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「私を・・・・殺して・・・・・ください」






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追記を入れました1/30


昨日久しぶりに読み返して、ぐっと涙が出た。この作品は、本当にアイディア一発勝負で凄いインパクトを持った作品だった。そして、このシュチュエーションや物語の構造は、たぶん、消費者側だけでなくクリエイターの側にも強いインパクトを与えた画期的な作品であった、と思う。



■人間のモチヴェーションが描けない作家


僕はそもそも、高橋しんさんという作家は、ほとんどキャラクターのモチヴェーションが描けない作家だと思っている。


キャラクターが、あまりに薄く、意見がなさ過ぎて、物語が全然動かないのだ。大ヒット作だった「いいひと」も、最後の最後まで、主人公のモチヴェーションが、何によって駆動しているのかがわからなかった。


こういう主人公の人格が描けない物語は、最低なものが多い。


しかしながら、高橋しんの作品は、これがけっこう面白いのだ。


実は、『いいひと』を読んでいて、これがとても不思議であった。僕のような人格の暗い情念を追及する姿勢が大好きな読者が、なぜに、こんなスカスカな人格で、はいりこめるのだろうか?、と。


そのことが強く印象づけられたのは、最新作『きみのカケラ』だ。これは、途中で週刊サンデーで多分人気がなく打ち切られた?作品なのだが、この1巻は興奮した。


僕には、久々に画期的なファンタジー・・・とりわけ、世界が何者かによって作られたことを告発する終末感覚のファンタジー仕立てで、高橋しんさんは世界設計が良くできている人なので、とても楽しみにしていた。

が、打ち切られた・・・・・・。しかし、それは、よくわかった。世界観・・・・物語の背後に設計されている舞台設定の強大なエネルギーに比較して、人物のモチヴェーションが弱すぎるのだ


さっき、僕は猫山宮緒さんの『フライングドラゴン』の書評 を書いたが、彼女は、まったく逆で、人間のモチヴェーションが見事に描けるが、舞台設定が弱くて作品が、マスターピースまで到達しない、と批評した。高橋しんさんは、まったく逆なのだ。



人物のモチヴェーションが弱いってどういうことか?



これは、『いいひと』というほぼデヴュー作の作品が典型なのだが、まさに主人公がいい人なんですよ(笑)。浜崎あゆみの歌詞ではないが、



いいひととは、基本的に、『どうでもいい人』なんです(笑)



なぜならば、自分の意見がない、自分から世界の価値をリードしない姿勢からです。価値観をはっきりさせる行為は、ある意味なんです。なぜならば、それは、どうしても他の価値を粉砕する絶対性を帯びるからです。何もいわなければ、それは確かに、善です(笑)。

高橋 しん
いいひと。―For new natural life (15)

この作品、『いいひと』の主人公は、靴メーカーライテックスの社員として、様々なトラブルを起こしますが、僕には、この主人公が、なぜ、そんなに社会の価値や秩序ヒエラルキーに逆らってまで、強い主張をしたいのかが理解できませんでした。


いや、ビジネスマンの僕から見ても、素晴らしく真摯で、情熱的で、価値のある問いばかりです。メーカーのものづくりに対する姿勢、働くことの意義など、もう素晴らしいんです。テーマは。


しかし、そういう社会の利権や秩序に逆らうのは、ただ単に「いいこと」だけでは、できません。様々な利害関係による強烈な圧迫やプレッシャーをはねのけるには、


なんらかの実存的な目的


がなければ、人は動かないと思うのです。


たとえば、わかりやすいには、復讐とか。親を殺されたとか、実はその大会社のオーナーの隠し子だったとか(実はこの設定あったのではないか・・・とにおわす設定が『いいひと』にはありましたが・・・結局出てきませんでした)。こういう主人公の実存的なドロドロしたものを描かないと、なぜ、その個人が、主人公が、物語をリードし駆動させるほどのエネルギーを持ちえるのでしょうか?。



基本的に、僕はこの高橋しんという人は、



まったく人間に、人間存在自身には興味がない人なのではないか?、と疑っています。




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■世界の残酷さを余りに見事に描ききった


さて、最終兵器彼女に戻ります。


高橋しんという作家は、人間が描けません。だから、あれほど面白い設定をつくった『きみのカケラ』がどうしてもいま一歩なのです。


が、、、同じくやっぱりまったく人間が描けていないにもかかわらず、この『最終兵器彼女』はその欠点と、一気に飛び越えています。


なぜだろう?って思ってました。


やはり、僕はこのキャラたちには、まったく感情移入できません。あまりに小市民だし、実存的な魂の本質まで遡らないキャラクター造形には、僕は興味がない。


けど、凄いインパクトなんです。


ましてや、僕は、世界の設計が好きな人なので、個人と同時に全体・・・・・つまり、政治経済や文化的背景をもキチット説明してほしく、そういう世界観の設計や説明のない作品は、強烈に軽蔑していまうくせがあるのにもかかわらず、


このまったく戦争の理由も背景も説明しない作品に、強烈に感情を揺さぶられました。




実は、これらはすべて作者の設計なのだと思うのです。


つまり、描く価値もないほどの小市民で、無力で、無価値な主人公を設定し、


その主人公達と世界を結びつける、政治経済のニュースや背景説明を一切遮断し、


戦争という悲劇を、いっさいの背景説明なしに、暴力だけで描ききる。




その暴力と小市民の名もなきキャラがストレートに結びついた時に、凄まじいリアル感がくるのです。あざとくうはありますが。。。


まぁ、絵柄の好みもあるし、極端な世界なので、好き嫌いはあるでしょうが、このリアル観は相当広範囲に共有されたと思います。アニメ化や実写化やその他の盛り上がりから見て、間違いない。


