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評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★☆星3つ半)

『いちご100%』 河下水希著 その選択は正しかったのか?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10015943386.html

井汲景太さんという方から、上記の記事についてのウルトラ熱いメールをいただいたので、本人の許可を取って、ブログに転載させていただきました。いやこれだけ精読していただき、反応を相手いただくと、感無量です。いくつかの僕が「ほんとうにいたいこと」をちりばめた部分の引用もあるので、いやーうれしくなってしまいます。読んでもらえているのだなーと感心。ちなみに基本的に「東城派」の方なので、とても気持ちがいいです(笑)。僕的にも。あまり、酷評するとつかさちゃんがかわいそうな気はするけれども、、、、、確かにメタ的にみると僕もひどい話だとは思います(ぼく東城さん派だし・・・)けれども、つかさちゃんとをひとりの人間としてとらえると、まーそういうこともあるわなーとは思うので、あまりにメタ的に否定するのはかわいそうな気はしますが。メタの視点とは、読者がいてその物語の落ちや教訓を引き出すという視点であって、、、、そもそも根拠なく、他人を好きになるのは、人間としては普通の行動でうから。・・・ただまーこのロジックはわかるなーと思います。基本的に、下記の文章は僕としては同感です。

>(1)自分を応援してくれて、はげみになる彼女

ちなみにこの部分を西野に重ねる僕の論は、おかしいというのが、貴兄の意見ですよね?。精確に言うと(というか忘れているので思いだせる限り思い出すと)、この意見は、真中(=男性読者の感情移入ポイント)からみた物語全体の骨格であって、司ちゃん自体がこれに寸分たがわず当たるとは思いません。もともとは、そういう脚本設計があったのだが、途中で逸脱したと考えるべきだと僕は思っています。

なぜならば、この作品は、読者の人気や編集者の意図が、強く物語の流れをゆがめている感じがします(感覚的にそう感じる)。だから、西野のこういう姿は、どちらかというと読者が望んだ姿ではないか、と僕は思います。そして、たぶん作者自身が、西野的な人格に対して、深い知見がなくて、内面が書ききれなかったというのが本当のところでしょう。東城さんの内面の構築に比較すると、あまりに薄すぎるのは、ようはああいうタイプの人間の内面や行動原理が、わからなかったので物語上設計できずに、市場の要求で動かしたという感じです。

>口先だけのセリフ

つかさちゃんの応援について、井汲さんは言います。けれども、はっきりいってこれは考えすぎだと思います。かわいい女の子の存在は、「そこにいるだけで」、男の子にとっては生きる意味になってしまうものだと僕は思います(笑)。だから、ここに背後の「意味」を求めるのは過剰な要求のしすぎだと僕は思います。いやマジな意見ですよ。女の子の存在は、男にとっているだけででいいのです(笑)。もう、そばにいてくれるだけで…いや下手すると、生きていてくれるだけでよかったりましますです。でもまーこれは、貴兄の「ほんとうにいいたいことの」の曲解ですけれどもね。ただ、僕は現実的には、男と女がくっつく90%は、動物的理由で、内面の理解が伴わないと思っているので、まーそんなもんじゃない?とは思ってしまうのです。

>ここで致命的とも言えるのは、真中がなぜ落ち込んでいたのかちゃんと知った上での励ましではなかったという点ですね。

この意見は、正しい。。。。が、個人的には、この意見は、神の視点から見た透徹すぎるきつい意見だと僕は感じます。それは、神の視点(物語の全体的視点)からメタ的に批判すれば、これはまぎれもなく正当な意見です。でも、では、僕はなどは、、、もし自分が高校生の女の子であったとして、そこまでできるだろうか?って感じます。それやー無理ですよ。東城の内的な真摯さが、とてつもないほんものの愛情なんであって、いやーふつーできないよこんなの。しかも、真中という相手の男自身も、「そもそも西野の内面に切り込んでいない」のだから、ここで告発すべきは、つかさんちゃんではなく、真中だと思います。そんなのたいてい男が悪いんです!(笑)。というか喧嘩両成敗ですよね。だから、、、ぼくは、真中にとって本物の関係は、東城でって、そもそもつかさちゃんではないと思うのです。それは、うわべだけの関係だから。

貴兄の西野への評価は、僕は、ほぼ100%正しいと思います。見事な解釈です。ただ、、、上記にも書きましたが、物語としては意味のない批判かもしれませんが、そもそも真中のあのヘタレぶり、中身のなさ、優柔不断こそ本当は告発されてしかるべきな気がするんですよね。永遠のナルシシズム的少年漫画としては、基本を外すのでできなかったのかもしれませんが。だって、つかさちゃんを非難するのならば、それを容認させてしかも選択してしまった真中こそ、最低だもん。

