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いまちょーいそがしい(笑)。


なら、ブログなんて書くな、とかいわんでください。。。


忙しいときに限って、体を削って文章を書く。


気分転換したいのもあるが・・・。


これって、テストの前日に銀河英雄伝説やグインサーガを読みはじめて止まらなくなるような、


苦しいことや切迫感に出会うと、逃避したくなる!例の症状の典型例だな(笑)

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060626-00000504-yom-bus_all

世界2位の米富豪が寄付、慈善団体に4兆3000億円(引用)

 

【ニューヨーク=北山文裕】米国の著名投資家、ウォーレン・バフェット氏(75)は25日、保有資産の大半を慈善団体に寄付する意向を表明した。

 米経済誌フォーチュンなど米メディアによると、同氏は会長を務める米バークシャー・ハサウェイの保有株式の約85%を7月から段階的に五つの慈善団体に寄贈する。

 寄付総額は約370億ドル(約4兆3000億円)近くに達する見込み。

 このうち8割強は米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長が設立・運営する慈善団体「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金」に寄付される見込みだ。バフェット氏も慈善団体を設立・運営してきたが、旧知のゲイツ氏の活動に共鳴しており、ゲイツ氏の財団に資産を集約することで資金の有効活用が図れると判断したという。
(読売新聞) - 6月26日12時10分更新

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ノブレスオブレージだ。


・・・・・僕は、かなり村上ファンドが好きだし、どちらかというとトータルでは肯定的な評価を、今このバッシングの激しい時期でさえ持っています。


・・・・・が、


やはりこういう姿勢、そして財団を運営する熱意(ビルゲイツを見よ!)を見ると、優者の義務(=ノブレスオブレージ)を強烈に感じてしまう。


それに比べると、日本のファンドマネージャーは、、、、、あまりの桁違いの差に呆然とします。

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23

羅川 真里茂/しゃにむにGO 23 (23)


■人生の負の側面を追跡する~少女マンガは内面の理解を求める


羅川真理茂さんの作品を、読んだことはあるだろうか?。

   

一様にいえるのは、どれも非常に暗い作品だ、ということ。母親が死んでしまって、まだ赤ん坊の弟との日常を追った『赤ちゃんと僕』や、ゲイの愛を描いた『ニューヨーク・ニューヨーク』など、とにかく設定自体が非常に暗い上に、これでもかっ!ていう暗い題材を作中のドラマのポイントとして設定する。


いつも思うのは、「作者にとって現実ってのはそんなに厳しいところなんですか?」(苦笑)、という疑問。


例えば、この巻から「それぞれの葛藤」に入るのでかなり暗くなります、とフリースペースに書いてあったが、凄い暗い。


この作品のヒロインであるひなこは、事故で片足が不自由で、好きで好きでたまらなかったテニスをあきらめたというつらい過去を持っている。彼女が、自分自身の自信を取り戻そうと、精神的にあがくことが、この作品のテーマの一つでもあるのだが、、、、。その描き方・・・・自分が、なぜ弱い方向に向かっているのか?ということに気づいていく様などは、非常に厳しいプロセスで、読んでいてこっちの胸が痛む。



「常に走り続けている人に 追いつくにはどーしたらいいんだろうって思っていた」



「それって、延っち先輩の事っスか?」



「・・・・ううん 特定の誰かじゃないの あたしの中の問題」



このセリフとか、内面エグる会話だよなー。彼女が抱えている問題の大きさや苦しさからすると、「それ」が外部の問題ではなく、自分の問題だと抱え込む様は、よく分かっているとは思うが、厳しいよな、と思う。自分自身の心や、生の現実と向かい合うということは、分かっていても容易なことではないのだ。


とにかく、正直云って、テンション低い時に読むと、落ち込んで立ち直れないほど、苦しい設定が、ドラマツゥルギーとしてセットされている。こういうのって、作者の現実認識を如実に反映するので、一体どういう人生を送っている方なのか?と驚いてしまう。


ただ、人生の負の側面や弱さを、逃げることなく大前提として包括する視点は、大人だな、とも思う。たぶんこの作者にとって、未来よりも過去のほうが重視される時間感覚の持ち主なのだろう、と思う。どういうことかというと、未来志向の時間感覚を持つ人(いうなればネギまなどのように少年マンガの成長をセットしている物語)は、未来が明るい、成長によって、過去の負のものは消し去られることができる!!という、明るく輝く未来によって過去の闇が消し去られるような世界感覚を持っている。それとは逆に、過去を重視する人は、過去の闇が決して、単純には未来の光によって癒されたりかき消されはしない、という感覚を持つのです。


