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僕が、日本橋ヨヲコさんの大がいっぱいつくほど、大ファンなことは、このブログの熱心な読者であれば、わかるはずです!(ってそんなやついねー(笑))。僕は、この人の作品が、ものすごく好きで、打ちきりに近い形で終わった『極東学園天国』なんか、もう…悲しくて悲しくて。そして、作者書ききったと思われる『G戦場ヘブンズドア』では、魂が震えました。


僕はね、目的をもって視野狭窄に熱く生きている人が、人生が、大好きなんです。目的や志、夢っていうのは、言い換えれば、ナルシシズムの思い込みの勘違いとも訳せる。でも・・・・そんな勘違いが極限まで極まって、あるリミットを越えるときに、底が抜けたように自分と世界が変わってしまう瞬間がある。それは、ナルシシズムが破られる二つの方法のうちの一つ。だから、極限を指向するこの作者は、僕は大好き。


そう、この人の作品は、すべて魂が震える感じがする。全作品例外なく。


Fight11:DogRaceで、バレー部の監督が、


「ただ漫然と練習するな いつでも目的を持ってやれ」


というセリフは、読んでいて鳥肌が立った。いま、この記事のために文章にしてみると、実は当たり前のセリフで、そんなすごいわけじゃない。けど、この人の作品では、ときどきこのようなセリフが、背中にナイフを突き付けられたような寒さが走り抜けるような感覚で、感覚に突き刺さる。


それは、目的を持って生きることの凄まじい過酷さを、これでもかって表現しているからなんだよね。いつでも、人生がギリギリなんだ。


■あるべき理想の姿の追求~による日常の地獄とそこから解放される聖性


 身が焦がれるような高い目的や自分の決断を何年も賭けて実現していくときの、深い深い絶望(=打ちひしがれる自分の無力さ現実への無力感)と、前へ時間が進んでいく大きな波に乗っているような、日々自分と世界が変わっていく、ビンビン感じるエネルギーを感じたことがある人には、この話は非常に心に来るはずだ。「この」ではなく、この人の作風のすべて、と言えると思うが。

目的をもって高みを目指していると、人は追い詰められる。なぜならば、高い目的(=あるべき理想の姿の追求)とは、常に現実の自分の否定(=何もできない自分の無力さ)の再確認だからだ。ニートでも登校拒否でも、どんなものでも同じことだ。頭で描く理想と現実の自分のギャップのあまりの大きさや不可能さに、立ちすくんでしまい、行為・・・行動に転嫁する勇気が持てなくなってしまうのだ。その小さな一歩が踏み出せなくなった人は、永遠にナルシシズムと自己憐憫の世界に閉じ込められる。


けれども、世の中には、自ら意思しなくとも…生まれつきナチュラルに「何かを目指すドラマツゥルギー」を内包している人々がいる。この人たちの人生は、1%の華々しい成功と、99%精神崩壊が待っている。それほど、現実に意志することは厳しいと僕は思う。けれど、ほんのごく少数の人間が、そのナルシシズムを打ち破り、現実の自己をボロボロにしながらも、世界を自分を変える。それはが成し遂げられる時、大きな聖性が、あらわれる、と僕は思う。そういう瞬間が、せめて物語でも見たい、と思うんだ。

■目的の奴隷として生きることの過酷さと素晴らしさ


目的を持って生きなさい!と、いろいろなところでいわれます。でも、わかってんのかな?そういうことを勧める人って、、、目的を持って頂上を目指すことは、死ぬほど苦しいほとんど残酷ともいえる不安感と恐怖に耐えながら、周りを、、、、日常を切り捨てていく行為と裏表なんだ。もし、結果として才能や克服できるぬ能力の閾を超えていたら、人生の浪費だよ。自己を損なうこと限りない。


ちょっと余談だが、僕は東京の今では一般化して…少しブームも過ぎたけど、、受験戦争が華々しく激化した頃に、北海道の田舎から出てきた。小学生ながらに、お受験とか塾の成績でい一喜一憂する周りを見て、衝撃を受けたんだ。そもそも、「塾ってなに?」「僕は、トノサマバッタ捕りとスキーがうまいよ!」なんていう野性児だったから(苦笑)。・・・・けれども、もっと衝撃は受けたのは、受験に失敗して引きこもったりちょっと精神的にまいっちゃう人が結構な率でいたことだ。そしてもっと驚いたのは、目指していた超一流大学(これも何が基準かわからない表現だが)に華々しく入学して、、なのに「ただの人」になって人生が終わってしまう人もこれもまたかなりの率がいたことだ。

