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Sat, July 22, 2006

『涼宮ハルヒの憂鬱』 谷川流著 日常の退屈からの脱却を求めて

テーマ:書評 ライトノベル
 
 
谷川 流, いとう のいぢ
涼宮ハルヒの憂鬱  

評価:★★★星3つ

(僕的主観:★★★星3つ)


   

■疑問の始まり

 

ハルヒ・・・僕は、ネギまが好きなのでやはりアニメや漫画系の好きな人のブログをよく見るのだが、なんだか、この言葉が跳梁跋扈しており、流行には乗れ!のモットー?のため、気になっていた。

 

まずは、マンガ一巻を読了。

 


一言でいうと、わけがわからん。

 

 


以上(笑)。





・・・・・・としたかったのだが、なんかみんなたのしそーだし、疎外感を味わうのも寂しいので、小説を読んでから判断しようとは思う。なんとなくね、何がテーマなのかはマンガでもある程度わかるので、悪くはない感触がするのだ。


ちなみに、マンガがかなり、つまらなかったのに、なんで「読もう」というモチヴェーションが継続したのか?

 

それは、

 

↓ココの絵があんまりかわいーからさ(笑)。そういのってあるよね(笑)。


http://chip.skr.jp/cure/  

 

 


■小説と漫画のイメージの違い

 

小説を読んだ結果、一言で言うと、

 

これは文学ж1だな。


 

とりわけ私小説系だ。

 

そして、これはなんかの賞を取ったようだが、なるほど、それわ非常に納得できる。なかなかにクオリティが高い。

 

マンガを読んだ時に、感じた陳腐さは、このテーマの本質を、マンガ家が理解できていないからだ、と思った。丁度、小説『皇国の守護者』の伊藤悠さんによる、素晴らしい漫画化と逆のパターンだな。伊藤悠さんは、一人称形式である小説を、三人称形式で見る視点を描くことによってぐっと深みのある世界を作り出している。

 

逆に、この小説は、一人称こそ相応しい語りの性格で、マンガではその部分の微妙なニュアンスを、理解できていないのだと思う。

 

もちろん、萌え記号的なキャラクターなど、世界の構成の仕方が非常に、軽い・・・まさにライトノベルなので、その意匠の部分を漫画家が引き伸ばそうとするのは、決して間違いではないし、メディアミックスの展開例としてはとても正しい戦略なのかもしれない。ただ、ぼくは、あまり上手くない、と感じた。これほど外部で盛り上がっていたり、ハルモニアの絵がかわいくなかったら、二度と作品は手に取らなかったであろうから。

 

ж1:文学とはなんですか?とは難しいから聞かないで(笑)



■意匠のイメージは、、、

 

神人は、宮崎駿の『シュナの旅』

閉鎖空間は、まさにウイングマン!(笑)

桂 正和
ウィングマン 1 (1)


はっきりいって、とってもパロディ的な記号の使い回しが多い。元ネタを知っている人には、あまりにいくつもの連想が浮かぶであろう。たぶん、この意匠の部分を、いろいろな過去の作品を対比して語られる可能性が高いな、と思う。

 

まして、これだけテーマが、文学的だと、語るのもいくらでも難しく話しこめるので、いってみれば、新世紀エヴァンゲリオンの本質とは関係のない様々な記号や情報に仮託して、「語ること」がおもしろさになった、あの現象と似ている機能を果たしそうな感じ。

 

世界の構成が、ほとんどパロディ的な情報で構成されているのも、その意を強くする。こういう作品って、メディアミックスしやすいだろうなぁ、と思う。

 


■本質は文学~自意識に閉じ込められる病

 

小説を読んだ結果、キョンの乾いた一人称が、とっても感慨深かった。私小説系、と上で言ったが、

 

これって、結論をぶっちゃけていうと、


涼宮ハルヒの内宇宙の中での永遠の戯れ


なんではないかなーと思う。とすると、やはり彼女が、


①自覚することと、


②それと他者を知ること


(=だから主人公がキョンなんだよな)が物語の目的となる。

 

まだ一巻しか読んでいないので、なんともいえないが。安倍公房の『箱男』とか、あのテーマの類縁。アニメだと、押井守監督『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』とか、そういうやつ。

