テーマ:


■基本的に、27話は少し短かったのか、、それとも・・・


今のところ、24話まで視聴終了。基本的に、いまクライマックスに向かっているので、この話の落ちはほぼわかった。そうすると、思うことがあるとすれば、27話で収めるには、短かったのか、それともこれでよかったのか、というところだ。悩むところだ。


というのは、やはりここのキャラクターの主観を追跡する物語になっているため(とりわけシモンの成長に特化)、全体のマクロの謎・世界観の設定・そこに存在する膨大な組織の奥深さ、といったSF的なガジェットとしては、薄い感じがしてしまう。


なんだろう・・・凄く感情移入しているし、ある種のレベルを超えたアニメ作品ではあると思うのだが、薄さを感じてしまわないでもない。物足りなさ・・・かな?。うーん言葉に言い表せない。僕の好みとして最高傑作と称するには、「あと一本のねじ」が不足しているような気がしてならない。難しいのは、この作品は、往年のゲッターロボとかキャプテンハーロックなどの骨太の物語をベースにオマージュにしている印象を受けるので、作者の意図が「まさにその薄さ(=たぶん主観中心の物語類型)」を目指しているかもしれないので、つまり狙ってやっているかもしれないので、それをマイナスといっていいのかは僕には今のところは評価できていない。まぁ最後まで見ていないからね。基本的には、手放しで文句なく面白いことは否定できないのだが・・・・リアルタイムに視聴していた『新世紀エヴァンゲリオン』や『不思議の海のナディア』『トップをねらえ』ほどの強い感興を、あとに残さない感じがするんだよね。これが何に由来するのだろうか?。


いや、水準を超えていることは否定できないんだよ、毎週滅茶苦茶楽しみにしているしね。もしかしたら、「見る時期」の差なのかな?という気もしないでもない。受け手側の心理や年齢にもとても左右されるものだしね、感想というのは。見終わるまでにこのモヤモヤが理解できるか、それとも吹っ飛ばしてくれるほどの感動をもらえるか…できたらいいのだがなー。



■マクロの責任を負うだけが、世界へ貢献する道ではない


とはいいつつ、ヨマコ先生の回は、いやー素晴らしい脚本だと感心した。


******************

ある既成の秩序に対するレジスタンスを描こうとすると、実は、重要なポイントがあって、レジスタンス(=革命軍)が、


政権を獲得して権力を握った後に、どんな治世を行うか?


という点だ。

ただ反対するだけならば、サルにでもできる。しかし、権力を運営するとなると、とたんに難しくなる。ただ単に反対すればいいわけではなく、マクロの矛盾を抑え込むために、膨大な組織力や煩雑な官僚手続きやそういったものを管理する能力が求められるからだ。


たいていのヴェンチャー企業が、ある規模を超えると急に経営力が追い付かなくなり崩壊したりのっとられてしまうのは、一点集中で攻撃しているレジスタンスや起業家では、そういった巨大な組織をコントロールできない場合が多いからだ。


これを、ストーリーの中盤に持ってくるのは、僕は、最高に好きな構成だ。
http://ameblo.jp/petronius/entry-10069642744.html
******************


この話は、どうも脚本家の中島さんはちゃんと意識しているようですね。革命政権といもの・・・・既成の権力をひっくり返す次には、「時代の権力を担う責任が発生」するということの重みを。また井汲景太が嬉しいコメントを入れてくれたので、引用をさせていただきます。


******************

「21話も「おいおい、『二十四の瞳』かよ!」って思われているかもしれませんが(笑)、実はこのエピソードは個人的に肝の話なんです。3部をやる意味があるのは、このエピソードがあるからだ、と言い切れるくらいです」


「僕は、自分で物語を書くときは自立したヒロインが好きで、あまり記号的には描きたくないんですよ。自分の意思を持って人生を歩いていく女性として描きたい。ヨーコもそうで、ある意味ヒロインとしてのカミナとの悲恋で終わっている。でもその先にも彼女の人生はあるわけで、その中で彼女がどう考えてどう生きるかを描かないといけないし、むしろその方が面白いと思う」


