『しゃにむにGO』 27巻 羅川 真里茂著 負パワーを正のパワーへ
テーマ:物語:自意識の病からの脱出
『しゃにむにGO』 27巻 羅川真里茂著 駿くんにしあわせをあげてほしい!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10051986002.html
■やはり駿くんには、みんなマイナスのイメージをもっていますね
この記事のコメントが多かったので、返答を兼ねてさらに敷衍します。いやーコメント多いと嬉しいので、しかも新規の人がくれたりすると、興奮してます(笑)。けれども、駿君には、やっぱり、みんないい印象を持っていないのだなーと感心。僕は彼が好きで好きで、幸せになってほしいと願っているけれども、たぶん読んだ人の90%が彼のことを嫌いだろうな、と思ってこの記事を書きました。そして、この記事を書いたときにいちばん来るであろうと思って意見は、ustetさんと新條さんのコメントです。ストレートに来てくれたので、実は少し嬉しかったりして(笑)。というのは、この記事で僕は、実は駿くんが「逃げてナルシシズムの地獄に留まっている」ということを、書かなかったのでから、そこへの突っ込みはあると思っていたのです。
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>駿のあれは孤独に耐えてるんじゃなくて孤独に逃げてるんじゃないだろうか。周りが誰も助けてくれなくて逃げるしかなかった、てのは判るけどもさ。
>駿君には、いつも手を差し出されているように感じます。ただ、本人がそれを拒んでいるだけで。。。差し出された手をとる方法を知らないのだと思います。それ故に、孤立してしまい大切なものをモノを見逃してしまっているような気がします。
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何かを断言するときは、反論を封じるために、反論しやすいところが意味を持たないことをちゃんと反駁して置いて書くと、他人の反論を封じることができます。けれども、僕はこれを書く必要もないほどの自分の中で前提だったので、書かなかったんようなんです。いま思い返してみると。ここは僕の価値観・人生観を示しているようなので、ちょっと詳細に追ってみたいと思います※1。
■同じ舞台に立たないと相互理解は生まれない~理解は対等でないと生まれない
佐世古駿が、孤独に逃げていること、世界を拒否していることは、確かに事実です。
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でも車イステニスで優勝した、と報告するひなこに対して、ふーん、だから何なの、てなあの態度。彼女の想
いも努力も喜びも見えていない。
て言うかお前、“尚田ひなこ”を知らないだろ。
知ろうとも思ってなかっただろ。
知る必要さえ感じてなかっただろ。
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このustetさんの受けた感覚が、まさに作者の意図する演出です。確かに、駿はとても可哀想な過去を背負っており、ボロボロに追い詰められながらひなこにすがっていて、ひなこはそれを切り捨てられない。彼女に切り捨てられるということは、駿の精神的な崩壊を招きかねないことは、ひなこには十分わかるからで読者だって、駿の苦しみはわかるだけに、ひなこがなかなか伊出くんを選びきれない苦しみはわかります。なにしろ、駿はいい男だしね。けれど、27巻のこのシーンで、駿くんが自らのナルシシズムの癒しの道具としてひなこを見ていることが、ストレートにわかっていまいます。彼女自身を見ることがないのですね。まぁ僕としては、saoriさんの意見と同じで、どちらが悪いというよりは、「見ているものが違う」ことがはっきりしたシーンだと解釈していますが。
だから、ここで、彼女が、やっとふっきれて、伊出くんへ思いを完全にシフトすることができるようになります。
もちろん、ひなこはわかっていたと思います。
駿がひなこをバカにしたわけでも、ひなこ自身を見なかったわけでもなくて、そもそも勝負するのならば「世界一」を目指さないことが彼には理解できないだけだということが。
駿にとって、テニスは、自分の壊れた精神の地獄から逃げるための「手段」であり、その「手段」が価値を持つには、世界最高レベルの並び立つ者のないレベルまで突き抜けることだけなんです。それだけ背負った呪い(=母親の呪縛)が大きいことと、その苦悩の大きさは簡単には止まれないほど才能を持った彼自身の器の大きさからも来ています。才能がありすぎるのは、時には不幸なんだ。その才能に見合った苦悩を自分にもたらすから。
そのレベルで「勝つ」こと以外に、テニスなんていう道具を手段を、やる意義が彼には見出せません。だから、ひなこがテニスをやるのならば、世界最高のレベルで勝ち抜くということ以外には、意味を見いだせないのです。決して、ひなこ自身の心を無視したわけではなく、そもそも彼には、「世界レベルの競争に打ち勝つ」こと以外には眼中にないので、そんな8人ぐらいのレベルの大会に勝つことに価値が持つとは思えないのです。
これは比較の問題です。
ひなこも駿も、心の解放のために、スポーツをやっているという意味では同じなんですよ。これは圧倒的にレベルが高いことをやっているときに、レベルが低いポジションにいる人に話されてもしらけるどころか、心が一ミリも動かないことを体感したことがある人ならばわかるはずです。正直いって、侮蔑の気持ちしかおきません。
人間は平等だ?