安部 公房
箱男
東宝
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

 

主人公ハルヒのナルシシズムの世界だ。

 

 

どこまでいっても、自分ひとりしかない世界。そこに、キョンという視点を紛れ込ませることで、世界が、物語が始まる。ある一人の内宇宙の中を、めぐるお話。重厚なテーマを、とっても軽くシンプルに変えているが、本質はそうだ、と思う。


このテーマは、村上春樹がとっても得意で、僕は、キョンの乾いた語り口は、とっても村上春樹の主人公を思わせる感じがする。


村上 春樹
風の歌を聴け

これとか、そんな感じ。


ところが、唯一違う点は、たぶん、キョン(=作者)は、けっこう現実をあきらめている、不毛で退屈な日常を半分斜に構えて見てはいるが、


まだ人生をあきらめきっていない


のだと思う。ある意味、このナルシシズムの地獄というテーマを追求する気合が弱い、ともいえるし、逆に言うと、既に最初からその回答を志向しているとも言える。


だから、


「ただの人間には興味がありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」

p11


となる。


これって、まだロマンティシズムを、自分が世界の主人公になることをあきらめていません、という悲痛な叫びですよね。



■日常をズらすことで、退屈な日常を回避する


ナルシシズムの世界・・・・自分の自意識が膨れ上がって、現実とのアクセスを失ってしまう非現実感は、


豊かで、切り裂くような現実(たとえば貧乏とか)がない場合に、すぐ人間を悩まし始める。


現代のようなインフラストラクチャーが整い、個人の人権や空間が保障される豊かな先進国の都市文明での家畜のような人生では、最も重要な問いだ。



この非現実感、この退屈から、どうにかしてほしい!!!



・・・・・というのが現代文学の主要なテーマなのだが、これは、なんだかリアルに触れていないような、今日や『いま』がずっと、明日も続いて、何も変化がないと感じられる虚無感をもたらします。


主人公のキョンの世界を眺める視線も、常にこれがありますよね。


しょせん・・・・・・


というあきらめ。そう感じません?。


それがもっと実はひどいのは、ハルヒ。


ハルヒが小6の時に野球を見に行って、あまりのたくさんの人に圧倒されて、その数万人の人でさえも、実は、日本1億の人口から見ればひとすくいと、感じて絶望した・・・というエピソードがとっても典型的なのですが、


日常に絶望する


というのは、自分の価値がない、と達観する視線から始まります。


価値とは?


価値とは、オリジナルであること。オンリーワン、であること。


自分自身が、かけがえのないものであること。


算数的に言うと、1/1であること。




・・・・・・でも、人間は大人になるにつれて気づきます。


しょせん、1/1億(日本人)であることに。


特別な才能に恵まれたり、ドキドキするような物語が始まって否応ナシに主人公になることは、人生では、実は一握りの「特別な人」にしか訪れないことで、


自分にはなにも訪れない。


しょせん、自分は、他の9999万人と区別のつかない、ただの数字の1にすぎないことに。


これに直面するのは、すさまじい恐怖です。


人間が、学歴とか肩書きとか、隣の人と同じ風なことを好むのは、1/1のオリジナルだが、激動で、常に、モデルのない闇の世界を自分自身独りであるこことが怖いからです。デイビット・リースマンの孤独な群集ですね。


デイヴィッド・リースマン, 加藤 秀俊
孤独な群衆


たとえば、『電波男』では恋愛至上主義に強い嫌悪を抱きますが、

本田 透
電波男


これは、恋愛が、その二人にといっての1/1を実現する幻想を与えてくれる魔法の麻薬だからです。


だから、都市文明の不毛さが行き着くと、恋愛至上主義が生まれます。


これも、ある意味、価値LESSの自分から逃げる行為なんですね、たいてい。



さて、世の中のたいていの人が、この絶望から目をそらして生きています。直視する勇気がないからです。直視すると、否応ナシに、自分の意味のなさに直面しなければならないからです。


そして、世界に絶望します。


キョンの斜に構えた最初の視点、


ハルヒの日常への絶望


は、この感覚をベースにしています。


そして、それを、ハルヒの内宇宙に閉じ込められた?(そういう印象を僕は受けます。まだ一巻しか読んでいないので、どう転ぶかわかりませんが)キョンたちが、そこに戯れることで、