でも、わざわざそんな負の側面を物語で見たいかというと、大抵の大多数のユーザーはそうではないでしょう。


そこで、負の側面を追及する人は、そこからの解放や癒しをどう物語のエンドに持ってくるかが、重要になります。少年マンガの『成長』という概念のように、何もかもをかき消すような圧倒的な「輝き」ではない形でね。




■壮大なオペラのような津田雅美さんとの比較


同じ『負の現実』を継続的にテーマとして追っている人は、津田雅美さんが思いつく。


津田さんの短編などにもよく出ているが、彼女も、過去というものの闇を抱えることを凄く重視している人で、物語の設定にかなり抜きがたい負の側面を持ってきます。親に捨てられたと思っており、子供時代にDVの虐待を受けた有馬くんとかね。これは『彼氏彼女の事情』ですね。その他『天使の棲む部屋』では、18世紀のイギリスの炭鉱でボロボロに働く少年の話で、誘拐された女の子を偶然拾い育て・・・そのこの存在が救いとなったところで、彼女が病気にかかり、どうしても彼女を手放さなければならずになり、愛を知り、自分がいかに孤独だったかに気づいた時点で、全てを奪われる・・・という厳しい設定になっています。


いやー厳しいですねぇ(笑)。ただ、津田雅美さん作品を、読んだことある人は、それがオペラのような壮大な解決へのステップになっていることが分かるはずです。有馬くんは、最高の幸せを手に入れるし、天使の棲む部屋も最後の最後で心が冷え切った主人公は、自分が愛した少女と出会うことになります。

つまり、津田雅美さんは、現実は戦って変えることができる!!!と信じているんですね。


だから壮大なオペラのように、凄まじい負があっても、その負が多ききれば大きいほど、その逆の癒しや解放も素晴らしく大きくなるんです。だから、現実の負の側面が苦しければ苦しいほど、逆に、聖性を帯びた解放が、その最後に待ち受けているという物語上の期待感が盛り上がるのです。


逆に云うと、「めでたしめでたし」のご都合主義ともいえます。この「めでたしめでたし」のカタルシスを作り出せる作家こそを、僕は物語作家、と呼びます。


そういう意味で、僕は彼女の作品構成をオペラ的だと思っている。劇中に『アルジャーノンに花束を』を思い起こさせる鋼の雪という演劇の話が出てくるが、この話などまさにその感を強くさせます。


さて、津田雅美さんの「負の側面」の設定が、克服すべき、戦って変えるべきもの、という考えている、とすると・・・・


羅川真理茂さんは、克服できない、戦っても変えることのできないもの、というあきらめ感を非常に強く感じさせるのです。


だから、読んでいて、物凄く苦しい。


が、、、先ほど書いたように、作家であるかぎりは、エンド=終着点をつくりださなければなりませんし、そうでなければただのリアリズムで、読者を共感させられません。羅川さんがほとんどが長い巻数を重ね、このしゃにむに至っては、23巻ももの巻数を重ねていることからも多数の読者の共感を得ていることが、連載レベルですらあるということを示しています。


細かいネタについては、ネタバレになるので置いておきますが、どの現実の苦しい設定・・・・ひなこがどんなに好きでも二度とテニスはできないことや、滝田の性格などはとにかく「変えようがないもの」として、厳然として存在します。


たぶん未来も変わらないでしょう(笑)。『赤ちゃんと僕』も結局は、母の不在という側面は、最初から最後まで事実としてしか存在しませんでしたし。そのための解放を描いた、というドラマツゥルギーも存在しません。


そう、羅川さんは、悲しみや苦しみを


受け入れて抱きしめていくもの


と、認識しているんだと思います。そして、本当に解決できない現実とであった時・・・・たとえば、最愛の人の死に出会ったときに、人間ができることは、「これ」だけなんだと思います。


つまり物語のドラマツゥルギーをエンドに持っていく行き方が、


①津田雅美さんは、負の現実を克服して変えて行くこと、


②羅川真理茂さんは、負の現実を受け入れて昇華して行くこと


を、最終ポイントに持ってくる点で異なるといえます。


だから、羅川作品は、どこまで言っても、物語上の、登場人物たちの「悲しみや苦しみ」という基調低音は、まったく解決されません。ただ、静かに受け入れて、それを噛み締めて前へ進んでいくだけとなります。物語ですし、青春を描いているわけなので、もちろん前向きに成長して行きますし、その悲しみを受け入れて乗り越えては行きます。


が、津田雅美さんのように、解決して、解放された!という印象を僕はまったく受けないのですね。だから作者は、悲しみは、解決するものではなく、受け入れていくものだ、と認識していると、思っています。


・・・・・・・・・・非常に微妙な認識の違いなのですが、伝わるでしょうか?


