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評価:未評価(僕的主観:★★★★星4つ)

まだ未完の上、小説も1巻しか読んでいないので、未公表。


3巻の帯に、安彦良和さんが絶賛と書いてあったので、思わず購入。


こういう帯びは、義理人情で書かれているのが大半で、たいていダメなのだが、これはなかなかツボを付いていた。なるほど、安彦先生がスキと言うのは頷ける。


舞台の世界観、マンガにおける人物描写の書き方が、非常に似ている。舞台は、『虹色のトロツキー』『王道の狗』のような近代日本で、しかも普通の人々の群像劇を取り入れたストーリー展開は、たしかにうまい。佐藤大輔氏の小説の漫画化だが、小説を一巻少し読んだ印象では、圧倒的にマンガの方が上だ、と思う。


マンガ自体の構成や技術がうまいというのもあるが、そこは条件であって、本質ではない。それよりも、視点が、小説は主人公の新城中尉の、冷酷で戦略的視点である「クールな視点」がたんたんと続くのだが、しかし、マンガは、周りの脇役達が微妙に物語に介入して、群像劇的な感覚を作り出しているのだ。


新城中尉の指令で、自らの国土を民の土地を焼き尽くす焦土作作戦に出た部下は、あやまって幼い子供を撃ち殺してしまい、半狂乱になるシーンが出てくるが、



このへんの「命令されるもの」と「命令するもの」の葛藤



が、マンガではとてもよく出ている。それは、脇役の部下の苦悩がよく描かれているからだ。が、小説は、新城中尉の視点から、のため、それは作戦上「あたりまえ」と切り捨てる、距離のある形でタンタンと過ぎ去ってしまう。


劇中の新城中尉の、


距離感のある冷酷な戦略眼


を描写するには、小説でも、マンガでも良いのだが、群像劇を愛する安彦さんが、マンガのほうを、絶賛するのはよく分かる気がする。



ちなみに、空想戦記モノで、その舞台設定、軍事上の武器レベルや設定の下敷きは、まさに


日露戦争の日本


内容とか感覚とか、坂の上の雲と勘違いしそうな内容だった(笑)





架空の戦記ファンタジーの場合に重要なのは、その


軍事上の技術レベルの制約


を、どこまで描くか、ということです。

つーか、たぶんゲームなんかはそういう設定をちゃんと決めるのだろうけれども、この作品も、なんとなくそういうゲーム世界の感覚があるなぁ。


ただ、重厚な感覚があるのは、たぶん日露戦争のイメージを、ベースにおいているからだと思う。ゼロからだと、たいていダメだからね。

大協約(グラン・コード)という竜と人との協約がある、というのがファイブスターを思い出させる。


まだ3巻まででは、この設定がどう生きるのか分からないが、とりあえず、少し楽しみな作品だ。





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佐藤 大輔, 伊藤 悠
皇国の守護者 2 (2)
佐藤 大輔, 伊藤 悠
皇国の守護者 3 (3)
佐藤 大輔
皇国の守護者〈1〉反逆の戦場

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◎米経済学者のガルブレイス氏死去=「不確実性の時代」などベストセラー
(時事通信社 - 04月30日 15:10)

 【ニューヨーク30日時事】

現代資本主義の病理に鋭い分析を加えたことで知られる米国の代表的経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイス氏(ハーバード大名誉教授)が29日、マサチューセッツ州ケンブリッジの病院で死去した。97歳だった。


 カナダ生まれ。「不確実性の時代」や「大恐慌」などベストセラーを多数著し、日本でも広く知られた。主要著書の「ゆたかな社会」(1958年)では、企業の広告・宣伝で物を買っても買っても満たされない精神的欠乏がかつての貧困に取って代わるという「依存効果」理論を提起するなど、「現代資本主義の病理」を鋭くえぐった。 


[時事通信社]

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■昨今のネギまブログの増加

http://goldandsilver.blog34.fc2.com/blog-entry-196.html#comment





>にしても、どうなんでしょう?
随分感想系が多いですね。別に悪いと言っている訳では決してありませんよ?感想ってのは結局みんな同じこと書いているんですよ。別に読むのは嫌いじゃないんだけど、みんなして同じ事書くのはキモチ悪いと個人的には思うのね。
ごーるど銀賞のはしさんより引用





