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佐藤 優
国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
評価:★★★★★+α星5つ/マスターピースだ!
(僕的主観:★★★★★+α星5つ)

■「国家の罠」佐藤優著 /千の天使がバスケットボールをする

http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/8b444e0e0e34d2c0ed4a8ddd89aac0c5


樹衣子さんから、あなたは絶対好きだと思う、とのアプローチを受け読了。すばらしい、よく僕という人間をわかっていただけているようです(←こういうのうれしいですねー(笑))。死ぬほど面白かったです。というか、マジで何度も涙ぐみました。なんというか、自らを偽らない誇りに、ぐっときますねぇ。いまの裁判や自分が犯罪者になることよりも、26年後の外交文書の公開をターゲットに歴史の審判を仰ぐという姿勢・・・自らと使命を共にした仲間(鈴木宗男氏)に、私ぐらい最後までついていく覚悟です、という情・・・・それに正確無比な情報の分析力、、、いやぁシビレました。



■あらすじと概説


>外務省は、途轍(とてつ)もなく優秀な情報分析官を失った。おかげで読書界は類(たぐ)い希(まれ)なる作家を得た。退官した外交官がよく出すノー天気な自画自賛本が100冊かかっても敵(かな)わない密度の濃さと面白さ。

米原万里さんの書評 より


この故・米原麻里さんの書評が、とても的確。これは世にいう、鈴木宗男事件の顛末を、逮捕されたノンキャリアの外交官佐藤優氏が描いたものだ。こういった暴露本は、たいていその事件自体の意味をひっくり返すほどのことはない場合が多いが、これは違う。日本社会の本質まで切り込まれていて、歴史的に価値が有る本だと思う。


>著者は自己弁護や復讐(ふくしゅう)のためにではなく、あくまでも26年後に公開される外交文書との整合性を目論(もくろ)んで本書を記した。清々(すがすが)しい読後感は、この歴史に対する誠実さからくるのだろう。


と米原さんの評だが、まさに、僕も同じ読後感を味わった。彼が、日本国の国益と未来の歴史という大きなモノへ仕える人間であるという視座が非常に強く伝わる。この辺は、大いなるものに仕える意識の強いキリスト教徒だなぁ、と思う。それにしても、あれほど無能な外務省に、これほどの高い国益意識を持った職業官僚がまだ存在したことに感動を覚えました。まぁこの優秀さが、ノンキャリアから来るという部分も、日本社会を特徴づけるなぁ、と感慨深かった。


この本を一言で云うならば、ハラハラドキドキするエンターテイメントの小説物語としても充分読み応えのあるという不思議な作品だ。しかも読み終わった後に、職業に対する誇りや、日本社会の構造的問題点が、スッキリ整理できる点も、著者が、とんでもなく優秀な情報分析屋であったことを思わせます。


その是非や歴史的正当性はともかく、2002年の日露平和条約締結のために、人生の全てをかけて戦った男たち・・・政治家鈴木宗男と外務官僚佐藤優の物語である、とか書いても全然おかしくない見事なも物語だった。


凡百のスパイ小説ではかわないエンターテイメントだった。検事が、もし条約締結がなっていれば、今頃、鈴木宗男氏は、英雄として官邸に登りつめ、佐藤優もひかれて官邸入りしていたことは間違いない、というセリフは印象的だった。



■国事に奔走する充実感


このノンフィクションの究極のテーマは、国益だ。国益という言葉が、何度もキーワードとして出てくる。佐藤優氏の行動と動機の源泉は、常に、国益だ。まさかいまどきの外務官僚から、これほど真摯な国益(=ナショナルインタレスト)などという言葉を語られるとは思わなかった。見えないだけで、まだまだ日本にはこういった人物達が隠れて活動しているのだと思うと少し嬉しくなった。


彼の外務省ロシアスクールのキャリアのメインは、北方領土問題の解決と、ロシアと日本という対米従属ではない多極主義的なスキームの構築だ。まずは、その可否を問うのは置いておく。それは、対米従属・米国単独覇権主義のサポートを国是とした小泉政権の評価の歴史手価値の有無を問うことになるので、一言ではいえないからだ。、、、、、この佐藤優というノンキャリアの日本国家の外交官僚の半生を、一つの『物語』として読んだとき※1)、彼のモチヴェーションの核は、国益に身をささげること、なのだ。


※1)こういったノンフィクションや自伝系の読み物は、僕はすべからく、主観を突き詰めた物語であることこそが読者獲得------いいかえれば、著者の主張したいことの、世間への一般化・浸透が可能になる第一義要件だと考えている。



それにしても見事な官僚魂を感じる。精確にいうと、官僚というよりは、国益という正義に身をささげる公僕(パブリックサーバント)だと思うのだ。彼は、ケインズ型の公平分配政策に軍配を上げる評価を下しているように見えるが、その点も、パブリックサーバントらしい。この言葉は、ケインズの造語だもんね。・・・・・なのに、あきらかに、彼は組織に仕えていない(笑)。


「組織人ですから」


と言い切るその真摯な姿勢は、明らかに組織ではなく国益に仕えているのだ、という強い自負を強烈に感じる(笑)。おもわず、ウソつけ!(笑)って思いましたもん。



それにしても物語としては、なんと魅力的で、かっこいいのだろう!。この本を読むと、佐藤優氏が生きる『佐藤優という物語』のあまりのダイナミックな誇りと行動力に感動を禁じえない。


