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昨年、渋谷Bunkamuraシアターコクーンで、『タンゴ・冬の終わりに』を見に行く。友人である響太さんの人生の中でも、5本の指?だっけにはいると力説されたため、立ち見になってしまったが、見に行く。記事は昨年・・・・もう既に06年の年末のことだが、記事を掲載し忘れていたので。ちなみにきっかけは、アメリカンダンスアイドルでアルゼンチンタンゴの課題があって、同じ音楽が流れた途端、凄まじいイメージの嵐が自分の体内に浮かんだため。この舞台は、傑作だったんだな、と思った。イメージが身体の中を渦巻いて蓄積しているのだから。


■『タンゴ・冬の終わりに』作:清水邦夫 演出:蜷川幸雄@Bunkamuraシアターコクーン渋谷

http://ameblo.jp/petronius/entry-10020109558.html



■mmpolの日記より
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20061116


>清水邦夫・作、蜷川幸雄・演出。22年前1984年の初演は衝撃的だった。台本も演出もいい。蜷川は清水と組むと良さが発揮できる。本当に群衆の動かし方がすばらしい。今回、主役の清村盛を演じた堤真一は好演していたが若すぎる。台本の設定も40歳代ではなかったか。口跡もとても良いとは言いかねた。清村のかつての恋人水尾を演じた常磐貴子は良かった。終わってからチラシを見て彼女が常磐貴子だと知った。見る前に名前だけでも知っていたのはこの子だけだった。清村の妻を演じた秋山菜津子も若すぎる。どうしても初演の平幹二朗(清村)や松本典子(妻)と比べてしまう。
引用:mmpolの日記より

作 清水邦夫
演 出 蜷川幸雄
出 演 堤真一 常盤貴子 秋山菜津子


■身体の記憶に残る舞台~狂気は空間を伝わって人の心に感染していく

見る価値はある、凄い舞台だった。とりわけ、見ている間も、終わったあとも常にイメージされた感覚は、マターナルなものへの体内回帰のイメージで、大野一雄さんの舞台が終始、思い出された。

一言で云うと、

・論理的にはさっぱりわからないが(笑)

・美しく神秘的なカタルシスのある舞台だった。

だからこの作品は、論理的に訴えるのではなく、イメージと感性で捉えるべきもに感じた。

僕は前情報ゼロでこの作品を見たが、見ている最中に強烈に思ったのは、これが、

・60~70年代の左翼的な感性を感じた・・・

その中身を具体的に云うと、

・体内回帰願望だ・・・・

学生時代に、舞踏の舞台を大学に呼ぶというプロジェクトがあって、暗黒舞踏家の大野一雄さんとその息子さん慶太さんを招待するのを(僕の仲のよかった教授が大ファンだったのだ・・・経済学部の教授なのに、なぜか演劇マニアと言うヘンな人だった)手伝ったのだが、その時の

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E8%88%9E%E8%B8%8F

http://www.kazuoohno-exhibition.com/

論理的ではない、物語空間や演劇演出というものが、初めて理解できた気がしたのだが、その時の感動を思い出した。それと同じ雰囲気、空間密度、演出の志向性を感じた。 アニメやマンガ、小説には、そもそも二次元の媒体なので、この空間の密度を変化させるということが、演出できない。前に、少年漫画とは、主人公の狂気を仲間に読者に感染させるという非論理的行為があるものが、傑作であると論じたことがあります。


■少年漫画の王道とは?①~スケール勝ちとは時間軸の因果が逆転することをまわりに感染させること
http://ameblo.jp/petronius/entry-10019433285.html


ここで少年漫画を対象としていますが、僕は、それは演劇でも本当のリアルの人間関係でも、この感情の感染というものが、重要な分析ポイントであるといつも思っています。


というのは、物語って、破綻しているじゃないですか?。必ずしも論理的ではない。そして、それは僕らの人生でもそうです。リアルな人間関係や、シゴトのプロジェクト・・・とりわけ恋愛や夫婦関係、親友との関係などがそうですが、すっごく論理的じゃないですよね(笑)。僕は昔、どうしてこう人間関係や物事って、わけのからない方向へ進むんだろうって、いつも思っていました。


たとえば、すっごい好きな子に、これでもかって、思いを伝えても、ぜんぜん好きになってもらえなかったり、、、逆にどーでもいいやーとバカにしていたら逆に好かれてしまったり・・・・。シゴトでもそうです、、、シゴトをするときには・・・・・僕は子供の頃から頭の回転が速くて(笑)、すぐ物事の終わりが見えてしまう批判者精神の持ち主だったので、すぐに「物事ができない理由」というのを、思いついてイヤな気分になって、なにごとにも手を出さない非協力的なところがありました。いるでしょう?そういう人。弁は立つし、頭はいいのだけれども、できない理由ばかり並べるイヤなヤツ(笑)。