そう考えると、始めに引用したような「(1)と(2)の対立」というテーマでこのマンガの構造を読み解くことは適切ではない、というのが私の見解です。

最終的には、その通りで僕も同意します。本質的な意味では、(1)も(2)も東城さんがすべてになっているからであり、また同時に、東城さんにとっても真中の存在が応援であり、理解者なんですよね。ワンウェイではない。だからこれは、本物に見えるのでしょうね。

>再登場以降の西野って、まさしくその「すげー男にとって都合のいい癒しキャラ」そのものになっていないでしょうか。

この辺は難しい。僕は、それでも全編にわたって、「都合がいいだけ」にまでは感じないんですよね。ここは論拠がないし、理由もないく感覚なんですが・・・・・。なぜだろうなぁ。理論的な枠組みでは、貴兄のおっしゃる通りです。うーん、、、この辺は感覚なんで、何とも言えません。

にもかかわらず、西野は完全な外的要因によって真中が「選んでくれた」おかげで真中を「手中にできた」わけです。これって、西野に対してひどい侮辱じゃありませんか?

ああ…痛い。。。これは、そうだその通りだ。あまり僕も見たくなかったかもしれないが、再登場後の扱いは、明らかにナルシシズムの幻想だ。

petronius さんがそうやって西野にも高評価を与えようとするのは、「東西どちらにも偏らず、なるべくいい所を見てやりたい、拾ってやりたい」という「誠実さ」の現れだと思います。

うう・・・・痛い(笑)。優柔不断で、結論を出さない性格を指摘されてしまった(笑)。いやーこの指摘は、、、はっきり否定しろ、というのは、納得しました。まぁもともと東城さんが以外は、ウソに見えた!と記事で書いているわけですから、本当は一刀両断すべきだったのかもしれませんね。うーむ、、、、基本的に反論できません。感情論で、もう少し西野に優しくても…と思うが、それはたしかに不誠実ですねぇ。あまりにひどいんだもん。。。

閑話休題


ちなみにこの作品は、正直そこまでのレベルでは・・・とは思うのだけれども、とても熱く熱く感情移入している方が多いですね。そういう意味では、リアルタイムに追えば、そういった感情移入をとても強く感じさせてくれる作品だったのでしょう。物事には出会いがあります。また読み方もあります。どんなタイミングいで、どう出会うかは、人それぞれ。その作品の抽象的な価値や脚本の骨組み解析だけで、ある人の中に生まれた「感動」や心の刺激については、語ることができません。僕が継続的にハマって追っているネギまだとて、そこまでの名作かといわれると、やはりNoです。しかし、それがすなわち、その作品との「出会い」や深く愛した時間の否定にはならないはずだと思います。何事にも時があるのです。

ちなみに、全文引用しますが、とてもまえがきやあとがきの丁寧な文章は、非常にうれしいです。いやーこれほど書くとは、思い入れがあるんだなーと、うれしくなっちゃいます。ちなみに強調や文字の色はすべて管理人の独断と偏見です。

僕は何かに対して深く思い入れる行為は、とても好きです。ちょっとつかさちゃんに厳しく過ぎるなーと(感情論)思うのですが、それもこの世界が、とても好きだからななんですよね。そういう「思い入れ」の過剰なコミットは、僕も同じ人種なので、とても気持ち良く読ませていただきました。また、僕のブログのような印象とは違い、ちゃんと論拠の引用とすっきりした論理構築は、いや読み応え有りました。読み込んでいるあーと感心です。作者もこれだけ深くコミットされれば感無量でしょうね。ちなみに物語のテクスト分析としては、とっても詳細で丁寧で、いやーいいシゴトだなーと感心しました。

ちなみに、もしどなたか、つかさちゃん派のご意見があれば、ぜひプリーズです(笑)。


以下全文引用です***********************


はじめまして。petronius さんが「いちご100%」について書かれた


http://ameblo.jp/petronius/entry-10015943386.html


にちょっとした感慨を受けましたので、思ったことを徒然なるままに書いてみようと思います。なお、当方は大の東城派であり、西野さんは基本的にどうでもいい(笑)、というスタンスの人間なので、そういう観点からの文章となっております。あらかじめご了解ください。


