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花粉との戦いです。


町中に、毒ガスがまかれている気分。

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11巻デルフィニア

茅田 砂胡

妖雲の舞曲―デルフィニア戦記〈11〉

評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★★☆星4つ半)


■血と肩書きの差別の本質~世界の法則の描き方

この作者の魅力は、ストーリーテラーなんで、あんまり文学的な構造上の深みとか、そういう複雑な深さはないのだけれども、けっこう鋭いテーマがたくさんあるんだよね。

ベルミンスター公爵ロザモンドが、異母弟の心を死ぬまでわからなかったように、全ての人間関係にこのテーマが刻印されている。


このファンタジーの本質は、そもそもリィという異世界から来た少女(異世界では少年)の、入れ物と魂の本質が、ズレている、という点にあると思う。


ちょっと整理してみる




僕は、まだここら辺までしか読んでいないので、最終設定やリィことグリンダ王女の異世界での本当の姿をまだ知らない(これは別冊のシリーズであるらしい)。

いま分かっていることで、


デルフィニア王国では


リィは、金髪のゴージャスな少女で、誰もが目を見張る華奢な美少女


だけれども、

王国一の怪力の騎士や天才的な剣士のナシアス、ウォルでさえまったく歯が立たないほどの、人間を超絶したレベルでの怪力、剣技の腕を持つ。そして最初の登場時は13才で、この巻でさえ18歳ほどというほんの子供であるにもかかわらず、国政や裏の暗殺から駆け引き、軍略にいたるまで、まわりの宰相や公爵を上回る頭の回転を見せる。


これは、ある意味、カタルシスを読む側にもたらす効果があるのはわかる。


だって、華奢な美少女が、ばっばったと獰猛な騎士たちを倒していく様は、なかなかに魅力的だ。



エンターテイメントとしても、とてもいい。非力なもの、弱いものが、大逆転を起こすさまは、エンターテイメント、ストーリーテリングの基本の一つですからね。


ファンタジーとしても、こうした「ズレ」の効果は、本質の一つだと思う。


が、なかなか奥が深いな、とい思ったのは、このズレのテーマが、かなりトコトンまで、追い詰められていることだ。ある意味、軽いカタルシスや薄いエンターテイメントを超えてね。


というのは、ただ単に、非力な美少女が、超強くて頭がいい!という設定は、単純な超人願望、ヒーロ願望を満たしてくれる。心地よい設定だ。





よくあるヒーローものや少年マンガが、何の理由もなく、超天才になったりするのは、僕はげんなりする。


たしかに、普通の読者には、そういった英雄になったり、圧倒的な才能を見せ付けたりするというのは、ヒロイズム(英雄願望)を満たしてくれる。それが、物語の主要なテーマになるのはわかる。


けれども、やはりそこは、物語も『もう一つの世界』である限りには、その世界なりのロジックがなければならない。


けれど、読者や観客のの超人・英雄願望を、満たすために、あまりに根拠もなく特別な存在でありすぎると、なんだか、幻滅してしまう。


そこは、上手い根拠とか、もしくは、逆に特別であること』の苦悩があるべきだ、と僕は思う。


世界を成立させるには、その世界の「法則」が描けなければならないからだ。


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■世界を成立させるマクロ法則


僕が、経済学がとても好きで勉強してよかったなと思うのは、この世界には、絶対に人間の手ではコントロールしきれない、uncontrolableなものが、マクロ的に見ると厳然と存在しており、それを所与としたり計算して行動するのが社会科学なのだ、ということを学んだことだ。

僕は、物語世界と現実世界に差があるとはまり感じない。だからこそ、現実世界と同じくらいの法則が、世界になければおかしいと思う。


もちろん、必ずしもその法則が、事実である必要はない(笑)。法則とは、マクロで世界に与えられている所与のモノとは、個人がその法則を直接にコントロールできないものであること、ということだ。もちろん、100%変えることができないものとは言わない。しかしマクロのルールは、ミクロでは簡単には変えることができないのだ。


たとえば、基軸通貨・・・キーカレンシーであるドルをユーロに変えられるか?といえば、もちろん物理的には可能だよ~(笑)。しかし、日本がそれを選択した時点で、まぁ最低でも、米軍は日本を占領するでしょうねー(笑)。そうやって脅しに脅されて60年経ちましたが(笑)、、、しかし、日本の金融資産が、財務省の発動でできるドル買いではなくて、個人資産にシフトするとこのキーカレンシーを日本が支えるという構図は成り立たなくなります。個人資産は、政策ではなく、利益で逃げますからねー。こういうのって、個人でも、政府でも、どうしようもならない構造変化でしょう?。まったく動かせないとはいわないけど。