時代にも合っていたのだとも思います。いまの時代は、世界のあまりの複雑さ、情報量の多さに苦しくなった消費者が、選択をやめ、信じるものを失った時代です。信じるものを失うと、人は、理性よりも、肉体感覚に回帰します。この等身大の感覚を信じるという傾向と、暴力と個人的な体験を中間媒体ナシにストレートに結びつけるという手法は、見事でした。

 

ビデオメーカー最終兵器彼女 Vol.5


ちなみに、高橋しんさんが人間をこバカにしていると思うのは、『君のカケラ』も『最終兵器彼女』も、すべての作品で連載で人気が落ちてくると、異様に女の子の裸のシーンが増えます。それもあざとく、ロリコンж1)。作者の趣味もあると思うのですが、僕はこれが結構むかつく。


ネギまなどの、そもそも裸のシーンが作法になっている作品ならいざ知らず、もともとそういう志向がない作品で、「これをだしときゃ読者の食いつきがいいぜー」みたいな、、、、態度は、なんかなめている。そして、そうするとたいてい人気が長持ちする(笑)というのも、なんだかなー(笑)。


けどね、これだけハートフルな作品が多い中で、小さなテクニックの部分が、とても人をバカにしている。



・・・・・・・・・・ああっ、これって確信犯なんだ。


と、最近思うようになりました。


『最終兵器彼女』は、コンセプトだけで成立している・・・・・抽象的な概念と舞台設定の構造だけで、マスターピースとなりえている作品です。


つまり、高橋しんさんというのは、


コンセプチャルアート的な抽象の次元での目的や舞台設定の方にこそ興味がある人


で、


世界の再現には一切興味がない人


なんだ、ということです。



極論ですが、これが僕の高橋しん論ですね。

■追記-------------------------------------

・・・えっと、昨日のアメブロで見れる訪問者数が、4000人ちかく・・・。僕のブログは、常時200人ほどの常連さんで成り立っていると認識していたので、たまげました(笑)。なんで??。なんでなんだ??。どこかニュースサイトにでも、掲載されたのかな?。もし知っている人が、いたら教えてください!。


あと、初めてのコメントをしてくださった方々が、実に、いいツッコミを入れていただいたので、その部分いついて追記します。



■女性の肉体的表現と性についての取り扱い

ж1)ロリ的な裸は、ヲタの人気取りか?


実は、この部分の評価を書こうかどううか、迷ったのです。多分反発来るだろうし、少し説明不足だったので、誤解を生むかな?と思ったので。そしたら、下記のコメントで、かなり見事なツボをついたコメントが、「むぎちゃ」さんという方からあり、これは追記せねば、と思いました。とても素晴らしいコメントだったので、引用させてください。(←あっ、迷惑ならば、ご連絡願います。消しますので。)


>■ロリ的表現っていいますが

あのような体型の大人の女性は沢山存在しますよ。
むしろ他のマンガに出てくるようなナイスバディーの方が少ないのではないでしょうか?
それなのに、幼児体型=ロリコン=どうせヲタの人気取りだろ、みたいな単純な考えこそどうかと思いますが。

人間の根源的な欲求として、異性の裸への憧れ、みたいなものは当然あると思いますし、それで人気に拍車がかかるのももちろんですが、性的表現は「彼女が最終兵器なってしまったカップルの物語」としては当然直面する問題ですから、話の後半のメインとして出てきて当然ではないかと思いますが。
それを「ヲタの人気取り」というのはあまりな言い分だと思います。

実は、上記では書かなかったのだが、高橋しんという人が書く女性の裸が「日本人の体型に合った」リアルに近い造形をしているのは、たぶん有名な話だと思います。


これは、


ヲタク的表現万歳でなければ


西洋人的そんな等身いやしねーよ的ボディ


が中心の日本の裸に関する造形の世界で、とても革命的なことだと思います。というのは、極めて暴力的極端に括ってしまえば


ヲタクマンガはは、ようはマザーコンプレックスの反映ですし、


広告や女性誌などに溢れる西洋人的な等身のボディは、西洋コンプレックスの反映で、


どちらも現実の日本人の胴長短足(笑)の現実を、無視した『理想の造形』なんですね。それに対して、より造形的にリアルに近い方向へ、表現をシフトした高橋しんさんは、なかなかのものなのです。


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そして、


性的表現は「彼女が最終兵器なってしまったカップルの物語」としては当然直面する問題

という、むぎちゃさんの指摘は、まさにその通り。この作品の最大の魅力を、僕は、戦争というマクロの暴力と等身大の感覚を、中間媒体ナシでストレートに結びつけたことにある、と主張しました。等身大というのは、肉感の部分で、そのものストレートでいえばセックスのことです。だから、むぎちゃさんの指摘どおり、この作品の最大の魅力が、性的表現となるのは、まさにその通りなのです。


だから、ふゆみ先輩とテツ二尉が登場するのです。


引き裂かれて会えない主人公のちせとシュウちゃんの二人に対して、会えないときの代償として、そして、二人が喪失しているぬくもりをより強く際立たせる設計として。ふゆみ先輩とテツ二尉のカップル自体もまったく同じ機能をしています。戦争という暴力の悲劇が、お互いのぬくもりを感じられないことで表現されているのです。


さて、サイカノ(というんだねーはじめて知った)こと『最終兵器彼女』では、この肉体とSEX表現は、重要な本質論であって、しかも、それをちせのようにとても造形的に日本人に近く描いているのは、僕は、とても素晴らしいと思います。もちろん、これをヲタクの人気取り、とはいえません。