つまりね、自己の能力の「器」を超えたものを親に要求され、自分でも設定して思い込んで、がんばった結果、ダメなら自分が壊れるし、成功してもエネルギーを浪費・疲弊しすぎて、二度とモチヴェーションが生まれなくなるんだ。エンジンが壊れれば、生きる衝動は生まれない。


そもそも、才能ってのは、さまざまな形がある。現実の適応の仕方もね。にもかかわらず、ある狭い基準(たとえばペーパードラフト)で、自分がそれに合っていないにもかかわらず何年も十年以上も縛りつけられると、もう完璧廃人の出来上がり。悲しいよ。世界には、何の勉強もせずに、数か月の勉強で東大なんからくらく受かるくらいの頭の持ち主なんて結構いるんだから。だいたい入学して、真にできる奴ほど、まじめに勉強しないし、人から与えられな基準では努力しない・・・しかも、人が要求することは楽勝で120%こなせるということに、衝撃を受けるのだ。基礎レベルの自頭の差は、もうどうしようもないくらい差があるんだよ。まっ、ところ社会や人生で勝てる奴が、かならずしも学生の中でそういう風に余裕で生きられるヤツというわけでもないのは、ここあまた面白く難しいところなんだけれどもね。


人生は多様だ。能力には様々な種類があり、様々な才能の差がある。けれど、それと同じくらいゲームのルールもたくさんあるし、ゲーム自体を自分で作ることも可能だ。そんな現実の豊饒さといい加減さを知らないで、狭いしかも人から与えられた目的で人生を損なう人がたくさんいるというのは、サビシイことだと思う。まっ、かといってその程度で人生が損なわれること自体が、しょせんその程度でもあるのだがね…厳しいことをいうと。



まっ、目的の奴隷は苦しいってこと。

けれども、その不安と恐怖を乗り越えた先に、もし自分の目的と自己の能力と世界がかみ合った時に訪れる自己没入(=セルフの一致)の恍惚感が、世界と自分を変える・・・・たしかにそれは美しい成長物語(=ビルドゥングススロマン)だとは思う。けれど、目的の奴隷とか、、、頂上を目指すこと(=勝つ)ことがそんなに素晴らしいことなのか?という問いが何度も問いかけられるのは、これに勝ち抜ける人は才能と運のある一握りの人だし、なによりも、高い目的とそれに釣り合わない自己(=能力)を持ってしまったが故の精神崩壊や不安も、成功率なんか比べられないほどの多いからだ。


閑話休題

うーん、、、なんか、『少女ファイト』自体の評価ではないなー。最近評価がミクロからではなく上からのマクロ視点で、どうも読んでいる人にはつまらないかも入れないなー。抽象的な思考は、そもそも自己とかそういう心理学系の言葉によくなれている人でないと、わからないからなー。

前にも書いたけれども、何かを評価するときには、テクニカルなFactの分析・・・ここでいうのは、いずみのさん伊藤剛さん『テズカイズデッド』で書かれた漫画という媒体の持つ機能論を、個別事項に当てはめて評価した上で、そこにかかれてる①物語のドラマツゥルギーと、そのドラマツゥルギー(=表現したいこと)に、②的確な演出手法が使用されているかどうか?という部分を評価しないと、ほんとは評価したことにならない。

伊藤 剛
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

①だけだと、本当は「僕ってこれが好き」とか「嫌い」という話で終わってしまいかねない。でも、僕が見たいのは、①が、、、、どうなっているかなんだよね?。


マンガも、アニメも、小説も、ビジネスも、そして恋愛も家庭すらも…すべては自分がの他者…世界と出会う瞬間なんだ。だから、①の自分以外の他者が、いったい何を感じ、何を思い、この苦しい世界で生きているのかを知らなければ、なんか生きているのがもったいないし…何よりも、自分の思い込みのなるナルシシズム=幻想で世界を解釈しているだけの孤独な裸の王様になってしまい、せっかく同じ時を生きる人々と同じ時を生きることができていないように感じるんだよね。まーナチュラルに、生きているだけで他者や世界を生き生きと感じるという天然系の人もいるけれども、ぼくは世界を「文字を通して」・・・ようは、論理と頭で「理解する」というステップを取って感受する傾向が強い人種なので、ちゃんと、考えておかないと生きる実感が失われやすいんだよねー。まー性格だねーこれは。