どんな超人であろうとも、厳然と存在するマクロのアンコントローラブルなもの、、、これを言い換えれば、神の存在や大自然、黄金率、物理法則、どんな表現でもいいのだけれども、そういったものとの対比を描かなければ、



物語世界での個人(=キャラクター)の自由意志が失われてしまいます



・・・・・意味伝わるでしょうか?(笑)


なんか難しくなったなー。えっとね、個人では動かしがたい『大いなる存在』に、立ちすくみながらも、そこに挑戦することが、本当の自由であり、自由意志なんだと僕は思っています。


ともすれば、物語の作者は、作品世界をすべてコントロールできる神の存在なので、この法則を無視しがちです・・・が、それだと、つまらないんですよねー。


よくストーリーテリングに長けた物語作家が、主人公が自分の考えているとは違う方向へ自然と動き出して、話がまったく違った方向に行ってしまったとか、自分が自動筆記のような感じで、意思なくて『書かされている』様な感じがするときがあるという感覚は、この物理法則を自分の内的世界に創りあげてしまうと、そのVISIONの構造が動き出して、作者の個人的な意思をこ超越してそのVISIONが飛び出てきてしまうという現象が発生しているからだと思います。


この構造の一形態を、僕は、ドラマツゥルギーと読んでいます。


このへんに妥協がないかどうかが、物語世界の評価のポイントだと持っています。とりわけファンタジーなどの虚構を描く作品は、ここの設計が重要だと僕は思っています。


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■血と肩書きの差別の本質

話がかなりずれましたが(笑)、このドラマツゥルギーが、ドラマツゥルギーとして自然に存在するためには、ある種の物理法則・・・・個人の意思を介在できない構造が成立している必要があるのですが、


・・・・ふぅ、長いなー(笑)


前回の『コーラルの嵐』 でも書いたのですが、リィは、完璧にヒロインとしての機能を求められる立場にいます。そりゃーそうでしょう?(笑)。ましてや、王妃で妻、なんだから。


http://ameblo.jp/petronius/entry-10009282161.html



けれども、この作者の本質のテーマは、魂の本質その器である外見や肉体ミスマッチの部分なんです。全編のカップリングやキャラクター描写がすべて、これで成り立っていることからもわかります。


リィというデルフィニアの王妃、妃将軍は、もともとは異世界の、人類とは異種族の、狼人間?に育てられた生き物で、ある意味野生のケモノに近い生き物がその容器(=肉体)の中に入っています。


その可憐な美少女の肉体・容貌と、人間的(といわれる)感覚をほとんど持っていない野生のケモノの感覚の差異を、、、、まざまざと見せ付けることで、周りの人間が、いかに魂の本質でものごとを判断しないか、という絶望が何度も何度も繰り返し演出されます。侍女のシェラ・・・・・新興宗教にどっぷりはまった暗殺集団で洗脳され続けた彼の内面の話も、同じです。


敵の咽喉笛を噛み切るリィの姿に、国王は後ずさりし、恐怖を感じます。このへんの描写も、安易に、ヒロイズムに流されないで、かなり絶望的な距離を、何度も描いています。


その断裂が深ければ深いほど、その上辺の部分(といっても相当のもの)を飛び越えるウォルの姿勢に、誠実さと単純なうそ臭い愛情・・・ある意味、性愛?(笑)を超えた、真の紐帯や絆を演出するのに役立ちますし、なによりも説得性が増します。


だから、どんなに物語のカタルシス機能、観客が喜ぶヒロイズム機能があっても、絶対に妥協してはいけないで、リィとウォルが通常でいう形のカップルにはさせてはいけません(笑)。


いや、悶えるくらい、カップルにしてくれー(笑)と叫んでいる観客がいてもです(笑)。


とはいえ、もともと物語の構造上、ヒロインをヒーローを結びつけるというエンターテイメントとして基本のは外せないので、


通常の夫婦という形での愛の形は成就できないので、それを「超える絆」を演出しなければ、ヒロイズムのエンターテイメントの基本が全うされません。


また、そのヒロイズムに至る、二人のカップリングの困難性をこれでもかって、描かないと、作者の本質の部分が消えてしまうので、これもダメです。


それを、上手く両立させながら、それでいて、エンターテイメントの基本をずれていないのは、いやーさすがですねぇ(笑)。



・・・・・・・・・・・・・・ホームシックにかかったリィが、飯を食べないで塞ぎこんで体調を崩しているのを見て、国王ウォルは、ヘタしたら殺されるのを覚悟で彼女に睡眠薬を飲ませます。