苦しい立場にいる者の成長の努力に共感しろ?
ふっ・・・できるわけありません。
人間が平等だとでも?。
世界の頂点を目指して、そこのレベル、その舞台で戦っている人にとってそれ以外に道端の石ころや虫けらに価値があるわけないじゃないですか?。それは、たわごとだと僕は思う。世界で、本当の頂点レベルで孤独の中で激烈な競争をしている人が、自分のはるか下のレベルの世界で戦っている人の共感できるでしょうか?。
それは無理です。
レベルの違いが、価値の違いには、確かになりません。ただ、駿くんは、もしテニスを手段として成長と解放を求めるのならば、パラリンピックで金メダルを目指し、命を燃やして戦わない限り、ひなこを対等の人間として認めないでしょう。別に車いすだから、パラリンピックだからなどと、セコイ根性で見下すほど駿はバカではないでしょう。彼にとって「万人が否定できない文句なしの頂点を目指して戦う」レベルの戦いににしか理解が及ばないのです。すべては、「そこ」へ到るまでのステップにしか見えないのだろうから。彼を代弁するならば、その程度のレベルで解放されるな!でしょう。
言っている意味わかりますか?。
駿ほどの男には、ひなこじゃ、役不足なんですよ。共感できるはずがないんだもの。そういう意味では、彼を好きになった女の子が、やはり世界の頂点で戦っているナディアというところに、なかなか作者は考えているなーと思います。友人が、やはり世界でたたけるプレイヤーもミレーユであるところも。駿のレベル以上の孤独で戦っているからこそ、ボロボロの駿の孤独に引き付けられたのです。
人間は理解を求めます。理解は、同じ舞台にいないと、相互の双方向にならないんですよ。
対等でない「関係性」は、不幸にしかなりません。見ているものが違うことは、不幸の始まりのようなものです。滝田の父と母も同じでしたね。それが本物の愛であるにもかかわらず幸せにはなれませんでした。
少なくとも僕はそう思います。
『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html
『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227026.html
羅川 真里茂
■孤独に逃げるること、世界を拒否することがそんなに悪いことなのだろうか?