何かにぶつかってそれに衝撃を受けて、頭で考え直さないと世界が体感できないなんて…なんて不器用なんだ(笑)と思うし、なんというかあまりに無駄とリスクが多すぎるんだけれども…まーこればかっかりは性格と生まれつきだからしゃーあない。うまくやれるやつをうらやんでも仕方がない。不器用でも損でも、人間は自分のルールとコトワリでしか世界を獲得できないのだから。真っすぐ歩けない哲学者が、何で真っすぐ歩けないんだろうと黙々と思考し始めるようなものだ。もともと真っすぐ歩ければ、そんな思考は不必要なのに(苦笑)。でも、悩むのも面白いぜ、諸君。いや・・・なんか、変な自己告白になってしまったが、などということを強烈に思い出させる効果のある物語です。



   
     
 


■『少女ファイト』 日本橋ヨヲコ著 やべーーーまた熱すぎる(笑)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10017335677.html

■『G戦場ヘヴンズドア』3巻 日本橋ヨヲコ著
http://ameblo.jp/petronius/entry-10007062079.html

■『G戦場ヘブンズドア』1巻 日本橋ヨヲコ/魂が震える体験
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001927947.html



■次の物語へ~内面の豊饒さを求めて自己心理プロセスへダイブすることの否定


この漫画家の評価は、僕は、実は次の時代への大きな論考のステップの一つとなってる。まだ自分でもちゃんと位置付けられていないのだが、この人の作品には、明確に人間の内面が世界描写よりも勝っているにもかかわらず、現実とのアクセスが失われない・・・・言い換えれば、TV版エヴァンゲリオンや村上春樹の図書館の羊のような、いきなり内面世界へ没入する飛躍を描かない。スポーツものとしては、いわゆる『巨人の星』のような何かが信じられていた、甘っちょろい成長ものの漫画と同じ類型なのに。

村上 春樹
羊をめぐる冒険
J.D.サリンジャー, 村上 春樹
キャッチャー・イン・ザ・ライ
キングレコード
新世紀エヴァンゲリオン 劇場版

村上春樹系の「セカイって、、、ボクってなに?」的な内面の心理プロセスに入っていく90~00年代の作品は、内面の豊饒さを探求に出る代わりに、現実のアクセスを失ってナルシシズムの世界に逃避して迷子になる。このような物語系に比較して、それと同じくらいの心理的圧迫感や恐怖を、内面主体ではなく世界という現実そのものを中心に、しかも、世界を獲得する(=勝つ)という少年漫画的な現実での成長物語を失わずに描くという面では、非常に古臭く、しかもモダンなスタイルだと思う。

まだ位置づけは、はっきりしないが。この人の全作品には、そういった「次」への大きな手掛かりがあると僕は思っている。

といよりも、倫理的に、「大きな犠牲を払ってでも、何かやむやまれない衝動で、前へ進んでしまう」「自分の周りの甘さを、生きている逃げを告発・糾弾して回る」という志向は、すごく個人的に好きなんだよ。そうだよなーと思う。

またなんか、わけのわからない記事になってしまった(笑)。




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Simoun (シムーン) 1

コマさんの紹介により、見てみる。メールも頂きこうやって強く押してもらえるのは、とてもうれしい。必ずしも見たり読んだりするとは限りませんが、僕のブログなどで評価を書く理由は、人にやっぱり薦めたいからだし、見るのは、人から薦められたいからなので。


まだ全編見ていないので、評価は未評価。


8話まででは、まだなんともいえないので、いいも悪いもいえません(そういう意味では、大傑作・・・とはいえないのだろう)。感触的には、どうしても絵柄が好みでないので萌えもキャラへの入れ込みもできない・・・にもかかわらず、コマさんはいい目をしている、と思う。これは僕死ぬほど好きなタイプの物語ですね。それは、これがマクロ先行型の物語だから。たぶん、位置づけ的に、以前『蒼穹のファフナー』を評価したときの印象と酷似している。