また、しばらく前より、拙サイト


■ いちご100%

[1]

petronius さんの仰る


> 僕は読んでいて、西野つかさちゃんの内面が、よくわからなかった。少なくとも、東城と真中のような魂の部分での共有がないので、彼女が真中を好きになる理由が一貫してわからなかった。動機がわからないのだ。


というのは私もまったく同感で、このマンガが読者を裏切った部分の中でも、一番タチの悪い最低最悪のポイントだと思っています。「なぜ、西野は『そんなにも』真中が好きなのか?」がさっぱりわかりないんですよね。おかげで、西野には「背負った物語」というものがまったくありません。


東城から真中を奪っていくなら、それにふさわしい物語上の資格(どうしても真中じゃなきゃダメ、という、東城に匹敵する切実な理由)を、耳を揃えて出せ、というのがまず何よりも不満な点です。こちらとしては、散々「おあずけ」を喰らった挙句、結局「ツケ」を踏み倒されたわけですから、そういう借金取りのような心情になります。


これが、もし西野が当初からメインヒロインだったなら、そんなことは言いませんなぜ「そんなにも」好きなのかさっぱりわからなくても、「とにかくどうしようもなく好きなんだ」で押し切ったって全然構わないです。ラムがあたるのどこが「そんなにも」好きなのか、なんてことや、音無響子が五代裕作をなぜ「そんなにも」好きなのか、なんてことはどーーーでもよいわけで。


だけどサブヒロインの立場から本命ヒロインの座に就くというのに、その資格もなしにメインヒロインを差し置いて涙を呑ませるというのは、読者として腹に据えかねます。最後西野とくっついて終わるんだったら、途中で離れることに何の意味もなくて、いちばん初期の段階で「勘違いで告白してOKもらいました、そのままつき合ってめでたしめでたし」で終われば済んじゃうわけですから、東城はさんざん待たされた挙句バカを見ただけで、こんなにふざけた話はない。


そしてこのマンガをより一層タチの悪い話にしているのが、「西野の側から、一旦は振った」という事情です。この手の、「男にとって余りに都合のよすぎるハーレムもの」というのは「だってこの娘たちはこの男が好きで『自主的に』尽くしてるんだよ」ということを「理由もなくモテモテ」ということの言い訳にするのが定番です。そんなのは、真面目に考えればもちろんウソなんですが、一応「作中の事情としてはウソじゃない」という一点で強引に押し切って免罪符にするわけです。だけど、西野については途中でその免罪符は破棄されてるんですよね。


最初の別れのときは、「真中が自分より東城の方が好き、という事態に、西野は耐えられなかった」という事情で、「西野の方から真中を振る」という展開になっています。「それでも、好き」という気持ちだけではもう西野の側がやって行けなくなった、という流れです。「耐えられなかった」のは西野の側で、「西野が」イニシアチブをとってあの別れに至っています。


そうやって「自分から主体的に真中と縁を切った」以上、「それでも、好き」などというのは、作中の事情としてさえあからさまなウソであって、もはや上述の欺瞞に満ちた言い訳さえ通用しなくなっています。


ここでは、西野の側に未練があるような描写にはなっていません。西野は真中に吹っ切れて、もうクヨクヨしないで前向きに生きていく、という決意がはっきりと描かれています(また、バレンタインデーの後再会したときも、ホワイトデーのお返しのリクエストを尋ねる真中に「あたしがあげたってことも気付かなかったら気付かないままでいいやって思ってた」と、真中との経験を糧にして、一回り大きくなった姿として描かれており、別に真中への想いが再燃したわけではない、という態度でした)。


このように「余りにもひどい扱いに傷つき、自分から愛想を尽かした。もう未練も残さず吹っ切った」以上、再び西野が真中争奪戦に加わるなら、物語上「なぜ、『改めて』真中が『そんなにも』好きになったのか?」という強固な理由は*絶対に*必要不可欠です。だけど、なかったんですよね。それは。おかげで、西野が真中に執着する理由としては、「引き延ばしのためのあからさまな『話の都合』以上のものは最後までないままバックレられてしまった」という形になっているわけで、ちょっと信じられないくらいデタラメな作りのマンガです。


再登場以降の西野の真中への態度って、「手に入らないおもちゃを欲しがる子供」みたいなもんなんですよね。「なぜ、『あんなにも』ひどい目にあった相手を、『わざわざ好き好んで』追っかけるのか?」が全然わからないから、いくら一生懸命でも、読者としてはそういう風に思っちゃう。


