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ハピネット・ピクチャーズ
CODE46 スペシャル・エディション

★★☆星二つ半


映像、雰囲気の演出は芸術的(ってなんだ?)と考えられている。


SFとして物語としては、説明不足過ぎて、余りにお粗末。極論すれば駄作に感じた。


その合計として評価は、この映画に「何を求めるか?」によってかわるだろう。


アマゾンの評価も、まったく同じ、物語・SFとして評価うする人には説明不足で超つまらない作品に感じたようだし、芸術性や「感性」を重んじる人には、素晴らしい傑作に見えたようだ。



もちろん僕は、物語性を重視する人なので、



なにがなんだかまったくわからなかった、というのが正直な感想。


物語のつくり方・・・・とりわけ脚本構造も、すごうダルダルで、見てて物語に入り込めなかった。


メインは、クローン技術が発達している近未来で、遺伝子が母親と同じ(母と同じ遺伝子情報を持つクーロン)と出会ってしまい、同一が故に愛してしまう、というラブストーリーがメイン。


だけれども、まず、なんでいきなり恋に落ちるかの理由が全然わからない?。


だから、いきなり、上海に出張に来て、浮気する主人公の気持ちが理解できない。運命とか連発するけど、はぁ???なにいってんの???って感じ。しかも、浮気相手に、自分の息子の写真を見せる神経も理解できない。


せめて、家族を、妻を裏切るならば、それ相応の彼女を愛してしまう理由や関係性を深く描かないと、


なんで???  なんでいきなり???


って理解不能に陥る。想像力で補完するにも、限界があるよ。


しかも、社会が、どんなシステムになって運営されているかの論理的な説明もないから、すごく消化不良のままダル話が続く。


うーん。。。




■SF・物語としての評価/あまりの説明不足に気が遠くなる


「近未来の都市空間」


「近親相姦」


「ラブストーリー」


「難民と市民」


「遺伝子操作」「パペル(パスポートと身分証明書が一緒になったもの)」


「共鳴ウィルス」


「ウィルスによる行動操作」・・・・・・・・・・・


いろいろなガジェット(物語中で意味をもつ小道具)の要素を、きちっと体系づけて説明すれば、それなりのSF作品になった印象がある。


しかし、いくら説明不足を雰囲気から推理して「想像力で補完する」にしても、限界がある。僕は、途中で眠くなるわ、見るのがめんどくさくなるわで困った。



■感性により作られる映像の雰囲気の芸術性


僕は、こういう感性的なモノがだめで芸術性が、よく理解できない(笑)。


が、確かに、ある雰囲気のある作品であることは認めよう(そういうのは好きではないが)


僕は言葉がそれほどわかるわけではないが、全編に主人公達の英語に、フランス語ととりわけスペイン語が混じっているのがわかる。企業のビジネスマンや意思が、みんなインドやベトナム等の崩れた英語をしゃべるのも、特徴的だった。


近未来の都市社会では、人間が混交して、このような英語を基盤としつつも言葉の混乱が起こるのは必至なのだが、そうした近未来エキゾチズムがよく出ている。


近未来の都市にもかかわらず、上海、香港などのアジアの雑踏の都市の映像がベースなのも、従来の近未来モノ・・・とたえば『アイランド』『ペイチェック』『マイノリティーレポート』などの米国の都市をベースにしたものと、異なる雰囲気を出している。


この辺の、全体の雰囲気は、論理では説明しがたい。ある種の感性の感覚の領域だから。


僕にはあまりよく理解できないが、これがしびれるほどキレイと感じる人も、世の中にはいると思う。



ジェネオン エンタテインメント
ウェルカム・トゥ・サラエボ
角川エンタテインメント
ひかりのまち
キングレコード
バタフライ・キス

******


ワーナー・ホーム・ビデオ
アイランド
角川エンタテインメント
ペイチェック 消された記憶
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
マイノリティ・リポート 特別編
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★★★☆星3つ半 