「3部の冒頭で彼女が「(政治は)性に合わないから」と去っていくのは、すごく正しいことだと思います。責任を負わなければいけない人もいれば、向かないと思えばさっさとやめて、自分の道を探すべきだと思うんです。野に下る人がいてもいいじゃないか、と。


(中略)


あと、何故ヨーコが教師をやるかというと、7話のカミナの「皆がお日様の下でニコニコできる世界を作りたいじゃないか」という言葉が、ヨーコの心の中に残っているからなんです。しかも教えているのはテッペリン陥落後に生まれた、物心ついた頃から空を見ている子供たちです。つまり、戦ってきた上の世代が、下の世代を教育していく、ということも大事な責任なんだ、ということを、ここで見せたかったんです。なぜなら、世代交代は『グレンラガン』の大きなテーマのひとつですから。シモンたちの政治ドラマと、市井の人となったヨーコが教師となって下の世代とつながっていくドラマ……その両輪なくして、『グレンラガン』は成立しません」


おっと、出典を書き忘れていました。先ほどの中島かずきコメントは、再びアニメージュ2007年10月号付録よりです
******************


この回は、唐突で(そういう意味では癪が足りないから演出が間の説明なしに入るのは個人的にはマイナス)、なぜヨーコが市井の人となって教師をしているか?というのは、結構深読みしていないと、その意味の重さに気づかなかった人は多かったのではないかな?と思う。僕は少なくとも、カミナの過去のセリフは忘れていましたしね。ただ、革命軍の中核メンバーが、


さっさと野に下る(=マクロの権力を潔く放棄する)


ことと


局所的ではあっても、自分が作り出した新しい世界の教育に人生をかける(=自分の理想の純粋さをミクロで守り抜く)


というのは、非常に素晴らしい行動だと思いませんか?。マクロを維持できるほどの政治的な能力がないとしても、革命軍に参加した動機が「皆がお日様の下でニコニコできる世界を作りたいじゃないか」というものであったとしたら、自分の身の回りのごく小さなサークルの中だけでも、その理想を純粋に追及しようとするヨーコの姿勢は、素晴らしいといえないだろうか?。


もちろん、本来はニアと二分するほどのヒロイン的な立場を与えられているヨーコ個人のドラマツゥルギーを、カミナとの悲恋と市井の人間となって理想を貫くという、ともすれば現実的ではあるが華々しくない(=物語的に美味しくない)渋いものにしていることは、たぶん、エンターテイメントの観点からいうと、ちょっと微妙かもしれない、という思いがある。


尺も短いので、一話だけでヨーコの来歴や内面のドラマに感情移入するには、少し無理があるしね。このへんは、感情移入しているが故に、感動する自分と、妙に冷静に脚本を分析してしまう自分が分裂していて(要は没入できなくて)なかなか不思議な感じがした。僕はこの作品、肯定したいのか?否定したいのか?って。



■全体主義的思考に走りがちな生真面目なエリート~しかしそれ以外の方法がないじゃないか!


******************
放映時、21話の意味ってピンと来なくて、「ロシウは決して冷酷なわけでも、独善的なわけでもない、だけど『あなたは生き残るべき人だ』と、人の命を(自分で勝手に)値踏みしてしまうのがロシウの限界でもあり、また能吏であることの表れでもあるのだ」という所くらいまでしか見えてなかったんですが、以下の中島かずきのコメントを読んで、色々な所が腑に落ちてきました。

(そして、そんなロシウが23話で救済される展開も心に迫ります。そのときのシモンの行動・セリフが8話のカミナにぴったりかけてあるのもうまい)

******************


うん、この話は、僕はこの作品の中で最高の要になってい。


ある意味、官僚的リーダー・・・物語の主人公にはなりきれなくても、使命を誠実に守り切ろうとするリーダーの熱い、そして後ろ暗い使命感という、アニメではなかなか見られない人格類型を、「肯定的に描いた」という意味で、僕は高く高く評価したい(ちょっと偉そう・・・)。