キングレコード
蒼穹のファフナー Arcadian project 01

どれくらいの人気を獲得したかわからないが、悲しいかな物凄く質が高いのだが、『それゆえに』人気はなかったと思う。マクロ優先で描く物語は、キャラクターが主観的に描けないことが多く、だから、いわゆる萌えとかキャラクターへの感情移入が失われやすい。そういうマクロをメインに描く物語は、今の時代(90年代から00年代にかけて)は演出としては、確実に失敗する。それをキャラデザインでカバーしようとした印象を受けるが・・・残念ながらカバーできていない。CLAMPのキャラデザインで成功しているように見える『コードギアス~反逆のルルーシュ』と比較すると、わかる。シムーンは、最初から、個々のキャラの内面に焦点を当てている部分は、そのミクロの弱さを克服しようと努力しているが、、、やはり演出力の弱さか…。というか、監督がその人格を、主観から見直すという感性は、ある人とない人がはっきり別れて、マクロが好きな人は主観が全く描けない場合が多いのだ。両方できるのは、天才なんですよ。

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コードギアス 反逆のルルーシュ 1

マクロとミクロを両方描き、マクロを重視するのは、萌えキャラ演出大勢の90~00年代では、非常に野心的だし、志もあると思う。が、、、この時代のキャラクター人格の深堀や感情移入の演出が洗練されたことによって目が肥えている消費者を、マクロに跪かせるには、残念ながら神の演出力がいるので、そこまでは到達できていない。やはり秀作だ。神の演出とは、庵野秀明監督とガイナックスの『新世紀エヴァンゲリオン』や宮崎駿などの演出力を指す。

キングレコード
新世紀エヴァンゲリオン 劇場版
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
千と千尋の神隠し (通常版)


『蒼穹のファフナー Arcadian project』 羽原信義監督~秀作のアニメ
http://ameblo.jp/petronius/entry-10018054546.html


ちなみに、このアニメを見ていて思った、マクロとミクロの不均衡というのは、次の時代に要請される物語とは何か?というやっと昨今手につけ始めたテーマを考える重要な補助線になるために、原理をよく分析してみようと思う。




■ストーリーあらすじ


舞台は大空陸(だいくうりく)という名の世界。ここでは人類は全て女性として生まれ、17才になった時、自らの意思で性別を選んで成人する。


大空陸にある宗教国家・シムラークルム宮国には、人々の信仰の対象である神テンプスパティウムに仕える巫女達がいた。彼女達はテンプスパティウムの加護を受けた聖なる遺物ヘリカル・モートリスを搭載した飛行艇・シムーンに2人1組で乗り込み、空に紋章(リ・マージョン)を描き、神に供えるのだ。


ある時代、シムラークルム宮国に隣国が攻め入る。彼らはシムーンとそれに搭載される神秘のエンジン、ヘリカル・モートリスの力の秘密を欲し、手中に収めようとしているのだ。宮国は火急の危機に際して苦渋の決断をする。それはシムーンを戦うための戦闘兵器として利用すること──。


シムーンを操れる巫女シムーン・シヴュラになれる者は性別選択前の少女に限られており、その決断は巫女たちを大人にさせず、常に死の危険に晒す事を強要する事でもあった。

美しく大空を舞う巫女達は戦士となり国を護る。ある者は生き残るため、またある者は空を飛び続けるために。少女である事を運命付けられた巫女達の終わりなき戦いは、今日も続く…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%B3_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1 )



■マクロとミクロのリンクを~個人の動機を描くことと世界を描くことの


僕は、物語を評価する時に、マクロとミクロという二分法でまず評価することが多い。


①マクロとは、世界観や宇宙観のこと。


②ミクロとは、個人の動機を源泉とするキャラクターの人格と関係性のこと。


経済学でいう、マクロ経済とミクロ経済と同じ発想。主体をどこに置くかという話。そして、このマクロの構造とミクロの構造が、構造的に相互リンクしている状況が、良い物語であり、良いドラマツゥルギーを持つというふうに思っている(この定義は、思い込みのテキトーである)。