野生の彼女は、人に寝る姿を見せることや、自由を奪われるのを何より嫌い、それを妨げたものを、見事なぐらい何度も惨殺しています。それも、かなり酷薄なやり方で。それをマジかで見ているウォルにしてみれば、ほとんど例外ナシに、彼女が、躊躇なく自分の自由を奪うおうとするものを殺すのを見ていています。


だから、下手をすれば、リィに殺されかねません。全体的に、リィのキャラクター造形は、かなり野生に生き物に近い感情を描写しており、人間的な部分での情はほとんどありません。人間的な感覚との「隔絶」を描くのは、要望と内面の差を際立たせるのに、重要です。だから、読者としても、安易にリィが、ウォルだから許してくれる、とは信じられません。


たとえウォルであっても、リィの基準を満たさなければ殺してしまうであろうことは、リィの内面の描写から非常によくわかります。


それは、法則なのです。リィにとって、絶対に譲れない価値観や生き方そのものなので、どんなにウォルが好きでも、この法則は、曲げることは普通はありえない。「ありえない」とおいうのが、よく読んでいる読者にわかるということは、そういった物理法則的な基準を、ちゃんと作者が理解している、ということです。凡百の作家では、ここで妥協して、ちゃっかり王妃と王が結ばれたりして、物語の世界観をぶち壊してしまいます。


そんで、その後、睡眠薬で眠らされたリィは、復讐で怒り狂ってウォルを訪れます。


そのケンカがすごいんだ(笑)。長いすとか、王妃に向かって投げつけて、振り回して壁に叩きつけたりするんだから(笑)。そんなのあえないぜ~(笑)。



・・・・・・・・・・・しかし、ここでの最後お納め方がいいんだよー(笑)




まぁ、読んでいないと、この胸キュンは、わからんともうがねー(笑)




胸がキュンっとする(笑)。


リィが、ぺロっとウォルをなめるシーンは、腰が砕けるね~。


この愛情や愛撫に、100%セクシャルなものがない、というのがはっきり分かるところが、最高に萌える(笑)。



いやーえがった。


これって、男と女というよりは、野生のケモノと仲良くなるって事を描いているんだよねー。

この結局は、二人の愛情を確かめる・・・・絆の深さを確かめるというエンターテイメントとして常識どおりのオチへと至る文脈が、

ちゃんと最初に設計したテーマの本質を損なうことなく描くように運んでいて、かつ読者に矛盾と思わせないのは、見事だと思うなー。


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Jarhead1  

評価:★★★★☆星4つ半
(僕的評価:★★★★★星5つ)

全米ベストセラー『ジャーヘッド アメリカ海兵隊員の告白』を映画化した作品。


そしてなによりも、『アメリカンヒューティー』サムメンデス監督作品

 
アンソニー・スオフォード, 中谷 和男
ジャーヘッド-アメリカ海兵隊員の告白  

1990年、湾岸戦争。


高校生だった僕は、朝、新聞を取ったとき朝刊一面にイラクがクェー侵攻したのを知った。


こんな近代社会でも、本当に戦争をやっている国があるんだ・・・と衝撃を受けた。ましてや、僕らと同じ近代都市文明に生きるアメリカの若者が、数十万、数百万規模で派兵されるのだ。


いまでも、あのときの衝撃は覚えている。


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■外国人が見た「アメリカの闇」~病めるアメリカ社会を観る


初監督作品にして、アカデミー賞を受賞したイギリス人のサムメンデス監督の『アメリカンビューティー

。彼は外国人でありながら・・・・いや、外国人だからこそ、アメリカ社会の病的な本質を、鋭くえぐります。

 
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
アメリカン・ビューティー  

彼の視点は、ストレートに現代アメリカ社会の闇を描いており、それゆえにずっと注目している監督です。

僕は、「病めるアメリカ社会を観る」という文脈で、さまざまな映画や本・現象をウォッチャーしていますが、近年では、もっともアメリカ社会の本質を描いている監督だと、僕は注目しています。



さて、ではこの作品で、メンデス監督が描いた「アメリカ社会の病みの本質」とはなんなのでしょうか?