いや、もう少しこれを引っ張って壮大なストーリーに組み込めればよかったんどえすが、尺が短い中で、シモン、ロシウ、ヨーコなどのここの人物にスポットライトを当てすぎる脚本になったので、軸がバラバラになった感があるのかもしれません。


19話 後手に回るプロジェクトリーダーの悲哀~ロシウくんの苦労に感情移入
http://ameblo.jp/petronius/entry-10071838736.html
19話 『生き残るんだどんな手段を使っても』~生真面目なエリートは、全体主義的思考に走りがち
http://ameblo.jp/petronius/theme-10000273916.html



■ダヤッカの抱擁シーン~日常からマクロを担う責務へ飛び出すとき

******************
LD >> こんばんは。少しだけ。今回の話でホロリと来てしまったのは不覚にもダヤッカの抱擁シーンでした。


柘榴 >> あそこは、キヤルとキノンの対比(反復?)もいいですね。 「男って…バカばっかり」


LD >> 僕は、新政府になってからのダヤッカの生き方を少しもカッコ悪いとは思わないんですが…多分、ダヤッカ自身はカッコ悪いという言葉があたるかどうかはわかりませんが、忸怩たる思いを持っていたと思っていて。


LD >> 本当は別の言葉がよさそうなんですけど、ちょっと思いつかないので「カッコつける」という言葉を使うと、ダヤッカは「オレも一緒に行ってカッコをつけたい」って言い出すのは我侭だと思っていたと思うんですよ。でも奥さんに「カッコつけに行っていいよ。我侭してもいいよ」と言ってもらったんですよね。…この時、キヨウはダヤッカの思いを我侭だなんて毛ほども思ってないんですけど。


柘榴 >> すごいよく分かります。ダヤッカは2部では四天王を一人倒してる戦士だし、キヨウはさすが兄貴があれで「陽気」をやれてるだけあって、人間が出来ているw


LD >> キヨウは良く出来た人ですねえw


LD >> ダヤッカはロシウみたいに頭が良くないから「オレのこの行為が結局は自分の家族を救う」とか巡り巡ってみたいな考え方はできないんですよね。何となくアンチスパイラルを倒しに征かないと終わりが来ない事は分かっているけど。だからみんなと一緒に行きたい!ってのは本当に行きたい!からで「お前たちを守るために行くんだ…」みたいな言葉出ないんですよ。


柘榴 >> >お前たちの為に それは全部とは言わないまでも半分くらい嘘ですから、嘘のつけないダヤッカはただ「行きたい」と言う他に無いんですよね。ううん、いい話。


LD >> そうなんです。「お前たちのため」は誰もウソだなんて思わないんですけど、ダヤッカの中ではそれを言葉で掲げて「行こう」とする行為は誤魔化しがあると思っちゃうんですね。だからキヨウが「行かないで!」と言えばダヤッカは行くのをやめるし、それこそが自分が一番しなければならない事だと。


漫研のLDさんより
http://www.websphinx.net/manken/index.html
******************


ダヤッカは、日常に生きるものが、マクロの重責へ飛び出すときのとっても良い例だと思うのです。革命軍の中心メンバーだった彼は、妻帯して子供が生まれています。それは、彼が革命を起こすことによって得た平和な日常です。その平和な日常を享受する何十万人の人々のある種の代表例みたいなもの。けれど、それを保証する権力に崩壊の危機がおとづれた時に、すべてを捨てて「戦いに出向かなければなりません」。