これを前提として、しかし、僕が上記で主張したのは、とくに「星のカケラ」についてなんです。あの作品には、風呂場や裸が出てくる論理的必然性が存在しません


もちろん、高橋しんさんが、というよりは週刊誌のサンデーで落ちる人気を食い止めるために編集が強制した可能性も十分にあります(笑)。あきらかに人気が下がるのとシンクロしていたように、一読者の僕は感じました。


もともとコンセプチャルな舞台瀬設計を重視したい人だけに、その表現を、その文脈で『出す』意味について認識がないとは思えません。まぁ、商業誌ですから、当然にそれもアリだと思います。


が、そもそも巨乳が嫌いで、あえていうなら貧乳(笑)派の僕が、非常に不愉快に感じたのは、そういった文脈がなしに唐突に裸が出てくるからなんです。もともと造形がリアルなだけに、凄く嫌悪感を持ってしまいました。これは、裸というよりは、そもそも文脈に敏感なセカイ設計を重視する高橋しんという人が、あまりにわざとらしい挿入は、個人的に良くないぜ!って、思ったので、書きました。


つまりね、高橋しんほどの人が、軽々しく文脈抜きに、裸やエロを使用しないでほしいと思うのです。彼の作品の傾向からして、そういう文脈抜きのものは、目に余る。いいひともサイカノも、裸のシーンには、多少あざとさがないとは言わないが、本質的文脈がありましたらね。


ちなみに、僕が星のカケラで裸が気になったのは、他のブログで、ちせの裸ばかりのシーンに物凄い憤りを感じた人がたくさんいて、その記事を見ていたから、というのもあります。まぁ、万人に評価される表現というのはないものなのでしょうねぇ。

あっ、ちなみに、酷評しているようですが、★5つのマスターピースだと、僕は思っています。このサイカノという作品は、見事だもん。



・・・・・ちなみに、サイカノは、SEX表現が本質なんですよねー。そうすると、実写で、それが表現できるのかなぁ?。。。

高橋 しん
最終兵器彼女 (7)
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『エデンへおいで』『フライングドラゴン』『上海特急』 猫山宮緒著~アジアの物語について①

http://ameblo.jp/petronius/entry-10008458295.html
の続きです。


①では、フライングドラゴンに到達する前に、猫山宮緒さんという作家論になってしまった(笑)。全然この本の書評じゃなかった。すみません。


■あらすじ~現実性が失われたところに宿るイメージの真実


このフライングドラゴンは、舞台女優を目指す『エデンへおいで』という作品の主人公ナナミが、演じる劇中作として描かれたものが独立して物語化したもの作品です。エデンでは、無国籍近未来風の西遊記というテーマで描かれていました。ちなみに、エデンで出てくる監督の泉は、どう考えても僕には岩井俊二がモデルで、そこに性格をどぎつく悪くした(笑)というイメージだ。


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彼は火種。


世界は彼のために用意された蒔。


世界は彼に依って燃やされる為に在る。

「わが西遊記」中島敦


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南シナ海のある島に、アジア中のエリートや金持ちの子弟を教育する全寮制の学園に、一人の少年が転校してくる。この学園は、アジア随一の力を誇る日本の大財閥ナガタの当主が運営しており、セキュリティーも他とは比較にならないほど整っている。それ故に、後ろ暗くきな臭い火種を持つ子供がたくさん集まっている。


彼の名は、フェイ


彼のボディーガードにつくことになった同級生の楊天藍(ヤン・ティエンラン)は、フェイが、実は男ではなく、女の子であることに気づく。


彼女は、アジアの小国のお姫様。その国は、大きく二つの勢力が、争っている。国を治める王族と、その国に深く根づいている竜神の宗教を信奉する一族。この二つは対立しながらも、バランスを取っていた。とりわけ、フェイの母親が国王に嫁いでからは、皇后の生んだ第一王子とフェイの母の生んだ第二王子が勢力を均衡させていた。


しかし、あるときフェイの双子の兄である第二王子は、病に倒れ意識不明となる。が、そこで勢力を崩しかねないと、竜神の一族は、フェイに兄の王子の身代わりをさせるのであった。


もちろん、それは常に皇后の勢力からの暗殺に脅えることでもある。


そして、フェイは、第二王子の双子の妹で、双子が忌み嫌われるその国では、彼女は幽閉に近い形で監禁されており、また竜神にアクセスできる巫女体質を持つ彼女は、幼い頃から竜神に捧げられ・・・・それは、金で巫女を買いに来る男どもの相手をさせられる娼婦として扱われるということでもあった・・・・・。


その彼女にとっては、たとえ暗殺の危険がある第二王子の身代わりとしても、初めての自由でもあった。


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この閉ざされた学園寮って・・・ぞくぞくしない???(笑)。


『風と木の歌』とか『三月は深き紅の淵に』とか『ここはグリーンウッド』とか『いまを生きる』とかとか、そういうイメージがバーッと広がって、ぐっとくる。閉ざされた学園の世界って、美しいんだよねー。