僕は、短い間のみ留学でアメリカで暮らしたことがあることをのぞけば、出張や旅行こそかなり行ったが、海外では暮らしたことがない。が、海外で、日本の情報から切り離される時間が長いと、自分が日本人の自覚を迫られ、ナショナリスト的になっていくのがよくわかる。肌の色、立場、様々なものが、自分を日本人だろう!と突きつけてくるからだ。そうした経験を、自覚的に考えたことがある人ならば、国家と個人の距離や、海外に出たときのナショナリズムや国益意識というのは、よくわかるはずだ。逆に、出ていなければ、たぶん絶対に実感できない。そうい意識を踏まえた上で、国事・・・・・・公共の、マクロの次元に仕えることの誇りというものは、とんでもなく凄いものがある。もう、死んでもいい、ってくらいのもんだ。こういうのは、明治国家建設や国を動かす意識を持って働いている人には、非常に強い。それが悪い方向に出ると、凄まじい犯罪になるので、、、良くも悪くもですがね。


前に『沈黙の艦隊』というマンガで、普通の政治家だった男が、世界的事件に巻き込まれていく過程で、「国事のために奔走する充実感を感じる」や「国事のために働くことに、足が震える気持ちです」というセリフがあったが、それをすごく思い出しました。


かわぐち かいじ
沈黙の艦隊 1 (1)

僕が知る限りの官僚としては、たぶん、彼は変人の類ですね(笑)。ただ、貫けはしないものの、こういう意識を持つ人は多い。そうでなければ、安い給料で、あれほどの仕事量はできないよ。




■シゴトをするときに従う原理



仕事をするというときに、


①組織に仕える人



②使命(ミッション)に仕える人


がいる。いやもっと精確に言いうと、場面場面でこの二つを天秤にかけながら判断していくというべきだろう。


この図式は、


①ルールキーパーRule Keeper


②ルールブレイカー Rule Braker


と、僕は勝手に読んでいるのですが二つに分けられると思う。


ルールを作り出そうとするか、それともルールを守ろうとするか、の差です。ちなみに、②はかっこいいので、これが正しいように思いがちですが、ほとんどの②は逸脱者で法律違反者です(笑)。組織は、そのシゴトと人員の過半が、②のルール逸脱者であったら、組織は崩壊してしまいます。

物事のパラダイムや根本を変えてしまうことやイノベーションを行う人間は、すべからく②です。が、②は、常に現行の体制からの逸脱者や犯罪者として現れてくるアウトサイダーであるために、その評価というものは、非常に難しい。明治維新を成し遂げた英雄たちも、徳川幕藩体制からすれば、ただの犯罪者でです。そういう意味で、佐藤氏は、強い使命感を持ったルールブレイカーだったんだと思います。ルールを破るということは、必ずしも経費を使うとか、そういったせせこましいことではないです(笑)。そんな小さなことは、実はどうでもいいんです。米国との・・・正確にいうと、アングロサクソンとの同盟を選んだ、吉田茂以来の日本の国益の根本を支えている外交体制を、国際均衡主義と独自外交のスキームに組みかえること、そういったこれまでのパラダイムとなるべき根本のルールを、崩壊させるという行動こそが、ルールの破壊者なのです。

これは、、、、非常に難しい問題だ。


僕も佐藤氏の理念と国際情勢分析には、国際均衡主義を経の体制作りという意味では賛成したい。けれども、日本国家体制が、まだ戦前と同じ独自外交に踏み出すだけの体制が、本当にあるだろうか?。あの無能集団の外務省などに。。。。本来は、鈴木宗男氏と共に官邸入りしてそのビジョンの政治レベルで発揮して欲しかった、と思う。彼の行動は、既に官僚というレベルを超えている。彼の目指しているのは、ナショナルインタレストに基いた使命に従がう選良(エリート)としての行動であり、、、それは、すなわち政治家の次元の話だ。ある種、機関の歯車でなければいけない官僚の器ではなかった、という部分もあるのだと思う。


まだまだこういった人間を、これからの日本は必要としていると思う。本当に素晴らしい本にであえました。樹衣子さんありがとう。

ちなみに、全然書ききれていないので、②に続きます。たぶん。


佐藤 優
自壊する帝国


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最近長文が多い。

長文だと実はコメントがつきにくくて、ちょっと寂しい思いをする。けど、まとめたり推敲するのって時間がかかる(というかキライ)なので、どーもなー。ブログの書き方とかスタイルとか、そろそろちょうど1年半くらいたつので、考えないとなー。過去の記事の整理もあまりできていない。自分でも、どこで書いたか覚えてなくなりつつあるし、見に来る人も関係で見れる過去記事リストなどあれば見やすかろう・・・とか思うのだが。細かいことは、シゴトで使い切っているんで、苦手なんだよなー。

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悪を行う日常




すごいデス・・・・・。というか、なんか、ネギを見ていて、せつなくなってきてしまった。こんな年齢で、ここまで考えるというのは、それだけ彼の過去や内的心象風景が荒んでいるって証拠だもんなぁ。このセリフは、地獄を見てきた人間が、その地獄から目をそらさない場合にしか生まれないセリフですから。


■65~66時間目:『僕だけのスーパーマン』①


■65~66時間目:『雪の日の真実』②


最近、ゆえゆえの活躍に心奪われていたが、、、考えてみると、ネギまを読んでいて、最初に感情移入したのは、やはり少年マンガの・・・ビルドゥングスロマンの主人公としてのネギ・スプリングフィールド君だったんだよね。彼に感情移入 しないければ、その他の女の子たちも、所詮ただの記号だったんだよ。最初の頃にそういったコメントを書いているしね。そういう意味では、よく設計された漫画だ。いい作品(さまざまな作品の構造設計が緻密であること)が必ずしも売れることにつながるわけではないが、こういう背景の複雑さがないと、陳腐で残らない作品になりがちなんだよね。



正義とは悪


ちなみに、超のこのセリフも、実は裏表で、ネギと同じところまで理解した上で、実践的に、ある極へ踏み出そうとしているセリフなんですよね。・・・・いい女じゃねぇか、やつは。エヴァの使い魔・・・・茶々ゼロが、6巻で言ったセリフを思い出します。あれも、伏線ですねぇ。


「オ前・・・・・・悪人ダナ・・・・?