けれどね、、、これでもかって「その物事」が「できない理由」を並べ立てても、そこに参加する人間の意気込みや雰囲気で、一気に逆転してしまうことが多々ありました。今でもそうです。僕は、頭で考えているだけでは、人生は絶対にわからない。すべては体験して、実践してみないと、本当にどうかはわからないって今では思います。


そして、自分が論理的な道筋で、不可能なコトに全力で挑戦するとき・・・・・ようは①テクニカルな方法論と②情熱(モチヴェーション)が合わさった時には、かなりの確率で人間にできないことはないって思うようになりました(まぁ無理なものは無理ですが(笑))。とりわけ、数年レベルで、この不可能なことを思い続ける意志の力が持続する(持続するというのは24時間持続し続ける相当しんどいヤツです(笑))と、信じられないようなことを人間はできます。ナポレオンヒルとか、あんまりああいう自己実現系の話は、僕は結局できない人の足掻きだと思うので、あまり好きではないですが、自己実現が意志の力によるというのは、事実だと思います。


えっとね、何がいいたいのっていうと、けっこう気合で人生変わりますよ(笑)ってこと。ただ、一時的な気合ではダメです。非常に長期間にわたって、休みなく気合が高い状態を維持するには、やはり心の奥底から湧き上がる動機(=モチヴェーション)がないと、人間の気持ちは、行動に転化して習慣化しません。人事系の重要な概念で、コンピテンシーというものがありますが、これは動機と行動(=習慣化)が一致している状況をさすもので、頭で思っているだけでは意味がないという意味でもあります。だから、自己実現系の本やナポレオンヒルや脳内革命などが、ほとんど意味がないのは、本などの受身メディアから人の心が影響を受ける率というのがいかに小さいかということなんですよね。しょせん、人間の心は、ナルシシズムの檻の中にあり、そこに届くメッセージというものは、非常に少ない。受け取る側によほどの準備がない限り、外からの情報では、人はほとんど動かないんです。そんな簡単に動くようでは困りもしますからね。


だから、逆にいうと、人の心にメッセージが伝わってしまうということは、凄いことなんですよね。そして、もっとも人の心や行動を縛り変化させるには、実は、祭りなどの聖なる儀式がいいということは、古代の民俗学などの研究で既に分かっています。それは、カタルシスなどの特殊な心理効果を、全身で浴びるからなんですね。頭ではなくて、身体丸ごとを、空間を変容させた特殊な状況にほうりこむことが、もっとも人を支配し洗脳するのに効率的です。ファシズムが、マスゲームやオリンピックなどの大きな祝祭空間をつくるのが好きなのもこの理由です。


そういう人類史における祭りとか生贄などの聖なる儀式の類型の一つが、演劇なんですよね。といわけ、アングラ系の暗黒舞踏やこうした聖なる空間を演出するものには、僕は演劇の脚本の筋の論理性などではなく、どのように空間を特殊なもので満たすことができて、そこに参加する人々の心や身体感覚を変容できるか?ってのが、勝負になるんですよ。


この作品は、「それ」が凄く良くできていた。僕が過去に見た演劇(は少ないが)中でもダントツに、身体の記憶に残る舞台だった。

■幻想に取り込まれた男の狂気と現実の狭間で


これは、、、たぶん、演劇を見慣れている人が見ると、凄まじい衝撃を受ける作品かもしれない。あれほど芝居を見ている響太さんが、五本の指に入るというのは分かる気がした。というのは、むしろ典型的な演劇というよりは・・・・舞踏のような空間の密度の再現を志向したものに感じました。 だから、脚本は少し考えたりしないとわかりづらくても、あの圧倒的な人数のスローモーションや狂気の桜、、、アルゼンチンタンゴの音楽の創り出す、不思議な空間密度が、身体に刷り込まれてしまうのです。

基本構成は、

①幻想に取り込まれた男の狂気

②現実

①と②が、交互にリンクして、わけのわからない空間を現出し始めるる、という手法。

この手法によって、観客を通常の『現実認識からズレた』空間に取り込んでいくということが、目的の舞台。

全編が、古い映画館という、幻想を映し出す空間の中のみで話が進むことも、これが、体内回帰的な自己幻想空間への希求を非常にストレートに象徴している。 だから、この舞台で筋や理由や、なぜセイが狂気に取り込まれたのか?などの論理的解釈や演劇的ドラマツゥルギーを追うことには(できないことはないが)意味はない。 そうではなくて、その取り込まれたズレた空間密度の中に観客が『取り込まれていくこと』そのものに価値がある、意味があるという舞台だと思う。 だからこそ、その体内回帰が崩壊する時に、映画館の壁が壊れて桜が舞い降りるというラストの演出は、現実への回帰という意味で、象徴的でした。 そこに、密度を上げた空間をぶち壊す、というカタルシスもありますしね。