これは、とても面白い着眼点だと思いました。


共同幻想の「現れ方の一つ」だと思うのからです。


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■メタレベルでの批判をしない共同幻想というなの共同体


ある一つのテーマや原典があったとします。


これが、赤松健さんの『魔法先生ネギま』でも嫌韓厨でも小泉政権についてでも、なんでもいいのですが、その原典をもとに、周りで戯れる行為があるわけですね。


この戯れる行為を、共同幻想と仮定します。


「あるイメージ・情報」を核として、その核周辺について言及する行為です。


そして、もともとの原典である「あるイメージ・情報」に対して、批判はあっても、否定はしないのが作法。つまり具体的に言うと、たとえば、そもそもネギまなんかくだらない、とかマンガ自体読む価値がないものといったメタレベルでの否定を行わない、いいうことです。


たとえば、UFOとか心霊現象を信じる共同幻想があった場合、そもそも「UFOなんてないぜ!」とか「心霊現象はすべて科学で解明できる!」とかいった否定をしないということです。こうした否定をする人に対する排除機能が、共同幻想にはワンセットです。


共同幻想とは、必ずしも生活世界での「リアルの実感」を共有することナシに、イメージの世界で共同体に近い仕組みが形成されること、という風に僕は思っています。まぁ吉本隆明がやはり原典かなー。それからすると少しずれるが、今回の解釈ではそれでよし。

吉本 隆明
共同幻想論
岡田 斗司夫
ぼくたちの洗脳社会


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■感想系といわれる自己表現の仕方


こうした共同幻想がスタートするのは、どうも


いわゆる感想系といわれる自己表現のしかたが最初みたいですね


たぶん、好きという内圧が心の中で高まると、とにかく好きという感情を表現したいのだが、ベタに好きと書くのではなく、とりあえず読んだ時の


心の印象を時系列的に再構成


するんですよね。



反芻



ですよね。


ほら、好きな子と初めてチューとかHした日にゃー、なんどもそれを思い出すでしょう?(笑)。そういうもんですね。自分楽しかった体験を、脳内で再体験するんですよ。本田透さん中の意見は、これを現実たいけなしで頭の中だけでやれ!というわけですね(←ちなみにこれ修行すればかなりのレベルでできます(笑))。別に心理学とか引用しなくても、これって人間の普通の行動ですよね?。

ところが、ネギまなんかに特徴的なんだけど、基本的には原典のストーリーの構造に限定されているわけなんですよね、体験は。えっと、いいかえると、つまりそもそもマンガは、テクストなわけで、その書かれている構造・読者の心理体験の誘導の仕方に支配されているわけですね。


つまり、それ以上にはなれず、ほぼ同じ体験を、皆するわけです(はずです)。


もちろん解釈力のレベルには凄まじい差があるので、ある人は見抜けるけど、ある人は見抜けないというようなクリエイターの仕掛けはたくさんあるわけです。まぁ、ネギまを読んで、「おもしろいねー」で終わる人もいれば、いずみのさんみたいに『赤松健論』 が書けちゃうほどの人もいるわけで、受け手のレベルには凄い差があるのは前提なんですが。




しかしながら、テクスト(=クリエイターの仕掛け)は無限じゃありません。



大多数の人間が、様々な試行錯誤をすると、たいていの仕掛けというのは明らかになってきます。


その仕掛けがどういう心理現象を生むかとか、というのも分析されつくします。



具体的に、いえばリアルタイムで感想系のブログを追っていけば、ネギまでも、たとえばチャオはなにものか?とか、過去の回想場面がちゃんと過去のある駒とつながっていたり(時系列を計算して作画しているということですね)とか、



普通に見れば(でもないが・・・)分かる着目のポイント



が、列挙されていきます。これは、『ネギまで遊ぶ 』さんなんかを、ずっと追っていた頃なんか、そんな感じですよね。僕にとって、自分の見落としがないかは、『おま、ちょっ、やめろよ』のペペロニさん 、や『Haste makes waste in BLOG』さん などなどいくつかの質の良い感想を書いているところを見ていけば、確認できます。


