『リヴィエラを撃て』高村薫著② ハードボイルド小説の心象風景とディティールの描写
テーマ:書評 小説(日本)
『リヴィエラを撃て』 高村薫著 素晴らしい人間ドラマでした。①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10038652502.html
1993年度の日本推理作家協会賞、並びに日本冒険小説協会大賞を受賞した作品です。この壮大さは、本当に素晴らしい。読んでよかった。初めての高村作品体験でしたが、素晴らしかった。つなさん ありがとう。
はじまりはこれ、だと思う。リトルダンサーのコメントで、イギリスの描写が似ているとの発言がきっかけだった。
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DVD「リトル・ダンサー」
http://ameblo.jp/tsuna11/entry-10003812984.html
日常&読んだ本log
■>ペトロニウスさん
>イギリスの炭鉱文学
うーん、読んだことないなぁ。
お兄さんは自分の未来がないのに、「ビリーはまだ小さな子どもなんだ」って言って、守ろうとするでしょう(勿論、その時はビリーの将来も、自分と同じようなものだから、せめて子どもの内は、心配なく楽しく暮らさせてやりたい、という思いなのだろうけど)。あれ、すごいなーと思いました。最初はあんなに弟思いだなんて、思わなかった。送り出す時には、淋しいけれど、喜んで送り出しているわけだし。
イギリスの閉塞感というか、退廃的な雰囲気は、高村薫の「リヴィエラを撃て」なんかでも、感じられます。ベルファストで育ったテロリストだの、元MI6の侯爵なんかが出てきて、まぁ、これを完璧に理解できたとは言い難いのですが。「リヴィエラ~」の男たちも、結構かっこいいです。
つな 2005-08-27 23:32:20
■やはり高村薫ですね
うーん(笑)やっぱ読んだ方がいいかなぁ。つなさんい影響を与えるということは、たぶんかなり本物のような気が・・・(笑)。
ペトロニウス 2005-08-27 23:44:18
■>ペトロニウスさん
いやー、本読みの勘は(しかも、ペトロニウスさんの勘だからなー)、バカにならないので、不安なのですが。どうだろう。
私は結構、ギリギリの線を踏んでる自覚もあるのでね。笑
「リヴィエラ~」は、国際的陰謀の話なのですね。で、CIAだのIRAテロリストだの、まぁ色々出てくるわけですよ。で、私は肝心の「国際的陰謀」をきちんと理解したとは言い難い。実はペトロニウスさんに、その辺りを分析して欲しいなぁ、という欲もあります。笑 でも、これに出てくる男たちは、かっこいいと思いますよ。お忙しそうだからなぁ。高村薫テイストを伝えるために、記事を書きたいのですが、どうもまとまらないのです。私の頭の中でも、混沌としているみたい。もし読んで駄目だったら、「ここが駄目だった」って教えてくださいね。笑
つな 2005-08-28 00:07:03
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■つなさんありがとう!~インテリジェントオフィサーを知っていたので、ウォって感じ!