『イヴの眠り』 ついに完結。


僕は吉田秋生の大ファンだし、大好きな


BANANAFISHのスピンオフストーリー


というか、、、『ぼくの地球を守って』における『ボクを包む月の光』 みたいな


次世代の物語


なので、すごく内的評価は高い。


が、物語としては、吉田秋生のコアは、『吉祥天女』、『BANANFISH』、『カリフォルニア物語』あたりで、書ききられてしまっているので、その


テーマの本質 は、めちゃめちゃ洗練された同工異曲


といえよう。


それについては『ラヴァーズキス』の書評 で少し書きました。


・・・・・・・・・・・ちなみに、これ、続編がありそうな気配だなぁ。


だって、シン・スウ・リンの息子の物語が、ぜんぜん動いていないんだから。


おれ、こいつ(シンもだけど)めっちゃ好きなんだよなー。


光の庭も最高に良かったけど。


やっぱ好きだーうふ♪(* ̄ー ̄)v


■次世代・スピンオフストーリー全般への評価


前回、ぼくたまの次世代編である「ボクを包む月の光」の評価 で、全般的に、団塊の世代~団塊の世代jrの(30代以上のイメージね)80年代のジャンプ黄金期時代のマンガ世代をターゲットにしたモノが頻出しているような気がする。この世代は、金持っているし、自分の趣味に投資することをいとわないからね。


①将来のマーケット自体の衰微

ただ、この古い層の回顧録に付き合う姿勢は、儲かるけれども・・・・・新規マーケット、つまりは子供達に対する需要喚起をしない姿勢なので、このままでマンガのマーケット自体が、衰微してしまうという論調がある。


中野 晴行
マンガ産業論

②別の物語のキャラクターと世界を共有する世界観
それだけではなく、そもそも「相当の力量」がなければ、手塚治虫のような(たとえば『火の鳥』ね)、各々の物語の主人公たちが共有空間で息づくという世界観を創りあげるのは、難しいのだ。いまのCLAMPが『ツバサ』でやっているようなやつですね。

CLAMP
ツバサ―RESERVoir CHRoNiCLE (1) 少年マガジンコミックス

この共有空間というのは、輪廻とか多層的な時間感覚(SFね)になる場合が多く、ともすれば、


オリジナルの作品の同工異曲のモチーフを反復するという「繰り返し」に入りやすいという欠点


もある。


一人の作家の語りたいことは、本質的には、すべて同じだからだ。





このシェアワールド的な、自分の大好きな主人公やキャラクターがまた別の時系列、空間で生きている姿を見るのは、物凄くうれしいので・・・・


そもそも物語りにハマルという行為は、


登場人物たちが「まるでこの世界に本当にいるように」強烈に実感する行為


でもあるので、その実感を証明してくれるような、展開には、やはりしびれはするんだ。



結論とすれば、


読者にとっては最高なんだけれども、


次世代やスピンオフは、オリジナルの物真似で終わってしまう傾向が強く、


その複雑な世界観を書ききれる力量があるほどの作家はめったにいない

といえよう。

吉田 秋生
Banana fish another story
吉田 秋生
Banana fish (19)
吉田 秋生
吉祥天女 (1)
吉田 秋生
カリフォルニア物語 (1)

http://ameblo.jp/petronius/entry-10002370866.html

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ロードオブウォー

★★★★星4つ


さすが、とうならせられるアンドリューニコルの新作。物凄い力を持った作品だ。エンターテイメントとはいいがたいめちゃ重い作品ではあるが、できればたくさんの人に見てほしい気がする。


あらすじは、↓HPで見ればいいしたくさん書かれている思うので、一番評価したい部分の批評に集中して見ます。ちなみに、ネタばれなので、見ていない人は遠慮して、ぜひ映画を見に行ってください。


公式HP:http://www.lord-of-war.jp/index2.html


■暴力的な映画/観客の立場にいる人々への告発機能


暴力的な映画、と僕は評したい。それは、バイオレンスを描いているからではない。観客の内面をえぐり、攻撃を加える作品のこととです。

映画史上、観客に攻撃を強いる映画といえば、最も有名なのがこれ『アンダルシアの犬』。この作品は、物理的な痛みを見せることで観客に攻撃を加えたのですが、この『ロードオブウォー』は