ドラマツゥルギーとは、対象の物語をエネルギー構造に分けてその一体のことをさしている。そして、どちらがそのダイナミズムを駆動する発火点になるかというと、エネルギーだ。そして、そのエネルギーは、ここではキャラクター・主人公の動機となる。


つまり、物語・ドラマツゥルギーとは、主人公の動機というエネルギーを出発点にして、その動機のメカニズムによって生まれてくる力(ミクロの次元)が、マクロの次元の構造のなかを走り抜けるメカニズムの展開の仕方と定義することができる。


ちなみにマクロのダイナミズムは、組織が描けるかどうか?決定的にわかります。


ちょっとシムーンの話ではなくなったので、②に続きます。


とはいえ、、、、コマさん、シムーン、確かに面白いです。凄い野心的だし、世界が構築されているし…もう少し話数が進んだら作品解析に入りたいと思います。これはすごいいい作品ですよ。


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コードギアス 反逆のルルーシュ 2

おもしれー。4話まで見た。あーうちの近くのレンタル屋には、2までしかないので、、、この続きが見れない。何とか見る方法を考えねば。なんというか、極限レベル!!というまでではないんだが、エンターテイメントとしてはぶっとく安定している感じがして、すごい安心して見れる。ものすごくハイクオリティなテレビアニメだ。うーたまらん。期待度が盛り上がる。・・・・あっ、これって、たしかほとんど目立つ主人公がいなかったにもかかわらず、しかもマクロ優先(=全体)であるにもかかわらず、世界に深くつれていかれた『無限のリヴァイアス』と同じ印象を与える。そういう意味では、この少ない輪数でも、谷口悟朗監督のレベルの高さを感じる。この人は、新世代の監督として、僕の中で完璧にロックオンされた。監督主義で見る僕は、碇のように集中的に注目する人を選んでいるが、この人の全作品や言動も追ってみたいと思わせます。

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無限のリヴァイアス Vol.1


STAGE2:覚醒の白き騎士


STAGE3:偽りのクラスメイト


STAGE4:その名はゼロ


まださっぱり設定はわかっていないで、解釈のしようもないのだけれども…だけれど、とにかく面白いので、メモメモ。ネギまと同じで、深く入るには、段階段階で解釈していくのが一番いいのだ。先日mixiではしくん「スザクって士郎に似ている!」と言っていた。僕は話数を見ていないかったので、わからなかったが、STAGE4で一発で分かった。なるほど、、、、彼を見て、すぐに連想したのは、士郎・アーチャーそして、プラトンだ。あれ?たしかプラトンだよね、悪法も法だって云って、毒飲んで死んだのは?。あと、SEEDのアスランとキラの関係もすごく彷彿とさせる。なんというか、、、、いままでにいないほどに、こういう波に殉じるっていう強烈なキャラクターを、結果のみを重視する主人公のルルーシュに対置させるってのは・・・・うまいなーと関心。何か大いなるものに殉じる姿勢は、時に論理を超えた聖性を人に宿らせるものなんです。そういう頑固なカリスマ性みたいなものを、ほんの10分で、見る側に伝えるんだから、なかなか脚本練っているよなー。関心関心。


そこで、下の記事を見た。いや…ぼくは、時間なくて、シーズン3の途中で止まっているのに、どんどん見ているらしい・・・・・うらやましい。といいつつも、僕も顧客の接待を早めに切り上げて、ルルーシュ見ているんで、なんともいえませんが(笑)。


>どうしてもこのバウアーを見てると

『Fate』のアーチャーを連想してしまう

『Fate』のゲームをやったばかりからかも知れませんが

こうやって即連想させると言うのは

「アーチャーvs士郎」の構造がテーマ的にも構図的にも

非常に堅固に力強く練られているということなんでしょうね

他にこのテーマに関するこれ以上分かり易い例と言うのは

映画にもお伽話とかにも思いつきません

ああ、あれは極度に抽象化されてる良さと言うのがあるのかも


本と映画と、時々仕事
Season3見終わり引き続きSeason4へ!
http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/52705395.html