自分の目的 欲望・理想ノタメニ 他人ノ犠牲ヲ厭ワヌ者-----それが悪人ダ


ダガ誇リアル悪ナラバ イツノ日カ 自ラモ同ジ悪ニ滅ボサレルコトヲ覚悟スルモノダ


オ前ニソノ覚悟ガアルカ?


4巻52時間目:「奇跡の時間」より




Chao

どうも・・・・超のアップって好きなんだよねぇ。萌えではなくて、こういう覚悟を決めたアルカイックスマイルってのは、個人的にすごくかっこいいと思うんだよ。なんか、腹がすわっている感じ。



■正しさを否定することは少年マンガの禁じ手


でも・・・・・実は、これは少年漫画としては、禁じ手の一つでもあると思うのだ。これは、善悪二元論のドラマツゥルギー についての書いたのだが、善と悪の境界を曖昧にすることは、正しさを追い求める動機を失わせて悩みに突入してしまい、物語が停滞しやすい。また、そもそも不可能だが正しいと思われることを、達成するところに、物語としてのカタルシスがあるのだ。それが、すべて失われてしまうということも、実は、この禁じ手は意味する。


自分の行為に思い悩み、生きること自体が、実は悪でもあるのだ!という認識は、ある意味とても大人で、物語のロジックとしては、成熟を意味する


けど、、、、そこからどこへ行くの?とも思う。

正しさを疑うならば悩み続けるしかないが・・・・・観客は、そんな小難しい悩みにつきあってはくれないものなのだ。ましてや、週刊連載や少年誌などというものは、そういった小難しい話に必ずしも、ついてきてくれない。それこそ、ポロリやパンツ(笑)でもなければ。・・・それにも限界はあるが。この認識を維持したまま、ドラマツゥルギーのダイナミズムを維持し続けるのは、とても難しい。とはいっても、幻の父性に追いつく、という究極の少年漫画のドラマツゥルギーを内包しているこの作品には、まだいくつもの駆動のダイナミズムが隠れているので、そういう意味では、本当によく練って設計した物語空間だと思う。感心する。いまの少年漫画で、このレベルの認識を維持して、しかもエンターテイメントを維持しているのは、冨樫義博さんの『HUNTER×HUNTER』ぐらいだろう。

冨樫 義博
ハンター×ハンター (No.23)

いやぁ、、、、ゆえの今後とか、ネギの志とか・・・・・ミクロでもなかなかに見応えがあるが、それだけではなく、こういった複雑な認識を保持したキャラクターが、エンターテイメントとして単純に揺れ動く週刊連載の読者をひきつけつつ、どのように、マクロの物語を進めて行くかという物語作家赤松健の今後も非常に気になります。もうこのレベルまで物語世界を構築できたら、でかしたもんだよ。唯一、『HUNTER×HUNTER』の天才に適わないのは、空間の横展開が弱いんだよねぇ。この辺は、ずーーーっとおきっぱなしになっているファンタジーの空間論なんで、まだまとまっていないのだけれども・・・・・・まだネギまは、学園世界というある閉じられた空間内での・・・・・それなりに安定した単一の原理でしか、物語空間をつくりきれていない。けど、その学園空間からの脱出は、ネギ先生と生徒たちというこの基盤的関係を崩壊させてしまう。それは、ネギまのドラマツゥルギーの基本を崩してしまう行為なので、このまま学園世界での世界として進めるか、その外部に出るアドヴェンチャーとするか、によって今後の物語の方向性は、がらりと変わるし、仮にそうした場合でも・・・・ラブひなのころから緻密に設計された萌え空間を壊すことなので・・・そこは、チャレンジだとは思う。この辺は・・・どうするんだろうなぁ?。


・・・・そういう意味で、ネギの父とアスナの過去というのは、「外へ飛び出す」キーになっているので、物語の次の次ぐらいのテーマはそこになるのだろうなぁ。まだ、、、全然核心の物語に到達していないという意味では、恐るべき漫画だ。。。。


yue
つーか、とかとか難しいことを考えつつ、自分のロジックを否定されたゆえゆえが傷つかなくてよかった・・・とか安堵するペトロニウスでした(笑)。ちなみに、このシーンとゆえのブーツとその後のシーンの黒のニースソックスの長さが違うような気が・・・。


ちなみに、前回りゅーりゅーさんに褒めて頂いた、↓の記事で、

■157時間目 『正義は何処に!?』 キャラクターを愛するということ

僕は、愛するということは、相手の根源の動機を理解してあげられることなのではないか?、と主張しました。


そういう意味では、

「これ以上・・・・一歩も先へ進めるはずはないのです!!」

(ゆえ内面のセリフ)

「これ以上・・・・一歩も前へは進めません」

(ねぎセリフ)