しかしこのスタンスの違いは、凄まじい現実認識の差になるので、現実社会でも、非常に人の性格や行動を分けます。たとえば、津田雅美さんにはご都合主義すぎるし、 登場人物がスーパーマンばかりで、つまらないといった批判がよくあります。僕もそれは、そう思う。あそこに出てくる登場人物は、現実的にはありえない優秀さや行動力で、自分の過去の闇を克服していきますが、


それって、自分の人生にはなんら役に立たないおとぎ話


なんですよね(笑)。

だって、人生の本当に厳しい現実は、動かしようがなくて解決がつかないものばかりです。もちろん異なった形での成長や解放はありますが、それ以前に、現実を受け入れ、諦念を持つというプロセスが絶対にあるはずなのです。ただ、そこは、物語的には面白くないですよね。非常に後ろ向きだし。どうにもならない現実を、「どうにもなりません!」と宣言確認する物語が受けるわけないですし。だから、津田雅美さんへの批判は、たぶん現実認識の違い・・・そして、


物語に何を求めているかの違い


なんでしょう。僕は、圧倒的に津田雅美が好き。おとぎ話けっこう!!!。現実は物語にはなりにくい、けど、一夜の伽として、そんな現実を忘れるためにこそ!物語はあるんだ!と思っているからです。


これは、だから羅川作品が、ダメだということにはまったくなりません。むしろ、羅川作品にこそ強い共感とありうべきリアリティを感じる読者も非常に多いと思います。好みの問題と現実認識の問題ですから。




NY

『ハチミツとクローバー』羽海野チカ著 ディスコミュニケーションに満たされた世界
http://ameblo.jp/petronius/entry-10011348902.html

『花の名前』 斉藤けん著  正統派少女マンガは、内面の理解を求める
http://ameblo.jp/petronius/entry-10011107277.html


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アガシ



■アガシ、全米後の引退発表 男子テニスの元世界1位

アンドレ・アガシ(AP=共同)
 
 【ウィンブルドン24日共同】男子テニスの元世界ランキング1位で4大大会全制覇を果たしたアンドレ・アガシ(米国)が24日、当地で記者会見し、ことしの全米オープン(8月28日開幕)を最後に現役を引退すると発表した。
 4月に36歳になったアガシは「今回がわたしにとって最後のウィンブルドンで、全米オープンが最後の大会となる」と述べた。アガシはツアー通算60勝。1999年の全仏オープンを制して、男子で史上5人目の4大大会全制覇を成し遂げた。
(共同通信) - 6月24日22時14分更新引用

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060624-00000193-kyodo-spo

アンドレ・アガシも引退か・・・・。僕がテニス部で頑張っていた頃の、ヒーローの一人だ。ステファン・エドバーグ、イワン・レンドル、クーリエ、松岡修造。。。


なんだか、懐かしくなった。ワールドカップで、日本代表の試合をすべて見て、その評価を読んでいる内に、久々にサッカーの面白さが分かってきて、スポーツも悪くないなぁ、と思っていたのだが、やはりやったことがあるスポーツは、当然その時期のプロもかなり見ているし、やったことがあるぶんだけ戦略や戦術の評価もしやすい。

この記事を見て、いろいろ思い出した。

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アーサー・C. クラーク, Arthur C. Clarke, 山高 昭
楽園の泉

評価:★★★★★星5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つ)



■物語が描き出す果てしない夢~軌道エレベーターと地球港


静止軌道上からものすごく長いロープをたらして、衛星の重心が軌道から外れないようにして、、ロープが十分強い(現代の科学でも凄く難しい)ものであれば、ロープは地上と衛星軌道を結ぶことが出来る。このロープをエレベーターとして使って荷物や乗客を運べば、ロケットの100分の1のコストで宇宙輸送が行えます。


宇宙ロケットという代物は、物凄い燃費の悪い輸送手段で(成層圏を脱出するのに必要なエネルギーは凄まじいのだ)、そのあまりの燃費の悪さにのために経済活動は、地球表面から外へ出ることが非常に難しい。ならば、もっと安くできないか?、こう考えた科学者達が60年代~70年代の洋の東西を問わずに考え出したものが、「軌道エレベーター」です。