うーん、実は24を見ている時にも、僕も同じように思った。これって、Fateの物語が、キャラクターが極度の抽象化されていて、メチャメチャ完成していることを示しているんだろうなーと思う。もう、あのイメージ抜きにこの系統の人間類型の人格を語れなくなっているんもん。


そうそう・・・・・全体との個のテーマって、基本的には、解決不可能なものなんです。また、常識で考えると、全体が個を圧殺する結果以外にはならないんですよ。それは、物語というのではなく、現実的にそれ以外あり得ないというだけ。


それを、物語の次元…つまり、ある個人(=主人公)にひっくり返させようとすると、ものすごいスーパーマンが必要になるんですよね。ただ、、、昔は、ご都合主義の時計仕掛けの神様を出せばよかったんだけれども、近代文学が浸透して、受け手の消費者が複雑なものをとらえられるようになる・・・・というか、聖性よりも論理を重視する病にかかっている現代では、あんまり単純なものでは人は、心が動かなくなっているんですね。そうすると、アーチャーやバウアーのような、非常に不可思議なぎりぎりの線で苦悩する・・・ほとんど狂気とテロリストと紙一重のキャラクターが出てきてしまうんだよね。


このへんって、時代的なものがあるなー。


というのは、これらのキャラクターの難しい点は、自分が「不可能性の無理なチャレンジ」をしていること「人生が失敗すること」…いいかえると自分自身の「自己」を信じられないのに、狂気のような信仰を宿して行動しているんですよね。というか、理性的に考えると、非常に無理で、、、しかもそれが正しいのか正しくないのかわからないような決断を、自分でも善悪に分けられていないにもかかわらず、飛び越えて決断しなければならないんですよね。


テロリズムってのが、そういうものの象徴なんだ。ショートタームで考えると許されない悪なんだけれども、ロングタームで考えると、そういうものを生み出す大きな流れの否定なわけで、、、という風に、頭で考えるときりがなくなる。


そこで、体制側もテロリスト側も、言葉を飛び越えて、行動に転嫁してしまう。なぜならば迷っていては、死ぬか世界が滅びるからだ。善悪の判断抜きに、行動に転嫁していまうといのも、同時代的だなー。

非常に同時代的なもので、日米でもシンクロするんだーと感心してしまいます。まっアメリカという世界の帝国の属領で、同じテロ戦争という現実の次元を生きている上に、ほぼおなじ消費レベルを享受しているんだから当たり前といえば当たり前だけれどもね。


このへんの、テロ戦争時代の世界認識ってのを、もう一度考え直してみたいなーと思わせる。ちなみに、ルルーシュが、テロなんかダメだ、、、やるなら戦争だ!というのは、非常に論理的でうなった。毛沢東のゲリラ戦とヨーロッパの伝統的な戦争体系である正規戦の考え方の違いを示していて…おおーーと思った。そうそう、、、、世界を変えたいのならば、ゲリラやテロではだめで、論理的に考えれば(ルルーシュの立場)、、、戦争で、正規戦争で打ち勝つしかだめなのだ。人類の伝統では、それが常識だ。そういう意味では、なにかに殉じるスザクの姿勢こそ、非常にテロリスト的に僕は見える。うーむ、興味深い。


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田辺 イエロウ
結界師 (1)

この手当たり次第の本棚のとらさんの記事は、実はずっと頭に深く残っている。というのは、前にネギまの記事でも書いたのだけれども、日本ってのは、東西両方のファンタジがー深く通俗文化・エンターテイメントに浸透しているので、不思議な奥深いところまで、ガジェッドや宇宙観の部分が展開する場合が多い。たとえば、ネギま主人公のネギ君は、西洋魔法を操る中国拳法の拳士であって、そんなのは絶対イギリスやアメリカではありえない発想ですよね。そういうのって、面白いっ!って思うのです。




「結界」の通俗的にいわれている定義は、以下だ。

概説
本来、仏教用語で、清浄な領域と普通の領域との区切りのことである。この境界線を示すために、神社・寺院などの境内や建築物では意図的に段差を設けたり、扉や柵、鳥居や注連縄などを用いる。一定範囲の空間に設定されたタブーを視覚化したものとも言える。また、聖なる領域と俗なる領域という二つの世「界」を「結」びつける役割をも持つ。
古来より村の境に配置された道祖神、庚申塔などの石仏は災厄を村内に入れないようにするための結界の役割をしていたともいわれる。