つなさん に、紹介されてから、はや2年近く(苦笑)。やっと読めました。あの、すすめられた本は、僕は絶対に忘れません、その人のことが好きであればある程。ただタイミングとかあるじゃないですか?。僕はよかったと思います、この時期まで待って。というのは、この記事でも書いたのだけれども、これは、佐藤優氏の著作を読んでからでないと、その深さは理解しがたかったと思うからです。
『リヴィエラを撃て』 高村薫著 素晴らしい人間ドラマでした。
http://ameblo.jp/petronius/entry-10038652502.html
佐藤優氏の著作を読んで、以前こう書いた。
>おもしろいだけでなく、この本によって、僕は読書体験を、より深くする契機を持った。それは、この本の体験によって、スパイの見方が変わったことだ。
これまで、刑事ものやスパイものの物語や映画や伝説を聞くにつけ、どうも不思議に思っていることがあって、それは、こんな『ミッションインポッシブル』や『007シリーズ』などの華々しい活動はあまりに、空想的で、「らしくない」とは思うのだけれども、それ以外のイメージがないので、いったいスパイというのは、具体的に、実際的にどういうことをしている人か?ということがよくわからなかったのだ。ところが、この『自壊の帝国』というあるチェコ語の勉強をしたかったという同志社の神学部出身の学究肌の青年が、ノンキャリア外交官となり、優秀な情報分析官として成長していくビルドゥングスロマンを物語として読むうちに、なぜある人が、スパイとなっていくのか?、スパイという人種が、どういう育ちや生まれを動機を持っている生き物か、ということがよく理解できるようになったのだ。これではじめて、インテリジェンス(=諜報活動)
の意味が、よくわかるようになった。わかるというのは、具体性と実感を持って理解できる気がしている、ということだ。
この本で語られるインテリジェンスオフィサーというものを、実感していないと、そもそもこの第一級のエスピオナージ・ロマンの本質をよく理解できないであろう。
>「手島さん個人の心にまで立ち入るつもりはありませんが、同じ職員として、松野や倉田の顔を思い出すと、私は憤りで眠れません」
「彼らは、もっと上にある圧力の下で動いているだけだよ。彼らはただの歯車の一つだ。そしてその歯車に、僕は上手く噛み合うことが出来なかった……。今ははっきり言えるが、仮に僕の血が全部日本人であったとしても、きっと僕はこんな人間だったのだろう。公務員の質は国家が評価する。僕は多分、職業選択の道を誤った。だが、僕は僕にしか出来ない形で、出来る限りのことをしてきたつもりだから、それはいいんだ」
(下P365~366)
>「国家が評価する公務員の質とは、何ですか。その国家が、国民の良識を欺くような不正と非道に加担しているんです。松野や倉田が歯車なら、私たちや一般国民は何なんですか。歯車に潰される虫けらですか」
「僕は虫けらでいい。神の前では一緒だ。僕は思うんだが、何が不正で、何が正義かを、誰が知っているんだろう。」
(下P366)
これらのセリフなどは、まさに、佐藤優氏の『自壊の帝国』や『国家の罠』を読むとぐっとくるはずだ。というか、あまりに印象が重なって、同じ世界にいる人間の匂いを感じる。
- まずは、その前に高村薫のテクニカルな部分を分析してみよう。
■ハードボイルド小説の心象と関連にある乾いたディティールの詳細描写
つなさんのいう
①「イギリスの閉塞感というか、退廃的な雰囲気」
や
②アイルランドの美しく鮮烈な景色
や、、、そもそも、高村薫さんの持つ、強い
③「ハードボイルド的な人間像」
だけで、十分読ませてしまうパワーがあるので、そのエネルギーだけでぐいぐい読まされてしまうはず。けれども、「それ」だけでは、所詮、この作品の意匠・衣装にすぎない。言い換えると本質を描くためのカバーの部分にすぎない。ただし、このカバーだけで十分すぎるほど重厚なパワーを強くを持つこと、、、そして、この描かれる本質が非常にわかりにくいものであることから、そこが評価されることも少なくないのではないかと思った。
>彼女の小説の醍醐味はプロットの骨太さ、ディティ-ルへの徹底したこだわり、人物描写の的確さと深さ、それらを土台としたストーリーの荒唐無稽さと展開の面白さ、そして必ず通奏低音として一貫して流れているテーマにあると思う。このような描写を嫌う読者もいるかもしれない。例えば「黄金を抱いて翔べ」では関西電力の変電所の様子が延々と続く部分がある。