けど、それが、、、ミクロの、本当の本当に大事なものを捨てていくことが本当に大事なのか?という問いかけは、常に個人の内面になければなりません。短絡的に、マクロのために俺は、お前たちを守るためだ、と言って出ていくやつは、ミクロの重さが分かっていない大バカ野郎だと思いませんか?。自分の妻ですよ、子供ですよ!そんなものを軽々しく離れることができるなんて、、、、個人にとっては世界のすべて、宇宙よりも重いものです。けれど、、、それを捨てて戦いに行かなければ、世界自体がなくなってしまう・・・そんなことは、本当に難しい選択なのです。



■参考記事


20話『神はどこまで僕らを試す』~選択肢を奪われた指導者の全体主義への飛躍
http://ameblo.jp/petronius/entry-10073395458.html
19話 後手に回るプロジェクトリーダーの悲哀~ロシウくんの苦労に感情移入
http://ameblo.jp/petronius/entry-10071838736.html
19話 『生き残るんだどんな手段を使っても』~生真面目なエリートは、全体主義的思考に走りがち

http://ameblo.jp/petronius/theme-10000273916.html
17話 『あなたは何もわかっていない』 革命軍が秩序を打ち立てる時
http://ameblo.jp/petronius/entry-10069642744.html
11話「シモン手をどけて/何がそんなに心が震えるのだろうか?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10067598169.html
いつだって俺の強がりを支えてくれたのはあいつなんだ
http://ameblo.jp/petronius/entry-10060155418.html
セリフだけでこれだけ熱くさせてくれるのも、なかなかないね
http://ameblo.jp/petronius/entry-10055915786.html
グレンラガン見はじめています!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10052009528.html



     
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

私の愛した悪役たち VOL.1
http://www.websphinx.net/manken/labo/badd/bad01.html#NOROI


これ、面白です。


AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:
佐原 ミズ
マイガール 2 (2) (BUNCH COMICS)
評価:★★★3つ
(僕的主観:★★★★4つ


娘と毎日家に帰って、今日会ったことを話す・・・・それだけで、幸せだっていう正宗くんの話は、凄いよくわかる。



それは、、、同じ時を共有することのできる愛する人と出会った時の喜びだもんね。・・・・・ほんとうは、失って気づくのではなくて、今日この時を、愛する人と(もしいるならばね!)共有できることをいつも感謝していきなければ、もったいないんだけれどもね。



話を共有することは、一度しかない人生の貴重な「いまこの時」を共有することだから、意味はないけれども、価値があることなんだ。


『マイガール』 佐原ミズ著  喪失感の共有による絆は・・・・・
http://petronius.ameblo.jp/petronius/entry-10030255971.html
************************


ちなみに、以下の記事は、なんつーかマイナス的に書かれていますが、このマンガは、僕はとってもとっても好きです。


コハルちゃん、健気すぎっ!。コハルちゃんのような娘が欲しいです!(笑)。小学校に進学したコハルちゃんのワンピース姿に、やばいです。娘にも買おう!と心に誓いました。ちなみに、基本的には、コハルの正宗君への態度には、「少しの遠慮」があって、甘え切れていないんだよね、そのお互いの遠慮が微妙な距離感になって、優しさと寂しさを生み出している。こういう遠慮というか、なにか100%甘え切れない、という状況の方が、深く温かい愛のある関係が気づけるのだろうなーとか思います。


とはいえ・・・・まぁこんなに精神的なものを共有しあえる関係性は、僕はある種の欺瞞のような気はしないでもないですがね。物語の世界の。世界はもっと誤解と勘違いに満ちていて、だからこそ、面白いのだと僕は思うしね。調和が取れ過ぎるのも、ある種の嘘を見せられている気になる時もあります。



■世界観が完成していることの功罪


基本的にこの著者の作風は、すでに完成されているなーと思う。どれをとっても、同じ匂いがして、雰囲気・世界観が完成している。これは、ほめ言葉でもあると同時に、ある種のマイナスでもあります。それは、ある一定の水準を常に超えているレベルの物語世界を構築できるという部分と、同時に、ある関係性や感覚に「停滞」して抜け出さない、という意味でもあるからです。

佐原 ミズ
バス走る。 (BUNCH COMICS)