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■戦争シーンのない戦争映画~湾岸戦争で、米軍兵士が戦ったのは敵ではなく『退屈』だった


スクリーンを全編を覆う「乾いた空気」。


無味乾燥な非・現実感は、退屈というものが人間に与える感覚を、見事に再現している。似たような効果は

、テレンスマリック監督の『シンレッドライン』でもあったが、サムメンデス監督の映像作家としての力量

が、際立っていたということであろう。テレンスマリック監督よりも、わかりやすかった。わかりやすいというのは、それだけ人を感情移入に誘う、エンターテイメントな文脈で描けるということで、高尚なことを、抽象的なこと、難解なこと『こそ』を、エンターテイメントに仕上げる人こそが僕の理想の物語作家なんので、やはり、サムメンデス監督、素晴らしい。


これは、ヨーロッパ映画・・・とりわけフランス映画なんかでよく再現される、生きること不毛感や、無味乾燥な感じなのだが、


もっとストレートにいうと、


「非現実感=リアリティの失われた感覚」


のことだ。「これ」を映像で、空気で、意図を持って表現できるのは、さすがの才能だと思う。こういうのは、『見ればわかる』し、言葉では説明しにくいので、ぜひ見てください。映画をたくさん見ている人ならば、あーこれのことかぁ、と思うはずです。


 
ジェネオン エンタテインメント
シン・レッド・ライン  

さて、僕は今回見た映像の中で、『Ray』で見事にレイ・チャールズ演じた、ジェイミー・フォックスの黒人の三等軍曹(アンソニーの上官)が呟いた言葉、全シーンの中で一番、強烈に印象に残っている。



*************


『俺は海兵隊になれたことを毎日神に感謝している』



『こんな光景、ほかじゃ絶対見れないぜ』

(引用不正確)



*************



このセリフは、上官の黒人軍曹(ジェイミーフォックス)が、部下のアンソニー(ジェイク)に対して、言ったセリフで。この前後で、イラク軍が、油田に火を放ったために、


何もない砂漠に突然巨大な火の柱がたちあがったロングショット


と、


そのための油田から飛び散る黒い雨が飛び散るという


神秘的な映像の間に挟まれる。



前半は殺人マシーン・・・・一人前の軍人、海兵隊になるための、過酷な日常が描かれます。


でも、これもなんだか現実感がない(ように、僕は感じた)。そして、砂漠に駐留しても、戦争がはじまってからでさえ、この非日常感は消えません。だって、戦闘というリアルがはじまらないんだもん。


人間は常に、肉体感覚、とりわけ強烈な痛みや快感を伴わないと、リアルを感じません。なんで、安定した平和な社会で、リストカットなどの自傷行動やサッカー・ダンス・SEXに象徴されるような、快感と肉体感覚が強烈な行動に人がひきつけられるかは、それが理由だと思います。平和だと、退屈で、暴力とSEXを求めるんですよ、人間は。


だから、アメリカの都市の中にいるときの不毛感が、えんえん続いているだけに僕には見えた。そんな退屈さの中で、どんどんみんな、半分正気を失ったような・・・感じになったり、でも、かといって合衆国軍人としてそこまでおかしくもなれない、みたいな微妙な感じで、過ごしています。


本当は、昔の戦争ならば、陸軍前線部隊は、すぐ戦争の悲惨なリアルに体験します。たぶん、相手方のイラク軍は、、イラクの一般市民は、強烈いこれを感じているでしょう。本当は、アラブの側、イラクの側から、スピルバーグ・サムメンデス級の監督が、高い技術を持って、湾岸戦争、イラク戦争の映画を描けると、素晴らしくいいのだが・・・。



つまりアメリカの市民は、そのあまりに高度な戦争形態と、圧倒的な兵器技術レベルの差ゆえに、戦闘というリアルさえも、体験できないのです。


これは、正気な世界でどんどん気が狂っていくみたいなもので、日常の退屈早回しで見ているようなものです。

そんな、なんだかわからない不毛な閉塞間の中、突如、この神秘的な、SFとしかでもいいようのない、ロングショットが現れます。


これは、美しかった。


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その光景を見て、軍曹が、そう呟くのです。



・・・・・・・・・・・・・・・・みんなはどうだったのだろう?