ちなみに、


> 心がその人の前で裸になれたり、小さな勇気をもらえたり、なぜかわからないけどドキドキしたり、一緒にいるだけで癒されたり・・・・

と仰る部分については、東城についてはよく描けていたと思います。

だけど、西野は直接的内面描写が非常に少なく(

http://ikumi.que.jp/ichigo/nishino.html#personality に書きました)、それっぽい場面があるにはあったものの、「なんかドキドキしてるらしいけど、どうして真中なんかにそんな想いを感じるんだろう?」という所がさっぱりで、極めて嘘臭い描写にしかなっていません。 http://ikumi.que.jp/ichigo/  よりリンクしております。もし不本意な記述などありましたら遠慮なく仰ってください。以下の論も、基本的にはそこでコメントしたことを詳述したものとなっています。 


[2]
一方、テーマ分析のメインに据えていらっしゃる


> この作品の根本のテーマは、
>
> (1)自分を応援してくれて、はげみになる彼女
>
> (2)自分と同じ志を共有できる人
>
> どっちが、恋人として相応しいか?という問いが背後にあるような気がします。


という読み解き方は、私としては大いに疑問です。


petronius さん自身も「それぞれの立場が微妙に入れ替わるので、必ずしもすっ
きり理論的に割り切れません」と仰っていますが、まず西野が真中を応援し、励
みになってくれたかというとそういう要素は乏しいです。


・西野は観覧車の中で「あたしも淳平くんの夢応援するね」と言うのですが、それは具体的行動にほとんど結びついておらず、口先だけのセリフになっています。主として自分の願望に従って行動することが多く、真中を支える・応援すると言えるのは、次項を除くと高3の海デートと、学園祭直前に弁当持って泉坂まで来た所くらいしか思い当たりません。


・最もその要素が濃い場面は真中の再交際受諾直前ですが、一般論に即して述べた励ましが、たまたま勘違いで必要以上に落ち込んでいた真中のハートに、当てずっぽう気味に都合いい申し出としてヒットしたに過ぎません。ここで致命的とも言えるのは、真中がなぜ落ち込んでいたのかちゃんと知った上での励ましではなかったという点ですね。結局真中の映画を見ることなく高3学園祭から逃げ出したことに象徴的に表れているように、西野は最後まで東城へのコンプレックスが克服できず、それに心が囚われてしまうと、「真中への応援」よりも優先されてしまうキャラです。


・そして、ベッドインの後は、私が

http://ikumi.que.jp/ichigo/nishino.html#passive_attitide_toward_manaka

で述べているように、「応援」どころかむしろ「突き放す」ないし「興味が薄い」描写がついて回ります。


このように、「真中を支える」ことは、西野というキャラにとっては2の次、3の次の要素でしかありません。「甘えていいよ」のときに真中に刹那の感情の昂ぶりをもたらしたことを以て「応援し、励みになった」とは言い難いです。少なくとも「物語のダイナミズムの大きな部分は、ここにある」と仰るほどまでに、西野のポジションを(1)に置くまでの必然性は、私には感じられません。


さらにそれだけに留まらず、「応援した、励みになった」ということにかけては、むしろそちらの役目さえ東城の方が手厚く担っているという話になっています。代表的なものを挙げると、


・ 高2で東城が文芸誌で受賞して、真中が謂れのない妬みに囚われたときに励
まし・慰めの言葉を掛けたこと


・ 角倉に否定された真中に(はっきり振られた後まで献身的に)協力し、前向
きな批評で励まし、支えたこと


http://ikumi.que.jp/ichigo/toujou.html#she_is_the_one_who_really_supports_him_and_his_dream
にて詳述)


がありますが、いずれも、真中が落ち込んでる事情をちゃんと知った上でのことで、真中に本当に必要なものを的確に与えているのが東城です。


このように、(1)の役割さえ東城の方が質/量ともに大きく、おまけに西野は(2)の要素は事実上ゼロ、ということを考えると、「西野が主として(1)で、東城が主として(2)」という対比のさせ方には無理があるのではないでしょうか。その他の要素も含めて、終盤では西野の描写は割とおざなりで、東城の方に圧倒的に描写が割かれています(詳しく述べると長くなるので省略しますが)。そう考えると、始めに引用したような「(1)と(2)の対立」というテーマでこのマンガの構造を読み解くことは適切ではない、というのが私の見解です。


[3]