しかも、厳しい政治的緊張。


アジアの土俗の風俗から来る悲惨な幼児体験。


大財閥や裏の社会との複雑な利害関係。


捨てられた子供であるティエンの孤独。



いやーすげー来たきたきたぁ(笑)。



また、ここでは出てこないが、アジア随一の財力を誇る大財閥のナガタを一人で動かす、長田史彦


彼も、ゾクゾクするほど、いいキャラクター。カッコよすぎ。


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「何をしているんですか?」と、フェイ。



「部門別に業績をチェックしてね 利益の上がらないトコはどうしてか 


どうやったら伸びていけるか調べているんだよ」



「た・・・・楽しいですか?」



「最高だよ・・・・・思うままに人を動かし 世界を作り上げる ゾクゾクする


神さまにでもなったみたいで」


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この学園の理事長で、かつそんな学生の身分で大財閥を統括するなよっ!(笑)っていう現実性がとっても薄いのだが(笑)、その浮遊感が逆に彼女のキャラクターの強い存在感にあっていて、むしろ僕は『今日も元気です』のようなキャラクターに舞台設定が負けている世界よりも、断然リアルを感じたね。


彼女の作品出でてくる典型的キャラの一つなのだが、この「人を徹底とモノとして見る」商人の世界観が、行き着くところの神の感覚・・・・・


人を、世界を、思うが侭に動かしコントロールする権力


というものの本質にたどり着いた人間が、


「次に一体何を求めるか?」


という問いなんですね~。もう最初のただの少女マンガの時から、明らかにこういう強い問いを感じる猫山さんは、凄いですね。『7SEEDS』の田村由美も表現者じゃなければ、テロリストにしかなれねーよ、と評したが、こんな激情を隠して生きていると、生きるのしんどいでしょう?(笑)。


もちろん、少女マンガという作法の枠を抜け切れていないし、樹なつみの『花咲ける青少年』ほどには、政治も経済も自覚的に描かれていない。アジア独得の一族感覚を『大長今~宮廷女官チャングムの誓い』ほどには、描ききれていない。


またほんとうは、こういうアジアの土俗や一族の感覚は、パールバックの『大地』『楡家の人々』のような巨大な文学的テーマを孕むので、追求すればもっと先鋭的で素晴らしい深みに到達できるのだが、まぁ、そこは読者ターゲットがありエンターテイメントなので、仕方がないのだが。


まぁ、人によっては、しょせんただの少女マンガじゃん、とおっしゃる人もいるだろう。オチも無理やりつけた感はあるし、竜神の巫女が発動する超能力というものの根拠や政治経済の世界観な深刻な背景の深堀もなされていない、、、と。


でもね、もちろんそこまでできれば、いうことはないのだが、「物語の核」は、たとえそれらを描いたにせよ変わらないのだから本質がかけているので、僕はそこまで要求はしない。


僕はいつも思うのだが、『その作品単体』だけではなく、その作品を媒介にして、


その背後にある世界観にアクセスすることのできる、そういう誘惑機能を持った物語


こそが、やはりいい物語なのではないだろうか、と思う。


その一つの作品に、全てを求めるのは、少し野暮ってもんさ。

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上海特急
猫山 宮緒 上海特急
★★★★星4つ


■オリエンタリズムの匂いとアジアの無国籍イメージ


 

岩井俊二監督『FRIEDDRAGONFISH』『スワロウテイル』


うひょ助の『女神の赤い舌』


水野晴郎扮する『シベリア超特急』シリーズを産むきっかけとなった加藤雅也主演の『落陽』


猫山宮緒『上海特急』


ジョンローン主演『上海1920』『ラストエンペラー』

松竹
ラストエンペラー

『拳児』 松田 隆智, 藤原 芳秀

『愛人ラマン』ジャンジャックアノー監督

ビデオメーカー
愛人(ラマン) 無修正版

安彦良和の『虹色のトロツキー』『王道の狗』


森達也『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』


高田裕三の『3×3EYES』

『ノスタルジックジャーニー満州』


樹なつみの『花咲ける青少年』などなど。




・・・・・・・・・・このイメージのつながりが、わかるでしょうか?。



たぶん岩井俊二監督のスワロウテイルバタフライとジョンローンの『上海1920』が、一番このテイストを見事に再現していると思うが、アジアという空間には、どうも無国籍な不思議なテイストがある。これは、1920年代の国際都市で魔都と呼ばれた歴史イメージに依拠しているのだと思う。そして、そもそも中国大陸が、リュウマンという流民の文化を持っている、ということからも来ているのだと思う。



雑多な熱気むせ返る様なアジアの街並み。


西洋と東洋が混じったよう独得のオリエンタリズム。


僕は、この「イメージ」が強烈に、好き。吸い寄せられるように「この」傾向のあるイメージに誘われる。これは、論理ではなく感性なので、わかる人にはわかる、あの感じ、というヤツだ。読んでいる人は、イメージがつかめているだろうか?。僕には、余りに当たり前なので、言葉で説明するのが、難しい。


あきらかにこの感覚は、欧米の作家とか作品では出せないようなのだ。あっ、あとウォンカーウァイ監督の『天使の涙』『恋する惑星』も似た感覚を彷彿させる。

コロムビアミュージックエンタテインメント
天使の涙
コロムビアミュージックエンタテインメント
恋する惑星

この『フライングドラゴン』にも『上海特急』にも、見事にこのイメージが刻印されているんだよね。これって、簡単に出せるものではないので、僕にはぐっと来た。


ただ、ウォン・カーウェイ監督、クリストファードイル、岩井俊二などなど、この感覚画を描く作家は、なぜか論理ではなく感性を再現するのを強く志向するようなのだよね。なぜなのだろうか?。