ちなみに、ustetさんはひなこが好きなのでしょうか?。僕は、駿くんが大好きなので、少し???って不思議に思ってしまいます。たしかに、ひなこに対して、見下したような態度、彼女の苦しみに共感すらよせない彼の冷酷な態度は、読者の嫌悪を誘うでしょう。
けれども、それはなぜか?って考えたら?。
ひなこが、伊出を選ぶことは彼は既に分かっているのだと思います。天然には、勝てねぇだよ!。分かっているけれども、ギリギリのところで苦しんでいる彼には、いま彼女を手放したら心が壊れてしまいかねないのでしょう。そして、そんな相手に「求めるだけ」の、母親の呪縛から逃げるための重荷を背負ってくれることを要求することが、いかに難しいことなのかは、たぶん無意識に彼はわかっています。そんな強引な行為をすればするほど、彼女の心が離れていくであろうことも。
だから自分をコントロールできないでしょう。
そういう意味で、駿のひなこへの愛は、僕は本物だと思います。成就するものではないにせよ。なぜならば僕も男だからわかりますが、女性を徹底的に騙して幻想を見させて自分のものにすることは、別に難しくありません。その女性よりも精神的に大人であれば、徹底的に相手を見下せば、騙すのは本当に簡単なのです。たぶん駿が、もっともっとひなこをバカにしてモノと見下していれば、彼女に選択肢を与えるようなまねはしないと僕は思う。それくらいの鬼畜な行為は平気で出来るくらいの器に見える。方法ならいくらでもある。押し倒してしまうとかだって、できないことではないんです。
でも、彼は自分の弱さといら立ちを彼女にぶつけています。それは、成就することはなきにせよ、僕は本物だと思うのです。対等に甘えているからこそ起きる現象。ひなこも、心の裸をみせて、甘えてくる駿だからこそ、切りきれないんですよ。かわいいと思いますよ、ひなこにしても。だって、あれだけのプライドの塊が、苛立ちを表に出して自分にすがるんですよ。それは、やっぱり心の真実。
だから、これだって、一つの本物だと僕は思うのです。偽って騙して支配するよりも、何千倍もましだ。
■自意識の迷宮から「外」へ一歩踏み出すことの困難~うだうだやっている理由
前回、海燕さんのところでチャットをしているときに、「ひきこもり」と「非モテ」の話をした。たぶん鳥蛇さん との会話だったと思う。アーカイブに接続する方法がわからないので、うろ覚えで書きます。
僕はひきこもりも非モテも、ひっくるめて「ナルシシズムの地獄」という僕のテーマの概念で包括できると思っています。一言で言うと、「ナルシシズムの地獄」という永遠のループにはまりこむと、そこから脱出するためには、「外」に出るしかありません。
「書を捨て、街へ出よう」というよくこの文脈で使われるフレーズも、ようは、「外」に出るべきだということの同義語だと僕は思っています。そして、「外」というのは、現実の家の外という意味ではありません。頭の中に、他者が存在しないで閉じこもっている状態を指しています。だから、僕がいう「外に出ろ!」というひきこもりへの処方箋も、現実に家へ出るべきだという意味では全くなくて、そのところを誤解なきよう。
『ヴィンランドサガ』 幸村誠著 まだ見ぬどこかへ~なにを幸せと呼ぶか?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10027058894.html
ナルシシズムの仕組みは上の記事とかで少し言及しました。さて、処方箋が「外に出る」ことであることは、別に僕の指摘を待つまでもなく、あまりに当たり前で自明なものです。けれど、この問題は、処方箋として抽象的には誰もがわかり切っているのですが、それが全く意味をなさない。具体的な方法がさっぱりわからないからなんですね。数学の問題の答えがわかっても、解く過程や公式がわからないと、どうしようもないでしょう?。
「そうはいってもなかなか外に出られない」のです。「その一歩」がものすごく困難でも難しい、と。これは「ひきこもり論」や「非モテ論」でも何でもいいのですが、ある種の袋小路の、クローズドサークルの言葉遊びを誘発する姿勢で、この閉じた円環を出る方法が見つからないことが、この種の議論の最も重要なポイントです。
僕はこの「一歩が踏み出せない」で、クローズドサークルを永遠に徘徊する不毛さを思うときにいつも、村上春樹の作品群、とりわけ『羊をめぐる冒険』を思い出します。あと、図書館の逸話など。
村上春樹はこの「閉じた自意識の中で永遠に戯れる」感覚を小説世界に紡ぎ出して、世界的な作家となった人です。
彼の作品には、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』もそうですが、不思議な「何かが閉じられたい空間」を徘徊するような設定が多いのも、この「出るに出られない内的世界の中で迷宮にさまよう」感覚を演出するため・・・というか、このような心象風景を具現化するのがうまい人なんですね。
えっと、なんでこういことを書くかというと、たしかにustetさんや新條さんのコメントで、駿を非難するのはわかるのです。けれども、じゃあみんな常識的に考えて、あれほどの母親の家の呪縛をかけられた彼が、そんなに簡単に自分の「世界を拒否する感覚」を壊すことができるのだろうか?ってことですよ。処方箋が、解放の方法が分かっていてさえ、人間は「その一歩」が踏み出せないものなんですよ。
そこに理由はない。
閉じられた心がオープンになる「きっかけ」は、限りなく不可能に近い困難さなんですよ。「自分で気づきなさい!」と自分よりもステージが上の人は、解放されている人は言うでしょう。けれども、そのような「上からの目線」では、「いま現在迷宮で苦しんでいる人」には、ほとんど届かないでしょう。なぜならば理論的には、本人もわかっているんですよ。でも、理論・論理と、感情や心の問題は全然別ロジックなので、そんなに簡単じゃないのです。自分ですら簡単ではないことを、僕は上から目線で、「世界を拒否している」「自分から救われることを拒否して孤独に逃げている」と非難することは、、、僕にはできないですよ。
■負のパワーを正のパワーへフィードバックすること~ほんものの男とは?