徐々に、ハルヒの内宇宙を豊かにして、彼女に他者を認知させていく


ことになります。


そして、いまのはメタに、つまり、外部からの視点・・・・つまり、外部では、ハルヒのナルシシズムを破るという大きな、成長・成熟のテーマが動いており、


同時に、


内部からのキョンたちからの視点だと、これは、日常の中に大きな非日常というスパイスを導入する(=いわゆる萌え的感覚ベースの戯れ世界観=永遠の時間)


という入れ子構造になるのです。




・・・・・・これはうまい!!。


と思う。まぁこの手の作品には、ありがちな構造ですが、それをなかなかシンプルに、ライトノベルの形式にまとめ上げている作者は、なかなかうまい、といえます。


そして、だから小説は、一部の固定ファンがつくとってもマイナーなテーマだな!
とも思います。



それが、どうしてこんなに売れたか?


それは、やっぱりこういう重厚なテーマのわかりやすいものを、とってもみんな求めていること、、、、そして、同時にそれを、感覚ベースのいまの世代にわかりやすい料理がされていること、


最後に、それを自分が傷つかずに、消費できること、なんだと思う。



だから、もともとの作品の構造の良さに、メディアミックスの技術が加わった成功例だと僕は思う。ぜひ、アニメも、2巻以降の小説も見てみたいな、と思わせる。まぁ、非常に典型的なので、あまり時代に残るものでもないとは思いますが。

コメント

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1 ■無題

>それが、どうしてこんなに売れたか?
ハルヒがここまで有名になったのはどう考えてもアニメの出来が良すぎるからだと思います。ハルヒ読者全体から見れば(売り上げから考えて)アニメから原作に入った人が大半。実際アニメの方が面白いという人もいますし。何より凄いのは原作読了派がアニメの欠点を指摘しない・・、「何でこんな表現にしやがったんだぁ~!」という意見をまず見ないところですか。
登場人物一人一人のキャラは類型的でもそれが一度に一箇所に集まっているというのはかなり斬新(風呂敷広げすぎでフツー破綻すると思う)。まずアニメで活き活きとしたキャラクター像が刷り込まれているから小説を読んでも作品世界をより鮮明に想い描けるという利点もあります。そんな斬新な設定の「学園物」という点も受けた要素の一つではないでしょうか。

2 ■RE:眞尋か手下さんへ

コメントありがとうございます。

>ハルヒがここまで有名になったのはどう考えてもアニメの出来が良すぎるからだと思います。

そのようですね。まだ僕は見ていないのですが、ぜひ見たいと思わせるものがあります。正直、学園萌え系は、そこまで好きではない自分が、そう思うのは、やはり

1)キャラと世界観のできの良さ

2)物語の作りこみのレベルの高さ

と思うのです。えっと、とりわけ2)なんですが、マンガは、それがはっきりいって水準並(まぁ普通)ですが、小説は、この手の作品の中では、なかなか練られていると思います。周りのコメントの印象からアニメも、そもそも演出のレベルが「まっとう」なんだろう、と思います。ともすれば、メディアミックスは、悲しいほどに「物語の演出能力」と言う基礎がない場合がほとんどですからね。

ようは、ちゃんとした作品を、その価値の核心を吟味して、まっとうに演出する、ということをすれば、かなりいい作品が作れる、という証左で、逆を言えば、それだけ「まっとう」な仕事がなされていない、という証拠なんでしょうけどね。

ぜひ、アニメを見た上で、さらにコメントしたいと思いますが・・・もうDVDレンタルしているのかな?・・・いつになることやら(笑)。

3 ■ハルヒシリーズを読み続ける理由

僕がハルヒシリーズを読むようになったのは、アニメを友達に見せられてでした。
その後しばらくして中学生になり変人ばかりの生活に巻き込まれ疲れている毎日がキョンと同じになっていました。
もちろん変な能力を持った人もいなければ、宇宙人も未来人も超能力者もいません。
それでもすぐにキョンと同じような立場にいます。
ハルヒがSOS団を作ったのは結局はそんなドンチャン騒ぎをしたかっただけなんだと思います。

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