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■劇中劇の作品


鮮烈なイメージ。


いまだ『エデンへおいで』に出てくる登場人物であるある監督がつくる作品群は、夢に出てくるほど、鮮烈なイメージが残っている。この人の全作品が、僕は超スキ。


大正時代の地主の娘と下働き少年との許されないラブロマンスである『蝶の森』


室町時代を舞台にしたロミオとジュリエット、


土地を奪われた中国の大地主の娘が自分の土地を取り戻そうと召使だった青年とアヘンの商売に手を出し魔都上海で生き抜く『上海特急』


そして、アジアの無国籍風のイメージを漂わせるこの『フライングドラゴン』





・・・・・・・これらは、『エデンへおいで』という舞台女優を目指す主人公の女の子が、演じた作品群です。


劇中劇の入れ子構造になっており、、、、えっと、『ガラスの仮面』のストーリーの中で演じられる劇のことですね、、、『上海特急』『フライングドラゴン』が独立した作品として、単行本化されています。


ちなみに、上海特急は、連載当時のすべて収録された単行本がないし、その他の作品も、絶版まじかなマイナーな扱いのようです。本屋でもまず見ない。やはり、僕が強烈に好きな作家は、どうも、絶版傾向にあるようです(笑)。


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■猫山宮緒という作家

前回、恩田陸の批評において女性の作家には、「世界(=関係性)を再現する」傾向が強い という意見を、述べました。


猫山宮緒さんは、まさに、ドンピシャその傾向が強い人です。とりわけ、処女作には、作家の本質がすべて宿るといいますが、彼女の『今日も元気です』では、彼女が書きたい類型のキャラクター、それらの関係性のあり方が、すべて出し切られてしまっており、ここまで出し切ってしまったら、最終話を見たときに、もうこの人は物語が書けないんじゃないかと、心配したくらいでした。

が、論理を描こうとする人は抽象的な次元でアウトプットを出し切ってしまうと二度と書くことや作品を作ることに興味が亡くなる人が多いが、なぜだか、女性作家で世界を再現しようとする傾向の作風を持つ人には、多作の人が多い。桜井亜美や恩田陸などは、まさにドンドン描く多作な作家だ、というのに反論はないだろう。


はっきりとはいえないが、抽象性というのは、ドンドンそぎ落として背後にある本質が「唯一つだけ」というところまで追い詰める作業だが、


世界を再現するのは、具体的な世界の具体的な人間や手触りを描く作業なので、唯一性というものにこだわらない傾向があるのではないか、と思う。

これは、世界に対するスタンスの問題だと思う。


猫山 宮緒
瞳をそらさずにいて 2 (2)

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さて、話がずれたが、猫山宮緒さんも、まさに人間と人間との関係性を再現するのに命をかけている作家です。が、故に、とっても厳しく、純粋で、激しい。


人間関係にはらむ本質を、ぐっとえぐるので、見ていてつらい人もいるかもしれません。(僕は、こういう人間理解をする人は、心底好きですが・・・・)


たとえば、処女作の『今日も元気です』は、、、、最後の最後は、兄妹の近親相姦まで行き着きますが、、、、僕はこれには、たまげたんだけど、ストーリーの最初の時点ではそんな「いっちゃってる」結論にたどり着いてしまうとは思えないほどピュアで少女マンガしているんですよ。たぶん、作者も、想像にだにしていなかったんじゃないか、こんな結論


けれども、この双子の兄妹の本質を、たぶん猫山さんなりに追い詰めていくと、どうしても「そこ」に辿り着かざるをえなかったのでしょう。


たしかに、双子の少年(猫山さんは少年の描き方が最高に上手い!!)の残酷なまでの純粋さを追い詰めていくと、「そこ」に行き着くのは、わかるのです。わかるのですが、ここにいたるまでの彼女は、多分相当心理的に疲労困憊したでしょう。だって、そのシーンのあと、ふつっと物語が打ち切られています。


たぶん、これ以上かけなかったんだと思う。かなり、モラル逸脱しているし(笑)。


彼女の持つ人間関係の本質の把握からいって、『中学生のほのぼの学園恋愛ドラマという舞台設定』は、あまりに枠が小さすぎたのだと思います。自分の持つ人間理解やキャラクターの深みに、舞台設定が合っていなかったんです。


彼女の作品出でてくる全ての主人公たちは、「ほんもの」です。


「ほんもの」というのは、妥協をしないで、未来に一直線に進む直線的意志の持ち主です。だから、その場に安住しない。そして、自分の心のどんな闇や欲望にも、目を伏せることなく直視します。たぶん作者自身が、そういう人なんでしょう。


そんなキャラクターたちが、学園ほのぼの恋愛なんかできっこないでしょう(笑)。


キャラクターの持つモチヴェーションと舞台設定が、ミスマッチしていたんですよ。



もちろんそこは、典型的な少女マンガテイストLALA別冊フレンドで描くだけあって、少女マンガ的なお約束に回帰している面は否定しないが、、、、、



本来の彼女の世界観は、もっと深く、えげつなく、鮮烈で切り裂くような極寒の空気が僕にはイメージされる。いま、別冊フレンドで連載されている『瞳をそらささずにいて』も、典型的少女マンガとはいえ、凄まじいイジメの話だし(笑)。



ほんとうは、


少女マンガというカテゴリーとお約束をはずしたところで、作品を作ってほしいクリエイター


なのだ。


-------------
エデンへおいで060127

その猫山宮緒さんの第二作目が、『エデンへおいで』です。ななみという少女が、舞台俳優を目指す話なのですが、これまたきっつい過去を背負った子で、見ていて気の毒なほど苦しい(笑)。


しかし、舞台女優という表現をシゴトとするプロフェッショナルを物語の軸とおくことで、僕は素晴らしく大成功したドラマトゥルギーが発生している、と感じて素晴らしくスキでした。『ガラスの仮面』も『君だけを見つめている』もそうですが、俳優女優という表現者には、「心の内面をえぐる」という自意識のくらい葛藤が、そのまま芸術と成長に昇華するという、めずらしい職業なのです。そういう意味で、設定はよかった。