このほぼ1Pにわたる、綾瀬夕映とネギの考えている志向の流れの完全なシンクロの演出は、ゆえが、完全にネギの動機と志向を理解していることを示しています。つまりは、ここでは物語世界の夕映の恋愛という意味でのドラマツゥルギーはほぼ完成していると考えるべきでしょう。だって、これ以上、なにがある?。たぶん、ゆえものどかの手前もあるし、そもそも年齢的な問題もあるけれども、これ以上の愛情の示し方ってもうありえないよ。それこそアニメ版の三角形ドロドロまでいかないと(笑)。漫画は、まだトロトロなんですよ(笑)。・・・・残念ながら、うーんこれ以上、彼女の恋愛は前には進まないな、と思う。だって、恋愛の深まりってのは、すれ違いと勘違いで、相手の内面に踏み込んで理解して共感していく過程にあるものだと思います。けれども、完全に理解してしまえば、それは愛としてある種終わりなんですよ。

理解は、真実の愛だと思う。

けれども、真実の愛が、必ずしも恋愛という意味で成就するとは限らないのだ。理解者が必ずしも恋人や結婚の相手になると限らないことがそれを示している。まっ、これからどーなるかはわからんけどねー。のどかもいるし、もう少しひと悶着あるとは思うけど(笑)。

・・・・・個人的にこの手の理解が恋愛のキーになる性格としては、ゆえは、頭がよすぎて、ヌケがない、、、というかクソ真面目すぎ。のどかも千雨も、いざってときは、考えよりも行動を優先していて、、、、ゆえは、引っ込み思案なんだよなー実は。そういう意味では、この手の恋愛を進めていくタイプで成功しそうなのは、千雨なんだよなー。。。。(笑)

◇これまでの記事

考察

■157時間目 『正義は何処に!?』 キャラクターを愛するということ

■153時間目 綾瀬夕映の答えの予想~世界の理を曲げること

■11月16日は、綾瀬夕映の誕生日!おめでとう!!

ネギまにみる連載派の楽しみ方~連想が広がりテキストが多重の解釈を生むこと

■綾瀬夕映と長谷川千雨の共通点について

■142時間目「潜入!突撃!ネギ救助隊!!」/二元論の選択

■物語を楽しむのに必要な教養~ネギまをもっと楽しむには?
■138時間目 読めない展開こそが、週刊連載の醍醐味!

■119時間目『フィナーレdeてんやわんや』
■118時間目『すべての想いを両の拳に!』

■少年の成長物語(ビルドゥングスロマン)としてのネギま@114時間目

■65~66時間目:『僕だけのスーパーマン』『雪の日の真実』①・②

 ①http://ameblo.jp/petronius/entry-10001918480.html

 ②http://ameblo.jp/petronius/entry-10001918889.html

■単行本派と連載派/マンガの産業としてのありかた

■編集部の方針:「バトル推奨」となったネギま!!万歳!!!

■98時間目『立つんだ!ネギ!!』/勝つための理由・格闘の考え方について

■永遠の日常についての考察/『魔法先生ネギま!MAGISTER NEGI MAGI』
■戦闘における距離の問題


感想

■負の感情
■11巻感想

■118時間目『すべての想いを両の拳に!』

■107時間目『いじめっコ大将、エヴァ』

■104時間目『ネギとの約束』

■刹那と明日菜

■101時間目『体力バカのホントの力』

■96時間目『勇気が勝機』


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咲 香里
スマッシュ! 1 (1)
評価:未評価

(僕的主観:★★★★+α星4つ)


 いつも思うのだが、贔屓にしている作家が、新作を出すと、うれしいなぁ。自分が思い描いている幻想・・・・その作者の夢や内的価値感に強いシンパシーがあるからこそ、それにそった新しい世界が生み出されて、世の中に形になった時には、たかが一読者なんだけど感無量の感覚がある。ましてや、アッパーズであんな風に休刊により連載が終了するという悲しい思い出があったし、作者がバトミントン漫画を書きたがっていたことは、前々から分かっていたしね(笑)。それに、僕は、『春よ、来い』が好きになって過去の作品を読み返したときに、この人の作風は少年漫画で連載すべきだという仮説というか思い込みがあったので、それが証明されて、感無量です(笑)。いやーやっぱり、おれって見る目あるなーって(笑)。



 


■面白さの構造


 咲香里さんは、ずっとファンなのだが、連載を追うという経験は、初めてです。初めての週刊連載ということですからね。週刊マガジンは購読しているので読んでいたのだが、実は、連載の一話一話を見ると、感情移入しにくいと自分では思っていて、?と思っていた。ところが、1巻を通して読むと、その違和感が消えるんですよね、、、。これは加筆してあるのか?それとも、、、、。という気分。


仮説ですが、たぶんそれは、


・憧れという駆動装置をバネに少年漫画の構造を獲得している


・そもそも主人公が勝つことに価値観を見出していない


・関係性の劇に才能がある作家


という部分で、このへんが、作者の魅力であり、今回の作品の核心の動機設計部分なのだが・・・・この仕掛けのために、いまのところは、週刊連載としては、主人公の動機が「わかりやすくない」というのがポイント。これは、僕は欠点かな、と思っていた。が、1巻を通して読むと、見事に動機が設計されて、一発で物語に入れるので、この辺の評価は難しい。まぁ、とにかく1巻を買え!ってことだと思う(笑)。このへんは、シンプルな少年漫画だった、旧作と対比をなしている。というのは、旧作『やまとの羽根』では、沢本翔という既に全国大会で優勝して頂点を目指している、凄まじく距離のある相手が、明確なライバルであり目標として主人公の鳥羽大和の前に立ちはだかっていた。だから、不可能なコトにコミットして、どんどん追い上げていくという、わかりやすい設計になっていたのだ。