僕は圧倒的に共感してしまった。


「この光景のためならば」、全ての安楽な生活、ブルジョワジーの安定した財産や、妻や、子供、そのすべて捨てても、これは惜しくない光景だよ!って僕は聞こえた。そして、それに納得してしまった。


とりわけ、この解釈でいいのかわからないが、同じこの超クールで優秀な指揮官の軍曹(だったと思う)が、湾岸戦争終了後、スーパーで荷物を配送している低所得労働者をやっているシーンが一瞬流れるのだが、、、、それを見て、さらにその思いが強くなってしまった。



考えても見てください。ストレートに聞いちゃいますが?。



生きていて楽しいですか?(笑)



火の出るような充実感を、味わっているでしょうか?皆さん??(笑)。資本主義のシステムは、人に役割を課し、その枠の中でこま鼠のように毎日回り続けるのを強要します。日本などは、まだそれほど所得が二極化していない平等な社会ですが、それでも、おかしな犯罪がいっぱい起きるほど人々は閉塞しています。


ましてや、最後のこの米兵達の戻る日常は、僕らと同じ都市生活者で、その軍曹のような低所得階級は、白人で言うならばプアホワイトで、黒人も、もうまともに生きていくのがバカらしい貧困の中に生きている人ばかりでしょう。新自由主義の行き渡った二極化した社会の下側に生きる労働者の、悲惨さといったら、もう19世紀のマルクスエンゲルスの時代の悲惨さにそれほど劣りません。多少豊かな日本のサラリーマンだって、毎日満員電車に揺られ、すきでもない仕事、同じことの繰り返し。主婦でも似たようなものです。


でも、そこから逃れるには、戦争に従軍するのも、一つの手です。まだ戦争のリアルな悲惨さも知らない僕らは、かなりの確率で、この圧倒的な体験にひかれると思いますよ。表立って、そんな人格を疑われるようなことは、言わないでしょうけど。まさか、


退屈さを忘れるために、戦争に行きたい!


だなんて。。。。


・・・・・もちろん。そんないつまでも続く無限の地獄のような日常の退屈さ・不毛さから、


戦争にいったとて、その退屈さから逃げられるわけではないのだよ


というテーマも、あります。しかし、それは、この退屈な世界では、リアルを感じたいぜっ!っている人がいるという裏のテーマが隠れていることも、僕は理解してみるべきだと、思いました。



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だから僕は、これを単純な反戦映画にはとらえられなかった。


少しづつその退屈さで、おかしくなっていく主人公のアンソニーに感情移入すれば、殺人マシーンと訓練され、戦争に行くことは間違っているよいな!という陳腐な意見に回収できるとは思います。事実、そのテーマも大きいですから。


が・・・・しかし、同時に、このちょっとしかない黒人軍曹の上官と、あまりに圧倒的な自然(戦争の非現実的な美しさ)の見事な光景は、、、、その黒焦げのアラブ人の一般市民の死体さえも・・・・・


むしろ退屈さを破ってくれるとても、魅力的なモノに感じた。


資本主義のシステムの中で、駒としてスーパーの裏で物を運ぶだけの最底辺労働者である自分に比べれば、、、、、。



そんな『光景』を見るために、全てを捨てても・・・・捨てるものは、退屈です、、、悪くはないではないですか?。



ましてや、そんな自分が、『戦士』になれるのだ。



ワレキューレの音楽に熱狂し、映画(これも凄い皮肉だが)で盛り上がる兵士達の高揚は、とても共感できた。


忘れてはいけないのは、戦争に行って気がおかしくなる人もたくさんいるのだが、火出るような高揚感を味わって、ちっぽけな自分を忘れ、大義を持ち物凄い規模を行動をする、という個人ではなしえないような巨大な体験をできる「得がたい瞬間」でもあるのです。その偉大な機能も忘れてはいけない。たとえば、建前はともかく合衆国憲法に忠誠を誓ったと、アメリカ人であると、本当に認められるのは、戦争にいったものだけです。


戦争で苦しんで、悲惨な目にあった人以外に、戦争はダメだとはなかなか言えません。人間は、体験をしていないことは、陳腐にしか反論できないのです。ましてやこれほど魅力的な存在は。


日常の退屈を破るのに、戦争ほど面白く楽しくエキサイティングなものはないのです。


なんで、巨大な戦争をした後に、数十年経つと、すぐ人々が戦争を否定しなくなるのかは、この理由です。


jarhead2  


ちなみに、この映画を、湾岸戦争を描いた映画、というのは、間違いだと思う。


これは、アメリカの都市文明社会の、資本主義社会の先進国病の行き着いた姿を表わしているのだ、と思う。それが、戦争であってさえも。これは、『アメリカンビューティー』もまったく同じテーマであった。