ただ惜しかった。

そもそも、これほど暗くマニアックな話は、LALAとかの少女マンガでは少しターゲットの年齢層が高すぎた気がした。故に、これも多分絶大なマニア的人気を博したわりには、4巻ほどで終わってしまった。サイドストーリーで『フライングドラゴン』『上海特急』という作品を同時に出していることからも、当時はカルト的な人気があったのではないかと思う。

が、暗すぎるのは、やはりエンターテイメントとしては、打ち切られやすい。自意識の話は、しんどいのだよ。読んでいて。山田玲司の『アガペイズ』や『げんしけん』の木尾士目さんなんかを思い出す。これらも暗い話で、アガペイズなんか、心の闇に入っていく後半ほど素晴らしい作品は見たことがなかったのに、急角度に人気が落ちてゆき、打ち切られた(笑)。


考えてみても、『夢や目的に向かって死ぬ気で全力疾走!!』というのは、けっこうしんどいものなのだ。うまくかかないと、見ていてつらくなる。


自意識を間口の広いエンターテイメントに昇華するのは難しいのだ。

 

■その他の記事は②へ続く


■オリエンタリズムの匂いとアジアの無国籍イメージ


■アジアの小国の新興宗教と道教的な不老不死の世界観


■アジアにある「一族」の意識と深い血族の絆



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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1665679/detail?rd  引用

■ジョブズとゲイツ、真の「善玉」はどっち?

 最近まで、米マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長はハイテク界の悪者扱いをされてきた。いっぽう、最大のライバルである米アップルコンピュータ社のスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)は、ほとんど聖人君子のような評価を得ている。


 ゲイツ会長は冷酷な資本家だ。天才なのかもしれないが、その興味は技術を改良するよりも、利益を最大化する方向に向けられている。復讐に燃えるオタクの究極の姿――学校では仲間はずれにされた恨みを胸に、みんなを血祭りにして最後に笑う男、といった感じだ。


 これとは対照的に、ジョブズCEOは、最近になって大きな成功を収めているものの、ビジネスにはさほど関心を払ってこなかった印象がある。むしろ、ジョブズCEOはアートやカルチャーといった文脈で語られることが多かった。審美眼を持つアーティストで、世界を変えるという野心に駆られている――それがジョブズCEOのイメージだ。


 だが、2人にまつわるこうしたイメージは間違っている。実は、2人の真のイメージはちょうど反対だ。世界を変えているのはゲイツ会長で、自分を必要とする社会の声に耳を貸さず、ひたすら金儲けに突っ走る資本家の役にぴったりなのはジョブズCEOのほうだ。


 ゲイツ会長は、巨万の富を得るのにも熱心だが、寄付活動にも同じくらいの情熱を傾けている。世界の保健衛生上の問題を解決することを目指し、数十億ドルを投じているのだ。また、相続税の税率軽減をめざす計画に反対するなど、主要な政策についても自らの意見を公にしている。


 これに対し、慈善事業の寄付者のリストでジョブズCEOの名前を見かけたことはない。また、重要な社会問題について発言したことも一度もない。あのたぐいまれな説得の才能は、もっぱらアップル社の製品を売ることだけに使われているようだ。


 『フォーブス』誌の長者番付によれば、ジョブズCEOの資産総額は33億ドルにものぼり、世界で194位、米国人では67位につけている。だが、この順位ももはや過去のものだ。米ウォルト・ディズニー社が24日(米国時間)、米ピクサー・アニメーション・スタジオ社を74億ドルで買収すると発表したからだ――この買収により、ジョブズCEOが保有するピクサー社の株式だけでも、37億ドルもの価値を持つことになる。

 だが、巨万の富を手にしたからといって、偉大な人間になれるとは限らない。


 寄付活動に関する年次報告書を出版している慈善活動調査団体、『ギビングUSA財団』によると、過去4年間に500万ドル以上の寄付をした人の一覧に、ジョブズCEOの名前は見あたらないという。また、インディアナ大学『フィランソロピー・センター』がまとめた、100万ドル以上の寄付をした人の名簿にも、ジョブズCEOは掲載されていない。


 2つのリストには、ジョブズCEOの妻の名前もなかった。ただし、政治資金について調査している団体『オープン・シークレッツ』のデータベースによれば、ジョブズCEOの妻は民主党に数十件の政治献金を行なっており、これは総額数万ドルにのぼるという。


 もちろん、ジョブズ夫妻が匿名で巨額の寄付を行なっている可能性もある。さまざまな目標を掲げた団体に名を伏せて寄付をしているとしたら、2人の名前は金額の大小を問わず、寄付者リストには記載されない。


 個人的な生活をいっさい公開せず、秘密主義を貫くジョブズCEOであれば、そうしたこともありそうに思える。しかし、もしそうなら、ジョブズCEOはビジネス界の大物としては非常に珍しい人物ということになる。ギビングUSA財団のリチャード・ジョリー理事長によれば、すべてとは言えないものの、寄付をする億万長者は多く、その場合、さりげなく行なう人はほとんどいないという。


 「そうした実例を何度も繰り返し見てきた。非常に裕福な人物というのは、自分が価値を認める組織や機関を支えるものだ」とジョリー理事長。


 確かに、ゲイツ会長の場合はこれがあてはまる。ゲイツ会長は巨額の資金を寄付するだけでなく、自身が価値を認める組織や機関を支える発言をしている。


 だが、ジョブズCEOは違う。私が知っている限り、この10年以上というもの、ジョブズCEOは社会的、政治的問題について自分の考えを公の場で発言したことがないはずだ――ボブ・ディランの大ファンだと認めたことだけは例外と言えるかもしれないが。