けっこう複雑なことを書いているので、デスノートもそうですが、そうやってリアルタイムで、週刊誌の分量ぐらいを細かく分析しないと、なかなか付いていくのが難しいほど複雑なものも、たくさんあります。


ここではマンガですが、そもそも、昔の哲学とか経済学の論文が、学会では少しづつしか発表されないのも、知(=サイエンス)の最前線はそういった仕組みになりやすいのですね。それが、ブログやHTLMとかの仕組みが出ることで、世俗化していっているのだと思います。まぁというか、集団が、ある対象を考察するスタイルはこういうものなのでしょう。




そんでもって、これがずっと続くとどうなるか?。


二つあって、


①飽きる


そう。テクストは無限じゃないですから、驚きはどんどん減っていきますよね。これを超えてあまりに、読者に媚び続けると、物語が破綻したり、強さのインフレを招くので、作者側も、そんなに毎回マーケティングの結果ばかりを気にするわけにもいきません。ジャンプ方式はまた別ですが(笑)。だから、書いているほうも読んでいるほうも、ある程度、自分の心の中に、鑑賞の仕方が出揃ってきて、教育されてくると、目新しさを感じなくなるのですね。


②読者のレベルの底上げになる


もうひとつは、最低限の鑑賞の作法を訓練する場にもなるわけですね。①の飽きる理由にもなっているのですが、、、ようは、鑑賞の仕方や着目のポイント、、、、作り手・クリエイターが目指しているところ・仕掛けを、ほぼすべて素直に正しい形で、感受・理解できるようになるわけです。


しかし、人間ヘンなもので、「わからないもの」「未知のもの」が少なくなるほど、対象への興味が薄れるものなんです。長く付き合うとSEXLESSになるっていうあれですね(笑)。


これは、対象から、受身で楽しませてもらおうとする姿勢は、対象の仕掛けがある程度わかりきった時点で、飽きてしまうというパターンなんですね。


そうすると、、、、



■考察系は、対象への価値判断を含む

当然次は、受身ではなく、その対象の『解釈の仕方』をもう少しメタレベルで、異なった文脈で扱う姿勢が出てくるようです。


はしさん が、同じ感想ばかりで気持ち悪いので、次は少しでも考察系が良いなーといったのは、たぶんこの流れでしょう。


つまり、対象から受身で受け取るのはある程度自分の中では、深まった。次は、もう一段上のレベルで、楽しみたいと思うか、そもそもネギまに興味を失うか、って選択肢になるんですよね。


でも、解釈・考察というのは




対象への価値判断




異なる文脈からの多元的評価



とかが必要になるので、そもそも「自分自身の価値基準」が必要で、かつ『異なる文脈から眺める』ためには、そもそも異なる文脈をたくさん勉強している・・・・いってみれば、教養がとても必要になるんですね。


だから、感想系と違って、難しい。


ちなみに、ようは、対象から受身で分かること、をベースに、


その次に、その分かったこと=素材を再解釈、再構成して、、、異なる価値基準で判断することです。



難しい(笑)。



なんか、なるほど、と思った。


この続きも考えたのだが、疲れたのでまた今度。




■自己表現の価値とは?・・・つーか、そもそも価値って?

http://ameblo.jp/petronius/entry-10011116572.html


■自由洗脳社会の到来①~『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』 梅田望夫著

http://ameblo.jp/petronius/entry-10010837333.html

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田中 芳樹
創竜伝〈11〉銀月王伝奇

『手当たり次第の本棚』のとら兄貴 より、バトン。


同じ形式で、創竜伝と絡めて書いてみる。



兄弟関係というと、非常に理想的なこの4兄弟が、やはり僕の世代では一番頭に浮かぶ。


文庫の時に、CLAMPが挿絵を描いたときには、あまりのハマリに、拍手喝采だった(笑)


いまでは、CLAMPの話なんじゃないかと見間違うくらいだが。


聖 りいざ
コンビネーション 6 (6)