だから、病めるアメリカ社会を観るなのだ



・・・ちなみに、このテーマは、イラク側の視点からはまったく成り立たない。あくまで、すべてアメリカ(そして同盟諸国、資本主義の先進諸国)のみの視点である。


そういう意味では、暴力的な、エスノセントリズム、オリエンタリズムであるのだとも、思う。


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■それでも退屈からは逃げられない


この中身をもう少し詳しく見て見ましょう。


さて、そもそも古代のおける戦争の、時代のリニューアル機能やカタルシスは、もちろん否定できないのですが、しかしながら、この作品は、さらにその先まで行きます。


この作品の主人公は、アンソニーです。


彼は、狙撃兵。すなわちスナイパーです。

 
ポニーキャニオン
スターリングラード  

この『スターリングラード』はソ連の英雄的狙撃兵の局地戦での戦いを描いた作品です。もともと、狩猟であけぐれていた主人公は、天性のスナイパーで、次々とナチスの指揮官を倒し、英雄になります。もちろん、その殺すという行為に、主人公は、相当悩みますが、はっきりいってカッコイイ!ことこの上ない。


まだ、近代戦が、いきついた時代ではないので、兵士がまだ兵士としてかろうじて、


個人が英雄足りえた時代


でした。

(・・・・これって、グインサーガの3巻の巻頭の言葉だな(笑))




・・・・・・・・・・・・・・・・この『ジャーヘッド』の主人公は、実は、戦争映画にもかかわらず、結局、


一度も人を殺しません。


陸軍前線部隊であるにもかかわらずですよ!。


行く先々全ての砂漠には、黒焦げになったアラブ人の一般市民や兵士ばかりです(実際には、ほぼ市民だけ)。空軍が爆撃して、すべて制圧後だからです。


この映画では、戦争映画にもかかわらず、米軍の死傷者は、ほとんど訓練中か見方の誤射によるものです。誰一人、イラク人に殺されたものはいないのです(このへんの描き方は確信犯ですね)。


そして、圧巻なのは、イラク軍人の指揮官を、やっとこそ狙撃できる寸前までいって、攻撃中止命令。


その直後、空軍による爆撃で、その指揮官がいた基地は丸ごと灰になります。




・・・・・・・・・・・・・殺させてくれよ、とさげぶ主人公の同僚のスナイパー。




わかる、わかるよ。それはね、リアルを体験したいんだ。どうせ戦争をするのならば、殺し殺される体験をしなければ、あまりにも、意味不明だ。恐怖だけが、想像力を刺激するだけ。狂気に耐える、不毛な日常があるだけなのだ。



これは、個人の兵士がほとんど完璧に意味をなさなくなった近代・現代の戦争形態をよく表わしています。


大事なのは、数と兵器であって、個々の兵士の人格・力量は、まったく意味をなしません。





結局、戦争に行ってさえ、不毛な日常のあやふやな非・現実感から逃げることが出来ないのです。



これは、あまりに苦しい。
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続き

憂愁の妃将軍
茅田 砂胡
憂愁の妃将軍―デルフィニア戦記〈10〉

評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★★☆星4つ半)


ベルミンスター公ロザモンドの登場。
グインサーガのイリス(=オクタヴィア)を、強烈に思い出した。

栗本 薫

サリアの娘―グイン・サーガ(20)

そういえば、イリスとマリウスの話も、マリウスが『もー好きになちゃったものは仕方がない。僕は女の子が好きなんだが、君が男でも仕方ないや、好きになっちゃたんだから!』という強引な論理で、迫ったら、実は女でした(笑)という設定で、あれが、ぼくにはなかなかツボをついて、とっても萌えたなー(笑)。

男装の麗人。


なかなか転倒した倒錯だ。


『ヴェルサイユのバラ』のオスカル・ド・フランソワも、近衛連隊長という男勝りの軍人でありながら、実は、とっても女らしい女性的な人だったんだよな。たいてい、物語の男装の麗人は、実は、内面はしとやかで女性らしい人であった、というのが多い。


それは、多分、ストーリー上の「効果」を狙ってなんだろうねぇ。


つまりね、ツンデレなんだ(笑)