物語の感情移入という仕組み


を使って、観客に暴力を振るいます。それが余りに見事であったので、さすがっとうなりました。


このような観客の内面への暴力は、よほど上手く脚本を練らないとできません。



それは、最後の最後の主人公(ニコラス・ケイジ)が、インターポールのヴァレンタイン刑事(イーサン・ホーク)についに逮捕され拘束されている部屋のシーンで起こります。




武器商人として成長し、人生を極め成功してきたウクライナからの移民ユーリー・オルロフ


けれど、自分が売った武器で子供すら死んでいく現実を、これでもかこれでもか、と描かれていきます。彼の売る武器が、世界に死と戦争を振りまきます。


そのビジネスマンとしては輝きに満ちた人生も、実は心が死んでしまっているユーリーと、彼の良心を表現する弟のヴィタリー(ジャレッド・レト)の麻薬におぼれてボロボロになっていく姿を見れば、いかに内面をズタズタに引き裂くシゴトであるかをうかがわせます。


そして、自分の素晴らしいブルジョワな生活、宝石、絹の服、高級車が、銃という殺人の道具で贖われているという恐怖に耐え切れず、彼の妻は子供をつれて出て行きます。


これを見ている観客は、いかに武器商人が汚く、最低の職業であるかということ、そしてそれが人間の内面をボロボロにする最悪の仕事であるかを、物語の筋で主、ユーリーでも弟でも、妻でも、誰に感情移入してでも、感じるでしょう。


しかし、麻痺しているユーリーも含めて、どの登場人物に感情移入しても、


武器の販売は悪であるという前提に立つことができます。


だって、全ての人間が苦しんでいるのだから。


武器売買は悪いことなのです。ちょっぴりユーリーなどの感情移入しながら、観客は免罪符を得るのです。


こんな悪いことには、関わるべきではない!という風にね。武器売買は悪いことだ、だからみんな苦しんでいるのだ、というストーリーを受け入れれば、必然的そうなるはずです。


そして、もっと正義感づらした人は、それこそ正義の味方ヴァレンタイン刑事に感情移入するでしょう。




しかし、最期にユーリーは捕まった。


捕まったユーリーを見て、ほーら、悪は滅びるのだ、ユーリーはここでやっと罪を自覚して、この戦争ビジネスという悪夢から逃れることができるのだ、という安心を感じます。


逮捕は、解放なんですよね。もうあんな最悪のことには関わらなくていいのだから。





・・・・・・・・・・・・・・・しかし




新聞記事をまじまじと読む、ユーリー。


そのあきらめに満ちた、固まったような渇いた悲しみとも笑みとも区別がつかない表情は見事。



「僕は釈放される」



と彼は、いうのです。


それは、彼のようなフリーランスの小物は、しょせん小物ですが、もっと大物の武器商人の隠れ蓑に使われるので、証拠を出されたくなく、まだ彼をうまく使いたいその大ボスから釈放命令が出るというのです。


ヴァレンタイン刑事に対してユーリーはこういいます。


「君のもっと上の上司だよ・・・・・・・・・






合衆国大統領さ。」




と。




そして、解放されてまた、死の商人を続け続ける映像に、テロップとして、


この話がほぼ実話に基づいている


ことと


世界の巨大な武器輸出国は、国連の安全保障理事国である米・露・仏・英・中の5大国


であるというメッセージが出ます。




わかりますでしょうか?




この武器輸出5大国の国民への告発なのです。



「実は、このユーリーの姿は、、、、


のうのうとして釈放されて、戦争を拡大し難民や子供を殺しまくる武器を販売して儲けて、


幸せな日常を営んでいるのは、、、、


君たち自身なんだ!!!



というメッセージです。


映画の文脈で感情移入していれば、このメッセージは突き刺さります。


とりわけ米国民には、きつい告発です。


ちゃんと普通に感情移入していたならば、この麻痺しながらただ関係ないといって、ビジネスをしているだけだといって世界に死を振りまき続け、、、、、その儲けで、物質的な豊かさを維持する先進国の生活者全てが、ユーリーと同じ存在だ、というのはわかるはずです。