少年漫画の王道とは?(1)~スケール勝ちとは時間軸の因果が逆転することをまわりに感染させること


ここで、少年漫画の本質を、それなりに解明できてきていると思っているのだが、少年漫画というのは、


週刊連載漫画の「次の週に読者をひきつける」というあざといテクニック


の集積の果てに、


常識や論理的には不可能なことを、主人公にできる!といわせて実現させてしまう


というハラハラドキドキ感をベースに、その物語構造に説得力を付与していくことがその真骨頂であると僕は結論付けています。


だから、


週刊連載という飽きっぽい読者にテンションを持続させるための手法



エンターテイメントとしてのわかりやすさ(=年齢層や理解力が少なくともひきつける)


というもののために、萌え(=Hなガジェット)やジャンプ的な『勝つ!』というわかりやすい眼の前の目標が用意されるのだと思います。たぶん、そういったあざとさが、少ないことが週刊連載での感情移入の弱さにつながっているんだと思う。けど、、、逆に、通して読むと、それがまるで嘘のように感情移入できるんで、この辺は、たぶんどういう掲載の仕方で情報摂取しているのか?という部分なんだと思うなぁ。そもそも、たぶん「区切り」が、連載の一話ごとではなくて、1巻でやっと一つぐらいのスケールなんだと思う。この「おもしろさ」を、けど、週刊誌の読者は、ちゃんと読み込めているかどうかが、少し不安です。週刊誌の少年漫画の技法は、読み捨てられて飽きられやすい、という前提で発達したものですから。パンチラも、ポロリも、あざとい勝ち負けも、そのために生まれてきた手法ですから。


・・・・・ちなみに、やまとの羽根では、主人公の目標が、「あんまりに不可能で遠い」というポイントと、それでも、物凄いスピードで奇跡のように追い上げていくやまとの姿に、シンプルでわかりやすい少年漫画の物語性を見出せました。だから、これは見事だ!って思ったのです。この辺の憧れの構造は、また今度・・・次の巻ぐらいで少し分解してみたいと思います(笑)。

咲 香里
やまとの羽根 1 (1)
咲 香里
やまとの羽根 2 (2)
咲 香里
やまとの羽根 3 (3)
咲 香里
やまとの羽根 4 (4)



■憧れが新しい世界へ主人公を連れ出してゆく


咲香里さんの魅力は、もう僕は一言で言い表せる。ほぼ本質は理解できた、と思う。


彼女の魅力と読者に伝えたいメッセージは、常に、憧れ。


何か届かないものへ、狂おしいほどせつなく、追いかける憧れの感情


が彼女の価値の核心だと僕は分析しています。だって、全編そういうセリフで溢れているじゃないですいか(笑)。もちろんそれ「だけ」じゃーないですが、彼女が云いたいことはそうなのではないか?と僕は、メッセージとして受け取ります。僕のように、世界は無味乾燥な日常の連続だという世界認識を持つ人にとっては、凄まじくキラキラうつります。おもえば、H漫画であった『SWEET PAIN LITTLE LOVERS』圭ちゃんのころから、そうなんですよねぇ。ちょっと思い出した(笑)。彼女の一途さも、病気も、世界に『それ』しか見えない、という視野が狭い夢中な切羽詰った生き方を連想します。


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咲 香里

Sweet and Bitter(スウィート&ビター)

だから、悪い言い方をすれば、視野狭窄。しかし、僕はこの言葉にとても嫉妬を覚えます。曽田正人のマンガ『昴』で、世界の頂点に立つプリシラというバレーダンサーが、夢中・・・・・まるで夢の中にいるような、その他を一切見ないでまっすぐ自分の目的に向かって生きる生き方、、、、世界で私は一番幸せかもしれない・・・と語るシーンがあるのですが、それを思い出させます。

曽田 正人
昴 (2)

僕も、つまらない雑事にとらわれないで、自分の生きる価値に、自分の人生を捧げることができることこそ、幸せというものなのではないか、と思います。そういう意味では、たぶん頭で考えたのではなく、天然系に「そういったもの」を志向していまうこの作者は、頭ではなく体で皮膚感覚でそういった人生を生きることが好きな人なのでしょう。


話がそれました。


さて、『スマッシュ』は、実は週刊誌の少年漫画としては、わかりにくい群像劇の構造をしています。というのは、いまのところ、唯一この作品の物語るべき方向性を指し示している主人公翔太のモチベーションは、


①優飛への憧れ(=恋?)


なんですね。


彼は勝ちたいうのではなく、彼女の会いたいということを動機の導入口として、バトミントンにのめりこみます。

「あんなに強いなんて・・・まるであの娘みたいだ。」

「なんて強い--------! どきどきする 強い相手とのゲームが こんなに楽しいなんて・・・今まで知らなかった世界を見せてくれる わくわくするよ」

「3#重なる面影」より

このセリフが、1巻を通してのテーマである翔太の動機形成の核心を表わしています。二つの動機が隠れているんですよね。けどね、『やまとの羽根』のやまとが、日本で一番強い相手を目標に、そいつに勝つことを動機の根本としているというシンプルさに比べると、翔太の動機は複雑で、しかもわかりにくい。

②バトミントンのレベル自体の向上

翔太の動機を、上記のセリフから分解すると、①優飛への憧れ(=恋?)と、②バトミントンのレベルが上がることで開けてくる世界への喜びという二つの憧れが、彼を前へ進ませる動機となっています。この二つが、普通の人であった主人公の翔太を、今までとは全く違った世界に連れ出すということを、本人が無意識に気づいてマインドセットしてしまった、という動機付けのシーンなんですね。これはよくできているし、よくわかる。

