのさんは、視線誘導の力学をマンガで研究している方で、麻草さんは舞台の演出関係の方なので、異なる業界の視線の誘導の仕方についての議論だったんです。そこで、最近読み返している↓の現代美術における視線のあり方と重なって、いろいろ思うところがありました。僕の考えているテーマが、動機論とその制度設計についてなんですが、その場合は、感情移入の仕組みをさまざまなルートから分析しなければいけなくて、そういう時に「何を媒介にどうやって」動機付けさせるのか?というのは大きな問題だからです。


宮下 誠
20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す (光文社新書)


と難しいことを言ってみる。



■関連記事


Boing Boing: Ad from 1934 promises to help you get fatter 「広告におけるグラマラス表現の変遷」
http://www.boingboing.net/2007/05/26/ad_from_1934_promise.html

ピアノ・ファイア
http://d.hatena.ne.jp/izumino/

絶叫機械+絶望中止
http://d.hatena.ne.jp/screammachine/


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■漫画読みとは何ぞや
http://d.hatena.ne.jp/houroumusuko/20070815/1187149935
終ワリノ始マリさんより

おもしろかった。漫画読みという概念があるのですねー。


■作品を「語ること」は、もうそれで読者ではなく批評者


ちなみに僕はあまり悩まない。ようは批評家・評論家なんだよ漫画読みといういうかブロガーは。 読者の代表なわけはない。

ただし、評論と感想というものが、非常にプライヴェートで、フィルタなしでパブリックにさらされるが故に、感想と区別がつかないだけなのだ。 本などの出版物のように「それを形にするために」とてもコストがかなる媒体は、投資資金を回収するためにいくつものフィルタリング(編集とか売れるかどうかの確認ね)されるので、そもそも本になっているという時点で、パブリックなものだ。匿名性も、失われるしね。実名という意味ではなくて、世の中に流通して、公に「名がある」ことは、希少価値の一つだったので、その名前をどう扱うかで、匿名性の議論は消失するんだ。なぜならば、それがペンネームでも、その名前について回る「信用」が付属するからだ。 だから、その公の名前・人格の記号についての、信頼性や立場の一貫性という義務に拘束される。 ところが、ブログなどのネット媒体は、その意見公表のための



1)コストの敷居が非常に低い




2)匿名性が守られやすい


この「境界性の曖昧さ」のために、自覚がないだけだと僕は思う。


■自分を多数者の代弁者と位置付けることの卑怯さ


また、1)と2)の機能がある故に、アクセス数や記事数など、人気(=ポピュラリティー)による数の論理の代弁者となりやすいのだ。でも、ほんとは違う。その人の個人の意見・解釈と、人気(=読者など多数者の代表である)ことは、違うものなんだ。

けれど、

>その読者たちの遊びの中から生まれてきた雑多な感想を集約し、ある程度まとまりをもった一つの「声」としてそれを作者側に届ける、という役割を持った存在である。その仕事の性質から言うと、本来ならば<漫画読み>とは<批評家><レビュアー>といった概念と同義で捉えられ、相互置換して扱われるべき概念なのだが、彼らは『読者側の代表なのだ!』という意識を込めて自分たちのことをそのように呼ぶ。


そういう一体感の指導者感覚(=お山の満足感)と数の論理で人に要求するオナニー的行為が、とっても楽しいことであるのは違いないのだが、、、これは批評機能に関して、知識人に関してさらされてきたロジックが、ブログなどのネット媒体という新しい形式のメディア(というか、単に参加敷居が下がっただけ)の登場で、水準自体が下のレベルに移行しただけで、起きている現象はなにも変わっていないのだ。

この議論は、

●自分が意見を世に問う行為

と、

●人気投票

の機能が、ブログなどのネット媒体には重なって部分があるので、その概念を混乱しているか、わかっていて汚く利用しているだけなんだ。 どこにでもいるよこういう輩は。環さんのおっしゃるとおり、世に意見を問うという「意識」がある時点で、それこにはかなりの義務が発生するんだよ。

その意見や概念自体が、既に「作品」なのだから。

それは過去数百年にわたり、知識人や評論家、批評家に、投げかけられた疑問と同じことが要求されるんだと思う。


>すなわち「検証可能性」と「基礎文献の踏襲」ということ。

ちなみに、これは正しい言及だが、いきすぎの感覚もある。もともとネットには敷居が低い玉石混交状態があるという前提があるので、そこまで万人には求められないだろう、と個人的には思う。


■なぜ評論に携わったら最後、もう「自由な読者」でいることは許されないのか?