そういう意味では、本質的には、過激なフェミニズムからすると、許されざる欺瞞(笑)なのかもしれない。だって、女性は女性らしくしとやかにという典型的価値観の再反復だからね~。

池田 理代子
ベルサイユのばら 2 完全版 (2)

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Wikiより

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC

ツンデレとは、主に恋愛アドベンチャーゲームアダルトゲームギャルゲー )などにおける恋愛形態の1つを指すインターネットスラング である。「恋人関係になる前はツンツンとしているが、恋人同士になると急にしおらしくなってデレデレといちゃつく」タイプのキャラクター、あるいはそうした状態・光景をさす。ここから派生した属性 として、素直クール素直シュール など様々なパターンがある。主に女性キャラを指し、男性キャラは含まれない。

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まぁ、いろいろいっても、いいんだよ、男装の麗人。国王に継ぐ王家の血を受け継ぐ毒舌の筆頭公爵バルロとの恋愛は、いいねぇ。ロザモンドが、かわいいんだ(笑)。


キーワードは、けなげ、だ。


僕は、こーいうのに弱い。


異母弟がベルミンスター公爵家を継ぐのだが、その弟は身分が低い第二婦人の子供で、ロザモンドは、第一夫人だった(亡くなった)由緒正しい血筋の子供だった。


その弟は・・・実は、心から異母姉ロザモンドを愛していたが、それをひた隠しに隠して爵位を受け継ぎ、結婚して子供をもうけた。が、その隠れた愛に気づき嫉妬に狂った妻に、殺されてしまった。


・・・・・・・・そこで、ロザモンドは(けっこう鈍感だよな(笑))その弟の妻が死ぬ直前に、そのことを知らされショックを受ける。


実は、弟が、身分の低い母を持つことに死ぬほど気を使って、、、苦しかったが、愛する姉に認められたくて死ぬほど努力をして、公爵を家を継いでいたこと知る。


彼女は、その弟のまだ生まれたばかりの息子に爵位を継がせるために、その贖罪のために、つなぎとしてベルミンスター公爵家を継承することになる。


・・・・・・・・・・・・幸せに育った、しかも最高の血族の長女として生まれた彼女には、身分違いで後妻に入った義母やその息子である弟の、不遇感や緊張が理解できなかったんでしょう。

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この話の全編に、血や階級の違い、肩書きの違いによる差別・区別が作り出す価値観と、相手の魂の本質とのヅレが、大きくドラマツゥルギーとなっていて、その辺は興味深いなぁ。


この異世界ファンタジーの魅力の根本は、形(肉体)にまったく異なる魂が入ってしまった、という「ズレ」が面白さの本質の一つで、これがこの作品の根本の魅力と、ファンタジーたるゆえんを作り出している。


ロザモンドの小さな挿入話も、まったく同型なんだよね。


この辺は、作者の本質的に語りたいところであろう。

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にしても・・・・・・これって、戦記ものなんだが、全編登場人物のカップリングで話が進んでいいる。つーか、カップルできすぎ(笑)。


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コーラルの嵐
茅田 砂胡
コーラルの嵐―デルフィニア戦記〈7〉

評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★★☆星4つ半)


ウォルとリィのラブロマンス(笑)。


読んだことがある人は、この表現がいかに違和感があるか、わかるだろう?(笑)


初チューです!。


・・・・・・・いや、えがった(笑)。


なんちゅーか、ほんとあいかわらず、なんか典型的な薄い少女マンガやアニメのようなキャラの印象や戦争や政治の描写の突っ込みどころ満載な部分はあいかわらずなんだが・・・・・・・・。まさに同人誌の印象なんだよね。


が、、、魅力的なんだよねー。おれ、徹夜で読んでいるもん(笑)。


僕は相当数の本屋物語を体験している僕にすると、もう全編、どこかで見たことあるような典型的なテーマが多いのだが、、、、


これをして、ストーリーテリングの力物語る力骨太の物語の力


ってやつなんだと思う。


もうツッコミたいのやまやまなんだが、しびれるんだよ(笑)。


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というか、6巻の終わりで、おっとあの朴念仁についに愛妾出現か!ってもりあがったんだが。どうもちがったようだ。つーか、30近いこれほどの豪傑が、「そんなわけねーだろ」な状態で、無理だって、がまんできないって(笑)とか、いろいろ頭の中で妄想膨らんで、突っ込むんだけどさー。