経済活動の合理性を考えたという意味では、最近読んだ、小川一水さんの『第六大陸』もそうでした。地球人類が宇宙に活動領域を広げるためには、この地球表面から宇宙へ離脱する輸送手段をどうやって効率よく安価に、大量に、生み出せるか?が決定的なポイントとなります。



この『楽園の泉』という作品は軌道エレベーターの建設に人生を賭ける一人の技師の物語です。


衛星軌道上まで、雲を貫き地上から一直線に伸びる軌道エレベーター。その果てには、広大な宇宙への軌道ステーションが・・・・。


僕が最初にこのイメージを見たのは、中学生の頃のガイナックスのOVAアニメーションの『トップをねらえ』だったと思う。主人公が、宇宙へ向かう時に、巨大なケーブルカーで宇宙まで登っていき、オーストラリア大陸を物凄い高みから眺めるシーンがあった。今でもあの興奮は覚えている。科学が生み出す凄まじい力への驚嘆と崇拝。。。。

жちなみに、今考え直してみると、岡田斗司夫脚本、庵野秀明監督という黄金のガイナックスアニメにして、岡田斗司夫氏の科学的合理精神への強い愛を体現したこの素晴らしいSF作品は、僕のSF体験の権化といえよう。オタク的コラージュにちりばめられているために、それほど超度級の評価を得ていないが、僕は、歴史に残るアニメの歴史的傑作だと思っています。クラークやボーガンに感じるセンスオブワンダーを映像で見れる!!体感できる!!この作品の凄さは、今でも色あせない、と僕は思う。
このイメージは、たくさんあります。チャールズ・シェフィールド『星ぼしに架ける橋』のピーンストーク(豆の枝)と名づけた〃宇宙エレベーター〃を建設や、コードウェイナー・スミスの地球港。

チャールズ・シェフィールド, 山高 昭

星ぼしに架ける橋



いまでは、もうこのイメージは、あまりに一般化してしまった。『機動戦士ガンダム』などの宇宙を描いたアニメが代表的だが、とりわけサイエンティックフィクションを映像化するという面で素晴らしい功績のあった日本のアニメーションで育った僕らのような子供たちにとっては、既にセンスオブワンダーではないんだよね(笑)。

だが、陳腐化したものを観るのと、オリジナルのスタート時点での、遠き見果てぬ夢を再度再体験するのでは、そのセンスオブワンダーが違う。読んでなかなかよかった。ちなみに、これはとら兄貴の紹介 なんだよね、また(笑)。

■科学信仰の権化
素晴らしい傑作で、読む価値のあるマスターピースであるが、読んでいて強い違和感と苦笑を感じてしまった。

読むのが凄いつらいのだ。

なにが、ひっかかるのか?。

それを、実は、上記の引用部分を読んで、はっきり分かった気がする。前に、偉大なハードSFの傑作であるジェ ームス・P・ホーガン『星を継ぐもの』を読んだ時に、同じ感想を抱いたのだ。
そう、それは、

合理的科学精神を宗教のように妄信する姿勢だ!

この時代の偉大と称されたサイエンティフィックフィクションの作家には、とりわけその権化として名高いアーサー・C・クラークは、その代表格です。

ただの小説家ではなく、自身も最先端の科学論文を深く読み込み、作品にも高い実現性や論理性や知識の圧倒的な投入がなされています。科学のさまざまな問題への世界的な指導者の一人として高い尊敬が払われていました。そして物語作家としては、とりわけ、SFに物語としての、ドラマツゥルギーや動機の問題ではなく、世界の再現性(=技術的な考証とかね)を重視する見方をする人には、高い評価を与えられました。

よく、SFを評価するのに、常識的な科学法則とか理論とかをいかに「知っているか?」「前提にしているか?」ということで作品を評価する人々がいますが、そういう人は、技術への信仰があるんでしょうね。

えっと、どなかでしたか、コメントで、ある作品についてケプラーの法則が成り立たないのでダメだ、とおっしゃているのを聞いて、そんな分析をする人がいるのだ!と感動したの覚えています。僕は、技術に対して信仰のない文系人間なので(笑)。

僕は、物語を圧倒的に「人間の動機」で判断するので、その辺のことはいつも抜け落ちます。ただ、世界の再現性は、物語のリアリティに重大な影響を与える柱の一つなので、本当はそこも見たほうがいいのですがね。もっ、そのへんは好みの問題ですねぇ。