ただ、自分一人で閉じこもって周りに害悪をまき散らすバカほどウザいものもないのも事実。僕は前回の記事で、このような「心が閉じてしまっている」駿くんに対して「ほんものの男」という形容詞を使っています。いや別に、これはなんとなくニュアンス効果を狙っているだけで、「ほんものの人間」と性別を抜きにした方が政治的に正しい書き方かもしれませんが・・・。
僕はね、「ほんもの」の定義・根拠を、
負のパワーを正のパワーにフィードバックすること
が第一ステップだと思っています。
それはね、駿を見るとわかります。駿は不幸です。心が親の世代の業に締めあげられ、その重荷をすべて背負ってしまっている。そして、そのために心の過半が死んでいる。世界を拒否して、自ら孤独な世界に追い詰めている。それはある意味ひきこもりで、人間嫌いで、他人を見下して信用していないゴミ野郎です。
けれども、、、それでも、僕が駿を本物だと思うのは、彼はその負のパワーをバネに何を成し遂げているか?ということです。
テニスのジュニアプレイヤーとして日本の頂点に君臨し続け、世界の壁にも十分通用するレベルを維持しつつけて、世界に一番近い挑戦者として鋼のように自己克己して自分を鍛え上げています。ライバルさえいない過酷な環境の中で、何一つお手本もなければ、システムもとなわない日本のプロテニス業界の中で、彼は異彩を放つオリジナルとして「ほんとうの世界の頂点」を見据えて戦い続けています。これがどれほどの孤独か!。しかも、忘れてはならないのは、彼が子供のころから継続して、一度もその王座を譲ることがなかったことです。一瞬ではないのです。「継続している」ところに本物の根拠がある。
そのエネルギーは?根拠は?
それはたぶん、彼の生い立ちの不幸さと心の負のパワーでしょう。
けど、原因ってそんなに大切ですか???