もー、、、この展開には悶えるわけよ(笑)。


同人誌的な人間関係の描写なわけで、、、、なんつーか、リィにプロポーズする瞬間に、宰相、大公爵、女官長、親衛隊長らが、裏から「いけー!!そこだっ!」とか、叫んでるんだぜ~(笑)。もう、恥ずかしくて、笑っちゃうんだよ。


でもさーうまいんだよ。なんか、内輪ネタ的なんだが、大きな物語に絡められているので、『小さい』感じを与えないんだよねー。


読んだ人は分かっているだろうけど、この少女リィは、物語では、明らかにヒロインの役割を持っているわけ。だからこそ、ウォルはその相手として、彼女に姿勢と締結を貫くのは、物語のドラマツゥルギー上絶対なんですよ。どんなに愛妾とか出てきても、昔の恋人とか出てきても、『けっきょくお前だけだよ』というオンリーワン機能じゃないと、ヒロインは、主人公と結ばれないとおかしいわけ。どんなすれ違い(byめぞん一刻)があってもね。そのすれ違いが、物語のダイナミズムを産むわけ。だって、読者は、二人が結ばれるのを感情移入してドキドキ待っているんだから。


・・・・けどね、このリィは、男性なわけよ(笑)。


異世界から来た少年だったけど、少女の身体に魂が乗り移ったという設定な訳なんだよ。だから、メンタリティーは男そのものだから、そもそも結婚の条件が「床は一緒にしないぞ」とかなわけ(笑)。読者としては、リィを、男として感情移入すべきか、女として感情移入すべきか、悩むわけよ。


設定上は、どう見てもヒロインなので、ヒロインの役割を期待してしまう。なのに、確かに見事に少年のメンタリティーを描いているので、少年の立場からすると、男同士で恋人みたいな気持ち悪いことできるかよーってな風になるんだよ(笑)。


・・・・・はっ!!!・・・・いま書いていた思ったのだが、これはヤオイとかBLなのか???


そうなのかっっ???(笑)


つーか、その解決方法が、見事だ。


リィは、幼少のころからのその凄まじい怪力と武力で、まわりから化け物の呼ばわりされてきたことが、とってもトラウマになっている。そもそもウォルになんとなく付いてきたのも、最初に彼女を全然化け物扱いしなかったんで、懐いたってことじゃん。


そんで、リィは、自分の化け物らしいところ・・・・平気で、口で人間の咽喉笛を噛み砕く姿を見せちゃうんだよな。たぶん1巻の描写から、彼女は、野生の動物に近い生活を前の世界でしたいたようだから。でもそれって、


「ちゃんと、ほんとうの自分を見せるよ!」


っていう、魂の本質とかトラウマに関わる部分で、凄い劇的にウォルはひいちゃうんだけど(笑)、、、、そりゃー普通の人間が、咽喉を噛み切って殺す獣のような奴を見たらひくわな・・・


僕から見ると、一本!!(笑)


っていう感じ。こうすると、もし、このあと、この躊躇をウォルが克服すると、リィの本質に関わる「幼少のころからまわりに化け物扱いされた来たトラウマ」の部分を、完全に受け入れる、という関係性が生まれるんだよね。魂の本質をうけいることは、相手を真の意味で愛するということです。


そうすると・・・・たしかに、リィーとしては、もうウォルを受け入れざるを得なくなるんだよねー(笑)


もっ萌える(笑)。


いや、これって、まじでBL的発想だなー(笑)


だから、少年の男性のメンタリティーからいって、ぜったい男と結婚!なんてことは、受け入れられないリィなんだが、、、、男性とかを超えて、ウォルとなら・・・仕方がないか・・・という基準のリフレーミングが発生するんです。


これは、男性の僕でも、素直に読めたよ。つまりね、まぁここでのリィは、別にゲイでもレズでもないので、「そういう」のはダメなんですよ。志向的にないので。志向的にな人にとっては、気持ち悪いし、ありえないでしょう?。6巻の全編を、その雰囲気が濃厚に覆っている。リィが、拒絶しているわけだからね。


けれども、物語の役割上、ヒロインとしての規範を迫られるわけで・・・


それが、相手が、男性ではなくて、ウォルという個人なのだ!って形で回避するんですよ。


いやーうめーなー(笑)。


この先どうなるかはわからないが・・・・さすがに、Hはとてもできそうにないし(笑)、、、、ともかく、そんで、初チューのシーンは、なかなかぐっときたよ(笑)。


いやーーー燃えるよ、これ(笑)


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