 むしろ、ジョブズCEOは社会的な問題を、自分にとって重要なビジネス上の目標を達成するのに利用してきた。『Think Different』(発想を変えよう)キャンペーンでは、ジョブズは自分の憧れの偉人たち――あえて危険に身を投じ、人種差別、貧困、不平等、戦争などと戦った人たち――をコンピューターの販売促進に使っている。


 ジョブズCEOは、2004年の大統領選挙で民主党の候補となったジョン・ケリー上院議員の選挙活動の顧問を務めると申し出たことがある。また、クリントン大統領(当時)が1996年にシリコンバレーを訪問した際には夕食に招待している――だが、こうした行動にしても、深い政治的な信念を持っている証拠とはとても言えない。


 さらに、長期にわたって重要な意味を持つ社会的な問題だけでなく、個人的に大きな意味を持つと思われる事柄についてさえ、ジョブズCEOは支持を表明していない。自転車競技のランス・アームストロング選手と同様、ジョブズCEOはガンを克服してきた(日本語版記事)。だが、アームストロング選手と違って、ガンと闘うための募金や啓発活動を公の場で行なったことは今のところほとんどない。


 社会的な事柄に対するジョブズCEOの無関心な態度をこうして検証してみて、ではなぜここまで高い評価を得ているのかと、私は混乱してきた。確かに、ジョブズCEOにはすばらしいカリスマ性があり、そのプレゼンテーションは舞台映えする。だが、社会的なやりとりから距離を置くその姿勢を知ると、なんだか小物に見えてくる。人々は自分たちなりの価値観をジョブズCEOに投影しているが、当人は巨大な富と力にともなう責任から身をかわしているのだ。


 実際の行動から判断すれば、ジョブズCEOはあきれるほどの富を手にした、欲張りな資本家以外の何者でもない。それは恥ずかしいことだ。いっぽう、ほぼすべての面において、ジョブズCEOが手にしているロックスターのような称賛にふさわしいのは、むしろゲイツ会長だ。


 同じ理屈で、私はミック・ジャガーよりもボノを、エルビス・プレスリーよりもジョン・レノンを尊敬している。なぜなら、ボノやレノンは自分自身の名声以上に大きな問題について、あえて声をあげたからだ。


 そろそろジョブズCEOも、そういうことをしていい時期だ。


[日本語版:長谷 睦/高森郁哉]
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・2006年01月26日17時59分 Wired News / 提供元一覧

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宮廷女官チャングムの誓い DVD-BOX I

★★★★★星5つ


やっぱ、すげーよ韓国ドラマ!(笑)。


この1ヶ月ほど、まさに夢を見ているような時間を味あわせてもらった。


各界のストーリの感想や思いいれを話していると、同じだけの尺(=54話!!)必要なので、ここはメイン

は批評のみとしよう(笑)。いやーすばらしかった。とっても、骨太の成長物語(=ビルドゥングスロマン)。僕は、アジア版『小公女セーラ』(笑)と名づけたい。あるいは『おしん』でもいい(笑)。とにかく、主人公が、いじめられて、追い詰められまくる!。いやー天晴れだ、あそこまでやると(笑)


あまりに、骨太すぎて、なかなか入り込めない人もいるかもしれない(笑)が、そういう心のよろいを取ってピュアに見たら、はまること間違いないです。

バンダイビジュアル
小公女(プリンセス)セーラ(1)

とにかく、主人公が追い詰められて、これでもかこれでもか、と厳しい試練にあるのは、いくら「その試練の結果大きく成長する!」と分かっていても、ツライ。つらすぎる。僕は、毎回苦しくて泣いていた(笑)。


これってビルドゥングスロマンの典型なのだが、なんと!54話!!(54時間だぜ!!(笑))も、一度のダレもなく(僕はダレはあまり感じなかった)


主人公を追い詰め続けるテンションの持続


には、驚嘆だ!。




■儒教という道徳の狭間で


基本的には、見てよかった!と感動でしている。しかし、それだけでは、批評というか記事にならないので、

幾つか違和感を感じたポイントを上げてみよう。


これを見ている間、まず思い浮かんだのは、韓半島の伝統的な民話である『春香伝』です。




『化けの皮』戸田誠二著/春香伝から
http://ameblo.jp/petronius/entry-10003235034.html

『化けの皮』戸田誠二著②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10003235080.html



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春香伝は、朝鮮半島に古くから伝わる古典作品です。いってみれば、日本でいう赤穂浪士討ち入り忠臣蔵みたいなものです。CLAMPが漫画化しているし、日本でこそ知られていないが、あまりに有名な古典なので、たくさんの本が読むことができる。


CLAMP
新・春香伝 特別限定バージョン
李 殷直
新編 春香伝

粗筋はこうです。


春香(チュニャン)は、貧しいが美しく優しい少女。夢龍(モンニュン)という頭の良い少年と恋仲になります。そして、ある日彼は、都に上り科挙の受けるといいます。


科挙は、戦前のスーパーエリート養成学校であった一高・帝国大学を何倍も難関にした東アジアの文明が生み出した、一大官吏登用任官システムです。もし、これに合格するれば、軽くて領主レベル、下手をすれば総理大臣、宰相も夢ではありません。