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■主人公はもっと老年の俳優を

ただ、、、、もし、これが、ある種の閉じ込められた魂の空間の内部の幻想を描き出そう取るするならば・・・


間違いなく、主役の堤新一が、若すぎるように感じた。


いや、彼が若いというのは、、、致命的に、まだ未来の希望を肉体そのものを感じさせてしまうので、演出として致命的であった気がする。 今日行ってはじめて、常盤貴子が出ているのを知ったのだが(笑)、、、だからキャストとか前情報は本当にゼロだったんだってば(笑)、もっと自分の幻想空間に取り込まれて狂気になった男と、白い若い女性の対比を鮮やかにするためには、堤新一役のセイ(漢字はわからない)がもっと老成している人間であったほうが、よかったのでは、と思う。


ちなみに、感動するぐらい、堤新一&常盤貴子は、セリフがヘタだった(笑)。演劇がよくわからない僕でも、それはわかる。・・・・それに比較して、プロの演劇俳優は上手かった。。。。段田さんとかマジ上手かった。が、「それにもかかわらず」この二人には、確かに華があった、、、それで演出が100%成功しているとは云いがたいが、さすがだな、とは思った。とりわけ、常盤の存在感は、僕はなかなかだったと思う。それゆえに、主人公の若さが少し軽かった。


かなり閑話休題。



■舞台の帰りはラーメン

立ち見だったので、腰が死ぬほど痛くなった。帰りにどうしても博多天神ラーメンが食べたい、と妻が云うので、、、妻はいつも渋谷に来るとここに食べに来る、、、食べた。 そういえば、僕が妻と生まれて初めてデートしたのが、Bunkamuraの下の美術館で、たしか印象派の展覧会で、そのあとにアフタヌーンティーで軽く食べたのを覚えている。懐かしいなぁ。やっぱり、平日の夜のデートは、なんとなく楽しい。お互い、スーツ姿とか会社用の外行の姿なんで、なんとなく不思議な感じがした。 いつもと違う雰囲気は、ちょっと、気持ちがウキウキする。 ちなみに、コメディ好きの妻は、さっぱりわからない(笑)といっていたが、、、、めずらしくニコニコしていたので、楽しかったんだと思うので、僕も嬉しい。 こういう暗い話は、絶対嫌いと思ったんだが・・・。 いや、、、僕は見に行く価値があった。これは、凄い作品だ。 やっぱり、インプロビゼーションのある生の舞台は、いい。


****************


■あらすじ&概説


http://info.pia.co.jp/et/promo/play/tango_fuyu.jsp  


「タンゴ・冬の終わりに」は役者を廃業し、日本海近くの映画館で隠遁生活を送る狂気にとりつかれた清村盛と、かつての役者仲間の再会を中心に描かれる追憶の物語。

1984年に初演。2年後の86年に再演。1991年にはイギリスのエディンバラのキングス・シアターで上演後、ロンドンのウエストエンドのピカデリー劇場で約2ヶ月に渡って上演された。このイギリスでの上演は、演出家をはじめとするスタッフは日本人、キャストはイギリス人という組み合わせで上演。当時としては画期的な公演で、絶賛を浴びた。主役はオーディションで選ばれたアラン・リックマン。最近では、映画「ハリーポッター」のスネイプ先生役でおなじみのイギリスを代表する演技派俳優だ。

このイギリスの再演から15年、日本での再演から数えると20年──そして、今年の11月、待望の上演が決定した。注目のキャストは、主役の清村盛役に堤真一、妻ぎん役に秋山菜津子。昔の役者仲間であり、恋人であった名和水尾役に常盤貴子、その夫の連役に段田安則ら、名役者たちが揃い踏みだ。

蜷川幸雄が満を持して贈る幻の名作、どうぞ、お見逃しなく!!


§あらすじ§
日本海に面した町の古びた映画館が舞台。──清村盛は有名な俳優だったが、3年前に突然引退して、妻ぎんとともに生まれ故郷の弟が経営している映画館でひっそりと暮らしている。
そこへ、昔の俳優仲間であった名和水尾と彼女の夫、連がやってくる。かつて盛と水尾は激しい恋に燃えていた。
訪れた水尾が見たのは、すっかり狂気にとりつかれてしまった男の姿だった…。

■[評]タンゴ・冬の終わりに(Bunkamura)/学生紛争の最後衝撃を再現
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20061108et05.htm


撮影・谷古宇正彦 まず冒頭で息をのんだ。映画館の客席を模したセットには若者が87人。銀幕を見つめて表情豊かに笑い、ため息をつく。だが、屋外で銃声や爆発音が高まると、一人、一人がストップモーションで逃げていく。