たと原因が腐ったものであっても、世界中のだれもが胸を躍らせて仰ぎみるような、アウトプット(=社会が万人が認める結果・実績)を叩き出し続けているのです。
そんなときに原因が、何の意味がある?。ましてや、駿のせいじゃないでしょう?。あきらかに佐世古家の旧家の縛りとそれで壊れてしまった母親のせいじゃないですか?。原因なんか探しても仕方がないじゃないですか。
彼は、才能と器があり、なによりも、、、、その負のエネルギーを正のエネルギーにフィードバックして、世界を獲得しようともがいている。それが間違った方向でも、それでも、僕はそれはほんものだと思う。この状況は、彼自身にとっては不幸かもしれない。しかし、彼の周りを囲む物凄い人数の人間の心に、彼の成し遂げる業績は、光を投げかけるでしょう。彼が、四大大会で優勝すらするようになれば…。日本のプロテニス業界の構造を根本から変えるかも知れません。
たとえ負の出発点でありながらも、万人が認める結果を出し続けている彼は、僕は報われてもいいと思う。多少傲慢であってもいいと思う。なぜならば、世界を変えるのは人の心の悩みではないからだ。どれほどつらくても、家にこもって、自意識の悩みに悩んでも、世界にとっては何の価値もない。
世界を変えるのは、才能によって成し遂げられるアウトプットだけだからだ。
この駿への評価が、上記の「ひきこもり論」の一つの答えになっていることをわかるでしょうか?。ようは、外に出れないと悩むのは、たしかにわかる。けれども、「外に出れない」不幸をばねに、村上春樹のような世界的な作家になっていく人もいれば、駿のように世界的なテニスプレイヤーになっていく人もいる。僕のことはあまりにも卑近すぎる例だが、実感がわかないのを叩き潰すために、全力でビジネスに打ち込む人もいる。
世界には、個人のナルシシズムの地獄は満ちている。
けれど、世界と個人は別物なんだ。
世界を豊饒にするための「何かの行動・行為」を、たとえどんなに苦しくても、その苦しみをバネに変えて世界を変えていくことをしなければ、そこに価値はない。たと不幸でも、それが出来る人がこの世の中にいる。そういう人が報われるべきだと僕は思うのだ。悩んでいるだけの奴には価値はない。
だから、僕は、たとえ自分の心が閉じてしまう不幸な業を背負っても、それをバネにエネルギーに変えていく姿にこそ感動する。
伊出くんも、ひなこも、ルゥイもみんな救われるだろう。明らかに彼は正のエネルギーを正に結びつける「正しい開放の道」を歩んでいる。けれども、みんなが、万人がみんなそんなキレイゴトな美しいビルドゥングスロマン(成長物語)を描けることはない。そのボロボロの心をさらに苦しみに変えながらも世界に行為をなす人もたくさんいるはずだ。最後まで自分が救われることなく、散っていった挑戦者たちもいるだろう。
けれど、やはり、僕は思う。この世界に意味ある行為をなせ!、とね。それ以外に価値があることはないのだ。自分の心が救われているかどうかなんて、二次問題なのだ。
駿を見て、僕はそんなことを思います。
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□そうはおっしゃいますが
駿のあれは孤独に耐えてるんじゃなくて孤独に逃げてるんじゃないだろうか。周りが誰も助けてくれなくて
逃げるしかなかった、てのは判るけどもさ。やはり家庭に問題を持つ天才プレーヤー留宇衣が、壊れずに済ん
だのは延っち並びに周辺の人々のおかげだし。
でも車イステニスで優勝した、と報告するひなこに対して、ふーん、だから何なの、てなあの態度。彼女の
想いも努力も喜びも見えていない。
て言うかお前、“尚田ひなこ”を知らないだろ。
知ろうとも思ってなかっただろ。
知る必要さえ感じてなかっただろ。
あれで彼女に捨てられなかったら、もう少女マンガじゃないしw
でも、まあそれほど心配はしなくてもいいと思う。だって羅川真里茂だしw
確かに今のままの駿が幸せになるのは、天変地異級の“何か”が必要だろうけど…
その奇跡を起こすのが少女マンガだぜ。天変地異つったって何も大震災やコロニー落しが必要なわけじゃな
い(当たり前w)。誰かとの出逢いや悟り、他人の目には些細な、しかし本人にとっては宇宙的規模の大事件
が描かれる筈だ、きっと。
ustet 2007-10-21 22:56:51
□初コメです
いつも楽しく拝見させて頂いてます。
駿君には、いつも手を差し出されているように感じます。ただ、本人がそれを拒んでいるだけで。。。差し出された手をとる方法を知らないのだと思います。それ故に、孤立してしまい大切なものをモノを見逃してしまっているような気がします。
私は、ルゥイと駿君はとても似ていると今回の話で思いました。ただ、「伊出」という存在が大きく二人を分
けたのだと思います。彼は、無意識に手を差し出し、相手が手を取るまで手を出し続ける。駿君のそばには、無意識でそういうことをしている人はいませんが、意識的にしているやさしい友人が2人もいます!周りの人があきらめる前に駿君がその手をつかめるといいですねそのきっかけがこのインターハイにあるのではないでしょうか?