何かの価値判断や断言をする場合には、実は下記のような批判がすぐ来る。

*************

私は、読み手によって「漫画の読み方」に違いはあれど、優劣は無いと思っています。ただキャラに萌えるだけだろうが、物語を考察して深読みをしていようが、どちらが優れているという事は無いと思うのです。そりゃあからさまな伏線に気付かない人に対して「この漫画の一番面白い所はそこなのに!お前はこの漫画が読めていない!」などと言いたくなるかもしれませんが、それはそれで読み方の一つですよ。浅く読むも深く読むも読者の自由。漫画読みは所詮「漫画読み」に過ぎないんですよ。いち読者。

*************
http://d.hatena.ne.jp/inoken0315/20070706
近代麻雀漫画生活 はてな支店


断言とか、物事の価値の序列化という行為は、人の思考の自由を縛ってって命令する行為なので、「いったい何様の権利で自由を制限しようというのか!」という反論です。

近代社会の基本原理の一つに、リベラリズム(=価値中立性)というものがあります。この原理をベースに、価値の相対化、自由化を主張するわけです。

でも、これは僕はおかしい議論だと思うのです。こういう反論の形式は多いと思うんです。なんだか筋肉の反射みたいにこういう反応をする人が多い。けど、相対主義は、絶対的な価値判断を個々人が持つことによって成り立つ、メタな価値基準であって凄く誤解されていると思うのです。優劣をつけることを否定はしていないのですから。

*************


レビュアーであるということ

 こういうと漫画読み嫌いは決まって例の台詞を吐く。


 漫画の読み方に優劣はないよと。


 だが、漫画をどう読むかは人によって千差万別だとしても、どういう読み方をしたのか他者に伝えたい場合、その伝え方・語り方には優劣があるだろう。いや。なくてはならないのだ絶対に。貴方がもしある漫画の<作者>に対して、その伝え方・語り方に優劣をつけているのだとしたら。そしてある作品をどう読んだのか、伝えられない、語れないのだとしたら、それはその漫画を「読めてない」のだと言わざるを得ない。


(中略)


田中太陽(id:tanakataiyou )氏も言うように、評論に携わったら最後、もう「自由な読者」でいることは許されないのだ。

http://d.hatena.ne.jp/houroumusuko/20070815/1187149935

*************

この自由ではいられないというのがなぜか?という僕なりの意見は、やっぱりその「乗っている船」にフリーライダー(ただ乗り)することは、愛しているのならばしてはいけないと思うんだよね。経済学の公共へのフリーライドの問題と同じです。


自分がコミットする空間自体の「持続性」や「おもしろさの水準維持」を期待するのならば、やはりある程度は自覚的であるべきだろう。ましてや、その作品の「面白さの水準妥当性」を議論するのならば。


そのフィールド(業界・市場)が高いレベルを維持するマーケットであるためには、


1)クリエイター

2)評価者

3)受け手・消費者(人気)


という3つの構成要素が、
それぞれの役割を自覚的で高いレベルのコミュニケーションを実現して、正しい三位一体状態が形成されないと、そこのフィールドのすべての質が低下していってしまうのだ。 とかとか、そんなことを思った。 そういえば、この話は、いずみのさんと初めて池袋であっっ時に話した話だな~。同じことを、マーケッティングや新製品の開発プロセスなどに展開しているので、シゴトにももちろん使用している概念だなー。


■論壇的な共同地は消滅しただろう?という反論


さらにいいなーと思ったコメントがありました。この議論に必ず帰ってくる反論です。というか、僕がよく書く教養主義の復活とその不可能性に関する文脈ですよね。


*************


>君のいう双方向性や、自分の読みを語ることでの共通認識の確立というのは、所謂文壇(漫壇とでも言おうか)、つまりはあるていどまとまりをもった論壇の存在を想定した上での話になってくると思うんだよね。その中での共通の文脈、新しい文脈、そういった存在を認めていかないと議論にはならない。


(中略)

この理由は簡単で、共通の素地を持てる母集団の形成が難しくなったからなんだよね。明治、大正のいわゆる文士達に必要とされる教養と言うのは、漱石に見られるように漢詩文から始まって、いわゆる大家の有名な著作など、その母集団がそれらを共有できるほどの範囲に収まっていた。そして、そもそも文学を志すのはある程度生活に余裕のある家庭の子弟で、最終的に困窮したとしても、育ちの部分では良い家の子、という意味で変わらないんだよね。そういった意味で、高度経済成長の後、所得格差の拡大、職業の多様化(特に第三次産業の拡大)、教養の崩壊、いわずもがなの数々の理由によって文壇がその存在を維持できなくなったことは納得しやすいと思うんだ。