とりわけ、少女マンガに様に繊細な感情の機微を描写するのがうまい、このような作風うの人は、僕的な言葉でいうと「過去に拘泥する人」となりやすく、喪失感や生きることの痛みを、センシテイヴに「感じ続ける」日常を描き続ける傾向が強い。世界はどこまでいっても、そういった繊細さに満ちた優しく穏やかな空間でありつづける。それは、それで物凄く美しく、繊細にキラキラしていて、完成された美ではありますがね。


それは、作者その人が、そのものが、そういった「視点」で世界を眺めていることの証左なのでしょうが、それでは少しさびしい。「過去に拘泥する」というのは、ものごとの厳しさ残酷さ、死んでしまった人の喪失感などの「取り返しつかないこと」の重さをかみしめて生きるという意味ですが、この人生には、「成長」や「変化」「輝く未来」といった、時間感覚の先にある癒しや変わっていくことのワクワク感を描けなくなることが多いからです。


実際に、1巻で正宗君とコハルちゃんの喪失感は、見事に描けました。けれども、2巻目になると、僕はそれに不満を覚えてしまいます。なぜならば、同じところに踏みとどまっていても、だめじゃーないですか?。しかも、正宗君と陽子さんは、たしかに行き違いがあり、死別であったとしても、深く深く愛し愛されたカップルであったわけで、コハルちゃんに引き継ぐべきトラウマは存在しません。親から受け継ぐ負の連鎖がないのならば、僕は、真っ直ぐ前に向き成長を目指す姿勢を見たい、と思うのです。えっと、2巻に不満はないですよ。2巻は、1巻の延長線上として、よく良く描けていおるし、少しづつ成長へ前向きになる娘と父親の姿が繊細に描けており、十分すぎるほどの完成度です。


・・・・けれども、親の負の連鎖を引き継がないのならば、そこにドラマトゥルギーは発生しません。物語が、停滞してしまうのです。負の連鎖がないのならば、正の連鎖を目指す成長を描くべきで、そうでないと・・・・ずっと繊細に『世界を眺めつづける日常の話』、になってしまいます。・・・・それは、僕は、一話完結の物語で良く、連載にする必要性をあまり感じないんですよね。


せっかくこれだけのものが書けるのならば、「もう一歩」次のレベルの物語世界を構築してほしい気がします。



■幻想の父子関係~榛野なな恵のPapa told meを思いだす


なぜそういうのかといえば、この繊細で閉じた日常の行き着く果てが、『Papa told me』を思い出させるからなんですね。これって、先がない話なんですよねー。

榛野 なな恵
Papa told me (27) (ヤングユーコミックス)

まぁ『マイガール』ここまで永遠回帰の日常を描いていないので、こうはならないと思いますが、似た匂いを感じてしまうのです。


どうもねーこの父親と娘という関係性は、けっこう危険な関係性で、ある種の幻想による現実の拒否を肯定しやすい関係のようなんですね。


榛野さんが女性であるように、女性にとっては、いつまでも少女でいられるという特権を維持し続けるという幻想、父親の方である男性にとっては、「女」になって対等になってしまわない少女を上から目線で愛せる・・・・どっちにとっても、現実から逃げるのにとても都合のいい関係性のシステムになっているんですよねー。


だから、男性女性を問わず、この関係性を主題にした物語は多いんですよね。


前にも書いたのですが、この主題には、実は吸血鬼という主題ととても親和性がある、と僕は思っています。高野さんの『BLOODALONE』がまさにズバリですが、それは「永遠の命による現実の砂を噛むような不毛感」というテーマとの、この幻想の関係性の構造がリンクするからなんですねー。


ちなみに、このテーマには大きな分岐点があって、現実に強く踏み出すか、繊細な美しさの世界にとどまるか?っていう大きな世界観の態度があると思います。

高野 真之
BLOOD ALONE 3 (3) (電撃コミックス)
すたひろ
おたくの娘さん (第1集)
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。