この二つが入れ子構造になって、翔太を前へ進ませるんです。


けれど、複雑ですよね?。

 まず一つは、ストレートではないということ。ストレートに「優飛がほしい!」というのでも、ストレートに「世界一ィィィィィィイ」とかいうのでもないんですよ。この辺はどうこの要素を具体的に料理展開するかは楽しみです。ここは、逆に言うと、複雑な分だけ、読者をひきつけることができたら、深い関係性の劇に引き込むだけの設計があるということになります。そこが、作者の真骨頂でもあると思うし。


 もう一つは、バトミントンの技術のレベルが向上することによる世界の風景の見え方の違い、、、というのは、非常に・・・岡田斗司夫的な表現で言うと、職人の内的風景なんですよね。その内的認識の向上という物語は、たしかに大きなドラマツゥルギーの一つなんですが、これって、軍人や王様からするとさっぱりわからない感覚なんで、うまく描かないと、読者に伝わらない可能性が高い。「勝つ」ということがジャンプシステムの大きな柱になったのは、非常にわかりやすい(=伝わりやすい)価値だからなんですよね。まぁだから亜南がいるんだと思うけど(笑)。この内的認識の向上ってのは、表現できると最高なんだけど・・・・わかりやすくするのは、すごく難しいんだよねぇ。具体的にはわかりにくいものだから。・・・・これを、バトミントンというスポーツで、どうやって表現するかは、まだバトミントンの細かなルールなどを全然描いていないので、これからですね。

■美羽がちょーかわいい(笑)


つーか、そんな動機論など小難しいことはどうでもよくて、本当は、この人の漫画としての面白さは、なんといっても女の子がめちゃくちゃかわいいぃぃ!!(笑)ってことなんだよねぇ。さすが、元・美少女漫画家だけある(笑)。やきもち焼く美羽や泣いている優飛なんて、、、、もう、、、死にそうなほどかわいいよ。お風呂のサービスシーンに感動している男どもは多いはず(笑)。って、そういうことではなくて、僕は美羽が好きなんだけど、なんでかっていうと、現時点で動機がシンプルによくわかっていて、その動機をベースにした感情の喜怒哀楽がはっきり読者に伝わるのは彼女だけなんだよね。それ以外は、ちょっとわかりにくいんだ。亜南も勝つ勝つというけれども、父親を見返したいという動機だけでは、実は薄いんだ。それならば、何故バトミントンでなければならなかったか、とか手段としてバドを選んだ論理性が不明。軍人としての彼の動機をわかりやすく説明できていない。翔太は、非常に論理的に設計されているんだが、如何せんシンプルじゃない。


翔太のこと大好きだけど、翔太は私にかまってくれない!


っていう美羽の動機は、物凄いわかりやすいもんね(笑)。つまり、週刊連載レベルではまだキャラクターが立っているのは、まだ美羽だけなんだよね。優飛の内面はまだ全然描写されていないしね。萌えというわけではないが、やはり漫画や物語は、読者を内面世界に同化する力が弱いと、せっかくの物語の設計が、読者に伝わりにくくなってしまう。これを見る限り、翔太は、やまとに比べて、感情喚起力の弱いキャラクターだ。それは、多分、やまとよりも、大人でしかも、実は内向的な職人系なので、自分自身で『ほしいものがほしい!!』と叫ばない性格なんだよね。そういう人は物語をひっぱれない。だから、多分彼を核に、周りが彼を動かすひっぱりまわす方向へ構築しなければならないのだが、まだそれができていない。やはり、総じて評価すると主人公の動機設計が、ちょっと週刊連載レベルでは複雑だと思う。


・・・・・・が、、、しかしこの人の真骨頂は、関係性の中にあるので、そのへんは、仕方が無いかと思う。1巻を通して読むと、その辺がバッチリ伝わるので、単行本レベルの設計は、非常にできているので、あとは、どうやって週刊レベルで読者を萌え&引き込めるか?だと思う。まぁ、いってみると、週刊連載をする人としては、いやらしくないストレートな人なんだよね(笑)。本質は、すげぇよく設計できているんだから。


まぁまずは、単行本で買え!!ってことなんだよね(笑)



■関係性が面白い


でもね、、、、、マイナス的に書いているけれども、僕はこの咲香里という人の作家としての資質に疑いは抱いていないので(すでに1巻で、翔太の動機をこれだけ明確に分解できるからね・・・・逆に言うと展開が楽しみでもある)、この先どう料理するのかが気になります。というのは、咲香里という人は、エロ漫画出身で、かつ代表作の『春よ、来い』では恋愛の関係性を描いた作家だったんですね。だから、テイストとしては、少女マンガの形式が得意な人なんです。


しかしその核が「強い憧憬」であるため、またバトミントンというスポーツという舞台を選んだ時点で、どうしても勝負に勝つという物語の類型へ自ら踏み出すことになりました。彼女の才能としては、数人の関係性を深めていくこと、その関係性を恋愛を絡めて感情の上下を描くことが上手い人なので、その得意な部分と少年漫画的な憧れをバネにした動機による上昇の部分を、どのようにリンクしてくれるかが今後楽しみです。だって、美羽も優飛もちょーかわいいんだもん(笑)