で、漫画の話に戻るんだけれど、今、オタク産業が隆盛だと言われている中で、そういった共通の素地、知識を持った上で議論ができる母集団と言うのは存在するんだろうか、という問題だと思うんだ。正直僕はそういった論壇を想定するのは難しいんじゃないかと思っている。

MONGORUさんより

http://d.hatena.ne.jp/houroumusuko/20070815/1187149935

*************

この議論は、非常に鋭い反論だと思う。まぁ勉強している人にとっては、もう常識のような議論だけれどもね。ようは共通の「教養」という知識基盤を背景にした、コミュニケーションが成り立たないと評価自体ができないといっているんですね。それには、あまりに、創り手側も受け手側もその母集団が分散して多様化してしまい、それを束ねる統一した価値観や視線が維持できないのだ。これを多様化による社会の不透明化と呼べると思うんだけれども、これは事実であって議論する話ではないんですよね。

そうすると、これまでの議論はこう分解できる。

①「社会の多様化による統一的価値基準(=共通の視線)の構造的消失」

②「教養(=共通の視線)を媒介とした批評機能の消失による全体の質の低下」

ただし、①は事実だが、②は想定が入ってる。②の社会の多様化による小さな価値集団ごとの独立が、すなわち、業界や作品質の低下を伴っているかどうか?については、実は統計的な結論出ていない。感覚的にはよく言われることなんではあるが。これが必ずしもマイナスのものであるかは、さらには、長期のスパンを観察してみないと本当は確かなことは言えない。実際には、僕は水準地平の変動にすぎなくて、質自体は実はあまり低下していないのではないかというふうにも考えている。

ただし、健全で辛口な批評家がいなければ(=批評機能が機能していなければ)、索引の背後のレイヤーでの複雑さや豊饒さ、もしくは技術的な部分での基盤に関する「共通認識」が失われて、レベルの底上げが起こらなくなる、というのはある程度いえると思う。

単純な理由だ。創造者(=クリエイター)が、そういうことに敏感でなくなれば、レベルが下がるのは当然。また批評者やその類縁であるは消費者は、クリエイター予備軍だからね。そこで語られる内容がレベルが低くなれば、その業界自体のレベルが下がるのは当然。

さて、こういったある程度、確実に言えるファクトを前提として、、、、僕らは僕らの愛する世界をどう変えていけばいいのだろうか?と考えるべきなんだろうと思うよ。だって、その世界を愛しているんだもの。ネギまを愛しているし、日本映画大好きだもん。

なぜ、そんなえらそーに語るのか?。感情のカタルシスや他人を見下して楽しみたいからであってはいけないんだと思うよ。そうではなくて、その文学や映画や漫画にでわえて、救われたり、楽しかったり、生きてて良かったと思ったりするからこそ、そこに関わる一員として、なんとか自分の関わるものをすこいでも楽しくよくしていきたいと考えると、ある程度この「統一的な評価の視点」を考えざるを得ないんだ。まだその具体的な抱負については、僕は考えていおるところだけれども、構造的にそれが無理だからといって、「しかたがないよね」というたいどは僕はきらいだなー。

自分が愛するものは、なんとかよくなってほしいもの。

■蛇足


ちなみに、僕は・・・・なんなのだろう?・・・あらためて自己を客観的に記述するのは、なかなか考えさせられるな・・・・まぁまずは、「物語読み」なんだろうね。そして個人的には、常に批評家であり、マーケティング分析者の自己イメージがあります(あくまで勝手な思い込みの自己イメージ)。なんか、批評家とか書くと、うーん僕ごときがなーとか思ってしまいますがねー。つーか、意見は常に自分だけの意見。誰かの代表とかそういう意識は、凄く僕は嫌い。なんだか逃げているような印象を受ける。


ちなみに学者ではないが故に、

>すなわち「検証可能性」と「基礎文献の踏襲」ということ。

ここは時間の許す限りですが、思索に必要な上の科学的手法は確かに気にしております。気にしているだけですが(苦笑)。とにかく「ただそう思った!」だけではなく、思索の過程を披歴して、かつ長期間に記事を上げているので、思索の変遷やイメージや概念のスタート地点は、わかるようにしているつもりです。 全部読んでいれば(そんな人はいないだろうが(苦笑))僕の思索のパターンや過程はわかると思うのです。僕は思索に重要なのは、原点の体験と思索の過程だと思っていて、結論だけならば本を読めばいいか、数学の数式を見ればいいと思う。まっ、ちなみに書くのが楽しいから書いているだけだけれどもね(笑)。

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