あるいは「神の火」の原子力発電所に関する描写もしかりだ。はたまたロンドンや北アイルランドの首都ベスファルトの描写なども、驚くべき筆力で語られる。これらは、おそらく多くの読者には全く馴染みのないものだろう。専門用語やローカルな地名が容赦なくちりばめられた文章は、読みにくく本筋には関係ない、偏執的なこだわりであるとする感想もあるかもしれない。しかし、このような描写に支えられて高村氏の小説の特質とリアリティが生まれていると私は感じている。
http://clala.lolipop.jp/book/bk2003jun18.htm
高村薫:リヴィエラを撃て(文庫版)/Clala-Flalaさんより引用
これは僕も同感。特徴であり魅力でもあるが、ともすれば嫌われる一番の理由にもなりやすい。実際には、疲れて体調の悪い時期に朝と帰りの通勤時間で読んでいた僕は、素晴らしいと感じつつも、入り込むのがつらかった。それは、こういったディ
ティールへのこだわりは、ともすれば物語のダイナミズムを奪っていまいやすく、読み込むのが難しいからだ。それは、たとえば、素晴らしいアイルランドの風景の執拗な描写なのだが・・・・これを、強いイメージ喚起力で、自分の頭の中で再構成するような読み方をする人であるとか、アイルランドに行ったことがある人が既視感を利用しながら風景をイメージ化するなどの・・・どういえばいいのかなー。。。。強いイメージ喚起力がない人には逆に読めないと思うのだ。そういう技術がない人には、この執拗な出ティール描写は読み飛ばしてしまうだろう。
ハードボイルドというのは、
>ハードボイルド (hardboiled) とは、元来は「堅ゆで卵」(白身、黄身の両方ともしっかり凝固するまで茹でた鶏卵)のこと。転じて、感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情な、(精神的・肉体的に)強靭な、妥協しない、などの人間の性格を表す言葉となる。文芸用語としては、反道徳的・暴力的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいい、アーネスト・ヘミングウェイの作風などを指す。また、ミステリの分野のうち、従来の思索型の探偵に対して、行動的でハードボイルドな性格の探偵を登場させ、そういった探偵役の行動を描くことを主眼とした作風を表す用語として定着した。
ハードボイルド (hardboiled)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89
「客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体」としているが、これを逆に云うならば「主観的で冗長な描写で記述」ということになるだろう。何か思い出しません?。さらに、上で書いたディティールの詳細で執拗な描写を内的世界で再構成するイメージ喚起力が必要とかくと・・・・これは、ライトノベルの対置になってしまうのがわかると思います。
いや必ずしもハードボイルド小説が、いまどきのライトノベルのアンチテーゼとは思いません。けれども、ハードボイルドの客観的で主観を交えない描写というのは、逆に云うと、主観メインの描写で客観的な風景描写をほとんどしないスカスカの文章であるライトノベルとまったく真逆であるということがわかります。僕は、、、この辺の描写方法を、「モノそのもののリアルさ」の次元による強度と呼んでいます。主観を排したモノそのものの次元の描写という意味ですが、それはたとえば、新海誠さんへの僕の評などや、クレイアニメのヤン・シュヴァンクマイエルなどをイメージしていますが、主観による感情移入を拒否するモノそのものの次元の演出という意味です。全ての物語の構成要素は、実はこの断片から出来ており、この組み合わせや、物質的なリアルによる感情の喚起が、物語を織りなしていると考えています。物語を分解した最低要素が、これになると僕は思っています。
『雲のむこう、約束の場所』/『ほしのこえ』新海誠監督
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001626726.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1
けれども、主観を交えない硬質な情景の執拗な描写が、現代の読者に非常に暴力的でわかりにくいものであることはわかると思います。もちろん、高村薫の小説は、骨太の深い世界観を設定した上で、その世界に広がりと深さを添えるためにこういう執拗な描写があるわけで、全体としての完成度は高い。が、、、少なくとも、かなり小説読むのに慣れた人でないと、なかなか入り込めないかもしれない。
って、それは長くなるので、また今度の説明にしましょう。