コメント部で


> この作者が女性でなくて、女性を男性的視点のモノとして書いていたら、たぶんつかさちゃんって、すげー男にとって都合のいい癒しキャラになったと思う。


と仰っていましたが、再登場以降の西野って、まさしくその「すげー男にとって都合のいい癒しキャラ」そのものになっていないでしょうか。


[1]で述べたように、真中は「本当に好きなのは東城なのに、そのことを西野にはっきりと言いもしないまま西野を彼女ということにしていた」という「ものすごいひどい仕打ち」を西野に続け、その報いとして振られました。そのような「西野という1個の人格そのものを蔑ろに扱うような不誠実極まりない振るまい」をしたにも関わらず、それにふさわしいだけの真摯な償いもしないまま、「なぜか」再び西野に興味を持たれ、「理由もなく」ぞっこんになった西野にひたすら尽くされます。


この再登場以降の西野は、男の側から踏み込まなくても、向こうから勝手に迫ってきてくれる(店の裏に呼び出して抱きついてくるとか、夜の保健室でベッドインする気満々、とか、真中のベッドで無防備に眠り込む、とか、2人きりの旅先で夜中に布団にもぐり込んでくるとか)、ものすごくあざといキャラになっています。実際、見て回ったところ、そういう部分こそがファンには非常に強く支持されているようですが。

なので、


> つかさちゃんが本気で好きなら、彼女という他者を深く理解しないと、ようは彼女という空洞の記号を、自己の欲望のためにパーツで使っている「だけ」になります。


という指摘には、非常に共感しました。そして実際、男にとっては、相手の気持ちを伺う必要がない、非常にありがたい相手として扱われています。相手を人格的に認めた「エネルギーを使う付き合い」をする必要もなく、どんなにひどい扱いをしようとも、「拒絶されるリスク」をまったく負わなくて済むなんて!西野って、もともとこういうキャラじゃありませんでした。初デートのエレベーターの中では「雰囲気に流されないで」と真中にしっかり釘を刺し、高1の誕生日にも「今はこれが淳平くんに望んでいい精一杯だから」と握手以上の肉体的接触を求めない、節度のあるキャラだったのです。


それが、再登場以降は上述のような「人格というものが備わってなくて、読者の即物的欲求に奉仕するために必要な機能以外を与えられていない、操り人形めいたキャラ」になってしまっているわけです。再登場以前の西野で特に秀逸なところは、敢えて別の高校に進学しようとする所です。このときの西野は「真中の気持ちが自分ではなく東城にある」ことを察しながらも、それを面と向かって責めたりせず、それでも前向きに真中との仲を育もうとしているキャラで、とても魅力的です(「何でそんなにも真中が好きなのかわからない」ことは相変わらずですが)。この「敢えて距離を置くことで、関係を再構築しよう」という所は「男が何もしなくても、向こうから勝手に迫って来てくれる」ようなタイプとは一線を画していて、男の願望に安直に迎合したキャラにはすまい、という、作者側の意図がはっきり感じられます。ある意味、再登場以前と再登場以降の西野は、別人と言っていいでしょう。


[4]
終盤の西野には、それまでと違って、はっきりとした欠点が際だって多く見られます。例えば「自分は何もしないのに、至れり尽くせりのお膳立てに恵まれたおかげておいしい結果だけを得た(特に、東城が勇気を振りしぼって行動した「本気告白」や「雪の日の別れ」が、ことごとく西野・真中のカップルの重大な問題点を「偶然にも」解決するダシに使われている辺り)」がそうです。詳しくは



に書きました(お恥ずかしいことに、怒りに任せて書き殴ったので、かなり見苦しい文章となっております。あらかじめご容赦を乞います)が、ここではそのうち「どうせ東城には敵わない」で思考停止して、諦め切っていたという点をクローズアップします。


東城にとって克服しなければならなかった命題が「好きだと言うこと」だった
ことは明らかですが、西野にとって克服しなければならなかったのは


で、その克服は結局最後まで果たされませんでした。学園祭の前後から一貫してそうでしたが、とうとう最後に至っても、あの雪の日、真中宅前で表れた東城に、西野は尻尾を巻いて逃げることしかできず、その後のカラオケボックスでも、詳しい話を聞きもしないうちから「覚悟はできてたんだ」と、あっさりと真中を手放そうとする始末です。にもかかわらず、西野は完全な外的要因によって真中が「選んでくれた」おかげで真中を「手中にできた」わけです。これって、西野に対してひどい侮辱じゃありませんか?