この手の関係性とスポーツによる上昇という舞台設計を今一番うまく描いているのは、羅川真里茂さんの『しゃにむにGO』なんですよね。根本の動機がかなり違う作家なので、同じ物語空間を作っても、全く違う傾向の作品になるとは思いますが、翔太が上昇していくスピード感と関係性を両立させるのが、これからのテーマでしょうねぇ。この辺は難しいところ。


羅川 真里茂
しゃにむにGO (20)

が、、、、関係性勝つことということを、うまくマッチさせることが出来れば、作者の長所が生きる空間が形成されるのは、間違いないと思うので、楽しみなマンガです。


えっと、動機がわかりやすくないことが欠点だと僕は連載を読んでいて思ったのですが、単行本を読むと一発でそれが深く理解できるんで、逆に云うと、これは単調な動機のやまとの羽根をより、自分の得意領域に引きつけている、ともいえるのだと思う。つまり、お楽しみはこれかだら!!ってこと。




■団体戦ではなくて個人の世界~個人の自己実現と集団への狂気の伝達


ちなみに、、、、全作品を読んで、感じたのだが、上記の「少年漫画の本質とは?」というのは、②があって、いま書いているところなのですが、それは、組織の話と、一人の主人公が他人を、仲間として巻き込んでいくことの倫理性を問うという問題意識なんですが・・・・咲香里さんの作品は、その全てが、個人の自己実現を目的としていて、個人の自己実現以外の世界を描かないというところに特徴があります。だから、サッカーや野球などの集団スポーツではないんですね。『春よ、来い』も恋愛ですので、恋愛も自己実現の単一の幻想+対幻想の世界で、共同幻想ではないんですね。これは、個人の資質かもしれませんね。僕も、実は、集団というものに全く魅力を感じません、個人的体験としては。スポーツも、剣道、居合、空手、テニスと、長くやっているものはすべて個人プレーですもん。



■関連記事


『やまとの羽根』 咲香里著~憧れという感情について~新連載『スマッシュ』によせて①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10014781527.html


『春よ来い』 咲香里著 主人公の成長が、あたたかい自然な恋が、凄く好き!!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10013437731.html


『春よ、来い』/『太陽が落ちてくる』咲香里著
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001939658.html


『春よ、来い』10~11巻 咲香里著
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001874064.html


咲 香里
少女の季節
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テーマ:
ヤマグチ ノボル
ゼロの使い魔
評価:★★☆星2つ半
(僕的主観:★★★★星4つ)



「あんた誰?」―才人が目を覚ますと、愛い女の子が才人を覗きこんでいた。見回すとあたりは見知らぬ場所で。魔法使いみたいな格好をしたやつらが、才人と女の子を取り囲んでいた。

あらすじより


まさに異世界ファンタジーの王道的パターン(笑)。そして、、、、


とにかく、とにかくルイズが、かわいいんです。


以上!!(笑)

ライトノベルの売れている主人公って、なんでこう120%ツンデレばかりなんだろう(笑)。


■物語の評価~ハリーポッターの亜流


いま出版されている半分4巻まで読んでいるが、単体としての完成度は、一巻が圧倒的で、そして全作品中で圧倒的に陳腐ででもある。


あまりに王道で、この手の異世界にいきなり召喚されてしまうという設定は、もう陳腐すぎて涙が出て手垢で手が腐るほどありふれた設定です。しっかも、その後、召喚した美少女の奴隷として、魔法を学ぶ学園内で、ずっと仕える(=生活を共にする)というなんとも超ウラヤマシイ(笑)男の子にとって夢のようなラブコメファンタジーです。こういう単純な作品をみると、ほんと男の子って、いつでも求めることは変わらねーなーって笑えます。


ちなみに、物凄く強くハリーポッターを思い出させるが、ようは異世界モノの王道を、見事に簡略化してライトノベルに仕上げているといったふう。物語としてではなく、文学として評価したら、下作中の下作の上、パクリといっても過言ではないとは思う。しかし、物語として考えると、強度がとても高い作品だと思う。この作品が長く続いているのは、よくわかる。はっきりいって、筆者は、小説がヘタだ。読んでいて、かなり引っかかるほど、文章が下手だし、舞台設定の整合性も物凄くヘン。たとえば、主人公のサイトが、よく苦しいことから逃げる時に酒で酔っ払うシーンがあるが、そんな風な飲み方ができる高校二年生なんか、そうはいるかっての(笑)。そうでもなくてもヲタク系の平均高校生の彼が!。ことほどさように、設定の整合性の力や、ファンタジー世界の物語における教養の深さなど、そのレベルの低さは圧巻(笑)。まさに、悪い意味でのライトノベル(軽い小説)を地で行くような作品だが・・・・・・


おもしろいんだよねぇ。


おもしろんだよ。ルイズが、これでもかって、かわいいんだよ(笑)。これは、絵柄の兎塚エイジ氏の力量にも負うところが大きいのではないかと思う。すくなくとも、アニメとマンガの絵柄は、僕は全然いいとは思わないので。まぁこの面白さは、いわゆるエロゲー的な、相手の内面を神の視点から眺める傲慢さの結果ともいえるんだけど、いーじゃん、そもそも物語りなんて、読み捨てて人生の癒しのためにある場合がほとんどなんだかさっ(笑)。・・・まぁとにかく、異世界モノの重要ポイントと現代ヲタク生態の核心であるキャラクター萌えж1)という部分を凝縮している。だから、この作品が、広範囲に読まれる・・・・シリーズ125万部!!だぜ。