 おそらくは1970年代の学生紛争の終えんを象徴的に描いたのだろう。青春が終わり、希望がついえた瞬間の衝撃のすさまじさが想像出来た。清水邦夫の脚本を蜷川幸雄が演出した84年初演の舞台の再演だ。

 有名俳優だった盛(せい)(堤真一=写真左)は突然引退して心を病み、妻のぎん(秋山菜津子)と弟の重夫(高橋洋)が営む日本海沿いの古い映画館で暮らしていた。そこに盛からの手紙で呼び出された元恋人で女優の水尾(常盤貴子=同右)が現れ、夫の連(段田安則)が追って来た。

 盛は俳優時代の記憶を失ったが、常に何かの役を演じるように振る舞い、幻の孔雀(くじゃく)探しに没頭する。ぎんは夫を救うためには手段を選ばない。一方、水尾は盛との恋が真実だったかを確かめようと狂気に沈み、連は焦燥感を募らせる。

 蜷川は若き日の衝撃や空虚をよみがえらせるために辛抱強く演出したに違いない。その成果が冒頭の熱狂、秋山の背中ににじむ悲しみ、常盤の声を震わせながらの懇願など登場人物が様々な激しさをみなぎらせる場面に結実した。

 清水の台本に込められた詩情は、盛の回想に現れるブランコ、舞台を横切る祭文を歌う男たちなど、様々な美しい場面や、冷ややかに響く「カノン」やサティの名曲と共に心にしみた。

 堤と段田は昨年の「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」に続く清水・蜷川作品への出演だ。堤は丁寧に感情を紡ぎ、狂気に陥る前の盛の苦悩を浮き上がらせた。段田はさすがにうまい。明るい振る舞いの節々に危うさを潜ませ、ラストの悲劇を暗示した。(祐成秀樹)

 ――29日まで、渋谷・シアターコクーン。

(2006年11月8日 読売新聞)


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妻と、渋谷で夜のデート。

渋谷Bunkamuraシアターコクーンで、『タンゴ・冬の終わりに』 を見に行く。人生の中でも、5本の指?だっけにはいると力説されたため、立ち見になってしまったが、見に行く。おおっ、たしかに素晴らしい。感想は、別途書きます。


作 清水邦夫
演 出 蜷川幸雄
出 演 堤真一 常盤貴子 秋山菜津子



■[芝居]「タンゴ・冬の終わりに」
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20061116  


■[芝居]朝日新聞の劇評「タンゴ・冬の終わりに」
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20061114/1163453862


mmpolの日記より

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ka1  



僕の書評を読んでくださっている人は、けっこう辛口も多いと思うでしょう。実際の1000分の1も普通の会話の辛口さを表現していません。砂糖大盛りで振りかけているみたいなもんです、これでも(苦笑)。



しかしその僕でさえ、シルク・ド・ソレイユの『KA 』は、圧巻であった。



僕は、150$の最前列で見たが、これははっきりいって、数万出しても惜しくなりレベルのものだ。たかだか150$では安いくらいだった。絶対、いい席で見たほうがいい!!。



もし見たことがなければ、人生を損をしている!!と断言してもいいほどの素晴らしい舞台。


MGMGrand のカジノの真ん中へんにあり入り口に入った瞬間から異世界を体感できる。入り口に入った瞬間に振替って上を見てみよう。


シルクドソレイユが、これほど凄い舞台を構築しているとは、驚きだった。サーカスという言葉で、日本の場末の汚い雰囲気を連想していたからだ。


これはそんなもんじゃない!


超ド級の世界最高峰のエンターテイメントだ。



パンフレットの表紙に出ている女性。彼女は、バトントワリングで何度も世界チャンピオンになった高橋典子さんです 。この彼女の役が、敵対する部族の首長の娘なんだけど、すげーーーかわいいんだ。いや、顔がとかそう言うことじゃなく、このキャラクターが。


かっわいーーー。


しかも、バトントワリングは圧巻。あんな技がこの世にあるなんて!!!。


とにかく、興奮冷めやらぬ今日この頃です。


******引用

 タイトルのKAは、古代エジプトで信じられていた、現世および来世にわたって存在する、すべての人間に備わっている目に見えない霊的なもう一つの同じ身体である幽体を意味する「KA」に由来し、舞台では「魂」や「火」を想起させるヴィジュアル演出を随所に採用している。また、アクロバティックな演技や武術、あやつり人形、さらにマルチメディアや花火などを駆使して、自然界の二元性を描いた内容になっている。
 
 ストーリーは、離ればなれになった男女の双子が運命の糸に導かれながら危険に満ちた冒険の旅に乗り出すといった冒険談を中心とした叙事詩的物語で構成。シルク・ド・ソレイユのショーの中では最も演劇性の高い演目となっている。 なお、MGMグランドに新設された専用のKAシアターは、1951席の最先端技術を導入したパフォーマンス用空間となっている。
 

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