ただ、物凄い過酷な試験で、試験勉強中に発狂する人も多く、同時に、合格率は、ほとんど奇跡に等しいレベルです。


そんな試験を春香のために受けに入った夢龍と彼女の恋が、テーマです。ようは、都へ行って大出世して帰ってくる青年と、それを健気に待ち続けた貞節の鏡の少女の物語です。


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この話には、いくつものヴァリエーションがあり、実際には愛した男が帰ってこなかった、とかの悲恋が実は多かったようです。


というのは、徳川幕府以上の、なんと500年以上の長期政権であった李氏朝鮮は、その平和で安定した社会ゆえの、ドロドロに腐って停滞した封建社会でした。中国や日本の封建体制末期の停滞感を、さらにでっかくしたようなものです。


富める者はいつまでも富み、貧しいものはいつまでも貧しい。


韓国では、春香伝を見て泣かないものはいない、といわれるようです。それほどの国民的な古典で、18世紀初頭に民間のパンソリ#によって広まり、さらに小説として広まった悲恋物語です。


#全羅道を中心として伝承されている口承芸。太鼓の伴奏のもとに歌手が物語を語り歌う。

四方田 犬彦著 『大好きな韓国 』より





この科挙を受ける青年を待つ少女というイメージから、みなさんは何をイメージするでしょう?。




これは、よく言われるのは


儒教的規範を強烈に女性に押し付け、いつ返るとも消息も知れない男を待ち続けさせるという自己犠牲を女性に迫る話なのです。



えっとですね、なぜチャングムに関係のない、春香伝の話を長々としたかというと、これがチャングムという韓国の時代劇における大前提・主題となっているからなんです。




今でもそうですが、朝鮮半島は、儒教という規範が物凄く強烈な社会女性の身分がすごく低いのです。



・・・・・・あんまり誤解されたくないので、付け加えると、女性の身分が低いのアジア一般に言えることですし、韓国が近代社会になるにつれてそれがドンドン解放されているのも事実であって、別に韓国社会を誹謗しているわけではありません。一般的に儒教的道徳の色彩が強い社会は、女性の身分が極めて低いという歴史的事実です。またリャンバン(両班)という貴族階級と、その他の階級差が、恐ろしく厳しい身分社会であったことも、重要なポイントです


とりわけ中世朝鮮の、それも封建社会バリバリの儒教文化が極まった時代が、このドラマチャングムの大前提であることを、視聴者は、よく理解してみると、非常に深い感慨を及ぼします。



◇以下NHKのHPの引用
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/chikai/basic/index.html
実在のチャングム<長今>

このドラマは実在の人物「長今」をモデルに描いています。実在の長今は、朝鮮王朝第11代王中宗に仕えた女医として、「朝鮮王朝実録<注釈4>」の「中宗実録」にその名前が記されています。しかし生没年やその生い立ち、性格などについての記載はなく、ほかの文献にも見当たりません。


とはいえ正史記録である「朝鮮王朝実録」にその名前が何度となく出てくることは、長今という人物が当時非常に優れた人物で、重鎮されていたことを示しています。実録には、中宗の発言として長今の名が出てくるほか、長今が語る中宗の体調や、長今に与えられた禄高などが記載されています。


1544年(中宗39年)10月26日に記された「余の体のことは女医(=長今のこと)が知っている」という中宗の発言からは、中宗が長今に寄せていた信頼の厚さがうかがえます。「大長今(=偉大なる長今)」とは中宗が長今に与えた称号です。


女性であること自体がハンディになってしまう厳しい身分制度の当時、他の男性を退け王の主治医になった女性がいたことを、このドラマを通じて知って欲しかったと語るイ・ビョンフン監督。


当時の医学は食物療法と密接に関係があったことから、保養食作りは医者の基本的な仕事でした。ドラマ前半、チャングムを宮廷料理人として描いたのは「保養食が上手に作れるなら、きっと料理も上手だっただろう」という監督の憶測から。長今の謎めいた生涯が、ドラマ化にあたってよりドラマティックな展開を可能にしたようです。

-----------------



これって、画期的な感じがしませんか?


ようは、女性の自己実現を描いた作品なんですね。


僕個人としては、フェミニストのようなガチガチの理念的な女性の自立ではないところも、凄くいい。理念的なのは、気持ち悪いからね。


物語として性別年齢関係なく入れる仕組みをしつつ、とてもしなやかでかわいらしく女性的な美しさを描きながらも、あれほどの激動の人生でも、新年と志を曲げない姿勢は、まるで踊る大捜査線の織田裕二演じる青島刑事(笑)のよう。





しかもそれだけじゃーないぜ!!



ハンサングン、チェサングン・・・・・ミン・ジョンホ・・・・素晴らしいキャラクターがキラ星の如く。だめだ、一人一人のキャラクターに同じくらいの分量の記事が書ける(笑)。



すげぇ!!すげぇぞ!!



・・・・興奮して鼻血でそうです(笑)


たとえば、僕の最大のお気に入りは、真の悪役を貫いたチェサングン。


彼女は、チャングム最大の敵。



あの政治的才能!!


見事な悪!!!


おれは、たまげたね。


いい!!いーんだよ!!!


また最期が、憎いほどカッコイイ。痺れた。まさに純粋な悪役であるにもかかわらず、韓国放映当時に、彼女にとてもファンが多かった、というのは頷ける。



ほれそうだった(笑)


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その他韓国のエンターテイメント

■『黒神』原作:イム・ダリョン 画:パク・ソンウ
http://ameblo.jp/petronius/entry-10004741659.html

■『新暗行御史』/Classic.16 洪吉童伝(ホンギルドン伝説)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10004704548.html

■『新暗行御史』第6~7巻 原作:尹仁完  作画:粱慶一
http://ameblo.jp/petronius/theme6-10000397722.html

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