新條 2007-10-23 16:13:25
□うーん…、
お久しぶりです。駿くんはほんと格好良いですね。
理解者になりうるかも知れない人物としてミレーユとナディアがとりあえず、思い浮かびはするのですが、で
も誰かに理解して貰ったり支えになって貰ったりということを許容する駿が想像つかないです。
立ち直る時はまず、一人で立ち直る気がするし…。
ちなみに“尚田ひなこ”を知らないだろ、というustetさんのコメントはもっともだと思いますが、私は車イステニスで優勝したとひなこが駿に報告するシーン、好きです(笑)
見ているものの違いがはっきりしていて。
もう少し余裕のあった以前の駿なら、もう少し違う言い方をしたのかもしれないし、余裕の無さからの言葉でもあるかもしれないけど、でも元々そういう事に価値を見出さないでしょうし理解はしないだろうなーって(笑)
saori 2007-10-22 01:12:55
□駿くんを不幸せにしてあげてほしい
駿が嫌いな理由がわかりました。同属嫌悪の共感と嫉妬だ。そういったところから来る倫理観で、喪失への倫理みたいなものを持っていると、素直に幸せにはなって欲しくないな。一度不幸になってから、幸せになるという姿がしっくりきます。不幸な状況から抜け出そうとあがく人間の姿は美しいですから。その時の駿が、本当に見てみたい。
s 2007-10-22 12:23:00
**********
コメント本当にありがとうございます。僕はこのマンガとてもっとても好きなので、こういうふうに話せると嬉しです。特に初コメントの新條さん、ありがとうございました。
※1:僕の人生観を明らかにする
あっ、ちなみに文章を書くのは、僕の一人ナルシシズムのである「自分分析」遊びなので、このブログのサブ目的に自己を把握するというのがあります(笑)。僕は行動が激しすぎるので、いつも自分がなぜそんなヤバい行動に走ったかを疑う癖があって、自己記述を・・・まぁ日記を小さい頃から書く癖があって、その目的は、自分自身とはどんな人なのか?を明らかにすることなんです。
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1 ■ネギと駿くんが被る(笑)。
みんな駿くん嫌いなんですかねえ……。俺はすきなんですけど。
読んだ当初は「うお、伊出くんが、ついに勝ったのか!!」とか思ったものの、テニスとひなこ位しか支えを持たない駿が、これから先本当に大丈夫なんだろうかと読んでて苦しくなりました。明暗くっきりですよね。伊出くんに負けて、ついに一挙に、それも両方とも失ったことになるわけで、ますます追い詰められていくことに……。今まででも十分すぎるくらい苦しいのに……。
まだまだ叩き落すあたり、いやまあ予定調和といえばそうですけど、容赦ないなーとか。
ちょっとだけ、今週のネギま!のネギと被るかなーとか思ったり。ネギも心の奥底はかなり暗いものがあるよなー、て。
>処方箋が、解放の方法が分かっていてさえ、人間は「その一歩」が踏み出せないものなんですよ。
そこに理由はない。
最近よく思うのは、「良い悪い」がわかっていても、それが直接の行動の理由にはなりえないって事で、頭じゃ分かっていても、現実的に動くのって、んな簡単じゃないんですよね。だいたい「良いか悪いか」とか「すべきか、せざるべきか」なんてちょっと頭が回るひとなら誰でもわかる。けど、そんなに簡単には行動には移せないですよ。
まあやらなきゃやられるだけなんで、そりゃあやりますけど。中国行ってそれよく思ったんで(笑)。
それでもホンットに追い詰められてやっとってのが多くて、弱いなー俺とか思います(苦笑)
>けれども、みんなが、万人がみんなそんなキレイゴトな美しいビルドゥングスロマン(成長物語)を描けることはない。
実際のところ、伊出くんのように真っ直ぐに成長できる人間なんて殆どいないんじゃなかろうかと思います。逆に駿君の苦悩のほうがかえって等身大的のようにさえ感じますよ。まあ流石にあそこまでの苦しみは滅多にないもんでしょうけど、苦しみつつ前に進む人間のほうが、圧倒的に多いでしょうし。