これは、エグイ。


僕は、苦しくて、つらくなった。



これは、見事に観客への告発機能を果たしている映画です。






■軍産複合体と経済を支配する軍需産業



ただ、実は、これは日本でのみ、唯一、その罪悪感が弱くなる作品です。


なぜならば、世界の巨大経済を運営する先進国のうち、唯一、武器の輸出をマジで禁じており、それでも経済が豊かに繁栄している国が日本だからです。


まぁ、世界の最先端兵器のキーテクノロジーは、かなりメイドインジャパンが入っているので、単純にだから日本エライとはいえない。それに、日本の景気は、アメリカ市場やアジア市場に依存しており、この市場は、かなりの高い割合が兵器産業の輸出で維持されているからだ。


そういう意味では、世界の全ての映画を見れるほどの豊かな生活ができる生活者への告発です。よくこんな映画つくれたなーと感心。



ちなみに世界最大の武器輸出国であるアメリカでは、この映画への資金提供は、されなかったそうだ。さもありん。もちろん、圧力もあったのだろうな。まじで。




■追記
ちなみに、樹衣子さんのブログ『千の天使がバスケットボールする』 で、絶対みたい、と書いた手前、急がなければ、と急遽見た作品(笑)。直感があったら即行動しないと、なかなか時間はつくれないので、いい後押しになりました。見応えのある作品でした。ただ、『西の魔女が死んだ』 で精神的にダメージを受けたところに、さらに強いダメージを受けたので、いまは心が汚れている状態です(笑)。

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梨木 香歩
西の魔女が死んだ  

★星一つ


いい印象を受けなかった。


なんでだろう?。


とてもハートフルだし、さすがなくらいにファンタジーの基本を押さえているし、問いかけも哲学的だが感情に沿った形で悪くない。アマゾンの書評でも絶賛の嵐だ。



でも、いやな印象が残っている。





<<<<余りに酷評したので、好きな人は読まないでください(苦笑)>>>>



こういう心理・物語分析は、細かくて読む人もいないような気がするので、長々と書くのはどうか?と思うが、このブログの位置付けは、僕の印象メモでもあるので、書いてみようと思う。

欠点を一言でいうと、




自我・自意識のヨロイが取り除かれていないのだ


そして、もっと端的にいうと、


主人公の「まい」に心の成長が(僕には)微塵も感じられないことだ。



********


・・・・・ひさしぶりに、良いといわれる本への極端な反対論陣だなぁ(笑)


でも個人的には、もし子供が生まれたら読ませたくないなぁ。。。。





えっと、これだけでは抽象的過ぎて意味がわからないだろうが、


僕は、この主人公の13歳の少女に物凄い


小賢しさ


を覚えて、いやな印象が残っている。とても子供とは思えないので、それはイヤな感じを受けた。


とてもハートフルで人気を博したというのだが、その他の人々はどう感じたのだろうか?ぜひ意見を聞いてみたいなぁ。僕は、なんともいえない、もやもや感があって、それほど読後感が悪かったんですよー。



■小賢しさ


そもそも感受性の鋭い子供が、学校などで孤立していじめに会うというは、よくある話だ。


ここでは、何気ない父親の


「死んだら全ては終わり」


という意見を聞いて、それで世界の無意味さに気づいてしまった女の子が、虚飾を張って生きるのが嫌になってしまい、そのせいで小学校の女の子のグループに入るのを辞めたことが、いじめの発端だった。


女の子(今では男性も似たようなものだ)の派閥争いの関係は、どこの組織でも大変らしい。そこからはじかれる、というのは良くあることだともう。



そして、彼女は登校拒否をし、おばあちゃんの田舎に引き篭ります。



ようは、彼女がそこまで追い詰められた理由を解きほぐし、生きる希望・意志を取り戻させるというのが、物語構造の大枠です。



だから、


1)彼女が何に悩んだのかの解明



2)どうやってそれを克服したか?