これも、そのパラレルワールドの一つ。好きなんだよなぁ。


竜堂兄弟は、なんというかなー理想的な兄弟だよね。


家長とか、責任とか、尊敬など、そういったものが非常に理想的に機能している。

ただ、こういう責任と尊敬の連鎖は、今の時代ではありえないので、やっぱり美しいと思うのかなー。


しかも、彼らの行う正義が、あきらかに、自分たちの都合にすぎないという自戒・韜晦の下に進められるところも、なかなか諧謔に満ちている。


ヤンウェンリー描いた田中芳樹らしい。


基本的には、善悪二元論なのだが、善の側である彼ら兄弟が、公共の・絶対の善を信じていないところが、とても子ぎみよい。


単純な勧善懲悪に飽き飽きしたけれども、にもかかわらず、やはり悪が滅びて欲しいと思うエンターテイメントの欲求に見事に答えている。


最初の巻だけだけどね。


あとは、ダラダラ長く続きすぎて(笑)




***************


1.あいつの名前を教えてください。


とら兄貴


ハンドルネームってやつは、とても興味深く、まるで違う自分になったような気分を味わえる。オフ会で、人から「ペトロニウスさん」と連呼されると凄く気恥ずかしいのだが、10分もするとそれが自然になる。なぜならば、ブログでのコミュニケーションをしている相手とは、その名前で関係を結んでいるからだ。

僕にとっても、本名のほうがよほど「そぐわない」(笑)。とらさんは、やはりとらさんなのだ。

関係性というのは、非常の面白い。

名前というのは、関係性の錨になるための記号なんだ、ということが凄くよく分かる。


2.ぶっちゃけあいつとどういう関係?

兄貴と弟(弟は僕)。

なんで?

・・・・なんとなく(笑)。とらさんのブログにもあったが、この関係性というのは、不思議とにじみ出てくるもので、あらゆる属性・・・・年齢、人種、肩書き、学歴、職業などなどに関係なく、出てくるものなのだ。ある意味、匿名性の世界だからこそ、擬似的な兄貴とか弟か、たわいもなく言えるのだが、、、これは実社会でも

同じじゃないかな。

家族関係は、人間関係の基本モデル。

とても、分かりやすく自然なものだ。

たとえば、年上なのに、どーしても弟分にしかか思えない先輩がいたり、年下なのにどうしても逆らえない感じがする兄貴のような印象を受ける人がいたり。

関係性というのは、興味深い。

現実世界には、肩書きや階級、年齢などが『目に見える』ので、なかなかそういった本質的なコミュニケーションの基本原理が分かりにくいが、文字コミュニケーションだけのブログなどの世界では、その本質がもろに出やすいと思う。


3.あいつを色で例えると?

黄色と黒(笑)

それしかあるまい。


4.あいつを四文字熟語で例えると?

勇猛果敢

もしくは

天下泰平

5.あいつの良いところ、ひとつ教えて。

フェアな視点を持っているバランスのよさ。

にもかかわらず、切り込みの一歩も平気でできる豪壮さ。

大人ですねぇ。


6.あいつの嫌な所ひとつ教えて。

うーん、思いつかないなぁ。

悪くいえば、情けないところを見てみたい(笑)。

ほら、弱みを見ると、なんか対等になった気がしません?

やっぱ、弱い立場の弟だから(笑)


7.あいつに唄わせたい歌は?

えっ、思いつきません(笑)


8.あいつと遊びに行くならどこ?


異世界。

ナルニア国とか、そーいうところ。


9.あいつと一日入れ替われたら、何をする?

 
すっごいこと!


10.この場を借りて、あいつに言ってやりたいことがあれば。

押忍

11.あなたについて答えさせたい、次の回答者を最大5人まで

特にありません。



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評価:未評価

(僕的主観:★★★★星4つ)

凄い好きに『なりそう』な感じ。


もう少し先を読んでみて、読み返して見ないと、全体の評価や位置づけは分からないが、かなり好きで、一気に全巻購入&読了。まだ物語ははじまっていないぐらい。

 
原田 宗典
平成トム・ソーヤー  

ちなみに、この原作を、ヤングガンガンで漫画化した作品らしい。小説を読んでいないので、マンガ化の意味や、漫画家の力量はなんとも把握しがたいので、オチがよければ、読んで見たい。


ただ、、、この手の作品は、スタート地点の問題点・着眼点は、すばらしいのだが、その雰囲気だけで終わり、最後があっけないオチで終わることがしばしばな上に、この手の青春モノを書く作家は、物語の飛躍を描ける人がほとんどいないので、その辺は期待していない。


ちなみに、物語の飛躍は、いつか、ちゃんと説明するが、いまは無視(笑)。


---------------------------------

■青春モノってどういうことなんだろう?