さて、話がずれましたが、 最初の疑問に戻ろうと思います。この偉大な作品に対して、なぜ、違和感を感じたのか?。その違和感とはなんなのか?、です。

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北アフリカ自治共和国の大統領をせきたててみても、何の役にも立たなかったし、モーガンはそんなことをしな いだけの分別を持ち合わせていた。(中略)シーク・アブドゥラは、危険を冒すこと恐れない家系の出身で、そ れを公開する要因もめったに引き起こさなかった。彼の最初にして最も有名な賭けは(半世紀近くに及ぶアラブ世界の憎しみを買ったのが)そのありあまるオイル・ダラーをイスラエルの科学と工学に投資したことであった。この先見の明のある行動は、やがて紅海からの採鉱、砂漠の征服、そしてずっとあとではジブラルタル橋を生み出すことになったのだ。
p156 引用
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このシーク・アブドゥラという北アフリカ自治共和国の大統領は、モーガン(この機動エレベータープロジェクトの指導者)に一番最初期に投資した良き理解者で、極めて政治的でありながら、技術者や科学者が抱くマッチョな合理精神にシンパシーのある非常に見識の高い人物としてこの作中にという登場し、その扱いから作者であるクラークの深い愛を受けているように僕は感じました。


しかしですよ!、ちょっと考えてみてください。


これ以上の政治的背景を書いていませんが、この楽園の泉というも2080年代ぐらいの想定をしているようですが、その時には、北アフリカにイスラムを背景とした強大な国家があり(どう考えてもエジプトですよね・・・・リビヤやナイジェリアを征服している!と想定しているんですよ)、そのイスラム国家が、よりによって膨大なオイルマネーをイスラエルに投資するんですよ!!!。


そして、そのリターンで、世界の強国としてのし上がるのです。


僕は読んだ時に、もし宗教な民族主義の制約から離れることができるならば、たぶんこれは非常に実現性の高い投資や安全保障条約となる、と唸りました。たしかに、政治的にはエジプトのナセル大統領の登場時のアラブナショナリズムなどのとても合理的な政治思想を感じます。


が、、、、そんなのありうる?


民族・宗教・領土対立の激化で、殺しあっている相手が相手にお金を投資するんだよ?。さすがに無理さ。・・・・これには、宗教や民族対立が、物凄くバカがて狂ったことである!という信仰にさえ似た強い意識を感じます。


宗教や民族などというレベルの低いものが、合理的判断に混入することを毛嫌いしたことで有名なクラークには、を言えば、科学的合理的精神という名の『もう一つの宗教』を信じていたことになるんです。


けれども、残念ながら、宗教を『信じる』信仰という概念には、唯一性や絶対性が付きまといます。


信仰は排他的なのです。


だから、合理的科学主義という名の宗教に対する客観性の判断が失われてしまっているんです。


現実的に、アメリカ的にプラグティックに考えると、そもそも上記のような投資をするには、相当の背景の哲学が必要で、圧倒的な武力やカリスマ的な現地への支配が必要です。そういった現実性を無視して、合理的に考えればこれが正しい!と、発想が飛躍してしまっているのです。ここが僕にはツライ。


科学主義という名の宗教の力は、否定しません。むしろ、僕もどちらかと言うとその申し子かもしれません。が、しょせん、宗教は宗教であり、現実の世界での絶対性を獲得はできません。ましてやこの多様な現代では。そのなかでの絶対性の主張は、はっきりいって、マルクスからつらなる西洋合理主義・キリスト教文明の、



進化のステージによる階段的発展



という、エゴイステックでエスノセントリズム的な傲慢を感じずにはいられない。このエセダーウィニズム的な傲慢さを、強く感じ取ってしまうのです。ああ、よくもわるくも、ヨーロッパ的な発想だな、と。クラークさんは、、、、アメリカ人かな??ちょっと忘れましたが、むしろアングロサクソンのイギリス的な正義の感覚を感じる。多様性への鈍感さを。


こうかくとおかしいですけれどもね。欧米の作家の中では、異常なほどのアジア通で、深くアジア・・・とりわけスリランカ(作中に出てくるタプロパニーは古い名前)を愛した平等な合理主義者で多様さを強く称揚したクラークにはにあわない言葉です。



が、合理的科学主義という名の宗教を信じる人々には、ある種、幻想で「生の現実が見えなくなる」という癖があり、この癖が一番悪い形で出たのは、科学的マルクシズムという名のものにと行われた虐殺です。ロシアの収容所や、ナチズムによる民族浄化、ポルポトのクメールルージュなどなど。