物語は、たぶん1巻が一番陳腐で王道。が、強度が最も高いのは、1巻だと思う。ここで設定がキチットつくられ、ツンデレヒロインが、馬鹿にした奴隷のサイトを好きになっていくという部分のみが、この作品の唯一にして最も核心のポイントなので、これが一巻で完成した時点で、この作品は売れることが決定づけられたのだと思う。・・・・・数年後見返したら、何の価値もないと断言できるほど、中身の薄い作品(笑)。多分人生の何の糧にもならないだろうと断言できるこれらのライトノベル・・・・・けど、読めると幸せだよね。だって、ルイズかわいーもん(笑)。そう、他者に、何らかの喜びや気持ちを喚起できれば、それはそれだけで物語としては充分なのだ。


   


   
   


■ライトノベルとは?~本という媒体の感受形式の変化



ライトノベルという分野の定義は、難しい。


そのうえ、物語を平等に評価するという僕のような「物語読み」の視点 で物事を見ると、カテゴリー分けをする視点というものこそが、特権階級を形成する差別の視点であって、否定されるべきものなんですよ。僕は、教養主義を強く主張するくせに、教養主義の帰結がもたらす物事の階層化には否定的というのですから僕という人格は、支離滅裂ですねぇ(笑)。


今までの考察をもとにすると、僕はライトノベルという作品に二点のポイントを見出しているようだ。リンク先はわからなくなったので、勝手に探してもらえばいいです。


①読書人の敷居の低下及び視覚に頼る情報摂取の優位性による、本という媒体の感受形式の変質


②萌えと呼ばれる神の視点からの感情移入ポイントの創出


今回の記事は、ただ単にルイズのことがかわいいということがいいたかっただけなのに、なんだかまた小難しくなる・・・。僕ってのはどうしてこう解説魔なんだろう。本当は、ルイズのツンデレ振りにもえもえでですぅ~とかでいいはずなのに・・・・(笑)。どうも、その辺のキャラクターの愛らしさというものや感情を表現するのが、僕は苦手なようだ。そういう人を見ると妙に羨ましくなる。・・・だから、僕は愛という偏愛の感情を、理解という知性で表わしたがるんだよね。偏った人だ(笑)、と自分でツッコミ。


さて話を戻すと、詳細書くのはめんどくさいのだが・・・・60~70年代の角川商法の展開と重なるのだが、このあたりから、教養主義を基盤する知性の階層化が壊れはじめる。角川のメディアミックスの展開が、映画と本などのメディアを横断して売るという手法を生み出したときに、、、、、必然的に、ニッチを相手にしていた文学という特権階級の世界が壊れ始める。今の時代、あたりまえにマルクス・エンゲルス、西田幾太郎、ゲーテなどを読む読書人は消失したと思うが、それを大学生が読むのが当たり前である(読む頭がなくとも)ということが常識である時代が、70年代の初めぐらいまで残っていた(そうだ)。そのときに、歴史に残る偉大な文学作品は、よく初版10部(笑)とかいうことがよくありました。・・・・わかります?。初版が、二ケタ台しか出ないんですよ(笑)。つまり、マーケットが、それくらいしかないという前提でものが書かれているのです。マーケットとは、その中身が本当に理解できる人々という意味です。けど、角川手法の登場により、角川書店に対抗するためには、彼らが想定するマスマーケットを攻略する方法を編み出すということが、全ての出版社の生き残りをかけて始ります。そのときに、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の頃ですが、100万部というお化けベストセラーが文学の世界に登場するようになります。今は100万部でもちっぽけですが、、、当時は、信じられない快挙でした。と、同時に、文学のレベルが下がったと、凄まじいバッシングが生まれました。出版業界には、売れすぎるものは、レベルが低いという神話があったようです。ようはね、マーケットの想定サイズが変わったために、必然的にその層に合わせた敷居の低下合せいしているのです。それをレベルが下がったというのは、正しく、そしてある意味間違っています。


そもそも、多くの人は、文学のスクエアで難解な中身を必要としていなったんですよ。そんな小難しいことをに悩むのは、社会のほぼ数パーセントの少数の人間だったんです。社会の大多数の人が求めていたのは、文学ではなくて、物語なんです。日常のひと時を忘れさせてくれる快楽だったんですよ。


けれども、大学教育の向上による日本社会の識字率の向上が、文章を読むこと(=理解する)ことができないくせに、文字が読める人をたくさん生み出してしまいました(笑)。これは、実は、過去の全くリテラシーがマイナスの頃に比べると圧倒的に大衆と呼ばれていた層が、識字率とともにハイレベルの教養意識を持ち始めたという部分と裏表になっています。もちろん、教養といっても、古きよき時代の特権的知識アリストクラートという意味でのレベルでは、ちゃんちゃらありませんが。


けど、向上は向上。つまり、本メディア媒体の世界に、新しいマーケット層・・・消費者が、70年代以降に登場してきたんです。


その層とは何か?


というのが、ライトノベルや角川系統の小説の層を分析するために、重要なポイントとなってきます。畢竟、現代の本メディアやメディア媒体を横断するものへの、購買層への分析というものの本質となってきます。


・・・・・つかれたし、ルイスのかわいさを説明する文にならなくなったので、続きはまた今度です。



ж1)キャラクター萌え

これについては、きっと近いうちにアセティツクシルバーのはし氏 が、前説を解説してくれると思うので、ここでは詳しく書かない。ちなみに、りゅーりゅーくん と僕のゆえへの姿勢が、物語の鑑賞の仕方のあるべき姿の一つだと僕は思っている(笑)。感情移入力なんだよ!ようは。熱くどこまでも物語世界への同化を求める没入の求道だ(笑)。

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