petronius さんが別作品について


vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv



あのね、よく勝気は寂しさの裏返し、という王道パターンがあるけど、僕は好きではないです。というのは、「勝気で頑張って前向きに努力する姿」ってのは、やっている人は、実は好きでやっているので、他人に依存したくないし、その努力にプライドを持っているんです。だからその姿勢が本気であればあるほどに、頑張る自分が好きで、頑張る自分を他者(=男)に甘えることによって逃げ出したいなんて全然思っていないんです。凡百の少女マンガは、ここが描けない。全部、天才のすごい男性が、助けてくれたり、シンデレラのように、「ここではないどこか」に連れて行ってくれるのを期待していて、それで全部OKなんです。


でも、そうじゃないでしょう!。ちゃんとした女の子(もしくは男の子)ならば、自分を成長させたい、とも思っているんです。助けてもらうことは、かっこ悪いし、許せないはずなんです。この自分自身で自立して成長していこうという強い意志と、恋というものの両立に悩む部分が、かわいいんです!。男(つまり異性ね)に、何とかしてもらおうなんてヤツは、一生かかっても幸せになれねーよ!。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
と仰っていることに私はすごく共感するんですが、この後半の段落で仰っていることは、そのまますべて終盤の西野が受けるにふさわしいセリフだと思います。西野は「克服すべきこと」を自分ではとうとう克服せず、他力本願で結果だけ得ただけに過ぎず、こんなの「おミソ扱い」以外の何物でもありません(一方、前半の段落で仰っていることは、[3]で触れた「別の高校を選択した西野」にはピッタリ当てはまっていると思います。だから、そのときの西野は好きになれます。繰り返しになりますが)。


しかも、その真中の選択というのも、東城に対する誤解があった最中、 落ち込んでる自分に優しく手を差し伸べてくれたからって「手近なところで手を打っておこう。相手はいいって言ってくれてるんだし、こんなおいしい話はない」という打算が、少なくとも無意識のうちには働いたとしか思えない状況で成されたものが、最終的にほとんど消去法同然に残ったに過ぎないわけで。西野は、自分を自分として認めてもらって、選んでもらえたわけではない。http://ameblo.jp/petronius/entry-10036858991.html より 戦わずして「真中の中の東城」に負けてしまう自分自身です。終盤での西野は、いつでも東城の存在を言い訳にして、戦わない理由を作って勝手に落ち込んでいるだけでした。http://ikumi.que.jp/ichigo/nishino.html#nishino_laststage


そして真中を「獲得」するための西野自身の努力があったかと言うと、そんなものは懸垂返し以降は全く姿を消し、そればかりか[2]で触れた通りむしろ「突き放す」ないし「興味が薄い」という有様です。


この結末は西野が持っていた優れた点がことごとく台無しにされて、「西野と真中がくっつくこと」を熱望する読者のために、西野が真中を「あてがわれた」だけに過ぎません。まるで、家畜が繁殖のためにつがわされるかのように。


[5]
[3][4]を踏まえて再び[2]に言及しますが、いろいろな事情で再登場前と比べて見る影もなくなってしまった「再登場後の西野」を、東城と対比させられるかのごとく過大評価するのは、再登場前の西野に対する侮辱と言えるのではないでしょうか。petronius さんがそうやって西野にも高評価を与えようとするのは、「東西どちらにも偏らず、なるべくいい所を見てやりたい、拾ってやりたい」という「誠実さ」の現れだと思います。そういう優しさをお持ちであることそのものは非常に素晴らしいと私は思います。しかしその優しさは、ここでは結果として西野に対する「おべっか」になってしまっている面がないでしょうか。


再登場後の西野には、以前と比べて遥かに見すぼらしくなってしまった姿を直視して、その姿にふさわしい評価を与えてやることこそが、西野に対する本当の誠実さなんじゃないかとも思うのです。


そういうわけで、このマンガについては、もっとはっきりと否定されてもいいんじゃないでしょうか。

http://ameblo.jp/petronius/entry-10035103931.html

で仰るような「あるべきすがた」から言えば、本来どういう結末がふさわしかったか、は明らかすぎるほどに明らかだったわけですし。



[6]
余談です。


> ひっじょーに男に都合がいい、よくある学園ものなんですが、「永遠の時間」的な男の論理で完結する感じがほとんどしない不思議な作品


これについては、連載が大体実時間と一致して並行して時間が進んでいたことが理由のひとつだったんだと思います。高3の合宿の話から突然進行が遅くなって、実時間と完全に乖離してしまうのですが、それまでははっきりと意識的に「連載内時間」と「実時間」が一致するように連載が進んでいました。

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