一言で言うと、池袋ウェストゲートパークのドラマをはじめて見たときのような印象。もしくは、日本橋ヨヲコさんの『極東学園天国』を最初に読んだ時のテイストに似ている。


     


日本橋ヨヲコほど、「深み」はまだないかもしれないけど、雰囲気は似ている。むしろ、石田由良の感覚かなー。なんとなく、スカスカな感覚。けど、そのスカスカな空虚さに、苛立っているようなあきらめているような感覚。


この不思議な空虚感は、80年代後半以降に出現した感覚だと思うのだが、それが「なに」かは、まだ僕は言葉にできていないが、上記の作品群は、その代表格のような匂いがある。その他は、桜井亜美、山本文緒なんかも、そうかな~。まだ言葉にできていないので、雰囲気だけれども。


なんというか、60年代~70年代には、男くさいというか、情念のメラメラ燃え立つ人格の炎を感じる作品が多かった気がするんだよね。映画、アングラ、文学、漫画、全てにおいて。寺山修二とか代表的なんだけれども。漫画とかだと、『巨人の星』みたいな。


けど、90年代に入ると、そういった人格臭い、情念の深さみたいなものが、敬遠されるような雰囲気が出てきているんですよね。たぶんその差は、


コミュニケーションを信じている世代



コミュニケーションを信じられない・・・信じない世代


の差のような気がする。これは、はっきり断絶があるので、どこかでまた考えてみたいなー、とか思うのですが、皆さんはどう思います?。世代の格差が、凄いあるような気がする。


なんか、妙に絶望感が充ちているんですよね。


いや、しかし青春モノってのは、いつでもそうだよ、とか言われてしまうと、そうかもなーとか思いますが。


なんでか、ある時点から、ぐっとコミュニケーションを信じられない世代が社会に増えた感覚がするのだが・・・それは、たんに思い込みなのだろうか。


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■終わりなき日常の世界で、受験なんか頑張ってなんになる?


でも、これって、社会が閉塞してアノミーに陥っている感覚なんだと思う。


戦後、60年。日本は、国際社会の激動に一度も巻き込まれていない。島国の中にいる人間は、いつまでも変わらない永遠の時間の中で、閉塞している。そして、世界という現実に関わらないために、そもそも、リアルが何か?ということすらよく分からなくなっている感覚。


アフリカの飢餓で苦しむ子供からすれば贅沢な悩みだが、大量殺戮の新興宗教に人を走らせるほどの絶望もまた、ここにはある。


たぶん、戦争とか国際社会の激動とか、ダイナミックな社会の枠組みが変動するようなリアルと関わっていないと、人間というものは、平和に飽きてしまうのだと思う。社会の枠組みが流動しないからね。人間とは、つくづくどうしようもない生き物だ。

■スリと痴漢が、日常からのプチ脱却になってしまうのはなぜか?

そんな閉塞した日本のやっぱり象徴は、受験だよね

ちなみに、いまはそこまで受験・・・はどうなのかな?。この作品は、微妙に90年代後半ぐらいが設定だし、ブルーハーツとか80年代に青春を過ごした人が、ちょっと泣けるアイテムがあることから、少し前の世代の感覚のような気もする。

ちなみに、このマンガは、新興宗教にはまって、息子の性格の悪さや成績の悪さを、祈りが足りないからといって気が狂ったように叫ぶ母親が出てくるけれども、これはカリカチュア。

そもそも受験戦争に、なんの意義も意味も実は理解できていないくせに、社会的成功や安定のために、子供を駆り立てる世の親を悪意を持って描くと(子供の視点から)こう見えるんだと思うよ。

別に受験も何でも、子供を駆り立てるのは、僕は悪いとは思っていない。子供なんて、動物だ。動物は、徹底的にしつけられてこそ、様々な技能を身につけるのだから。僕もそういう風に教育されたし。