という部分にこの物語の本質があります。




■成長が感じられない・・・・・・



が、この小賢しさがを感じたのは、


ゲンジさんへの彼女の嫌悪感・拒否感の部分です。


ゲンジさんは、祖母の隣に住んでいる離婚してぶらぶらしている男やもめ。


ゲンジさん自体も、フリーター見たいなダメ人間なので、田舎に引きこもっている主人公に対して



「いいご身分だな」


「甘えてるんだな」



というような同族嫌悪の嫌味を多々いい(でも事実なんですよね!!)、それで主人公はゲンジを大嫌いになってしまいます。


その他のさまざまな小さな理由があるのですが、彼女は、そこで事実の確認もなし、感情だけでどんどんゲンジを嫌っていきます。


このプロセスは、わからないでもありません。


ましてや潔癖な中学生の女の子の立場で考えれば。



その「感情に支配された否定の論理」に対しておばあちゃんは、強く彼女をいさめます。



でもね、主人公の否定の論理に対しての解決策は、作中ではほとんど語られません。


なんとなく印象が悪いだけで、確実な根拠がないのに、主人公はゲンジさんを悪者として憎みます。とうぜん物語は主人公の主観で語られるので、読者は、ゲンジさんをとてもイヤなやつのように感じます。実際には、僕もそう感じはした。




・・・・・・・・・・・・が、少し引いて客観的に考えると



このゲンジさんもさびしい人です。作中で少なく語られる背景では、離婚して、田舎に引っ込みふらふらしているわけです。


ようは、主人公とまったく同じ立場なわけなんですよ。


その同じ存在である彼を、否定する根拠は、倫理は、存在しません。


けれど、その「否定の思い込み」は、最後まで特に消えません。(僕は消えてないように感じました。)いろいろな含みのあるシーンはありますが、少なくとも主人公が彼に対して許しを感じ、彼もまた自分と同じように狭い世界で突っ張って苦しんでいる弱い人間なのだ、ということを主人公が明確に理解したという記述がないのです。




それは、卑怯です。



同じ立場の人間(=自分自身の心の弱さ)を認められないのは、卑怯だと僕は思う。






■尊大な優越の意識は、他者を認めることで成熟を得る


感受性が強いというのは、ある意味、



「私は他の人々とは違う」という優越の意識



から生まれるものです。


これ自体は、いやらしい傲慢さですが、否定できません。


人間誰しも持つものです。


それが個性となり、自らの心を成長に導くからです。




けれど、その傲慢さ・・・・・言い換えれば自我の強さ、自意識の強さは、


実は、他者も同じような魂を持ってこの世界に存在しているのだという共感なくしては、



ただの傲慢でしかありません。



この物語構造の流れからいえば、「まい」の強い自意識は、ゲンジを憎むような心の弱さを認めて、ゲンジもまたまいと同じような、弱く苦しむ人間なのだ、ということを認めることでしか、心の成長を描けない、僕は思う。



■まいの追い詰められる真の原因


そして、もしゲンジを認めることができれば、真の理由である母親とのギクシャクした関係も認めることができるはずです。



この作中の流れから言うと、子供を顧みないで働いている母親にまいが精神的の追い詰められる原因があるとしか僕には、解釈できません。


そして、それは、専業主婦に徹し、子供を育て、自然と強制するというおばあちゃんの意見と、働きたい自分自身の人生を生きたいと願う母親との葛藤から、真の原因は来ているとしか僕には解釈できない。



とするとなると、まいが許容すべきは、母親なんです。


そこへいたるステップが開かれないのは、まったく成長していないということです。


確かに、おばあちゃんおような、自然と共生する豊かで素晴らしい生き方は、もうこの都市文明の時代には、よほど恵まれた条件でも揃わなければ不可能です。


まいが、戦闘状態を解けなかった、それはなぜか?と問うのは当然です。


まいは正しいのです。


どんなにおばあちゃんが好きでも、あんな楽園のような空間には帰れません。




となれば、そんな残酷な現代社会のかなで、せいいっぱい生きようとしている、同じ弱い母親や父親を受け入れること以外に、まいの成長はありうるのでしょうか?


そこがまったく描かれていないこの本は、僕は、とても嫌な印象を残した。



おばあちゃんの生き方や言葉はすごく正しい。・・・・けど、あのようなロマンチックな生き方は僕らには出来ないのです。物凄い金持ちならば別ですが。。



とすれば、そんな世界で生きる、登校拒否にすらなれなくて苦しむ父親や母親や、登校拒否になったゲンジらを「赦す」こと以外、どんな成長がありうるのでしょうか?



これでは、ただ単に、こんなおばあちゃん大好き、いい生き方だよね、というだけの本になってしまう。





・・・・・・・・・酷評でした。


ただ、なんかすごく嫌だった。








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