◇結界の例
修業の障害となるものが入ることを許されない場所、土地に対しても用いられる。女人結界などがその例である。
この他、生活や作法上注意すべきなんらかの境界を示す事物が、結界と呼称される場合もある。作法・礼儀・知識のない者は境界を越えたり領域内に迷いこむことができてしまい、領域や動作を冒す侵入者として扱われ、無作法または無作法者とよぶ。

◇茶道具としての結界
茶道具の一つで、客畳が道具畳に接続している時に、その境界を表示するために置かれる物を「結界」と言う。これは炉屏とも呼ばれる。

◇フィクション作品における結界
小説、ゲーム、漫画など、フィクション作品に登場する「結界」とは、ある領域内を守る目的で、なんらかの手段や道具などを用いて持続的な霊的防御を施すことを言う。例えば霊的な能力を持つ者が、その力を用いて悪霊などの外敵を排除し侵入させない霊的な壁に囲まれた空間を生じさせるという描写が為される。

本当は、東洋的なファンタジーをもっと深くえぐってほしいなーと思う。そのためには、中国と韓国のエンターテイメントがもっと流通するといいなぁ。そのためには、その文化の持つ宇宙感覚が、広く人口に膾炙しないといけないのだが…もう少しなんか出ないかなーと思う。

武田 雅哉
桃源郷の機械学
こういう本がもっと読まれるといいのだろうけどなー。
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コードギアス 反逆のルルーシュ 1

うおぉぉぉぉぉぉぉぉおぉ!!!!!。

すげぇ。


こりゃすげぇ。なんつーか、この設定、おれ死ぬほど好き。まだ一話だけしか見ていないのだけれども、僕の好みとして、物語に一番求めるものを、完璧に満たしている。一話であまりに感動してしまったので、次を見るのが怖い(笑)。だって、ここまでのマクロ的な設定の見事さと、ミクロ的な演出の可能性を造られたら、期待しちゃうもん。


でもまだ可能性は可能性なんだ。これが傑作になるかどうかは、もう少し見て意味ないわからない。演出自体は、稚拙な部分もあるので、この一話だけで完璧とは言い切れない。。。。


けど、けどな!、ただ、世界観の設定だけで言うのならば、『蒼穹のファフナー』とか『シムーン』とかで描きたかったマクロの設定からミクロへの接続(これまた今度定義書きます・・・)というものの、秀作レベルを明らかに一話だけで越えているのがわかる。それらの作品も、すごい志が高いのはわかるのだけれども、何かが足りない感じがしたんだ。けど、これはその足りない何かを、同じ方向性を目指して、あっさり一話でクリアしている。既に、たぶん僕が『機動戦士ガンダムSEED』シリーズで感じたと同じくらいの面白さはあると断言できるね。このレベルが持続さえしてくれれば、相当のレベルに行くと思うのだが…。一話見て、ここまで入れ込んだのは、学生の時に新世紀エヴァンゲリオンの二話目を偶然リアルタイムで見て、もうかなりの期間アニメなんか見ていなかったのに、雷が落ちたように、その世界へ連れて行かれた時の衝撃に似ている。というか、、、、もう一話だけで、あたまん中でフラッシュバックが止まらない。これとか、これを思い出しました。


       

どうせならば戦後日本史の総まとめのイメージを描き続けている天才・村上龍のシリーズに劣らないイメージの喚起をもたらすストーリであることを祈ります。個人的には、このテーマは、空白の日本近代史に入れたいほどです。今調べていたら、あの傑作『無限のリヴァイアス』の監督さんなんですね。あーこれは、期待できるわ。


   


■ストーリー



日本は世界屈指の巨大国家・神聖ブリタニア帝国との戦争に敗北。帝国の属領の一つとして「エリア11」という名前をつけられ、支配された。日本人は「イレヴン」という蔑称で呼ばれ、国名も、権利も、誇りさえも奪われた。これに反発する日本人はレジスタンスグループを結成して抵抗するが、人型機動兵器ナイトメアフレーム(以下KMF)を使うブリタニアの圧倒的な軍事力の前に、なす術も無く潰されていった。

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