けれども、それは、それを叩き込む親の側が、明確な『生きる目的』を実感していなければならないと思う。そうでなければ、子供はすぐそれを敏感に感じ取ってしまうと思う。子供は動物だけに、正直だ。叩き込まれる技術や試練が、明確な目的・志・・・・そして、それにつながる人生に豊かさを、親が日々実感して、楽しそうに生きていない限り、すべては意味を失ってしまう、と思う。

そういう実感ナシに、「ガンバレ」と非常に難しいことを要求するのは、

フェアじゃない。

自分が体感していないこと要求するのは、もう時代的に無理だ。もう、高度成長期ではないので、学歴や一流会社に入ったって、官僚になったからといって、幸せになれないことは、わかりきっているのだから。

受験の閉塞感は、いやだよねー。

別に、受験に受かったからといって、実は、世界は変わらないのにさ。

何のためにやっているかわからないことで、毎日毎日追い立てられているのは、最低の感覚ですよね。

---------------------------------

■何かが世界を壊してくれること、変えることせつなく望む

覚えていますか?。


受験に明け暮れた青春時代を。


って、受験をしていない人には、意味のない問いかけですが。僕も、大学受験は、高校の頃のほぼすべてだったので・・・・・・いや、このころのフツーの高校生なんて、受験と異性(ある人は部活)だけなんとちゃうか?(笑)。


でも、、、、ここに出てくる主人公たちは、はっきりいって、受験で大逆転して世界を変えるほど、頭は良くない。そりゃー、ここで描かれる超低偏差値校から東大とか慶応・早稲田に行けば、そうとう世界も変わると、思い込むのも無理はない。


実際、権力とお金は、たしかに、かなり変わるからね。

 
三田 紀房
ドラゴン桜 (1)  

まぁ、ほんとうは、「そこ」からまた競争が始まるので、結局「そこ」にしあわせの青い鳥はいないんだけれどもね。


でも、、、、「この」大学さえ受かれば、、、、という淡い期待は、凄くよく分かる。日本のすべての若者は、この感覚は、わかるであろう。そういう風に、社会が設計されているから、受験をするしないに関わらず、こうしたペーパドラフトによって世界が変わるかもしれないという期待感は、日本の伝統みたいなものですよねー。まぁ、階級が、受験によってひっくり返るなんていう平等主義システムは、世界史的にもめずらしいシステムですからね。


けど、、、それに、どうしても乗れない若者が、


『ねえ、魔法使いがいてくれたらいいのにね』


って、思うのは、よくわかる。


そんな時に、


『俺がお前をここから救い出してやるよ・・・・・』


って、いわれたら。。。。


あらすじ的には、ヤクザの組長が、受験の試験問題を裏で手に入れるのを、かっぱらおうとする犯罪を思いつくというストーリーなのだが、、、、


その骨格の単純さはともかく、受験生の閉塞感が、どこかに逃げ出そうとするせつなさがよく描けていると思う。


ぐっとくるもん。


---------------------------------

■スリと痴漢が、日常からのプチ脱却になってしまうのはなぜか?


だが、天才的なスリの才能という能力と、閉塞された日常を「それ」によって、ぶち壊そうとするテーマは、稲光伸二さんの『ナイトクレイバー竜二』も思い出させる。
 ナイトクレイバー竜二06427  
稲光 伸二
ナイトクレイバー竜一 1 (1)  

なんで、スリ、万引きとか痴漢などの、小さな(というのもなんだが)犯罪が、日常を脱出させてくれるという感覚があるのだろう。

たいていの、この手の軽犯罪は、日常の閉塞感の脱出を求めて行われるようだ。


たぶん、日常の弛緩した感覚を、フレームアップして見方を変えてくれる力を持つからだと思う。努力も要らないしね。



ただ、、、その技術を、大きな犯罪に振り向けようとしているところ、そして、それによって自分たちを、


「ここではないどこか」


に連れ出そうとする物語のドラマツゥルギーは、とても魅力的。


オチがよいことを、祈っている。







 
原田 宗典, 井田 ヒロト
戦線スパイクヒルズ 2 (2)
井田 ヒロト, 原田 宗典
戦線スパイクヒルズ 3




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