このへんは、リベラリストの矛盾なのだと思う。世界の平等を一番強く願ったはずの左翼が、なぜこれほどまでに悲惨な実験を生み出し続けているのか・・・。


そういった類型の基本発想を、この美しき科学主義に僕は見出してしまうのです。もちろん、クラークの名誉のために言わなければならないのが、アーサー・C・クラークという人は、そういった他者を踏みつけるようなことを許すようなダメな思想かではなかったのです。しかし、ある意味、この時代の見た科学主義の夢というのは、非常にヤバイ構造を持っていた、ということです。


ちなみに、僕はクラークが大好きなのですが、それは、彼が欧米的発想から出発としながらも、その徹底的な科学主義の展開による近代を信じきった近代主義者であり、『幼年期の終わり』のアンチキリスト的な色彩を帯びた、人類よりも大きな、高次なものがあるという確信に貫かれた圧倒的な謙虚な感覚・・・・、合理主義者でリベラリストが抱く思想って、どうしてもこうなるのではないか・・・と思わせる、、、なんだか、非常に親近感を感じるだよね(笑)。


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2069年6月8日GMT15時37分 通信6943 系列2
スターグライダーから地球へ
貴下が神と呼ぶ仮設は、論理のみによる反証は不可能とはいえ、以下の理由により不必要なものである。もし宇宙が、神と呼ばれる実体を創造したものとして「説明」できると仮定すれば、神は明らかに自己の創造物よりも高次の有機体でなければならぬ。かくして、貴下は当初の課題の大きさを倍加するにとどまらず、発散的無限交代への第一歩を生み出すことになる。ウィリアム・オブ・オッカムは、貴下たちの14世紀というこごく最近の時期に、実体は不必要に増加させるべきではないと指摘した。したがって、わたしには、なぜこの議論が続くのか理解できない。

(中略)
一方、スターグライダーは、人類文化に他の無数の影響を与えただけでなく、すでにかなりに進行していた過程を、その絶頂に到達させた。外見上は知性を持つものたちが、何世紀にもわたって自己の頭脳を錯乱させてきた
、何十億語という敬虔なたわ言に、終止符を打ったのである。
p141

------------------


さて、しかしながらそういった科学主義という名の宗教を、最も見事な形で世界へプレゼンテーションしたのが、このSF作家という職業で、そして同時にこれらの科学信仰のエヴァンジェリストたちの最も見事な結晶が、クラークである、と言えると思います。不思議なことに、少し前の世代のハインラインのほうが、現実をそこまで称揚で来ていないというのが、今後の知りたいことだ・・・。


クラークの最高傑作は、僕はやはり『幼年期の終わり』 だと思うのですが、この傲慢な進化主義・・・・エセダーウィニズムに基づく人類の至上性を謳う思想に対して、破壊的なイメージをもたらした、オーバーロードという存在。


もし、人類よりも高度な生物がこの宇宙に存在したとしたら・・・・という感覚。


この楽園の泉にも、表面的には物語にリンクしていないので、なかなか読み取りにくいが、このスターグライダーという他の人類が作ったと思われるコンピューターとの会話が、全編に少しづつ描かれています。


とりわけ、神の存在を完璧に否定している上記に文章は(笑)、もうユーモアとしか思えない(笑)。


これが、僕にはたまらなかった(笑)。


いやーウィリアム・オッカムの議論なんて、受験以来だったけど(笑)、これは、よくよく考えると宗教や民族などというものを、鼻でバカにしていて、人類にとってなんら価値のないものと見下していたクラークの世界観を分かっていないと、何のためにここでこういった会話がされるのかがわからない。


つまり、この楽園の泉は、宇宙へ出るためのコストを引き下げる軌道エレベーターに人生をかけたモーガンの人生を語ったものだが、彼があう様々な抵抗の背景には、地球規模での異性人との出会いと、いまだに宗教や民族対立などという『くだらぬ』ことに時間を費やしている暇はない、と人類がきづく過程があり、その後押しとなったのが、他の人類との遭遇なのだ。


そして、その他の人類が来る遠い未来までに、人類のレベルを引き上げなければならない、という強い使命感が、モーガンらトップランナーに生まれているということを表わしているのです。


この

宗教的情熱にも似た科学信仰

と、

人類の次のステージへの進化

という両輪をなくしては、この作品の本質は語れないでしょう。

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