そもそもライトノベルは、確実に、その世界を読み込むためのシンボルとして「挿絵」が大抵必要とされています。これは、本来ならば文字だけで誘い込むべき「文字による物語空間」に、「媒介としての絵」を仲介に必要としているということにほかなりませんから。これは文字文化と視覚文化の仲介という現代的な現象なのでしょう。この作法では、たとえばこの高村薫さんの執拗なディティール描写の果てに浮かび上がってくる切ないまでのアイルランドの寂しげな風景などは、心に投影されないでしょう。つまりは、小説読みとしての修練が必要な作品といえるでしょう。
ちなみに、評論家の中島梓やコリンウィルソンが主張するように、そもそも文字文化と視覚文化では、内的志向メディアとしての深さは、圧倒的に文字文化であり、内面の深さを必要として、読み込むほどに内的世界を深く深掘りしてくれるのは、文字文化・・・ようは、文学や小説であることには間違いがあるまいと思います。文字は、視覚と違って、イメージを常に文字を通して解釈しながら再構成・再現しなければなりませんから、一方的にイメージを投影される視覚文化とは全く質が違うメディアであるといえるでしょう。
さて話がそれたが、高村薫さんの魅力に戻ろう。
>他の小説でもそうだが、高村氏の小説のストーリーを思い出してもらいたい。ひとことで言ってしまえば銀行強盗の話であったり、原発テロとスパイの末路の話しであったりと、ほとんど実生活からかけ離れた破天荒な話しの連続である。そこに質感やリアリティーを持たせているのは、作品世界を取り巻く背景の緻密な組立てであったり、徹底した細部描写であったりすると思う。
http://clala.lolipop.jp/book/bk2003jun18.htm
高村薫:リヴィエラを撃て(文庫版)/Clala-Flala
高村薫のディティールの描写のこだわりが、作品全体の「破天荒な物語」に強いリアリティーを与えている構造になっているという意見は僕も同感。ただし、これは、この硬質な主観をあまりにじませない乾いた描写が延々と続くことによって、自らの心にその風景を思い描ける再現力のある小説に慣れた読者でないと、読みにくいといった批判があるという可能性も忘れてはならないと思う。
その③につづく
■参考記事
『24-TWENTY FOUR- シーズン2』/『自壊の帝国』 佐藤優② 情報分析官とは?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10025525025.html
『24-TWENTY FOUR- シーズン2』 ~PM25:00 リーダーの決断①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10023407645.html
『国家の罠~外務省のラスプーチンと呼ばれて』国事に奔走する充実感①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10020654061.html
『自壊する帝国』 佐藤優著 ユーラシアと東欧を通して世界の文脈を見る①
http://ameblo.jp/petronius/theme-10000395107.html
『自壊する帝国』 佐藤優著 千の天使がバスケットボールするより
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/736a73b35960224cc50c93855cd2e3e4













1 ■スパイとなること、諜報機関に身を捧げるということ
この「リヴィエラ」を読んで、崇高な意思すらも感じたんですよねー。
絵空事であった「スパイ」「諜報機関」というものが、きちんとした質感を持ったというか。
それは金のためでも、名誉のためでもない。国を愛するということ、そして、むしろ義務ですらある。
「貴族」という支配者階級であることの、権利と義務。ほんとの意味では、官僚もこうであらねばならないのではないかなぁ、と思ったことを思い出しました。昔の日本の官僚なども、近いのかなぁ。
(確か、これにはMI6に入るには、金に困っていてはならず、ある程度以上の家柄でなければならない、という記述があったように思うのですが、違いましたっけ? MI6が公募するようになった今では、隔世の感があるのかもしれないけれど)
高村さんの作品には、大いなる意志のために、身を捧げる男たちが沢山出てくるのですよね。その大いなる意志のためには、自分は歯車でも石ころでも構わない、という。そのへん、とってもハードボイルドになるのでしょうねえ。
長文記事、満足です。笑 ありがとー!